勇者の城疲れ
安宿のベッドはよく軋む。
足を投げ出し、寝台の背に上体を凭れかけさせたクライドは、隣の部屋から漏れ出す声を聞きながしながら、ぼんやりと夕日の落ちた先を眺めていた。
城内から洞窟へと転落した際強打した腕は、やはり少しばかり支障をきたしていたらしい。落とし穴とは、これまた典型的な罠にはまってしまったものだと今更ながらに思う。
しかし、お陰様というのか。報告には言い訳すら必要なく、『魔王と戦ってきた』ことを疑うものは、そもそも誰一人としていなかった。
「ご無事でよかったです」、だとか「今はゆっくりお休みになって下さい」、だとか。
いたわりの言葉の裏側には確かに、落胆と焦燥と苛立ちが存在していたが。
ぼろぼろの身で魔王の城へと繋がる洞窟内部の地図を差し出せば、王の使いの兵も医者も野次馬していた宿主も、クライドへと露骨な非難の目を向ける事は無かった。
実際、身がぼろぼろになったのは洞窟の岩などにひっかけたという理由が大きかったが。洞窟の地図は、二度は使えないと言われていたが。魔王と争ったとはいっても、例え洞窟の地図をプレゼントしようと突発的に人を足蹴にし転落させた罪は重いと苛立ちまぎれに刃を投げた程度だったのだが。
どうやら多忙らしい兵は、何にしろ一応納得し帰って行ってくれた。ここ数日の間に校外の兵舎が何者かに襲撃されたらしく、恐らくはその事件を追っているのだろう。そして持ち去られた武器の行方を。
「……。」
クライドは、机の上に置かれたランプに目を向け息を落とす。
一応飢餓に倒れた姫の命は救ってはいるので、もう良いんじゃあないかという気持ちがあった。但し、魔王の城で給仕をしていましたなんてことは口が裂けても言えない。つまり、任務は続行しなければならないのだろう。
何にしても、早く姫を助けてくれと思われている事は確かで。
去っていった兵士の後姿は重苦しい雰囲気を背負っており、城下町の空気はきな臭さで充満しており、歩くだけで思惑に揉まれているかのようで――クライドは少し、疲れていた。
「……面倒くさい」
『なにがだ?』
一人呟けばすぐさま返って来た囁き声。
反射的に身構えればベッドが軋み、けれどクライドはすぐにそれが意外でも何でも無いことを思い出す。
この声は、カルバスに居る限りいつでも何処でも気まぐれに現れるのだ。魔王の城を離れれば消えてなくなる、なんて簡単なものではないのだと。
ベッドに転がりなおしたクライドは、姿の見えない相手に軽い息をつく。
「面倒ってのは……そうだな。さっきの兵士のことだ。面と向かって非難された方がマシと言うかな、顔面引き攣らせながら愛想笑いなんぞ浮べられると……苛立つ以上に、疲れる」
『ふふふ、確かに。面と向かって言われれば、そのまま切り捨てる理由になるからな』
「そういう意味じゃないんだが」
『それで、何が“面倒”なのだ?』
話を聞いていたのか、といいたくなるクライドだが、思い返してみれば確かに、答えになっていなかったような気もする。
けれどそれを言葉に変えることが酷く億劫で、結局口を閉じたまま碧眼を流したクライドは、耳をついた魔物の笑い声に軽く眉をひそめた。
『王から下された令が面倒なのか? 民が面倒なのか? それとも……ふふふ、全てが面倒なのか?』
「悪いがそこまで人生捨てていない。それでも……そうだな」
囁き声の言葉は、案外的を射ていた。
成し遂げたところで名声くらいしか貰えなさそうな王の令と、民から向けられる反応。どちらもクライドにとって、非常に面倒なものである。
けれどそれに答えることこそが己の使命であり、特に後者に関してはこれまでもずっと向けられ続けてきたもので、どうして今更に引っかかるのかと言えば、答えは馬鹿みたいに簡単であることにクライドは無意味な呻き声を上げたくなった。
「そもそも、魔物に人格があることが面倒なんだ」
『そうか?』
「そうだ。あと、“勇者は万能に違いない”なんて馬鹿げた固定概念が面倒だ。……そういえば嘘をつくこと自体、面倒だったな」
今更そんな事を思い出す。
城と言う名の、俗世から隔離されたあの空間で、時を過ごしすぎてしまったように思う。
日常の感覚に戻りきれないまま、そういえば城ではあまり嘘つかなかった気がする、なんてクライドは実に今更に非日常を思った。
あの城ではわりと正直に、思うがまま行動してた気がした。だからこそ居心地が良く、同時に居心地悪かったのだろう。
