わたくしと魔王と勇者のごはん
朝も昼も夜もない。
何処をどう行っても暗い城の中、最も明るいと言えるのは炉のある厨房。
勿論、そこにあるものも、部屋全体を照らしあげるような灯りではない。
けれど全体としてみれば煌々とした、揺れる火にあわせるよう。鍋の中の水面が踊る音は、どこか笑い声に似ていた。
嘲笑や冷笑の類ではなく、懐かしさを運んでくるような、朗らかな笑い声。乾いた火花の音も重なって、談笑の類に似ているかも知れないとシラヴィルは思う。
くるくると回る蝋燭立ての影を見ていた、眠れない夜。そんな幼い日を回想すれば指先に痛みが走り、シラヴィルはすぐさま我に返った。
「……本当に不器用だな」
隣に立っていた勇者からの呆れたような声に、シラヴィルは軽く舌打ちをする。
堅焼きパンを抑え込んでいた指先に開いた傷は、その間に塞がり溶けるよう消えた。
「なんでそんなに長い爪があって、狙ったように指先だけ切れるんだ。そもそも料理の怪我が美点になるのは、年頃の可愛らしい女性だけだぞ」
「……うるさい。お前の教え方が下手なのではないのか」
初めはシラヴィルを馬鹿にしていたクライドの態度も、今では八割が説教臭いものと化していた。
確かに異常な治癒力を持つ魔王の身体でなければ、ナイフを持たぬ方の指先は今頃、傷で埋め尽くされていたことだろう。
勇者がこの城を訪れ、五日目。
気分転換をかねて、シラヴィルが厨房を訪れたのは四日目の事だった。「調理を教えろ」とクライドに告げれば、これ以上なく青い顔をされたが、有無を言わさず押し切った。
そして強引とはいえ、勇者には一度引き受けてしまった手前があるのだろう。
全身で邪魔だという空気を放つも出て行けとは言わないクライドと共、シラヴィルは未だ厨房で気分転換をおこなっている。
「ああ、もういいから鍋をかきまぜてくれ」
掌を軽く振り厄介払いをするかのようなクライドの態度に、シラヴィルの眉間がしわを寄せた。
「ふざけるな。先程かき混ぜたばかりだろう」
「スープはかき回す程に味が良くなるんだ」
「それならそうと言え」
速やかにナイフを置き鍋の元へと向かったシラヴィルは、背後にあるクライドの複雑な視線に気づかず、木製の巨大な匙を手に鍋の中を覗いた。
卵色の液体を大きくかき混ぜていけば、魔物たちに集めさせた野草の類が見え隠れする。当然これらはカラスと勇者によって検分済みであり、野草と魚のスープは独特の甘い芳香を放っていた。
たいそう美味に見えるそれに、シラヴィルは背後をそっと窺う。
「ああ、あとそこに葡萄酒を少量入れてくれ」
同時に投げられたクライドの指示に、シラヴィルはスプーンを取り落としかけた。
この勇者は妙に料理に対する意識が高く、味見と称したつまみ食いを許さない。案外古書の扱いに五月蠅い魔王にしろ、何故男とはこうも良く分からないこだわりを持っているのかと、シラヴィルは心の中だけで軽いため息を落とす。
「透明の方だ。分かるか」
「……それは昨日無くなった。麦酒で良いか」
しっかりスプーンを握り直しシラヴィルが目を向けた棚の上。
勇者の持参した二本の小瓶のうち、一本は確かに空だった。
代わりにその隣、琥珀色の液体はまだ少量残っている。
「無くなった……だと?」
驚愕の声を上げたクライドが、手元に向けていた顔を上げ自身の目でそれを確かめる。首をしきりに傾ける彼は昨日確かにあったと回想しているのだろう。
実際、それは材料を集めてきた魔物にシラヴィルがやったため無くなっていたのだが、そんな事は口が裂けても言えない話だ。
「そもそもお前が少量しか持ってこないのが悪い……麦酒で良いか」
「もともと物々交換用だったんだ、大量に持っている訳がないだろう」
「ならばやはり麦酒だな」
「さっきからなんだ、やめろ!」
悲愴なまでの拒絶の声に、シラヴィルは伸ばしかけていた手を止める。
極端に細めた目でクライドを見据えれば、残像が出来るほどに彼はその首を振っていた。
「葡萄酒は葡萄、麦酒は麦! それくらい分かるだろう!」
「だから何だ、どちらも酒だろう」
何を興奮しているのかと。情緒不安定な勇者にため息交じりにシラヴィルが返せば、それ以上に大きなため息が落ちる。
「……料理とは繊細なんだ。そう、女性を扱うよう繊細に行わなくてはならない」
「お前に女を語る口があるとはな」
鼻で笑ってやれば図星だったのか。
