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わたくしと魔王の  作者:
第五章
33/36

わたくしと魔王の情緒





 殺しきれない勢いを響かせ閉じられた扉の向こう側、笑う犬の跳ねる音が廊下に反響している。

 理解不能と笑う声から逃げてきていたシラヴィルは、上がった息を整えつつ、椅子に腰かけている魔王の方へと足を進めた。

 その空間は決して狭くは無い。けれど広くもない一室には、ベッドと机と二つの椅子。

 見慣れた光景だった。

 部屋の隅に一応程度で置かれた鏡に人が映る事は殆どなく、最も良く働いているテーブルランプは何時でも暗闇を懸命に照らしている。


「……あの犬まさか、入ってこないわよね?」

「入られたところで問題は無いが……基本的に部屋には誰も許可なく入れないようしてある」


 ノラの指の間でペンが回る。卓上に伏せられた瞳に掛かる髪と同じく栗色の睫毛は、ランプの橙に薄く染まっていた。


「そうは言っても昨日、トカゲさんは入って来たじゃない。あ、書庫だったからかしら?」

「あれは無理に破られた」

「ならあの犬も無理に破ってくるのではなくてっ!?」


 空いた椅子に腰かけながらシラヴィルが声を上ずらせるも、ノラの視線は上げられない。どうやら机の上に広げられた羊皮紙に集中しているらしく、そんな様子に眉を跳ね上げながらもシラヴィルは、空いた椅子の一つに腰を下ろした。