けれどそんな話は誰にも出来なかった。口にした途端兵にしょっぴかれ、袋叩きの刑に処されるに違いない。信じられないようなものを見る目で、見られること間違いない。
報告の際も、クライドは当然魔物相手の武勇伝を捏造していた。その当然の処置にさえ少々罪悪感を覚えてしまったことすらも、全てあの城での非日常のせいに違いなかった。
魔物に人格なんてものさえなければ。
それこそ全て、切り捨てることによって終われていたように思う。
「……面倒なもんだ」
『好きだろう?』
は? と。
間髪入れずに返され、クライドの口から息が漏れる。
意図せず零れたそれは、少しばかり裏返ったことにより疑問符の形を成したらしい。
『面倒ごとが好きだろう? お前はいつも面倒な方を選ぶ』
「馬鹿言うな。何を根拠に」
『人とかかわる癖に、人を選ばないだろう。魔とかかわる癖に、魔を選ばないだろう? 銀の癖に、“勇者”にもならない』
「引っこ抜くぞ」
目の前に姿を現していたのなら、とクライドは声だけの存在に眉を寄せる。
否、もしこの魔物があの姿を現していたとしても、良く考えれば引っこ抜くのは容易ではなさそうである。精々葉っぱをぷちぷち毟るが限度だろうと。
クライドが想像を膨らませている間に、囁き声が小さな音を落とす。
クライドは、碧眼を瞬かせた。
何故か、魔物の落としたそれはまるで、溜息のような音だった。
『なぁ。だからもう、此方に来ればいい。人に飼われるのは窮屈だろう? 勇者を演じるのは、面倒だろう?』
「……。」
『……それでもお前は、此方に来ない。面倒ごとが好きだからな』
ふふふ、と小さく笑う魔物の姿を探すよう、碧眼の視線が窓際へと流れる。
けれどそこには当然、何もいない。真っ黒なガラスの向こうに目を凝らせば、日が落ち、闇に包まれたカルバスの城下町の上空に、白っぽい月だけが小さく浮かんでいた。
『お前はあの時、“逃げる”という最も面倒な選択をした。……ふふふ、だからお前は今も“面倒”なまま。変わらない』
「何のことだ」
『……お前は覚えていない。それでも――』
囁き声が途切れる。
静寂が落ちた部屋の中で、クライドは僅かに眉を寄せた。
先の言葉が続かない。いつの間にか隣の部屋からの声も聞こえなくなっており、ランプの芯が焼ける音だけが微かに空気を振るわせる。
普段あまり話を途中で着ることをしない印象の魔物に、靄のような違和感がクライドの中にうっすらと広がる。
『――眠い』
しかし。
「は!?」
『日が落ちると眠くなる……』
無言は只の眠気だったらしい。
そういえばこの魔物は早寝だったことを思い出したクライドは、馬鹿らしくなってベッドの上で寝返りを打った。安物のベッドを、苛立ちをぶつけるように軋ませる。
大体、何故じぶんは真剣にこんな奴の相手をしてしまったのか。何故じぶんは魔物の言葉を深読みなんてしてしまったのか。
改めて思えば居心地の悪い苛立ちがつのり、クライドは意味不明な魔物に舌打ちを向けた。
『お前は……昔も今も、良く分からない』
こっちの台詞だ、と。
言ってやりたかったが言い返すのも癪なので、クライドは聞こえないふりをする事にした。
それきり静かになった魔物は、考えれば考えるほど不可解だった。
好き勝手纏わりついて好き勝手なことを言う癖に、強要はしない。そういえば人前では姿を隠していることに関してもそうで。本体がきっちり存在する以上、声だけでなく姿を現しても良いものを――否、姿を現されると人目的な問題で困るのだが。
「……。」
考えているうち更に居心地の悪さと妙な理不尽さが加速し、クライドはもう大人しく目を閉じることにした。
とりあえず、姫を取り戻すため、もう一度あの城に向かう準備をしなくてはならない。
思考に纏わりつくような靄を払うよう頭の中で呟き、クライドは毛布に潜り込む。
明日には大量の調べものが控えているので早めに眠ってしまいたかった。目蓋を透けてくるランプの灯りに眉を寄せ、薄目を開いたクライドは、サイドテーブルに置いておいた謎の手記を遮光代わりにと持ち上げる。
開かれたページでは風習が語られていた。適当に開いたページには当然、目を通す気になれず、そのまま手記を目元に乗せる。
城から持ち帰ったランプは何故か未だに灯を失わず、小難しい謎の手記は、遮光としては優秀だった。




