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最終節 終血の紅(14)

「――――」




 瞬間。


 目覚めさせてはいけない何かが覚醒した気配が空気を震わせた。

 全身の肌が噴き上がるように粟立つ。

 氷で出来た巨大な掌に、魂ごと鷲掴みにされたような感覚に陥る。

 うまく息ができない……どこか遠い、自分の眼からではない光景を見ているような、不快な既視感が襲ってきた。体と意識が離別していくかのような、不思議な感覚。


 レイリィは動いていない。

 ただ瞳を乱れた頭髪の影に落とし、身の丈ほどの長剣を片手にたたずんでいるだけ。


 ただそれだけで、これだけの威圧感を放つのか。

 いや――これが、今まで彼女の中で凝り固まってきた〝業〟なのか?

 必死で尊敬する人であるスレイル=ウィンベルの模倣をしてきた、今まで抑圧してきた彼女の本当の姿なのかもしれない。


 だとしたら、やっぱりこの人は私とそっくりだ。

 醜悪な殺意を押し殺して『騎士』を取りつくろう窮血鬼の私と同じじゃないか。

 するとその時、何かが私の中で嗤った。


 不可解で抑えきれない高揚が口元に浮かぶ。


 覚えのある感情が私の中を巡っていた。

 そう、これは楽しいという感情だろう。


 間違いない。私は楽しいと感じている、らしい。


 ジークフリードの血なのだろうか。

 古来に圧倒的な体躯を駆り、殺戮の限りを奮った竜と対峙した、百戦錬磨の一族。

 彼らは並大抵の胆力の持ち主ではなかったはずだ。


 自分たちを捕食する異種の生命体に立ち向かうことができたのは、他でもなく好戦的だったことも一因を担っているはずだ。


 だとしたら私は。

 やはり嬉しいんだ。

 今まで居なかった存在。


 温厚で人当たりの良かった私が持つことのできなかった〝互いを否定し合える好敵手〟。

 その存在に嫌悪と好意を同時にいだいている。


 決して定立しないはずの二律背反が。

 この感情に名前を付けるとしたら……。

 たぶん、好き、ってことなんじゃないだろうかな。





 気がつけば目の前に明滅するのは、赤色、蒼色、白色、澄色――そして紅色。

 角度を変えて鋼同士が激烈に紡ぎ合うたびに、見るに事欠かない、様々な色彩の火花が閃いては消え、また消えては閃いていく。


 他人事のように燐光りんこうを眺めつつ、私は目の前の剣姫と数十合ほど手を交わし合った。

 それはまるで、一手一手、一刃一刃、一挙一動、更には細かい呼吸のすべてまでもが宿命づけられているかのような決闘だった。


 意識が異様なほど研ぎ澄んでいる。


 さっきなんかより比べ物にならないくらい、体に取り込む空気が冷たく、鋭く、体内を巡る。


 無音の世界。


 剣を叩きつける撃音げきおんも、自分の心臓の音さえ耳の中に入ってこない。

 体の中の血が凄い勢いで回転しているのが分かる。入れ替わり立ち替わり、矢継ぎ早に弓を射る大隊のような躍動が、全身に脈打つ熱となって駆け抜けた。


 昂った意識が手に握る剣に集結している。まさに私そのものが本当にひと振りの『剣』になったかのようだった。


 ――人刃一体。その境地に辿り着いた者同士の戦いは、そりゃあ面白いらしい。なんたって細かい駆け引きは必要ない、じゃれて殴り合う子供みたいに楽しいらしい……という噂だ。



 随分前に聞いたはずの先生の言葉が蘇る。

 噂なんかじゃないよ、先生。

 この感覚は楽しいなんてものじゃない。


 今の戦闘狂な窮血鬼として剣を振る私からすれば、人の言葉の会話なんかよりももっと深い、意志疎通の行動に近い気がする。


 自分の腕の延長と切り結ぶのは、相手の腕の延長。

 その剣撃は言葉なんかよりずっとその人を表すし、言葉なんかよりずっと雄弁だ。

 なんで、どうして、なんて問答はこの空間には必要じゃない。

 だって向こうから打ち明けてくれるから。


 ――なぜお前は私の思い通りに動かないんだ!

 ――こんな結末で納得いくものか!

 ――目的の一つも達成できずに何が騎士だ!



 一切の諦観も迷いもない、レイリィらしい凛然とした剣閃が物語る。

 だからきっと、こちらの思いだって届いている。

 

 私はあなたが好きなのだと。

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