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わたくしと魔王の  作者:
第一章
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わたくしと魔王の遭遇



 それは暖かい午後の日だった。

 王国の象徴であるシンボルを模ったステンドグラスが、幻想色を乱反射する。胡乱な灯の揺れる薄暗い教会の中、唯一の光は神々しさを醸し出す。

 椅子に腰かけそれをぼんやりと眺めるシラヴィルの眼前、逆光に影を落とすのは、ローブを目深に被った老婆だ。


「身に息吹を吹き込み外様に退廃を。国に反映と力を……」


 先刻から長々と続く、言葉の羅列。シラヴィルがちらりと視線を流した先、高段にいる貴族たちは石になったかのようにピクリとも動かない。もう十二分に時は過ぎたと彼女は感じるも、老婆のくすんだ唇は依然動くことをやめなかった。

 普段お喋りな皆がそろって、何も言葉を発しない。絶対的な権力を持つ父すら幕を引くことをしてくれない。

 今日は成人の式を兼ねた、十八回目のシラヴィルの誕生祭。

 祝福のまじないがあるとは聞いていたがこの長さは完全に想定外であり、豪華なごちそうを食べて終わると楽観視していたシラヴィルは、嘆息と共に目蓋を降ろす。


「姫様」

「……はい」


 うつらうつらと頭を揺らしかけていたシラヴィルは、重い目蓋を緩く上げた。老婆の汚らしく黄ばんだ歯の隙間から、自身だけに与えられた爵位が漏れることが不快でならない。


「これにて儀式は終了となります」

「はい」


 待ってました、と。

 早々に椅子から腰を上げ、シラヴィルは老婆を己の視界から外す。


「まだ話は終わっておりませぬぞ」


 声だけが後ろから追いかけてくるが、振り返る気にもならない。儀式が終了したのならば、もう老婆の前でじっとしている必要などシラヴィルには無いからだ。


「姫様!」

「……。」


 しかし依然食い下がってくる老婆に、さすがのシラヴィルも歩みを止めた。

 くるりとその場で踵を返し、軽く腕を組み栗色の髪を背へと流す。


「……わたくしが黙って座っていたのも、わたくしが貴女に言葉をかけるのも、わたくしの優しさなの。本来なら同じ空気を吸う事も許されないはずよ」


 背筋を伸ばし向き合えば、腰の曲がった老婆は小さくさらにみすぼらしいものに見える。


「ですが儀式というものには」

「儀式は終わったでしょう。その上で何の許可なく王族へ声をかけようなど……身の程を知りなさい、愚民」


 ぐっと口をつぐんだ老婆を数秒眺めたシラヴィルは、早急にそれから視線を引き上げ、振り返った先を想像する。

 教会の入り口へと伸びる赤い絨毯の源は、白石の階段の最上段にある。そこでは国唯一の椅子に座る父と、その傍らに寄り添う母と九歳になる弟が、駆け戻ってくる娘に柔らかな笑みを浮べてくれている。

