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わたくしと魔王の  作者:
第二章
11/36

わたくしと魔王の作戦会議







 シラヴィルは夢を見ている。そのお城の壁は、積み重ねられた棒状のビスケットで出来ていた。

 色とりどりの飴で出来た滑らかなガラスを縁取るのは、焦がしキャラメルで固められたアーモンド菓子の飾り。真っ白な生地に程よい焦げ目のついた白パンの屋根には、とろりとかけられた黄金色の蜜。庭園の砂糖菓子の噴水からは当然、シルクのようにつややかなチョコレートが際限なく湧き出てくる。


 これこそが、求めていた最高の城だ。シラヴィルは胸の前で手を合わせ歓喜の声を上げた。一点の不可もなし。これこそが城という建築物の完成形である。

 シラヴィルは軽やかなステップを踏むように、洗練された城へと駆け寄った。飴細工の蝶がひらひらと舞う。シフォンのドレスが翻る。撫でるように触れたビスケットの城壁は、ほのかに暖かかった。

 恐らく焼きたてなのだろう。満足気な笑みを浮かべた彼女はしかし、次に首を傾げた。

 暖かいビスケットが、熱い。焼きたてとなれば熱いのは当然だが、それは次第に触れている事すら敵わない温度を持ちはじめた。

 慌てて距離を取れば、履いていた靴のヒールが折れる。

 たたらを踏んでいるうち急速に温度は上がり続け、ついにシラヴィルの口が悲鳴を上げる。


「あ、熱いわっ!」


 強く目を瞑り、開けた先。煌々と炎が燃えている。

 反射的に遠ざかろうとした体が宙を掻き、落ちた尻に鈍い衝撃が走った。


「先程、付近の魔が一つ消えた」


 尻へと手を当てていたシラヴィルは、声に引かれ顔を上げる。そこは、慣れ始めた古城の一室だった。階段から落ちた日の翌日、目覚めた時と同じ部屋。

 けれど、そこにはある筈の無いものが二つあった。一つは影のように立つ女の姿。そして、それを不気味に照らし上げる、ランプにしては不安定すぎる灯り。

 眠ってしまう直前まで向かっていた机の上から、炎が上がっていた。


「ひ……っ、火事っ!?」


 声をひっくり返すと同時、腰かけていた椅子に手を掛け、慌てふためきながら立ち上がるシラヴィル。

 膨らむように広がっていく火の手。その先が机に広げたままの古書へと伸びている。

 また一つ悲鳴を上げながらもシラヴィルは飛びつくように腕を伸ばし、ページを閉じぬままそれらを速やかに回収した。


「よ、良かったわ……」


 未だ机には火が乗っていたが、良く見ると案外規模は小さく、勢いを増す様子もなかった。

 とりあえず、安堵の息をつく。古書が痛んでいないかを素早く確認するシラヴィルの視界の端、一枚の羊皮紙が炙られその端から焦げつき丸まっていく。

 あれは、何かと。

 顔を向けたシラヴィルは目を剥いた。吸い込んだ息に喉が引き攣った音を出す。


「わ、わたくしの完全無欠の城がっ!」

「……城?」


 その燃焼速度は遅いも、完全に火の中にある為、先程のように手を伸ばすことは出来ない。

 ゆっくりと灰になっていくお菓子の城の設計図に、シラヴィルは狼狽した。


「……完全無欠?」

「ノ、ノラっ!取りなさい! わたくしの城を救出するのよ!」


 ドレスの裾を引けば、淡々と羊皮紙を見下ろしていたノラの視線が流れてくる。

 しかし魔王は、揺れる火を映す丸い金目に、首を振った。


「人の身体は火に触れると直ぐ爛れる」


 その体には既にいくつかの小さな傷があった。何気なくした行動によりついたものと当人は言うが、そのどれもがシラヴィルにとって信じられないものばかりだった。


「そうよ学習してくれて何よりだわ、でもわたくしのお城はどうするのっ!」

「自分で取れ」

