表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
夏日の来訪者
47/53

“はな”咲くプールサイド

 あれから先輩たちと合流した一時間ほど後――オレはとある場所の青いロッカー前にいた。周りにはこれから向かう先に適した様相に着替える男たち、そして帰るのか普通の服装に着替える男たち。オレは前者に入る予定だ。

 受付でもらったナンバーキーとロッカーのナンバーが合致するかどうかを確認してからオレはそこを開けて、中に荷物を入れる。だが、閉める前にその荷物の中から必要なものを抜き取るとそれを広げる。前日に用意した青いトランクス型の男物水着だ。


 オレと諏訪野先輩たちが一緒に来たのは――とあるレジャー施設にあるプールだった。




 着替えて更衣室を出ると、すぐに混雑している様子が見て取れた。夏だし、それに学生の大半は夏休みだから当然なのかもしれない。ついでに言えば日曜日だ。込み入るのは仕方ない。


「……入る前に落ち合う場所を決めておいて正解だったな」


 千花ちゃんからもらったここのパンフを開く。たしか二人とはウォータースライダーの周辺で落ち合うことになっているので、中に描かれているマップから現在地とウォータースライダーへの道のりを確認してみる。とりあえず、今居る場所から西に行けば問題ないようだったのでその方向を見る。

 目に入ったのは、恐らく自分が向かうべき道の上にぎゅうぎゅうに詰められているかのような密度の人の群れが、自分が向かうべき方角に向けてゆっくりと進んでいる光景だった。どことなくアフリカあたりの野生動物の集団移動を思い出す。それから予想できる事態に、オレは肩が重くなるのを感じながら目を覆った。


 ゆっくりと進んでいく人の集団に混じり、歩調を合わせて進んでいく。歩きながらも少々げんなりした気持ちを覚えるのは、オレがあまりこういった場所を得意としていないというところもあるんだろう。ならばなぜこんな容易に状況を想像できる場所に来ているのかと言われれば、それは単に千花ちゃんに一緒に行きたいとお願いされたからである。当初はやんわりと断ろうかと思ったのだが、諏訪野先輩が「少しの間でいいからできるだけ妹の頼みを聞いてほしい」と言ってきたのだ。そのためこれ以外にも多少千花ちゃんから頼まれたことがあったりする。幸い、あまりに無茶なことは言っていなかったので全部引き受けた。後で安請け合いだったと悔やむような事にならなければいいのだが。

 頭の中でとりあえず他のお願いをどうするかを考えながら進んでいると、少しずつ周囲の人がまばらになってきて、分岐路が見えてくる。後で分かった事だが、どうやら千花ちゃん達と待ち合わせることになっていたウォータースライダーまで行く道の先に、別の少し派手なスライダーが新しくできたらしくさっきの人の流れはそれであれほどの密度を誇っていたらしい。

 とにかく、人が減って容易に進めるようになったので少し速く目的の場所に行こうとすると――


「――あ、先輩! こっちです、こっち!」


 背後から(・・・・)聞き覚えのある声がしたので後ろを振り向くと、千花ちゃんが手を振りながら走り寄ってきた。しかし笑顔を浮かべながら近づいてきた彼女は、突如バランスを崩す。


「わわっ……」

「! 危ない!」


 前につんのめるように倒れてきた千花ちゃんが地面にぶつかる前に、オレは彼女の体を受け止めようとする。とっさな事だったが、小柄で軽いのも幸いしてかオレは彼女の身体をちゃんと掴むことに成功した。


「大丈夫、ちーちゃん?」

「は、はい、先輩……」


 千花ちゃんがなんとか立ち上がりながら顔を上げると、やや紅潮しているような様子が見て取れた。熱でもあるのかと思ったが、千花ちゃんが自分の肩にチラッと目を向けたのでオレもそれを追う。

