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わたくしと魔王の  作者:
第三章
21/36

わたくしと魔王の五日目









「“文化”という言葉には“価値観”に近いものがあるが、その概念は通常、国単位で伝播されるものに対して言う。つまり個人のそれは文化とは呼ばない。また、地域や時代により文化様式は大きく異なり、それを確立させ維持し続ける事によって生まれるのが“国”であるといえる。すなわち――」


 シラヴィルは疲れてきていた。

 あの後からずっと続いていた魔王からの色々の説明に、そろそろ頭が追いつかなくなってきている。ノラはとても聡明だといえるが、少々説明が下手だった。

 否。恐らく説明自体は、上手いのだ。

 しかし聞き返せば詳細の詳細まで説明し始める上に、山も谷も無く淡々淡々と一本上司で語られるそれ。

 話している場所が、ベッドの傍らだからと部分もあるのか。広がる毛布に手招きされているような気さえするシラヴィルは、眠気が限界に達しかけていた。


「の、ノラ……何か面白い話をして頂戴」

「……。……聞いておきながらそれか」

「き、気分転換よ! 物事には抑揚というものが大切なの!」


 寝台の背に上体を預けたまま不満げに目を据わらせたノラは、溜息交じりに視線を流した。

 それでも、寝られるよりはマシだと思ったのだろうか。何やらを思案しているらしい魔王の横顔に、シラヴィルも眠気を振り切るよう、ベッドサイドに腰を落ち着けなおす。


「そうね……あまり長くなく、かつ面白い、聞くだけで興奮するような興味深い話が良いわ」

「……。…………。」


 只単に“面白い話”とだけ指定するより、ある程度絞り込んだ方が良いだろう。

 そんな思いから追加事項を幾つか並べたシラヴィルの前で、魔王の眉がピクリと跳ねる。何か思いついたのだろうか。

 それにしては未だ視線を流したままのノラの眉間には、徐々に、しかし確実に濃いしわが刻まれつつあった。


「……修復の魔術を教える」


 やがて軽く視線を落としたノラに、シラヴィルは首を傾けた。


「あら。“お話”は何処へ行ったの?」

「人の手にも容易に行える極めて単純なものだ」


 すなわち、“長くない”と言いたいのだろうか。

 それにしたって条件をひとつしか満たしていないではないか、などと思いながらも、シラヴィルはノラの方へと身体ごと向きなおる。

 興味があるかと言われれば、それはじゅうぶんにあったからだ。


「それで、今度はどんなものなの? 新作の魔除けかしら?」

「魔除けはあれひとつで充分だ。……まさか無くしたのか」

「何を言うのかしら。わたくしがあんなに素晴らしいものを無くすわけがないでしょう? 芸術品の価値くらい分かってよ?」

「あれは消耗品だが」


 緩やかにベッドから身を起こしたノラにシラヴィルは唇を尖らせた。この魔の王は、全くもって何も分かっていない。

 消耗品だからといって、美しいものは美しい。いずれ消費されるものだからこそ、その美は刹那に輝く――飴細工なんかと同じである。

 しかしシラヴィルがそれをとくとくと説明するより先、立ち上がった魔王はランプを引っさげ、さっさと部屋の外へと出て行ってしまった。材料か何かを取りに行くのだろう。

 それにまた不満を覚えながらも、シラヴィルは上体をベッドへと転がす。 眠っていたら怒られる気がした。しかしそもそも、シラヴィルの頭の下半分は完全に眠っているが、上半分は完全に覚醒してしまっている。未だ整頓されずぐるぐると回っている情報のせいだ。

 そうして身体を、右に左に。ベッドの上をごろごろと転がっていたシラヴィルは、戻ってきた足音に素早く身を起こす。

 実に素早いお帰りである。

 扉からじとりと探るような視線を向けてきたノラに、シラヴィルは軽く手を振って見せた。


「は、早かったわね」

「……寝ていただろう」

「ふっ……そういわれると思ったから、きちんと起きていたわ」


 軽く鼻を鳴らしたシラヴィルに怪訝な視線が送られる。この調子からして、ノラは未だ睡魔を疑っているのだろう。

 それを早急に察知したシラヴィルは、それとなくベッドサイドから立ち上がり机の方へと歩み寄った。同様にノラも、扉から机へと一直線に歩いてくる。両腕に抱え込んだ荷物を無表情に顎で固定している様が何処かちぐはぐで面白い。

