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馬鹿な子ほど可愛いと言いますが

作者: ししおどし

 さほど酒に弱い方ではないけれど、しかしザルを自称出来るほど強くもない。ビールの一本や二本ではちっとも酔わなくても、日本酒を一人で半升も空ければほどよくアルコールがまわり、やたらと陽気になって気が大きくなる。

 普段は酔いを自覚するまで飲むことはない。そこまで悪い酔い方ではないと思うけれど、それでも酒を飲み始めた若い頃には、調子にのって失敗をしたことが何度かある。そして若さ故で言い訳するのは少々心苦しくなってきた三十路のいくつか手前、年齢に見合った酒の飲み方をするよう心がけてきた。

 おかげで大学を卒業して以来、酒の席で大きな失敗をしたことはない。



 なかった、筈だったのだが。


(どうしようこれ……)


 カーテンの隙間から朝日差し込む自室にて、二日酔いとは違う頭痛に見舞われた私は、深く深くため息をついた。

 一人暮らしの部屋には、散乱した酒の缶や瓶につまみの残り、ついでにアルコールの匂いが充満しているがそこは別にかまわない。想定の範囲内だ。

 だがしかし、もう一つ、狭い部屋ではとても見ないふりが出来ぬ程に存在感のあるとあるものが、ひどく私を悩ませている。

 もう一度ため息をついて見つめた先には、床に転がりすやすやと規則正しい寝息をたてる、一人の男。現実逃避気味に視線を逸らしても、寝息のせいでちっとも存在を忘れさせてくれないそれ。

 更には顔立ちも髪や目の色も明らかに日本人のものではなく、着ている服もまるでコスプレじみた豪奢なもので、いつのまにかハンガーにかけてあった真っ黒なマントを見ればまた、飽きもせずため息を吐き出したくなる。


 知ってる男ならばまだ良かったけれど、生憎と知り合ったのは昨晩でとても知り合いと呼べる間柄ではない。

 ならば酔っ払った私が、どこかから見知らぬ男を引っ張ってきたのかと言えば、それも違う。酔った挙句の男漁りなんぞとても褒められたものではないけれど、この場合はまだそっちの方がマシだったかもしれないと思う。それならばさっさと男を叩き起こして追い出せばいいだけのことだ。


(ああもう、困った)


 けれど現実は、違う。

 私は昨日の夜一歩も外に出ず、ひたすら酒を飲んでいた。どこぞに電話をかけて、男を呼ぶようなこともしてはいない。黙々とアルコールを体内に流し込んでいた。

 いつもならそこまで飲みはしないけれど、年に数度は浴びるように飲まねばやってられない日があるものなのだ。日々積み重なってゆく鬱憤を洗い流し、次の日からまた前を向いて生きてゆくため、そんな日だけは普段の節制をとっぱらい、部屋で一人、気の済むまで酔っ払うことを自分に許している。


 男が突如として現れたのは、日本酒を一本空にしたあと、チェイサーとしてビールを勢い良く胃に流し込んでいる時だった。

 つけっぱなしのテレビが急に暗転すると同時に、画面からにょきっと何かが生えてきたと思ったら、それはあっという間に人の形となり狭い部屋の床に降り立った。

 とても信じられない話である。しかしその時私は、すっかり出来上がっていたので、そんな信じられない現象を目の当たりにして、驚く代わりに「おおお、3Dだ!」とアホみたいにはしゃいだのだ。

 男も事態を把握できていないようで呆然とした様子だったが、「3Dまじすごい」とテンションがあがってしまった私は、名前も事情も問わず3D男を歓迎すべく飲みかけのビールを押し付けてしまった。


 そうしてなし崩しに始まった、男との飲み会。

 男は最初は戸惑っていたけれど、二本三本とビールの缶を空にするにつれ、次第に口が滑らかになって気安い態度になっていった。

 なんでも男はよその世界で魔王をしてたらしく、勇者に殺されかけたところを危うく逃げ出し世界を渡った結果、私の部屋へと降り立つ羽目になったらしい。


 あまりにも荒唐無稽で、馬鹿馬鹿しい話である。

 しかしその時の私はただの酔っ払いだったので、自称魔王の男の話を疑いもなく受け入れ、「へーそうなんだ、大変だね」と軽い調子で納得してしまった。ありえない。

 男は元々積極的に魔王業を勤めてた訳ではないらしく、酒がすすむにつれ「部下が張り切りすぎて困る」だの「勇者に目をつけられたの完全にとばっちり」だの「部下まじ苦手」だの、自称魔王らしからぬ愚痴が増えていった。

