疑惑
翌日、宮廷魔術師からレプリカの紫電を受け取り、俺たちは王都を出発した。
前回は王から直々に「本物」を手渡されたのだがな。
槍の見た目からは、レプリカであることは分からない。焦げて炭化した木のような、漆黒の長槍である。半分は持ち手で、半分は長剣のようになっており、突くことも切ることも可能。
こればかりは、実際に使ってみないことには評価できないな。腕力で折れることはないだろう。心配なのは、魔力に負けてひしゃげてしまうことだ。
四頭立ての馬車に揺られながら、俺はテーブルに地図を広げた。
「よく知られる登山道は大きく三つ。西から、中央から、東から。前回、俺たちは険しい東側のルートを使いました。敵の防御が手薄だったってのが一番の理由ですが。まあ手っ取り早く行けると思ったワケです」
地図には三つのルートだけでなく、転移門の位置や、本陣の置かれているであろう位置も記されていた。実際、魔王もそこに陣を敷くだろう。大雪山には、大規模な平地がそこにしかない。ほぼ中腹あたりだ。
大雪山は王国領であるが、従っているフリをしているだけの辺境伯の支配地でもある。辺境伯というのは、辺境にぶっ飛ばされて爵位だけ与えられた俺とは違う。力を持った屈強な豪族だ。
アンドルーが顔を上げた。
「して、ギンズバーグ卿はどのルートを選んだのです?」
「じつは決めかねておりまして。敵の布陣が分かれば、弱いところを攻めればいいわけですが……。今回はなんというか、魔王軍の意図が読めないというか」
「意図?」
「どうも誘い込まれているような……。いや、考えすぎかもしれませんが。ともあれ、連中が南下してホワイトフィールドまで進軍してくるのは間違いありません。まずはそいつらを蹴散らしつつ、斥候からの情報を待ってルートを決めようかと」
「なるほど」
アンドルーは軍学の教育を受けているから、俺の選択に問題があれば指摘してくるはずだ。言ってこないということは、まあ妥当な判断ということだろう。
モーガンもうなずいた。
「いいんじゃない。ところで暇だわ。ソーマ吸っていい?」
「ダメだ。こんな狭い車内で吸ったら、みんながおかしくなる。君は前回、それで全滅しかけたのを忘れたのか?」
「忘れたわ」
こいつはホントに……。
しかも少女たちは作戦会議に参加しようともせず、また書物を覗き込んでキャッキャしている。俺が覗き込もうとするとパタリと閉じる。絶対にやらしい書物だぞ。教育上よろしくない。
「あー、君たち。もう少し主体性をもって作戦に参加したまえよ。これは遠足じゃないんだ」
「えー、だって暇じゃん」
これから北へ行くというのに、へそ出しのマリアが抗議を口にした。そんな薄着じゃ風邪ひくぞ。
同年代の仲間を得たグヴェンも、堂々とこれに加勢した。
「私たちは伯爵の作戦に従います。ですので、現段階で意見を述べるべきではないかと」
「そうか? 従うのはいいけど、ちゃんと聞いてないと、どんな作戦だったかあとで分からなくなるんじゃないのか?」
「それは……一理ありますが……」
「ちゃんと聞いてなさいよ。これはみんなの安全のためでもあるんだから。もし怪我でもされたら、親御さんになんと言えばいいのか」
するとマリアが「もう親いなーい」とケラケラ笑った。
失言だったな。
「とにかく、みんなの身を心配して言ってるんだ。気を抜くと怪我をするぞ。自分が傷つくと、仲間が傷つく可能性も高まる。俺たちはチームなんだ。もっと真剣にな」
いかん。これではただの保護者だ。いかにも少女に手こずって早口で説教するおじさんではないか。
するとジャスミンが助け舟を出してくれた。
「伯爵のおっしゃる通りです。ボクも、みんなが傷つくところは見たくない。だから話はちゃんと聞こう?」
まともな子がいてくれて助かった。
少女たちも、キラキラした瞳で大きくうなずいた。俺の話は聞かないが、ジャスミンの言葉には耳を傾ける。
俺はテーブルの下からビール瓶を取り出した。
「よし、話がまとまったところで休憩にしよう」
「伯爵! もうお酒ですか!」
グヴェンが凄まじい反射神経で見咎めた。
「だって打ち合わせ終わったんだもん。まだ魔王軍と遭遇するような場所でもないし、別にいいでしょ」
「いま朝ですよ? お昼ですらありませんよ? 飲むのですか? 本当に?」
「ダメなの?」
「ダメでしょう! 常識で考えてください! 真面目に作戦を立てている伯爵を見て、少しは頼りがいのある人物かと感心していたのに! やっぱりただのダメ人間ではありませんか!」
「うっ……」
「そんなことだから母上も愛想を尽かすのですよ! 反省してください!」
「……」
たぶんいまなら号泣できる。
俺はビール瓶をそっとテーブルの下へ戻した。栓を抜く前でよかった。もし抜いていたら、泣きながら飲まざるをえなかったからな。
マリアがテーブルをバンバン叩いて爆笑した。
「勇者なのに怒られてんの! クッソウケるんですけど!」
「これは記録しておかねば……」
モニカまで日記に書き込み始めた。
あとで暴露本でも出す気か。勘弁してくれよ。
モーガンが「吸う?」と袖の下からソーマをチラ見せして来たので、俺は手で制した。
ビールだけが唯一の癒しだ。それが封じられてしまったいま、俺は無力だ。早く夜になってくれ。
*
その晩、近隣の宿場町に宿をとった。殿下が宿泊するとあって、一番いい宿をまるまる貸し切りにした。
少女たちは食事を終えるや部屋へ行ってしまったので、パブには俺、モーガン、ジャスミン、それにアンドルーの四人が残った。