当て水量に過ぎないシラヴィルの言葉に、クライドが碧眼を見開いた。
「お前にだけは言われたくない」
心の底からの声を向けられ、シラヴィルはまた鍋に向き直った。
相手が何の事を言っているのかは分かったが、それはまた別の話。素知らぬ顔でしばらく鍋をかき回せば、やがてクライドが何やらを手に隣へと並んでくる。
「……姫様がずっと、なにやら二人きりで話したいと思っている事は知っているだろう」
「そうだな……時にそれは何だ?」
クライドの掌に乗っていたのは堅焼きパンだった。ただしその数個が全て、花の形を模っている。
自身が切り落としていた際それは只の楕円形でしかなかったはずだと、首を傾げるシラヴィルに、何故かクライドが肩を落とした。
「姫様もたまには年頃のよう、花でも愛でた方が良い……彼女はどこか達観しているようなところがあるからな」
どこか悲しげに落としたクライドの手から離れ、スープに浮かんでいく花。
シラヴィルは目を見張った。
確かに短期間に施された造形は見事で、細い息をつく勇者の言い分は分からなくもない。
けれどどうにもシラヴィルには、花を見て喜ぶ魔王を想像することが出来ない。そして勇者がせせこましく花を作っていることも正直、良く考えると不気味である。
「それで、何故だ?」
「……何がだ」
「何故わかっていて、姫様の部屋に顔を出さない?」
胡乱な視線を送っていたシラヴィルは、また同じ話をぶり返され、軽く目を細めた。料理に関し妙に高い技術力を発揮するクライドはけれど、一度流されたものに対する気遣いというものが無いらしい。
「顔は出している」
「ほんの一時の事だろう。それも一昨日、姫様が眠っている時の話……他の時に顔を見せているか?」
「……いや」
初めは何かと監視するような目を向けていたクライドは、いつの間にか考えを変えた様だった。
何かと説教臭くなり、二人の時間をやけに進める。全く持って何を考えているのか。良く分からない勇者である。
「……姫様は最近、本当に元気がない」
「それは違うな」
そしてクライドは完全に、姫が〝姫〟である事を疑っていない。
当然と言えば当然なそれに、だからこそシラヴィルは話を流していた。
勇者に対し入れ替わりの現状を、話すべきか悩んだことはある。けれど相手にそれを話したところで、どうにも解決に繋がる気がせず――はっきり言って、シラヴィルとしては返ってややこしいことになるような気がしていた。
なので。
シラヴィルは何も知らないクライドに対し、正直な言葉を返すことが出来なかった。
言ったところで恐らく、伝わらないからである。
「見ていないのになぜ分かる。姫は何処から見ても元気がない、元から乏しかった表情が今では完全に消えている」
けれどしつこく向けられるクライドの視線。
彼の語る言葉に、見ずとも分かる光景がより明確なものとなり、シラヴィルは強く奥歯を噛みしめた。
勇者は、非常にしつこい。そして此方の気持ちなど微塵も配慮してくれない。
となれば此処はもう、伝わらずともはっきり言うしかないだろうと。シラヴィルは腕を固く組み、やがて遠い目ながらにそろりと呟く。
「怒りが……」
「は?」
聞き取れなかったらしいクライドに、もう一度シラヴィルは言い直す。
「怒りが沸騰直前なのだろう……」
鍋の底から上がってくる泡に、波打つスープの表面。
恐らくこんなものではない魔王の怒りを想像すれば、シラヴィルは歯の根も噛みあわぬ思いだった。
「怒り? ははっ、そりゃあ怒っているとは思うが……それ以上に、色々とあるんじゃないか?」
軽い調子で笑うクライドに、シラヴィルは半ば本気の殺意が湧く。彼のもつ〝姫〟の印象がどうなのか知らないが、彼女の中の魔王は今まさに畏怖の対象と化していた。
まず。 無断で勇者を城に入れたり、勝手に魔物を使ったり、ずっと二人の空間を作らなかったり。
彼女には、非常に負い目が多かった。
だからこそ、シラヴィルは間違いなく、現在ノラが怒っているような気がしてならない――否。
完全なる無表情になるほど怒りを溜めているらしい魔王を前にして、シラヴィルは無傷で済む気が微塵もしない。
二人きりになるなど、死にいくようなものである。
「……姫様はきっと、寂しがっている」
「そんな愁傷な訳がないだろう……っ!?」
