ビール以外に癒しはない
眼下にはのどかな田園風景が広がっている。
俺は昼間から、その麦の穂のひたすらに風にゆすられるのを眺めつつ、銅のコップでビールを飲む。ここでの生活はそれがすべてだった。
優雅な生活に聞こえるかもしれない。しかし好きで来た場所ではなかった。左遷されたのだ。
十代のころ、魔王軍を追い払うための力を神から賜った。集結した仲間たちは美少女揃い。世間からは羨望の眼差しを受けたものだった。
もちろん俺は負けなかった。モンスターどもを蹴散らし、魔王の首を刎ね飛ばし、戦闘に勝利した。
すべてを終えた俺は、褒美として王からこの地を拝領した。都から遠く離れた辺境の、痩せた土地だ。しかも隣国と接した厄介な場所。
せっかく国を救ったというのに、力を警戒されて辺境にぶっ飛ばされたのだ。
役目を終えた美少女たちはみんな去った。
五人いた美少女のうち、ヤらせてくれたのはたったのふたりだけだった。そのうちひとりは誰とでも寝るのを「救済」と考えるカルトで、必要とあらばブタとさえ寝た。なぜ神が彼女に加護を与えたのか、いまだに理解できない。
そしてもうひとりは、一時的に俺の嫁となった女だ。そう、一時的に。いまは娘を連れて故郷へ帰った。
だがひとつだけハッキリさせておきたい。俺は、決して彼女に捨てられたわけではないということだ。彼女はここでの暮らしに嫌気が差しただけだ。たぶん。いや絶対に。
領主というと聞こえはいいかもしれない。
しかしその実情はあまりにショボかった。そもそも土地が貧しい。おかげで収穫できる麦はやたらと細くて粒が小さかった。おまけに味も微妙。
のみならず、領民たちは口さえ開けば税を下げろとやかましかった。下げてやると、さらに下げろと訴えてくる。
もとは俺も農民だったから、はじめは彼らの気持ちを汲んでやった。するとどうだ。彼らはさらに税を下げろと要求してくる。下げても下げても、なにか理由を見つけては下げろと言ってくる。
面倒なので税率を平均水準に戻すと、今度は城まで詰めかけて集団でワーワー言ってきやがった。だから仕方なく少しだけ下げた。
この城もショボい。
いちおう三階建てだが、崩れかけの廃墟だ。防御用の設備も整っていない。兵士たちは数が少ない上にやる気もない。
農民たちに攻め込まれたら一日で落城するだろう。
まだそうなっていないのは、おそらく俺が「超強い勇者」だからだ。神の加護がなければとっくに追放されている。いや、いっそ追放してくれたほうがどんなに楽か。
だが悪いことばかりではない。
ここにはビールがあった。
修道女たちが寺院でビールを作っているのだ。ここでとれる麦はマズくて食えたもんじゃないが、ビールに加工すると商品になった。そいつを売り払った金で質のいい麦を買い、命をつないでいるのだ。なんとも皮肉な話だ。
もしビール好きの修道女がいなければ、とっくに領地は荒廃していただろう。
神の加護は魔王軍を倒しただけでなく、この地にビールをももたらしたというわけだ。
ともかく、城のバルコニーからは麦畑しか見えないのだから、俺はその光景を肴にビールを飲み続けるしかなかった。相手すべき家族もいないしな。
ふと、少年がやってきた。
「伯爵、来客です」
彼は金髪碧眼の従者アルフレド。美少年というわけではない。あまり背は高くないし、顔にはそばかすもある。頭の回転も早くないからいつもぼんやりしている。豪農のデキの悪い三男を、やむを得ず雇っているだけだ。
俺は盛大に溜め息をつき、こう応じた。
「どうせまた農家のジジイが来て、税を下げろって言ってきたんだろう。領主さまは重要な用件で城を空けていると伝えてくれ」
「いえ、国王からの使者だそうです」
「んぶふっ」
盛大にビールを噴いてしまった。
国王からの使者?
