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わたくしと魔王の  作者:
第三章
15/36

わたくしと色々の疑惑









 長く使われないうち溜まりに溜まった綿埃が、暗がりに小さな火を散らす。爪の先ほどの火花の煌きが、枯れ葉を踏むような音と共に石造りの一室を這いまわる。

 橙と、黄と、赤。それらが黒にうつろう、どこか控えめで落ち着くような光景は、動きを止めて耳を澄ますに値するものだった。

 しかし。今のカラスにそんな間は無かった。無遠慮な羽音で室内を往復し、乱雑な水音を遠慮も無く上げる。


「忙しないのう……そのわりに貴殿、先程から進んでおらぬのではないかえ?」

「何を言ウ! 十分動いていル」

「動いておる事と進んでおる事は、別というものじゃ」

「上げ足を取る暇ガあるなら令をこなセ!」


 床上の水桶に舞い降りたカラスは、壁を這うヤモリを睨みあげた。

 諭すような言葉を吐く半眼と目があえば、その裂けた口から薄く細い火が漏れる。


「立派に動くは嘴ばかり。いつ桶に落ちるかと目が離せんわ」

「我は頭脳労働派なのダ! 大体、棚ごと火デ一掃しようトしていた者が何を言ウ。我がいなけレバ、厨房自体が消滅していたのダゾ?」

「澄んだことをばいつまでも、小さいのう? ほれ手を動かせ、もうじき銀が来やるぞ」


 言い合う二匹の魔物は、とある令を主から下されていた。

 厨房の清掃。――勇者が来るまでに済ませ、場に詳しいものが指揮をとること。

 二つ返事で了承したそれはしかし、安易な事ではなかったらしい。

 まず清掃という言葉すら知らなかった同族に、積りに積もった塵芥。鋭い嘴をならし苛立ちをしめすカラスの頬に、桶から跳ねた水が飛ぶ。慌てて首を震わせ水滴を払えば、火花と共にヤモリの笑声が飛ぶ。

 初めての試みというものは、どうにも上手くいかない。カラスは軽いため息を落とした。


「ソモソモ我はコウいった作業には向かないのダ。雑巾ガケ、とは想像以上に困難ダ」


 零しつつも水桶から棚へと舞い戻り、カラスは煤けた台を強くぼろ布で強く拭っていく。以前人里に下りる事が多かったため清掃の行い方は知っていたが、いざ実行するとなると勝手が違った。


「心躍る作業だと思うがの」

「ソナタの心は火が踊れば踊るのだろウ」


 一日中蝋燭と化している事すらある同族に、カラスは横目を流した。

 その先、ヤモリはやはり機嫌よく、口から伸ばす火を舌のようにちらつかせている。


「その通りじゃ。よく分かっておる」


 埃の見落としがないか注意深く壁面を這っている同族の言葉を耳に、カラスはまた小さく息をついた。


「我ハ最近……良く分からなくなってキタ」

「主殿の事かえ?」


 内心を読むかのような声に振り仰いだ先、自らの火に揺れている黒曜石の半眼と目が合う。

 カラスがこのヤモリと初めて顔を合わせたのは一週間ほど前、主と共にこの城を訪れた際。目蓋を持つためか、カルバスの皇女からは〝トカゲさん〟等と呼ばれている同族に、手を止めたカラスはその首を軽く捻った。