 そして、どういうわけなのかを理解した。オレは千花ちゃんの肩に手を置いていたのだ。急な事だったとはいえここはプール、肩はほとんど出ているのが当たり前で肩を掴んでいるとなれば自然、服越しというわけでもなく直接触れていることになってしまう。それは流石に、なにか思うところがあるのだろう。とりあえずこのままでは何も始まらない気がしたので、オレは千花ちゃんの肩から手を離した。


「――あっ……」


 千花ちゃんはなにか言おうとしたかのように口を開いたが、すぐにつぐむと「と、ところで!」と話を切り替えるかのようなことを言い始めた。


「先輩、速かったんですね。あたしもけっこう速く来たかと思ったんですけど、少し遅れちゃったみたいですし」

「……そうだね。あの人混みじゃなければもう少しはやく合流出来てたかもしれないけど、それは言っても仕方ないか」

「そうですねー。でもあたし小さいですし……お姉ちゃんならともかく、あたしだと見つからなかったかもしれませんね」


 そう言って千花ちゃんは苦笑いを浮かべた。確かに、彼女はどちらかと言えば小柄なほうだ。中学生といえば信じ込まれるだろうし、ともすれば少し背の高い小学生とも思う人もいるかもしれない。まぁ、同意しても可哀想だし下手に否定するのもやめておくべきか。どうやら千花ちゃん本人も自覚している節はあるようだし。


「そういえば、先輩はもう少し時間がかかりそうだった?」

「お姉ちゃんなら少し遅れるかも、って言ってましたよ。それより遠原先輩、あの……」


 千花ちゃんは言葉の途中に急にもじもじとして、やや上目遣いのような視線を向けてくる。そしてなにかを言いづらそうに口をつぐんでいたのだが、やがて意を決したかのように言った。


「あ……あた、あたしの水着、どうですか!?」


 それは周囲に響くような大きな声だった。辺りに居た、恐らく今の彼女の発言をしっかりと聞いたであろう人たちは小さく笑ったり、口元に手を当てたりとどこか微笑ましげに思っているようなリアクションをしている。だが千花ちゃんは、それに対して段々と恥ずかしげに顔を赤くしていった。

 それに対してオレはどうしたのかというと、まずは千花ちゃんの着けている水着を見た。オレンジ色をメインに据えた明るい色合いの、セパレートタイプのもので一目見たところ千花ちゃんにはとても似合っているように見えた。個人的な好みで言えば、もう少し身体のメリハリというか凹凸があると喜ばしいのだが、そこはどうしようもないしさっきの千花ちゃんの様子を見るに追い打ちになりかねないので言わないでおこう。


「うん。かわいげがあって、ちーちゃんによく似合ってると思うよ」

「本当ですか!? ありがとうございます、先輩!!」


 千花ちゃんは明るい表情になって、子供のようにキャッキャとはしゃいだような動きをする。さっきはどこか恥ずかしげに赤くなっていた顔も、いつのまにやら普通の顔色に戻っていた。そんなに嬉しかったのだろうかと考えていると、遠くからこっちに手を振っている人影が近付いてくるのが目に入った。誰かを考えるまでも無く、それは諏訪野先輩だった。


「ふむ、私が最後か。待たせてすまないね、遠原後輩」

「構いませんよ。ところで、先輩は眼鏡つけたまま入るんですか?」

「あいにくと目がそこまでよくなくてね。外すとひどくぼやけるんだ。一応水中でも問題なく使える代物だし、そう気にしないでくれ」


 オレはなんとなく今の諏訪野先輩の姿で気になった所について質問したが、それと同時に気分が高揚しているのを感じていた。理由は単純で、諏訪野先輩の水着姿がこれまた似合っていたからである。白いシンプルなビキニタイプの水着で、細すぎず、かといって余分な肉も付いていない体つきの相性は非常によろしかった。中間や平均、その中でも理想的なものといった感じだろうか。バランスのいいスタイルを自然に生みだされている。