いまさらなんの用だっていうんだ? 俺の再婚相手でも斡旋してくれるのか? それとも領地を増やしてくれるのか? いや、あのドケチ野郎がそんなことするわけないな。
「拭きます?」
「いや結構。客人は謁見の間へ通してくれ。着替えてから行く」
「かしこまりました」
彼はうなずくと、ふわふわした足取りで向こうへ行った。国王からの使者が来たというのに、事の重大さをまるで理解していない。
まあ俺も理解してないけど。
ホントなんの用なんだろうな。クソみたいな用事だったら承知せんぞ。
*
着替えてから謁見の間へ向かうと、待ちくたびれたらしい伝令兵がうんざり顔で立っていた。俺が姿を現すと、彼はやむをえずといった態度でひざまずいた。
「遠路はるばるご苦労。して、国王陛下はなんと?」
「魔王軍が現れました。よって伯爵に対し、陛下から追討命令を下されました。すみやかに出立の準備を」
「えっ、またなの?」
伝令兵とはいえ、向こうは国王の使いだ。こちらも相応の礼儀でもてなすべきであろう。しかしあまりにクソみたいなクソ報告に、俺もついクソみたいなクソ対応をしてしまった。
だって魔王軍だぞ?
神の加護を得た伝説の勇者であるこの俺が、いちどは首を刎ね飛ばしてやったのだ。すると俺だけに手柄を独占されまいとして、国王はあとから兵隊を出してきやがった。俺は魔王を殺害した直後に担当から外され、その後は国王の陣頭指揮で掃討作戦が始まったのであった。その後のことは知らない。なにせ辺境にぶっ飛ばされたまま、情報さえ入ってこないんだからな。
伝令兵は顔をしかめた。
「ご不満でも?」
「いや、陛下の命とあらば従うしかないけれども。しかし……君もこの地を見ただろう?」
「なにか問題が?」
「貧しいんだ。金がない」
「麦がよく実っておりましたが」
「数だけだ。質がよくない。ここの財政は逼迫している。支援もナシに魔王の追討へ向かうのは難しい。それに、領主の俺が長期にわたって不在となれば、ここの統治もどうなることやら」
「陛下は代理の文官を派遣すると仰せです」
「代理の文官……」
もし仮にそいつがキレ者だったら、この土地をぶん取ることもできるだろう。おかげで俺は自由になれるかもしれないが。しかし魔王軍と命がけで戦った結果が「領地の召し上げ」ってのは面白くない。
俺は溜め息をごまかしきれずに息を吐いた。
「ひとつ確認なんだが、俺は今年で三十になる。しかも鍛錬を怠ってビールばかり飲んでいたせいで、全盛期のころの俺ではない。それでも魔王と戦えと?」
「陛下の命に背くつもりでなければ」
「誤解しないで欲しい。ただ……あのときも選ばれし勇者が出てきたんだから、今回も若いのが出てきてしかるべきだろう」
「いたらここへは来ていません」
「ハッキリ言うね……。ちゃんと探したのかい?」
「捜索は陛下の命によりおこなわれました。が、いまだ発見にいたっておりません。でなければ! 私はここへは来ていません」
「……」
このとき俺は最悪の想像をした。
神が新たな勇者を選出していないとすれば、その仲間となる少女たちも選出されていない可能性が高い。つまりは一時的に俺の嫁だった女や、ブタと寝る女たちと、また一緒に旅するハメになるということだ。いくらなんでも精神衛生に悪すぎる。
王の命に背いてでも辞退したほうがいいかもしれん。
伝令兵がかすかに舌打ちした。
「なお、勇者以外の従者は見つかっております。どれも十代の少女ばかりで……」
「ほほう」
舌打ちは聞かなかったことにしてやろう。
麗しい美少女に囲まれて、意味不明な神の力で無双の働き。これは英雄譚の始まりそうな予感がするぞ。農民と税率について問答しているより、はるかにいい。
伝令兵は不快そうな目でちらとこちらを見た。
「従者のひとりグヴェンドリンを近隣の宿に待たせてあります。そのものとともに王都へ急行してください」
「グヴェン……ドリン……?」
若い娘の柔肌を想像し、ややもすると立ち上がらんばかりであった俺は、にわかに血の気の引くのを感じた。聞き間違いでなければ、俺のよく知る人物の名だ。