「何故分かっタ?」

「貴殿こそ、何故主殿が分からなく思うのじゃ」

「見ていたからダ」


 問い返されカラスは即座に答えた。するとヤモリは視線を逸らし、壁の亀裂を舐め溶かし始める。

 橙を帯びていた舌の火の色が、白く発光するように変化していく。


「ソナタはまだ魔王サマと出会って浅い故、分からぬのかもしれヌが……魔王サマは、変わっタ」

「ほう……主殿の火は、世で一番美しいもの。以前は更なる美しさを誇っていたのかえ?」

「ソウではなく、こう、何というのカ……」


 違和感を言葉にできず羽根を広げたカラスは、台を蹴り水桶へと滑空した。

 そっと水に浸されたぼろ布は、しかし中々引き上げられないままに桶の中で泳がされ続ける。


「……貴殿の頭には主殿の事のみ」

「力に惹かれて何が悪イ」

「そうではなかろう」


 どこか非難めいた声の調子にカラスが煮え切らないまま顔を上げると、正面の壁でヤモリが頭をもたげていた。


「力だけを思えぬから、分からぬのよ」

「どういう意味ダ?」

「以前は全ての事に納得しておっただろう。不満なぞ、なかったのではないかえ?」


 ゆっくりと、言い聞かせるような言葉。

 カラスはヤモリを呆然と眺めた。推測を含んだ相手からの問いに、回想してみれば二の句をつげられなくなる。


「主殿が王女に執心だろうと、どうでも良かろう。妙な趣味を持っていようと、好きにすればよい。……主殿の影の美しさは、変わっておらぬだろう?」

「……。」

「変わったのは貴殿じゃ」


 押し黙るカラスの視界から、壁を修正し終わった小さな灯りが這い出ていく。背後へと回るその微かな足音を耳に、黒鳥は桶の縁を強く握った。

 今も昔も変わらない、絶対なのは力だ。力さえあれば、それで良いのだと。

 言い切れる言葉が何故口元で止まるのか、カラスには分からない。


「魔をおかしくさせるものは、いつも二つ。人と感傷じゃ」

「……。」

「魔と人は相交わってはならぬ。人は魔から力を奪う」


 カラスの嘴が悩ませる“言葉”も、本来、魔にとって必要ではなかった。

 不満があるのなら力を行使すれば良い。不可解など、食ってしまえば良い。

 だというのに長い年月は魔物の身に言の葉を積もらせ、流されるべきものをせき止め始める。力さえあれば良い、とだけ思えなくなった理由には、いつだって人のそれがついて回る。

