第1節 始まりの赤(14)
言下に、私のすぐ横に佇むレイリィはダガーを振りかぶった。
認識できても反応できず、真っ直ぐと投げ放たれたダガーが私の頬を掠め、吐瀉物を敷いた床へと突き立つ。
冷めた金属が右頬をなぞり、同時に生暖かい感触の液体が首筋を伝った。
痛みはない。感じ入る余裕がない。
むしろ温度を感じる右頬から首筋までの皮膚がピリピリと痺れるように痛む気がする。
すると、レイリィはこの期に及んで艶笑を浮かべながら踵を返した。
鎧の下に着る騎士用の白いローブの裾を翻して、私の入ってきた正面出口へと歩んでいく。
それを追う気力が湧かない。仮に立ち上がれたとしても、再びうずくまる様なイメージしか沸かない。
もう、精神的に完膚なきまでに敗北しているんだ。
私は、立ち上がりたくない。それがおそらくは本音だ。どうせそうだ。
「お前は生かす。情けではない。〝あの人〟の子だからだ。もしその気があるなら、借りを返しに来い。下らない因果に囚われた『ルベウス=ジークフリード』としてではなく、一人の『騎士』としてな」
「くそ――待てっ!」
去っていく背中が遠くなる。
必死にそれに手を伸ばそうとしても微動だにしない。膝が床から離れないし、腕が上がらない。
なんで、なんでなんだ。
なんで殺すんだ――なんで、友達を殺した仇にさえ私は触れられないんだ。
血ごときが、なんで怖いんだよ……っ。
「お前の友の仇は私だ。殺してみろ、キュウケツキ。――私が勝手に死ぬ前にな」
「何、を?」
キュウケツキ……一体、何の事を言っているんだ?
私が吸血鬼だとでも言うのだろうか。そんな面白くもない冗談は聞きたくない。
悪質な皮肉でなければなんだ。
言い切れないまま、強烈な寒気とともに、私の意識は遠のいていく。
その直前に振り返ったレイリィの顔には。
本当に言葉どおり、私に憐憫の情を送る愁いの目があった。
それから私が次に目覚めたのは、まるまる一日経った翌日の夜だった。
そこに、それまであった安寧は、蜃気楼のように消え去っていた。