 それにしても、この有様でどうやって扉を開閉したのか。

 そんな疑問をシラヴィルが抱えた矢先、ひゅるんと伸びてきた黒い何かが、ノラの顎の下から分厚い古書を抜き取っていく。

 驚いて目を見張れば、どうやらそれはノラの足元から伸びているらしいということが分かり、シラヴィルは何となく納得した。例の良く分からない、魔術とやらだろう。

 そうこうしているうちにも黒い何かは古書を卓上へと置き、同様にノラの腕の中にあったものら全てを机に椅子にと分担していく。

 羊皮紙の束。ペンとインク。何かの枝と思わしきもの――何処からへし折ってきたのだろうか。

 最後に大きく広げられた羊皮紙と、ずしりと広げられた古書のページが重く落とされる音に、はた、と視線の動きを止めたシラヴィルは、怪訝に寄せた眉の下でちらりと横目を流した。


「な、何を始める気?」

「これを書き写せ」

「……なんだか嫌な予感がするのだけれど。気のせいかしら?」

「気のせいだろう」


 ノラが開いたページには、どうにも怪しい円と直線と落書きのような文字で形成された、謎の模様が描かれていた。

 どうにも、怪しい。一目見ただけで反射的に怪しいと思ってしまうような怪しさだ。

 けれど椅子を引いたシラヴィルは、結局ペン先をインクに浸すことにした。用途は若干不明ではあるが、ノラが持ってきたものなのでまぁ問題はないだろう。これしきも書き写せないのか、と思われるのも癪である。


「……円がどうしても歪むのだけれど」

「多少なら構わん。その中に全てが収まっていれば良い」

「真っ直ぐな線を引くというのは……中々難しいわね」

「数とその間に挟まる文様が合致していれば良い」

 

 椅子に荷物を乗せているため、座ることが出来ないのだろう。

 上から覗き込んでくるノラの気配に、シラヴィルのペン先が微かに震える。


「そ、そんなに見ないで頂戴。監視されなくてもきちんと書くわ!」

「……シラヴィル。前々から思っていたが、やはりお前は絵が上手い」

「ととと当然でしょう!? 今更、何をそんな分かりきったことを言っているのかしらっ!?」

「何を怒っている」

「怒ってないわよ! 気が散るから向こうへ行っていて頂戴!!」


 振り返り噛み付くように言えば、軽く首を捻りながらもノラはベッドの方へと去っていく。その際、机の端に積み重ねられていた古書の一冊を、先程の黒い何かがひゅるんと浚って行く。

 読書でもするつもりなのだろう。そのままどうか大人しくしておいてくれと、シラヴィルは羊皮紙に噛り付きなおした。

 それにしても、これを“絵”と称する魔王の感覚はおかしい。絵というには整いすぎている、情緒も減った暮れもない良く言って“図形”だ。

 そんな事を考えながらも、シラヴィルは肩から腕を動かし、黙々と線を描いていく。幾つか線を引いてみても、規則性がさっぱり分からない。

 それでも完成した図は完璧で。古書と羊皮紙を交互に数回確認したシラヴィルは、やがて静かにペンを置いた。


「……完成したのか」

「完璧よ。それでこれを、どうするの?」


 閉じた古書を傍らに置き、机の方へと歩み寄ってきた魔王の同行をシラヴィルは目で追う。

 まず椅子の上から持ち上げられたのはこれといった装飾も彩りも無い、雨上がりの土のような色をした荒焼きの壺だ。恐らくは異国のものだろう。丸い袋状のそれは卓上に置きなおされ、少し広めの口の中へと何かの枝らしきものが投げ込まれる。

 一体何が行われるのか。

 今の時点では把握しきれないシラヴィルの前、次にノラが取り出したのは手のひらほどの大きさの繊細な装飾品だった。

 シラヴィルは、一目でそれが何なのか分かった。

 白銀を土台とした髪飾りは式典の際に自分が身につけていたものであり、落下事故の際破損した色々の中の一つでもある。

 それにしても、装飾である中央の紅曜石が見事取れてしまっているそれを、今更どうするというのか。


「っ――!?」


 首をひねったシラヴィルの前で、髪飾りは先程の羊皮紙によってぐしゃぐしゃに包まれた。シラヴィルは反射的に声を上げたが、これといった反応は返されない。ノラはいたって涼しげな表情のまま、先程のように、ぼの中へと羊皮紙と髪飾りを投げ入れてしまった。

