夏のデートデイ
「遠原さん、今から出かけるんですか?」
7月30日、朝11時。オレが玄関で準備をしていると、背後から声をかけられた。振り返るとそこに居たのは、薄茶の髪を丸みのあるショートヘアにした女の子がいる。彼女はとある事情で我が家に居候している天木鹿枝という少女だ。彼女は制服を着ているが、夏休み中にそれを着ている理由はある講習を受けているからだった。
「うん。なんか、先輩から学校の方に一度来てくれーって電話があってね。それでちょっと早いけど、今から学校の方に行こうってわけ」
「学校ですか。それなら私も今からなんですけど、一緒に出ます?」
「……そうだね。天木さんが嫌じゃないなら」
天木さんは、それに笑みを浮かべて頷いた。
オレと天木さんは家を出て学校へと歩を進める。少し雲が散りつつも、太陽は今日も激しい熱と光を照りつけていた。少し歩いただけでも、額には軽い汗が浮かんでくるようだ。天木さんも似たような感情を抱いているようで、ハンカチを軽く額に当てている。そのまま彼女は、オレの方に苦笑を浮かべた顔を向けた。
「こうなると、今日ばかりは遠原さんが少し羨ましくなってきますね」
「また突然だなぁ。でも、オレも今日はちょっとラッキーかもと思ってるけどね」
むしろ多少暑いぐらいなら後が楽しみになってくるくらいだ。そういう楽しみもあるし、他にも期待している物はあったりする。あまりそれを考えすぎると、少々だらしない姿を見せそうだから人前では考えないようにしているが。
「……そういえば昨日聞きましたけど、今日遠原さんと一緒なのは女性なんでしたっけ?」
「そうだけど……そんな顔をする必要はないんじゃないかな……?」
天木さんは、どこか不安そうな顔をしていた。なにがそんなに心配なのか分からないが、少なくともオレにとってはあまり気持ちのいい意味ではない……ような気がする。
「……遠原さんの事は一応信頼しているんですけど、その一緒に行く人に対してもなにかやってしまうのではないかとも思ってしまうんですよね……」
「待って、それ全然信用されていると思えないんだけど」
むしろオレがそういう場所に行ったら異性に対して何かやりかねないという認識をされているのもショックと言わざるを得ない。昨日樫羽にも話したがあいつにもそういうような事を言われた気がするけど、オレはそんなにセクハラ魔な印象でもついているんだろうか。なんというか、自分で自分がまったくわからない状態だ。
「――でも、遠原さんはそれで遠原さんですし。私はちゃんと信じていますから!」
「……ありがとうって言いたいけど、それでって言われると少し泣きたくなってきそうだよ」
完全に遠原櫟がそういうやつだと認識しての発言である。あまりに不本意だし、今からでも巻き返す事は出来ないものだろうか。
そんな会話をしながら、オレと天木さんはだいたい学校までの道の中間点である上り坂の前までついた。その辺りで、天木さんは真面目な顔になる。
「でも遠原さん、本当にちゃんと抑えなきゃダメですよ。最初はよくても、その次は本当に暴走しちゃったりしたら……ダメなんですからね!」
ダメ以外の言葉を言いたかったのかもしれないがそれ以外が出てこなかったのだろう。少し考えたような間があった。しかし、天木さんの言っている事も確かだ。最初に行く場所はよくても、その次はちゃんと理性を働かせて自制しなければ。オレは自分の胸に深くその気持ちを刻みこみながら、天木さんに答えた。
「わかってるよ。なにせ――泊まりなんだからね」
学校にたどり着く。オレは部室棟へ行くことになっているのだが、天木さんは校舎へと向かうのでオレとは校門で別れることになった。彼女はオレが入院したばかりの頃から、異世界人の編入生に対して行われるという語学講習に行っているそうだ。元の世界で使っている言語と擦り合わせてこっちの言葉を覚えていってもらうらしい。とはいえ、内容を聞いたことはあるが実態はよく分からない。天木さんからも詳しくは聞いていないが、どうやら天木さんはもともと大きく言葉が違うような世界でもなかったし、そもそも会話も普通にできる子なのであと1~2週間でその講習も終わる予定だそうだ。
天木さんと別れてから部室棟へと到着し、前にも来た魔道研究会の部室、408号室の扉の前に立つ。多分中に居るだろうが、一応マナーとして扉を軽く二回叩く。中から、前にも聞いたような朗らかな男の声が返ってきた。
「あ、遠原クンっスかー? どーぞどーぞ、開いてますんで!」
名指しされたことに内心びっくりしつつも、扉を開ける。
「違う違う二人とも! 手首の角度はこう、足首の角度はこう、そして唱える掛け声は『ハォ!』だ! これが出来ないところのファイルに保管されている物は一切できないぞ!」
「ハォ! ハォ!」
「は、ハォ! ハォ!」
部屋の中では、奇妙なポーズを取りながら妙な奇声を上げる四人の男と女の姿があった。前に会った魔道研究会の確か、犬井、魚戸、飛鳥とオレを呼びだした張本人である諏訪野先輩の四人だ。魔道研究会の三人は制服だが先輩だけは私服だった熱心に力のこもったポーズをとり続ける姿はどこか笑えるような気もするが、真面目にやり続ける先輩達を見ていると笑いも出てこないまま呆然とその姿を見ることしかできなかった。そんなオレに心配するような声が掛かる。
「――せ、先輩、大丈夫ですか?」
その声でハッと意識を取り戻したオレは、その声の主である一人の少女を見た。
