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わたくしと魔王の  作者:
第四章
23/36

わたくしと本当のところ





 シラヴィルは夢の中にいた。

 くるくると回る蝋燭立ての影を眺める、眠れない夜。肩まで引き上げた布団をしっかりと握りしめれば、乾いた木を掻く爪の音が耳に届く。枕元に置いた鳥籠の中、ヒナの頃から育てていた青い鳥が此方を見つめていた。


「おとうさまは?」

「お父様は居ますよ。アナタは帰りませン。エセドニアに輿入れするのデス、帰れません。帰レませン――」


 問いかけに返した鳥は、部屋に落ちた影に黒く染まっていた。その瞳を数秒見つめた後、シラヴィルは微笑み寝返りを打つ。

 その先には暖かい午後の日があった。

 幻想色を揺らめかせるのは、王国の象徴を模ったステンドグラス。ほの暗い神々しさを持つ教会に違和感を覚え、身体を起こそうとしたシラヴィルは身が動かない事に気が付いた。

 身を横たえていた筈のベッドはいつの間にか、食事の際使う広く長いテーブルへと変化している。動かない視界の外から給仕の者たちが現れ、皿と食器を丁寧に並べていく。彼らはテーブルの上に居るシラヴィルが見えていないのか、目の前に無音で置かれた皿にはステンドグラスの赤が色濃く映りこんでいた。

 やがて給仕の者たちの姿が引き、代わりに貴族たちがテーブルを囲み始める。


「お父様」


 落ちた影に視線を上げれば、席に着いた父が柔らかい笑みを浮かべていた。

 酷く懐かしいようなそれに見つめられれば、自然と笑みが零れる。穏やかな笑みを向けあう中、父は上品な仕草で傍らに置かれた肉切り用のナイフを手に取った。

 父の背後から給仕が現れ、手にした食事用ナプキンを恭しく差し出す。何処かで見た覚えのあるその顔は、式典時の老婆と同じものだった。


「――――?」


 太ももの付け根に、薄く冷たい感触が当たる。

 慈しむような微笑を浮べた父が肉切りナイフを滑らせ、弾かれたかのようにシラヴィルは目覚めを迎えた。


「―――っ……は……」


 一拍置いて詰まっていた息を吐き出せば、落ちてきた重い疲労感を寒気が拭い去る。暴れまわる息苦しさを整えるべく、深く息を吸う喉が震えていた。


「……どうかされましたカ?」


 羽音と共に落とされた声にシラヴィルが視線を上げれば、カラスが気遣わしげに此方を覗きこんでいる。その向こう側には数冊の古書が積み重なっており、机に突っ伏していた上体を上げれば、下敷きにしていたページが折れてしまっている事が分かった。


「……すまん。うたた寝していた」


 カラスに返したシラヴィルはゆっくりと深呼吸をし、部屋に置いてきた魔王を思う。あまり長時間部屋を空ければ、不審に思われるかもしれない。呪いに関しては彼に相談する気になれず、その目を盗むようシラヴィルは書庫籠りの日々を続けていた。


