不条理
「伯爵! 伯爵! 朝です! 皆さんお揃いですよ! 伯爵! いつまで寝ているおつもりです!」
グヴェンに木戸をガンガン叩かれて飛び起きた。
たしかに朝だ。
なんか面倒な夢を見ていた気がするが、全部ぶっ飛んでしまった。
「いま起きた」
「早くしてください! 殿下もお待ちですよ! あんまり遅かったら置いていきますから!」
「うん……」
厳しいなぁ。
むかしは「お父さん起きてー」などと、かわいく布団をぺしぺししてくれたものだが。いまじゃ力任せにドアを殴打する始末だ。あのドア、ぶっ壊れてないだろうな。
身支度を整えて外へ出ると、甲冑で武装した娘が駆け寄ってきた。
「亭主に頼んで朝食を用意してもらいました。ほら、行きましょう」
「ありがとう」
押し付けられたバスケットには、ハムとチーズをパンに挟んだものが入れられていた。誰が考えたものか、最近流行のスタイルである。
俺は馬車に入ると、さっそくパンを食い始めた。
みんな準備を終えて待ちくたびれている。いつもならあの程度の酒でこんなになることはないんだが、なぜだか今日は調子がよくない。
娘が水筒を突き出した。
「水もどうぞ。急いで食べると喉がつまります」
「助かるよ」
馬車は街道に沿って北東へ。目指すは大雪山だ。
「少し飲みすぎましたか」
やや苦笑気味のアンドルーに、俺は愛想笑いで応じた。
若い連中がちゃんと起きてるのに、俺だけ遅刻とは恥ずかしい。
するとモーガンも袖で口元を覆ってくすくすと笑った。
「けど助かったわ。あなたが最後だったおかげで、わたくしの遅刻もなかったことになるんだもの」
「なりませんよ!」
娘が立ち上がらんばかりに抗議した。
きっとモーガンも、ソーマをキメてから寝たんだろう。ダメな大人しかいない。
それにしても、なんだか印象的な夢を見た気がするんだが、まったく内容を思い出せない。女の声でワーワー言ってきて……。グヴェンがワーワー言うから、それが夢にも出てきたのかもしれない。むかしは優しい子だったのに。
ふと、マリアが指でつんつんとつついてきた。
「なんだ? 食いたいのか?」
「そうじゃないよ。ただ、なんか昨日、夜中に女の人と話してたみたいだから。なに喋ってたのかなーと思って」
「えっ?」
グヴェンがギロリとこちらを睨みつけてきた。エリスのような鋭い眼光だ。
「いやいや、女だって誰だよ? 知らないよ。妙なことを言うんじゃない」
「けど、なんか怒られてなかった? 伯爵のこと怒るの、グヴェンだけかなって思うんだけど」
するとグヴェンはぶんぶんと首を振った。
「私じゃありません! いくら相手が伯爵でも、夜中に起こしたりはしませんし。そもそも意味が分かりません」
「いや待て。たしかに、誰かに起こされた気がするな。だがグヴェンじゃない。モーガンでもない。もっとこう……無闇に高圧的で、高慢ちきな……あーっ!」
思い出した。紫電だ。
俺はアンドルーに向き直った。
「殿下! 王都に伝令は出せますか!?」
「えっ? それは可能ですが……。いったいなにを?」
「なんだっけ……。昨日、部屋に紫電さまが現れて、魔王が……えーと……転移門がどうとか言ってたなぁ」
「……」
アンドルーは俺の態度に呆れるかと思いきや、神妙な表情で目をつむった。
「そうですか、紫電さまがギンズバーグ卿に……。心当たりがあります。じつは王都の大聖堂は、数年前に紫電さまとの交渉に失敗し、怒りを買ってしまったのです。以来、対話は途絶えたままでして……」
「なにがあったのです?」
「王位の継承に関するごたごたです。父亡き後、叔父が継承権を主張するようになり……。そこで陛下は私を継承者とすべく、あれこれ手を尽くすようになったのです。そのひとつが、紫電さまから私への加護の下賜でした。私が勇者の資格を備えれば、王位の継承にも正統性が出ると判断したのでしょう。しかし紫電さまはこれを拒み、陛下も怒って紫電さまとの対話をやめさせてしまったのです」
