林檎から始まるストーリー
ここは山の中に建てられた立派な館。そこには1人の魔女が住んでいました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」
『はい、それはあなたです』
日課のやり取りを済ませた魔女は、満足そうに微笑みます。この世で一番の美しさを魔女は誇りに思っておりました。
しかし、ある日、いつものように鏡に問いかけたところ、違う答えが返ってきたのです。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」
『はい、それは白雪姫です』
「どういうことだい……?」
魔女はしばし呆然としました。そして、我に返った魔女は白雪姫について調べ始めました。
白雪姫は王と妃の間に生まれた娘でした。その姿を見た魔女はあまりの美しさに顔を憎々しげに歪めました。
白雪姫はその名の通り、雪ような白い肌に大きな目と可愛らしい桃色の唇を持ち、艶やかな長い黒髪を風に踊らせておりました。
魔女は己より美しい存在を許せません。白雪姫を亡き者にすることを決意しました。
白雪姫が何者かに狙われていることを知った王は、白雪姫を森へ逃がしました。白雪姫は森にある小人が住む家へたどり着き、そこで暮らすことになったのです。
しかし、魔女は白雪姫の居場所をすぐに見つけました。
魔女はみすぼらしいお婆さんに姿を変え、毒林檎を持って白雪姫の下に向かいます。
◇◆◇
コンコンコン……
小人が住む家の小さな扉に来客を伝える音が鳴ります。
「はぁい」
留守を任されていた白雪姫はなんの警戒もせず、扉を開けました。すると、そこにはボロボロのローブをまとったおばあさんがいました。
「まあ。おばあさん、どうしたの?」
腰の曲がったおばあさんに化けた魔女に白雪姫は心配そうに声をかけました。その声は鈴の音のように澄んでいます。
「お嬢さん、よければ林檎をおひとついかがかな?」
しわがれた声で魔女は言いました。
「林檎?」
「そうとも」
魔女はローブの中から真っ赤な林檎を取り出しました。
「その林檎は甘くておいしい林檎なのかしら?」
「ああ、そうさ。わたしが作った自慢の林檎さ。さあ、お食べ」
魔女の言葉を聞いた白雪姫は心配そうな表情を一変させ、眉間にシワを寄せました。
「そう。なら、絶対に食べないわ」
「え?」
思わぬ事態に魔女はぽかんと口を開けて白雪姫を見つめました。
「わたし、林檎が嫌いなの」
心底嫌そうな顔をして白雪姫が言いました。
「どうしてだい? 甘くておいしいよ?」
魔女は白雪姫に林檎を差し出しました。白雪姫はその手を払いのけます。
「やめて! 甘くておいしい林檎なら、なおさらヤツがいるかもしれないわ!」
「ヤツ?」
なんのことを言っているか分からない魔女は首を傾げます。白雪姫は両手をワナワナと震わせて語り出します。
「ヤツはヤツよ! 名前を口にするのも恐ろしいわ。小さい頃、林檎を初めてかじったとき、中にヤツがいたの。あとちょっと深くかじっていたら、わたしはヤツも一緒に食べていたわ! 想像するだけでも恐怖だわ!」
「……」
青ざめながら語る白雪姫は真剣そのものでしたが、魔女はあきれてしまいました。
「この林檎には虫なんていないよ。ほら、綺麗だろう?」
「虫って言わないでっ! 分からないでしょ!? 林檎が小さいうちに潜りこんで穴をふさいだかもしれないわ!」
「そんなことあるわけないさ」
「嫌なものは嫌よ! わたしは絶対にヤツがいないと確信できるまでは食べないわ!」
あまりに頑なな白雪姫に、魔女は根負けして一旦帰ることにしました。
次に魔女は毒林檎をカットして持って行きました。
すると白雪姫はーー。
「そのカットされていないところに潜んでいたらどうするの?!」
と言って林檎をつき返しました。
次に魔女は毒林檎を擦ってジュースにして持って行きました。
すると白雪姫はーー。
「なんて恐ろしいことを……! ヤツまで一緒に擦られていたらどうするの?!」
と言ってジュースをつき返しました。
ここで魔女は毒林檎にこだわる必要はないと気づき、毒入りのパンを焼いて持って行きました。
すると白雪姫はーー。
「残念だわ……おばあさん。わたし、期待していたのよ。おばあさんならわたしの林檎嫌いを治してくれるんじゃないかって……。あきらめてしまうなんて……美しくないわ……」
白雪姫の勝手な物言いに、魔女はカッとなりました。「美しくない」と言われたことに対してです。魔女は誰よりも美しさに誇りを持っていました。「美しくない」と言われることはなによりも耐えがたいことでした。
そこで魔女は決意しました。
ーー虫の寄りつかない甘くておいしい林檎を作る!!
