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わたくしと魔王の  作者:
第三章
13/36

勇者とストーカーの招待








 小鳥の囀りは無い。それでも澄んだ青空を薄い雲が彩る、心地よい朝。


「おはようございます!」

「お、おはようございます」


 丘陵を登ったクライドは、爽やかな挨拶を常駐兵に投げた。

 開けた視界を思い切り遠くまで眺めれば、きらめく陽光が清々しい眩しく、胸いっぱいの深呼吸を行いたくなる。

 けれど此処は魔王城の前。そんな事をすれば、濃い魔物の匂いに咽てしまうと。

 深呼吸を我慢したクライドは今、顔の下半分に布を巻いていた。それは昨日頭に巻いていたものだが、今日は特に銀髪を隠す必要が無い為、本日魔物臭対策として活用されている。


「ゆ、勇者様……その恰好は?」


 声に振り返った勇者は、覆面に加え旅用の黒マントに身を包み麻袋を背負っていた。そのシルエットからして剣はあっても、鎧を纏っていない事が兵士には分かったのだろう。

 昨日親子を送る途中魔物に遭遇したクライドが、野営のあと宿に帰らずこの場に来ていることなど、兵士にとっては知る由もない話だ。言う必要もない。


「昨晩色々とありまして」


 短く纏めたクライドは、覆面を引き下げ、にっこりと微笑んだ。今朝の彼の機嫌は、非常に良かった。

 そう、あの後。立て続けに五匹ほどの魔物に襲われたり、寝ている間に魔物に襲われたりで、野営は散々なものだったのだが。

 今朝、良い事があったのである。ひとつは、先日露店で購入した食料が非常に美味であったこと。

 そしてもうひとつは、今日はまだ、一度も耳元で声が聞こえていないこと。


 おかげで素晴らしい朝だった。

 気が変わったのか何なのか知らないが、この国を出るまでずっと付きまとわれ続ける事を覚悟していたクライドにとって、朝っぱらから謎の声に起こされなかった事はとても素敵だったのである。

 なので本日の勇者は、目の前の兵士からの探るような視線すらも気にならない程に、機嫌が非常によろしかったのだが。

 目の前の相手はそうでもなかったらしく。


「本日はまた偵察ですか?」


 兵士の問いかけはどこか堅かった。

 茶色い前髪の下の瞳に、緊張より僅かな非難の色を感じ、クライドは相手と共に城の正面まで足を進める。


「早く攻城して欲しいですか?」

「いえ……しかしとりあえず宣戦布告だけでもと」

「それは民の為ですか。それとも王の為ですか」

「……。」

「冗談です」


 にっこりと微笑めば、兵士の視線が反らされる。気分と共に口まで軽くなったかもしれないなと、クライドは少しばかり自重を意識する。

 丘の末端まで来ると、崖下から吹き上げる風にマントが翻る。峡谷を挟んだ正面にはやはり精巧なだまし絵のような城があり、相も変わらず濃い魔の匂いをその身に内包させているようだった。