「嫌よ! 熱いし痛いし、怖いわ!」

「……お前がいいというなら」

「やめなさいっ! わたくしの身体で無茶をすることは許さないわ!」


 何事かを言い争ううちにも、羊皮紙は塵と化していく。結局シラヴィルが見つめる前で夢の城は灰となり宙へ散華した。

 次第に小さくなっていく火が完全に闇へと溶けたあと、残ったのは切れ端になった羊皮紙と表面が黒く爛れた机。その端にぽつりと置かれたインクがまた哀愁を醸し出している。

 木というのは、案外耐火性に優れていると。

 呆然とするシラヴィルの思考が呟けば、ドレスの裾を引いていた手が力なく落ちた。その過程、爪がドレスに引っかかり滑らかに生地を裂くが彼女は気づかない。整えても半日足らずで元に戻るそれを、切る事はもう諦めていた。


「視界がおかしい。人の目だからか」


 眉を寄せ、まばたきを繰り返しているノラの瞳には、恐らく先程の火の残像が目に焼き付いているのだろう。目蓋を落とし視界が正常になるのを待つその姿に、シラヴィルは肩を震わせる。


「人の目はそんなものよ……それで? なぜいきなり机が火事になったのかしら? そもそもこんな夜更けに人の部屋で何をやっているのかしら! もしかして今は、朝なの?」

「夜だ。……灯そうと思ったが位置がずれた」


 薄目を開けたノラが短く答え顎で指したのは、焦げた机。恐らくその横に下げられたランプだろう。魔族としての飛び切りの夜目を失った彼は最近、火の扱いを手探っていた。

 それを、シラヴィルも知っていた。しかし納得はいかない。


「そういう事は失敗しない自信がついてから行いなさい! そもそもこの城が四六時中暗いのがいけないのよ!」

「明るくはなっただろう」

「生憎もう消えているようだけど?」


 思い切り鼻を鳴らしてやれば、軽侮な態度が伝わったのか。ランプの方へと顔を向けていた魔王が、その横目だけをシラヴィルに向けてくる。


「魔物の身体は再生能力に優れている。退魔の力に晒されぬ限り半永久的に再生し続ける。力の強い魔物の身体ほど、その性質は顕著に発揮される」

「なにを言っているの?」

「燃え盛りはしない火の燻りにでも、部屋は十分照らされるだろう」


 ひっと小さく息を呑んだシラヴィルは、瞬時に足を後退させた。

 一拍遅れて眼前に大きな火柱が上がる。勢いに巻かれ机が吹っ飛ぶ。

 それが軋むような音と共に床を打てば、照らしあげられた部屋の中、火の向こうでノラがその涼しげな顔を顰めている。


「なななな、なんてことをするの! 夜更けに淑女の部屋に忍び込んだ挙句、火だるまにしようとするなんて!」


 シラヴィルは本を抱えたまま部屋の中を駆け回った。一度ごとの火は直ぐに消える。けれど彼女の後を追うよう、幾度もの火柱が立て続けに上がる。

 絨毯が灰と化す。今度は椅子が吹っ飛ぶ。放り出されたランプが部屋の隅まで転がっていく。


「や、やめなさいノラッ! 大体そこまで火を扱えるなら、この状態も元に戻せるのではなくてっ!?」

「火は全ての根本だ」

「だから何っ? 煙突の下には、火があるんでしょう? そらならさっき本で見たわっ!」


 鍋いっぱいの熱湯を沸かす炎。そこから上がった煙が、煙突をこえ何処かへと向かっていく絵。

 シラヴィルが回想すればまた一つ、炎が近くで上がる。


「煙になるまでには時間が掛かる」

「無理なら無理と一言で言いなさいよ! いえ、寧ろそれなら……あなた、こんな事をして良いと思っているのかしら?」


 唐突に止まった足音を不審に思ったのだろう。目を細めたノラに、シラヴィルはほくそ笑む。

 やはり、魔王は“人間の目”に慣れていない。元の闇に加え先程から連続して迸る眩さに、ノラの視界は悪化の一途を辿っているに違いなかった。でなければ、疾うに人型ランプは完成している筈だからだ。


