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わたくしと魔王の  作者:
第三章
17/36

魔王と勇者の人生相談







 せせこましい足音が近づいてきたかと思えば、乱雑に扉が開いた。


『鶏と卵、どちらが先に産まれたと思う!?』


 開口一番に言った彼が、足早に近づいてくる。その登場に心は浮足立ったが、己から跳ねて近付く事はもう出来ない。


『そうか……分からないか。それとも腹が減ったか?』


 分からないというより、どちらも腹に入れば同じこと。とにかく腹が減っている。食事の話をしているのなら、出来れば鶏の方が良かった。

 けれどそれを伝える言葉を持たず、目を閉じた。ふて腐れた態度が伝わったのか、頭上で乾いた声が笑う。なだめるように柔らかく頭を滑る手が心地よかった。


『だがこれで実感しただろう? 誰一人来れなくする事は、どこへも行けなくなる事。高い敷居を越える気力など、よっぽどでなければ持てない』


 分かっていたくせに、と思う。それに敷居、というには大きすぎるだろう。

 満足気に言う彼の行動は常に不可解だった。それに付き合っている自分に言えた義理ではないが。


『……恋愛の一つでもしていたら、また違ったかもしれない。峡谷を一跨ぎにして来るような女性ならば、の話だが』


 彼は一体、どんな化け物と付き合う気なのか。

 洒落ごとを口にする彼は、歯痒そうに目を細めていた。顔に刻まれた濃いしわが、大樹の年輪を思わせる。ランプの灯を映す髪の光沢は、いつのまにかぼやけてしまっていた。

 彼は酷く老いた。それは自分も同じことだった。





 ・   ・   ・





 城を訪れて早三日。

 隙あらば起き出そうとする姫は、現在眠っている。

 クライドはベッドサイドまで引っ張ってきた椅子に腰かけ、案外おてんばな姫の監視がてら、暇つぶしに開いていた手記の冒頭に、眉を寄せた。


『銀と魔の関連性を考える上で、第一に問題となるのは“どちらが先か”という点である。銀が生まれるから魔が死ぬのか、銀が死ぬから魔が生まれるのか――』


 そんな見出しで始まった手記は、ただ調理人として過ごすのも癪なクライドが、城を散策していた際に見つけたものだ。

 どうにも小難しく綴られる文章の先を読む気にはなれなのは、正直、城内構造の類を期待していたからだろう。魔王が入り浸っていなければ書庫の散策も出来るだろうに、と。

 内容に目を通すでもなくページを捲りながらクライドは、気持ち半ばで手記の持ち主を推測する。

 思想を文字として記する事の出来る立場といえば、学者か何かの類だろうか。いずれにしても、高位の者の手記であることには、まず間違いない。それにしても銀と魔の関連性を冒頭に持ってくるとは。

 これの持ち主は中々変わり者だ、なんて考えているうち、クライドの右手から離れた最後のページ。ランプの置かれた机の方へと、あっさり手記を放ろうと上がった左手が、一旦止まる。