「それでどうかな、遠原後輩。感想の方は?」


 どこか意味ありげな笑みを浮かべながら諏訪野先輩は妹に聞こえないようにするためか声を潜めてそう訊ねてきた。なんの感想かは言わなかったが、先ほどの千花ちゃんのようなことを聞いているのだろうかと思い、オレは答える。


「いいんじゃないですかね。先輩ならいろいろと似合いそうですけど、今日着けてるのは清楚な感じでオレは好きですよ」

「……そうか、ありがとう」


 言葉ではそう言っているものの、先輩の顔はどこか苦笑のようなものだった。褒め足りなかったのかと思った矢先、先輩がボソッと一言つぶやく。


「と言っても、私が聞いたのは妹の水着姿への感想だったんだけどね」

「……あぁ、なるほど……」


 要するに、オレは先輩の質問の意図を読めずに的外れな回答をしたというわけだ。なんというか勘違いで褒めてしまって少し恥ずかしい気もするが、先輩も嫌がっているわけじゃなさそうだから別にいい……のだろうか。


「それで、どうなんだい?」

「とりあえず、似合っていると。事実ちーちゃんには、よく合っている水着だと思いましたからね」


 オレは少し自分の声が小さくなっているのを自覚しながら、先輩の質問に今度こそちゃんと答える。それを聞いた先輩はさっきのような苦笑ではない、ちゃんとした笑みを浮かべて――


「……そうか。それならよかった」


 ――と、ホッとしたように言うのだった。オレはとりあえず、昨日から疑問に思っていた事を諏訪野先輩に聞こうかと思って話しかけようとしたのだが、そんなオレ達の間に千花ちゃんが割りこむように入ってきて、オレと先輩を交互に見ながら言う。


「お姉ちゃんも先輩も何を話しているのか知りませんけど、三人ちゃんと集まれたんですしはやく行きましょうよ! こんないい天気なんですし、時間がもったいないです!」


 オレと先輩は一瞬だけ顔を見合わせると、先輩はすぐに優しげな顔を作ってそれを千花ちゃんに向けた。


「それもそうだ。場所は逃げないが時間は減っていくものだしね」

「そうだよ! 行こっ、お姉ちゃん!」


 そういって千花ちゃんは先輩の腕を自分の片腕で挟むようにする。そして今度はこっちを見て一瞬手を伸ばしかけたのだが、すぐに固まってしまった。不思議に思ったオレがどうしたのか聞いてみようとすると、彼女はふっと顔をこちらから反対側に向けた。

「――せ、先輩も、ちゃんとついてきてくださいね! まずは普通に泳ぐんですから!」


 そう言うと彼女は諏訪野先輩の腕を引っ張って行ってしまった。先輩は引かれるがままに千花ちゃんの後を着いていくのだが、その途中でちらりとこちらを振り返る。

 先ほど千花ちゃんがそばに居た時には見せなかったどこか真剣な顔つきで、分かっているか、理解しているかと言いたげな表情をしていた。先輩も心配する気持ちは分かるが、こうしてそれを察することが出来ている以上、伝えられなくてもオレの中で答えは出ている。


「……分かっているに決まってるじゃないですか」

 

 やや深く息を吐きながら、無意識にぽつりとそう呟いていた。オレは自意識過剰なところが無いとも言えないし、少し思いこむとなかなか他の事を考え付かないきらいはある。それでも、今回の事は確信を持って言えると思っていた。

 ちーちゃんがオレに対して――どこか特殊な好意を持っているのだろうということは。


 ++++++++++++++++++++


 プールの水面から水の飛沫が大きな柱のように飛び散った。その中から現れた少女が、オレに笑顔を向けて手を振る。

「先ぱーい! 見ててくれましたかー!」

 その少女、千花ちゃんにオレはプールの縁に座ったまま手を振り返す。その後千花ちゃんはどこか楽しそうにして、今度は大きく息を吸った後で水の中にもぐっていった。オレはそれを眺めながら、少し前の

