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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
夏日の来訪者
51/53

陽炎のふる里

……目が覚めると同時に、慣れない感覚が湧いてきた。仰向けに見える世界は、いつも見る天井とは違うそれ。今居るこの部屋に漂う匂いもまた、どこか自分が目覚めたという実感をさせないものだった。身体を起き上がらせて、周囲を見る。だんだん目が冴えるとともに、頭のほうも少しずつ今の自分の状況を思い出してきた。


「……諏訪野先輩たちの家、だったな」


 昨日、レジャープールに三人で遊びに行って……その後はここに来たんだった。

 千花ちゃんから彼女のことを聞いて、夕食を取りながら諏訪野先輩からその話の続きを聞いて……それで、そのあとはどこかに集まることもなく、話をしたのも風呂の順番で呼ばれたりした時ぐらいしかなかったか。まぁ、昨日は疲れが出たのか22時にはみんな寝ていたみたいなんだが……なんだかリビングに敷かれた布団の上で適当に過ごしていたのを差し引いても一人でいたのはさびしかった気がする。

 明確になっていく昨日の記憶をよそに、オレは窓を見てみるがどうにもカーテン越しに漏れて入ってくる光は朝にしても微妙なものだ。自分の携帯電話を荷物から取り出して時間を見てみると、4時30分を回ったところだった。そりゃあ、なれない時間に余計ボーっとなってしまうわけだ。

 そして、携帯電話の表示をよく見ればどうもメールが一通来ている様子だったので、それを開く。差出人は樫羽だと見て分かったのだが、その内容は……なんというか、意味不明だ。題名も無ければ、本文にいたっては――


『おに』


 しか存在しない。だいたい0時ごろに送ったみたいだが、それしかメールが来ていないのも不思議だ。なにか補足ぐらいは送ってくる性質たちだと思っていただけに、意外である。

 逆にオレから送り返して詳細を聞いてみようかと思っていると。


「……廊下から、物音?」


 廊下のほうからドアが開くような音が、オレの耳に偶然入った。こんな時間に誰かが起きたのかと思いつつ、耳をすましてみると足音がオレのいるリビングの外からかすかに聞こえてきた。やがてそれが聞こえなくなり、その後には玄関が開く音。

「…………」

 気にしないことは簡単だったが、気になった時点で体はすでに動き始めていた。

 閉ざされた玄関の音が聞こえた後に、オレは眠りから未だ覚めきらない固い体を起こすとリビングから廊下に出て、同じく玄関のほうに向かった。おそらく先ほど開いたであろうドアは無機質な沈黙をしている。

 しゃがみこんで靴を見てみれば、昨日ここに来た時にもあったものから一組欠けている。記憶の中にはあるそれは確か、千花ちゃんのものだった。つまり出かけたのは……。


「……驚いたな、まさか君まで起きているとは」


 ギィと、背後からまた戸の開く音。予想外の音に驚きもしたが、今度はその主を目に入れることができた。


「諏訪野先輩……」


 腕を組んで、開けた戸に寄り掛かる諏訪野先輩は寝間着姿のままだった。それを密かに目に焼き付けつつ、オレは先輩に聞く。


「よくわからないですけど、なんでこんな時間に千花ちゃんは出かけて行ったんですか? なにか用事でもあるとか?」

「……実をいうと、私も詳しくは知らないんだ。ただ、一年ぐらい前から週に三回はこの時間に家を出て行って、6時には帰ってきている。気にはなるんだが、私も去年までは生徒会の仕事とかで色々忙しかったから調べられなかった」

「へぇ……」


 何をしているかはわからないが、特に危ないことをしているわけじゃなさそうだな。というか、千花ちゃんはそういうことをできるような子でもない気もするけど。とにかく、それならばオレもあまり心配することはなさそうだ。


