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わたくしと魔王の  作者:
第一章
4/36

わたくしと魔王の落下事故

きりの良いところで切ったら驚きの短さになりました。次辺りから、一話ぶんの文字数は増えてくる予定です。







 シラヴィルは一人、廊下を走り続けていた。

 ドレスをたくし上げる手のひらに汗が滲む。儀式用のそれに散りばめられた装飾が酷く重い。躓きそうになったつま先が蹴飛ばした小石は、あっという間に先の闇に紛れて消えた。ろうそくの灯が置かれている間隔が、長くなっていることが分かる。

 一人で駆け抜ける暗闇というものは、嫌に恐ろしかった。

 反響する自らの足音が前からも後ろからも聞こえてくる様で、いつの間にか誰かに追われているような気分になる。

 一つ角を折れても、誰か、はいなかった。

 二つ角を折れても誰も、いなかった。

 三つ角を折れても、何の影形一つとしてない。

 自身の焦燥が、羽音のような耳鳴りを連れてくる。巻き付くような動悸が身体を締め上げる。


「……っ、……は」


 かくりと足から力が抜け、シラヴィルは壁に手をついた。

 父の危機。その一点のみにざわついていた筈の恐怖が、今では周囲全てを塗りつぶす。


「……っ!」


 壁についていた手のひらにひやりとしたものが伝い、シラヴィルは慌てて手を引いた。

 腕を抱き動悸に潰れそうな耳を澄ませば、小さく水滴が落ちる音がした。

 小さく浅い息を大きく深いものに無理やり変えて、数回呼吸を整える。

 右を向けば闇で、左を向いても闇。

 けれどその中で、確かに何かが蠢いた気がした。


「―――ッ」


 鋭く飲んだ息が声にならない悲鳴に変わる。

 足先まで転がってきた、巨人の手で握り固められたような形をした、歪な白いかたまり。

 目があった瞬間耳の長い犬が、笑いながら跳ね始めた。


「落ちて死ぬ! 落ちて死ぬ! 落ちて死ぬ!」


 力の抜けた腰が地につく。瞬き一つできないシラヴィルの視界で犬はよだれを散らし、目を剥きけたたましく笑う。

 少しでも、少しでもと。

 震える指先でシラヴィルは地を這った。犬は笑いながら長い耳を振り乱し、彼女が元来た方向へと跳ねていく。

 そんな異形から目を離せないままに、シラヴィルは覚束ない足に力を込め、石造りの床を蹴った。しかしそれは酷く不安定で、また先の闇の中に倒れこんでしまいそうになる。

 けれど身を襲うであろう衝撃に、かざされたシラヴィルの腕は、宙を掻いた。


「あ……?」


 伸ばす指先が当てもなく落ちていく。

 身体を支えるはずの地がそこには無く、落ちる、という事象をシラヴィルは直観で理解した。

 吹き飛んだ思考に浮遊感が、不快な懐かしさを連れてくる。


「馬鹿が……っ!」


 鋭く、鼓膜を震わせる声。

 シラヴィルがそれを認識したのと同時、鈍い衝撃に身と頭を打たれた。

 一度身を襲ったそれは息を無理に吐き出させ、次のがまた息を詰めさせる。

 腕の中にあるものを強く握りしめ、その後も続く衝撃に息を殺し続けたシラヴィルは、気が付けば身体が地に投げ出されている事に気がついた。

 今度こそ完全なる、無明の闇。

 僅か持ち上げようとした腕に裂けるような痛みが走り、遅れて節々を襲う鈍痛。どこかから落ちたのだという事は分かった。

 そして自分以外の誰かが、そこにいる事だけは確かだった。手探りで迷わせた指の先、僅かな体温を感じる。


「意識は戻ったか……あとは灯りか」


 凛とした声。明確な意思を持ったそれにシラヴィルが安堵の息を落とせば、体温がゴソゴソと身じろぎをする。

しかし灯りは一向に灯らず、誰かもピタリと動きを止めた。


「……?」


 できれば早々に灯りをつけ、医師を呼びに行ってほしい。

 緩慢な痛みに問いかけるのもおっくうで、シラヴィルはただ相手の様子を伺う。けれど誰かさんはまた忙しなく身じろぎを始めただけで、一向に灯りをつけてくれない。


「……どういうことだ」

「……どういうことでも良いから、早くしなさいよ」


 また動きを止め小さく誰かが落とした言葉に、息を整え気だるく返す。

その時シラヴィルは聞いたことのある自身の声と、聞き覚えのある誰かの声に、内心首を傾けた。

 違いないはずなのに、違う。その違和感の正体をぼやけた思考で追っていると、衣擦れの音と共に指先にあった体温が離れていく。

 恐らく人を呼びに行ってくれたのだろう。

 シラヴィルが全身から力を抜き目を閉じれば、誰かさんのちぐはぐな足音が遠ざかる。

 高いヒール音と、何処かくぐもった音が徐々に上がっていくところ。恐らく自分は階段から落ちたのだろうと、彼女はようやく状況を察した。

 そうして、しばし待てば、また遠くから近づいてきた足音。

 重たい目蓋を緩慢に開いたシラヴィルが、首を動かし足音の方へ顔を向ければ、新しいスタイルかと思うほど裾の破けたドレスが、視界に入る。


「あなた、遅いわ」


 そして、あろうことか。ぼんやりとしたシルエットからして、時間が掛かったわりに、誰かさんは一人で戻ってきたようだった。

 けれどそれを責めるより先、シラヴィルは違和感の正体を捉える。


「……いえ、おかしいわ。わたくしなんだか声が、おかしいわ」


 口を開けば漏れる、低く掠れた音。階段から落ちた際のどを痛めたのだろうかと、恐々己の喉に触れたシラヴィルの指先、朴訥な骨が隆起していた。


「……体の具合はどうだ」


 滑らかなそれを数回なぞっていたシラヴィルの手が、動きを止める。

 かかげられた灯りに顔を上げれば、その視界に、ランプを持つ誰かさんの全貌が収まった。


「……あまりよろしくない様だな」


 完全に乱れた栗色の髪に、不快気に寄せられた形の良い眉。

 いつも鏡の中にいる筈の自分が今、シラヴィルの目の前で舌打ちをした。










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