 私は私で、「あーわかるわかるー」と何が分かったのか知らないがうんうんと熱心に頷き、「うちの上司も暴走癖あってめんどい」だの「部下が新人類すぎて会話噛み合わない」だの、さんざん愚痴をこぼし、最後には二人で肩を組み、「何もかも全部焼き払ってくれるわー!」と高笑いしたのはよく覚えている。

 そして流れで、「しばらく面倒みたるぜー!」と男の当面の生活を約束してしまったことも、残念なことにしっかりと記憶に刻まれていた。

 どれだけ泥酔しようと、記憶はしっかりと残っている性質なのが恨めしい。



(さて、どうしよう)


 未だ眠る男をじろじろと遠慮なく眺めたおし、今後のことについて考える。

 酔った勢いで約束したものの、本当に私が男の面倒をみるのは難しい。男を住まわせるには私の部屋は狭いし、酒を飲んで一時は意気投合したとはいえ、ほぼ他人と一緒に暮らせるほどおおらかな性質ではない。

 かといって部屋や仕事を世話してやるのも、あまり現実的ではないように思える。

 男は確かに、テレビからにょきっと生えてきたのだ。そこは間違いない。酔っても尚鮮やかに残る記憶が、それを教えてくれる。だからおそらく異世界云々というのは与太話ではないのだろう。

 となると、困ったことがひとつ。男はこちらでの身分を証明できるものを、おそらくは持っていない。まだ見た目が日本人ぽければどうにか誤魔化せたかもしれないけど、顔立ちも色彩も明らかに欧米っぽい。職質にでもかけられれば、あっという間に不法滞在扱いされそうな気がしてならない。

 そんな状況を覆せるような手段に心当たりはないし、どうにかしてやれるコネも権力も財力も持ち合わせてはいないのだ。


 では約束も昨日のことも忘れたふりをして、追い出してあとは知らぬふりをしてしまおうかと考えなかった訳ではないけれど、それもあまりよろしくない気がする。

 昨晩は酔っていたから大して気にしてなかったけど、男の身につけてるものがまずい。非常によろしくない。

 眠る男は腰に、どこからどうみても剣にしか見えないものを佩いている。それも自称魔王なんて肩書きにぴったりの、禍々しさ溢れる柄は、出来れば抜いて欲しくないデザインだ。

 もしも約束を忘れたふりで速やかに退去願って機嫌を損ね、抜き身を突きつけられたらと想像するだけで恐ろしい。というかそんな物騒なものを持った男と、一晩飲み明かした事実を思い返すとぞっとする。よく無事だったなと思わず遠い目になってしまう。


 さて、そんな訳で男を住まわすことは出来ない。けれど放り出すことも難しい。完全な手詰まりである。


(仕方ない)


 けれど私には、一つだけアテがあった。

 完全に丸投げで申し訳ないけれど、それ以外よい方法が思い浮かばないとなれば仕方ない。

 私はよし、と頷いて、決心をする。


(大家さんに電話しよう)


 それが私が男にしてやれる、最大限の世話であった。




 大家さんについて、少しだけ話をしよう。

 私の住むマンションは一階が不動産屋で、2階から4階が賃貸物件で、5階から10階がまるまる大家さんのご自宅がである。何度かお邪魔したことがあるが、無論部屋を区切る壁もない広いお部屋が、6階分。大家族が各階に一世帯ずつ住んでもまだまだ余裕がありそうな家に、大家さんはおそらく、3人で住んでいらっしゃる。

 おそらく、というのは、うまく説明しにくいのだけど、端的に言えばうちの大家さんは大変な美人な女性で、ハーレム、この場合は逆ハーレムとでも言うのだろうか、そんなものをお持ちであるのだ。故に大家さんちに出入りする男性は多く、少数ながら女性も見受けられる。その中でも、しょっちゅう見かけるのが大家さんを除いたら大柄な男性と小柄な女性の一人ずつなので、きっと3人で住んでいるのだろうと、推測した結果が、おそらく、となった。もしかしたらもっと大勢で住んでいる可能性だってある。


 そんな風にしょっちゅういろんな人が出入りする上、大家さん自身がいろんな人を侍らせてる事実を全く隠してもいないため、近所のおばさま方からの評判はいたく悪い。朝のゴミ出しの時なんかに寄ってきて、また違う男を連れ込んでたわよなんて見知らぬおばさまに報告いただくことなんてしょっちゅうで、部屋を借りた最初のうちは私自身、大家さんちに出入りする人達のあまりの多様さに、部屋選び失敗したかもと警戒していた。