 不快なら黙らせれば良いというのに、いらぬなら消してしまえば良いというのに。

 長く生きた魔は暇つぶしに人と関わり、自らの本質を見失う。それこそが魔のあり方を変えるのだと、一歩離れた場所からカラスを見ていたヤモリは、知っていた。


「ご……ごほんっ、ごほん!」


 その時、扉の入り口で落とされたわざとらしい音。

 瞬時に意識を戻したカラスが向けた嘴の先、黒い人影を認めればそこに火柱が上がった。

 ヤモリのものであるそれは、夕焼けの色だ。

 やはり火を好むだけあって美しいものを放つと、感心していたカラスはふとそこで首を捻る。


「……待テ。今人がいなかったカ」

「……賊と見受け」

「この城に賊など来ぬだろ……ッ!」


 二匹の声を裂くような突風の斬撃。

 中央で真っ二つに割れたかと思えば渦を巻く火柱に、ヤモリが陶酔したような息をつく。

 羽毛を縮らせかねんそれを頭上の闇を引き下げ押しつぶせば、扉の前、室内に向けられた白刃。

 しっかりとそれを確認したカラスは、怒りに羽根を震わせた。


「ソナタ…………!」

「……ほれ見た事か、やはり賊じゃ」


 重い非難のこもったカラスの声に、ヤモリは空々しく吐き出す。迸った火を巧みに操り、沈静化させていくも、今更不自然な発火は揉み消せない。

 黒いマントの上、口と鼻元を覆面で覆った男が振るった剣を構え直している。

 その切っ先と同じく研ぎ澄まされた碧眼には炎の影が映り込み、銀の髪は橙色を美しく反射させていた。


「何が賊ダ! 思い切り勇者ではないカ!」

「……良く見やれ貴殿。あの身なりはどう見ても賊ぞ?」

「目を逸らしているのはソナタだろうガ! 髪をみろ銀ダ、銀! 何をしてイルのだ、手を出すナと魔王サマに言われていただろウ!」


 勇者が切り返した火を受け流した魔物たちは、尖らせられた警戒に気付かず言い争いを続ける。

 目蓋を完全に落としたヤモリの耳に入るよう、カラスは忙しなく羽音を立てた。


「とりあえず落ち着ケ! 臭いからして焦げたのハ髪と衣服くらいダ、魔王サマのお叱りもあるまイ!」

「いやはや、最近の賊は勇者に扮するが流行りとはのう……銀に映える炎色は美しいものじゃ」

「話を聞ケ!」

「分かっておるわ、致し方ない。賊は髪の毛一本残さず消さねば、のう?」


 曲解に曲解を重ねた挙句、ヤモリは失態の全てを無に帰す事にしたらしい。

 それを察したカラスが風を切り勇者の頭上、嘴で闇をくわえ前転する。広く走った炎は闇を打ち消し、また闇も炎を深く飲み込む。

 しかし、拮抗も長くは持たないだろう。


「名乗レ!」


 カラスは勇者を早急に促した。


「はっ!? ……お、俺はクライ」

「名など聞いておらぬ! 勇者なのか賊なのか明言しろと言っていル!」


 瞠目していた碧眼が細まり、眉尻が下がる。

 〝賊〟を消そうとしているヤモリの乱心を止めるには〝勇者〟である事の断言が必要だった。

 物思いに耽りかねん勇者の流し目に、カラスは催促の嘴を鳴らす。


「………俺は勇者だ」

「もそもそ喋るナ!」

「お、俺は勇者だッ!」


 石造りの部屋に反響した、高らかな宣言。拮抗していた炎と闇が消滅する。

 前腕を額に当て扉枠に突っ伏した勇者の耳は、これほどかという程に赤かった。

 特に恥ずかしい思いなどさせたつもりもないカラスは、何かを堪えるような銀を無視し、改めて顔をヤモリへと向ける。

 先程の火が燃え移ったのだろう。部屋の中心の炉が、ごく僅かな灯りを散らしていた。


「そうならばそうといえばいいのじゃ」

「……。」

「勘違いをしてしもうたわ。まったく、何をしに来たのかも言わぬから」


 臆面もなく飄々と。

 更に相手に非を擦り付けるヤモリに、カラスはいっそ感動すら覚える。


「……姫の食事を作りに来たんだが」


 戸惑うようにくぐもった銀の声が、尻すぼまりになっていく。剣をしまいこの場に居合わせた理由を言葉にするうち、勇者はその違和感と情けなさを噛みしめたのだろう。

 それは、魔物が王城に給仕に行くようなもの。

 想像してみれば確かに散々なそれに同情し、言葉を悩ませたカラスの耳に、棚上でヤモリが落としたため息は届かない。


「もう済ムところダ、少し待テ」


 短く告げ確認に棚へと顔を向ければ、正面に居たヤモリの半眼が、少し遠くを見ている事に気付いた。


「否、もう済みましたぞ主殿」


 その言葉に即座、カラスは振り返る。

 扉枠に凭れていた勇者の向こう、廊下に佇む主の姿が瞳に映った。


「魔王サマ!」

「……。」


 相変わらず主は簡単に言葉を投げてはくれないが、気分の高揚したカラスには関係がない。