「しかし、ある意味ちょうどいいな。今度この時間に出かけることがあれば、後をついていってみるか」

「家族とはいえ、プライバシーはあると思いますよ」

「出かけていることを黙っているほうが悪いのさ」


 秘密にしたいから黙っているのではないだろうかと思うのだが……まぁ、そこまで口出しすることはないか。


「ひとまず、私はもう一眠りしてちーが帰ってくるのを待つかな。遠原後輩はどうする?」

「オレももう一度眠ります。このまま起きていてもなにかできるわけでもないですしね」


 それもそうだと諏訪野先輩は言いながら部屋に戻っていった。廊下が静寂に包まれ、ここにいてもいたたまれなくなりそうな空気。リビングに戻って、さっさと布団をかぶって夢を見るのがよさそうだ。

 千花ちゃんのことは気になるが、いつもやっていることをわざわざ覗きに行くこともないだろう――そう考えながら、オレは欠伸をしながらリビングに戻った。


 +++++++++++++++++++++++++


 あたしは顔を覗かせるように、路地を見た。この行動を何回繰り返したかわからないけど、しかし目的の人物はここにもいない。これまではだいたいこのあたりの路地裏でしゃがみこんでいたのに、当てが全て外れてしまった。今日はせっかく話したいことがあったのに、このままだとお姉ちゃんたちが起きる前に帰ることができなくなってしまう。


「どうしよう……」

 そんな弱音が口から出てしまう。今日は出直して、明日また来ようかとも思ったけど、どうせここまできたなら一言何か伝えていきたい。

 そんな逡巡に足を止めていると――


「……なにしてるんだ、お前」


 背後から掛けられる、聞き慣れたその声にあたしはバッと顔を振り向かせた。そこには探していた人物が呆れたような顔をして立っていた。


「よかったぁ……あたしはてっきり、ついに立ち退きでも強制されたのかと」

「馬鹿言うなっての。いつもここにいるわけじゃないんだぞ。今だって食事してきたところだ」

「あ、ちゃんと食べてるんだ。それも聞いて安心しちゃった」


 あたしから見て、これまではろくに食事をとっているようなイメージが無かっただけにそれが聞けるとほっとする。ここ数か月姿を見なかったときはまず真っ先に飢えを心配したもので、二週前に久しぶりにその姿を見たときもまた同じように胸をなでおろしていた……と、そういう話をしている場合ではなかった。


「えっと、今日はおじさんにまた聞いてみたいことがあったんだけど……」

「おじさんもやめろって毎度言ってるはずなんだが……まぁいい。で、今日はなんだ? 王子様みたいなやつとはよろしくやれてるのか?」

「う、うん……」


 王子様、と言われると顔が少し熱くなったのが自分でもわかった。今でもそのようにあの人を捉えてはいるけど、ただ――少しだけ、その認識も変わってきているような気がしていた。それでも想いの軸は変わっていない。変わらないからこそ、あたしはここに来たんだろう。


「……先輩に、あたしの家に泊まってもらいました」

「げぇっほっ」


 とりあえず、現況報告としてそのことを伝えてみると、大きな声で咳き込まれた。あまりに激しい咳だったので、思わず背中をさする。


「げぇっほ……げほぉっ」


 落ち着いてきたところで離れて完全に収まるまで待つと、じろりとその人はあたしを見てきた。


「……衝撃的な話を早朝から聞かせるんじゃねえよ。子供みたいな恰好なりで積極的すぎんだろ、お嬢ちゃん」

「子供みたい、って言わないで――!」


 あたしにとっては一番屈辱を覚えるワードを的確に踏み抜いてきたその人を睨み付けそうになって、思いとどまる。いけないいけない、あたしはこれからこの人に聞いてみたいことがあったのだ。子供のような逆ギレで不意にしてはいけない。大人の余裕を持って対応しよう。


「……こほん、そ、それで……」

「わかってるよ。いつものやつだろ?」

 

