相対するは魔王の子
ようやく対峙した魔王の娘――愛着を持たないように名前では呼ばないようにしている――の腕から、激しい赤い光が漏れていた。その光は徐々に腕から手のひらのほうへと進んでいき強大な攻撃を予感させ、オレの身体を強張らせる。果たしてそれで出てきたものは――サッカーボール大の火球だった。かざした手のひらから全てが出てくると、予想以上に速い速度でこちらへと飛んできたがそれを何とか特殊警棒とぶつけ合わせる。火の玉は黒い金属製の棒に当たった瞬間、霧散するようにしてかき消えた。
魔王っ娘は一瞬自分が火球を出した腕を不思議そうに見ると、もう一度腕を前にかざす。今度は腕から赤い光は漏れずにピンポン球ぐらいの極小の火球が出る。それが一気に大量に放出され、こちらへ向かってきた。剣を振って切り返すような動きで警棒を振るいそれらの大半を打ち消すも、その内のいくらかは避けきれずに当たり、炎は小さな爆発を起こした。
今現在着ているのは魔術学校の制服。それだけに魔術への防御耐性は高いはずだが、炎には相性が悪いのかそれともむこうの力がやたらと強いのか、当たった箇所には軽い焦げ目がついていた。床は燃えていないようで助かったが、思わず悪態をつく。
「……あんなの避けられるかよ、くそっ」
「おーおー、怒っちゃだめだよぉ、おにいさん!」
楽しそうな笑顔の幼女が腕を振るう。今度は今放ったものと比べると少しだけ大きくなった炎をこちらへ三つ。小さめの火球とはいえそれが当たって爆発すれば体勢も崩れる。それをどうにかすぐに持ち直し、多少不恰好ながらも警棒を突くような形で火球に当てて三つとも打ち消す。その姿を見てか魔王っ娘はこちらを見てにっこり。どう考えても今の状況では不釣合いなほどの笑顔を向けてくる。
「おにいさんには、こっちのほうがいいみたいだね!」
そう言って彼女は両腕をこちらへ向けると、その二つの手から先ほどの極小の火球を機関銃のように連続して出す。こちらが早い連続攻撃は避けづらいと見たのか、それにしてもなかなかの判断である。だがそれでやられるほどこちらも愚かではない。両手で持っていた警棒を右手のみで持って、左手を後ろに回し小声で詠唱を開始する。相手との距離は今のところ10m前後、警棒で相手の魔術攻撃をかき消しながら進むにはどうにも長い。たった今自分が自己複写しているのは、一言で言えば売れる名前も無いような極めて一般的な騎士だ。その人物は頑丈な身体をしていて、オレもその特徴を少しは写せているが、それでも今のような絶え間ない攻撃を受け続ければいつか限界が来てしまう。武技の腕もそれなりのようで今扱っている警棒もなかなか使いやすいが、向かってくる攻撃すべてを打ち消せるほどの卓越した腕ではない。ならばまずはその攻撃を一時的に止めるのが先決だ。
「『燃やせ 焦がせ 焼き尽くせ ここにありしは闇を照らし 命をも消す力なり!』」
右手のみで相手の攻撃の一部を打ち消しているあいだに早口で下位詠唱を完成させ、左手に生まれたのは最初に彼女が出したサッカーボール大のものと同じくらいの大きさの火球。これを相手に放つと、飛んでくる極小の火球を打ち消して進んでいった。やはりサイズ差はそのまま力の差のようなものであるらしい。それに対してとっさに魔王娘は同じ大きさの火球を作り撃ちだしてオレが放ったものと相殺させる。すぐに打ち消すという行動ができるのは、不幸なことにかなり優秀だ。