 しかし大家さんは、美しいだけでなく大変魅力的な人であった。

 纏う空気からして清廉なのにどこか蠱惑的で、ついつい視線が向いてしまう。普通に会釈をしただけなのに、下げた頭の描く軌道がひどく優雅でまじまじと見つめてしまいそうになる。

 更にはその魅力は外見だけでなく、中身にも及ぶ。

 頭の回転も速く気さくで話も上手くて、悪口を主体に話を盛り上げることはしないし、誰かを故意に貶めることもしない。けれどまるっきりただの無害な良い人な訳でもないようで、思わせぶりな言葉で話の主導権を完全に掌握し、気づけばころころと大家さんの掌の上で転がされてしまう。そうしてその事実に気づいても、けして不愉快な気持ちにはならない。むしろどこか小気味よさを感じるほど、その一切が鮮やかなのだ。

 家賃を直接支払いに行った際に誘われ何度かお茶をして、私はいたく納得した。そりゃあモテるわこの人って。何人侍らしてても全く不思議じゃないわって。

 大家さんちに出入りする人たちはみんな、ある種熱狂的に大家さんを敬愛して信仰してて、私も大家さんのことはかなり好きになってしまっている。いくらおばさま方に悪口を吹き込まれても、でも大家さんだしなと心の中では当然のように思ってしまうくらいには。悪意に共感して大家さんを嫌うことなんて、とても思いつかないくらいには。


 そんな大家さんなら、自称魔王の一人くらいいいようにしてくれるだろうと、ついつい頼ってしまいたくなるような空気がある。勝手な信頼だけど、大家さんがたかだか異世界の魔王ごときに心を乱される姿が全く想像できない。

 なんていうか、大家さんは、そういう人なのだ。

 そういう人なのだ、で納得するより他ない類の人なのだ。


 そうして非常に身勝手で無責任な信頼を大家さんに押し付けた結果、私が想像していた以上にあっさり簡単に、大家さんは問題を解決してくれた。

 電話をしてすぐ、私の部屋へと駆けつけてくれた大家さんは、ぐーすか眠る男を見ると納得したように頷き、説明もしてないのにそれが異世界からの来訪者だと判断した。

 私自身、たぶん異世界ってのは本当なんだろうなとは思っていたものの、男が異世界から来たのだと完全に信じたのは、大家さんが断言したからである。だって大家さんがそういうなら、そうに違いない。私もなかなか、傾倒したものである。


 非常に手馴れた風に叩き起こした男をあっさりと回収していった大家さんが後日説明してくれたことには、公にはされていないけれど異世界からこちらへと迷いこむ生き物の数は結構多いらしい。年にざっと五千ほど、意思の疎通が可能な知的生命体に限ると約千ほど。大家さんはそのうち、日本に迷い込んだ生き物の面倒をみることを仕事の一つとしているんだとか。

 私が大家さんハーレムだと認識してたしょっちゅうやってくる多種多様な人たちは、そんな異世界からの迷い人がほとんどで、定期的に今の生活について報告にきてたらしい。だからあんなに信仰心マックスな目で大家さんち目指してたのか。そりゃあ見知らぬ土地、というか異世界で、その後の生活の世話してもらえば大なり小なり恩義は感じるだろうし、敬愛もするだろうなあと大変納得して、おばさま方の悪口に影響されてないつもりで、思いっきり影響されてたことを自覚しとても反省した。


 ところが自称魔王のことで説明も兼ねてお話する機会が以前より増え、ちょぴり親しくなった気安さと大家さんの巧みな誘導に乗せられて、ぽろっと馬鹿正直に、「てっきり大家さんのハーレムだと思ってました」と告白してしまったことがあったのだけど、大家さんはそんな失礼極まりない私の言葉に憤ることなく、むしろ意味ありげにうふふと笑い、「それも間違いじゃないわよ?」なんておっしゃった。間違いじゃないらしい、大家さんハーレム。

「もちろん全員じゃないけれど」なんてころころ美しい声で笑ってはいたけれど、それでも一部はそうだってことだし、むしろ全員であってもおかしくない気がするのが、この大家さんだ。