 話が早くて助かる。しかしそれと同時に、自分が頼り切りなことを改めて突き付けられているようで情けなくもなった。とはいえ、あたしには男の人にどうやって近づいていけばいいのかというものが、ノウハウどころか基礎から存在していないためにどうしてもそこはこの人から聞いて得た知識が頼りになってしまう。お姉ちゃんは一度聞いても答えをはぐらかされたし、なによりこの人は男の人だから、というのがその理由である。一応真面目に考えて、信頼できる答えをしてくれているかどうかはある程度見極められているつもりだ。だから、万が一この人の考えが間違っていても、それはあたしの間違いとして受け入れようと思っていた。


「……あたしは先輩が好きだっていうのは、変わらないけど……先輩から、男の人からあたしを好きになってもらうにはどうすればいいんでしょうか……」

「……まさか、相手にされてないのか?」


 おじさんの言葉には首を横に振った。そういうわけではない……だろうと、思うのだけれど。


「好きになってもらえてるのかどうかが……よく、わからなくて」


 あたしも、自惚れるならば自惚れて先輩も自分に振り向いてくれると思いたい。そうできれば、きっと楽になれる。だけど、最初から嘘を嘘だと認識していてはそんなのは自己暗示や催眠、まやかしにもならなかった。なりようがないものに、心をゆだねられるわけもない。

 だからあたしは、本当に先輩に自分の気持ちを受け止めてもらえるようにするだけだ。嘘になれないのなら、本当になるしかない。そしてそれを真実にすればいい。

 もしもならないなら、それが――


「そうか……自分にも答えがすぐ出せそうにはない。だが、明日になれば、それまでにはちゃんと考えておけると思う」

「……わかりました。じゃあ、また明日に来ます」


 すまない、と短く謝られたけれど、むしろ毎度毎度こんな悩み――それもこれまではもっと端的な質問ばかりしてきたのはこっちだ。むしろあたしのほうから謝りたいけど、この人はなぜか謝られるのを極端に嫌がっていた。前に一度同じようなことで小さく謝ったとき、逆に余計大げさになって謝られたことがあったので、それ以降は害をなさない限りはできるかぎり謝ったりしないことにしている。

 ひとまず今日も、これからお姉ちゃんが起きてくる前に家に戻って朝食の準備でもしておこう。それに明日もまたこのおじさんに会えるのは、ほんのちょっとだけど嬉しい。片手を挙げて、あたしはそれじゃあと家路につく。




「あぁ――どうにか、最後に一人は救えるのかもな――」

 ――ぼろぼろの法衣を着た、壮年の男は壁にもたれかかると薄暗い空を見上げて密かにそう呟いていた。



 ++++++++++++++++++++


 横目でちらりと、いそいそと洗濯物を畳む千花ちゃんの様子を見た。特におかしいそぶりもないまま、家事に勤しんでいる姿は本当に自然で、今までも(多分これからも)朝にこっそり出かけていることなんてばれてないと思っているんだろうなぁなどと思っているオレが何をしているかというと、特に何もしていない。強いて言うならば、何かすることが見つからないとも言えた。他人の家だから当然だとも思えるのだが、お客様待遇のようになにもしないでぼーっとしていてもなぁ、とも考えてしまう。昨日は千花ちゃんが部屋から出てこないし先輩も出てくる理由がなかったし、オレから押しかけるのも気が引けてといろんな理由でろくなことができなかったのも関係してそうだ。

 ついにはそんなオレの様子を見てか、諏訪野先輩も――


「なんなら宿題でも持ってきてくれれば、私が遠原後輩に教えることもできたかもしれないんだけどね」

 

 などと、冗談めかして言う始末だった。ほぼ遊びに行くような気持ちだったので、宿題持参という発想は一切生まれなかったがこうなるとそれも失敗だったかもしれないと思わされてしまう。