だが攻撃の手が完全に止まってしまっては打ち消しても意味が無い。脚に力を込めて、邪魔な机を踏み越えながら全力で前へ走る。こちらの意図にようやく気がついたのか少女は一瞬焦ったような表情を見せて、相殺させたときと同じサイズの火球を走り寄ってくるオレに向かって放ってくるも、単発の直線的な攻撃だ。打ち消すことは造作もなく、右手の棒を一気に振りぬきかき消した。残り数歩というところで執務机の上の魔王っ娘を掴もうと左腕を伸ばして飛びかかる。
だがその手は何も掴むことなく、飛びかかったために体が激しい音を立てて机に打ち付けられる。なぜ魔王娘を掴めなかったのか、答えは単純だった。上を見上げれば魔王っ娘が平然と浮いているからだ。天井の高さは3mぐらいまでで、それほど高くに浮いているわけではないが、どうも魔王さんの家系は基本的に飛べるんじゃないかと思うくらいにその光景は見たことのあるものだったがここでまた、やっぱりそれで合っているような感じがしてきた。
「ねえおにいさん。女の子を下からみあげるのは、はれんちだとおもう」
「……見えても何の感慨もわかんから気にせん」
彼女はスカートでその場で浮いているわけだからその真下にダイブした自分が上を見上げればまぁ、丸見えである。ただ所詮はちょうど10歳くらいであろう幼女の、それも色気のない下着に興奮するほど人を捨てた覚えはない……が、居心地は悪いので立ち上がって後ろに下がることにする。というかむこうもとりあえず言ってるだけレベルで声に抑揚が無かったのでお互いにそれは水に流すようにした。
「うーん、なかなかやるね、おにいさん」
「そりゃどうも。こっちは結構安心したよ」
彼女の扱う魔術のレベルは相当高く、素の状態では恐らくこの特殊警棒があったとしても打ち消しきれないだろう。それは最初に魔術を使おうとした際に出てきた激しい光が証明している。その差をどうにか無くしているのは叔父さんが外で起動しているあの機械のおかげだ。
あれは要するにある程度大きな規模の魔術は発動できないような空間を発生させるものである。言うなれば『アンチマジックフィールド発生器』というところだろうか。効果範囲は約200mだが、この装置はまだ実験段階もいいところのもので信頼するにはまだまだ魔術を完全に封じ切れているとはいえない。中位詠唱規模の魔術発動ならば最近になってようやく封じきれるようになったが、まだ下位詠唱クラスは封じきれないようだ。それはオレがこの範囲内で下位詠唱の魔術を使えたことからも明らかである。
とりあえず浮いた状態の魔王娘をたたき落とすべく両手に持ち直した警棒をおもいっきり縦に振る。子供相手とは思えないくらい全力、全速でやったのだが――
「おーにさーんこーちらー」
当たらない。ちょっと横に動いただけで避けられた。もう一度振る。スッと幼女が横にズレて外れた。当てるまで繰り返すつもりで何度も振るも、空を切る音だけがむなしく響く。
……これ以上は無駄になりそうなので諦めて、もう数歩後ろに下がる。そこで空中の少女はこちらに手をかざすと、足下を冷たい水のようなものが流れる。が、それも微弱でなんというか流れる水たまりのようなくらいに浅く、緩い流れ。自分が込めた力と比例しない事態にようやく気付いたようで、もう一度確かめようというのかこちらに手を向けて放ってきたのは、風の刃。
「うおっ!」
速くて見えづらいが、空気のゆらぎでどれほど近づいているかなんとかわかった。直線的に向かってきていることもあり全て打ち消した、のだが。
地面から何かが転がったように甲高い音がいくつか聞こえる。今手に持っている金属棒の破片――それも風の刃を受けた部分のものだ。今の風の刃は、この解呪の魔術が付与されている特殊な棒に消される前に刃を通らせたというのか。もう一度同じ切れ味のものが飛んできたら見事にこの棒とともに自分も分割されてしまうかもしれない。だがそのまま好き勝手をさせるつもりももとより無い。
