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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
梅雨の来訪者
7/53

正規保険の無い労働

 昔のファンタジーには魔王という存在が付き物だったらしい。だが、異世界交流などということをしている今となっては、もはやその存在も創作の中だけではなくなった。魔王というものは実在していたのだ。もちろん、別世界に限った話だが。


 それでその魔王の娘がなぜこんなところで出るのか。それは、一言で言えば侵略である。魔王の特徴として強大な力がまず挙げられる。そして、それと同じようにどいつも野心が大きい。征服、侵略、支配。この三つが主な魔王の行動であり、目的ともいえる。そんな魔王が自分たちが住んでいる以外の多くの世界の存在を知れば、手中に収めんとするのも当然なんだろう。しかし手を出すにもどんな世界であろうと遠い遠い地であることは確実だ。足がかりや中継基地となるような場所は侵略のためにも必須とされるはず。


 そこでオレ達がいる世界は、多くの異世界の集まりの中で中心に最も近いような位置にあるというのが問題になってくる。どこからも攻めやすく、またどこへでも攻めにいけるような戦略的には理想的とも言えるような位置にあるのだから、狙われても当然だったのだ。だが今でもそんな侵略行為が行われていないのはいろいろと理由があるが、全ては一つの事に集約されている。


 こっちを侵略しようとする間に、よその魔王等に自分の居る世界が攻められるのを全ての魔王が嫌ったからだ。そういった経緯で大きな侵略は表向きには行われていないし、どこかではひっそりとこの世界には手を出さないという嬉しい協定を結んだというような話も聞くのだが……まれに、子供に侵略のような真似をさせるやつもいるということがあり、それをなんとか捕まえるのがオレの仕事でもある。


「相変わらず、魔王ってやつは子供づかいが激しいですね……」

「確かに親心ってやつがあるようには見えないね。まあそれも人の尺度での話だ。何より、そんなことを一々気にしていたら普通の人間はこんなことやってられないよ」

「……いやまぁ、そうなんですけど……」

 できれば棒読みで相づちを打たないでほしい。そう言いたかったが、それこそ一々気にしていたら怒られそうなので、そこには触れないことにした。

「それで遠原。あんたはこの仕事、やるかい?」

「そうですね。今の内に生活費の足しを作れるなら作っておいた方がいいですし……やらせてもらいます、校長」

 普段通りの生活なら困らない程度の資金は家にまだある。時折やらせてもらっている、海山さんが紹介する仕事と叔父さんが口座に振り込んでくれる仕送りのおかげだ。ただ、今は家に天木さんもいる。樫羽との二人暮らしの頃よりも蓄えておいた方がいいかもしれないのだから、ひとまずここで一回なにかやっておくべきだろう。

 海山さんがなにやら怪しんでいるような、いやらしい笑いを浮かべる。

「おやおや、あんたにしてはずいぶん決めるのが早いじゃないか。いつもならもう少し慎重だったと思うんだけどねぇ?」

「いや、まぁ、ちょっと事情がありまして……」

 あまり真実を教える気もないので、適当にはぐらかす。この人は家の事情も知っている。だが、天木さんを泊めているということはまだ教えていない。言うのは簡単でも、この人だって仮には教育者だ。一つ屋根の下で歳が近い家族以外の男女が暮らしているとなれば何をしてくるかわからないし、どうにも今回のことはあまり人に頼るということもしたくなかった。

「ふぅん。とにかく、今回の相手についても情報はあるからね。そいつぐらいは話してやるよ」

 はっきりしない答えで疑惑を持ったのか更に意味ありげにこちらを見てきたが、どうせ大したことではないと思ったらしい。その視線はすぐに消えた。そして海山さんは懐から、今度は今回の目的の写真を取り出して、仕事の情報を話し始めた。


 +++++++++++++++++++++


 海山さんに話を聞いたあと、今日は用事があるからと言って家に帰ると、二階の方から誰かが動きまわっているような足音が聞こえてきた。天木さんの寝室にするために、今日は父さんの部屋を掃除するという話を樫羽と昨日したので、おそらくそれだろう。様子を見に行こうとカバンを廊下に置いて二回にある父さんの部屋へ行く。部屋の中を見てみると樫羽が色々な物を持ち、天木さんが部屋の窓やらを雑巾で拭いていた。部屋に一歩踏み入ればこの前までほこりが溜まっていた床はゴミ一つ落ちていないし、この家で置き場に困っていたものの詰まったダンボールまでほとんどどこかに消えている。樫羽が帰ってきたオレの存在に気付いた。