 変わり者は稀少でもあり、稀少は価値あるもの。

 教会にでも寄付すれば、中々の謝恩が貰えそうな気がした。

 実際どうなのかなんて分からない話だが、古びた手記は抑々の城主である、四代前のカルバス王のものである可能性も無くはないと。

 そんな名案にクライドがにやつけば、視界の端で布団が動きを見せた。


「あ、お目覚めですか」


 声をかけると同時、ひるがえされた布団が視界を覆い尽くす。同時に炎上したそれに、クライドは切っ先を逡巡させた。

 剣で布団を切り落としてしまえば、彼女にも当たるかも知れない。

 姫が魔の力を扱えるというのは初日に身を持って知ったとはいえ、中々厄介であると。

 クライドがもたもたしている隙に、ベッドの中から飛び出てきた影。

 それは一切振り返る事をせず部屋を横断し、扉のノブへと手をかける。


「……。」

「しばらく安静だと言っているじゃないですか」


 しかし、厳重にロープが巻き付いたドアノブは動かない。そう簡単に解けるものではない、と固い結び目に爪をかけた姫は早急に悟ったのだろう。

 恨みがましい視線を向けられ、クライドは軽く肩を竦めた。


「そんなにあいつに会いたいんですか?」

「……ええ。ぜひともお話したいことが山ほどあるの」


 つい先日まで死にかけていたとは思えないほど、実に彼女は快活だった。

もう一度ドアノブへ視線を落としつつ、姫が吐き出した声には、無表情ながらに苦渋が滲んでいる。

 聡明な判断といえた。恐らくロープに火を付けても無駄だと、分かっているのだろう。

 外出を妨げるそれを燃やそうと、炭になるまでクライドがむざむざ待っている筈もない。


「ならば話せばいいじゃありませんか」


 手記を懐に入れ呆れ交じりに吐き出せば、姫は鋭く視線を尖らせたまま不承不承の態で、それでもベッドへと戻ってくる。

 口酸っぱく安静を促しても、飛び出そうと無茶をし、結局また貧血に倒れてを繰り返す。

 そんな彼女を監視するのは、無論クライド一人ではなかった。


「あいつも此処に居る時に話したら良いじゃありませんか。今すぐが良いのなら伝言でもしますよ?」

「あなたが邪魔だと言っているのよ」


 姫の言葉の威力は高い。

 今となっては慣れてきたそれだが、お姫様からの淡々としたそれは、やはり少々勇者の心に刺さった。

 クライドは、大きくため息をつく。


「なんですか、つまりあいつと部屋に二人きりになりたいと?」

「二度は言わないわ」


 何に付けて部屋を飛び出したがる姫の動機は、魔王と二人きりで話をすること。

 しかし何かに付けて二人きりになりたがる彼女らを、クライドとしては見逃せなかった。


「二人きりでないと出来ない話などないでしょう」


 寝台の背に上体を預けた姫は、勇者の言葉にも、焼け落ちた布団にも興味が無いらしい。

 ただ遠くの方に視線を流している彼女にクライドの中、初日に多大な恥と共に消え去ったかと思われた疑惑が、また蒸し返してくる。


「姫様……なんだか最近ぼーっとする事が多かったり、ある人物以外のことがどうでも良くなったりしていませんか」

「今まさにそうよ」


 真剣に問いかけてみれば、あっさり返ってくる無表情な姫の言葉。

 僅かに鬱陶しげな調子を含んだそれに、クライドは思いあぐねた。


「姫様……それは俗に言う、恋の病ですよね」

「……初めて聞く病の名だわ」


 クライドが遠慮がちに確認を取れば、姫の眉が僅かに寄る。

 一度拒食に倒れた手前、自己管理には敏感なのだろう。流された姫の視線は非常に真摯なもので、クライドは軽い眩暈を覚えた。


「とりあえず、姫様、とりあえず大切なのは落ち着く事です。気のせいかもしれません」

「あなたが落ち着きなさい。原因は何なの?」


 相変わらず淡々と紡ぎ、変調を深く考え込む姫。

 本気で言っていますか、と思わず言いたくなるほどにずれた彼女の台詞は、どこかの魔の王を彷彿とさせる。

 王女という立場を考えれば分からなくもないが、それにしても年頃の女性が口にする言葉ではないと、クライドは眉を寄せつつ腕を組んだ。


「原因は……そうですね。姫様でもあり、魔王でもあります」


 一つ置かれた前置きの先を、姫は無言で促した。


「まず率直に伺いますが、姫様はあいつの事をどう思ってらっしゃいますか?」

「関係ある話かしら」

「大ありです」


 深く頷いて見せれば、眉を寄せたままに伏せられる栗色の瞳。

 己の中を纏めているのであろう姫を、クライドは僅かに緊張しながらも静かに見守る。

 柔らかく伸びている髪の下、白い肌に影を落す長い睫毛。それは彼女が視線を微動させるたび、時折ランプの色に染まる。


「……わからないわ」