「この古書、中々興味深い事が書いてあるようだわ。絵からもその素晴らしさは伝わる……」


 腕の中から適当に抜き取られた一冊の本が、無明の闇の中で高らかに掲げられる。

 実際その古書がどういったものなのかなど、シラヴィルには分からなかった。しかし今、ノラの目が眩んでいるという事は分かる。内容の確認ができる筈もない。


「元に戻る方法が書いてあるこの本が燃えても良いというのっ!?」

「問題ない」


 掠れた音が爆ぜる。目を丸くするシラヴィルの手元、古書が炎上した。

 鈍い音を立てて床に落ちたそれは軽快な音と共に部屋を照らす。


「それは絵本だ」


 魔王の冷静かつ反論の余地も無い言葉に、けれどシラヴィルは忙しなく部屋を見渡す。「そうね」なんて認めている場合ではない。ベッドサイドに置かれた水差しは、こんな時だけ空っぽだった。


「な、なんてことをするの……まだ全て読んでいないのよ!」

「説明しただろう。絵が書かれている本だ」

「そういう問題じゃないのよ! ひどいわ、横暴だわ……っ」


 やがてがくりと落とされた膝に、満足したのか興味を失ったのか。

 部屋の隅まで足を進めランプを拾い上げているノラに、シラヴィルは淡々と恨み言を吐く。


「この城に来て唯一の楽しみといえば本に目を通す事だったのよ。それなのにノラ、あなたはわたくしの唯一の楽しみであり貴重な文献でもあるこの本を燃やすのね」


 床にへたり込み腕の中に残った本を強く抱き、俯き鼻を啜るシラヴィル。大の男の外見で行われているそれに、ノラの苦言は飛ばない。二人の間にすぐさま成立した決め事として、部下の前でなければ好きに振る舞って良しというものがあったからだ。

 静かにランプが灯される中、悲壮な姿は始終口を動かし続ける。


「流石は魔王だわ。非道だわ。横暴だわ。城の設計図は燃やすし……ああ、こんなわたくしを救ってくれる者はいないのかしら……」

「もうじき勇者がこの城に来る」

「ついに罰を受ける時が来たようね!」


 顔を上げ古書を置き速やかに立ち上がったシラヴィルは、仁王立ちになり鼻を鳴らした。

 対して魔王は細い息をつき、腕を組み片足に体重をかける。二度は言わない、そう物語る態度である。

 何か、呆れられるような事を言ったかと。

 首を捻り回想すれば、シラヴィルの顔がみるみるうちに青くなる。


「ど、どうするの!? 勇者が来てしまう前に何とか元に戻らないと!」


 魔王の身体をシラヴィルが持つように、姫の身体を持つのはノラ。

 現状に慣れ始めたとはいえ反射的には忘れてしまいがちなそれに、あっさりと言い放たれた言葉は残酷だった。


「無理だな」

「無理だなんて言わないで! どうするの、勇者は此処に姫がいる事を知っているの? 知らずに来るの? もしわたくしが居る事が知れたら連れ戻されて……あなた、エセドニアに輿入れする事になるわよ!?」


 頭に両手をやったシラヴィルは落ち着かない調子で部屋をうろつく。

 どうにか勇者が城を訪れるまでに、元に戻らなければならない。けれど魔王はそれを不可能と言い、既に諦めている調子だ。

 そもそも、勇者は何故、こんなタイミングの悪い時に城へやって来るというのか。魔を打倒す事を生業にしているとは言っても、シラヴィルとしてはもう少し状況を察して欲しかった。

 おぼろげに揺れるランプの灯の中、落ちる影が右往左往と伸縮する。一種の影絵のようなそれを眺めていたノラが、やがてぴたりと止まった動きに伏せていた視線を上げた。


「ノラ……何故、勇者が城に来ると分かったの?」

「二度は言わない」

「聞いてないわ。もう一度言いなさい」


 数秒の沈黙。腕を組んだシラヴィルのひそめられた眉に、ほどなくノラの口が開く。


「……この近くで魔物の存在が一つ消滅したからだ」

「それは聞いたわ。だから何故、“魔が消滅した”なんてことが分かるの? 何故、もうすぐ勇者がここに来ると思うの」


 酷く億劫な調子で落とされた言葉にシラヴィルは即座に問い返す。


「聞きたいことはまだあるわ。先程にしても、どうにも魔法の扱いが上手いじゃないの。本当はもう、元に戻れるのではなくて? けれど勇者が来ている事を何らかの魔術で知って、わたくしが救出されるのを邪魔しようとしているのではないの?」