「おかえりなさい、兄さん」

「ただいま、樫羽。なんというか……よくもまぁここまで綺麗にできたもんだな。ほこりはともかくとしても、あの積み上げられたダンボールなんかはどうしたんだ? 中身も勝手に捨てていいものか分からんだろ」

「いえ、大半の物は捨てて困るようなものでもありませんでしたから、ゴミとして処分しておきました。捨てない方が良さそうな物は……その、兄さんの部屋に」

「……少し待て」


 不穏な言葉を聴いてすぐに自分の部屋へと走る。自室の中を見れば、部屋の床に天井まではいかないが、三段積まれたダンボールが3セットほどあった。幸い邪魔になるような量ではないが、まずは部屋の主に置いてもいいかぐらいは聞いてほしい。その旨を伝えるべくもう一度、元・父さんの部屋に向かう。戻ってみるとオレが何を見たか分かってるだろうに、樫羽は大して悪びれてる様子でもない。オレは嘆息しそうになりながら樫羽に言う。


「樫羽……せめて電話するか、オレが帰ってくるまでは待てなかったのか……?」

「兄さんが帰ってくる前にはほとんどここの掃除も終わってしまっていましたから……兄さんが役立つことといえばもう、物置の代わりぐらいしか残っていませんでしたので」

 言外に「帰ってこないお前が悪い」という考えがにじみ出ているような意地の悪い言葉だ。これに対しては予定外に海山さんが呼び出してきたこともあるが、連絡をしなかった自分が悪いところもある。


「……確かに今日も少しだけ帰るのが遅れちゃったな、悪い。だが全部オレの部屋っていうのは……」

「いいじゃないですか。どうせ兄さんは部屋に何か置いているわけでもないんですし。むしろこれまで、あんなに味気ない部屋で何をして過ごしていたのか不思議ですよ」

「確かに何も無いような部屋ではあったが、それでもなぁ……あぁ、もうこの話はいいや。とりあえず樫羽、明日なんだが――」


「あ、遠原さん。おかえりなさい!」

 窓の掃除に集中していたのか、天木さんはようやくオレが帰ってきたことに気づいた。樫羽から借りたであろうTシャツの袖をまくり、三角巾を頭に着け、先ほどまで使っていた雑巾をバケツの中の水ですすぐ様に洗っている姿を見ると、どこか若妻を思わせるような姿に見えてくる。

「ただいま、天木さん。ごめん、この部屋の掃除をするっていってたのに遅れちゃって……」

「いえ、大丈夫ですよ。私の部屋にするんですから、自分でやらなくては申し訳がありません。樫羽さんにも手伝ってもらいましたけど」

「よく言いますよ。わたしが帰ってきた時には既に半分近く終えていたじゃないですか。わたしも手伝ったといえるほどの事はしていません」

「で、でも触らないほうが良さそうな物を運んでもらったりもしましたし……」

「……あー、うん。とにかく二人ともお疲れさま。今日はがんばってもらったし、明日は二人で買い物でも行ってきたら? さすがに樫羽だってそう何着も服を持っているわけじゃないだろうし」

 このままだと二人で謙遜しあって、何もやっていない自分にダメージが降りかかりそうだったのでそう勧めてみた。実際うちは二人だけということもあって、どちらも服は最低限の数しか持っていないと言ってもいいはずだ。樫羽はそうお洒落をするタイプの子ではないというだけで考えているが、そう考えて間違いないだろう。今天木さんが身につけているTシャツとジーンズだって何度か樫羽が着ていたのを見たことがある。天木さんの部屋もできた事だし、そういったものを買いに行くにはいい機会だろう。

「いいんですか、遠原さん?」

「いいというか、明日は土曜だから樫羽の中学は休みだろうし、家にこもってるよりは良いんじゃないかと思ってね。こっちも午前中の学校が終わった後にはちょっと用事があって居ないし。そういうことだから明日は二人で楽しんできなよ……こっちも、それなりに楽しんでくるから」