 何か話題は無いかと再度振り返った棚の上、ヤモリの口に吸われる火が見えた。


「この通り、支度は万全といえよう」


 誇らしげに告げたヤモリが身を乗せている台は、元の色を取り戻していた。

 まだ半分ほど残っていた濃い汚れが消えている事に、カラスは黒曜石の半眼をじっと見つめる。

 しかし相手のそれは主へと向けられていたため、視線が交差することは無く、未報告を思い出した黒鳥は扉の方へと顔を戻した。


「必要と思われる器具ハ全て並べておきましタ。追加の薪もアノ通り」


 薪については変幻する白い同族に集めさせたものだったが、その点は延べずカラスは胸を張る。

 蔦は、勇者を迎えるための使者。己とヤモリは、厨房の清掃。そして手が足りない方への補充要員として変幻の白。

 早朝、主の部屋に集結した魔のうち暇を持て余していたものに指示を出したのは己なので、そのまま手柄にしてしまっても良いだろうとカラスは思う。


「……良くやった。後は下がっていろ」


 素っ気なく魔王が落とした言葉にけれど、カラスは満たされた。

 今ならば苦手だった筈の陽光の景観にさえ飛び出していけるような気がする。


「では失礼致す」

「また何か御座いましタラお呼びくださイ」


 最後にヤモリが中央の炉へと調節の火を灯す姿を横目に、カラスは恭しく頭を垂れた。

 水桶の方へと飛び立ちその縁にぼろ布をかけ、取っ手を握り部屋の隅へと運びやる。


「やはり待てカラス」

「ハイッ!?」


 桶が壁と床につく感触と同時。闇の中へと半分身を溶かし始めていたカラスは、突如の呼びとめに顔を上げた。


「……また分からない事があるかもしれない」


 残れ、という令が耳に入ると同時カラスは主の肩に身を移した。間近にある金の目が確認のように向けられたのち、部屋の中へと戻される。

 勇者と共に魔王が向かう暗がりの中心では、小気味よい音を立て火がはぜていた。


「……というかさっきの炎は何だったんだ」


 安定した炉火の元に、麻袋が降ろされる。背負っていたその中身を物色しながら呟いた勇者は、常人であれば皮下脂肪に及ぶ火傷を負っていた事態を流された事に眉を寄せているのだろう。


「過ぎた事を言うナ」


 しかし怪我はしていないのだから良いではないかと。

 あっさり切り捨てたカラスは、心中で安堵の息をつく。先程のヤモリ乱心を目撃していた筈である主の口から、叱責の言葉は出てこない。どうやらそれは些末として扱われる事になったらしい。


「……大体、もし俺が食糧を持っていなかったらどうするつもりだった?」

「持っていたのだから良いだろう」

「そうだ、下らぬ事を言うナ」


 先程から言葉を一蹴しかされない銀が、肩を落とす。その変色した部分から僅かに血の匂いが漂うも、焦げた臭いでないそれをカラスは無視することにした。


「……城にしては小ぶりなものが多いな」

「下らん事を言う間があるのなら、さっさと作れ」


 次に鍋を吟味し始めた勇者へと、低く落とした魔王が壁に凭れ、カラスは身を後ろに引かれる。

 尾羽が主と壁との間に挟まった。


「さっきから妙に急かすな……姫様が心配なのか?」

「当然だろう」

「当然、か。……そもそも気になっていたんだが、お前は何の為にカルバスの王女をさらった?」


 勇者と真剣な調子で会話を始めた主に、カラスは戸惑った。

 その内容というより、主と壁の間に挟まった尾羽の対処にだ。


「………王を、椅子から降ろすためだ」


 足つき鍋を火もとへ置いた勇者が、少し間を空けて返された台詞に振り返る。

 カラスの期待が膨らんだ。水はどこにあるのかとでも問われれば、自然に口を開く機会となるだろう。

 どこか不機嫌な主の気を散らす事なく尾羽を引き抜ける好機である。


「なるほどな。つまり人質か」

「……王から聞いていなかったのか?」

「聞いていないな。聞かせられる話でもないんじゃないか?」


 けれど勇者は自ら清水の入った壺を見つけた。

 暗がりで人の目はあまり効かないはずなのにと、カラスは内心舌を打つ。ここは話に乗りながらそれとなく切り出すが良策に思えた。


「意外と分かっているナ、銀ヨ。……分かっているといえバ」

「王を椅子から降ろすための人質ということは、つまり姫……自分の娘の命が惜しければ、王権を捨てろという事だろう」


 己の中で整理をするように、勇者は言葉を紡いでいた。

 被された声にカラスは怒気を放つが、水を鍋に注ぐ後姿には届かない。


「けれど王はそれをはねつけ、今ここに俺が来ている。カルバスの風習からすれば、まず間違いなく、その時点で民に不信感を与える……身内より玉座を取っているわけだからな、到底外部に漏らせる話じゃない」

