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わたくしと魔王の  作者:
第二章
10/36

勇者と親子の帰り道





 姫が魔王に浚われたのは、十八歳の式典の最中だったという。そしてカルバス王いわく、原因は紛れ込んだ魔女がかけた“魔寄せの呪い”。

 明らかに色々とおかしかった。 

 普通、王族の式典に呼ばれるのは信用ある魔術師で、施されるのは祝福のまじないである筈。

 それがどうして“魔寄せの呪い”になったのか。そして王族の式典という大舞台に、そう簡単に“悪い魔女”なんぞが紛れ込めるものなのか。

 どうにもクライドは、面倒ごとに巻き込まれかけている予感がした。

 間違いなく言えるのは、カルバス王は何か嘘をついているということ。でなくとも、何か隠し事をしているのはまず間違いないだろう。一国の王女にそう簡単に呪いがかけられるはずが無く、そして今思えば、王女奪還までの明確な期限を定められなかった事も、これまた不審だったからだ。

 カルバス王は娘が浚われたというのに、焦っていないのか。その余裕は何処から来るのか。そもそも何故、魔王は姫を浚ったのか。


 姫の救出のみを任務としていたクライドは今更に沸いてきた疑念を振り払うよう、押し車を引く手に力を込める。考え事は後でも良い気がした。

 簡単にしか舗装されていない砂利道に、木製の車輪がかたかたと鳴る。遅くなった買い物のついで、露店の親子と共に薄暗い小道を歩いていたクライドは、今晩は野営にするつもりだった。


『このお人よしめ、お人よしめ、お人よしめ……』

「野営がお好きなんですか?」

「……好き、というわけでもありませんが。宿で堅焼きと干し肉を齧るくらいなら、野営をした方がましですね」


 耳元で呪詛のような言葉が聞こえるが、気にしないのが一番であると。

 母親の方に微笑を向けたクライドは、正直部屋にこもる事に飽きていた。ついでに言うならそもそも、あまりカルバスの城下町には居たくなかった。なので「野営地を紹介する」という女の言葉は、非常に有難かった――のだが。

 かといって依頼の裏側を詮索したり、店の材や商品やらを乗せた四輪の車を引いていたりする現状を、客観視すればどうなるのか。

 前者は完全なる現実逃避であり、後者は最悪、間男である。

 しかし、それは所詮客観視。

 己の目的は野営であり、野営をする事により天から素晴らしい策が流れ星のように降ってくる筈であり、間違ってもじぶんは現実からの逃避者でも間男でもないと。

 本来の目的を思い出したクライドは、安堵した。まるで自分がろくでなしかのように一瞬感じられたが、それは気のせいだったらしい。


「でも夜は魔物が出て……危ないですよ?」

「ええ、なので出来れば風通しと見晴らしの良い場所なんかが……」

『……眠くなってきた。そうだ、一緒に寝ないか?』


 僅かにフードを上げぐるりと周囲を見渡してみれば平坦な野の中、ぽつぽつと燈る灯りが僅かに闇を照らしている。恐らく村落に焚かれる獣避け、又は魔物避けだろう。城下町から離れた場所に人が集まり村落をつくる姿は、クライドにはどうも心もとなく見えた。しかし農業を営む者というのは畑から離れて暮らせない。


「あ、あの高台なんて良さげですね」

『こちらのほうが寝心地は良い』


 やがて目に入った高台はどの村落からもある程度の距離があるようで、遠目に一本の大樹が根を降ろしている事が分かった。クライドは長年の旅稼ぎ生活のうえで、夜目に困った事はない。その高台の周囲が森からきっちり隔離されていることも充分に分かり、けれどそれに少女と母親が同時に否定の声を上げる。


「何言ってるのお兄さん!」

「あそこはやめておいた方が……!」

『眠い……眠い、眠い……一人寝は寂しい。今ならば抱きしめて眠ってやろう』


 目を丸くしたクライドが親子に顔を向ければ、二人の影が僅かに震えている事が分かった。


「ご存じないのですか? あの樹を」

『聞いているのか!』


 聞いている。さっさと一人で寝ろと思う。

 今のクライドにとって重要なのは変質的なストーカーの戯言ではなく、月に照らされる薄暗闇、訝しげに問いかける女の声が震えている理由だ。


「実は俺、最近この国に来たばかりで。あの樹がどうかしたんですか?」

「うそ! ほんとに?」

「言葉がお上手なので、てっきり……」


 そういえばその辺りの説明をしていなかったクライドは、あからさまに刺さる疑惑の眼差しに、寄れていた外套を引き上げた。

 民というのは妙に人を見る目が厳しい。更に頭の先から外套を被った男となれば、些細な事にも警戒されるのは当然だろう。


「……ずっと以前に、少しだけこの国で暮らしていた事があったので」

『……冷たい男だ』

(知っているだろう)