 もちろんこれは嘘だ。明日は午前中の授業が終わった後に例の魔王の娘がいるという場所に連れていかれるという手筈になっているし、それに楽しめるような要素は毛ほども無い。ただこう言っておかないと天木さんは素直に買い物に行ったりはしないだろう。昨日も話していて引き下がらなかったところをみるに、彼女は割と頑固なところがあるようだったから。

 天木さんは少し悩んでいるようだったが――

「……分かりました。それじゃあ樫羽さん、明日はよろしくお願いします!」

 と、服を買いに行くことを決めてくれた。樫羽はよろしく、と言われたことにか、それとも突然呼びかけられたからか、少し驚いた様子だ。

「は、はい。それでは掃除も終わったみたいなので、雑巾に使った水は捨ててきましょうか」 

「それじゃあオレが行こう。最後ぐらいは何か手伝わないと」

 せめてもの罪滅ぼしだ。特に悪事を働いたわけでもないが、これくらいもやらないようでは申し訳が立たない。だけど、天木さんはそれを拒むようにこちらを手で軽く抑える。

「いえ、ここまできたら私が最後までやります。お二人はもう自分の部屋でゆっくりしていてくださっても大丈夫ですから」

 そう言って天木さんはバケツの縁に先ほどまで使っていた雑巾を掛けると、軽い足取りでそれを持って洗面所まで行ってしまった。確かあの中には結構な量の水が入っていたように見えたが、重くないのだろうか。


「……兄さん、ところで明日の用事というのは、やはり……」


 樫羽がどこか苦しそうな顔をしながらこちらを見ていた。樫羽には前に海山さんから頼まれることの内容を話してしまったことがあるから、それでオレの用事が何か気づいているのだろう。それ以来、樫羽には気づかれないようにしていたのだが、まだそういうことをしていると覚えられていたのだろうか。だとすれば目の前で話したのは失敗だったかもしれない。


「大丈夫だよ。そこまで危険なことをするわけじゃないし、失敗しても怪我をする程度だろ」

「怪我だって、十分危険じゃないですかっ。なによりわたしは……兄さんに危険なことをしてまで、家に余裕を生んでほしいとは思っていません。それに……兄さんがそんなことをしないといけないのは、わたしが居るからではありませんか?」

「そんな訳無いだろ。大体、何でお前のためになんて発想になるんだよ」

「わたしのためというわけではありません。……わたしがいるせいで、兄さんまでこんなことをして稼がなくてはいけないのではないかと思っているだけです。わたしさえ居なければ繁夫さんの仕送りだけでも暮らしていけるはずですから」

「…………はぁ、ったく……」


 こいつは昨日といい、どうも自分がこの家にいるのをよしとしていない節が見えている。だとしたら、もう一度はっきりと言ってやる必要があるかもしれない。

 自分のせいではないかと言ってから身を縮めるようにしている樫羽に近づいて、その両肩を掴み、数センチ先にある顔をまっすぐ見据える。樫羽の眼が震えそうになっているように見えた。


「あのな、樫羽。今はお前が責任を感じる必要は、全く無いんだ。家族なら誰かが稼がなきゃ暮らせないし、この家の家族はオレとお前……それと、叔父さんだろ? 樫羽はまだ働けないんだし、叔父さんが来ない内はオレがやるしかないんだよ。そして何よりそれを、オレも望んだんだ。納得できなくても、今は止めないでほしい」

「…………分かりました。では、私もいつか……いえ、来年にでも家計に対してなにか必ず手伝います。その時まで、どうか無事でいてください」

「ああ。それぐらいのことなら、当然守るさ」


 どうにも納得はいってなさそうだが、これなら今は許してくれそうだった。オレはつい樫羽の頭に手を置いてポンポン、と軽く叩く。どうにもしょげていたりする樫羽を見ていると昔からついやっていたことだったが、さすがにもうそんな歳ではないようで、その手は振り払われてしまう。