 四世代前のカルバス王とやらは、本当に一体何を思ってこれを建築したのか。古城を眺めていたクライドは、その碧眼を細める。


「では、早速落とそうと思うのですが」


 あっさりと落とした勇者に一拍遅れ、弾かれたように兵士が顔を上げた。


「いえしかし、まだ宣戦布告を」

「陣を敷いている時点で済んでいるのでは?」


 どうにも些末な事を言う兵に告げたクライドは、じっと古城を見据えていた。

 暗い灰色の岩肌に、白い城壁が良く映えている。何処か違和感を覚えていた。


「……火矢を飛ばしましたか?」

「は?」


 年月に濁った、白い城壁。以前ここを訪れた時には目につかなかったその色。この古城は確かその全身に蔦を這わせていた筈だと、クライドは昨日の記憶に首を捻る。


「あ、ああ。蔦ですか?」

「はい。焼いたのですか?」

「いえ。今朝早朝、城内へと身を潜めました」


 言葉に、クライドは眉を寄せた。

 どうやらこの古城、主が魔物であれば、その城壁の蔦までも魔物だったらしい。


「えー……つまりその……今、あの城には門番がいないと?」

「そうですね。しかし僅かに残ってはいます」


 当然のように城壁を指さす兵に、クライドは軽く横目を流した。

 古城の門番が、“蔦”だなどと。型破りな常識を普通とされ、何と返せばいいのか。

 改めて意識を集中させてみれば確かに、城壁の隅のほうに僅かに残っている蔦からは、深い森の匂いがする気がしなくもない。


「呼びかけに答えますかね、あの蔦」

「はっはっは。植物が言葉を話すわけがないでしょう」


 恐らく冗談を言ったと思われたのだろう。のん気に兵士が笑うものなので、クライドも同様に笑っておいた。

 苛立つ兵士である。無意識の主観主義は誰もが多少なりと持つものだが、この兵は客観性に欠け過ぎているように思える。


「……夜、空を照らしているのはなんだと思いますか?」


 一つ大きく深呼吸し。

 気持ちを落ち着かせたクライドは、麻袋の紐に指を通し、表情を引き締めた。とりあえず話を本筋に戻さなければならない。

 けれどそれを分かっているのかいないのか。傍らの兵は、眉を寄せ茶色頭を掻いている。


「月と……星ですね」

「月を城と、星を魔物として考えて見てください」

「はい」


 クライドは昨晩、夜空を見上げながら気付いた事があった。

 勇者を前にしても、魔物は決して逃げようとしない。退魔と知った途端、かえって喜び襲い掛かってくるものすらいる。

 すなわち、彼らは力を絶対視し、己のそれに誇りと自信を持っているのだ。そんな彼らは勇者が来たからと言って、籠城に徹する事などしないだろう。


「……。」

「……。」

「え、分かりませんか」


 そもそも、城を落とすと考えるから詰まる。

 という事を伝えたかったクライドに、しかし頷いた兵は首を傾げ何も返さない。


「……魔は己の力を過信しているのです。人のように籠城する事は逃げる事と……負けを認める事と同じ。己の力を振るわず負けを認めるなど、その自尊心が許さない」

「実際、彼らは籠城しているように思えますが」

「門番を討っていませんからね。一匹でも城のものが敗れれば、自ずと開戦するでしょう」

「というより、それと星と月になんの関係が?」


 そこは察して欲しかったクライドだが、理解が出来ないならと補足の言葉を吐き出す。


「……我々は月という名の城の大きな光、存在に意識を奪われていた。本質は星……魔だという事を忘れていたのです」

「勇者様は詩人ですね」

「……。」


 人が必死に考えた策について言いたいことはそれだけか。

 と言いたくなるクライドだが、たかが常駐兵である彼にその苦悩は伝わらないだろう。

 何にしても作戦は完璧である。

 門番が討たれたとなれば十中八九次のものが現れる。更にそれを討てばまた次のものが現れる。それを繰り返すうち、城の中には姫だけが残る。

 昨晩立て続けに安眠を妨害してくれた魔物たちからしてもそれは明らかで、クライドは己のそれに改めて深く頷いた。

 人を盾にせねば勝てぬのか、とでも言っておけば姫に手出しされる事もない。力に対する過剰な自尊心を逆手に取ればいいのだ。


 単純ながらに素晴らしい策を自画自賛交じりに確認したクライドは、徹夜で考え出されたひらめきの秀逸さを微塵も理解していないらしい兵士に、やわらかく笑顔を向ける。


「とりあえず油壺でも投げ、火矢を飛ばしましょう」


 頭でっかちな兵には、ただ令を出すだけに限ると。

 蔦を指した勇者の指先に、兵士は速やかに他の常駐兵の元へと向かった。行動が迅速なのはいい事である。

