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わたくしと魔王の  作者:
第三章
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勇者と姫の対面










 ぽつりぽつりと灯る火に導かれ、その部屋まで到着したクライドは、扉を開けた瞬間、闇に包まれたかと思った。


「遅い」


 部屋全体を覆う、黒い影の存在感。全てを飲み込まんとする、虚空のような気配。

 勇者の足は無意識に後ずさりをしかけていた。机の上に置かれているランプが、何故か灯りに見えない。

 闇の中心に置かれたそれは只の、オレンジ色でしかない。


「迎えに行けと言ってから……どれだけ時間が経ったと思っている」

「申し訳ございませんん……」


 蔦の本体であるらしい巨大な花が、部屋の隅で身を縮みこませている。白っぽい花弁の上にある糸状の紫の花弁の中心、三本の指が震えている。

 クライドは、その花の大きさと不思議な外観に、瞠目する間も無かった。

 足元から伝う震えは蔦のものか、それとも自分自身のものか。

――これが、魔王。

 クライドが一目にそう感じたのは単純に、その男が部下である魔を威圧していたからではない。あからさまな玉座に腰を下ろしていたからでもない。

 大した家具も無い、部屋の奥。

 ベッドサイドに腰かけた男は、近づけば落とされる深淵を纏っていた。

 部下の様子を眺める金目は獣のそれを思わせる。彫刻像のような酷く整った顔立ちが、その視線の向きを変える。


「お前もだ」


 金の目に正面から射抜かれたクライドは、震える己の身と理由を知った。

 式典に現れたのは魔王だと、言い切ったカルバス王に今ならば共感できる。

 魔の王には何も必要なかった。銀のように直ぐそれと分かる特徴も、カルバス王のように侵略を刻んだ玉座も。

 ただ其処に有る威圧感に、否応なしに王だと悟らされる、などと。今までに一度たりとも感じたことの無かった理不尽さに、クライドは反射的に剣を抜いていた。


「王から令を受けて何日になる」

「些末な事を気にするな……魔物の癖に」


 一度瞬きをした魔王の目に、自分は一体何を言っているのだろうとクライドは思う。

 その気にさえなれば、相手は一瞬で部屋ごと勇者を焼き尽くすことが出来るだろう。

 それくらい分かっていたクライドは、けれど今ならば、蔦に向かって矢を射った兵の気持ちも分かる気もした。せめて何かを振るってから、負けを認めたいのだ。


「……とりあえずお前は下がれ」

「し、しかしぃ」

「下がれ」


 鋭さを増した命令に、蔦の動きは早かった。

 床一面に広がった己の分身を全て巻き取り、花の中へと納め収縮していく。最後にはほんの小さな蕾と化したそれは、闇に溶けるようにして消えていく。


「勇者。……お前は、勇者だな?」

「……だからなんだ」


 クライドの中で更に増した重圧は恐らく、一人残された孤独感だろう。

 魔王が僅かに、目を細めた。


「名はなんという」


 剣を握っていたクライドの腕が、硬直する。

 丸く朧気なのは、灯なのか影なのか。日の差し込まない部屋の中で、ランプの小さな灯りだけが揺れている。

 蝋が火にあぶられ、無理矢理に溶かされ落ちていく無音。

 やがて返されない言葉の先に、魔王の眉が寄った。全ての動きを止めていたクライドは、ようやく我に返った。


「な、名前を知ってどうする気だ、魔術にでも使うのか?」


 口早に吐き出したクライドは、自身のそれに気付かない。何やら慌てふためき挙動不審に揺れる青い目の様を、魔王が不可解そうに眺める。