「どの位眠っていた?」

「ほんの数秒ほどデスが……あの、魔王サマ」

「どうした?」


 窺わし気に見返してくるカラス。確かこの魔物に、色々と知識を話させていたのだとシラヴィルは思い出す。

 しかし、果たしてどこまで耳に入っていたのか。眠る直前の記憶は皆無に近く、数秒にしては濃厚な夢だった。


「……勇者の件については、聞いたか?」

「ハイ。後は呪イについて少シ。……やはり勇者に付けラレた傷が、痛むのデスか?」


 急に意識を失った主を、カラスは体調不良と見たのか。

 確かにクライドが去って数日経った今でも、シラヴィルの肩の傷は鈍く痛み、完治の兆しを見せない。

 そして広げたままの古書の隣で見上げてくるカラスにしても、どうも元気が無いようだった。


「退魔と言うのハ本当に厄介デス……」

「痛みはもうほとんど無い」


 だからそう落ち込むなと思い切りカラスを撫でまわしたいシラヴィルだが、魔王に扮している手前我慢する。

 それにカラスも納得したのかどうなのか、気を取り直すようぶるりと羽毛を振るわせる。


「……いっそマダ滞在していれば血も啜れましたガ。今からデモ捉えて参りましょうカ」

「……血をすする?」

「魔の間デハ有名な話デス。銀によって流れた血は、銀の血で癒す事が出来るト」


 魔王様はこれまでそんな機会もありませんでしたから、と続けて呟いたカラスの提案に、シラヴィルは即座首を振った。


「断る」


 浮かんだ光景は良くいって異様、率直に気持ち悪い事この上ない。カラスの気遣いは有難かったが、クライドの血を飲む位なら死んだ方がましである。

 加えてどうにも胡散臭いと、シラヴィルは椅子の背に凭れ首を捻った。


「にしても銀が妙薬とは、所詮噂ではないのか?」

「サテ……けれど実際、白い同族は銀を喰ッた途端傷が治り、身体が分裂したト」

「……。」


 実例のある話だったらしい。

 それにしたって滅茶苦茶な話に唖然とするシラヴィルの脳裏、一匹の魔物の姿がふわりと浮かぶ。

 白い変幻自在の魔――あれは確かに数多くの鼠に化ける事を可能としていたが、そんな経緯あってのものなどと知るわけもなかった。

 というよりカラスは主を分裂させたいのだろうか。


「因みに大層美味だったようデス」

「………そうか」


 勇者を強制的に追い出すため罠として利用した白い魔が捕食に走らなかった事は、一種の奇跡だったのかも知れない。

 何とも言い難い内容をさらりと告げるカラスはやはり魔物だと、今更にシラヴィルは息を落とした。


「……一先ずそれは置いておいて、呪いの件に戻るが」

「確かにアレは厄介ですネ」


 多少強引に変えた話題に、カラスは速やかに乗ってくる。この素直で知識ある愛らしい魔物に対しシラヴィルは、呪いについて、姫がどれほどに魔の力を使いこなせるか等を多少の脚色交じりに相談していた。