魔女は館に戻ると林檎の開発を始めました。まず第一に人が食べられるものでなければ意味がありません。人が食べられる安全でおいしい、けれど虫は嫌がる林檎。魔女は得意の魔術を駆使して開発に挑みました。
長い月日が経ちました。魔女はついに虫の寄りつかない甘くておいしい林檎の開発に成功しました。
魔女は意気揚々と白雪姫の住む小人の家に向かいました。小さな扉を叩くと、中から成長した白雪姫が出てきました。
「まあ、いつかのおばあさん。どうしたの?」
「お前のために作ったのさ」
魔女はローブの中から真っ赤な林檎を取り出しました。途端に、白雪姫の顔が歪みます。
「これはわたしが開発した虫の寄りつかない甘くておいしい林檎さ」
「……ほんとうに?」
「見るがいい」
魔女は林檎を地面に置き、ローブの中から小さな壺を出しました。その壺から一匹の青虫を取り出すと、林檎の上に落とします。
「ヒッ!」
白雪姫は悲鳴を上げました。しかし、それは青虫も同じです。青虫は慌てた様子で林檎から転げ落ちるとそのまま逃げ出してしまいました。
「まあ!」
白雪姫は今度は感動の声を上げました。
「どうだい? この林檎は虫だけが嫌がる匂いを微量に発しているのさ」
「すごいわ! おばあさん! これなら食べられるわ」
白雪姫は林檎を拾うと、服で汚れを拭き取りかじりつきました。
「ん〜おいしい!」
白雪姫は幸せそうに笑います。魔女も満足そうに笑い、帰路につきました。
館に帰った魔女は達成感を胸に椅子に腰かけました。そして、林檎に毒を盛ることを忘れたことに気づきました。
「ああ、なんてことだ。一番大切なことを忘れていた……!」
魔女は頭を抱えました。ややあって、魔女はおばあさんの変装をとき立ち上がりました。視線の先には埃をかぶった鏡がありました。林檎の開発に追われて鏡のこともすっかり忘れていたのです。
魔女は鏡を磨きました。すると、そこには目の下に隈を作った魔女が映りました。寝る間を惜しんで開発していたからでしょう。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」
魔女はあきらめの気持ちを抱えて問いかけました。
『はい、それはあなたです』
「……え?」
想像していなかった答えに魔女は驚きました。
「白雪姫は死んだのかい?」
『いいえ、白雪姫は生きています』
「それなのに、隈を作ったわたしが美しいって?」
『はい、そうです。虫を寄せつけない林檎の開発に没頭し、それを成し遂げた貴方は美しい。外見だけが美しさではありません。貴方の虫を寄せ付けない栽培方法は、大きな発展をもたらします』
鏡の言葉に魔女は感動して打ち震えます。
「鏡ぃいいい!!」
魔女は鏡に抱きつきました。
◇◆◇
それからーー。
魔女は虫の寄りつかない林檎農園を開きました。虫の嫌がる匂いは、他の作物にも応用されていくそうです。
一方、白雪姫は林檎嫌いが治り、隣国の王子様と結婚して幸せに暮らしました。
おしまい