 ただし、それだけ慕ってくれる相手がいるなら何もしなくても暮らしてけそうだなんて、漏らしてしまった下世話な呟きにはきっちりと反論された。

 曰く、「可愛い子達(ペット)に養ってもらうほど甲斐性がないって思われるのは心外だわ。食べるものから住むところまで何もかも全部、責任を持って面倒見られないならお付き合いする(飼う)資格なんてないと思わない?」とのこと。なんだか別の言葉に変換されて聞こえたのは私の心が淀んでいるせいかもしれないけれど、きらきらと美しく笑う大家さんに女王様の影がちらついて見えたのは、気のせいじゃなかったと思う。大家さんならそれも、大層お似合いだと思ってしまったらもう、大家さんが女王様にしか見えなくなって、周りに侍るみなさまがわんこにしか見えなくなった。

 ちなみに大家さんは、二十人くらいなら問題なく世話できる(飼える)らしい。今現在果たして何人くらい養って(飼って)るのか多少気になりはしたけれど、そのあたりは深くつっこんでは聞かないことにした。私には些か、ディープすぎる世界な気がしてならなかったので。


 さて、話を戻そう。

 異世界からの迷い人は普通、元より存在している世界と世界を繋ぐ穴に落ちてこちらにやってくるので、決まってその穴のある場所に現れるのだという。日本では、三箇所。ここではなくきっちりと周囲から隔離された場所に存在しているらしい。間違っても私の部屋ではない。

 つまり私のとこに現れた男は、イレギュラー。それについては、別に大家さんの責任ではないのに怖い思いをさせたと大層謝られた。

 ごくごく稀に、といっても二十年に一度ほどの頻度で、無理やり世界に穴をあけてこちらにやってくることがあるらしい。本来は私たちの住む地球が属する世界の壁は非常に堅く、自然災害的に発生するもの以外に穴を穿つことはなかなか難しいらしいのだが、男は魔王を自称するだけあって、かなりの力でそれを成してしまったのだろうとのこと。

 それを聞いて、つくづく酔っ払っていてよかったとしみじみ思った。酔っていなかったら、無駄に自称魔王を刺激していた気がしてならない。

 ちなみにそんな力を持った存在が、二十年に一度とはいえこちらにやってくるのは安全面でどうなのかとも思ったが、それを抑え込める力を持つ存在は案外こちらの世界にはごろごろ存在してるらしく、大家さんもそのうちの一人だという。そもそもよその世界での力をこの世界で十全に揮うことは不可能であって、たとえ自称魔王が暴れても簡単に抑え込めるので、安心してほしいと女神のごとき微笑みで説明された。きっと大家さんなら、その力を使わずとも魔王の一人や二人抑え込める気がしたけど、そこは言葉にしないで飲み込んでおいた。

 人為的に空けられた穴は、時間と共に消えてなくなるらしく、私の部屋にもう穴は開いていないと前置きをされた上で、それでも安心して住めないだろうかと引越しを打診されたけれど、それは辞退することにした。大家さんがもう大丈夫というなら大丈夫なんだろうと思うくらいには、大家さんのことを信頼していたし、万が一何かあった時のためにも大家さんの近くにいた方が安心だし、何より、面倒くさかったので。


 ここが好きなので住み続けたい、と告げると大家さんは、ちょっぴり恥ずかしそうな、嬉しそうな小さな笑みを見せてくれた。まるで小さな女の子みたいな。

 大家さんは大層美しくて、魅力的な人だ。

 しかし一番の魅力はその、時折見せてくれる、少女のような笑みなのではないかと私は密かに分析している。


 そうして自称魔王は大家さんに引き取られ、恙無く全てが幕を閉じた。

 かに、思われたのだが。

 そうは問屋が卸さなかった。




「ま、魔王さまああああ……なぜあのような女に……!」

「えーだってむさくるしい男より大家さんの方がいいじゃん。優しいし綺麗だしいい匂いだしうざくないし」

「うぐぐぐぐ、おのれ魔女めええええええ!」


 変わらず住み続ける、一人暮らしの部屋にて。

 背の低いテーブルに突っ伏しおいおい泣く男をため息一つであしらって、かしゅりとビールの缶のプルトップを開ける。


 自称魔王とやらを追って、私の部屋に二人目が現れたのは、自称魔王が現れてから一月も経たずして。方法は一度目と同じ、テレビからにょっきりと生える方式だった。

 自称魔王とは違い、最初から妙にけんか腰に「魔王様はどこだ!」と喚く男は、大家さんが念のためにと私の部屋に置いていった防犯用ぬいぐるみ(くま型)にあっさりと取り押さえられ、すぐさま駆けつけてくれた大家さんによって回収されていったものの、たとえ同じ世界から同じようにこちらへと穴をあけたとして、狙ったように同じ場所に繋がることは前例のない事態だったらしく、さすがに見過ごせないと、私も含めて部屋が調べられることとなった。

