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わたくしと魔王の  作者:
第三章
12/36

わたくしと魔王の危機

 












 険しく切り立った灰色の崖に、ぽっかりと開いた巨大洞窟。それと身を一体にしている古城は、規格外の難攻さを有していた。

 まず正面にある、深い崖。見下ろせば細い急流がある。そこに渡される城からの跳ね橋がなければ、進攻者は城門に手を触れることすら叶わない。

 唯一足場のある崖の上部。大きく膨らんだ岩があり、矢も届かなければ当然、人が無傷のまま降りきる事など出来ない。

 最後の希望として残された城の裏手。横穴が蟻の巣のように広がっており、古城の裏にまで通じるそれを見つけたものは、これまで誰一人として居ない。


 ならばその鉄壁の城、どの様にして落とすか。

完全な隔離を逆手に取り、兵糧攻めに徹するのである。蔓延する飢餓にいつしか人々は、城を開かざるを得なくなる。

 しかし。

 一人の王がその生涯をかけ造り上げた城は、年月のうちに蔦を這わせ、魔によって完全なものへと精華していた。城内に潜む魔族が動けなくなる程の空腹を感じるまで、五年か十年か更なる先か。

 尚いえば食事を必要としない魔族も存在するため、人はただそれを監視するよう、古城の峡谷向かいに陣を敷くことしかできなかった。


 そんな洞窟城の一室、一つの身体が転がったのは夜明け間近の事だった。



「ノラっ!?」


 突如ベッドに倒れこんだ相手にシラヴィルは吃驚した。


「わたくしを差し置いて眠るつもり!?」


 仰向けになったまま目を隠すよう片腕を当てる魔王は、しかし何も返さない。

 あの後、防衛策は徹夜で講じられていた。城の構造から始まった淡々とした説明に耳を傾け、又は討論し、脱線し。漸く部下への指示まで辿り着きかけていた現在、疲れているのはシラヴィルも同じである。


「ずるいわよ、わたくしが眠りかけた時はまた火を付けようとしたくせに自分だけ眠るというの!? なんとか言いなさい! 起きなさいノラっ! 今からが良いところじゃないのっ!!」


 ランプを倒さないよう遠ざけ、相手に身を寄せたシラヴィルはその身体に手をかけ強く揺する。どうにも反応を返さないノラの頬を、爪が刺さらぬよう軽く摘まみ、捻ってやる。

 それでもまだ無言を貫く相手の頬を更に引っ張ってやれば、やっとことで開かれたノラの口から、もれたのは無視のような吐息だった。


「……気分が悪い」

「は?」

「……頭が割れる」

「割れないわよ」


 反射的に返したシラヴィルは、同時に動きを止める。

 覗き込んだノラの顔色は真っ青で、摘まんでいる頬も心なし冷たい。


「ノラ、体調が悪いの?」

「倦怠感はあったが……動こうにも力が入らん……気分が悪い」

「気持ち悪いの?」


 頬から手を放したシラヴィルは、相手の栗色の髪をかき分け、小さな額に手をやった。

 熱は無い。けれど振り絞るようノラが吐き出す声は力なく掠れており、仮病でない事くらいは流石に分かる。

 何処が良くないのかとシラヴィルは額に頬にと忙しなく手を当て、投げ出されている手を持ち上げてみたりする。目をやった先、ベッドサイドの水差しは空っぽのままで、されるがままになる魔王の身体はやけに軽かった。