「……えぇと確か……『放て 放て 放て 我が内より発す威に伏さぬ者 汝は強き者だが 同様にまた愚者である』……だったか?」
浮いている状態で次の風の刃を放とうとしている少女に左手を向けて詠唱をする。あまり使う機会のない魔術の詠唱はすんなりと浮かんでこず、たどたどしい読み方になってしまう。しかし成功はしたようで、特に何も現れはしなかったが、なにかを『放った』という感覚が確かにある。そして物体に当たったわけでもないのに、少女は足場の無い中空でバランスを崩しているように体がぐらついていた。
魔王という存在は魔力を自由自在に操るもの。その子供も当然元からそういった能力は持っているが、何よりも魔力というものは繊細で、少し魔力同士をぶつけるだけでも術者の感覚的にはかなりのずれとなり暴走や不発の可能性が生まれる。特に今の少女がやっていた浮遊は、本来ならばかなり細やかな魔力操作を最初にしなくてはならないはずだ。そして今、オレが使ったのはなんてことはない魔術だ。ただの魔力の塊を相手に放つだけで直接的な効果のない、魔力を感じられない人間には何があったかも分からないような超基礎のものである。だがそれを大きすぎる力を振るうことに慣れ、抑えた力の扱いをなんとかこなしながらさらに扱いづらい魔術の行使をしている状態の幼女――正確には足下で彼女を絶妙なバランスで宙に浮かせている魔力に当てたらどうなるか。
答えは目の前の少女が見事にそれを表現している。足元が不安定に揺れる綱のようになっているのか、宙に浮いているというのにつま先を伸ばして踏ん張ろうとしている。この状態ではどう動こうともあれは落ちるだけだ。もはやこの警棒に頼る必要もない。
一足飛びで執務机の上へ飛び乗り、そこから身を縮めての全力の跳躍。身体能力の元の持ち主が鍛えられているだけあってすぐ目の前に魔王の娘、ユゥナが見えた。もうこれで終わりにするべく空中で彼女を羽交い絞めにして机の上へ落ちる。足の痺れに耐えながら、彼女の耳元で囁くように言葉をかけた。
「よしユゥナちゃん。取引をしよう。君がこのまま大人しく帰ってくれたらお菓子……そうだな、アップルパイをあげよう。それでなんとか帰ってはくれないかな?」
「そんなものいらないわ! あたしはパパにたのまれたことをやりきらないとかえらない!」
不審者同然の物釣り作戦は失敗。となるとやっぱりいつもどおりのことをやるしかなさそうだった。子供相手にやるようなことではないかもしれないけれど、それでもこのまま放っておいては危ないのだ。何より、目の前で逃がしたら今後の信用にも関わってくる……問題は気乗りしないということだけだ。
「じゃあ……しょうがないな。仕方ないけど、君にはしばらく気絶でもしててもらうよ」
制服から小型のスタンガンを取り出しスイッチを入れた後で、腕の中で未だ暴れる幼女に当てる。幼女は一瞬ビクッとしたと思ったら、目を閉じてうな垂れた。それを背負って、さっき放り投げた棒を拾った後、ノブの外れたドアを蹴り破って階段の影の辺りにいた叔父さんと合流する。叔父さんは自分が出てきたことを確認してホッと胸を撫で下ろしたように安堵した表情をしていた。
「よかった、無事で何よりだよ。それでその子が今回の目標の?」
「うん、叔父さん。あとはこの子の魔力行使をできないようにしてくれるとありがたいかな」
「わかった」と叔父さんは頷くと持ってきた紐でユゥナの両手を縛り上げ、その手に自分の手を重ね合わせるように置いた。