 結果として分かったのは、私そのものにマーキングがされてた事実。どうやら一度目の時も穴を開けたのは自称魔王ではなく二番目の男だったようで、自称魔王を送ったあとに必死で勇者から逃げ延び自称魔王を連れ戻す体制を整えた男が、満を持して魔王を連れて帰るべく、目印とした私の元へとやってきたらしい。了承した覚えもないのに、非常な迷惑な話である。


 しかし仮に話がこれで終わっていれば、迷惑だったなで済ませて忘れるところだけれど、残念ながら話には続きがあった。

 異世界の存在は、こちらでは力を十全に発揮することが出来ない。それは二番目の男――面倒なので以後は部下とする。一度ならず二度までも世界の壁に穴を開けた部下といえどその法則には逆らえなかったようで、自称魔王――こっちも面倒なので以後はマオとしよう――マオを迎えに来て帰れなくなるなんて、とっても間抜けな状況に陥ったのだが、そこまではいい。それだけなら何の問題も無かった。

 問題は私についたマーカーが、依然として消えずに残っている事実。

 どうやら部下が向こうに残してきた陣と、私につけられたマーカーは対になってるらしく、あっちでの陣を消さなければ私についたマーカーはけして消えてはくれないという。そして依然としてマーカーが消えていないということは、即ちあちらに残った陣が消えていないということ。

 つまりあっちからの働きかけがあれば再び、誰かしらが世界の壁に穴を開けてこっち側にやってくる、しかも私を目印にして、なとんでもない状況が残された訳だ。

 誰にでも気軽に使えるものではないけれど、誰にも使えないものでないようだから、その可能性はけしてゼロではない。しかも当然、向こうはこちらの状況に配慮なんてしてくれないだろうから、下手をすれば白昼堂々、無数の人目のある中ぬるっとどこからから生き物が湧いて出てくる惨状が起こりうる、ということ。そんなイレギュラーが突然発生した場合、フォローしきれる能力なんぞ私は持ち合わせていない。


 ということで、大家さんと今後の事を話し合った上で、勤めている会社は辞めることとなった。だって会社のパソコンの画面から人が出てきた時の上手い対処法なんて知らないし、大家さん的にも避けたい事態だっていうから。まあ妥当だとは思う。

 思いはしても、すんなり納得できるかといえばまた別の話だ。

 当面は働かずとも暮らしてゆけるだけの見舞金を異世界の人たちの組合的なとこからいただけたし、引きこもっても出来る新しい仕事も世話してもらえた。給料は辞めた会社よりも、ちょっと多い。

 けれどだからといって、ラッキーだなんてとても思えやしない。第一希望で入った会社ではなかったけれど、ある程度仕事を覚えて自分なりのやり方を見つけて、面白くなってきてたところだった。なのにいきなり、引継ぎもろくに出来ないまま辞めねばならないなんて、あんまりだ。

 大家さんは何度も謝ってくれたけど、悪いのは大家さんではない。悪いのは部下だ。

 のっぴきならない事情があったとしたって、私には関係ない。悪いのは部下だ。

 なので面倒なのでなるべく敵は作らず生きてゆくことにしているけれど、部下は例外的に敵として認定することにした。別にこちらからわざわざ何かする訳ではないけれど、もしも顔を合わせる機会があれば思い切り刺々しい態度で接してやろうと心に決めて、しばらくは眠る前にイメージトレーニングに勤しんだ。



「まおうさまああああ……かならずやあなたをおうにしてみせますうううう……」

「はいはい、がんばってねー。そろそろ水飲みなさい水」


 その筈だったんだけども。

 どこをどう間違ったか週一ペースで私の部屋で一緒に酒を飲むような関係に落ち着いてしまったきっかけは、うっかりと部下に同情してしまった事にある。


 試しに想像してみてほしい。

 ぱっと見た感じ180センチを超える男性が、しかもひょろ長いのではなくなかなかがっしりとした体つきで、ちょっと強面な北欧系の男性が、更に付け加えるならどっからどう見てもいい年した男が、深夜、マンションの非常階段の踊り場で膝を抱えて蹲りさめざめと泣いている姿を。「まおうさままおうさま」とひたすら繰り返しながら、ぐすぐす鼻を啜る姿を。