 やがて零れた呟きに、クライドは飛びかけていた意識を戻した。


「わからない? ならば逆に、どう思われていると思います?」

「…………騒がしい?」


 比較的早く返ってきた答え。それにクライドは首を捻るも、一応納得することが出来た。

 決して騒がしいという印象のない姫だが、その無茶な行動力には確かに、騒がしいと言えるものがあるのかもしれない。


「では……お互いがお互いを求めているような感覚はないのですね」

「求める以上に、必須よ」


 クライドは混乱した。当然のように告げた姫は、また視線を鋭くさせている。


「えー……必須、といいますが姫様。城に帰る気はおありですよね?」

「……。」


 妙な沈黙が落とされ、誤魔化すように浮かべていたクライドの笑みが凍りかける。


「当然、あるわ。わたくしはエセドニアに輿入れが決まっているのよ」


 素っ気なく吐き出し、姫は部屋の隅に顔を向けた。

 一先ず心の平安を取り戻したクライドは、初耳の話題に意識を向ける事にする。これ以上同じ話題を続けても心臓に悪い上、答えは特に出そうになかった。


「エセドニアというと……カルバスが友好条約を結んでいる国ですね」

「ええ、大陸最後の砦。カルバスが唯一侵攻に失敗している国」

「えー……そうとも言いますね」


 確答を避けるようクライドは語尾を濁す。姫がどの程度その意味を知っているか分からない以上、下手な事は言えない。


「あ、ああ! 友好条約を思えばエセドニアからも救出の兵が来るかも知れませんね」

「救出の兵は来ないわ」


 けれど彼女は不可解そうに首を傾げ、さらりと告げる。

 特に悲観ぶる事もしない姫の調子にクライドの方が索漠とする。彼女が語るのは率直かつ、現実的な言葉だった。


「最初はそれも考えたけれど、良く考えれば当然だわ。私がエセドニアに贈呈されなければ、条約は割れるもの」


 友好条約という外面整備の為だけに、カルバスの姫はエセドニアに送られる。

 そしてエセドニアはカルバスの侵攻を唯一跳ね除けている国であり――長く続いた冷戦の末、結ばれた条約は砂糖菓子のように脆い。


「しかし、だからと言って救出の兵が来ない理由には……」

「献上品が届かない事は立派な落ち度。利用出来る弱みを逃すわけがないでしょう」


 救出の兵は来ないわ。

 全てを理解した上でその一言を発し、受け入れる彼女の強さに、クライドの眉が寄った。


「悲しくは無いのですか」


 数回瞬く瞳。驚いたかのような表情を見せる彼女は、感情面に欠落しているように思えた。

 先程の恋愛観の時にしても同じ、どうにも全てに淡白すぎる。

 一体どれほどの事があればこうなるのかと、クライドは姫の過去を憂うと同時に、何故か苛立った。


「気持ちが深く、沈みませんか」

「……わたくしが輿入れすると、皆幸せになるのよ」

「ならば浮足たつとでもいうのですか」

 どこか棒読みな姫の台詞にクライドは首を左右に振った。

「父上様が喜ぶことを思い、姫様は輿入れを受け入れているのでしょうが……王はただ私利私欲の為、あなたを犠牲にしようとしているだけです。カルバスの風習を利用していると思いませんか?」

「そうでしょうね」


 だから何、とでも言いたげに。完全な他人事のよう話す姫の口調にも、苛立ちが混じり始めた。少々意地悪を言ったつもりが、逆に虚をつかれたクライドの中で、もしや、という思惟が顔を覗かせる。


「……姫様は、カルバスの風習の裏に気付いているのですか?」


 身内を大切にする。言い換えれば、身内の為であれば全て許される。

 一見耳あたりの良いそれが過ぎれば、どれほど汚いものとなるかをクライドは知っていた。


「カルバスの風習は自己欲の為に十二分利用出来るものという事かしら」

「加えて国を衰退させる。国が保たれている事が不思議なくらいだと思いませんか? 身内が生まれて喜ぶ、死ねば悲しむ。そんな次元を超えてますよ。……気味が悪い」


 当たり前のよう姫が告げた事実に、クライドの口が滑り始める。

 産まれ出る身内を抱き上げる枯れ木のような腕。滑り落ちた麻袋より軽い子供。他界した身内を追って血だまりの中で重なり合う身体。

 脳裏に浮かぶのは笑顔あふれる、忘れられそうにもない風景。


「けれど風習は人を幸せに殺すわ」

「けれど風習を認められない者もいる」


 姫の口にする冷静な思想がクライドの冷静さを揺るがせる。頭の隅に残った平静が、年下の娘に何を言っているんだと抗議の声を上げている気がした。


「この前、ある親子に会いました。生活に困っているようで、娘の方の身体は、吹けば飛びそうなほどに細かった……それでも、言うんですよ。“弟が生まれるのが楽しみだ”と」