「や、やめて下さい! そんな、子供にやるような……」

「すまん。だが今後も似たようなことを言うんならいくらでもやってやるつもりだぞ?」

「分かってます、もう言いません。ですが……本当にケガをしたら、その時は」

「それこそ分かってるさ。ただそんなことにならないように努力するだけだよ。それじゃあ……そうだな、今日はもう夕飯の準備でもしておくか。二人にはがんばってもらったわけだし、なにか食べたいものがあったら言ってくれれば作るぞ」

「そうですね……では魚料理を」

 魚料理となるとやはり旬の魚を使うべきだろう。なら、鰆だな。春って字も入ってるし妥当なはずだ。

「……兄さん、念のために言っておくと鰆の旬は冬ですからね?」

「何を言ってるんだ樫羽? オレがそんな字に春が入ってるからなんて理由で旬を間違えるような愚か者だと思うか?」

「……兄さん……」

 どこか冷めた目で樫羽はこちらを見てくる。正直それぐらいしょうがないじゃないか、と言いたかったがそれでは完全に間違っていたことを認めてしまう。もはや彼女の中では9割近く確定してるだろうが、これはもはや見栄の問題だ。とっとと買い物行ってこよう。

「そ、それじゃ、とりあえず買い物行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい。兄さん」

 手を振って見送る樫羽は、多少苦笑いながらも笑顔だった。まだ彼女の心の中では自分のことを完全に割り切れていないかもしれないが、それでも今は笑った顔を見せてくれる。ならば、今はまだ安心することができた。


 ++++++++++++++++++++


 そして、翌日。正午も過ぎ、朝早くに起きた人間がそろそろ気だるくなってくるころに、オレは学校から白のワンボックスカーに乗って公道を走っていた。

 当然、運転しているのはオレではない。この車を運転しているのは隣にいる、いまいち覇気が感じられない雰囲気ながらも警察で勤務しているという叔父だ。名前は遠原繁夫(しげお)。年齢は40を超えていながらもある程度整えられた頭髪に穏やかな表情、性格もそれと伴うようにゆったりとした人間で、身内視点も入っているから実際どうかは知らないが欠点などほとんど見つからない。収入の安定している公務員でありながらもいまだに結婚していないのが不思議なくらいだった。

 そんなおじさんは今、警察の制服ではなく緑と白の縞模様のポロシャツにパステルカラーのズボンと私服である。休み、というわけではない。となれば当然仕事中なのだがそんなことも気にしていないのか、車内にはそこまで取り立てて面白いというわけでもないラジオの音が響いている。外はすでに自分たちの町ではなく、どれくらい遠いところか気にならなくなってくるような地まで、車は走っていた。

「……いやぁ、それにしても櫟くんに会うのも久しぶりだよねぇ。樫羽ちゃんは元気かい?」

「そうですね。樫羽なら……まぁ、元気にしてますよ。そういえばあいつからおじさんにお礼を言っておいてほしい、って言われてたんですけど……」

「えぇ? 僕は何かした覚えは無いんだけど……」

「ですよねぇ。最近家に寄ったわけでもないし、まぁ本人は感謝してるみたいだからそれでいいんじゃないですか?」

 何かあったかなぁ……と唸るように首を傾げているも、運転自体に危なげはなく急に揺れたりということはない。ただ助手席にいる自分としてはできれば真横で危なげな運転はしてほしくないのだが、まぁ、悩んでいても目の前が見えているなら大丈夫だろう。内容がどうだろうと個人的にはどうでもいい。

 そこでふと以前言い忘れていたことを思い出した。


「そういえばおじさん。前に言っておきたかったことがあるんだけど」

「ん? なにかな」


 必死に樫羽に何をしたのかを思い出そうとしていたみたいだが、こちらの質問が聞こえるくらいには余裕があったようだ。一瞬こっちの方を向きかけた叔父さんにちゃんと前を向くよう注意したあとでもう一度話しだす。