「便宜上使うだけだ」

「……便宜上?」

「そうだ、知らないのか? 名が無いとややこしい」


 視線を横目に伏せた魔王は、口元に微笑を浮かべた。

 しかし動揺しているクライドはその笑みの柔らかさに意識を向ける余裕などない。遅れて入ってきた名が無いとややこしい、という言葉の意味がまず分からなかった。

 何故、“勇者”では駄目なのか。

 クライドは、分からない。そもそもこれまで、あまり名を名乗る機会が無かった。

 思えば駐屯兵にすら名乗っていない。

 皆が勝手に“勇者”と呼ぶものだから、それで良いのだと思っていた。


「……まさかお前も、孤児なのか?」


 訝しげに問いかけてくる魔王の指す〝お前〟のもう一人が誰なのかは分からない。

 なんら意味もなく問われて名乗る、という新鮮すぎる事態に、クライドは軽い眩暈さえ覚える。


「……一応、孤児ではない」

「なら何だ」


 名などなくとも生きていけるような気がしていた。

 クライドは、背に汗すら掻いていた。どうにもしっくり来ない。確実に、何か裏があるような気がする。

 けれど魔王に嘘をついている様子は無い。そもそも魔物は“嘘”なんてものを必要としない。

 段々と苛立ち始めている様子の魔王からの催促の視線に、クライドの碧眼が忙しなく瞬く。

 孤児ではない。けれど呼ばれず問われず、誰の記憶にも残らない名前。

 それを目の前の魔物は、何故特に意味もなく世間話のように問いかけてくるのかと。

 乱雑になり始めた嗜好回路に、クライドが深呼吸すれば深い森の匂いがする。正体不明の魔の王を前に、背中を伝う冷や汗と息苦しさが拮抗する。


「俺の名は……クライド・レイ・アーヴァイン……」


 慎重に紡いだ己の名はどこか、クライド自身の舌に馴染まないものだった。


「……です?」

「何故首を傾げる」

「俺はクライド・レイ・アーヴァインだ」


 カルバス王に謁見した際、上げた名乗りとは勝手が違った。

 魔物なんぞに対し、仰々しい名乗りなど不要。敬語は更に不要。ぶっきらぼうに吐き捨てるくらいが、恐らく丁度良いと思われた。

 けれど、だからと言って気さくな名乗りかたなど全く知らなかったクライドは、今更ながらに自分の人生の偏りっぷりに絶望感にも似た感覚を覚える。


「俺の名はクライド・レイ・アーヴァイン! 覚悟しろ魔王!」

「……。」


 結局、非常に無難な言葉を選んだつもりのクライドだったのだが。

 それを見た魔王の眉尻は見事に下がった。隙間を生んだ唇からも、返される言葉は出てこない。崩れた表情の中、金目だけが不審者を見るようにひどく冷めていることが分かる。


「……勇者、お前を呼んだのは他でもない」


 クライドは肩を落とした。


「姫の件だ」


 どこか既視感を覚える台詞に。

 疲れきった瞳をクライドが瞬かせれば、魔王は腰かけたベッドの中に顔を向ける。ゆっくりと内に伸ばされる手からして、どうやら誰か寝ているらしかった。


「とりあえず此方へ来い……但し。あまり近づくな」


 勇者はよりにもよって魔王から、完全に不審者扱いを受けていた。

 あんまりな扱いである。さすが魔王、これも精神攻撃の一種なのかと。

 相手の巧妙な策に気付き警戒を握りなおしたクライドは、徐々にベッドの方へとその足を進めることにした。

 今は、下手に動かない方がいい。

 剣を構えたまま、魔王から意識は逸らさず。そっと注意深く覗き込んでみたベッドの中では、成人しているかいないか微妙な年頃の表情が眠っている。クライドの視線の先で、魔王の鋭い指先が、彼女の栗色の髪を柔らかく梳いていた。