 ついつい可哀想に思ってしてしまいやしないだろうか。私は思ってしまった。

 そこは心を鬼にして敵の惨状を指差して笑ってやるべきだったのかもしれないけれど、一度同情してしまうとそんな気にもならない。誰かと敵対するのは、結構疲れるのだ。


 わざわざ奮い立って敵対するほど労力を使うのも馬鹿らしくなった私は、そのまま部下を部屋へと連れて帰った。無論部屋に防犯用ぬいぐるみ(くま型)が設置されてるが故の行動である。部屋に連れ込んでしまえばひとまずは安心だと、泣きすぎて何がなんだかよく分かってない部下を部屋に押し込んで、コップになみなみと日本酒を注いで渡してやる。

 ちょうど何本か余った日本酒の処分に、少し困っていたところだったから、体よく現れた部下の存在はうってつけだったのだ。


 さほど酒に弱い方ではないけれど、しかしザルを自称出来るほど強くもない。ビールの一本や二本ではちっとも酔わなくても、日本酒を一人で半升も空ければほどよくアルコールがまわる。更には美味い日本酒だと、酔ってきたなと自覚しても、まだいいかとついつい飲み続けてしまう。


 以前なら大して問題はなかった。したたか酔っ払うまで飲むのは部屋で一人きりの時だけ。どれだけ酔って気が大きくなっても、生来面倒くさがりのせいか外に繰り出す事なんてなかったし、他人に迷惑をかける事もない。人に見せるのは憚られるような格好で寝てしまっても、誰かに見られる心配をする必要も無かった。

 けれど今は状況が違う。いつ部屋に何かが現れるとも分からない状況なのだ。

 この間マオが現れた時の事は後から考えればむしろ酔っ払っていて良かったと思うし、部屋には頼もしい防犯用ぬいぐるみ(くま型)があるのでたとえ心底酔っ払っていても、危ない目には合わないだろう。けれど初対面の誰かに、べろんべろんに酔った姿を好んで見られたいとも思わない。

 そんな訳で一人で飲むためにしこたま買い込んだ日本酒を、迂闊に一人で消費することも出来ず、友人を部屋へ呼ぶには未だ状況が安定しておらず、大家さんをお誘いしようとしてもマオはじめ大家さんの同居人(ペット)達に邪魔をされ、かといってせっかくの美味い酒を捨てるのも忍びなく、誰かに贈ってしまうには未練がありすぎて、出来れば誰か一緒に飲む相手が欲しかったのだ。相手が部下というのは甚だ不満ではあったけれど、誰かがいれば自然とセーブ出来るし、美味い酒も飲めるので多少の事には目を瞑る。


 さほどアルコールには強くないらしい、正確にはこちらの世界ではあちらでは作用していた筈の補正がさっぱり働かず、すぐに酔っ払いに変貌してしまう部下は案外、一緒に酒を飲む相手としては悪くなかった。

 一言目には魔王様、二言目にも魔王様、むしろ会話の九割がマオの事で占められていて、酒が進むにつれずびずびと泣き出すのは鬱陶しいけれど、適当に聞き流しても逆上はしないし、雑に扱っても全く心は痛まないからそれほど面倒でもない。割と辛らつな言葉を投げても、部下が私の言葉に傷つくことはないので非常に楽だ。部下の感情を左右するのは、良くも悪くも魔王様、マオ一人だけなのだ。

 大家さんの庇護下にいる事を嫌った部下は最低限の保障だけ受け取ると早々にこのマンションを飛び出し、自分で拠点を確保して働き口も見つけたらしい。そういう所は非常に優秀な男のようだ。その優秀さが向こうでは大暴走して、最終的には勇者に目をつけられる羽目になったみたいだけど。

 そうしてこちらでの生活の基盤を整えた部下は、意気込んでマオを迎えに行ったみたいだけれど、結果は聞かずとも分かる。踊り場でさめざめと泣いていたのが、何よりも事実を物語っていた。


 以来、週一ペースでマオを勧誘しに、部下の言葉を借りれば『魔女から魔王様をお救いする』ためにマンションを訪れる部下は、帰りに悄然と肩を落とし私の部屋のチャイムを鳴らすようになった。今のところ私以外、大家さんやマオのつれない態度について愚痴れる相手がいないらしい。その捨て犬のような落ち込み具合が可哀相で、というのは建前で、酒を飲む良い機会なので、追い返すことなく招き入れている。