 ……どうせこのままなら、思い立ってしまったほうがいいか。


「ねぇ、ちーちゃん。洗濯が終わったら、ちょっと出かけない?」

「ふぇ?」


 急に話しかけたからか、千花ちゃんは少しびっくりしていたみたいだ。そして呆けたような顔がみるみる内に震えだした。なんだろうと不思議に思いながらその様子を見ていると千花ちゃんが身を乗り出すようにして尋ねてくる。


「せ、先輩。それってもしかして――デート、ですか?」

「え?」


 今度は、オレが驚くことになった。なるほど、たしかに二人で出かけようと誘ったならばそれはデートと思われても仕方ない……か。うーむ、そうなるとちょっと問題があるのかもしれないが……相手が千花ちゃんならば――


「――そうだね。どうせなら、デートってことにしようか」

「ええええっ!?」


 思い切って、それぐらいのつもりで出かけてみるのもありかもしれないと思ったのだ。今日にはオレも家に帰るわけだし、このままずっとお邪魔させてもらっても申し訳ない。持ち合わせも二人で軽く遊ぶぐらいにはある。とりあえず、ここに諏訪野先輩は居ないのであとで話をしておこう。


「あ、でもちーちゃんが無理ならオレも別にかまわないよ。なにか用事があるならそっちを優先でも」

「いえ! 先輩に誘っていただけて嬉しいです! ぜひ出かけましょう!」

「そ、そう」


 目が輝いている千花ちゃんの勢いには完全に押されそうになったが、とにかくこれで今日の予定は問題なさそうだ。一応夕方にはここにある荷物を持って帰るとして、それまでにいける場所を考えておこう。

 横では千花ちゃんが体を揺らしながら洗濯物を畳んでいるのを眺めながら、オレは簡単なプランを立てることにするのだった。


 ++++++++++++++++++++


「いってきまーす!」


 千花ちゃんが元気よく玄関から外に出て行った。それを見ながらオレも立ち上がって、廊下で見送りに出てきた諏訪野先輩に顔を向けた。


「それじゃあ先輩。今日はゆっくりしていてください」

「あぁ。妹のことは任せよう、後輩」


 余裕たっぷりに思える口調で諏訪野先輩はオレの軽口にも応えているが、それがさっきまでオレと千花ちゃんが二人で出かけることにゴネていた人の口ぶりだと考えると、変な笑いが出そうになった。千花ちゃんが懇願しなければ、たぶんあのまま折れなかっただろう。


「……なにか思うことがあるのなら、直接言ってみたらどうだい?」

 

 そう言いながら向けられた、不自然なほどに整った笑顔が不気味だ。少なくとも、有無を言わせなるつもりはなさそうにしか見えない。


「なにもないですって」


 このまま突っ立っていて、魔術でも使われたらたまったもんじゃない。逃げるわけではないが、ここはさっさと千花ちゃんの後を追うほうが賢明だろうと判断したオレは、そのまま先輩たちの家を出てマンションの一階まで下りていく。


 千花ちゃんは、ちょうど入口で待ってくれていた。なにやらオレが出かけることを提案した後に着替えてきたらしい服は、サイズが合っていないのか少々ダボッとしているようだ。なぜそのような服装に変えたのか、気にはなったがその質問をする暇もなく千花ちゃんはオレの腕を引っ張った。


「そ、そんなに急がなくてもいいんじゃない? まだ行き先も決まって無いんだし」

「でも先輩は夕方には帰っちゃうじゃないですか! だったら、時間なんていくらあっても足りませんよ!」


 熱のこもったその言葉に、オレも「確かに」と思わず頷いてしまう。どうせなら、今日は……いや、今日も千花ちゃんのやりたいようにしてもらうのが一番だろう。


「千花ちゃんは、どこか行きたいところはあるかな」

「行きたいところ、ですか?」


 その質問に千花ちゃんは少し考えこんだようだったが、すぐに答えが出たのかその足が逸るように先へ進む。オレは目的地がどこなのかということを聞かないまま、千花ちゃんの後についていった。