自分の確認の甘さを後悔していた。どういうことかというと、ここで休憩している理由についてのことである。

 一つ先に言っておくと、オレ達がまず最初に来たのはいたって普通の特殊な仕掛けも無いような普遍的なプールだった。ここにはいくらか特色の違うプールが何個かあるのだが、まずは普通のところで肩慣らしをしようといったところだ。といっても、そういう提案をしたのは千花ちゃんでオレや先輩はそれに乗っただけなのだが、とりあえずオレはそんな感じで千花ちゃんに引かれるがまま、水に入っていったのだ。そしていくらか泳いでみると、予想外にも千花ちゃんの泳ぎはすごく整っていた。フォームも歪さが少ないし、なにより速い。それを見て驚いていたオレに、千花ちゃんは自信ありげな顔で50mでの一本勝負を持ちかけてきた。

 ――それに負けん気だけでつい乗ってしまったのが、オレの判断ミスだったのだろう。簡単にその結果を言ってしまえば僅差でオレの負けだ。しかしその勝負の後、千花ちゃんは平然としていたにもかかわらず自分は肩で息をするような状態だった。どうあがいても埋まらない差が大きすぎるほどにあったのだと思う。とにかくその勝負の結果と全力を出し切ったことによる疲労で、オレは少し休むことにした。その間も、一応はぐれたり見失ったりしないようにこうして千花ちゃんを見ているわけだ。

 ちなみに諏訪野先輩がどうしているかというと、彼女は水には入らず木陰の下でどこからか持ってきた本を読み続けている。たまにちらっとこちらに目を向けてくることもあるが、どうやら我関せず、というつもりらしい。せっかく水着なのに泳がないのはもったいないと思うが。


「――先輩! 先輩!」


 千花ちゃんがオレを呼ぶ声がしたのでそちらに目を向けると彼女はオレの近くまで来ていた。そしてザバッと水音を立ててプールから上がるとオレの横に、当然のように座った。

「……ちーちゃんも疲れた?」

「はい。さすがに泳ぎっぱなしだと、けっこうきますから。それに……先輩も、見てるだけじゃつまらないかなって」


 苦笑して千花ちゃんは答えた。もし実際オレがつまらなそうにしていると彼女に見えたのなら、悪い事をしたような気もする。泳いでいる時の千花ちゃんはどこか楽しそうだっただけに、それをオレが奪ってしまったようなものだ。実際、千花ちゃんがこっちに来た理由は分からないのでオレもとりあえず苦笑を返す。


「それにしても、ちーちゃんは泳ぐのが好きなの? オレと泳いでた時もずいぶん楽しそうだったけど」

「はい、大好きです! 昔はそうでもなかったですけど、お姉ちゃんに泳ぎ方とか教わって速く泳げるようになったらもうすっかりって感じで」


 へぇ、と相槌を打ちながら、オレは一瞬だけちらと横目で諏訪野先輩を見た。木陰でくつろいでいる姿からはどういうコーチをしたのか想像できないけど、あれだけ早く泳げるようにしていたんだ。優秀だったんだろうとは伺える。今も優秀なことには変わりないからこそできうる推測だが、それでも納得できるのはオレが知る範囲でも、先輩がすごい人だと知っているからだろう。


「あれだけ早く泳げるようになったちーちゃんもすごいけど、そんな風に考えを変えさせられた先輩の教え方もよかったってことなのかな」

「そうですよ、お姉ちゃんはすごいんですから! 先輩だって、お姉ちゃんに教わればきっともっと速くなるはずです!」


 グッと手を強く握って千花ちゃんはオレにそう力説するのだが、家族の事でそう自信満々になるというのはなにか間違っている気がしないでもなかった。とはいえ、そうも確信があるように言われると気になってしまうのは人の性なんだろうか。