『ああ、知っているさ……お前の事なら、なんでも……』


 徐々に声が小さくなっていく。このストーカーは、日が落ちると眠たくなるたちらしい。

 この調子で是非とも直ぐさまさっさと寝て、次の目覚めが百年後くらいになれば良いと思うが。そう上手くもいかないだろう、などと頭の隅で考えながらも親子の反応を笑顔で待つクライドは、其方への疑惑が晴れたかの方に意識を集中させたかった。

 翌日不審者として通報でもされていたのなら、ますます外が歩けなくなる。

 しかし。

 だからと言って“勇者”の敬称を親子に打ち明けることは、クライドにとって非常に気が進まない。

 それにより“不審な男”の疑念は払拭されるだろうが、何処も見ていないきらきらとして眼差しを向けられるのは、勇者として闊歩している時だけでもうじゅうぶん、吐き気がするほどにお腹いっぱいである。


「ああ、なるほど……道理で」

「すごいね、お兄さん! 色んな国に行ってるんだね」


 けれど案外あっさり、親子は納得してくれた。後ろ向きな思考に流れかけていたクライドは、こっそり一息をつく。


「はい。……して、あの高台は一体?」

「……あそこにね、樹が見えるでしょ?」


 まだ何事かを考えているらしい母親を置き、少女の方が問いを引き受けてくれた。もしやまだ通報の可能性は残っているのかとクライドは神経を過敏にさせるが、此処は何も気付かないふりをし、うつむき加減にあげられた少女の細い指の先に視線を流してみる事にする。

 高台にある、一本の樹の影。遠目にでもじゅうぶんに枝の広がりが視認できるそれは、伐採されていないのが不思議なほどに立派な大樹だ。


「あれは百目樹って呼ばれててね、魔物が……住んでる樹なの」

「魔物?」


 ならば、特に問題は無かった。普通の民にとって脅威である魔物も、退魔である身には何という事もない。

 すなわち、魔物には速やかに退場して頂き、野営地にしてしまえばいいという話で。


「真っ黒な、カラスみたいな魔物なんだけどね、その……」

「カラス?」

「そう。……でもその手が人の手、みたいでね、その真っ黒な人の手がね」


 けれど、どうにも少女の言葉が段々、たどたどしくなっていく。最近何処かで聞いたことのある魔物の姿に首を捻りながらも、クライドは話の結末を想像する。

 髪の毛を引き千切っていく、とかそんな所だろうか。


「……村に降りてきてはみんなの、目をね? ……採ってね、樹に」


 想像以上に悪かった。


「よし、あの場所はやめておくよ」


 ついには潤み始めた少女の声と隠された左目に手をやった母親に、クライドは強く言い切った。


「けれどここ最近は、村に降りてくることもなくなったので……日に日に頻度も下がっていたようなので、もう何処かに行ってしまったのだと思います」


 今夜は野営と決めている旅人を思ってか。安心させるよう補足を告げた母親の言葉に、クライドは高台には絶対に近づかないことに決めた。

 大樹のある高台はその景観に加え、食欲をなくす臭いが充満しているに違いない。

 魔物は退けられても臭いは退けられないのが、勇者の辛いところである。


「……あの。今更ですが、やはり宿に戻られた方が良いのでは? この辺りは魔物の被害が多いので」

「とはいわれましても……星空から良策が降ってくる事に期待するしかない身なので」

「は?」

「い、いえ……俺は大丈夫です。それより、そんな話を聞かされてしまってはあなた達の方が心配ですよ」


 誤魔化すように、クライドは微笑を浮べた。

 返って来たのは無言の間だった。


「……。」

「……。」


 間違った事は言っていないはずなのに、クライドは妙に居た堪れなくなる。

 けれど良く考えれば、親子から見れば、黒外套の下で浮かべられた笑みなど怪しいものでしかなかったのかも知れず。なんとも先程から墓穴を掘り続けているような気がするクライドは、フードの上から頭を掻くことしか出来ない。