「『力を持つ汝よ いくら生が自由であろうとも 暴虐は人の身に許されざるものである 故に封ざねばならぬ 汝の持つ力、汝が持たざるべき力を』」
その言葉を唱えると、叔父さんの手とユゥナの手の間から青い光が生まれる。少しの間だけそれは直視できないほどの光を発したが、すぐに弱まっていく。完全に収まった後におじさんはユゥナから手を離した。二人ともその手に見た目での変化はないが、叔父さんは今その手で魔力を扱うことををしばらくの間封じる「封印」の魔術を使ったし、ユゥナはそれで魔術を扱うことができなくなった。あとはこの子を警備をやってもらっていた人に引き渡して終わりになる。そのはずだった。
上のほうから轟音が鳴り響いた。それは建物の中からではなく外からの音。建物の上方で外に通じている部分といえば、一つしか無い。
「屋上、か」
叔父さんは特に焦った様子もなく淡々と事実を述べる。だがその足は確かに何かがあっただろう屋上へ向かっていた。そしてそれは、自分も同じだった。
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屋上の扉を開けてまず見えたのは、来る前には見えていたはずの日の光が漏れている箇所すら無いほどに埋め尽くされている灰色の空。おそらく雨を降らすであろうその空を見ていると違和感があった。その背景画のような存在に黒い煙が描かれているかのように立ち昇っていたからだ。その発生源を見るために視点を下げる。そして見なければよかったかもしれない、と若干の後悔を感じてしまった。
屋上の床の半分近くが黒く焦げていた。それ自体は爆発があったのだから規模を除けば気にするところではない。問題はその焦げのある床の中心に佇んでいた少女にあった。その顔を確かめるべく近づく。叔父さんには気絶しているユゥナとともに扉の影に隠れてもらった。
歳は自分と同じくらいだろうか。その顔立ちは時代外れながらも貴族の令嬢というような印象を憶えさせる、しかし気の強そうな少女の顔。だが気になったのはそこではなく、その身に着けた衣服がデザインや色は違ってもユゥナのものと似たような意匠を感じさせる白い薄手のドレスで、更に髪にいたってはユゥナと同じ薄桃色のストレートロングだった。その少女はこちらを睨むように見てその右手に持った細い剣をわなわなと震わせると、苛立ちが爆発したかのようにその剣を床に叩きつけた。
――その時、炎のような温度にまで熱せられた空気が、激しい轟音とともに周囲に目の前から撒き散らかされた。炎を上げてはいないが、それは最早爆発だ。その熱を肌に感じながら、オレの神経を尖らせるような声が聞こえてくる。
「キサマラァァァ!! ユゥナに……何をしたァァ!!」
まだ煙が晴れぬ中から、少女はその手に持った細剣を構えて飛び出してきた。その刺突に適しているであろう形状の剣での攻撃の狙いは自分であることが分かるほどの大振りで、こちらにそれを振り下ろす。予測よりも速い攻撃だったが、その前のモーションの大きさのせいで十分に攻撃は見切れ、左側から来る攻撃になんとか合わせて金属棒で抑えた。手を伸ばせば触れそうなほどの距離だったが、彼女の表情はまさに一触即発。その怒りを隠さずにこちらを憎々しげに睨み付けてくる彼女についての予想はひとつある。だが、それを確信するためにはやはり目の前にいる彼女に聞き出さなければいけないだろう。
「……あんたは?」
「キサマの後ろにいるユゥナの姉――リアナ・グレイストフ・ミッチェ、だぁッ!」