 正直、シラヴィルとしては非常にショックである。只の包み紙にされてしまった羊皮紙には、それなりに懸命に書き上げた図形が描かれていたのだ。

 しかし驚愕によって失ってしまった声は、次の瞬間すぐさま復活することになる。

 ノラが何かを机の上に置いたかと思えば、壺の口から火柱が上がった。


「なっ!!? な、なななにをしているのノラっ!?」

「修復だ」

「燃焼にしか見えないわよ! か、火事――っ」

「そこまでの炎は出していない」


 慌てて椅子から立ち上がっていたシラヴィルは、ぴたりと動きを止める。しかし魔王の口から語られる安全性についての説明は全く耳に入っていない。

 シラヴィルの瞳は、壺の口から上がる細い煙のみを凝視していた。細く薄く立ち上る煙は、右に左にと揺れている。

 何かがおかしい。

 シラヴィルがそう確信を抱いたのは、たなびく煙が一方向へと流れ出した瞬間だった。


「これ、は……」

「……。」


 絹のような滑らかさで壺から流れ出す煙は、ノラが先程机の上に置いた何かに向かって流れている。

 そこにあるのは髪飾りの土台だった。逆に言うとそこに土台しかないという事は、おそらく先程ノラが投げ込んだのは、外れた宝石部分のみだったのだろう。

 そんなことを今更に確認しながらも、シラヴィルは装飾の外れた白銀の髪飾りへと手を伸ばす。ゆっくりと持ち上げてみれば、煙は揺れながらも依然、髪飾へと流れてくる。

 右に振ってもついてくる。左に振ってもついてくる。部屋の奥へ移動してみても、椅子の傍に戻っても、ぐるぐる回してみても髪飾りについてくる煙を凝視するシラヴィルは、魔王のほうから流される胡乱な視線に気付かない。