「それなら、今度はオレが先輩に教えてもらったあとでまた勝負でもしようか? 今度は負けないよ」

「ふっふっふ……遠原先輩、その言葉後悔しても――」

 不敵に笑って何かを口にしようとしていた千花ちゃんの動きが不意にピタリと止まった。あまりに急なことだったので、数秒ほど思考が停止してしまう。そしてようやく、自分の口が開いた。


「……どうしたの?」

「い、いえいえいえ、特になにもっ!? 気にしないでください先輩!」


 高速で手と首をぶんぶん左右に振る千花ちゃんの様子は、どう見ても何かがあったということを明白にしていた。口では否定しているのでなにかを隠したいようだとは分かるのだが、そこを追求しようかどうか、なんにしてもおもしろそうなので迷ってしまう。

 そんな風にじゃれていると、いつのまにか先輩がオレ達の方に近付いていた。


「随分と楽しそうにしているね。これなら、私も混ぜてもらった方がよかったかな?」

「なんなら、今から混ざってくれてもオレとしては大歓迎ですよ。聞きたい事もできましたしね」

「遠原先輩! 今度は泳ぐ以外の事をしてみるのもいいんじゃないでしょうか!?」


 さっきの千花ちゃんとの会話の中で出た案をほのめかすような事を口にしてみると、横に居る彼女は早口で話題を逸らそうとする。なにがこの子にそうさせるのかはわからないが、やはりなにかぞわぞわとくるものがある予感。そんなやり取りを見て諏訪野先輩はきょとんとしていた。

「……私としても混ざるのはやぶさかではないし、嬉しい提案なんだけどね」

 そう苦笑するような顔をしながら言って、先輩は小さく頭上――空で燦然と、全力で照りつけてくる太陽を指差した。


「少し日も高くなってきた頃だ。このあたりで一度お昼にしないかい?」

 言われてみれば、胃袋はすでにほとんど空っぽのようだった。先ほどの千花ちゃんとの水泳競走のあとは、疲労が誤魔化しになっていたのか空腹感はあまり感じられなかったが、今ではなにもないのを感じられるようなくらいの腹ペコだ。今に音を鳴らしてもおかしくは無い。どうやら千花ちゃんも同じような感覚だったらしい。二人して同じタイミングでお互いの顔を見て……互いの状況を察することが出来たのか、苦笑。そして千花ちゃんは、諏訪野先輩に顔を向けた。

「……うん! あたしは賛成だよ、お姉ちゃん!」

 千花ちゃんのその言葉を契機に、オレ達は一度プールから上がって、先輩の後についていった。



 事前にパンフで見た情報ではこのプールには屋台なんかの出店もある。そういう店はこの施設の中央にある、広場のようなところに集まっているようだ。そしてオレ達が先輩に連れてこられたのはその出店の集まる一帯だったが……しかし、周囲から薫るやきそばなどの誘惑も先輩は一切意に介さない。まぁ、その手に持っているそれがあればそうそう誘惑にはくだらないだろう。オレもそんな先輩の姿を見ていると、眼の前で美味そうに屋台で買ったのであろうケバブの香りを無作為に撒き散らしながら食べる野郎が横切っても、我慢することが出来た。後ろを見てみると……千花ちゃんはどうやら周りのことを目に入れたりする余裕がなさそうだった。なんだか緊張した面持ちで先輩とオレの後ろをついてきている。

 そんなこんなで胃袋を引っ張られるような道中は終わり、目的地には程なくして着いた。中央の屋台広場の、更に中央は腰を据えて食事をするためのエリアのようだ。ぐるりと円を描くように、しかし間隔がキチンと開けられた小さなテーブルが計18席設置され、そしてその円の内側はシートを広げたりして食べる人たちがちらほらといる。更に端の方にはベンチなども設置されているのが見て取れた。そんな中でオレ達が選んだのは、円の内側――比較的開けたところに、周りと同じようにシートを広げる。そしてシートを広げると、先輩が持っていたバッグをシートの中心に置いた。そして中から取り出したのは、三段の重箱だ。