「……まず、勇者の件だが」


 魔王は一度言葉を切り、間を空けた。探るような目を向けるシラヴィルは大人しくその続きを待つ。こういった時は放っておいても、自ずと纏められた説明が紡がれるという事を知ったからだ。


「多勢に傷を負う事はあっても……完全に魔を消滅させる事が出来るのは、銀を生まれ持った者のみだとは知っているか」

「退魔の銀、でしょう? 偶に生まれるらしいけれどそのほとんどが、身体が弱く育ちきらない、という話なら聞いた事があるわ」

「カルバスでは特にそうだろう……そして付近の魔が消滅するなど当面無かった話」


 一つ一つに取られる間は、シラヴィルの頭が話について行っているかの確認だろう。

 一度分かったふりで重要な話を聞き流した事のある彼女は、二の轍を踏まぬよう慎重にノラの言葉を整理する。


「“ここのところ魔物が消滅することが無かった”、という事はつまり、カルバスに常駐している勇者はいなかったという事で……他国から勇者が来た、という事かしら?」

「今のカルバスに勇者が足を踏み入れる理由などよほどの物好きでない限りまず、ありえない。王が召喚したとしか思えない。逆に姫がさらわれたというのに、銀を召喚しないわけがない」


 今のカルバス。多少引っかかる言葉にシラヴィルは口を開きかけ、すぐさま閉じる。とりあえず、何故勇者が城に来ると分かったかの根拠は理解できた。“その辺をうろついている勇者”というのは元々カルバスにはおらず、という事は他国からやってきたということで、理由としては“姫の救出”である可能性が非常に高かった。

 けれどまだ重要な部分には触れられていない。


「そして、どの様にして魔の消滅を察したかという問いに関しては…………まず、魔力の扱いについてから話す」


 魔王は向けられている視線が、短縮を促すものとなった事に気が付いたのだろう。途中で流れを変えた言葉の連なりに、シラヴィルは無言の頷きを返す。


「比べる対象の無い話だが、この体は魔の力を引き寄せやすいように思う。一度引き寄せたそれが内で増幅されるのが分かり、火を扱うにしても影を伸ばし魔の気配を探るにしても……多少混じり気があるが、単純なものなら要領さえ掴めば楽にこなせる。ただ同時に」