「えっと、できれば早いほうがいいんだけど……もう家にオレ達のための服とか色々送ってこなくてもいいから、余りそうなくらいもらっちゃってるし」

「うん、そうなのかい? でも女の子ってよく衣類を必要にしてるみたいに聞くけど……」

「いやもう大丈夫だから。あんなにあっても普通の女の子は数年でも使い切

れないから」


 というかそのダンボール、今はオレの部屋にあるんだけどね。ほとんどが服とかで、しかもなぜか女物の下着とかまで入ってるんだけど、叔父さんはまさか買いにいったか通販で買ったりしたんだろうかという疑いが頭の中をここ二年ほどまわっている。だとすればこの人を勇者か何かと呼ぶことも考えなければなるまい。あるいは諸事情で愚鈍と呼ぶこともやぶさかではないが。

 まぁ、天木さんの服を用意するときには役立った。もしかしたら、樫羽が礼を言っていたのはこのことかもしれないけど、これ以上は本当に無用の長物となる。


「それじゃあ今後はしばらく服は送らないでおくよ。ところで」


 外でも眺めようと思ったのだが、今はどうやら赤信号の前に来ているのか移り行く景観というものは無く、舗装された道路や何を売っているのかよく分からない店や前の横断歩道を歩く人ぐらいしか目に入るものはない。叔父さんの話はとりあえず聞いているが既に二時間近くこの車の中にいるのでいい加減に話すことも尽きてきた。それでも暇を紛らわすことが話を聞くぐらいしかないのだから、しょうがない。


「兄貴から、何か連絡はあったりしなかったかい?」

「父さんなら何もないよ。相変わらず手紙とかも来ない。叔父さんのほうには?」

「こっちも何もないね。うーん、まったくどこをほっつき歩いてるんだろうなぁ……」

 信号が変わり、また車が走り始める。叔父さんは右の方向へハンドルを切り右折。そして正面に見えてきたのは、最近増えているらしい、廃ビルの集まった場所。それを見てオレと叔父さんは揃って神妙な顔になる。

「……そろそろ、か」

「…………」

 そう、ここが今日の目的地。この中の一つにオレたちが探してる『魔王の娘』が居るというのが海山さんの情報だった。



 子供や馬鹿が勝手に入り込まないように見回りをしている、という名目で居る警察の人にはすでに話は通っていたようで、廃ビルが密集している地区の内部には容易に入ることができた。そしてどこかそれなりに広い道で車は停まった。

 降りた後で、後部座席に入れられていた大きな地雷のような形をした機械と一メートル近い黒い金属棒を叔父さんは取り出し、棒の方はオレが受け取る。

 機械の方は叔父さんが抱える。これが無くては今から全力で仕事をすることもできないから、重要なものだ。壊さないように慎重である。


「それじゃあ櫟くん。さっきここの警備に聞いたんだけど、娘さんの居る箇所にはあたりはつけてあるらしいんだ。とりあえずは……」

「そこを目指す、だね。それじゃあ行こうか、叔父さん」


 歩き出した叔父の背後について歩き始める。周囲の建物は高さや外観が違うながらも、どれもみな一様に老朽化しているようでボロボロだった。昔は使われていたであろう看板やパイプは錆び、ネズミが走り回っているこんなところに本当に『魔王の娘』――つまり女の子はいるのだろうか?

 程なくして叔父さんは一つのビルに入り、オレもそれに続いていく。他に比べるといくらかマシな状況の建物で、外れかかっている錆びていた看板に書かれていたのは……えーと、とにかくいわゆる「ヤ」とつく職業の方々がいたらしいという事がわかるような、名前は錆で読めないが一番端に組という文字がある。建物自体は朽ちかけていて人も入らないようにされているが、本当はまだそういうのがいるんじゃないかと不安になってきた。


「……叔父さん、本当にここって入って大丈夫なの?」

「とは言われても、ここにいる可能性が高いって教えられただけだしなぁ。それに心配せずとも、ここは元々立ち入り禁止区域だし」

「それを守ってるのか不安だからこうして聞いてるんだけど……まあいいよ、うん」


 手に握っているこの棒をより強く握り締めて、右のほうにあった階段を上る叔父さんの後を付いていく。もしも居たならしょうがないがどうにかこれで追い払うしかないだろう。さすがにヤク……ここに集まるような集団に那須野レベルの動きをするやつもいないだろうし、多分大丈夫だ。