「周囲の魔が濃イぶん、アノ娘が溜めこむ魔も大きと思われマス。しかし人の身に使えるモノとなれば高がしれますネ」

「やはり人の身体だと許容量、というものがあるのか」

「そうデスね。そもそも魔は人のモノでは有りませんカラ」


 簡単なものなら容易に扱える。人の身では高が知れる。

 以前魔王が話した言葉はどれも真実だったらしい。どういった魔法がどの程度高度なのかなど、やはりシラヴィルにはさっぱり分からない話だが。


「人の身に扱えるもの以上の魔を振るえば、どうなる?」

「破裂しまス」


 破裂。

 まさかの危険性を有した魔の扱いというものに、シラヴィルは日課となった眩暈を覚える。


「それは……頭が?」

「以前、人の魔法使イが身分不相応の魔を扱おうとシタ時ハ……血の巡ル部分全てが内から飛んだヨウ見えましタ」


 軽い冗談に対し真面目に返すカラス。シラヴィルは一旦、目を閉じ回想した。

 ――人は魔から力を奪う、弱らせる。数日前耳にした言葉は確かに、今でも深刻なものに思える。

 だが破裂を越えはしない。


「……破裂すると分かって何故、人は魔と関わる?」

「力が欲シイ。持ち生まレタ資質は使ウが当然。……こんな所デハ?」


 肩を竦めるようカラスは両羽根を軽く上げるが、シラヴィルには良く分からなかった。

 魔を扱っている光景は見目に楽しそうだとは思う。だが一歩間違えれば破裂の危険性を持ってまで行いたい事ではない。


「あとはそうですネ、呪イをかけラれ無理矢理に」


 ついでの様なカラスの補足に、シラヴィルの思考が止まった。数回瞬きを繰り返しながら、答えとなる知識を呼び起こす。

 それは、何故か霧散し纏まろうとしなかった。


「……通常の状況だと、あの呪いはどのように働く?」

「働きとシテは変わりませんガ。マズ、魔の蓄積はゆっくりと行わレル事でショウ」


 当然と言えば当然だが、この城が魔とやらに満ち溢れている事は、シラヴィルも幾度か聞いていた。

 例えるなら今は、滝の様な勢いで鍋に水が注がれているのだろう。

 他の場所であれば幾分か、蓄積もゆるやかになるという事は分かる。


「次にソレと同時に周囲に魔が……魔族ガ呼び寄せらレます」


 言葉にシラヴィルは軽く頷いた。なんとなく察してはいたがやはり、周囲が語る『魔』とは魔族と魔力、両方の意味を兼ねていたらしい。


「魔族が集まレバ場の魔の密度も濃くナリ、蓄積は早くなるデしょうネ」


 つまりここで現状の様な状態に戻るのかと、シラヴィルは数回頷きを返す。


「ソシテ通常は身に蓄積した魔の放出など出来ませンので、破裂しまス」


 破裂。やはりたどり着く場所は同じだった。

 しかし一度目語られた時以上の衝撃に、シラヴィルは力を失った。

 首の後ろから全身へとざわめく悪寒が広がり、腰かけていた椅子が鈍く軋む。

 古い紙の湿った匂いが充満する書庫の中、馴染みとなったランプの灯を瞳に反射させカラスが此方を覗き込んでいた。


「……知っているか?」

「ハイ?」

「姫はエセドニアへの輿入れが、決まっているそうだ」


 シラヴィルはカラスに他人事のように話して聞かせた。


「そして人質として拉致した日、あれは十八の誕生祭だったらしい」

「十八と言えばカルバスで成人と定めらレル年ですネ。という事はソノ儀式の際、呪イを受けたのでしょうカ」

「……“悪い魔女”がそう簡単に、王族の式典に潜り込めると思うか?」

「有りえまセン」


 シラヴィルの口から短い息が漏れた。

 一度吐き出してしまえばそれは止まらなくなり、小刻みに肩が震えるのを押さえられなかった。机に肘を付き、伏せた目元を掌で隠した主をカラスは首を倒し覗き込む。


「……魔王サマ? 笑っテおられる、のデスか?」


 頷き、シラヴィルは息をかみ殺し続けた。


「……エセドニアとカルバスの間の友好条約は、脆いのだな」

「ソウですね。エセドニアがこの城へと兵を向けない所からシテ」


 震える主の声に返すカラス。それはいつかシラヴィルが立ち聞きした時、耳にした会話と同じ結論だった。

 魔王も、勇者も、カラスも。全貌を知らずとも皆、安易に答えを出した。


「エセドニアには、カルバスを助ける気などない」

「そしてカルバスもエセドニアを滅ぼす気しかナイようですネ」


十八の成人式。エセドニアへの輿入れ。現れた老婆と呪い。それら全てを繋ぐ政略の意図。


「カルバス王は実の娘を侵略の捨て駒にしたのか……?」

「内カラ崩せばたやすいデスから」


 頷くカラスの見解はじゅうぶん通じた。

 エセドニアもまさか、輿入れしてきた姫が魔を呼ぶなど思ってもみないだろう。王族の居城に魔族が蔓延れば、戦どころではないだろう。

 カルバス王は侵略の為に、実の娘の命を利用した。シラヴィルの知識もそれを理解できるほどには育った。


「原因を突き止めル頃には見事、破裂。証拠も残なイ、都合の良いものデスね」

「……大陸を統一しかけているだけの事はある。流石はカルバス王だ」


 自分で吐いた言葉に、シラヴィルは絶望した。湧き出る衝動が笑みなのか涙なのか自身でも、もう良く分からない。


「シカシその火種を奪われタとなれば、危うイのはカルバスの方デスね」

「そうだな……エセドニアは、届かない献上品を理由として付込むだろう」

「一度軍が動けば後はナシ崩しでしょウ」


 知らぬは己ばかりとはこの事だろう。シラヴィルは目元を隠したまま笑うしかなかった。

 何故知ってしまったのか。城壁と無知の分厚い壁は、目を刺す現実を覆う為のものだったのか。ならば、何故もっと強固に作ってくれなかったのか。

首を振り、目を逸らした先の自身が、どこか遠い場所で笑っている。帰れる筈のない場所に向かおうとする感情が、喉に詰まれば惨め過ぎて、シラヴィルは強く奥歯を噛み不完全な笑みを押しとどめた。


「……しかしカルバスも、対抗するだろう。そう簡単に戦となるか?」


 放棄を望み霧散するシラヴィルの思考を留めさせる、カラスの声という存在。感情を押し込めれば浮き上がる知識が、やけに淡々と展開した。


「常時ならば違っタでショウ。しかし今のカルバスは民の反感を蓄えてイる」

「他国に侵攻されないようカルバスが迎え撃てば、エセドニアへと軍事が向いている間に反感を……不満を蓄えた民が」


 反乱を起こす。

 一拍置いて、目元に当てられていた掌がずり落ちる。霧の向こう側で紡がれていたかの様な己の声が、当然として出した結論。

 言葉にすることによって思考を纏めていたシラヴィルは、呼吸を忘れた。

 色を失った視界の中、黒い鳥の嘴が薄く開いていた。


「当初の予定通りですネ」 





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