「呪い、か……?」


 ノラのそれは、譫言のような呟きだった。

 シラヴィルは息を呑む。静かな部屋に、それはくっきりと響いた。

 馬鹿馬鹿しかった。呪いなどかけられる筈が無い。今のノラの身体は、厳重に庇護されてきた一国の王女の体だ。

 けれど一度はすげなく切り捨てた筈のそれが、今になってシラヴィルの肌を泡立てる。

 絶対では無い気がした。

 シラヴィルは反射的に力ない魔王の身体の下に腕を入れ、抱き寄せた。俯けば、至近距離で虚ろな瞳が揺れる。


「……お前」


 魔王が何事かを言うより先、彼女は行動を起こした。


「誰か来い!」


 部屋の入り口を振り仰ぎ、シラヴィルは高らかに発声する。


「お呼びですか魔王サマ」


 軽やかな羽音と共に闇がじわりと滲む。視線を向けた先には、頭を垂れた黒鳥の姿。


「お呼びかぁ」

「どうかされたか主殿」

「王。何か問題が」

「こ、これ以上はいらん。今いる者だけ残れ!」


 次々に部屋を満たしていく影にシラヴィルは慌てて静止をかける。際限なく湧き出しかねない。 

 降り立った四体の魔物には、見覚えあるものと無いものがいた。


「いきなり倒れた。原因は、呪いか? なんとか出来るものはいるか」


 部屋中に向けたシラヴィルの問いかけに、床一面を這う小指ほどの太さの蔦が蠢動する。それを目で伝い上がれば部屋の隅、巨大な花の様なものが見えた。


「昨晩無理をさせたのではぁ?」


 木々のざわめきに似た声。否、花弁が掠れあう音なのか。

 平らに広がった淡い緑の花びらの上、円状に広がった糸状の紫の花びらの中心。鮮やかな真紅の指が三本、花芯の先でのんびりと揺れ動いている。


「無理? させられえたのは此方の方だ」


 間延びした声は恐らく、この花が発したのだろうと。

 そちらに顔を向けたシラヴィルが返せば、周囲の影がざわつく。


「頭痛がするうえ体がだるく、痛むらしい。あと……」


 それらの挙動を無視し、シラヴィルは聞いている限りの病状を晒した。


「何にしても体が重いの……無理に起こそうとすると目が回るわ……」


 目を閉じたまま先を引き継いだ魔王の顔色は悪くなる一方だった。

 それでも演技を忘れない精神に感服しシラヴィルが見下ろせば、閉じられた瞳を覗き込むようカラスがノラの胸上に舞い降りる。


「……吐き気ハ?」

「あるわ……」

「どうにか出来るか? 何の呪いだ?」


 この黒鳥が中々の博識であることを、シラヴィルは此処最近の生活で知っていた。

 真剣な様子で体調を伺っていたカラスはその首を傾け、戸惑うように嘴を開閉させる。


「呪いならバ、容易に解クことが出来ますガ。これハ……」


 俯いた嘴。視線を下げたままのカラスの、得も言えぬ態度。落ちた沈黙の中で暗闇だけが蠢く。

 先の言葉を思うシラヴィルは、腕の中にある身体を抱きしめる。ノラが掠れたうめき声を上げる。

 妙に苦しかった。喉元まで心臓が這い上がってきたかのような感覚に陥る。小さく頼りない体は自分のものであり、けれどそれだけでは無かった。


「まさか、死――」

「断食症状であろう」


 いつの間にやら。

 腕を這い上がってきていた乳白色の爬虫類が告げた言葉に、シラヴィルの目が瞬く。


「王。以前餌を与えたのは、いつ頃か」


 目を丸くしたままシラヴィルが向けた顔の先、大量の白い蝙蝠が部屋を旋回している。先程までいなかった筈のそれらは羽音なく地に舞い降り、ネズミへと姿を変え、ベッドに向かい集結するうち一匹の獣と化していく。