「……。」

「……。」


 クライドは、その様子をしばしじっと眺める。


「…………!!! まさかこの、彼女は、姫か!?」

「……人の話を聞いていたか?」


 魔王からは冷たい視線しか返ってこない。彼の中での勇者は不審者に加え人の話を聞かない馬鹿となったのかもしれない。

 けれど、クライドはそれどころではなかった。

 ベッドの中には一層濃い深い森の匂いが、渦巻くように充満している。


「まさか貴様カルバスの皇女に手を出したのかっ!」

「手出しされているのは此方の方だ!」

「……そ、そうか」


 人を殺しかねん剣幕で告げられ、クライドはきまり悪さを感じた。返す言葉に悩み視線をうろつかせていると、魔王の瞳が大きく見開かれる。


「勇者……」

「な、なんだ」

「貴様その……肩から出ているのは何だ」


 言われてクライドが目をやった先、己の肩には未だ矢が突き刺さったままだった。

 それは、適切な処置が出来るまで放っておくと決め込んでいた物。


「これは矢だ」

「……何故矢など指してうろついている?」


 異様なものを見るような魔王の瞳に、クライドは呆れた。

 魔物が人に対し無知だとは知っていたが、それにしても度が過ぎている。


「抜けば血が出るからな……なんだ、装飾品だとでも思っていたのか?」

「麻袋から出ていると思っていた」

「は? ……あ、ああ。そうか」


 目を丸くして矢を凝視する魔王は、本気で言っているらしかった。クライドはどうにも調子を崩される。

 何故この魔物の王は、構えられている剣よりも、矢なんぞの方を気にしているのか。

 顎に手を当て、ぱちりぱちりと瞬きをしながら首を捻っている魔王は、不審かつ、不気味だった。

 けれど、それ以上にどうにも毒気が抜かれ、クライドは軽く切っ先を下ろす。


「あー……それでなんだ、姫をどうした?」


 流石に、まだ剣自体を収める気にはなれなかったが。

 クライドはとりあえず自分の目的でもある姫についての話を、この変な魔の王から聞いてみることにした。

 今のところ、相手から殺気は微塵も感じない。

 そしてベッドの中、僅かに上下する胸からして、どうやら姫はただ眠っているだけらしいという事が分かる。気になると言えば肌の白さと目元の隈が、ランプの灯の陰りのもとでさえ分かる程のものだという事。

 彼女の額の髪を丁寧に梳く魔王の手に、クライドの片眉が上がる。


「姫は……断食に倒れた」

「は?」


 しかし魔王の口から零れたそれに、クライドの口から出たのは純粋な疑問だった。


「……拷問の一環か何かか?」

「拷問だと?」

「誤魔化す気か? 下手な言い訳はやめろ。一国の姫が、自主的に断食などする筈がないだろう」


 吐き捨てたクライドは、眠り続ける姫に一歩近寄った。枕元の声に目も覚まさず、眠り続ける姫。

 恐らく相当の疲労を溜め込んでいるのだろう。その疲れきった表情にクライドは指先を伸ばすが、しかしそれをすぐさま魔王の手が掴み、引き留める。


「ああそうだな。しかし断食したのだ」

「何を――」

「断食したのだ。食べるのを忘れていたのだ。倒れるまでそれに気がつかなかった愚か者なのだ」

「無理がある。無理がありすぎるだろう、そんな馬鹿が何処にいる?」


 腕一本でもみ合えば魔王の眉根が、これまでになく寄る。


「此処にいるだろう……っ!」


 溢れんばかりの悲壮感を滲ませた、魔王の声。

 クライドは少々気持ちが悪いと思った。


「……俺の目の前には、確かに居るな」


 しかし、やはり魔王の言い訳にはかなり無理があると。

 どうにも不気味な魔の王の腕を振り払うべく切っ先を改めて向けなおせば、吊り上った金目に宿った研ぎ澄まされた殺気は、クライドの肌をじゅうぶんに泡立てるもので。

 瞬時に。

 振るおうとした腕は魔王に掴まれた。クライドが短く舌打ちをすれば遠く、吹くようなため息が耳をつく。

 利き腕を押さえていた魔王の腕が瞬く間に離れ、姫の枕元へと伸ばされる。吐き出しかけた息を、無理やり飲み込むような音がした。


「っ、……体は大丈夫か」


 流石に、周囲が騒がしすぎたからか。

 目覚めた姫にいち早く気付いた魔王を、眠気眼がぼんやりと見つめている。

 目蓋を数回重たく動かした姫は、口元に手を当て欠伸を漏らした。


「……あなた、何をしてらっしゃるの」

「気分はどうだ?」

「先程より幾分か楽よ……それより」


 寝起きだからか、姫の言葉は酷く淡々と紡がれる。

 魔王を数秒眺めていた彼女から視線をやがて向けられ、クライドは僅かにたじろいだ。


「……銀?」

「そうだ、食事を作らせるために呼んだ」


 初耳だった。

 二人の会話を呆然と眺めていたクライドは目を剥いた。

 それを当然としているらしい魔王は未だ姫に何やらを語りかけているが、其方など見てもいない栗色の瞳は依然、勇者を眺め続けている。


「食事を……作る? ……この、勇者が?」

「そうだ」

「……よろしければ早速、作らせて頂きます」


 引き受けてもいないのに確定した事実のよう話される事は、気にくわなかったが。

 検分するような姫の視線にじっと見つめられ、結局クライドは頷いた。非常にやつれている姫を、このまま放置出来るはずもない。

 しかも此処は魔の根城。今はひとまず、穏便に事を進めるのが先決に思えると。

 己に言い聞かせたクライドは、けれど酷く釈然としなかった。

 “銀の者は魔を払うが務め。”――いつだったか自分自身が発した言葉が、勇者の耳の底、妙な寂寥感を持って響く。

  何かが、酷く間違っているような気がした。








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