 この棒はわかりやすく言ってしまえば長めの警棒である。最近では魔術を使っての犯罪行為も増えたために従来の警棒が短すぎるとされて全ての警棒がこのような長さにまでなったのだとか。そのためこれには魔術対策として「解呪かいじゅ術式(じゅつしき)」というのをかけてあるらしい。要するに魔術によって生まれた火の玉にこの警棒を当てればかき消せるということだ。魔術実習のときに使われた部屋にかけられていた対策と同じである。ただそこは手作業であるためにいまだこういった警棒の数は少ないが、それでも強度も十分にある。

 一応金属製であるのでぶったたけば相当痛いし、打ち所が悪ければ死んでしまう。今回これを持ってきたのは当然『魔王の娘』を捕らえる為なのだが……正直なところ、これでも対策が足りているとは思えないのが心情だ。それだけに警棒を持つ手にも力が入っていた。


 階段を上りきると、そこはいわゆる事務所のあった階だったのだろう。左側に窓がある通路の真ん中辺りの右側にドアが一つ。空虚で、人が過ごすには寂しすぎるような雰囲気の場所。だが、人がいることは分かる。なぜかと言えば床がこれまで歩いてきたところと違い綺麗な状態だからだ。ビルの外観のような汚れた状態を維持してるわけではなく、どうみてもつい最近ちゃんとした掃除を行った証。これは間違いなく誰かいる。叔父さんも察しているようだ。そして、それは多分――


「それじゃあ櫟くん。部屋の中のことは君に任せる……本当は僕が行きたいところなんだが、すまない」

「しょうがないですよ。あくまでこれはオレに任された仕事ですし。それにオレがこういうことをしてるのは海山さん達にとっても安上がりなのと、多分オレの能力を鍛えさせたいからでしょうね。なら、その期待には応えます」


 まぁ、恐らく今回も割のいい相手だろう。成功すれば80万、失敗してもその1/4はどうにかもらえるので危なくなれば当然逃げるが、頼まれたことには全力で当たる所存だ。

 叔父さんは申し訳なさそうに見ているが、こっちもそろそろ自己複写の準備はしておこう。目を閉じて、意識をこの世界の外へ繋げる――そして自分と似て非なる者の力が確かに流れ込んできたことを感じ、目を開ける。


「……僕は甥の櫟くんを危険な目には出来ればあわせたくない。だけど、こういった異世界がらみの事件はまず海山さんに届いてそこから君に伝えられて――そして君は、断ることをあまりしない。なぁ、そこまでして君はお金が欲しいのかい?」

 身体に湧いた力を馴染ませるように手を閉じ開きして、足は小さく前後にステップ。その間に叔父さんが言った言葉は、間違いなくオレを心配するもので、その言葉にも、ここまで付き合わせてることにも胸が痛んでくる。ただそれでも、オレはこういったことはやめることができないだろう。


「単純にお金が欲しいわけじゃないよ、叔父さん。オレは叔父さんに今以上の仕送りをさせたくはないんだ。そして稼ぐことができるのなら自分の手で稼ぎたい……なんというか、素直に頼れないのかな」


 それだけは譲れない。子供の意地のように頑固だが、叔父さんや海山さんにこれ以上頼るなんてのは、嫌だった。

 叔父さんには、小さい頃からの恩がある。この人が居なければオレ達は今ごろ父を恨むだけの、ただ貧しいガキだった。

 海山さんには、学ぶ意味と場所を教えてもらった。この人が居たから、オレは今こうして家庭を潤すことができる。

 この二人への恩義は重く、オレは一刻も早くそれを返したかった。だからこうして、この場にいる。

「……そうか。だけど櫟くん、君と樫羽ちゃんは僕が兄貴からしばらく預かってるだけでも大切な子たちだ。それを忘れないでほしい」

「分かってますよ。ありがとう、叔父さん。……それで、そっちの準備は?」

 叔父さんが今の今まで起動させようとしていたのは、車から担いできたあの機械だ。動かすことには成功していたようで、こっちが聞いたのを頷いて返してきた。これでオレ達の準備は終わりだ。