 ……正月のお節料理も基本的には自作して皿に並べるのが大半な我が家では、ほとんど見ることが無いものだ。だからこそ、オレにとっては知らない世界の存在のようなものであるそれに緊張してしまう。


「ささ、シートの上で言うのも妙だけど二人とも座ったらどうかな? せっかく、ちーが作ってくれた(・・・・・・・・・)お弁当を食べるんだから、立ったままなんて行儀も悪いよ」


 どことなく、オレに向けて一部分強調したような言い方で諏訪野先輩がそう促すので、ひとまず腰を下ろす事にする。そしてわざとらしく名前を出された千花ちゃんが緊張の面持ちをする中、先輩の手によって重箱の蓋が開かれた。


「……おぉ……これは……」


 視界に広がる、一面のサンドウィッチ。パンは米と並ぶ主食の定番。サンドウィッチもおにぎりと並ぶお弁当の定番。王道で攻めてくるあたり、流石は素直な千花ちゃんだと言えよう。

 続いて諏訪野先輩が二段目を開く。


 一面のサンドウィッチ、二度目の光臨。


 ……いや、確かに主食は大事だ。炭水化物はエネルギー変換効率なども良く、特に運動をする場合などには必須である。お弁当の定番という認識的な部分だけでなく、栄養学的な観点でも攻めてくるとは、すごいぞ千花ちゃん。具が一段目は焼いた鶏の薄切りやレタス、トマトであったのに二段目はツナや卵だというあたり確信犯……いやいや、わかっていてやったと言えるだろう。

 そんな思考をフル回転させていることなどつゆ知らず、諏訪野先輩が三段目をオープン。


 今度は白だけでなく、黒もそこに存在していた。しかし今度のそれは――米だ。海苔に巻かれた俵状のそれは、ライスボールとも言われる日本食の基本形、おにぎりであった。

 ……うむ。これ以上ないほどに、炭水化物が大量だ。ジャガイモなんかがあれば役満だったとも言える。

「うん、どれも美味しそうだね、遠原後輩?」

 同意を求めながらやけに迫力のある笑顔を向けないでほしい。そう言われてはオレも首を縦に振らざるを得ないではないか。

「……そうですね、先輩。わーお腹すいたなー、いただきまーす……」

 もはやこれ以上は考えても無意味だろう。主食オンリーとはいえど、見た目は悪くないのだ。それならば、諦めて先輩の言う通りに美味しくいただいてしまう方がいい。

 そう思い、ひとまずおにぎりに手を伸ばす。目の前に持ってきても何ら変哲のない、おそらく普通のおにぎりを口に含んでみる。軽く咀嚼をしてみれば、ほろと崩れた米の柔らかな食感の後に、ポリッとやや気持ちのいい歯切れの何かが尖りのない塩味を広がらせる。これは、漬物か。

「あまり見たことはない組み合わせ方だけど、けっこういいかもな……」

 疲れた身体に浅漬けの塩分がよく沁みる。さっきまで主食の山だと思って少々身が引けてしまっていた

が、こうなると楽しみになってくるのは現金なことだが、事実興味を引かれる。

 今度は諏訪野先輩が、同じようにおにぎりを一口。

「……うん、鮭か。美味しいよ、ちー」

 そういいながら優しげな顔をして、諏訪野先輩は千花ちゃんの頭に手を置いてなでなでする。いや、美味しいのはわかるけど、それはちょっと過剰な伝え方では……そう思うも、口にするだけ野暮だとわかってきたので口にはしない。とりあえず、お握りの具が一つではないということが分かっただけ良しとしよう。

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! ……くすぐったいよ!」

「おっとと」

 千花ちゃんは先輩の手を払いのけて、軽くうつむいた。僅かに覗く顔色はほんの少し赤くなっているようで、そこから羞恥心を感じていることがうかがえる。まぁ、人前でああされるのは妹でも嫌なものなんだろう。たぶん自分の妹に公衆の面前でやっても同じような反応か、あるいはより攻撃的な反応が返ってくるだろう。