「あ、ああ! そういえば旦那さんは迎えに来られていないのですか?」


 それはとても良い案だった。

 これ以上馬鹿な事を言わないうちに早々に退散してしまいたかったクライドは、それがじゅうぶんに有り得る話だという事を知っている。

 身重の妻と娘を夜道歩かせるというのは、この国の風習からして考えにくい。とくれば旦那はきっと、もうすぐそこまで来ている筈だと。

 自らが口にしたそれを改めて創造してみたクライドは、本当に速やかにこの場を去った方が良い気がしてきた。


「旦那は兵士をしておりまして……先日、土塊となって帰って参りました」

「…………。」

「夫の残していた遺書のせいで、後を追う事も出来ないわたしです……」


 けれど、旦那はもう召されていたらしい。

 クライドは言葉を悩ませた。こんな時一体、何を言えば良いというのか。手押し車の車輪の音が鳴るだけの気まず過ぎる無音に急な用事でも思いつきたくなるが、此処はきちんと問題に向き合わなければならない部分である気がする。

 となると此処はひとつ、「旦那さんは土になってあなたを見守っています」とでも言うべきだろうか。

 否、何かが違うと。頭のなかでそれらしい言葉を思い悩ませるクライドに、やがて母親から控えめな声がかかる。


「……宜しければうちに泊まっていかれませんか?」


 その時クライドの脳裏に走った衝撃は、ある種鈍器で殴られるより強いものだった。


「え、お兄さんうちに来てくれるの!」


 色々話を聞かせてよ、と嬉々としてすり寄ってくる少女の声を耳に、クライドはくらくらと遠くの星を眺める。ここは冷静に考える必要があった。

 母親は三十代と思わしき年齢で、身重な上、子持ち。未亡人。


「駄目ですか……?」


 だめでしょう。

 と心中ひとり呟くクライドは更に冷静に考えてみる事にした。彼女はきっと、野営をするという旅人を案じ、又手押し車を引いて貰っている恩を感じて何の気なしに言っているはずだ。間違いない。それにきっと、一人では寂しいのだ。ならば彼女の“お願い”に対し、答える事こそが人の情。寧ろそれこそが正しい道である可能性が非常に高い。

 寧ろ、此方の外套の端っこなんかを握り締めてくる彼女は、じぶんの事が好きなんじゃないかと。

 浮上した可能性に動揺を鎮めるよう、ゆっくりとクライドは息を吸う。

 咽るような森の香りが、鼻腔をついた。


「なっ――!!」


 軽く上がった悲鳴に重なったのは、手押し車がひしゃげる乾くも湿った音。

 荷台に詰まれていた荷物が辺りに四散する。

 二本の細腕を引き、小さな雷が落ちてきたかのような衝撃から速やかに離脱したクライドの背後、後方へと押しやられた親子が勢い余って尻餅をつく。

 当然、すぐさま抗議の声を上げようとしたのだろう。しかし彼女らの口から漏れたのは声にならない悲鳴。

 