「……。」

「それがこの国の普通なんでしょう。生まれたときから決まっていた事です――でも、おかしいと気付いてしまう者もいるんです。でもそれではこの国で生きていけない、理不尽に殺される。……貴女のように、皆が皆強いわけではないんですよ」


 カルバスの皇女に。政略に利用されるだけの運命を辿る者に、己の身の内を打ち明けて何になるのか。

 意味は無いと分かっていても、初めてカルバスで出会った、カルバスの風習を客観視できる者に、クライドは問いかけてみたかった。


「風習に疑問を持たない者は、確かに幸せです。そしてそれを己の為に利用できる者も……いつも割を食うのは中途半端な者だけだと、思いませんか」

「あなた」


 短く。どこか有無を言わさぬ響きを持って落とされた姫の声色に、クライドは一つ、瞬きをした。

 気まずくなる。本当に自分は何を口走っていたのかと思う。勇者として正しい言葉だった気もするが、間違っても年下の女性に問う事ではないと。

 今更ながらに居心地悪く視線を泳がせたクライドに、向けられるのは姫の透明な瞳。


「他国の出自ではなかったの」


 淡々と、簡潔に。あくまで客観的視点を崩さず、姫の瞳はクライドを写していた。


「えー……」


 エセドニアから参りました。色んな国を放浪する身です。

 その常とう句をこの城で口にした覚えのないクライドは、次の言葉を詰まらせる。


「あなたカルバスの出生なの」

「勇者たる者、何事にも親身です」


 咄嗟に真顔で言い切れば数秒後、向けられていた姫の視線が反れる。


「唯一の中立……それは銀の風習ね」

「風習?」

「最も広い視野を持つ銀。自由選択の中、カルバスへの陶酔を選ばなかった事は不幸なの?」


 それならば愚か極まりないと。最後に吐き出されたため息に言われたような気がし、クライドはその目を丸くした。

 姫の言葉の半分は良く意味が分からなかったが、明らかに不自然な誤魔化しごとばっさり切りすてられたという事は分かる。

 僅かに揺れたランプの明かりの元、ふっと鼻の高さから息を抜いたクライドに、姫の伏せ目が流された。想像もつかなかった纏めにいっそ、笑いが込み上げてきていた。


「姫様は不思議な方ですね」

「あなたは不気味だわ」


 自身でも良く分からない笑いを堪えるクライドを、姫は不可解なものを前にしたかのような目で見る。しかしそれを言うならば女性の姦しさとは無縁らしい彼女の方こそ、クライドにとっては不可解だった。


「あまり話をするのが好きではないのですか?」

「まだ今は話している方よ。……人は何故そんなに言葉が出てくるのかと良く思うわ」

「言葉を紡ぐことが億劫なのですか?」


 笑顔のままに問いかけてみれば、姫の視線が思考に流れる。


「どうやら相手によるらしいわ」

「……。……相手を聞くのは無粋ですね」


 回想された時点で、お前ではつまらんと言われたと同意。

 軽く打撃を受けつつも、クライドはせめてもの虚勢で笑みは崩さない。

 やはりもう少し気の利いた話題にすれば良かったか。だが己を振り返ってみても特にこれといった話題がない事に、自滅する。


「……あと先程の、輿入れの件なのだけど」

「はい……」

「他には口外しないで頂けるかしら」


 頭を垂らしていたクライドは、生返事の後に顔を上げた。耳には入っていた声を振り返れば、彼女が己の行先についてを言っているらしい事が分かる。

 その身に呪いを受け、父王に政略の為だけに敵国へと向かわせられる皇女の願い。

 断れる筈もないそれに一応、クライドは疑問符を吐き出した。


「何故ですか?」

「……何故でしょうね」


 もう遅いかも知れないけど、と続けて小さく呟いた声。僅かに揺れている瞳が誰を映しているのかなど、明白で。

 微笑みを浮かべたクライドは、心を決め明るい了承を姫へと向けた。

 彼女の瞳は扉の方を、じっと見据えていた。









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