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FILI

「危ない事はしないでちょうだい」


フィリが自室に戻ると、一番に小言が飛んできた。


この城には、もう既に一人一部屋が与えられるほどの人間しか残っていないのだが、古い習慣で現在も三人と部屋を共有している。医務室に隣接したこの部屋の住人は全員が医術師であり、この城の医術師はここにいる四人で全員だ。


その中でも一番年の若いフィリは、必然的に世話を焼かれる立場にあった。


城の中でもかなり古参の医術師長からしばらく正座で説教を受け終わると、白衣を着たまま寝台に倒れ込んだ。


今日集めたネームタグは、寝台の下に置いた木の箱にしまってある。左ポケットのタグは、取り出すのが怖くてそのままにしてあった。


「また戦場に行ってきたの?」


自分の次に若い医術師が、上段の寝台から顔を覗かせる。若いと言っても十は年が離れているのだが、まるで幼子のような身軽さで飛び降りて、自分と同じく小言をもらっていた。


「もう怪我人を運ぶ手すら足りていませんから」


「そうね。でも戦場に出たって救える命はほとんど無いんじゃない?」


反論したかったが、今日で箱いっぱいになった白いネームタグが彼女の言葉が正しいと証明している。


まさに事切れる瞬間の友人、既に手遅れの知り合い、沢山見送ってきた。自力で帰る力の無い者は、多少手当をしたところでそう長くは保たない。


「フィリも、喚べる子がいたらまた違ったんでしょうね。私も魔法が使えたらな……」


そう言って手のひらを見ながら、反対の手で頬杖をついた。


「嘆いてもどうしようもありません。今は救える命を救いましょう。ただでさえ帰って来た方を診る手も足りていないのですから」


「本当、よく言うわ」


クスリと笑った彼女から目を逸らし、カバンに包帯を補充した。


前線まで行ってしまった事は黙っていようと思った。



「フィリ、ラズ、起きて!」


灯りを落として間を置かず、ランタンを持った医術師が部屋の扉を叩いた。看護師長と共に夜勤をしていたはずの女性だ。


「早くして、ラズ!」


フィリは弾かれたように身を起こすと、上段で休んでいる医術師の肩を揺すった。


「リリーさん、私が連れて行きますから」


「お願い!」


フィリはすぐに自分の白衣を羽織ると、ラズの白衣を持って上の寝台によじ登った。


まだ寝ぼけたラズを引き起こして無理矢理白衣を着せる。


深夜の呼び出しなど慣れたものだが、今日は普段より大きく心臓が脈を打った。


「何よ、急患?」


目を擦りながらラズが問う。


「戦場から兵が帰ってきたのよ。足が折れてる」


フィリは思わず左ポケットに手を伸ばした。心音はまだおさまらなかった。



医務室に入ると、嗅ぎ慣れたアルコールの匂いに鉄が混じっていた。


獣脂の灯りが点々と灯る中、手当を終えた仲間達が寝台で眠っている。駆けるよ


うな速歩で奥まで行くと、カーテンで区切られた向こう側から獣のような呻き声が聞こえた。


隙間から白い光が漏れている。


カーテンを開けると、一層血の匂いが濃くなった。


高価な鉱石のランプを吊るした施術室で煌々と照らされた青年は、まるで幽鬼か死霊のような青白い顔をしていた。


医術師長が赤黒く染まったシャツに鋏を入れ、先ほど自分達を呼びに来たリリーが固く絞った布で丁寧に血や泥を拭き取る。


「酷い有り様ね、お腹に弾が残ってる。足の手当をしたのはフィリかしら」


答えようとしたが、不思議と言葉に詰まった。


怖々と医術師長を見上げると、困ったように眉を下げた。


「正しい処置よ。これがなければ帰って来られなかったでしょう」


使い終えた鋏はラズが受け取り、同時にリリーが刃針メスを手渡す。


麻酔などという贅沢な物はもうない。舌を噛まないよう青年に轡を噛ませ、放り出された腕を二人がかりで押さえつけた。


「ちょっと我慢してね」


ちょっとどころで済まないのは知っている。


ラズに目くばせすると、フィリは両手に一層力を込めた。




フィリの知るクラウスという男は、あまり戦場の似合う人物ではなかった。


知ると言ってもそれほど親しくはない。廊下ですれ違えば会釈し、広間で鉢合わせれば言葉を交わす。


話をするようになったきっかけは覚えていないが、おそらく比較的歳が近かったせいだろう。成人しているが、ラズよりは年下だ。


会話の内容といえば本当に他愛のない世間話で、「今日は晴れているから洗濯物がよく乾く」だの「昨日食べた木の実が美味しかった」だの、クラウスの話す言葉にフィリが相槌を打つだけ。


たまに訓練場を通りかかると自分より年下の仲間に一本取られていたりして、かなりの頻度で頭にコブを作っては医務室に通っていた。


そんな男が、戦場で役に立つはずがない。


そう思っていた矢先に、彼を戦場で見つけてしまった。


何人もの仲間を見送った後だった。


医術師の心も鋼ではない。血に怯えなくなっても危険を恐れなくなっても、死に直面すれば心は揺らぐし安定を欠くこともある。


帰ってきたら礼を言おう。


それだけを考えて、他には気を向けないようにした。

しかしその決意は、彼が帰ってきても果たされることはなかった。



「……記憶障害かしら」


医術師長は紙の束とペンを膝に置き、眉間にしわを寄せてため息をついた。クラウスは我関せずの様子で窓の外に目を向けている。


小さな青い鳥が窓枠に停まり、ヒヨヒヨと可愛らしい声で鳴いた。


医務室に並ぶ寝台の上でクラウスが目を覚ましたのは、大怪我をして帰ってきた次の日の朝だった。つまり、手術からまだ八時間しか経っていない。


丈夫というかなんというか、怪我をし慣れている所為だろうかと呆れていたのだが、頭の方はそうもいかなかったらしい。


どこか様子がおかしかったので医術師長を呼びに走ると、彼女は筆記具を持って彼の前に立った。


「もう一度聞くわ」


そういって、文字を書いた一枚の紙をクラウスの前に差し出す。


「何て書いてある?」


彼は間を置かず、「クラウス=リッター」と答えた。


「じゃあ、あなたの名は?」


その質問には答えず、ただぼんやりと紙の上に視線を置いていた。理解しているのか、いないのか。


ただ普段のクラウスとは明らかに様子が違うということだけはわかった。


「困ったわね」


医術師長は眉間のしわをほぐしながら、今日何度目かのため息をつく。ただでさえ、彼女はクラウスの手術を執刀した後、続けざまに容体を悪化させた患者を二人対処して仮眠すら取れていない。


頭に外傷はないので精神的なものだろう。放っておけばそのうち治るだろうと言って、フィリは医術師長から紙の束を引き継いだ。


寝台の脇に置かれた木の椅子を近くに寄せ、ちょこんと腰を下ろす。思い返せば普段自分から話しかけることなどそうそうなかったのに気付き、少々対処に困った。


クラウスは相変わらずぼんやりと窓の外を眺めている。フィリはふと思い立って紙にペンを走らせた。


「これは何と読みますか?」


クラウスに見せると、ちょっとだけ怪訝そうな顔をした。そしてこちらをじっと見つめ、口を開こうとはしなかった。


紙の上に綴った文字は「FILI」。それほど難しい読み方でもないはずだ。

何故か凝視してくるクラウスの視線を受けながら「これは重症かもしれない」と、小さくため息をついた。



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