出たよ、王位の継承。これにミスると、どの国も滅ぶ。
彼はひとつ嘆息し、こう続けた。
「神槍が封じられたのもそのときです。当時は、まさか魔王軍が復活するとは誰も予想していませんでしたから……。事前にレプリカを用意していたのは不幸中のさいわいでした」
「なるほど。それで紫電さまの力が弱まって、新しい勇者を誕生させられなかったと……」
「なにせ神々の力となるのは、人々の信仰です。陛下が王都での信仰を禁じてからというもの、紫電さまはすっかり力を失ってしまわれました」
信仰が強まれば神は力を増し、逆に弱まれば力を失う。よって神々はこういうときに使者をつかわし、その奇跡を見せびらかして信仰を得ようとするわけである。勇者が活躍すればするほど紫電の評価もあがる。
ということは、今回は紫電の力が弱まったせいで魔王側が勢いづき、こうして攻めてきたとも考えられる。つまりは王の失策だ。
俺はバカらしくなって溜め息をつき、景色を眺めながらパンを齧った。
遠方には、青空にまぎれるようにうっすらと山々の尾根が見える。ひときわ高いのが大雪山。そこに魔王軍の転移門も置かれている。
「あ、思い出した。そうだ。あの転移門、陽動かもしれないって」
「いまなんと?」
「紫電さまの話によれば、ずいぶん弱い転移門なんだそうです。だから大雪山のは陽動なんじゃないかと」
するとアンドルーは、御者へ向けて命じた。
「馬車を止めよ! これより伝令を出す! ギンズバーグ卿、詳しくお聞かせください」
「ええ」
危ない危ない。いちばん重要な部分を忘れるところだった。
馬車の後方にはアンドルーの私兵がついてきている。王への文書は彼らに託した。
俺たちは、止まった馬車で作戦会議だ。
「困ったことになりましたね。このまま大雪山を目指せば、我々は魔王軍に裏をかかれる可能性があります」
予想外の展開に、アンドルーは頭を抱えてしまった。
ま、身動きがとれないのは事実だな。
ここは王都からそう遠くないから、その気になれば一日で引き返せる。もちろん大雪山からは遠ざかることになるが。ただし、これが陽動でないとなれば、引き返した俺たちは後手に回ることになる。
俺はテーブルの下からビール瓶を取り出した。
「ま、ここで待ってても仕方ありません。次の町で伝令の返事を待ちましょう」
「伯爵! またビールですか!」
すぐさまグヴェンからの抗議が来た。
「いいか。たったいま、俺たちは完全に待ち時間に入ったんだ。空いた時間で素早くリフレッシュするのも仕事のうちだ」
「また屁理屈を言って! 騙されませんよ!」
「屁理屈じゃない。立派な兵法だ」
「いま飲んだら家族の縁を切ります」
「おま……お前なぁ、なんでそういうこと言うの? お父さんのこといじめて楽しいの?」
「……」
返事ナシ。
俺はビールをテーブルの下に戻した。これはかなり怒ってる。
「すまん。ちょっと大人げなかった。お前が正しいぞ、グヴェン。まだ朝だもんな」
「昼もダメです」
「もちろんだ。夜だけにする」
「本数も減らしてください」
「減らす」
「飲まない日も設けてください」
「応じたいが、急にはムリだ……」
「では努力だけでも」
「努力する」
クソ、オフなのにビールも自由に飲めんとは。だが娘に嫌われるよりマシだ。夜まで待てばいい。
グヴェンは落ち着いたかと思うと、ふたたび身を乗り出してきた。
「そういえば二千ポンドも!」
「あとで返すと言っただろう。倍にして返す。本当だ。お父さん、ウソついたことあるか?」
「たびたびある気がします」
「あるけど、金だけはちゃんと返すからな! 本当だぞ! 絶対な!」