「……ならばただ、魔物が姫をさらったという事になっているのか」


 カラスは諦めた。腕組みと共に目を伏せた調子からして、主は深く何かを考えている。

 尾羽をどう引き抜くかなど、思案している雰囲気でもない。


「そうだな、特に理由が無く……というのが、民の認識だな」

「特に理由もなく娘をさらわれた王は、勇者を魔の根城へと差し向けました……か」


 まるで御伽話のようだとカラスは内心で笑った。確認するよう主が落とした言葉を、現実として信じているカルバスの民は頭が悪い。

 けれどそんな事はカラスにとって、割とどうでも良かった。


「どちらにしろ、姫を取り戻す事を難攻しているのは事実だからな……まぁ俺のせいだが。それに陣を敷くだけで、軍をここに向かわせていない事もあるだろ……まぁ俺としては来ないで貰いたいが」

「……兵を向かわせていない? 何故だ、それに仲間は多い方が良いだろう」

「そうでもない」


 しかし。

 どうにも肩を落としている気がする銀の態度に、カラスの中で好奇心がわく。覆面の下でぶつぶつと吐き出しながら再度台に向かった勇者の手が、取り出した食材を扱い始める。


「それは確かに俺も思っていたさ、人数が多ければ楽なんじゃないかってな。でも実際、うっとおし……気を使うだけだ。王は分かって軍勢をこの城に向かわせなかったんだろうな、他の国境に兵を裂いた方が有意義だ。俺もそれが正しいと思う……というより是非、そうして欲しい」