 何度も言うようだが、一応この世界には異世界の人間も住み着いている。とはいえ当初は全面的な受け入れではなくこっちに住む異世界人は関東の一つの区域に集められていたのだとか。それは異世界人という存在が次第に増えていくにつれ特定の地域だけのものでなく全国的に、異世界人が「主に」住んでいる地域として広まっていったそうだ。もっとも今となっては異界に居を移す現代人すらいる時代、あくまで最初の混乱を防ぐための措置としての存在だったそれはいつしか、ただなんとなく異世界人の割合が高めの住宅地へと変貌していったとか。

 この街にも一応そういう地域が過去にあり、ご多分に漏れず異世界人多めの普通の地帯が存在する。そして今、オレが千花ちゃんに連れられてきた場所こそがそれだった。話には聞いたことがあるが来た事はなかったオレとしては、まず普通にどう見ても天然らしい獣耳を備えた男やら見たことないデザインの洋装とも違う独特の服装の女が闊歩する道ですでに気おくれしてしまう。

 対照的に千花ちゃんは平然と、周囲を見ながら前を歩いていた。慣れが無いとはいえ男として情けない、その反骨心だけでオレは千花ちゃんの横につく。


「先輩は、ここを見ていて何か感じたりはしませんでしたか?」


 隣に来たオレに、千花ちゃんはふとそう訊ねてきた。始めて来る場所に、初めて見る物がたくさんある。そういうことに少しは心も動くが、感じるというほどのものは無い気がした。強いてあげるならば、景観か。もともとは別世界の住民を集めていた特区のようなものだからか、住宅が多いと言ってもその外観は統一性が薄い。あえて言い表せば、和風洋風欧風アジアン風古今東西現代過去未来……とわけがわからないものとなるだろう。まるで適当にその時その時気になった色をぶちまけられたかのような家々だが、だからこそか。


「……なんというか、異国に紛れ込んだような気分がする」

 

 そう。今まで過ごしてきた世界とは別の場所に来たような錯覚……それが感じられたものだろう。きっと、このような景色が存在するのが未だ見たことない異世界という存在なんだろう。そう考えると、この町はまるで――


「あたしも、先輩と似たようなことを思いました。まるで異国――異世界のようだなって」


 千花ちゃんは笑顔を浮かべながら、浮かれたような口調で楽しそうに語る。爛々とした目には憧れのようなものが見て取れて、オレもまたその目に共感を覚えた。見知らぬ土地には、興味もある。いずれ行く機会があるのならばオレも異世界に足を踏み込んでみたい。

 横で能天気にそんなことを夢想して、憧れに浸りそうになる自分を馬鹿だと思いたくなったのは、千花ちゃんがその言葉を口にした時だった。


「だからなのか、ここに来ると思いだしそうになるんです。あたしが、こっちに来る前に住んでいたのかもしれない世界で見たものが……」


 千花ちゃんはほとんどをこっちで過ごすことになったとはいえ、異世界から来た人であることに変わりはない。仮に千花ちゃんが今の生活を気に入っていたとしても、元の世界を考えないということはないだろう。そのことを失念していた。オレの近くにはもう一人、樫羽という同じような存在がいるにもかかわらずだ。そう考えると、千花ちゃんの横で初めて見るだけの物にはしゃいでいただけの自分が嫌になる。


「……それで、ここに来てなにか思いだせたの?」


 千花ちゃんは、無言で首を横に振った。


「思いだすというよりも、なにか薄ぼんやりとしたものが見えそうになるんです。知っているような光景とか、それらしいものだと思うんですけど……それがなにか、全然分からなくて」

「そうか……」

「あたしとしては、別にそれでもいいんですけどね。今更違う世界に家があったとしても、そこにあっさりと帰れるわけでも無いですし。ただ、本当の両親の顔だけはちょっと気になりますけど」