「ああ見えて彼女は繊細だと思うし、女の子らしいところもあると思うぞ? お前に会うため、布団を燃やしてまで部屋を出ようとしたくらいだ」
それのどこが女の子らしいのか。
魔王の行動に殺気しか感じないシラヴィルは、なにやら含み笑いをするクライドの神経を疑った。
「無理だ。会えない」
「照れているのか? 大丈夫だ、スープも出来た事だし。俺が一緒に部屋までついて行ってやる」
明るく提案したクライドが皿を取りに踵を返す。シラヴィルはその背を蹴り倒したい衝動に駆られる。
しかし次に投げられた言葉に、足に込めかけた力を含め彼女は全ての動きを停止した。
「お前も多忙なのは分かるがな」
多忙。
何故クライドの口からその単語が出たのか分からず、シラヴィルは目を丸くする。
的外れな事ばかり言う背を蹴る事も忘れ呆然とすれば、皿を手に返ってきた相手に見返され、首を傾げれば鼻で笑われる。
「最近部下にカルバスの国情を聞いたり、四六時中書庫に籠ったりしているだろう」
「何故お前がそんな事を知っている」
ただ握られているだけの大匙が、シラヴィルの手から抜き取られる。仕上げとばかり、底から大きくスープをかき回したクライドが、一拍置いて眉を寄せた。
「おい。底が焦げているんだが」
「上だけ取ればいいだろう、そんな事より」
「そんな事だと!?」
険しい視線と口調で攻められるも、それ以上の重い圧力でシラヴィルは相手を見据える。
クライドの口が吐き出す言葉を迷うよう数回開閉し、やがて、深呼吸のようなため息と共に問いの答えが返ってきた。
「……魔物たちが噂しているのを聞いた」
「噂?」
「最近の魔王様は寝る間も惜しんで勉学に励んでいらっしゃる。まるで煩悩を振り切らんとする勢いだ」
魔物たちの噂をそのまま繰り返したのだろう。クライドの台詞はどこか棒読みに連なっていた。
もう一度ため息をつきながらスープを盛る彼の横顔から視線を外し、シラヴィルは忌々しく腕を組み直した。
どうにも余計なところにばかり気がつく勇者だった。
前にも進めず、後にも引けない。
しかし、どちらかを選ばなくてはならない。
どちらも選ばないという選択肢は、ランプ片手に壁に凭れた勇者が許しはせず、シラヴィルが手にした皿の中、卵色のスープがゆらゆらと波打つ。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!」
犬のような魔物が跳ねまわる。
よだれを飛ばし廊下にけたたましい笑い声を響かせるそれは、ほぼ球体に近かった。大きな手で握り固められたような、拉げた身体にめり込んだ脚。
長い耳がそれを包むよう垂れていたが、激しく跳ねるため既に羽ばたこうとしているようにしか見えない。
「奇妙な形の魔物だな。しかもこいつ、影が無いぞ」
「……。」
シラヴィルの視線が犬から離れないからか。それに関し簡単な感想を漏らした勇者は、彼女の内心など知らない。
魔王の部屋の前まで来ていたシラヴィルは、皿をクライドに渡して早々に退散するつもりだった。
しかしその途端退路を塞ぐように現れた、犬。
恐怖に言葉を失ったシラヴィルは、究極の選択を迫られていた。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!」
叫びながら笑う犬に、其方こそふざけるなとシラヴィルは言いたい。
全速力で犬を迂回しこの場から去るか、魔王の部屋に逃げ込むか。
どちらを選んでも、待つのは恐怖。
「まるで姫様の気持ちを代弁しているかのようだな」
「……。」
「ほら、早く入るぞ。そこまで怒ってもいないだろう」
只、部屋に入りあぐねていると思ったのだろう。
励ますように笑ったクライドが手をかけた扉の取っ手は、シラヴィルが迷いあぐねている間に大きく開かれた。
「姫様、おはようございます」
場違いに爽やかなクライドの挨拶。固まった首を無理矢理動かすよう、シラヴィルが室内に顔を向ければ卓上のランプの向こう、射抜くような視線と瞬時に目があい、喉が引き攣ったかのような音を上げた。
「今日は野草のスープですよ」
ここまで来てしまえば引くことも出来ない。
クライドに促されるまま部屋に足を踏み入れたシラヴィルは、出来るだけ相手と目を合わさぬようベッドサイドまで歩み寄る。
ふと。やはりまだ間に合うのではないかと振り返った先、扉の隙間の闇にあった此方を伺う犬の顔に、シラヴィルは慌てて正面に向き直った。