 勇者の手によって粉砕されたのは、堅焼きビスケットの類だろうか。

 明らかに何かがあったのだろうその態度に、銀も大変なのだなとカラスは他人事に思う。


「しかし……兵を、何故……」

「そうだ、そもそも王だ。お前、気付いているか?」


 ようやく此方にきっちりと向け直された勇者の言葉に。

 小さく何事かを呟いていた主の顔が上がる。身を起こすようなそれに壁との間に隙間ができ、カラスの尾羽に開放の時が来る。


「……何をだ。民の……不信感、か?」


 自然を装って身体を前のめりにし、救出された尾羽に喜色を表すカラスは気付かない。

 魔王の声は、ほんの微かに震えていた。

 結局、唯一聞き取れる位置にいたカラスにさえ気付かれなかったそれは、何の違和感なく会話を進めさせていく。


「そんなものは当然だろう。そうでなく呪いだ、呪い」

「…………呪い?」

「お前、姫様に呪いをかけたか?」


 干し肉を裂く勇者の顔が、魔王へと向けられる。

 ため息交じりにまた壁へと凭れた主の様子に、カラスは視線を悩ませた。


「有り得ん。今回、姫が倒れたのは食べ物を口にしなかったからだ。呪いでない事は分かっている」

「確かに大きな原因はそれだろうけどな。呪いにかかっている事はほぼ、間違いない」

「何を根拠に言う」

「……お前が本当に、姫様に手出しをしていないのなら、の話だが」


 呆れたように軽く首を振る魔王に、勇者は干し肉を裂いていた手を止めた。


「出していないと言っただろう」

「……なら、間違いないだろう」

「根拠を言え、と言っている」


 傾けられていた主の首が戻されると同時、揺れた肩にカラスは慌ててバランスを取る。

 薪が時折火花を散らせる音と、波立ち始めた水面が揺れる音。勇者が一点に視線を固定する先、数秒間続いたそれらの中に新しく音が加わった。


「姫様の元からは、濃い魔の匂いがした。城自体の匂いも濃いが……それ以上に、だ」

「……どういう意味だ」


 呆然とした主の声は、言葉というより音に近かった。

 感情を乗せる余裕もないまま口から零れ落ちた問いを受け、身体ごと魔王へ向き直った勇者はカラスの方へと首を傾ける。


「お前は気づいていたか? 恐らく魔を寄せるか、溜めるか。呪いならばその類だろう」


 真っ直ぐな碧眼に姿を映され、カラスは嘴を迷わせる。そっと主へと顔を向ければ、突き刺さるような視線に捕まる。

 狼狽しながらも、言葉にしなければならない事は分かった。


「……銀の言ウ通リ、あの娘の身体ハ魔を寄せていマス。城に来タ当初は良く分からなかったのデスが……特に今朝伺った時にはカナリ、魔を染みつかせてイタようなのデ」

「……魔の力を、引き寄せやすい。更に内で、増幅している」


 呪いという観点で紡いだ言葉に、なぞる様な口調で事実を落とす主。

 カラスはしばし、次を悩ませた。


「しかし、勇者の言い分デ呪いとしてみるならバ……我ガ思うにおかしな点がアルような、無いようナ……」


 これ以上先を言っても良いものなのかと。

 口を一旦閉じたカラスは、続きを促す主の目に内心首を捻っていた。

 魔を濃く染み付かせている、姫の有様。それを勇者の言うよう“呪い”、と捉えている魔物はまずいないように思う。

 しかし、主は視線を合わせ続ける。

 逸らされない目からは先を紡げという事しか読み取れず、カラスは間を空けつつ吐き出す事にした。


「エー、何が不振かと言いますト。……呪いとは、一つの令をこなすモノなのデ。魔を寄せるならバ、寄せられた魔は溜まル一方の筈でしテ」

「……。」

「しかしアノ娘は魔を染みつかせている時とソウで無い時がアリ……一度寄せた魔を発散させルとなるト、魔を操る力を持っていなけレバ無理な」

「つまりお前が手を出しているという可能性が一番高いという話だ」


 勇者がさらりと纏めた。やはり、とカラスは目を伏せた。

 カルバスの姫は、その身に濃く魔を染み付かせている。その原因を呪いとしてみるのなら、溜まる一方の筈の魔が薄まるのは有り得ない話だった。

 身に溜まる魔を、力として発散させる方法など。

 魔術師ならまだしも、王女が知る訳もないからだ。

 溜めては、消えて。染みついては、薄れて。その理由に〝呪い〟は不自然過ぎ、ならば何が自然かと言われれば単純、姫の身が濃い魔と密接しているというもの。勇者の言葉を借りるのなら、匂いを残す程に。

 勇者の出した結論は、決して間違っていないようカラスは思う。それならば姫の身に染み込んだ魔が時間によって、濃かったり薄かったりする事にも納得できる。

 城の魔物たちは呪いだなど考える以前に、主は粋狂だという結論を既に出していた。


「……ここまで来れば、誤魔化す必要も無いだろ? 魔物にも性別があることくらい知っている、まぁだからと言って一国の王女に手を出すのはどうかと思うがな。そして年下趣味というのも理解できない」