 はずだった。


「……?」


 シラヴィルは半ば無意識に自らの耳を手で覆った。

 王、と誰かが出した大声があまりにも鋭いものだったような気がしたからだ。


「シラヴィル!」


 けれどそれは背後からの甲高い破砕音に紛れ、喧噪の音すべてと一纏めにされる。

 弾けたガラスの欠片の煌びやかさが、宙を舞い落ちていく。大きな宝石箱を落っことしたみたいな風景だ。


「姫様!!」


 今度こそ誰かが自分を呼んだが、そんなものよりシラヴィルは反射的に振り仰いだ光景から目が離せなかった。


「まさか……」

「魔王……っ、魔王だ!」

「王族をお守りしろっ!!」


 魔王、と称されたその影は、粉々になったステンドグラスを背に浮遊していた。宝石箱を……否、繋ぎ合わされていたガラスを、木っ端微塵にした影だ。

 吹き込む風に、渦を巻くようにはためく黒い外套の下、金の双眸がシラヴィルを射抜く。


「人って宙を飛べるのね……」


 見返しながら、シラヴィルはぽろりと感想を漏らした。

 それと同時、駆け寄って来た衛兵に腕を強く引かれるが、それよりも強い力で彼女の体は魔王のほうへと引き寄せられた。


「姫様―っ!」

「な、何なの!? 痛いわっ!!」


 シラヴィルは手を離さない衛兵と、正体不明の引力との間で叫ぶが、どちらの力も弱まらない。

 あげく、無様にしりもちをついた彼女の足元、色とりどりのガラスの破片が鳴る。


「国旗の上で尻をつくなど、何事だ!」


 父からなにやら苦言が飛んだが、シラヴィルはそれどころではなかった。

 片腕についてきた衛兵の体重が、重すぎる。鉛色の甲冑に、腕が千切られるんじゃないかと思う。


「痛い痛い、痛い!! 痛いって言っているでしょう、離しなさい無礼者っ!!」


 床に張り付いたような体制でなお、手を離さない衛兵をシラヴィルが涙目で睨み下ろせば、鎧の奥の瞳が、丸みを帯びた。

 同時、衛兵の顔へと影が落ちる。


「……。」


 するりと。

 背後から伸びてきた長い爪の指先が、シラヴィルの腕を掴んで放さない衛兵の腕に触れた。


「ぐ――ッッぁ!!」


 空気を震わせる絶叫。別人かと思うほどに歪んだ衛兵の顔。

 どこか別次元で鳴っているような音を聞きながら、シラヴィルは視線を軽く落とした。

 引っ張られなくなった己の腕に、衛兵の手首だけが残っている。断面から茶色く濁っていくそれは、まだ彼女の腕を握り続けていた。


「これは……、なに?」


 背中を何かが這い上がる様な感触に、奥歯が自然と鳴る。初めて味わう恐怖の感覚に、シラヴィルはただ戸惑った。


「待て! 逃がすなっ!!」


 そうこうしているうち、背後から伸びていた手が衛兵の手首を投げ捨て、そのままシラヴィルの胴を抱く。

 ふわり、と己の足先が地から離れるという又初めての感覚に、彼女のまつ毛が乾いた音を立てる。


「わたくし、浮いてる……?」

「……宙を飛ぶ気分はどうだ?」


 誰に確認するでもなくシラヴィルが口に出した言葉に、背後から肯定の問いかけが返ってくる。そして何よりこれ以上無く見開かれた彼女自身の瞳が、見下ろす先の風景をありありと映しこんでいる。

 ぐんぐんと遠ざかる赤い絨毯。口々に色んなことを叫んでいる衛兵。真上から見下ろす教会は、けれどあっという間に遠ざかっていく。

 姫は、絶叫した。


「いやーー!! 助けてえええええ!! 降ろしてぇええええ!!」

「……あまりよろしくない様だな」


 悲鳴を繰り返し必死に腕へとしがみ付くシラヴィルに、魔王は小さな呟きを落とした。







         *



 大陸。それは古来より、人が風習とその数だけの国を築き上げてきた大地。

 魔物。それは何時からか何処からか、気付けば人々の心を脅かし続けてきたもの。

 決して他には取り込まれず、溶け込まず。

自由奔放な形ある天災達は、何時たりとも地に寄り添い、気まぐれに人を食っては村を焼いた。

しかしその中、いつしか一際強く賢い存在が現れる。

 魔王。

 畏怖を込めそう呼称される存在は、水を裂く風の咆哮より、天を穿つ閃光の轟きより、大地を砕く不可視の巨鎚よりも一際、身近なものとして強く民の心に影を落としていた。

 魔王を知る者は当然。知らぬ者も、身近な魔物の脅威から、その王と呼ばれる存在への恐れを膨らませる。


 ごく一部、それらの総称しか知らぬ者を置いては。




         *





 疲労、というものをシラヴィルはとても久しぶりに体験していた。

 教会から魔王の城までの距離は長く、それでも時間にすると奇特な速度で到着したわけだが、いかんせん移動方法が好ましくない。


「わたくし、もう二度と空など飛ばないわ……」


 叫び疲れ枯れた声で呟いたシラヴィルは、到着して早々押し込められた部屋のベッドに、顔面から突っ伏した。

 長時間馬車に揺られた過去の日と同じ気分だった。一度しか体験したことはないがもう二度と体験したくないと思っていた胸のむかつきが、三倍ほどになって今、彼女を襲っている。

 朝から、何も食べていないというのに。

 このままでは痩せ細り死んでしまうのではないかと、心配になってくるシラヴィルに反し、そのお腹は到底固形物など受け付けそうに無い。

 加えて、部屋が暗い。

 ランプ一つの室内、岩肌らしきものの影になった窓から、日の光すらも差し込んで来ない様を見ていると、既に最低である気分は更に暗くなる一方だ。


「……水」


 とりあえず鬱々とした気分を何とかするべく、シラヴィルはいつもの癖でベッドサイドの机へと手を伸ばすが、当然そこには何もなかった。ならばと呼び鈴を探すも、これまたどこにも見当たらない。