「……ごきげんよう」
途端耳をついた声に、シラヴィルは恐怖した。人の身体でなんて声を出すのかと思う。
水面が端から凍っていくような寒気にスープの皿を見下ろせば、依然香しい香りの湯気が立ち上っている。
全ては気のせいだ、きっと大丈夫だと。なんの励ましにもならない意味不明な言葉が、シラヴィルの頭の中を巡る。
「き、気分はどうだ」
「見ての通りよ」
問いかけると同時に、返ってくる答え。淡々と吐き出した魔王はベッドの上、全ての色をそげ落としたかのような表情をしていた。
間違いなく怒っている。
確信したシラヴィルが、それでもまだかろうじて平気なふりをしていられるのは、ノラの四肢をきつく縛った縄が健在だったからだろう。
それはお転婆にすぎる“姫”に対し、施された当然の処置である。
「……この縄、とても窮屈だわ。外して頂けないかしら」
「お前が安静にしないのが悪い」
スープをベッドサイドのテーブルへと置いたシラヴィルは、またひとつ心中で安堵の息を吐き出した。
今のところ、魔王には火柱を上げる様子も、此方の首を締め上げようと飛びかかってくる様子もない。
「だからと言ってこれはないと俺も思うぞ」
躊躇いがちに呟いたクライドに目を向ければ案の定、同情するかのような碧眼が、拘束された身体を見つめている。
「女性を縄で縛るというのは何というか、流石魔王というのか……」
「今更何を。お前も一度は納得しただろう」
まるで第三者かの様な事を言う勇者に、シラヴィルは軽く眉をひそめた。
一昨日。
魔王が眠っているのを確認し、その身に縄をかけようと言い出したのはシラヴィルだが、縄のもう片端はクライドの手にも握られていた筈である。
だというのに。今になってぶつくさ零す勇者へと、シラヴィルが流した横目の視界の端、ベッドの支柱から四肢に伸びる縄をノラが視線で伝っているのが分かる。
「いやでも、やはりこう、見目が……」
「ならば他にどうする。文句を言うなら代案を出せ」
「人質としては当然の格好かも知れないわね」
「……。」
二人から同時に向けられた言葉は、どちらも勇者にとって返答に困るものだったらしい。
結局、部屋の隅に視線を逃がしただけのクライドを尻目に、シラヴィルは改めて魔王へと向き合った。
白いベッド、茶色い縄、それに拘束された細い四肢――。
確かにこう改めてみれば女性に対する扱いではないが、中身が中身なので問題はない。
「顔色は良くなったな」
「何故来なかったの」
ほぼ同時に両者の声が重なり、一瞬だけの間が落ちる。
「来たとしても特に何も出来なかっただろう」
「ならばせめて抜け出せるよう手引きして下されば良かったのではないの」
「お前は病人、大人しく寝ているべきだろう」
「もう何処も変調はないわ」
ごほんごほんっ、と。
始まりかけた言い合いを割るよう、わざとらしい咳払いを落としたのは勇者だった。
「とりあえず食事した方が良いんじゃないか」
それにシラヴィルは鋭く横目を流すが、食事は暖かい方が美味なのも確か。
サイドテーブルに置いた皿を手に取り、ベッドサイドに腰かけたシラヴィルと同じく、視線に込めた力を抜いた魔王も己が倒れた理由を弁えているのだろう。
スプーンの上に程よく冷まされた一口を乗せて差し出せば、無表情ながらも口を開きしっかりと食べ、呑みこんでいく。
「……。あー……なんというか、仲が、良いな?」
雛鳥に餌をやるよう黙々と給仕するシラヴィルへと。妙にもそもそとした声でこぼしたクライドに、ノラが視線だけを流す。
「縄を解くわけにはいかない。当然の形式だろう」
食事中のため使えない口。その代弁としてシラヴィルが口を開けば、クライドの片眉が軽く上がる。
「やはり魔物は変わっているな。普通、意識するだろう」
「意識?」
首を傾げシラヴィルはクライドを振り仰いだ。そしてもう一度ベッドの中へと視線を戻せば、今ではもう見慣れた自分自身が眉を寄せ、咀嚼に口を動かしている。
ノラの方もいまいち、勇者が何を言いたいか全く分からないらしかった。
「まぁいい……味はどうですか、姫様」
「悪くないわ」
「そうだろう。当然だな」
スープはみるみる間に無くなった。美味なのは己が鍋を混ぜたからに違いないとシラヴィルが鼻を鳴らせば、味を訪ねていたクライドが大きくその首を振る。
「お前……まるで自分が作ったかみたいに言っているが、八割……いや、九割は俺が作ったものだからな?」