「それで、遠原後輩はどうかな?」

「えぇ、美味しいですよ。浅漬けの入ったおにぎりは初めて食べたんですけど、けっこう好きな味でした」

 そう答えると諏訪野先輩は、俗に言う鳩が豆鉄砲を食ったような、という表現が似合うような顔をする。そしてちーちゃんのほうを見て一言。

「ち、ちー? 同じ家に住んでいるけど私もその前衛的なおにぎりは初めて存在を知ったんだけど……?」

「……だって、今日初めて作ったんだもん……」

 ぼそっと、少々恥ずかしげに千花ちゃんは今日初めて作ったと口にしたのだが……それはまさか、これが一度も試作していない実験台のようなものだったということなのではないか……?

 そんな疑念がどこかから漏れていたのか、千花ちゃんは慌てながらなにか否定するように手を振る。

「い、いえ、先輩に食べてもらったのが初めてっていうわけではなく、もともとおにぎりの付け合せに漬物があるのが好きだったので、これは絶対美味しくなるという確信をもってやりましたし、今日来る前に作ったとき一個味見してみてやっぱりよかったって思えたので、決して先輩に味も定かではないようなものを食べさせたというわけではなく……!」

 そこから千花ちゃんはあの、あの、ともはや文法すら危うかった上に言葉までつまり出す始末だ。いや、この子も不安だからこんなに必死になって説明しようとしてるんだろう。それにこのおにぎりになんらかの問題があったわけでもない。なら、この様子にただ黙っているなんて悪趣味をする気はない。

「大丈夫だよ、ちーちゃん。ちゃんと美味しいと思えたものを食べさせてくれて、実際美味しかったんだしさ。だから……」

 ね? とオレは千花ちゃんに落ち着くよう促す。それで手を動かすのをやめた千花ちゃんは、ちら、と諏訪野先輩の顔色をうかがう。身内の、そして自分よりも目上の人間に対してはよく行われる「これは大丈夫なのか」という確認をしているのだろう。

 先輩もそれはわかっているようで、いいんじゃないか、と少し呆れを含ませたような顔を返した。それを見て千花ちゃんは安心したらしい。

「……ありがとうございます、遠原先輩……」

「お礼もいいよ。とりあえず午後も楽しく過ごすために、このお弁当を美味しくいただく。それで充分なんだからさ」

 千花ちゃんにそう言いつつ、オレはおにぎりをもう一つ掴んで口に運ぶ。今度は鮭をほぐしたものが入っていた。シンプルだが、おいしい。

「……そうですね! 午後はもっといろいろなことしましょう、先輩!」

 表情も明るくなり、とりあえず元気に戻ったらしい千花ちゃん。ひとまずはその様子を見て安心した。と言ってもたぶんこの子は天木さんと似て、いろいろと気にしそうな気がするから、こっちも少し気を付けたほうがいいのかもしれない。そんなことを考えていると、諏訪野先輩がなにか意味ありげな笑いを浮かべた。

「いやしかし、ちーと遠原後輩は同じものが好きなのか。なるほどねぇ」

「!? お、お姉ちゃん! 変なこと言わないで!」

 べしんべしんとけっこう強く諏訪野先輩の背中を叩く千花ちゃん。その顔は真っ赤で、なにかを言いたそうにしているのだが――しかし、口が微妙に動くだけで声にはならない様子。まぁ、諏訪野先輩が言ったことは確かにオレにもなんとなく意図が伝わるような、直球のものだったが……

「うー! うーっ!」

「おや、ちーはどうしたんだろうね。なぁ、遠原後輩?」


 ――この時になんとなく――あるいはようやく肩が重く、身が締め付けられるような居心地の悪い感覚のようなものをオレは持ち始めるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