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わたくしと魔王の  作者:
第四章
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カラスと植物のたわいない話









 黄と橙の夕景は、朝焼け以上に瞳を刺す。薄く空に広がる雲は紫の影を落とし、知らぬ間に形を変え溶ける様に流れ去っていく。射光を背にした丘陵のなだらかな起伏が、インクを零したかのように黒く落ち窪んでいる。

 城の屋根の一角で落陽を眺めるカラスは、夕時の刹那を眺めていた。森を通ってきた湿り気を帯びた風が過ぎれば、少し遅れて足元の蔦が身をゆったりと揺り動かす。


「良い風だぁ」

「……。」

「珍しいぃ。陽の元にいるのを始めて見たぁ」


 今更のように話しかけてくる足元の蔦に、カラスは伏せた視線を流した。羽毛を撫でる涼風が、さざ波のように蔦の葉を伝って遠ざかる。


「夕時は目に痛イが嫌いデはナイ……魔王様と初めテ出会ったのモ、こんな夕焼けの中だっタ」

「……黒鳥は魔王様と長い付き合いなのだなぁ」


 無難に返した蔦は短い一本の蔓を風に揺らめかせた。

 この魔物とカラスが初めて顔を合わせたのは、ヤモリに同様、主と共に城を訪れた際の事。顔、という正確な部位は植物には存在しないが、その巨大な風貌と花に目を見張った覚えがある。


「ああ、長イ付き合いダと思ウ」

「どの位長い付き合いだぁ?」


 問い返してくる蔦は内面として一風変わっているようカラスは感じていた。普通、魔物はどれだけ暇だろうと過去の話になど興味を示さない。

 外面として一風変わった白い変幻の魔物からは肉食肉体派という正常な魔としての若さを感じるが、暇を持て余している蔦の飄々とした印象は積み重ねてきた年月の長さを香らせる。

 少なくとも人から言葉を吸収し、狩りではなく過去に興じ始めている程度には、この魔物も時を生きてきたのだろう。


「……そうダナ、長い話にナル。魔王様と初めテ出会ったのは確カ、今カラ三代前のカルバス王が若くシテ病に倒れタと同じ時の頃。その頃は意思の疎通が出来なかっタ」

「三代前と言われてもなぁ」

「ソナタも少シ国情に目を向けてミろ。イイ暇つぶしになるゾ」


 城を隔離する峡谷の向こう岸、見張りの陣の周辺に小さな火がともり始める。

 日光浴をしている印象しかない相手にカラス提案すれば、目の前の蔓が左右に揺れた。兵士らを玩具に遊ぶ事など、とうに飽きているのかもしれない。


「国情を語る声はあまり楽しくなさそうだったぁ……それよりぃ、魔王様に言葉を教えたのは貴殿なのかぁ?」

「そうダ。懐かシイ話だ。我が根城としてイた巨大な大樹はとアル丘のうえにアッテな、登ってくル魔王様を遠目に見た時ハ、マズ人が来たのカと思った」


 夕日を背にした人影。カラスの脳裏に甦るのはその光景一つに尽きた。

 暖かかったか、寒かったか。吹く風がどんな匂いだったかなど微塵も覚えていない。


「魔王様は人と変わらん外見だからなぁ」

「シかし近づクにつれ人影が闇を引き摺ッてイる事が分かっタ。それはモウ歩くたびに周囲の影を引っ張って取り込んデ、無節操に増える魔と深淵の気配にナニが起きてイるのかと思ったものダ」

「それを一瞬でも人と思ったことに驚くなぁ」

「ゆ、夕時は落ち窪んだヨウな濃い影を作るだろウ、ソレだと思ったのダ。なにせ我は陽光が嫌イだからナ、闇が歩いてキタと分かった時には心躍ラセた」


 あまり驚いてもいないような蔦に返し、カラスはまた夕焼けへと目をやる。いつの間にか燃えるような赤へと変わっていた陽が、雲の紫と滲み始めた紺青に入り混じり始めている。山肌や広がるカルバスの国土は、既に黒に塗られている。


「シカシだ。止まレと言っても聞かズ、相手はカッテに大樹の根本に座り込んだ。

 とりあえず金の目が珍しイので頂いておオコウと思うも軽クあしらわレ、追イ払おうと発シた台詞を全て鸚鵡返しにサレ、こイつは何をしに来たのカと頭に血を登らせた頃……ふと気づイタのだ。言葉を操れないのかも知れナイと」