「意味が分からないわ」

「……そうか」


 途中まで我慢していた内心を思わず吐露してしまったシラヴィルに、幾らかの消耗を滲ませた魔王のため息が落ちる。

 人にも読解できるよう組み立てられた言葉なのだろうが、やはり魔とは人知を超えていた。何もない所に火を起こすやら、影を伸ばすことによって他の存在を知るやら。

 どちらにしてもノラが言うよう、“楽にこなせる”筈がない。

 それでもとりあえず分かったのは、その影とやらで、魔の消滅を知ったという事くらいだ。


「簡単に言いなさいよ、ノラ。何故あなたはそんなに魔法が使えるの? 人の身だと難しいと、この間は言っていたでしょう?」


 しかしもう十分伝えたとばかりに、魔王からは沈黙しか返されない。仕方が無くシラヴィルはそれを可能とする要因としてあるものを、改めて思案してみる事にした。

 確か魔法を扱うのに必要なのは、知識と資質。

 魔王の持つ知識に加え、あと一つ。

 長々しい説明は彼女の脳内ですぐさま簡潔なものとなり、浮かび上がったそれにシラヴィルの口から小さな笑い声が漏れた。


「つまりわたくしの体ったら、魔法を使う資質まであったのね」

「……。」

「一言で済む話じゃない」


 頬を緩ませるシラヴィル。それをしばし、否、かなりの間無言で眺めていたノラが、やがて静かに目を伏せる。


「魔を惹きつける類の呪いにかかっている可能性もある」

「ありえないわ。わたくしは第一王女よ? 祝福こそされても呪いに晒される環境ではないわ」


 無限に秘められた才が羽ばたく、そんな自己像を追うように。上気した頬で視線を彼方に向けていたシラヴィルに、魔王の声がぽつりとかかる。


「庇護されている自覚はあったのか」


 シラヴィルの浮ついていた視線が、一点に固定される。

 瞬きの後、見やった魔王は表情変化に乏しい。それは入れ替わるまで見続けてきた鏡の中の自分より、何処か大人っぽいものだった。同じ無表情でも、こうも違うのは何故なのか。

 シラヴィルは細い息をつき、ほどなくゆったりと口を開く。


「……わたくしはこの城にある本の、殆どを読めないわ」

「……。」

「どうやら、大した教育を受けてこなかったようなの。今思えばそうだったかもしれないわね、エセドニアでは絵を描いて暮らせと言われていたもの。それに……ここに来るまで、書に触れる事は許されていなかった。あなたの言うように、“庇護”されて来たのよ」


 床に放置した古書に目をやり、シラヴィルは少しだけ口角を上げた。一呼吸分の間が落ちる。


「どの城にも、それを教えてくれる声はある。噂話の声はどんなに小さくても……大きいのよ」

「……。」


 小さな体の白肌に映える、良く手入れされた栗色の髪。絹のドレス。

 正面から見合った“お姫様”の瞳が、ほんの僅かに見開かれる。シラヴィルの肩は微かに震え始めていた。


「……ふふふ」

「……。」


 魔王が訝しげな目を剥ける中、忍び笑いが、はじけるような高笑いへと変わっていく。


「どぉうかしらノラっ! いまのわたくし、中々よろしかったのではなくて!?」


 それはシラヴィルにとって快挙だった。自画自賛でない事は、魔王の表情こそが証明している。


「驚いたわね? 驚いたでしょう! あまりのわたくしの風格に!」

「理解を越える」

「神秘的ですって? そこまで褒めなくとも良いのよ」


 ステップを踏みかねん程に舞い上がったシラヴィルを尻目に、魔王はランプを倒れていた机を起こしなおした。焦げ付いた卓上に置かれたランプが、砂を擦るような音を立てる。


「城の防衛の件だが」

「いきなり何? ああ、わたくしに策を求め―――って待ちなさい危ないわっ!!」


 くるりと片足でターンを決めたシラヴィルは、その先の光景に鋭く静止をかけた。いつの間にか起こされていた椅子に、腰かけようとしていたノラの身体が、中途半端な姿勢のまま動きを止める。


「あなたまさかその炭の隣に腰かける気!? ドレスが汚れるでしょう!」

「……危ないのか」

「ええ、非常に危ないところだったわ。……そもそも、何を勝手に一人くつろごうとしているのっ!」


 信じられない、というように首を左右に振るシラヴィルに、魔王がランプを持ち上げる。監視するような視線の元、次にヒールの足が向かったのはベッドだ。


「長時間立っていると何故か足が重くなる。お前も座りたいのなら座ればいいだろう」

「何処に、床に? な、何故あなたがベッドでわたくしが床なのかしら……?」


 シラヴィルが苦々しく吐き出すも、しっかりとベッドサイドに腰を下ろした魔王はランプを床に置き足を組んだ。もうその場から動く気はないらしい。


「お前もベッドに座ればいいだけの事」

「異性と同じベッドになど座れるわけがないでしょう!」

「気になるなら床に座れ。いつものように」


 繰り返される言葉に苛立ってきたのか。口早に言い切った魔王の方をねめつけ、シラヴィルは足先を彷徨わせた。

 まず夜更けに異性が同室にいる事自体有り得ない話だというのに、同じベッドになど座れる筈がない。しかし床には座りたくない。落ち込んだ時に突っ伏すのとはまた、話が違うのだと。