 しかし、その時異変は起きた。


「冗談じゃないぃ」


 風に乗って声が降ったかと思えば、ざわりと城の影が蠢く。

 蔦だった。

 急速に広がり始めたそれが、城壁を塗りつぶすよう覆い隠していく。茂り始める葉が躍動する蔦と共に、乾いた重い音を木霊させる。

 大蛇のように身を這わせ、息を呑む間に城を包み込んだ蔦にクライドの背後、兵が後ずさる砂利を噛むような音がした。


「お肌が荒れたらどうするぅ」


 ほら見ろ。植物だろうと話すではないか。

 反射的に心中で兵士に投げたクライドは、折り重なり膨らんでいく魔物を目に、素早く剣を引き抜いていた。

 目の前に広がった、巨大な魔物。

 古城ひとつを難なく包み込み、まだ尚伸びる蔓を宙で揺らしているそれは、何処からどう見ても間違いなく魔物――なのだが。

 退魔の力を発揮する時を前にして、実質クライドの頭の中は空っぽになってしまっていた。

 大きく木霊している声が、非常に印象的なものだったからだ。


「ふふふふふ――」


 木々のざわめきにも似た声。

 緩やかな風に、背の低い草が身をすり合わせるようなそれが、木霊している。


「今日もだんまりか、“勇者様”ぁ?」


 蔦だった。

 クライドは卒倒するかと思った。否、“勇者”としてこの場に立っていなければ、恐らく卒倒していただろう。


「……今日こそは決着をつけてやる!」

「そうかそうかぁ、ついに! ふふふふふ……」


 言葉に蔦が震え、葉のさざめきが広がる。まるで城が笑っているようだ。クライドは冷や汗をかいた。

 何故、こんな所にいるんだ。何故、お前、嘘だろ、と。

 湧き出てくる言葉を飲み込み、クライドは剣を握りなおす。「今日“も”」だなどと馬鹿なことを口走ってくれるストーカーの言葉を、誤魔化せたかも非常に気がかりだった。

 非常によろしくない現状である。是非とも嘘だと言ってほしい。

 まさか魔王の配下だとは思わなかった。相手が魔物である可能性を考えなかったわけではないが、今、此処で、このような形で対面する予定はクライドの中には微塵も無かった。

 勇者はその奥歯を噛む。毎度のように魔物が馬鹿なことを口走り始める前に、とりあえず周囲の兵士には即座、後退するよう指示を飛ばすべきか。

 しかし巨大な相手から目を離さぬよう思案するクライドのすぐ隣、細い何かが風を切った。


「ま、魔物め……っ!」


 こういう者はどこにでもいる。

 兵が放ったそれはあまりにも貧弱な矢。速やかな行動には感心するが、恐怖に冷静さを失っているとしか思えない。


「愚かな兵を持つと不憫だなぁ」


 結果矢はすぐさま伸びてきた蔓に巻き取られる事となった。だがクライドは直ぐ真横を通り過ぎて行った矢の切っ先に、並みならぬ動悸を感じていた。

 前に人がいるというのに、何故勝手に矢などを射てくれているのか。

 前門の虎、校門の狼。何処かで聞いたような言葉が浮かぶ。いつ次の矢が放たれ何処を軌道とするか分からない以上、クライドはその場から動くことも出来ない。


「ふん……人の心配をしている場合か?」

「そう肩を落とすなぁ」


 全てわかっているかのように言う蔦にクライドは情けなくなった。そもそも今までに団体戦などしたことが無い。こんなことになるとは、というのが正直な気持ちだった。

 強がりを一蹴される間にまた背後から飛んできた矢にもう、好きにしてくれとさえ思う。


「馬鹿な子ほど可愛いなぁ」

「……。」


 次々に飛び始めた矢は空を滑るよう、放射線を描いていく。蔦は新しく蔓を伸ばし、全てを難なく巻き取っていく。


「可愛すぎるとぉ……」


 叩き落とされない矢は、どうにも雲行きの悪さを感じさせた。


「……食べてしまいたくなるぅ」


 山鳴りのような声にクライドは我に返った。矢を絡み取った蔓が大きくしなる様子が遠目にも分かる。

 軌道予測を許された間は、一瞬。

 無数に風を切る音と共に鏃が陽光を反射した。何故かカルバスの風習が頭を過った。


「……っ!」


 一人の死は一家の死。

 クライドの足が地を蹴った。いくつもの矢が雨のように降り注ぎ、肩を鋭い衝撃が打つ。

 しかし止まる事のない剣は最大限にそれを叩き落とした。瞬時に確認した背後、幸い兵には直撃していない。

 ほっと息をつくと同時。振り返ったクライドの碧眼に映ったのは、針のような切っ先。


「勇者様!」


 そもそもお前たちのせいだろう。

 心中で毒づきながらクライドが振るった剣は間に合わない。此処で倒れるわけにはいかなかった。

 兵がどれだけ愚かしく足手まといでも、一人でも死なせるわけには行かない。