「確かにぃ。人と同じ外面となればぁ、話せて当然と思うなぁ」

「先入観と言うモノだナ……我はソコで悩んダ。莫大な力を持つ魔と話が通じナイというのは中々の問題だっタ。我とシテは樹を明ケ渡す気は無く、相手にモ奪う気は見られナイ。

 ふらりとやってきてハ、ふらりト立ち去り、またふらりとヤッテ来る……本当にこいつは何がしたいのカと、相手が何を考エテいるか分からヌままに数日が過ぎタ」

「魔王様は昔から唯我独尊だったのだなぁ」


 蔦の言葉に、同じような事を考えていたカラスは苦笑した。

 しかし抑々魔物は大体が唯我独尊、率直にいえば自己中心的だ。


「力があったカラな、何者にも邪魔は出来なイ。我もドレだけ力を尽くしてモ、居座り続ける相手を追い払えなかっタ。

 ソレどころか言葉全てを無表情に繰り返されるモノだかラ、いつの間にか言葉を教えるヨウになってしまイ……最初は面倒だったソレも、段々と楽しクなってキテな。日課のヨウに村に降りテいた事を忘れる程には楽しかッタ」

「となれば中々長い付き合いなのだなぁ。言葉などぉ、おいそれ習得できぬだろうぅ」

「魔王様は呑み込みが早イのダ。ソウでなければ我も教えようナドと思わナイ……シかし習得にツレその……唯我独尊っプリに拍車はかかったナ。これまデ表現出来なかったモノが現れたというベキか、しかし特に不快に思わなかッタ当たり、既に我はソノ時相手を主だと認めテいたのだろウ」

「下僕根性丸出しぃ……と言いたいところだがぁ、魔王様の深淵に魅せられる気持ちは分からなくもないぃ。この間勇者を招くのに時間が掛かってなぁ、叱咤された時など余りの闇の深さに呑み込まれるかと身が震えてなぁ」


 ふふふ、と笑い声を震わせる蔦へとカラスは薄目を向ける。やはりこの魔物は一風変わっている。


「……まぁそういう事ダ。その頃からカナ、魔を扱う事も上手クなり只垂れ流しているダケの影も自在に伸ばセルようになッタ。言葉が通じレバ教授も楽ダ」

「なるほどぉ、言われてみればぁ……魔王様が日常的に扱うのは影だなぁ」

「アノお方は影で出来ておられるカラな。

 それカラは伸ばした影を伝って情報を仕入れる事が出来るようにナリ、我の負担も減り時折村に降りて遊べるヨウにもなっタのだが……現カルバス王が戦を始めるようになッタ」

「いまぁ、先代のカルバス王が飛ばされなかったかぁ?」


 細かい部分を指摘して来る蔦にカラスはため息を落とす。今話しているのは主との思い出であり、カルバスの歴史ではない。

 時間軸の指標として便利というだけのものに興味を示す蔦は、案外知識欲が高いのかも知れなかった。


「先代の時代も短かったよう思ウ。三代前は病に倒レタと聞くが先代にそのような話は無かったカラな、毒殺デモされたのではなイか?」

「なるほどぉ」

「話を戻すガ……戦の世は騒がしくてナ。偵察の命が無ケレば喧しイだけの日々だったよう思ウ。……魔王様は表舞台に出タがらナクてな、焼け野原ニハ影が無イという事デ、我は魔王様の影の一部と共に飛び回ル事が日課となっタ」

「今でも主殿は引きこもりがちだなぁ。育て方を間違えたのではないかぁ?」


 からかう様に揺らされる蔓が夕闇に染まり始める。

 石造りの屋根の上、足元を包み始める影から顔を上げたカラスは、遠く小さく灯り始める村の火を目に嘴を振った。


「馬鹿を言うナ、我は完璧ダ。動カズとも情報が入ルのならソノ方が効率はイイ……そ、ソレに人目につくのを嫌ウと言うだけで……三日に一度は必ず、何処かにふらりと行かれておらレたゾ?」

「引きこもりの言い訳の常とう句のようだなぁ」

「……シカシ己の影、魔の一部を他に宿スのにも制限がアルらしク」


 顔と共に話を逸らしたカラスの耳に蔦の葉がざわめく音が届く。場に大きな風が吹いていない辺り、それは恐らく蔦の笑い声なのだろう。


「それでぇ? 影を伸ばすのには制限があるのかぁ?」

「……ソウだ。地を這わせ、上手く物同士の影を伝エれば何処までモ。だが己の影を切り放し他のモノに宿スとなれバ、ある程度の時間ガ経てば影は元の身へ戻ッテしまウ。あるべきモノはあるべき場所に、という事だろウ」