 結局、ベッドの片端へと腰を下ろしたシラヴィルはこれでもかというほどに身を引き、手に取った毛布で相手との間に壁を作る。


「これは国境よ! あなた、ここより先に入ってきては駄目よ!」

「寝返りひとつで崩れる国境か」

「ななななな、何をする気!? やめなさい! ええと、何と言うのだったかしら、あれよ、あれ!」

「不法入国か」

「それよ! 国境を侵したものには重い罰が与えられるわっ!」


 シラヴィルは脇にあった枕を抱え込んだ。投擲準備完了、更には威嚇するように全身の気を張り詰め、刺々しい目つきを研ぎ澄まさせるという厳重警戒である。

 魔王はあごへと手を当てた。


「まさか、まだ湯あみの件を気にして」

「気にしているに決まっているでしょうっ! その話はしないでちょうだい!」

「もう決めただろう。湯あみは二人で行い、その際は目隠しをすると」


 見開かれたシラヴィルの視線に殺気が混じる。何が不満なのかとでも言いたげに寄った魔王の眉に、憤怒の気がまたいっそう膨らむ。


「一度見られたという傷口は簡単に消えないのよっ! しかも先日トカゲさんに〝主殿は変わったご趣味をお持ちで〟とか何とか言われたわっ!」

「……。……あれはヤモリだ」

「もう何なの!? あなたはわざわざこんな夜更けにわたくしの傷口をえぐりに来たのっ!?」


 叫びか呻きか良く分からない声をあげ、シラヴィルは毛布に引きこもった。血が上った頭に、相手の声など届かない。

 丸くなったそれが芋虫のようにうごめくさまを、魔王は横目に傍観する。籠っているため聞き取りづらいが、中から漏れる音は恐らく不平不満の恨み節だろう。それはしばらくの間、延々と続いた。


「……いつ勇者が来るか分からない。その為の指示を伝えに来た」


 やがて動きを止めた毛布の塊に、ため息交じりの声が落ちる。乱れた黒髪頭が、布地の隙間からぴょこりと覗く。


「あら、それならそうと言いなさいよ」


 振り返ったその顔には、満面の笑みが浮かんでいた。魔王の瞠目を見るより先、シラヴィルはベッドから足を降ろし、床に放置していた古書へと向かう。


「城の防衛戦というやつね? 城にも色々な形があって相手の出方も変わるみたいね。ちょうど最近、夢中になって見てたの……あれは中々面白いわね。藁の城だとか、木の城だとか、煉瓦の城だとか……」


 軽やかに古書を拾い上げたシラヴィルは巻末に挟んでおいた羊皮紙を抜き取る。丁度うたた寝してしまう前に眺めていた本だ。

 見渡してみれば羽ペンは椅子の下に、インクの瓶は割れず床の隅に転がっている。


「なにかしら、その顔。このく程度の古書なら、読解する頭は持っているのよ?」


 それらを手にしたシラヴィルは返した踵の先、呆けたような魔王の表情に意気揚々と笑みを浮かべる。


「さっきあなたも見たでしょう? わたくしが描いた完全無欠の城を!」

「……城門すらなかったが」

「あ、あったわよ。確かにあったわ、嘘じゃないわ。あなたが燃やしていなかったら証明できたのだけれど」


 誤魔化しながらシラヴィルは、床に置かれたランプを持ち上げそのままベッドの上に置く。その隣に腰を下ろし、インクを零れぬよう据えた。


「……なにをしている?」

「なにとは何? ランプの事?」


 ベッドの中央に陣取ったシラヴィルは古書を下敷きに、膝の上へと羊皮紙を広げつつ首を傾げる。


「確かにベッドの上にランプというのは危ないけれど……手元に置いておかねば目が悪くなるじゃない。そもそも危なさで言うならあなたの魔法の方が格段に上よ?」


 最後にペン先をインクに浸すことにより、書き取り体勢は整えられた。隣りでまたノラの眉が寄っているが、気にはならない。

 シラヴィルの口角が好戦的に吊り上る。手にした羽ペンがくるりと回る。


「さぁノラ、策を! 勇者などわたくしが簡単に追い返して差し上げるわ!」









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