 千花ちゃんは笑っていた。オレにはそれが強がっているように見えたのは、ただの考えすぎなのかもしれない。本当に千花ちゃんが自分の本来の世界のことを気にしていないにしても、しているにしても、ただ――選んだ世界で幸せに過ごしてくれれば、それだけで十分だ。

 その事を考えながら歩いていたからか、千花ちゃんの言葉に反応するのを忘れてしまっていたようだ。彼女が前に回り込んでオレの顔を訝しむように覗き込んできた。


「先輩?」

「……ごめん、ちょっと考えこんじゃった。千花ちゃんがそれでいいのなら、それでいいとオレも思うよ」

「考え込んだ、って……あ、あんまり深刻に考えてもらわなくてもいいんですよ? だって結局、あたしが忘れっぽいのが悪いだけで」


 それは忘れっぽいのが関係あるようなことなのか、と言い返しそうになったところでオレは肌が一瞬静電気でも浴びたかのような、ピリッとした感覚に陥る。そして恐らくそうなった原因が前方――千花ちゃんの背後から近づいてきているのを見た時オレは、咄嗟に千花ちゃんの前に動く。


「えっ?」「しゃがんで!」


 千花ちゃんが驚いたような声を上げると同時、それをかき消してオレは叫ぶ。千花ちゃんが言われるままにしゃがんでくれたのを確認した後で、オレは右手で魔力の存在を掴む。


「『隔て 守れ 包め 我を傷つけるというのならば 我もまた己を護る盾を欲す!』」


 千花ちゃんとオレを二人守るだけの結界が生まれる。千花ちゃんはあまりに急な出来事だったからかしゃがみこみながらも慌てている様子だ。それでも、目の前から向かってくる危険から視線は大きく外さない。

 それは、前方から飛来してきた火球だった。オレにとってもよく見知っている、基礎の魔術のそれによく似た赤いもの。それが3つ、こちらに向かっている。しかし、狙いが甘い――というよりもそもそもこちらを狙っていたかどうかすら怪しい軌道でやってきたそれからは、適当に放たれたような印象しか持てなかった。あるいは、流れ弾の可能性。

 そう分析しているうちにも近付いてきていた火球は、オレの張った障壁によって阻まれて掻き消えた。

 次が来る様子もなかったのでひとまず魔術を解いて、千花ちゃんの無事を確認する。


「大丈夫だった?」

「は、はい……」


 千花ちゃんはただただ驚いていたのか、目を白黒させて火の玉が飛んできた方向を覗き込んでいた。

 あれを飛ばしたであろう人間はこっちに来ていない。今みたいなことが起こって、ここから先に進むべきかどうか……そう考えようとした矢先だった。


「ん? もしかして巻き込まれた現世民かい?」


 突然背後から声をかけられ、驚きながらもオレと千花ちゃんは振り向く。そこにいたのはマントで首から下を隠した一人の女性だった。

 現世民――その言葉はオレのようにこの世界で生まれ育った人間のことを指して使われる言葉だった。そしてその言葉を使うのは別世界に生まれた人たちがもっぱらだ。


「貴女は……異世界人でいいんですかね。今のはいったい……」

「それがここ最近、妙な小競り合いがこのあたりで起きることが多くてね。少々危険なので一度捕まえておこうと思っていたんだけど、現場を見つけたり騒ぎに気付いた時にはすでに逃げられてしまっているんだ。キミも魔術を使っていたみたいだけど、それならどれぐらい危ないかは分かるだろう?」


 こうして俺達が交通事故みたいなことにあっていることからも、確かに下手をすれば誰かが巻き添えになる可能性がある――そういうことだろう。それは理解できるし、できるなら早く解決してほしい話だ。だけど、これをやっている連中はどうも鼻がよくきくらしい。なにか手助けできればいいのだけど……オレができることも多分無いだろう。


「あの……そ、そんな危なっかしい人達なら、お姉さんが行っても危ないんじゃ……?」


 千花ちゃんが恐る恐る、といったように小さくなりながらも女性に尋ねる。まぁ確かに、魔術を使う人間が相手ならそれなりに危険であろうことは予測できるが……そんなことはないと言いたげに、女性は軽く笑った。