 やがて、髪飾りを包み込む煙がはれた時。

 白銀の髪飾りの中心には、外れてしまっていたはずの紅曜石が、ランプの明かりの元で滑らかな光沢を放っていた。


「……これは何、どうなっているの?」

「……正確に言うならば、“あるべきものをあるべき場所へと戻す魔術”であると言えるだろう。人の手にも行える、容易なものだ」

「さっきの火が、何か特別なものだったの?」

「あれは火を付けただけだ。お前が先程書き写した図とラトスの枝があれば良い」


 はぁ、だとかほう、だとか自分でも良く分からない息を漏らしながら、シラヴィルは修復された髪飾りを見つめる。

 魔術とはなんだか良く分からないながらに不思議なものだと思っていたが、今回のこれは凄い。

 ノラの説明は相変わらず何を言っているのか良く分からないが、何にしても凄いと。

 魔王の説明を理解しながらも聞き流していたシラヴィルは、そこでふと疑問を抱く。


「“あるべきものをあるべき場所に”?」

「そうだ」


 短い肯定へと顔を向けてみれば、空いた椅子にどっかりと座り込んだ魔王が足を組んでいる様が見て取れる。

 その真っ直ぐな視線と偉そうな態度からして、うそを言っている様子は見られない。

 けれどどうにもシラヴィルには、“あるべきものをあるべき場所に”と“修復”という二つの説明が上手く頭の中で結び付けられなかった。

 否、修復といえば確かに、修復なのだろう。

 けれどそれと同時に――と施行を纏めかけていたシラヴィルは、瞬間、とても素晴らしい事実に気付いてしまった。


「ならばこの状況も元に戻せるのではなくて!?」


 しかし、いつのまにやら古書を読み始めていたノラの表情は全くと言っていいほど動かない。


「この魔術はあくまでも物理的なものだ。加えて、その身体は火と真逆の性質を持つ。容易には燃えん」

「わ、わたくしを燃やすこと前提なの?」

「此方の身体に傷付かれては困る」


 確かにそこは是非とも保身して欲しい部分であると。納得したシラヴィルは当然、自分だって羊皮紙に包まれ暖炉に投げ込まれる気など全く無い。

 すなわち、この魔術によって入れ替わりを元に戻すことは不可能なのだと、シラヴィルはやや肩を落とす。

 そもそも物理的なもの、と魔王は言っていた。精神が入れ替わっている状態には、いくら焼こうが煮ようが効かないのだろう。


「……まぁ良いわ。それにしても、これは見事ね」

「成功したな」

「……? 何かしらそれ、失敗するとでも?」

「思っていた」


 気分を切り替えるべく髪飾りへと視線を落としなおしていたシラヴィルは、瞬時にノラへと顔を向けなおした。


「お前のことだ。二本ほど線を誤魔化す可能性は、それなりにあるよう思えた」

「分かってないのね、ノラ。わたくしはこだわり派なの」

「……そうかもしれん」


 ページを捲りかけていた魔王の手が止まる。何か考え事でもしているのかもしれない。

 何にしろシラヴィルとしては、肯定が返ってきたことに満足である。

 加えて、手の中に残った完璧に修復された髪飾りに、彼女の機嫌は急上昇していた。


「ちょっと来なさい、ノラ」


 手招きをすれば、魔王の視線が古書から上がる。


「髪留めを付けてあげるわ」

「いらん」

「あら何故?」


 何故だか一向に椅子から動こうとしないノラの背後へと歩み寄ったシラヴィルは、栗色の毛を軽く手に取った。

しかしすぐさまノラに蝿を払うような仕草で手をはたかれ、むっと眉を寄せる。

 何故拒否するのか。この魔の王のことだからどうせ、不器用だとでも思われているのだろうと。

 シラヴィルは先程より大量に、栗色の髪を手に取った。せっかく修復したものを、使わないでどうするというのか。

 そんな思いと先程手を跳ね除けられた不満から、やや意固地になっていたシラヴィルは気付かない。

 髪を引く勢いで強制的に顔を上げさせられていた魔王の手元で、古書が閉じられる重い音がした。

 ぐるりとノラが振り返ってきたかと思えば素早く手をつかまれ、シラヴィルは硬直する。

 逃げようと思えば逃げられたのだろうが、相手の有無を言わさぬ眼差しがそれを許さなかった。


「では髪留めをつけてやろう、シラヴィル」


 薄く口角を吊り上げた魔王。

 その余りにも底意地悪がそうな笑みに、シラヴィルははっと我に返った。


「け、けけ結構よ! 別にそれくらい自分でするわ、メイド達がするのを見ていたから完璧よ!」


 慌てて自らの頭上へと持って行きかけた腕を、ノラに掴みなおされる。


「……。……鏡を見ながら行うことだな」

「……この髪飾りはあなたが預かっていて頂戴」


 笑みを消し、僅かに眉を寄せたノラは、視線を逸らしながら静かにため息を落とした。

 改めて我に返ったシラヴィルは、色々と諦めた。


「……いつ、元に戻るのかしら」


 不満の形をした息を小さく落とし。

 椅子に座りなおしたシラヴィルは、机の上にだらしなく頬杖をつく。

 ひとまずノラの栄養状態はよくなったので、それはそれでいいのだが。

 現状を見れば全く進んでいないではないかと、シラヴィルは置きっ放しにされた壺の方へと視線を流す。


「……それ以上に、目先の問題がある」


 そして古書を机の脇へと置きなおしたノラは、其方は其方で物思う部分があるらしかった。

 そういえば修復の魔術は只の息抜きで、本題はまだすべて終わっていなかったと。


「勇者のこと?」


 伏せられたノラの睫毛へと目を向けなおしたシラヴィルは、解決していない問題の方へと思考を流す。

 軽く頷いて横目を向けてきた様子からして、ノラとしては勇者が気に食わないらしい。

 クライドの作る食事は中々に美味だと思うのだが。

 それと同時に相手は退魔なのだから、当然かもしれないと。思うと同時、自分としても勇者がいる限り、普段以上にコソコソしなければならないシラヴィルである。

 なので、その点についてはもう既に考えていた。ランプの灯りの元、シラヴィルはにやりと口角を上げる。


「実はね、ノラ。素晴らしい策を思いついているの」





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