ま、うるさいのがいないおかげで、堂々とビールを飲めるというわけだ。
「それにしても、立派な娘さんですね」
薄めていないビールを堪能していると、アンドルーが突然そんなことを言い出した。気を抜いていた俺は、思わずビールを吹きそうになった。
「そうですか? まあ、そうなのかな……。誰に似たのか、ワーワーと口うるさい子になっちゃって。言ってることは間違っちゃいませんがね。もうちょっと優しく言ってくれないものかと」
「あなたのことを思っているからこそ、厳しく言うのでしょう」
これにモーガンもふっと笑った。
「分からないの? あの子、お父さんのこと大好きよ? 本当に嫌ってたら無視だからね、無視」
「そういうもんかね」
グリフィンとの戦いで駆けつけてくれたときは、涙が出るほど嬉しかった。剣も貸してもらえた。いろいろ言ってくるのも心配してのことだというのなら、俺は娘に感謝しないといけない。
ジャスミンも薄く笑みを浮かべた。
「ボクも父を尊敬していますが、そのことを口にしたことはありません。きっと彼女も同じ気持ちでしょう」
みんな優しすぎる。
俺はつい先日まで、辺境で農民にボロクソに言われるだけのダメ領主だった。会話の相手はアルフレドしかいなかったし、誰も俺のことなんて頼りにしなかった。好きなだけビールを飲み、好きなだけ寝ていれば、いつの間にか時間が経過していた。俺はそのまま寿命を迎えて死ぬのだと諦めていた。
なのに、こう言っちゃなんだが、魔王軍が出てきたおかげで、俺の人生はにわかに充実したものとなった。
しかも娘と顔を合わせて話をすることもできるのだ。とても恵まれている。これで嫁も帰ってきてくれたらとは思うんだが……。まあ、それは望みすぎというものか。帰ってこられても、また野犬殺しに熱中するんだろうしな。
おそらく神というやつに感謝するべきなんだろう。本当に、幸運の勇者だ。幸運で勇者になっただけの中年だ。
*
その晩、俺はその神に叩き起こされた。
ベッドに入ってうとうと寝入ろうとしていた矢先のことだ。キラキラとした光が出現し、やたらと高圧的に声をかけてきた。
「起きなさい! レオン! 神ですよ! レオン! 起きるのです!」
子供の頃、母親にこうして起こされたのを思い出す。
それは人の姿をしていない。光の球体だ。どこに口があるのか分からないが、普通に語りかけてくる。
「えっ? 神さま?」
「紫電です。起きなさい。少し話をしましょう」
「いやぁ、明日じゃダメなんですか?」
「あなたに選択肢があるなどと思わないことです。決めるのはこの私、すなわち神です。無視しても構いませんが、寝ている間、いつまでも話しかけます」
「はぁ……」
せっかくビールを飲んでいい気分で寝ようとしていたのに、すべてが台無しだ。神というのはまことに傲慢である。
「このたびはよくぞ魔王討伐に乗り出しましたね。褒めてあげましょう。たとえあなたが乗り気でなく、圧力に屈して渋々参加したとしても、です」
「全部見てるし知ってますよね? ではなんの用なのです?」
「注意を喚起しに来ました。あなたは酔っ払っているから、分かりやすく噛み砕いて説明してあげましょう。今回、魔王の動きにおかしなところがあるのはあなたも知っての通りです」
「やはり罠だと?」
「大雪山に転移門が置かれたのは事実です。しかしあまりに力が弱すぎます。あれでは小型モンスターしか通過できません。もちろん魔王自身も通過できない」
「えっ? でも宣戦布告してきたんでしょ?」
「それは使いの者にやらせればいいこと。大雪山に置かれた転移門は、陽動の可能性があります」
「うげぇ……」
前回は布陣が完了してからの宣戦布告だったのに、今回はぐだぐだでおかしいと思ったが。まさかそういう話だったとはな。
俺は身を起こし、目をこすった。
「じゃあ実際はどこから攻め込んでくると?」
「それは分かりません。北西か、南西か、南東か……。いずれにせよ結界のほつれから出現することは間違いありません」
「王都の連中には教えたんですか?」
すると紫電は光を揺らめかせて激怒した。
「あんな不信心者に教えるわけがないでしょう! あろうことか、彼らはこの私との対話を拒否しているのですよ! 信じられますか!」
「夜中に出てきてワーワー言うからからじゃないの……」
「朝でも昼でもワーワー言います。とにかく、彼らは私の言葉を聞こうとさえしません。ですので、あなたの口から伝えてください。王族のアンドルーも、あなたの話なら聞くでしょう。彼をうまく使うことです」
「分かりました。明日でいいですよね?」
「ええ。しかし早起きしてすぐ伝えるのですよ。なのですぐに寝なさい。分かりましたね?」
「はい」
本当ならば、聞きたいことが山ほどある。魔王に加護を与えてるやつがいるのかとか、新しい勇者をなぜ用意しなかったのかなどなど。しかしいまは眠くてそれどころではない。
なにもこんな深夜ではなく、馬車で暇なときに言ってくれればいいものを。なぜか俺がひとりでいるときにしか出てこない。だから神の言葉を誰かに伝えても、俺が勝手なことを言ってると思われることもある。非常に困る。
そもそも、紫電はなぜ王都の連中と揉めているのだろうか。そこからしておかしいではないか。
ま、しかし寝よう。酔ってるときにモノを考えてもロクなことにならない。神のせいで過剰に疲れてしまった。むかしの幸せだったころを思い返しながら、いい気分で寝るに限る。神も寝ろと言っている。
おやすみ、グヴェン。
(続く)