「……違いますぅ……」


 けれど矢は停止した。

 目と鼻の先に滞空する鏃が鈍く輝いている。それを巻き取ったのは、蔓だった。


「……ほんの遊び心でぇ……返しただけ……」


 一拍遅れて剣が矢を折れば、素っ気なく蔓は巻戻っていく。山に木霊する魔物の声が、途切れ途切れのものになっていた。


「分かってますぅ……銀が自らぁ、当たりに……自虐趣味でもぉ……」


 誰かと会話しているような魔物のそれは、恐らく主である魔王に向けられたもの。クライドが飛んだ思考をかき集めれば、一気に冷や汗が噴出する。

 人間とは死ぬ瞬間、走馬灯のように過去が頭の中を回るというが、自分に過ったのがカルバスの風習とは滑稽な話だった。

 “身内を大切に”だなどというそれは、死者一人を家族全員が追うというものでもある。

 クライドは重く息をついた。どうせ回すなら、もっと楽しいことを回してくれと思う。だがその重すぎる責任感があってこそ、兵の負傷者はいなかったのかもしれない。

 今更に脈動する痛みを肩に感じる。内心愚痴りながらも、クライドは魔物から目を離さない。


「……待たせたなぁ。怪我は無いかぁ?」

「……。」


 そうこうしているうち蔦は、主との会話を終わらせたらしかった。戻された呼びかけにクライドが目を細めれば、城を覆っていた蔦が大きく蠢く。

 一部を開けるよう、身を寄せていくそれ。大量の虫が蠢いているかの様である。


「入ってこいぃ」


 蔦の開けた先には城門があった。

 恐らく何年も使われていなかったのだろう、跳ね橋が鈍く錆びついた耳障りな音を立て始める。強大な岩の塊が、それを支える鎖を酷く軋ませながら降りてくる。

 砂塵や土埃が舞う中、兵士たちは揃ってその口を閉じる事を忘れていた。跳ね橋という圧倒的存在感の下降は声を奪うのに相当したが、当然それだけではない。

 魔の根城と化した洞窟城、唯一の通路が開かれたのだ。


「そもそもぉ、魔王様はお会いしたがっていたぁ」


 跳ね橋が完全に降りるまでには、しばし時間が掛かる。

 蔦の声を思案するクライドの背後、複数の兵が駆け寄ってきた。


「勇者様、今すぐ援軍を呼び一気に城を落としましょう!」

「……そうしている間にまた、跳ね橋が上がってしまうのでは?」

「だからと言って単騎特攻されるのですか!?」

「必ず何か罠があります! 魔物の口車に乗ってはなりません!」


 兵士達の口から次々に溢れる言葉の濁流。

 大きすぎる城の動きに彼らは極度の興奮状態に陥っていた。いつの間に身に着けたのか、鈍色のヘルムに覆われた頭に囲まれれば、誰が何を言ったかも分からない。

 それらを受け止めきれずクライドが狼狽すればまた、大きく蔦が身を蠢かせる。


「……愚弄する気かぁ」


 周囲に木霊するような声に重たい怒気を感じる。甲冑を鳴らしながら速やかに後退していく兵達は、先程から墓穴を掘り続けているようにしか思えない。

 クライドは一つ、ため息を落とした。


「恐らく罠は無いでしょう。彼らは力に対して誇り高い……騙し打ちの様な事は好まないはずです」

「そうだそうだぁ、もっと言ってやれ勇者様ぁ!」


 兵士達へと言い聞かせたクライドの言葉に、魔物の機嫌は回復したようだ。

 それに安堵するも頭が痛くなるクライドは、ふとその時背後に気配を感じ、くるりと城の方を振り仰ぐ。

 兵達が息を呑む音がした。蔦が、その身から新しい蔓を大量に伸ばしている。クライドも非常に嫌な予感がする。

 一同が何事かと見守る前、細い蔓は宙で幾重にも絡まり立派な綱となり、上下と編むよう重なりあっていく。


「乗ると良いぃ。運んでやろうぅ」


 やがて完成したのは、大きな円盤状の織物。

 目の前に降ろされた蔦の絨毯に、クライドは二の足を踏んだ。


「どうしたぁ?」


 動きを見せない勇者に魔物は、あざ笑うかのよう葉をさざめかせる。魔というものの本質を見れば、罠ではない事は分かっている。

 けれど、いざとなれば逡巡する勇者の足を、この魔物は笑っていた。


「勇者様、危ないです! いけません!」

「……大丈夫です。先刻もいったよう、魔物はだまし討ちを好みません」


 強い静止に顔だけで振り返ったクライドの言葉は、己に言い聞かせる為のものでもあった。

 一歩を踏み出した足先に反応し、絨毯が地に降ろされる。下からの風にマントの裾が揺れた。


「それに城に攻め込む好機でもあります。危ないのは十も承知ですが、機会を逃すのは勿体ないかと」

「そんな裸同然の格好で……!」


 恐らく鎧を纏っていないことについての言葉なのだろうが、クライドは軽く吹きだしそうになった。