伝令兵は表情を消し、淡々とこう告げた。
「伯爵、あなたのご息女です」
「……」
いつの間に十代になっていたのだ! しかしそうか。五年前に八歳だったから、いまは十三歳だな。
俺は咳払いをした。
「君たちは正気なのか? 娘はまだ十三だぞ。そんな危険な旅に連れていけるわけがないだろう」
「しかし神は加護を与えました」
「出たよ、神。君は神の言うことだったらなんでも従うのか? よくないぞ、そういうのは。人間には人間の主体性ってものがある」
「陛下の命でもあるのですが?」
「はい」
まあそうなるよ。国王陛下がそう言うんだもの。逆らえないよ。
俺には魔を打ち払う力が備わっている。しかしあくまで魔に特化した力だ。人間に対しても使えないことはないが、無敵とまでは言えない。刺されたら死ぬし、ビールを飲みすぎれば記憶も飛ぶ。嫁が出て行ったときは心が死んだ。
するとそのとき、ひとりの修道女がふらふらと入ってきた。歳食ったガリガリの老婆だ。一見するとただの小柄な婆さんだが、頭だけはしっかりしていて、ちょくちょく俺を出し抜く。
「あれ、お客さんかね」
「おいおい、婆さん。ちょっと順番守ってよ」
王の使者を迎えてる最中だってのに。
しかし婆さんは気にした様子もなく、こう続けた。
「隣にまたビールを売っ払ったんでね、その金の話でもしようと思ってね」
これに伝令が顔をしかめた。
「ビール? 隣とは?」
老婆は歯の抜けた顔でにぃっと笑った。
「隣って言ったら隣だよ! 東にエルフの国があるだろう? そこの連中にちょちょっと売りつけてやって、代わりに質のいい麦を買うのさ。なんせあたしらのビールは絶品だからね。いまじゃあいつら全員ビールの虜さ」
伝令はこちらへ向き直った。
「まさか、エルフと貿易しているのですか? 国王がかたく禁じているはずですが……。それに、この地でビールを作っているという話も初めて聞きました」
「説明するまでもないと思うが、その婆さんは心神を喪失していて、ひとつとして事実を語っていない。この土地ではビールを醸造していないし、隣国とも貿易していない。それで? いつどこに行けば娘と会えるんだ? その用件だけ伝えてくれたまえ。それと、そこの老婆! 即刻退去を命じる。話があるならあとで来てくれ」
すると婆さんは愉快そうに笑った。
「おやおや、中央のお役人さんだったかい。こいつは失礼したね。ふぇふぇふぇ……」
ババアめ、さてはわざと口を滑らせやがったな。こないだ「検品」と称して樽ごと巻き上げたのをまだ根に持ってやがるらしい。
けど婆さんも婆さんだ。質のいい麦で作ったビールを、自分たちだけで独占しているのだ。のみならず、こちらが欲しいと言えば高値を吹っかけてきやがる。ここにそんな金があるわけないだろう。あるのは権力だけだ。
ビールには税金をかけていないんだし、少しくらい分けてくれたっていいはずだ。密造酒だから、堂々と税を徴収できないだけだけど。
*
その後、俺は領主代理をアルフレド少年に任せ、武装して城を出た。
俺がまたがっているのは、ずんぐりとした足の短い馬だ。力があって農耕には適しているのだが、なにせ足が遅い。
それに比べて伝令の使っている馬は、しゅっとしたスマートな体型で、じつに軽快なステップで駆けた。王の使いの旗を高々と掲げているのも格好がいい。
中央の仕事を任された堂々たる伝令兵が、のろのろした護衛を連れているようにも見える。だが主役は俺だ。世界を救うためにふたたび立ち上がった勇者なのだ。
俺の領地は小さいから、少し馬を走らせるとすぐに隣の領地へ出た。
そこはあまり活気のある宿場町ではなかったが、道行く人々は旗の前に道をあけた。王のご威光がこんな辺境にまで及んでいるということだ。
我らがミッドランドは歴史ある大国である。何代か前の王が国を統一してからは、特に分裂することもなくひとつの国として続いている。なにせエルフなどの異民族に四方を囲まれているのだ。内部で争っている場合ではない。
宿へつくと、鋼鉄の甲冑に身を包んだオカッパ頭の少女が仁王立ちしていた。
愛しのグヴェンだ!