「だからなんだ。肝心なのは仕上げだろう」
「お前の仕上げは焦がす事か!? まったく姫様、聞いてくださいよ」
自己主張をするよう言うクライドは〝姫様〟の事を中々気に入っているらしい。
それにシラヴィルはどこか燻るものを感じるが、姫の中身が魔王である事を知らない彼を思えば許せる。と言うより多少、不憫ですらある。
にこやかに語りかけている相手が魔王であると知った時、勇者はどのような顔をするだろう。
そういえばクライドの中の〝姫様〟は繊細で女の子らしいのだったなと、シラヴィルは内心吹き出しかけた。
「そっ……そういえばこいつ、勇者はお前の為に、花を……」
「たまにはいいかと思いまして」
笑いを含む言葉に魔王の視線が向けられれば、その補足をクライドが自ら続ける。
それにまた一段と込み上げる笑いを、シラヴィルは奥歯を噛み必死に耐えた。
「やはりこう、殺風景な場所にいると気も滅入るかと思いまして」
「……それでその花はどこにあるの?」
「え」
素朴な疑問を投げた魔王は、最後の一口を飲み込み終えていた。
唖然と口を開くクライドの間抜け面に、シラヴィルはもうやめてくれと思う。
「よ、良かったな……姫の腹の中は、お花畑だな?」
「………。」
出来る事ならば肩を落とすその姿を指さし笑い転げてしまいたい。しかしそうもいかず不自然に身を震わせるシラヴィルに、魔王の胡乱な目が向けられる。
「……あなたもしかして、勇者と料理を?」
声を出してしまえば笑いとなりかねんシラヴィルは、顔を伏せ数回首を縦に振った。
何とか気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返す中、傷心を引きずるクライドがため息交じりに吐き出す。
「こいつ、何かと馬鹿な事をいうんですよ。放っておけば食の新境地に達する勢いですね」
「そこまで褒めなくとも良いぞ」
「いや、褒めてないんだが……」
呆れたような視線を向けてくるクライドに、シラヴィルは余韻のよう残る笑みを浮かべる。口煩いだけの奴だと思っていたが、案外愉快な男らしい。
こんな状況でなければ言える事も沢山あっただろうに、と。
少し残念に思う彼女に極度の寒気が走ったのは、その時だった。
「なるほど、部屋に来ず何をしているかと思えば……勇者と、料理」
地の底から轟くような魔王の声。それはシラヴィルを恐怖させるのに十二分の響きを持っていた。
「い、いや……」
「ならば何だというの」
「えー、あのこいつも色々と忙しいみたいでして」
上手く言葉が出て来ず狼狽すればクライドが後を引き取る。こいつさえいなければ好き勝手言葉が吐けるのにと感じていたシラヴィルは、有難くその隙に台詞を纏めてしまう事にした。
「色々?」
「カルバスの国情を調べたり書庫に籠ったりなんだりらしく……」
「……それが何故会わない理由になるの」
「後はそうですね、魔物たちが話しているのを二人で聞いたんですよ」
しかし纏めずとも、魔王と会話を始めたクライドは全てその口で言ってしまいかねない。
「何を?」
「人は魔から力を奪うらしいからな」
速やかにシラヴィルは会話を自らの手に戻した。魔王とクライドの視線が同時に此方へと向けられ、次の台詞に詰まる。まとめ切れないうちに紡いでしまった言葉は失態のように思えた。
「……近寄りたくないと思うのは〝魔王〟として当然だろう」
しかし瞬時に浮かんだ言い訳は我ながら良く出来たもので、シラヴィルは内心安堵の息を落とす。咄嗟の状況に対応できる自らの頭の良さに感謝するしかない。
「……何言ってるんだお前、違うんじゃないのか?」
だがうかがわし気に向けられたクライドの視線に、シラヴィルの身体が硬直する。
頼むから余計な事を言うなと願う中、勇者の口はやけにゆっくりと隙間を生んだ。
「主から力を奪うものを部下が放っておく筈がない。だから姫様に手をかけられぬよう、自ら離れていたんじゃないのか?」
真剣な調子のクライドの瞳。シラヴィルは一つ、瞬きをした。
全くもって的外れ、というより正直そこまで考えていなかったシラヴィルは、返す台詞に思い悩んだ。
だが逆にそれが功をなし、其々が其々の思考に耽るような、何とも言い難い間が程よく落ちる。
「……二人にして頂けるかしら」
やがて無音を割ったのは、ノラの静かな声だった。