 部下は未だ、マオを王にする事を諦めてはいないようだ。一応こちらの世界の事も勉強した結果、武力での世界征服は最終手段としたようで、当面の目標は会社を興してマオをそこのトップに据えることで、ゆくゆくは世界的な大企業に育て上げ経済的に世界征服するつもりらしい。何というか、どこまでもぶれない男だ。

 しかし当のマオはといえば、全くその気なんてなく、大家さんの庇護下でごろんごろん生活を満喫している。強制的に部屋にひきこもり生活を余儀なくされて以来、マンション最上階に設置されたトレーニングルームを使わせてもらえるようになったのだけど、そこでしょっちゅう顔を合わせるマオから今の生活に大変満足してると散々聞かされているので、おそらく部下よりマオの現状については詳しいと思う。あの様子だと、石に噛り付いてでも今の生活から抜け出す気はなさそうだ。大家さんのことをうっかり聞こうものなら、ぽっと頬を赤らめて「……すごい」と呟くマオは、すっかり大家さんのわんこだ。あれを心変わりさせる手管を、部下が持っているとは思えない。ちなみに何がすごいのかは、毎回聞けないでいる。


「くっ、ゆーしゃもせーじょもやくにたたぬううう……!」

「えー平和でいいじゃん。みんな仲良くが一番だよー」


 あ、そうそう。あれから魔方陣的な何かは、二回作動した。

 一回目には魔王を追って勇者が現れ、二回目には勇者を追ってきた聖女が現れた。二人とも現れた当初は魔王討つべしと大変興奮していたけれど、大家さんに引き取られてさほどもしないうちに、見事大家さんハーレムの仲間入りを果たした。マオとも仲良くやってるらしい。

 ちなみにこの二人ともよくトレーニングルームで顔を合わせるけれど、大家さんについて尋ねればマオと同じく頬を染めて「……すごい」とおっしゃられる。いやほんと、何がとは聞かないけれども。聞かなくてもすごいと思う、大家さん。いろいろと。うん、いろいろと。


「まおうさま、かならずやおすくい……ぐう」

「余計なお世話だと思うけどなー、って寝たか」


 部下は大家さんを目の敵にしている。

 それはマオがすっかり大家さんに骨抜きにされて部下の申し出に全く耳を傾けてくれないってことが一番大きいけれど、部屋に閉じ込めて外に出さず様々な知識を得る機会を握りつぶし自分の良いように操っている、との部下にしては割と真っ当な理由もある。

 だけどなあ、と私が、ついつい大家さんの肩を持ってしまいたくなるのは、大家さんの好感度が部下よりもぶっちぎって高いからではけしてない。こちらもちゃんと真っ当な理由がある。

 なぜならば、トレーニングルームで会ったことのある、大家さんの同居人の面々。みんな揃いも揃って外じゃやってけなさそうな面子ばかりだから。

 マオは大家さんが居なければ生きるのすらめんどくさいレベルでやる気がないし、勇者と聖女は上っ面では崇めたてられその実都合よく死地に向かわされまくったために、重度の人間不信。他にもどうしても耳と尻尾を隠せない獣人の女の子や、鱗肌のリザードマンに、日の光が天敵の地底人等々。大家さんと一緒に暮らしているハーレムの面々は、一癖も二癖もある人たちばっかりで構成されている。

 そういえば一度しか会ったことはないけれど、ユニコーンと人種のハーフなんて存在もいた。その性質はこっちの世界でよく知られるものと似ていて、清らかな乙女以外には逆上してぶっ殺しにかかりはしないけれど、非処女と同じ空間にいると吐き気頭痛眩暈etcに襲われるという難儀な性質を持っている。私が一度しか会ったことがないのはつまりそういう意味で避けられているからに他ならず、大家さんハーレムにがっつり食いこんでいるのもつまりはそういう事であると思われる。ちょっとどういうことか分からないと下世話な想像はしかけたものの、まあ大家さんならそういうことも有りだろうと最終的には納得した。

 しかしこれでいよいよ、「……すごい」の内容を迂闊に尋ねることが出来なくなった。聞いたが最後、戻れなくなる気がするので、うっかりそちらの話になってしまった時は菩薩の微笑みでスルーするように心がけている。