 人を変態のように言わないでもらいたい。覆面を鼻先まで引き上げ絨毯の上に身を置きながら、笑うくらいの余裕はあるのだと言うことに気が付く。


「身軽な方が良いこともありますから」


 簡単に返せば浮上する蔓に絨毯の裾が持ち上げられ、やがて兵たちの姿が視界から消えていく。


「勇者様は我々の言葉より、魔物を信用するのですか……?」


 刺さったままの矢が捲りあがる絨毯に押され、肉を抉ったのだろう。痛みを感じた肩に手をやるクライドだが、引けば鮮血を溢れさせるだけのそれはまだ抜くわけには行かない。

 まさに袋詰めでしかない状況にしゃがみこんだクライドは、背の麻袋を前に抱え、片手で矢を支え頭上を仰いだ。

 やはり深緑の匂いが濃い。触れてみた蔓の束は存外丈夫に出来ており、澄んだ青空に重く軋む音が響いている。

 遠ざかっていく兵たちの喧噪からして、用無しになった跳ね橋が上げられているのだろう。


「ふふふっ……二人きりぃ……ふふふふふふふ……」

「……気持ちが悪い」

「ふふ、冷たい男だぁ」


 袋状になった絨毯の中、上機嫌な魔物の声がくぐもって響く。どうやら今のところ、挑発に乗った馬鹿な鼠をいきなり脳天逆さ落としにする気は無いらしい。

 そもそもこの魔物は、一体何を考えているのか。

 クライドは麻袋に顔を埋め、これでもかというほどに重いため息を吐いた。


「面倒なことにならなければ良いが……」

「……面倒ぅ?」

「兵の事だ、兵の。お前も聞いてただろ?」


 目の前でくるりと丸められた蔓の端っこに、クライドは補足の言葉を落とす。


「我々より魔物の言葉を……とかいう。魔物と勇者が仲良しだ、なんて妙な噂が立つと困るだろう」

「困らないぃ」

「困るんだ」

「だから冷たいのかぁ」

「……それだけだと思うなよ」


 そもそもクライドは蔦の存在自体が好きではない。

 妙な噂、と反復した声は、ぼんやりと不可解に揺れていた。クライドの耳の奥で反響し、憂鬱を増させる言葉も、この魔物にとっては何の意味を持たないのだろう。


「良く分からないが面倒なのかぁ」

「そうだ。面倒なんだ……面倒、分かるか? “面倒なんだ”」

「面倒なら喰ってしまえば良いぃ」

「……馬鹿言うな」


 嫌味は伝わらなかったらしい。

 クライドは疲れてきた。布越しに溢れている深緑の香りに加え、ぐわんぐわんと揺れすぎている乗り物のせいか、軽い気分の悪さすら感じる。

 即座に到着しない事から、魔物なりの丁寧な運搬だとは分かるも、揺れるものは揺れるし面倒なものは面倒で。

 けれど上機嫌な魔物はやはり、そんな人の機微には気がついてくれない。


「人は弱く煩わしいがぁ、食い物にはなるぞぉ」

「人が人を食えるはずがないだろう」


 戦に巻き込まれた何処かの地では起こり得ているかもしれないが。


「何を言っているぅ?」


 想像したクライドが気分の悪さしか増さないそれをかき消せば、足元が堅い感触を踏みしめた。


「銀は人ではないぃ」

「お前こそ何を言い出すんだ」

「血の味が違うぅ。人より見ていて楽しいぃ」


 言葉通り楽しげな魔物の良く分からない理論に呆れるうち、袋状の端が降ろされクライドの視界が開けていく。現れた年月を刻んだ城門に麻袋を背負い直し振り返れば、峡谷の向こう側で兵たちが何やらを叫んでいる事が分かった。

 大きく手を振ることは何か違う気がしたクライドは、少しだけ手を上げて合図を返し、また城門に向き直る。その手が矢を握っていたため真っ赤だった事には遅れて気が付いた。


「弱いくせ面倒でぇ、喰えもしないぃ……銀にとって人などぉ、邪魔なだけだなぁ」

「そうでもない。お前よりはましだ」

「ふふふ……どうだかなぁ?」


 正直、弓矢の件ではかなり邪魔だと感じたが。

 まぁいいかとクライドが数歩足を進めれば背後で、蔓の絨毯がほどけていく微かな音がする。


「……何故銀は未だ人に飼われるぅ?」

「同じ人だからだ」


 同情するような魔物の声に、クライドは肩眉を上げた。


「銀は人ではないぃ。銀が魔物でないのと同じだぁ」


 人。魔物。その間に立つ勇者は、蔦の言葉に数秒首を捻った。改めて言われてみれば確かに、三者は別物なのかもしれない。

 けれど振り向いた先、もうそこに先程までの蔦の絨毯の名残は無く。声のなくなった空間をしばし眺めていたクライドは、やがて前方へと向き直り、ぽっかりと闇を空ける場内へと一歩を踏み出すことにした。










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