自分の名前を叫ぶように言いながら目の前の少女、リアナは攻撃を続けてくる。全力の振り下ろしを左右から叩きつけるように振るう。それは細剣本来の使い方からは大きく外れているだろう戦い方ではあるが、その攻撃の振りの速度だけを見ても彼女は彼女は長きに渡って鍛錬をしてきていて、それで強いことがわかる。だがこちらも今は剣を扱う騎士の力を一応借りているのだ。だからその剣閃が見えないということは無い――おそらく、大振りが直らない内は。
「キサマラがユゥナに何をしようとしていたのかは知らないが、運が悪かったな! ユゥナを連れて行こうとしたその時に、この私が来たのだから。私はユゥナに手を出す者を許しはしない……!!」
何度打ち込まれたかは考えていない。だが、どこからか彼女は金属棒に攻撃を打ち込む度に冷静さを取り戻しているようだ。最初と比べると今はその振りが小さくなってきている。その攻撃が苛烈なのは変わらない、だが今はそれ以上に近接戦闘に慣れているだろう彼女の本気を引き出したらおそらく自分は軽く切り刻まれる。だから今は距離を離すために、少女に向けて全力で棒を突き出す。
「フッ!」
「! ぬぐぅッ!」
前へ攻めることのみに意識を向けていた彼女は、その前から伸びてくる攻撃に横へも後方へも避けることはできず、すんでのところで細剣を体との間に挟んで威力を軽減させた。それで頭が冷えたのか向こうも後方へ下がりきちんとした構えをとる。先ほどは激昂して聞く耳持たないという様子だったが今ならば話し合いもできるかもしれない。
「リアナでいいか? オレ達は別に何かよからぬことをしようとしていたわけじゃない。そこのところはちゃんと聞いてほしいんだけど」
「ふん。ユゥナを気絶させてどこかに連れて行こうとしたような下衆のことなど信用できるか」
「いや、本当なんだ。ただ……そう、お菓子を食べてもらおうと思ったんだ、家にクッキーとかがあってだな」
喋ってから思う――ああ、やっちまった。なぜさっきも子供相手に失敗したようなことをやってしまったのか。これでは相手がバカにされたと怒るさまが目に見えるようだ。相手をそっと見やると腕を組んだ状態でこちらを憮然と眺めていた。
「……ふん、それだけか?」
「…………え、えぇっと、それとアップルパイも用意するつもりだったかなぁ?」
何が「かなぁ?」だよおい馬鹿かオレは、と自分でツッコみたくなるが今ここで言ってることを翻すわけにもいかない。それでは本当に終わりだ。だがどちらにしろ、これはもう――
「くぅっ! ユゥナのやつめなんと羨ましい! 一人だけ美味なる菓子を味わおうとするとは……!」
「……はい?」
何を言ってるんだこいつは? 羨ましいって、まさかこれが真っ赤な嘘だと気づいてないのか。疑惑とともに、ちょっと心配な感情が生まれる。
「そこの人間! お前の名前は何だ!! あと私も連れて行け!!」
「オレの名前は遠原だが……ちょっと待てこっちにも一つ聞かせろ。リアナ、お前いくつだ?」
「10と7だがそれがどうし……むっ、だが貴様はユゥナを連れ去ろうとした人間、だとすれば本当の事ではないのか……?」
どうやらオレと同じ歳か。それでこれとなると一言、アウトとしか言いようが無い。一応最後になってようやく、辛うじて嘘と気づくことができそうになっているがこちらが違うと言えば信じそうなぐらいに間で揺れているようだ。このままでまかせを貫き通してみるのも楽しそうだが、残念なことにこちらは制限時間つきなので今回は諦めるしかない。
本当ではないのか、という問いかけに首を縦に振ると、彼女の背後でまたも爆発。騙されたというか気付くことすらできなかったのだから当然その時も怒り顔だ。ここにきてなんとなくリアナは怒ると周囲の魔力ごと感情を爆発させるっぽいということに気付いたが、なんとも脱力してしまい重要なこととは思えなかった。