 話が大きく蛇行した気がしないでもないけれど、つまり大家さんハーレムはただのハーレムではなく、この世界では異端だったり放り出すのが心配な異世界人を保護してる側面もあるのだ。部下はけしからんと批判するけれど、本当に彼らが外に出ることを望めば、大家さんは手を尽くしてそのお手伝いをしてくれる筈である。というのは大家さんちにやってくる通いハーレムの証言により実証済みだ。なので部下の主張は一見筋が通っているように見えて、ただの言いがかりに等しい。


 それに、だ。

 眠りこけた部下の赤い顔を眺めて、苦笑いを浮かべる。


(良いようにしてるってのは、こういうことを言うんだよ、部下くん)


 たとえば、必要以上にマオとの仲を取り持ってやろうとはしなかったり、マオから聞いた話を全部伝えてはやらなかったり。逆に部下の野望は事細かに伝え、知らぬうちに勝手に社長にされてたなんてありそうだねなんて笑い話のふりで警戒させて、ばっちり対策を取らせてみたり。こっちでうっかりあちらの事を匂わせれば変人扱いされて、働く上での支障が生じひいては会社の経営に差し支えが出るかもしれないと暗に囁いてみたり。思うままに愚痴を吐き出せるのはここだけだと、酔った頭に刷り込んでみたり。

 そんな私の行動こそ、まさしく必要な情報を与えず恣意的に誘導して、良いようにしてると言えるんじゃないかと思う。


 好感度で言えば、部下よりも大家さんの方がぶっちぎりで高いし、話が合うのはマオの方が合うし、見た目で言えば勇者のが好みだ。未だに消えないマーカーを勝手につけられたことは許し難いし、マオにつれなくあしらわれてさめざめ泣く姿を見るといい気味だとも思ってしまう。

 けれどどれだけ追い返されてもめげずにマオを慕う一途さと、この後に及んでも尚マオを王にすることが至上命題だと信じる独り善がりの愚直さと、結果として性懲りもなく涙を流す姿を目の当たりにしてきたせいで、私もちょっぴり血迷ったらしい。

 涙目の部下を、可愛いなと思ってしまったらもうだめだった。馬鹿だなあアホだなあ懲りないなあと思ったあとにそこが可愛いなあ、なんて思うようになってしまって、そうしたら全部が可愛く見えてしまって、手遅れだった。馬鹿な子ほど可愛いとは、まさに。部下がばかわいくて仕方ない。


 マオの位置に成り代わりたい願望はない。出来るならば今のまんま、マオにつれなくあしらわれてさめざめと泣く姿を余すことなく見つめられるポジションをキープしたい。あわよくばちょっと関係を深めて、マオ一色の中にぽつんと落ちた墨のように私の存在を捩じ込みたい。全てを捧げるのはマオのまま、弱味を見せるのは私と刷り込んでしまいたい。

 今のところはなかなかいい感じにキープ出来ているけれど、油断は出来ない。私は当分このマンションから出られない一方、部下は世界征服のために精力的に外で活動してゆくだろう。そんな中で私のポジションを請け負う存在が新たに出て来ても今のままじゃ太刀打ち出来ないし、万が一マオに取って代わるものが現れでもしたら目も当てられない。マオに目が向いてるからこそ今の私が部下の泣き顔を愛でれるのであって、そこの前提が崩れると大変に困る。


「まおうさまあ……」

「まあ、嫌われてはないみたいだよ?」


 むにゃむにゃと呟いた寝言に返事をすれば、少し嬉しげに表情が緩む。眠ってるように見えたけど、ちゃんと聞こえているようだ。

 マオ離れしてもらっちゃ困るから、ちょいちょいと耳障りのよい言葉は挟んでゆく。けして嘘ではない。嫌われてはない。ウザがられてるけど。

 今のところはこれで上手くいっている。だけどいつまで続けられるか分からないので。


(大家さんにアドバイス貰うかなあ……いやいや早まるな私)


 清らかな乙女でありつつ、男女を虜にし頬を染めさせ「……すごい」とのたまわせる手腕の持ち主でもある大家さんに、上手く部下を捕まえる方法を聞いてみるべきか否か迷いながら、私は。

 非常に幸せそうな表情で眠る部下の肩にタオルをかけてやりがてら、その珍しい表情をぱしゃりとスマホで撮影して。


(うわー、かわいい)


 とりあえずしばらくは現状維持でいいかと納得し、画面いっぱいに広がる赤い顔をにやにやと眺めるのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なによりも大家さんの存在感がすごいです。 そしてこの設定だけでもう楽しかったです。 マオさんじゃなくて部下さんに行きましたか……それもまた良いですね。 面白かったです。ありがとうございました…
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