「それは無い。……あれは力を持たない」

「何を言っているの、あれ程恐ろしい姿をしている魔物が」

「形は関係ない。あれは他の魔にも嫌われている……外見からは想像不可能なほどに無力だからな」


 ノラの指の間で回転していたペンの動きが止まる。心此処にあらずといった調子で零していた魔王は、乾いたペン先をインクに浸した。

 恐らく、先程からずっと繰り返されていたのであろうその動作。シラヴィルが顔を上げれば、細められた瞳に見返される。


「やはり理解不能だ」

「あなたまで何なの!?」


 犬と連動するかのようなノラの言葉に、シラヴィルは眉をあからさまに寄せた。


「本心だ。シラヴィル、お前のこだわりとやらが理解出来ない」

「何故理解出来ないのっ?」


 ノラがペン先で羊皮紙を指せば、伝ったインクが一粒落ちる。

 こだわり続けている設計図に付けられた汚れに、シラヴィルは視線を尖らせた。


「これ程までに素晴らしい城は無いわ、此処に住めるのならわたくしは一生を費やしても構わないっ――というのに、あなたが駄目だしするから中々完成しないのよ!」

「建築日数と費用を無視している上に耐久度まで落としてどうする。雨が降らない事前提……これに意味はあるのか」


 何処までも現実的な言葉を口にする魔王だが、一応真面目に考えてはくれているらしく。

 難解な図ばかりが並ぶ古書の中、時たま混ざっている調理関係の書。酷く浮いたそれに横目を流しながら、それでもシラヴィルは唇を尖らせた。


「雨なんて降るわけがないじゃない。これは夢のお城よ? ……あ、敵襲を受けたら飴を降らせるというのはどうかしらっ!」

「夢、つまり道楽か……飴を降らせる位ならば、流した方がまだ効果的だな」

「ふっ……馬鹿ね、乙女というものは夢で出来ているのよ。夢見ずには生きていけない、そんな生き物なの。……流すというのはどういう意味?」

「つまり道楽の塊だと……液体状態の飴は超高温、触れれば敵の身も爛れる」


 たまらずシラヴィルは机の上へと突っ伏した。

 全てにきっちりと返される言葉はある種有難いものでは有ったが、どうにも思考回路のずれを感じる。

 夢見る乙女思考を欠片も理解しないこの魔王に設計を任せれば、せっかくのお菓子の城がとんでもない阿鼻叫喚の城と化しかねない。


「ノラ……あなた、もう少し情緒という物が無いの?」

「設計図に情緒は必要ない」

「そういう所を言っているのよ!」


 机に頬を当てたまま睨みあげれば、ノラがその首を僅かに傾げる。彼の考える城には庭一つ存在しないのかもしれない。

 ため息を吐き出したシラヴィルは相手から視線を逸らし、小さな笑い声を漏らした。


「……そういえばわたくし、あなたの事を全く知らないわ。どうすればそんな頭でっかちになるのかしら」

「経過を聞いているのか」


 返された言葉のあまりの情緒のなさに瞼を半分落としたシラヴィルだったが、その耳だけは一応、しっかりと相手のそれへと傾いている。


「まず薄暗い場所にいた、恐らく城の底。そこを抜ければ森があり、更に歩けば丘があり、座り心地の良さそうな根元を持つ樹にカラスがいた」


 言葉を切ったノラに、シラヴィルは視線を上げる。


「それで?」

「以上だ」

「え」


 瞬時に終わってしまったノラの回想に、シラヴィルは思わず瞠目した。両親がいない、と言う話は聞いていたがここまで淡白に語られるとはまさか思わない。


「えー……あなた、お城で産まれたの? どこの? その前は? その後はどうしたの?」

「……前は無い。その後は“今”だ」

「…………。」


 魔王が吐き出した、何処か予想出来ていた答え。

 彼は過去を思い返し何らかの感情に浸る事など無いのだろうかと、省略された過去たちに深く同情するシラヴィルは、あからさまに大きなため息を落とす。


「全くそれだからあなたは頭でっかちだと言うのよ。普通思い出の一つ位語るでしょう」

「詳細か」

「詳細じゃなくて思い出よ、思い出……いえ、やはり良いわ」


 ランプへと流されたノラの視線に、シラヴィルは軽く掌を振ってみせる。ランプに目を向けるのは、彼が考え事をする時の癖だ。これまた考えている時点で駄目駄目な話である。

 しかし、そう考えて見れば短すぎる過去の回想の中、名が出てきたカラスは魔王にとってそれなりの意味を持つ存在なのかもしれないと。

 シラヴィルは昨日の黒鳥の様子を追想しつつ、お菓子の城の設計図をぼんやりと眺めた。

 過去から現在、そして恐らくこの先も変わらず、あの魔物は彼の傍らに存在し続けるのだろう。


「……思い出は多々ある。しかし目的は常に一貫している」


 やがて考え事の終わったらしいノラへと、シラヴィルは意識を戻した。

 それは、何処かずれた結論。ノラの言う“思い出”がその過去にあった事象全てを指している様な気がし、それら全てを聞く気もないシラヴィルはとりあえず、直ぐ終わりそうな話へと疑問を向ける事にする。


「目的……そういえばノラ、そもそも何故お父様を椅子から降ろそうなどと考えたの?」

「危惧だ。現カルバス王は全ての国を統一しかねない」


 今更な台詞に即座、返された声。

 危惧、と繰り返したシラヴィルに頷きノラは言葉の先を続けた。


「全土がカルバスの色に染められる。それは有ってはならない事だ」

「そうかしら?」

「国は幾ら増えても構わない、但し統一は忌むべきものだ」


 決めつける魔王に、シラヴィルの眉根が多大に寄る。

 統一せねば、いつ争いが終わるというのか。

 シラヴィルにとっては国と国との間で起きる争いこそが忌むべきものであり、戦火に自国が焼かれる想像は、体験する前から恐ろしいものであり。

 そして、それを避ける方法として浮かぶのは唯一、戦をする相手を消す事。

 ノラが言うよう国が増えれば、その争いの数もまた増えるような気がしてならない。


「つまりずっと戦をしていなさい、という事?」

「争いは人の勝手だろう」

「久々に意味が分からないわ。もっと簡単に言って頂戴」


 机に預けていた上体を起こしシラヴィルが問えば、数秒の間がひらく。


「世界は色とりどりだからこそ美しい。決して一色に塗られてはならない。――分かるか?」


 それはノラにしては珍しく抽象的な、情感の片鱗を宿したかのような言葉だった。


「どちらかというと分からないわ」


 しかしその意味を理解出来るかと言われれば別問題であり、率直に漏らしたしらヴィルに心なしノラの肩が落ちた。


「……例えば、シラヴィル。他国へと旅に出た際を考えろ。その国の建築物が、言葉が、料理が全て自国と同じものだったらどうする」

「つまらないわね」


 幾分か噛み砕かれたノラの言葉に、速やかな感想が零れる。

 一拍置いて、シラヴィルは彼の言わんとするところを察し、への字に曲げた口からわざとらしい息を漏らした。


「つまりあなたは観光の為に、大きくなりすぎたカルバスを潰そうと思ったわけね。わたくしを攫って民の気持ちを利用して、反乱まで起こさせようとして……」

「他に方法は無い。直接カルバス王を手にかけてしまえば、それはそれで調和が崩される」


 観光の部分には触れられなかったが、つまり魔王は国同士の均衡を取らんとする事が目的らしい。

 しかしそれではやはり、何時まで経っても終わる事の無い戦が続けられるのではないのかと思うが、だが統一によって他国の文化が失われる可能性は確かにあり、シラヴィルは難しく眉を寄せ腕を組んだ。


「……というかあなた、何時もそんな難しい事を考えていたの?」

「有るべきものはあるべき場所に在るべきだ。単純だろう」

「どかか単純なのかさっぱり分からないけれど……そうね」


 分からなくもない。

 そんな曖昧さが顔に出ていたのか、足を組み直したノラが軽いため息を落とし、何処か居心地悪気に肩から髪を払う。


「難解とは思わない。それより難解なものは幾らでもある」

「あら、何?」


 何でも知っている魔王の悩み。

 常に問いかける側に立っていたシラヴィルが、意地悪な期待を込め相手の表情を覗き込めば、寄せられたノラの眉の下、やがて唇が僅かな隙間を生んだ。


「お前だ」






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