「私を心配することはないさ。これでも一応元居た世界ではそれなりの『刻印使い』だったのでね」

「刻印使い?」

「身体に刻んだ刻印に応じた術が使えるようになる、一種の精霊契約魔法……って言っても、ここには精霊が居ないようだし分からないかもしれないけどね。要はこっちの魔術使いに引けはとらないということだ。それに私以外にも腕っ節の強い者から術者までここに住んでいる一部の連中が協力してくれている。だから気遣いは気持ちだけ受け取らせてもらうよ、お嬢さん」


 マントから腕だけを出すと、その掌に小さな紫電が一瞬だけ奔った。そして腕には確かに黒くけた痕のような模様――おそらく、刻印といっていたものがたしかにある。なるほど、問題ないというのは嘘ではないのだろう。よその世界の術理なので知識も何も無いが、それでも魔術に劣るようなものではなさそうだ。千花ちゃんもそれ以上は食い下がらなかった。



「……とはいえ、私も彼等も言っては何だが一線をすでに退いた身ではある。そういう意味では頼りないかもしれないが、この問題は私達に任せてもらいたいんだ」

「言われなくても、オレじゃ出る幕もないですよ。ちょっと魔術が使えるだけの学生が混じって経験のある人達の邪魔をするわけにはいきませんからね」

「そうかな? さっきのを見る限りはキミも邪魔になるというほど経験が無いわけではなさそうだが……っと、すまない。引き止めてしまったね」


 話がずれたと思ったのか、女性はそういうとさっき火球が飛んできた方向に向かって歩き出した。なるほど、こっちには行かず引き返せということだろう。そうは言われなかったが、手を出さないとさっき言ったところだ。ここは来た道を戻って他のところに行くべきだろう。


「行こうか、千花ちゃん」


 そう促して、オレと千花ちゃんは元来た道をまた歩き始めた。

 脚を進めながら思う。外観は確かに見慣れないものでも、ここには人と家がある。それは要するに、なんら変哲の無いありふれた日常のある場所だ。そこで何度も暴れるなんて、いったいなんの目的があるというのか。憂さ晴らしだというのなら、さっさとお縄になってほしいものだけど。

 そんなことを考えながら歩くオレの手を、横から千花ちゃんが掴んだ。


「……また、先輩に助けてもらえました。ありがとうございます」

「気にすること無いよ。今回はオレじゃなくても誰だって助けるって」


 実際とっさに障壁は張ったけど、あれだけ狙いが甘ければ動けなくならない限りは見てから動いて避けられただろう。いくら最近物騒なことが増えていても、魔術はちょっとやりすぎだったかもしれないともちょっと思ったところだ。

 だというのに、千花ちゃんは手を離すどころか掴んだままでオレの顔を嬉しそうに見上げている。そんなことは関係ない、とでも思っているかのようにだ。


「先輩がもう一度助けてくれたことが嬉しいんです。それに、実を言えば前よりも嬉しいんです。今度は……先輩はあたしを知っていてくれているんですから」

「前って……」


 学校内での魔王の子との鬼ごっこの時だろう。オレはあの時、千花ちゃんのことをただ校内で迷った一般人だと思っていた。そしてそのことでオレと千花ちゃんはこうしてデートまでしているわけだ。

 ……それが、嬉しいものなんだろうか。そんな考えが顔に出たのか、千花ちゃんは途端に不機嫌そうに頬を膨らませる。


「先輩は分かってないみたいですからもういいですけど……それでも、とっても嬉しかったです。ありがとうございます、先輩」


 千花ちゃんはそういって、オレの手を離すとそのまま前方に駆けていった。オレは千花ちゃんに掴まれた手を見ながら彼女の後を追う。


 手首には小さな手の熱い感触が、まだ残っているようだった。

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