まだ背は低い。けれども、前に見たときよりずいぶん大きくなっていた。というより、ずいぶん大人びて見える。
当時、俺がビールばかり飲んでいると、よく嫁が注意してきたものだが、グウェンはその嫁をなだめてくれる優しい子だった。いや嫁の言い分ももっともなのだが。ともかくいい子だった。きっといまも優しくて思いやりのある子なんだろう。
俺たちが近づくと、彼女は下馬も待たずにひざまずいた。
「お待ちしておりました、ギンズバーグ伯爵。従者グウェンドリンです。このたびの戦いに同行できること、大変な名誉と感じております」
立派になっちゃって。
俺は急いで馬から降りた。
「いやいや、そんな堅苦しいのはいいから。お父さんだよ! ほら、こっちへおいで!」
「いえ、私はあくまで従者としてここへ参りました。特別扱いは無用にございます」
キッとした鋭い眼光。
十三歳の少女のツラではない……。
「グウェン……」
幼いころの彼女は、嫁に似ずいつもにこにこしていた。のんびり屋で、麦畑を散歩するのが好きで、よく花を摘んで帰ってきた。こんな堅苦しいことを言ったり、甲冑を着こなすような子じゃなかった。
嫁はゆえあって剣術の使い手だった。片刃の長剣を振り回し、先頭に立って魔王軍を容赦なく切り伏せたものだ。その姿にひどく似てきた。
彼女はひざまずいたまま、無表情で事務的に告げた。
「なお母は剃髪して寺院に入りました」
「えぇっ……」
「しかし私は同行せず、町の宿に住み込んで働きながら、剣の道で身を立てようと研鑽に励んで参りました。神が加護を授けてくださったのも、きっとそのおかげでございましょう」
「えっ? じゃあひとりで生きてきたの?」
「いいえ。決して私ひとりの力ではございません。宿の主がよくしてくださいました」
「宿の主!? 変なことされてないよね?」
するとグヴェンは眉をひそめ、ゴミを見るような目になった。
「主は、戦争で夫をなくした未亡人です。宿で働いていたのは女ばかり。伯爵の想像するようなゲスな行為はひとつもございませんでした」
「すまん」
少女に罵倒されるのはご褒美だと信じて生きてきたが、娘に言われるのはまったくの別物でつらい。というか本当に心が傷つく。
「けどまだ十三だろ? なにもこんな危険な旅に参加しなくても……」
「いまの私は、父の姓も、母の姓も名乗っておりません。今回の戦いで魔王の首を討ち取ったあかつきには、褒美として陛下より新たな姓を賜るつもりでおります。そのためにはこの命、捨ててもおしくありません」
「そ、そうなの?」
娘の闇が深い。
旅の最中、後ろから刺されても文句は言えないかもしれん。
伝令が気の毒そうな顔を向けてきた。
「せかっくの再会です。宿に入ってゆっくりとお話されては?」
「ありがとう。そうするよ」
だがグヴェンは俺と親しくする気もなさそうだった。まだひざまずいたまま、従者ごっこをしている。
むかしのように肩車をしても喜んではくれなさそうだな。いや、それどころか逆に嫌悪されてしまうことだろう。むやみに距離を縮めるべきではない。
しかし五年ぶりに再開したのだ。話くらいはしたい。これまでどんな生活をしてきたのか、なにがあったのか、困ったことはなかったのか、いまからしてやれることはないだろうか、などなど……。
俺が呆然と立ち尽くしていると、彼女はつめたい目を向けてきた。
「伯爵、お先にどうぞ」
「うん……」
嫁の目によく似ている。忘れもしない、城を出ていく直前の目だ。
(続く)