「私を謀るとは、貴様は生かして帰さん!」
いや、謀るも何もお前が勝手に乗っかっただけなんだがな。そんな考えをしていると、向こうがさっきのようなスピードで突っ込んでくる。懐にまでは入ってこられないが、1mもあるかないかの距離まで一気に踏み込まれた。突き出された細剣を棒で横に払ってかわすも、それはすでに相手も織り込み済み。牽制のように何度も放ちながら前進してきてその度にこちらは僅かでも後退することを強いられる。おそらくこちらが彼女の本来のスタイルなのであろう。先ほどの滅多打ちというべき剣の振るい方は武器を見て考えても、あまりに戦い方の選択が悪すぎる。今のように平常時のしなやかさと攻撃に移る際の力強さを併せ持った剣術はおよそ凡才の成せる技ではない。ゆえに凡才の自分では近接戦闘では敵わないことが手に取るように分かった。
「もらったぁ!」
10度ほど打ってきた頃にそう叫んだリアナは、狙いを定めたかのような強烈な突きを放ってくる。狙ってくるのは突きを払い続けている内に完全に体の中心と重なった棒のど真ん中。そこに気付くことはできずにそのまま棒が一撃を受ける。これまで風に斬られ、剣に打たれ続けた金属の棒はその攻撃に耐え切れずに役目を終えたかのように砕け散り、リアナの攻撃はオレの武器を砕いただけで終わらずにそのまま身体を貫こうと向かってくるも、それをなんとか身を捻らせることで紙一重で避ける。だが今の距離で、しかも無手の状態でこの攻撃を凌ぎきるのは至難の技だ。それでもまだ、どうにか距離をとれば、切り札を取り出す時間ができる。
「避けながら声を出すことに慣れていて感謝ってところか。『隔て 守れ 包め 我を傷つけるというのならば――』」
「何をごちゃごちゃと!」
素早く突き出される細剣は肩や脇腹を狙って放たれてくるがこちらはより速い攻撃を今まで避けさせられてきているのだ。どれだけ突いてこようが那須野と同等、あるいはそれ以上のもので無ければ短時間のうちにこちらを捉えきれるなどとは思わないことだと内心で毒づく。しかし、実際確かにリアナは今一歩オレの知る最速に及んでいないが、今も避けてるといっても大体は紙一重のところだ。そのまま着てきた制服にも数個は傷が刻まれている。なんとか手に魔力が絡んできたような感触を覚えたところで詠唱を完成させるべく、喉から一気に声を出す。
「『――我もまた己を護る盾を欲す!』」
前に手を突き出すと、何も無い空間なのにリアナは弾かれるように後方へ飛ばされる。いや、何も無い、というと語弊があるのかもしれない。ただ彼女は、オレを中心として広がった半径2mほどのドーム状の密度のある魔力障壁に弾かれた。魔術的な効力はあくまで身を守るということだが、本質は『敵意を持っていたり害をなすものを近づけないための壁』。要するに「バリアを張っても敵は中に居たから意味が無い」というような状況は有り得ないということだ。手をリアナのいる方向に突き出したのはそちらへ向けての力を強めるためでもあった。
――しかし所詮これは下位詠唱の魔術。あの剣技の前では防御が持ったとしても一回が限界だろう。つまり今のうちにしまった筈の切り札を探す必要があるんだが……流石にズボンのポケットには入っていない。では制服の内ポケットあたりを――
「随分と不可思議な壁だ。だが、我が剣に打ち砕けぬものなど無い!」
まずい、まだ見つかっていないというのにこっちに突っ込んできやがった。ええい、内ポケットに無いならどこに……!