「ではあまり遠くまでは行けなかったのかぁ? 魔王様の影の一部と共に飛び回っていたのだろうぅ?」

「……切り離シタ影を個として動かセルのは、精々ガ三日。

 魔王様の影は特別かと思ってイタのだが、ソウでもなくテな。飛び回るウチいつの間にか消えてイる影には気付いテイタが、主の意思で帰って行ったのかと思っていタ……そうデモなかっタという事実に気付くマデ、少し時間が掛かっタ」

「結局飛び回ったのは無駄かぁ」

「無駄ではなイ、結局報告とシて話をスル事になっタから良いのダ」


 この蔦の顔があればきっと底意地の悪い笑みを満面に浮かべていた事だろうとカラスは舌打ちする。どうにも自身はこの城に来て以降、同族にからかわれる事が多くなったように思う。


「それにしても魔王様は銀を食べた事があったのかぁ? 食事されない方だと思っていたのだがぁ……己の影を切り離すとは己を分裂させると同じだろうぅ?」

「そうイわれてミレば……確かにソウかもしれんナ。シカシその辺りは良クわからン。魔王様が食事さレルところなど見タことが無イし、今日話シテいた時の雰囲気からシテ喰った事はなさソウだっタが」


 書庫で会話していた際に主は想像するだけでも吐きそうだ、とでも言いたげな表情を浮かべていた。

 カラスは回想しつつ、足元を包み込む影をじっと眺めてみる。中々の速度で範囲を広げていたそれは、陽は落ち始めると早いという事実を濃く感じさせた。


「なんだぁ、黒鳥にも分からぬ事があるのかぁ」

「分からぬコトばかりダ。我が何も分かっテいなかっタのカ、それトモ魔王様が変わったのカ……」

「ふふふ、だから昔話かぁ」

「?」

「思い出話はさぞ美味だろうぅ」

「……。」


 唐突に書庫を飛び出していった、主の後姿。それはカラスにとって、始めて見る主の全力疾走。

 初めて見た姿。初めて見た一面。初めてかけられた言葉。

 最近の色々を脳裏に蘇らせ嘴を下げたカラスの足元に、また身体を蠢かせた蔦の影が落ちる。

 どうやら、これ以上の無駄話は出来そうになかった。


「……デは、我はそろそろ行ク」

「いきなりだなぁ……国情の偵察かぁ?」


 完全に落ちた陽と共に、影一色と化した屋根。それを嘴で指したカラスの意図を蔦は察したらしい。

 宵闇の影に包まれた会話は、主に伝わる事前提に考えなければならなかった。

 寂寥感に、カラスは自嘲する。何故今更に、隠し事をするかのように影を見つめなければならないのか。


「……あまり火蜥蜴に心配をかけるなよぉ」

「トカゲ? ヤモリではなイのか」


 どちらにしても特に心配をかけたつもりもないカラスは、具合を確かめるよう翼を広げながら問い返す。


「どちらでも良いぃ。気にしている様だったからぁ、おもしろいから伝えてみたまでだぁ」

「心配されずとも、令はこなス」

「……お前も、やはり何も分かっていないなぁ」

「?」

「心配事は根絶やしをおすすめするぞぉ」


 提案を最後に見送るよう蔓を振る蔦にカラスはしばし逡巡し、やがてその羽根を羽ばたかせた。


「……そうイえばソナタは、銀を喰ったことは無いのカ?」


 最後に思いつきで問いかけてみれば、ふふふ、と柔らかな笑い声が落ちる。


「いつも喰い逃してばかりだぁ」


 楽しげな声に首を傾げつつも、カラスは冷たい石造りの屋根を蹴った。大気を味わうよう滑空すれば、兵士達の陣を越えるよう羽根が風を切る。

 眼下の彼らは黒鳥が飛び去った事に気付いていないらしく、本当に何の為に陣を引いているのかとカラスは呆れた。外面的に見張りを置かねばならない事は分かるが、それにしても職務に対して杜撰すぎるのではないだろうか。闇に紛れる黒は見えにくい、という単純な話かも知れないが。

 そんな事を考えながら城下街へと向かうカラスの耳の奥、蔦の言葉がうっすらと染みついていた。

 心配事の根絶やし。

 その根本が何処なのか、明確に言い切れず悩ませられる頭に夜風は心地良いものだった。









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