 どれだけ姿を変えても魔物の色だけは変わらない。膝に飛び乗ってきた白い兎に目をやっていたシラヴィルはやがて、腕の中の魔王を呆然としたままに見下ろした。


「……お前まさか、食事をとっていなかったのか?」

「……しょくじ」


 問いかけに対し、魔王が発音したそれは余りにもたどたどしい。まるで食事という概念を忘れていたかのような鸚鵡返しに、シラヴィルの表情が固まった。

 信じられない。本当に何一つ口にしていないのか、一体何を考えているのか。

 口から溢れかけた言葉をシラヴィルは強く自制する。今は四体の魔物の前、〝魔王〟で居なければならない。


「お忘れでしたかぁ? ……と言うよりもぉ」


 気持ちを落ち着かせようと注意深く深呼吸するシラヴィルの視界の端、部屋の隅の巨大花が緩慢にベッドへと向かってくる。やがて手元に巻き付いてきた蔓の感触と、同時。


「知らなかったのですねぇ。魔王様は食事をされませんからぁ」


 のんびりとした言葉に走った衝撃はシラヴィルがこの城で、何度も経験していたものだった。

 確かに、魔王の“身体”は空腹を感じていない。数日間何も口にしていないのはシラヴィルも同じだというのに、彼女は空腹どころか口渇すら感じていなかった。

 今、気がついた。

 その遅さにシラヴィルは奥歯を噛む。一度疑問が氷解してしまえば、それは非常に単純な話だったのだ。

 怪我が治らない。視界がおかしい。長時間立っていると、足が重くなる――。

 腕の中で浅い呼吸を繰り返す魔の王は、いつだって人の身体に首を傾げていた。魔物と人の体は、違うのだ。

 それを教えてやるのは、自分の役目だった筈なのに、と。

 思う反面シラヴィルとしては、呪いだの何だのと大げさに心配して損した気分でもある。妙に気恥ずかしい。こんな事で心配させないで欲しいものである。


「……誰でもいい。今すぐ食事を用意しろ」

「ですガ魔王サマ……この城に人の食べ物があるカ」


 けれど重く落とされた指示に、小さくカラスが首を振った。

 それにシラヴィルの眉が寄るより先、宙を滑るよう這い上がったのは乳白色のヤモリ。


「主殿、任されよ! 洞窟にたいそう美味な一角を見つけたばかりじゃ!」

「ほう。それは?」


 シラヴィルは僅かに目を見開いた。眼前で得意げに揺らされる火に、瞼の奥の金の目を輝かせる。


「聞いて驚かれるな……なんとも見事な碧岩石」

「殺す気か?」


 一蹴に縮こまったヤモリの火。すかさず白兎が、シラヴィルの膝を押す。


「王。やはり弱った身体には、肉。指示有れば即座」

「何を言うぅ」


 まともと思えた兎の言葉を否定した蔓は、花芯の三本指を左右に振っていた。


「カルバス民から吸える栄養なぞぉ、高がしれますぅ」


 有り得ない単語に一瞬思考が止まる。その間に蔓は手元を伝いあがり、シラヴィルが抱くノラの頭をぺちりぺちりと叩き始める。


「お姫様ぁ、甘えていないで自分で根を張ってはどうだぁ?」

「……人に根は無い」


 何処か楽しんでいるような蔓はまさか、姫の中身が自分の主だなどと欠片も思っていないのだろう。

 シラヴィルは重く息を落とした。

 魔物たちは我先にと解決案を口にしてくれるが、どれもがまるで使い物にならない。ろくな食べ物が上がらないところを見ると、食べ物が見つかったところで、もしや調理する者がいないのではないかと薄ら寒くなる。

 有り得そうだった。

 かなり、有り得そうな話だった。岩だの根だの何だのと言っている者達が、果たして料理が出来るだろうか。

 なんだか嫌なことに気がついてしまった彼女自身、当然、料理の心得などまるで無い。

 問題は、深刻である。


「……カラスって食べられるかしら?」


 挙句の果て、うっすらと目を開いた魔王の問いかけにシラヴィルは今度こそ絶望した。


「何ヲ言い出ス!」

「はてさて、これはなかなか酔狂な小娘じゃ」

「そうなのかぁ、美味しいのかぁ」


 黒羽を大きく広げたカラスの背へと、火を遊ばせながらヤモリがしがみ付く。

 黒鳥を巻き取ろうと一本伸ばされ始める蔓を、押しのけるよう兎は身体を膨らます。


「王。食事の許可を」

「触れるナ! このっ、雑食どもメ!」

「焼き加減はいか程にするかの?」


 まずは羽根を毟るだの、それよりも皮ごと剥ぐだのと。

 威嚇し飛び回るカラスをおもちゃに、戯れ始めた三匹の魔物は一体、どこまで本気なのか。問題は解決しきれていないのに、彼らは何をやっているのか。

 シラヴィルの中で苛立ちが膨らみ始めた。状況に対し、魔物らからはまるで真剣さが感じられない。好き勝手言う同族から逃れるべく、慌ただしく部屋中を飛び回るカラスすら、彼女の目にはどうにも遊んでいるようにしか見えない。

 彼らは事の重大さを理解していないのだろう。冷静に、冷静にと。深呼吸しても、震えだす肩は次第に抑えが効かなくなっていく。


「それどころじゃない!」


 沸いた部屋の空気が、水を打ったように静まり返る。

 己の代弁をするかのよう響いた声に、シラヴィルは口元へと手をやった。視線を落とした先、魔王もその眉を寄せている。彼女でもない、彼でもないその言葉は当然、四体の魔物のものでもない。

 ならば何処からなのかと彷徨わせた視線の先、全ての魔の意識が部屋の扉へと向けられている事が分かった。


「それどころじゃない! それどころじゃない! それどころじゃない!」


 言葉と共に扉の向こう、一定の拍を取りながら何かが地面を打っている。

 時折混じるけたたましい笑い声は、シラヴィルにも聞き覚えがあるものだった。


「騒々しいゾ、犬。何の用ダ」

「姦しいのは好かぬ」


 先程までの行いを棚に上げ、ヤモリとカラスが冷たく言い放つ。

 堅く強張ったシラヴィルの腕の中、抱かれている魔王がうめき声を上げた。


「王。始末の許可を」

「不便ですねぇ……そういえば犬というのはどれもぉ、首を捻るだけでは黙らないんですかぁ?」


 いつの間にか白狼と化していた魔物の首へと、物騒な事を言う巨大花がのんびり蔓を伸ばす。狼対植物という、世にも奇妙な喧嘩が始まる。

 しかし、勝手気ままな魔物たちの態度など、シラヴィルの頭には入ってこない。

 彼女は大の犬嫌いだった。幼少のころ手を噛まれた上に追いかけられた記憶がある。

 更にこの城へと連れ去られた初日、階段から落ちる直前に見た、潰れた肉塊のようなその姿。

 目を剥き、涎をたらし、耳を振り乱す悪夢のような犬が、今にでも部屋の中に入ってくるのではないかと。

 堪えるよう魔王を抱く腕に力を籠め、シラヴィルが引き攣った顔を伏せた瞬間。


「銀が来る! 銀が来る! 銀が来る!」


 また騒ぎ始めていた魔物たちの動きが止まる。

 シラヴィルは顔を上げ、扉を凝視した。

 部屋の者の見目を奪う中、用は済んだと言わんばかりに犬の跳ねる音が遠ざかる。

 石造りの細い廊下を甲高い笑い声が、名残を引くように反響していた。







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