「……。」

「あとお前が姫に手を出しているとなると……俺が王から叱責を受ける可能性が高い」


 つらつらと吐き出す勇者は、どこかずれている様な気がした。

 しかし、腐っても銀だった。

 食材へと落とされていた視線が上がると同時、剣の柄を握った腕にカラスは警戒を尖らせる。


「……理解し難い下衆だな」


 それに魔王が返した声は、重く低かった。


「そのような勘繰りしか出来ぬとは」


 静かに落とされたそれはけれど、部屋中の大気を震わせる。


「……まだ誤魔化すのか?」

「誤魔化すというならば、そもそも話などさせん」


 薄笑いを浮かべた魔王に目を向けられ、カラスは数回首を縦に振った。心中、僅かにうずいていた不安が安堵へと変わる。

 やはり、主は考えあって言葉を促していたらしい。


「ならば何だというのだ」

「呪いだ」


 苛立たしげな言葉に短く返した魔王はまた、鼻先だけで勇者を笑った。


「お前が言い出した事だろう」


 徐々に膨れ上がる深淵が、周囲の温度を飲み込んでいく。

 それが主の無意識下で行われている事を、カラスは知っていた。周囲の闇を引きずる程に、魔の王の気が立っている。


「姫は魔を扱う資質を多少、持っていてな。知識を乞うから授けたまで」

「……資質? だから、なんだというんだ」

「魔の扱いは、知識と資質あってのもの。……姫は」


 呪われている、と。

 小さく紡がれた言葉が重く渦巻くかのような闇と共に、深く、深く沈み込む。

 勇者のつま先が微かにその向きを変え、それを確認したかのように一度言葉を切った魔王は、またゆっくりと口を開いた。


「……手探りでも、初歩的なものは行えるようになった。姫は自力で発散していたのだ……呪いに呼ばれた魔を。嘘だと思うなら、後で確認すればいい」

「……何だと?」

「おかげで部屋は焦げ付いて散々だ……」


 カラスは微かに首を傾げた。魔王の声が、何処かうつろだったからである。

 否、元々主はあまり感情を表に出すことをしない。口角を上げたり相手を鼻で笑ったりもするが、そもそもその金の目は、目の前の者なんて見ていないのだと。

 胸のうちに引っかかるものを感じながらも、納得することにしたカラスは、主が何か考え事をしているらしいという事を察し場の傍観に勤めた。


「……そして、クライド」


 魔王の名指しに、迷うよう流されていた勇者の視線が戻る。

 その碧眼は揺れながらも、また逸らされる事はない。暗鬱とした空気の中、中央の囲炉裏が火花を飛ばす。


「お前には何か、心当たりでもあるのか。……此方を疑いながらも、何故、真っ先に呪いの有無を確認した」

「……王が。カルバス王が言っていた。式典に魔女が潜り込み、そこで姫に呪いをかけたと」


 魔王の瞳が瞬いた。

 忙しなく瞬きを繰り返し、口を開閉させている勇者が明らかに挙動不審だったからかもしれない。


「……馬鹿な」

「だからこそ俺も、真っ先にお前を疑ったんだ。しかしそうでないとすると……お前の仕業か?」


 素早く勇者の瞳が瞬いた。その視線を向けられ、カラスは驚倒した。


「何を言ウ!」

「姫様が呪いに掛かっているのは絶対だ」

「だからと言ッテ何故我なのダ! 先程から勘違いが過ぎるゾ勇者!」

「そ、それは……だ、だから何度も確認しただろう。一国の姫が簡単に呪いなどかけられるわけが無い、魔王に呪いをかけられたわけでもない、となると……普通姫様とこいつの関係を疑うだろう、あれほど濃い魔の匂いだ、疑って当然だろう?」

「……下衆ナ」

「他人事のふりをするな、お前もそう思っていただろう!?」


 噛み付くように吐き出す銀に、カラスはその瞼をじとりと下ろす。

 あれだけ盛大に関係の決め付けを行った手前、遅れてきた勇者の羞恥は多大らしい。まず魔王の目を見ていない所からしてそうだ。


「……サテ、何のことカ」

「お前の主と姫様だ! 少し見ただけだがまず人質に接する態度じゃない、明らかに親密だ」


 冷静に分析するカラスは正直、銀と同意見だったが勿論しらを切る。


「人質に死なれてハ困るからナ。丁重に扱うのは当然ダ。魔王サマは四六時中あの王女を庇護しているのダ」

「そういう次元じゃない。まずこいつは俺を姫様にあまり近寄らせなかった、その上に俺が見てる前で姫様の髪を梳き、大丈夫かだの、気分は悪くないかだの言った挙句、当然心配だなんてのさばった。 普通人質が倒れたからと言ってこれは無いだろう、立場を抜きにすればまるで恋人同士のような雰囲気だったぞ……!」


 それは確かに、勘違いするに相当したものだったろう。

 言い訳の濁流を垂れ流す勇者にカラスは同情を禁じ得ない。妙に共に行動している二人に、自分自身勘違いしていたカラスは――その時、小刻みな振動に気がついた。


「……きさ、ま……っ」


 カラスの後足の下。

 肩を震わせてる主は何やら憤っている様子で、その身に纏った闇を戦慄かせている。


「何を……言って、いる…………恋人、だと……!?」


 急速に魔王は踵を返した。カラスは羽根を広げ、慌ててバランスを保つ。


「話にならん……っ」


 短く吐き出した魔王は厨房の出口に向かった。その身体が右に左にと揺れる為、カラスは必死にしがみ付く。


「カラスお前は残れ……!」


 押し殺すような厳命に肩から離れればすぐさま、主の姿が扉を抜け消える。

 棚の上へと舞い降りたカラスは勇者と共に首を傾けながら、荒々しい足音が急激に遠ざかって行くのを眺めていた。










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