娘に借金していることがみんなにバレてしまった。モニカは日記にメモしている。戦いが終われば、この醜聞は世界中に知れ渡るだろう。もうおしまいだ。エリスも俺のところに戻ってこない。
アンドルーも気の毒そうな顔になった。
「ギンズバーグ領では、そこまで財政が逼迫しているのですか?」
「いえ、たいしたことではありません。ちょっと旅の資金のやりくりに失敗して……」
実際、人助けのために装備を買う必要があったのだ。ほとんどがなぜかビール代に消えたけど。
モーガンがぽんと手を打った。
「お金が欲しいのね? だったらビールにソーマを混入させて、まったく新しい商品として売り出したら? きっとみんなハマるわよ!」
「ちょっと黙っててくれ」
そもそも領地でビールを作っていること自体が秘密なのだ。ソーマなんて混ぜて売ったら大問題になる。しかも客の大半はエルフだってのに。
*
次の宿に入ると、もうその晩には伝令が戻って来た。
王からの返事はこうだ。
曖昧な情報に振り回されることなく、とっとと大雪山へ行って魔王を討伐せよ。
まるで事態を理解していない。
ま、そうしろって言うなら大雪山に向かうがな。
パブにはいつもの四名に加え、今回はグヴェンも同席した。俺のビールを監視するつもりらしい。さすがに控えめにしなければな。
「やはり不安ですね。再度、陛下に手紙を送ってみましょう」
アンドルーはきちんと深刻さを理解している。
俺たちが右往左往するだけならまだいい。最悪のケースは、なんらの備えもないまま王都が攻められることだ。ゴブリン程度なら追い払えるだろうが、大型モンスターを投入されたらどうなるか分からない。
俺は娘の視線に耐えながらビールを飲んだ。
「ま、とりあえずはホワイトフィールドまで進むことにしましょう。そこからなら、万が一の場合でも王都の救援に間に合うはず」
「ええ、そうですね」
殿下がいるからなのか、亭主も薄めずにビールを出してくる。なかなか味わい深くていい。婆さんのビールのほうが何倍もうまいけど。あんな領地でも、思い出すと帰りたくなるから不思議だ。
ややすると、グヴェンが眠たそうにうとうとし出したので、俺は肩を叩いた。
「グヴェン、眠いなら部屋で寝なさい」
「えっ……。まだ眠くないです! それに伯爵のビールを見張らないと……」
「今日はもう飲まないよ」
「本当ですか?」
「本当だ」
「でも……」
するとジャスミンが立ち上がった。
「行こう、グヴェン。代わりにボクが見張っておくから」
「はい……」
ジャスミンに手を取られ、エスコートされて二階へあがっていった。
なんだか彼女には世話になりっぱなしだな。
モーガンもふっと笑った。
「いいお姉さんね。手を出しちゃダメよ?」
「そんなこと考えてないよ」
「わたくしも今回はおとなしくするわ。ひそかに前回の記録を塗り替えようと思ってたんだけど」
「なんの記録だよ?」
「ヤった相手の数よ。言っておくけど、あなたよりわたくしのほうが多いんだからね」
「そうかよ」
下半身のユルさを自慢するのは趣味じゃない。
いや待て待て。
前回、男は俺だけだったんだぞ。そして俺の相手はふたり。
つまり、モーガンの相手は三人以上ということになる。そのうちひとりは俺として、残りはいったい誰なんだ……。
「あのー、ちなみに相手は?」
「ヒミツに決まってるでしょ」
おお、神よ……。
いったいなぜこんな女に加護を与えなさったのか。
いや、どうせ火焔の神とやらもアレなやつなんだろう。紫電もアレだからな。連中の人選はどうかしている。
こうなってくると、加護を与えられなかったアンドルーというのは、じつは崇高な人物なのではないだろうか。実際、俺たちよりよっぽどまともだしな。
(続く)