「はやい」


 押し車の上に落ちた影は、獅子より二回りは大きかった。

 一見狼のような姿をしたそれは、堂々たる大顎をがばりと開けている。


「何故きづいた?」


 頷くように、緩慢に。上顎を揺らす狼は人語を操った。


「……逃げてください」


 背後に向けたクライドの言葉に、けれど背後の二人は逃げようとしない。腰が抜けているのだろう。

 そんな様子をしばし眺めていた狼の鷹のように鋭い爪が、下にした押し車の破片に食い込む。闇を染み込ませたその黒い躯体が、月明かりを飲み込むように躍動する。


「っ……! 逃げろっ!」


 耳障りな摩擦音。クライドが外套の下から抜き取った長剣と迫った狼の牙が拮抗する。外套のフードの落ちる感触が軽く、肩に乗った。


「やはり、銀か」


 目先に迫った狼の咥内から、咽るような香りが立ち上る。


「え、うそ……」

「まさか、勇者様っ!?」


 肩に落ちてしまったフードの下には一応黒布も巻いていたのだが、それだけでは当然、襟足なんかの細かい部分までは隠しきれなかった。

 銀の髪。

 それは月光の元、さぞ美しく輝いた事だろうとクライドは思う。

 更にそこに白光りする剣が相俟っていれば、尚更だと。親子から上がった声に碧眼を細めたクライドは、少しばかり悲しかった。


「逃げてください」

「ゆ、勇者様、ありがとうございますっ……!」


 “勇者”の存在に立ち上がる活力が湧いたのか。

 たどたどしくも駆け出した二つの足音に、狼の耳が反応する。


「っ……追うな」

「なぜ邪魔をする」


 一瞬、散漫になった勇者の意識に気付いたのだろう。速やかに牙の力を抜き背後を追おうとした狼の牙を、慌ててクライドは剣で受け直す。

 柄を握る力と共鳴するよう、不服気な唸り声が強まった。


「逆に聞くが何故、追う?」

「腹がへっているからだ」

「なるほど……でも追わせるわけにはいかない」


 尤もな理由にクライドが眉を寄せれば、両刃の剣にかかる牙の重さが増す。

 かと思えば瞬時に抵抗力が無くなり、狼の身体が大きく間合いを取る。


「腹がへっているから、たべる。自然なことだ。じゃまをするな、ぎぜんしゃめ」

「偽善者?」

「そうだ、おまえはひとを助けるじぶんによっている、おろかしい人間だ。そのために他から、きょうの食をうばう」


 どうやら狼は中々ご立腹の様だった。

 上下左右、伸縮するように蠢く上顎にどうも小難しい言葉を吐きされ、クライドは小さく息をつく。


「そうかもしれない……」


 否定は出来なかった。誰だって生きたい。だから、食べる。

 そんな単純な、だからこそ理解しやすい思考を持つ魔獣の鈍く鋭い牙は、剣と共に淡い月明かりを受けていた。

 けれど、遠ざかっていく背後の二つの足音が、振り返ることもせず、微かなさざめきの中へと消えていく事をクライドは知っている。


「本音を言うと、なんだろうな……俺はあの親子の名前も知らないんだが」


 きっと、一直線に家に帰っていったのだろう。そして、「もう大丈夫」と上気した頬で親子は抱擁を交し合う。

 クライドは、その口元に柔らかな微笑みを貼り付けた。


「勇者、と呼ばれた」

「だからその義務をはたすのか」


 返した狼の毛が逆立っていく。

 そもそも突然道行人を襲うような魔物、人語を解すとはいえ長期のお喋りには向いていないらしい。


「……魔物には分からないかもな。俺は今すこし、落ち込んでるって事だ」

「わからない。些末だ」

「まぁ名乗ってもないから当然なんだがな……」


 きっと親子は“外套を被った男”のことなんて、もう覚えていないとクライドは思う。

 陽炎のように周囲の闇を揺らす狼に白刃の切っ先を向ければ、若干八つ当たりじみている気もしたが、殺すという結果は同じだと思う。


「でもな。いつも以上に気に障る」


 集中に、研ぎ澄まされていく五感の中。

 小さく落とし両手で柄を握りなおし踏み込めば、風の音がやたらと耳についた。

 正面から巨躯を躍らせた魔獣の牙が眼前に来た瞬間、クライドは身を屈め体を斜めに捩る。巨大な顎が後を追ってきたが、それより早く切っ先を振るう。

 懐にさえ入り込んでしまえば、あとは非常に簡単だった。

 目の前にある黒い喉元に剣を突き立てれば、勢い余った体の回転によって、刃は魔獣の腹までを酷く滑らかに進んだ。肉を裂く感触が腕に伝わり、露出した頬に生温かさが飛ぶ。

 むせるような湿度が、辺りに霧散した。

 うるさかった筈の風は鳴りを潜め、呟きは静寂に落ちた。


「どうして魔物は、深い森の匂いがするんだ?」


 魔獣の巨躯の下で、不愉快に寄せられる眉。しかし、返される声はもう何一つとして残っていない。

 見た目に反し非常に軽い魔物のそれを、乱雑にどかせ体を起こしたクライドは、外套にこびり付いたそれに眉根を寄せた。

 若干無意味な気もしたが、どろどろの外套の裾で、どろどろの剣を滴る血を丹念に拭う。赤黒い液体がぼたぼたと地面に落ち、緩やかに吸い込まれて消えていく。

 それを見ていると、急にむなしくなってきた。クライドは、息を落とし頭上を振り仰いだ。

 そこには数えきれない星を圧倒する程に、大きな銀の月がある。



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