「それじゃあ、行ってくるよ」

 塗装の剥げた木のドアの前へと歩き、それを開く。


 中にいたのは――机の上に座った幼女だった。


 ++++++++++++++++++++


 部屋の中には奥に割れた窓ガラスがあるも、そこは日が入り込まない北向きの窓。扉の手前には話し合いにちょうど良さそうな机とそれを挟んだソファがこちらから奥へと置かれていた。しかしこれも、部屋の端に置かれている本を納めるような金属製の棚も一様にボロボロになっている。廃ビルにこのようなものが揃っているのはおかしいが、恐らく廃ビルになったあとにもこっそりと隠れて使っていた奴らがいたのだろう。そして窓とソファなどの間にある執務机。その上では黒のゴシックロリータ調の衣服を身にまとい、腰に届くぐらいの長さで薄い桃色のストレートヘアの幼い女の子が、片足を伸ばして座りながらリンゴをそのまま齧って食べていた。

 座っていた女の子はその日本人離れしたかわいらしい顔をこちらへ向けて、驚いたような表情をしてきた。

「……おにいさん、だぁれ?」


 心底不思議そうにしてこちらへそう尋ねてくる女の子。普通の目線で見れば大の男にも物怖じしないような子供というだけだが、今こちらは手に持った黒い金属棒を向けているような状態でついでに表情は一切緩める気の無い、知らない人から見れば小さな子供を本気で睨んでいるようなものだろう。そのような状況ですらまるで怯えが無いのは、自分に危害を加えることのできる存在がいないと思っていることの表れか。つとめてそっけなく女の子の質問に返事をする。


「オレは遠原。とりあえず、きみを捕まえに来た人ってところかな」

「え、あたしを? おにいさん、ただのニンゲンなのにあたしをつかまえるなんてできると思ってるの?」


 本気で驚いたのか冗談だろうとでも思われているのかその体に力を入れるような様子は無く、未だに執務机の上に座りながら手に持っている半分以上は食べ進められたリンゴを齧る。机の上でものを食べるなんてのはできれば叱ってやりたい行動だが、今はそれどころではない。

 入ってきたドアのノブを手に持った警棒で思いっきり上から叩いて外す。これでこのドアを開けることは容易ではなくなった。その行動に目を見張る女の子に告げる。


「悪いけどオレは本気だよ。魔王の娘《ユゥナ・グレイストフ・ミッチェ》。きみを捕まえろって言われてるんだ。できれば大人しく家まで帰ってほしいけど……」

「イヤ! せっかくのパパからのたのみでもあるもの! 『思う存分、やれる限りに力を振るっていいからな』って言われてよろこんで来てぶざまに力の半分も出せなかったのを、ようやくいつもぐらいまで戻らせてきたのに、まだ何もしてないわ! だからまだ帰らない!」

 子供特有の甲高い怒り声。その表情もまだ幼さが残ったかわいらしいものだが、それで振るわれるかもしれない力は、大人なんて目ではないほどの暴力に近いのだ。油断してはいけない。

「どうにもまだ帰る気は無い、と……そうなると、これはいつもみたいに面倒なことになりそうだな……」


 しかし嬉しい収穫もあった。まだ何もしていない、ということはこの子はまだ人には手を出していないらしい。人に手を出して万が一人殺しをしてしまった魔王の子らは後々での事後処理に手間がかかるし、何よりそういった子供は人格からしてどこかおかしくなっていることが多い。目の前にいる女の子はその可能性が低いということがわかると気が軽くなる。急にこっちの世界に来て全力を出せない、というケースはたまにあるが、今回はそれに感謝しよう。

 だがそれ故に、懸念されることもある。少女はなにか閃いたような顔をする。


「……そうだ! 遠原のおにいさん! このまま帰る気もないけどまずはおにいさんに思う存分力を振るわせてもらうね!」


 ……これである。人に力を振るったことが無いと、その魔王の卵としても有り余りすぎたような力を全力でぶつけてくることを躊躇わないことが多いのだ。無論全力でぶつかってこられたらなすすべも無くやられるのでそれ用の対策はあるのだが、なんにせよ相手を無力化しなければいけないことは変わらない。

 持ってきた警棒を両手で持って構えると、向こうもようやく食べ終わったリンゴを窓の外に投げ捨てて、執務机から降りるのかと思えばそのままそこへ立ち上がって腕をこちらへ向けてきた。


「それじゃあおにいさん。『死なないように』がんばってね?」

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