 この城は一体、どうなっているのか。

 重く息を落としたシラヴィルは勢いをつけ体を起こし、まだかき回されているかのような頭で、仕方が無いので扉の方へと足を向けることにした。


「なにカ」

「っ!」


 すると背後から突如、かかった声。

 慌てて振り返ってみたそこには、いつのまにやら、窓の縁に一羽のカラスが舞い降りている。


「あら……どこから迷い込んだのかしら」


 少しずつ窓へとにじり寄り、シラヴィルは、何か追い払うものはないかと部屋を物色する。けれど見事殺風景な部屋。

 天蓋つきのベッドに、木製の質素な机と椅子。手に持てそうなものは、小さなランプと枕と毛布くらいのもの。


「知っているわ、あなたカラスね? 私の目を狙っているの?」


 出来れば長い棒切れのようなものが好ましかったシラヴィルは、仕方が無く枕に手を伸ばす。

 そんな彼女の様子を目で追っていたカラスの嘴に、うっすらと僅かな隙間が開いた。


「……あのようナ光物を集めるダケの下等生物と、一緒にしないデ頂きたイ」

「あら! 言葉を話したわ!」

「言葉を話スくらいカラスでも出来まス」


 驚き、改めてまじまじと観察眼を向けるシラヴィルに、カラスはぶるりと羽毛を膨らませた。その鳥類らしい動作が更に彼女の好奇心を刺激する。


「でも私の飼っていた鳥は話さなかったわ。話せないフリをしていたのかしら。という事はあなた、私の目を狙ってきたわけではないの?」

「およびかと思い参じたのですガ」

「あなたの足、まるで人の手みたいだわ。だから人の言葉が話せるの? けれどやはり少し、語調がおかしいわ」

「……御用がないのなら帰らせて頂きますガ」


 乾いた音を立て広がったカラスの羽の下、先程より明確に視界へと入るその後足。インクを零したように真っ黒で、けれど形は人の手にそっくりなそれに、シラヴィルは目を奪われるも慌てて次の言葉をかけた。


「用事ならあるわ。水を持ってきて頂戴。あと足がむくんでいるみたいだから召使を」


 ベッドサイドに腰かけたシラヴィルは、軽く持ち上げた己の足をうんと伸ばす。ふっと力を抜いたときやってくる気だるさが、そこに溜まった疲労を強く感じさせた。


「今日はわたくし、十八の誕生日で式典だったの。知っているでしょう? 身内を祝う時は一段と豪勢で……それにあなたのご主人様が乱暴な扱いをするものだから、どうにも疲れてしまったわ。これは後で直接文句を言いにいかないと……でもその前に身支度が必要ね」


 愚痴を零しながら視線を落とせば、ドレスの裾に赤黒い汚れを見つける。息を落とし栗色の髪に手櫛を通せば、細かい砂が油気に絡みついている。

 そんな、お世辞にも綺麗とは言えない自らの姿に。

 とにかく今すぐ湯あみを行いたい、と切に願ったシラヴィルは、鳥からの返答がないことに気が付いた。


「……あら。あなたまだそこにいたの。あと湯あみの準備をお願いね」

「……。」

「はやく支度をしてくれないかしら」


 用事をこなしに行った為、返答がないのかと思いきや。未だ窓縁に留まってカラスに、シラヴィルは小首を傾けた。

 やはり話せても鳥は鳥。言葉が理解できていないのかもしれない。


「わたくしの言っている言葉、わかる?」

「……あなタは自分の立場ト、我が何ナノカ理解しておいでカ?」

「ええ、私はカルバス王国の第一王女。あなたとは初対面よ」


 確認に返ってきた言葉に当然と胸を張って返せば、カラスの嘴が真下を向いた。

 まるで肩を落としているかのようなその仕草に、シラヴィルの首はますます傾く。


「……ここでのあなたハ、ただの人質でス」

「人質? 誰が??」


 唐突に出てきた単語を繰り返せば、カラスの目蓋が半分まで降りる。


「ですかラ、あなたガ」


 どこか遠い目をするカラスをじっくりと眺め、シラヴィルはその言葉を反芻した。


 人質――他国から来た、重要であるが粗雑な扱いを受ける者。


 己の中の認識を頭に浮かべ終わったシラヴィルは、ベッドサイドから腰を上げる。

 引くつく口元に何とか笑みを浮かべようにも無駄に終わり、かろうじて仁王立ちにはなったものの激情にハイヒールの踵をわなつかせながら、シラヴィルは鋭くカラスを見下ろした。


「今すぐに……っ、今すぐにあの男を呼びなさいっ!!」












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