「守りがあるからと安心でもしたか、トオハラァ!」
日本語に不慣れな外国人のようなイントゥネーションでオレの名前を呼びながら、リアナの剣が銃弾のような速度で放たれ、先ほど生み出した障壁に当たる。そして見えない壁は役目を終えるように白く目視できるひびが入り、割れた。このままだとやられる、ということを察してつい足が後ろに下がり手が背中に周る――周った手に、服越しの何かが当たった。そうだ。できる限り隠しておけるように制服の裏でズボンに挟んでおいたのだった。
ようやく見つけたそれに手をかけてリアナの方を見据える。だがあくまで姿勢は隙を大量に含んだものにして。単純な分かりやすい誘いだが彼女の頭に上った血はその見分けをつかなくさせているようだ。どっしりと構えたその脚に力をためて一気に突っ込んでそのままこちらを串刺しにするつもりなのだろう。
もっとも、踏み込んでくれれば踏み込んでくれるほどこちらとしてはやる事が楽になるのだが。
「さて、貴様を倒した後はあそこの扉の裏にいる男の番だが……貴様も最期に言うことがあれば聞いてやるぞ」
まさに自分の勝ちを信じきっているような余裕綽々の態度だ。こちらとしてはまだ最後の最後の悪あがきを残しているのだが、せめてこれぐらいは乗ってやるとしようか。
「とりあえず、父さんが生きてるかとかは知りたかったかな。あと妹をこのまま置いていく事は忍びない」
「ふん、人の妹に手を出した罰だ。しかし貴様、父親がいないのか。それには同情だけしておいてやろう」
「いや、父親だけじゃないんだけどな……」
別に父親がいないからどうした、という表情を見せていたリアナがそこで曇ったような表情を見せる。オレの言ったことに察しがついたのだろうが、事情をよく知らないやつにあまりそんな顔をされるのは決して嬉しくない。
「そんな顔するんじゃねえよ。まるでオレが可哀想なやつみたいじゃないか」
「……そうだな、すまなかった。だがその苦しかったであろう人生からも、貴様はここで開放されるわけだ。それを喜んで、死ね」
「せめて生かしておいてはくれないのか?」
「ダメだ……いや、そうだな、せめて一撃だけで許してやる。もっともそれで死んだら責任は取らないが」
構えた状態で彼女は祈るように目を閉じる。なんというかさっきまで色々と言われていたのにいきなり最低限の優しさのようなものを見せられると調子が狂う。それでもこちらを殺すことに変わりが無いというのは、それだけユゥナが大切でかけがえの無い家族なのだろう。
再度目を開けたリアナの眼に哀れみは感じられず、ただこちらへの攻撃の意思だけが宿っていた。そしてその意思を腐らせるような間もなく、すぐさまこちらへ踏み込み、最大限に腕を引いた末の必殺の一撃が放たれる。平らになるまで潰されたバネのような勢いのそれを完全に避けるのには、自分の身のこなしが鈍重すぎた。
左の脇腹を太く鋭い金属の塊が入り込むような感触に呻き声を上げそうになったがここまではまだ想定の範囲内、そして自分が行動を起こすのはここだ。がぁっ、とうめき声をあげながら、左手をリアナが剣を持つ手へと一気に伸ばしてそこを掴む。
「!? しまっ……!」
利き手ではないといえ、筋力もそれなりにある男の手だ。剣を振るうこともできないくらい強く握り、動きを封じる。そして右寄りに一歩踏み込んでさらに近づきながら右手に握った切り札――海山さんから受け取った大きめの拳銃を一気に引き抜いて、相手の側頭部に向かって思いっきり振るう。左脇腹に刺さった剣が更に左に進み身体の外へと抜け出た際の激痛も気にせず、自分に出せる限りの全力での攻撃だ。槌のような勢いで黒い金属の塊が頭を打つ感触と、激しい殴打音がした。
「! かっ……は……」
リアナはそれで意識を失うように倒れこんだ。かなり硬い金属を手加減抜きの全力で頭にたたきつけられたのだ。脳震盪でも起こして気を失っているのだろう。一応骨を折ったりしたような感じは無かったから大丈夫だろうとは思う。腹の傷は痛むがなんにせよ目の前で倒れたリアナをこのまま置いておくわけにもいかない。ドアまで運ぼうと近寄る時に、ふと彼女を眺めてしまった。
細剣を振るっていたときの力強さを感じさせない腕と、意識の無い状態でも整った顔つきは自分が見てきた、普通の女の子のそれと何一つ変わらない。そして、そう思うと同時に父親以外も居ないと言った時にかけてくれた言葉を思い出していた。
「……くそっ、なんで最後の最後にこんな……」
心の中を一つの感情に支配されそうになったその時、肌に水滴がポツポツと落ちてくる。活動を始めた雨によってその時浮かび上がってきた意識を振り払い、肩にリアナを抱えて入り口のほうへ運んで行く。
――自分のことを少しでも心配してくれた少女を傷つけて安心するなんて、どれだけ最低なんだろう。そう思いながら、扉を開けた。