第3章 移りゆく澄(5)
自分のするべきことをいくつか頭の中でまとめ終わる頃には、私はハルサメの背に乗り、オルロフさんを先頭にした騎馬隊の中に居た。
これからは長旅になる。
馬の足とはいえ、途中の村を経由してローズ・ラウに着くのは、早くても八日後だ。
それまでは初めての遠征を経験することになる。
騎士としての旅路で野宿や夜営などしたことがないが、大丈夫だろうか。
いや、今考えるべきはそんなことじゃない。
今はただ、すべてを聞き終えた後の、あの人と対峙する瞬間のことだけを考えていればいい。
どんな角度から刃が滑りこんでくるのか?
剣速は?
重さは?
私の返す刃はそこで正しいのか?
ただ鮮明なイメージを。
勝ることのできるほどの心意気だけを湛えていればいい。
少なくとも、今はそれだけしか考えたくなかった。
†
考えるというところで思い出した。
私は物心ついた頃から、自分のことに関してはまったくと言っていいほど、考えるということをしてこなかった。
ここに居るルベウス=ジークフリードとは、赤ん坊の頃に何らかの理由で親に見捨てられた残念な人間。
そのくらいにしか思わない。
我ながら、あまりに味気ない感想だとは思うが、それ以上の興味を自分自身に抱くことができないでいた。
なぜなら、自分が何者であるかと問う前に、自分が何者でもない事を既に知っているからだ。
知る由もない、と言い換えることもできる。
私を捨てた親の身元を知る由もない。よって恨むべくもない。
気を使ってか、先生も私を拾った経緯などを詳しく話してはくれない。
この名前すら先生に貰ったものだと聞いた。
ならば、もはや私は血の繋がりこそないものの、自分は先生の子であるという認識で生きていくのが、一番賢い自己完結の仕方だと答えを出した。
だから私は、ルベウスという一人の女の子に対して疑問をぶつけるという事をあえてしなかった。
できなかった。抗論を弾き出すには、あまりに証拠というか、自分と関連する材料が、身の周りを覆う世界には少なすぎた。
それに、私は哲学者ではない。
自分の存在に対する定義だとか、在り方だとか、そんな堅苦しいことを考え出したら小一時間で眠くなってしまうくらいの、無骨で平坦な人間である。
悪い言い方をすれば、剣を振って相手を叩き伏せるしか能のない――加えて言うならば可愛げもない、一人の女の子だ。
しかし、幸いというべきか〝剣を振って相手を叩き伏せるしか能のない〟という能力がある。
誰にも劣らない長所がある。
残念ながら、平行するように伸びる決定的な短所があるものの、剣に関する技術だけには譲れない自尊心を見出すことができていた。
自分のことながら、危険な自尊心だとさえ思う。
もし、唯一持っている、この自信が突き崩されたとき、私はどうなってしまうのだろうか。
剣を片手に持って地を舐めたとき、私は何を思って何をするだろうか。分からない。
この間のレイリィとの邂逅は……言い訳になるかもしれないが、一戦に数えたくはなかった。
彼女と切り結んだのはルベウス=ジークフリードではない。
いや、厳密に言えば――厳密に言わずとも、他の誰でもない、この私ではあったのだけれど。
人血恐怖症。
これが発症した時の私は、私ではなくなる。
感覚的に言えば、私自身が血を怖がっているのでは無く、私の身体が血を怖がっているような気がする。
何が違うんだと聞かれれば、何も答えられないのだけれど。
敢えて言うなら恐怖を感じる順番だ。
第一に身体が動かなくなる。恐怖を感じるのはそれからだ。
この間もそうであった。体の硬直から始まり、最後に意識を落とした。
普通、戦慄というのは逆な気がする。血に対して意識を落とすほどの脅威を感じているならば、最初に、その赤色が目に入った瞬間にショックで気を失うというのが、妥当な恐怖の順番というものなのではないだろうか。
まぁ、そんなこと考えたところで何の得にもならない。
苦手なものは苦手なのだ。直す努力をする以外の対処方法は無い。
恐怖の出所を調べようにも、私は私の事を知らなすぎるのだからしょうがない。
投げ槍だ。どころか、投げる槍すら見当たらない。
と、そんな体たらくであったから――自分自身の一端を形作るルーツと出会った時は、びっくりしたわけだ。
時系列的にも、精神的にも唐突だったのだから。