諏訪野千花。先日、オレが諏訪野先輩に連れられた先で出会った女の子は、制服ではない私服姿で椅子に座りながら身体を先輩達の方へと向けていた。恐らく、さっきまではずっとあの謎の動きの練習を見ていたんだろう。よく平然としていられるなと思ったが、もしかしたらオレと同じように遠い目で見ていたのかもしれない。慣れている可能性もあるが。
オレがその千花ちゃん――ちーちゃんの方に顔を向けると彼女は笑みを浮かべてぺこりと会釈をした。
「おはようございます、先輩」
「おはよう、千花ちゃん……それで、これっていったい……?」
オレが扉を開けて目にしてから一発で不思議に思ったことを聞いてみると、千花ちゃんは「あー……」と困ったような声を出しながらも、苦笑したまま言った。
「もしかしたら意外だと思うかもしれないですけど……これが魔道研究会さんの主な活動なんですよね」
「これがぁ!?」
反射的にオレは声を荒げる。それが主な活動って、なんの研究をしているんだろう。クラブ名のような魔法とか魔術みたいな要素は一切感じられないのだが、もしかして魔道とはダンスかなにかの隠語なんだろうか。
「遠原後輩、気持ちは分からないでもないけどそう疑わしげな目を向けるのはよくない。一応ちゃんと魔術の実践作業ではあるんだよ、これも」
「本当ですか……?」
先輩はそう言うが、魔術は基本的に詠唱、想像、集中ぐらいしか必要な行動は無かったはずだ。少なくとも姿勢などは重要でも何でもなかった気がする。
オレが未だに疑いの視線を向けていると、先輩は口にこそ出さなかったが「やれやれ」と言いたげな動きをした。
「遠原後輩、きみは『動姿勢魔術』のことは知らないのかい?」
「……ポ、ポジショニング?」
まったく想定していない単語が聴覚を介して頭の中に入りこむ。はっきり言うとその言葉を聞いても意味不明、理解が出来ないというのが本音だった。知らないのか、と言われてもそもそもそれは普通に知っているべきものなんだろうか。混乱はただただ加速していくばかりで、自分の頭を抱えそうになる。
そんなオレを横目に、魔道研究会の三人が諏訪野先輩に進言するように話しかける。
「いや、先輩。やっぱりまだメジャーじゃないんですし、遠原クンに言ってもそう簡単には分からないかと思うっスよ」
「そうよねー。あたしも実際成功させるまでは一切信じていなかったわけだし」
「僕も飛鳥と同じようなものだったな。少なくともこの世界ではそう簡単に信用される話ではないだろう」
口々に魔道研究会の三人がそう言っているのを聞いて、オレはさっき聞いたことが別に常識ではないということが分かったので少しずつ落ち着きを取り戻してきた。先輩も三人の言葉を聞くと、少し考え直してくれたらしい。
「……それもそうだね。遠原後輩はあくまで普通の生徒だと聞いているし、知らなくても仕方ない事か」
「分かってくれたようでなによりです……で、なんなんですか? その『動姿勢魔術』って」
「それなら自分達が説明するっスよ」
オレは先輩に尋ねたのだが、ズイッと前に出てきたのは茶髪の犬井という男子生徒だった。まぁどういうものか聞けるのならだれでもよかったので、オレは気にせず彼に顔を向ける。
犬井はオレの目が自分に向いた事を確認してからゆっくりと話し始めた。
「まず最初に遠原クンに聞きたいんスけど、遠原クンは魔術の発動の種類……体系ってどれぐらいあるかわかります?」
「……詠唱とか、無詠唱できるようなやつなら感覚とか……それぐらいじゃないのか」
「二つ、っスか……ちょっとそれだけだと少ないっスねー」
「少ない?」
それはつまりそれ以上に、それ以外の魔術の使用方法があるということか。しかし、そんなものは見たことも聞いたことも無いが。
犬井はオレに、片方の手を広げて見せる。
「まぁ、遠原クンの言うことはあながち間違いというわけでもないっスけどね。この世界だけの話に限るのなら、ですけど」
「この世界だけ……ってことはまさか、異世界の魔術体系はそれ以外にもかなりあるってことか?」
「かなり、というわけではないな。しかし、少なくともキミが言った数よりは多いぞ」
眼鏡の魚戸とかいう男子が、眼鏡の位置を直しながら少々含みを持ったような口調でそう言った。わざわざオレの上げた数に言及するあたりどことなく嫌みのようなものを感じてしまう。しかし気にするほどの事でもないとオレは流そうとしたのだが、それよりも早く顔色を変えたのはちーちゃんだった。
「魚戸先輩、今の言い方はちょっと遠原先輩に悪いと思います。遠原先輩は別に魔術の数を学んでいるわけじゃないんですし」
「む……」
ちーちゃんの言葉に魚戸は顔色が一瞬虚をつかれたようになったが、すぐに納得のいったようなものへと変わった。
「……確かに少し言いすぎたかもしれないな。すまない」
「あぁいや、オレは構わないけど……それで、具体的にはどんなのがあるんだ?」
犬井の方に顔を戻して聞くと、彼は広げた手の小指と薬指を閉じるように折り曲げて見せた。
「さっき遠原クンがあげたのは二つでしたよね。それに加えていわゆる魔方陣を描いてその陣に応じた魔術を発動させる《描跡魔術》。特定の道具を揃えて使う《宿物魔術》。そ
してさっきうちでやってた動きや姿勢……そうっスね、具体的な例を挙げるならたとえば踊りなんかをキーにして発動させる《動姿勢魔術》。まぁ、魔術の発動体系に関してはだいたいこの五つを覚えておけば充分っス」
犬井は名称をあげる度に残った三本の指を一つずつ閉じてゆく。名前に関してはよく分からないが、とりあえず魔方陣と道具を使う魔術と、さっきのようなポージングを決める魔術があると覚えておけばいいのだろう。オレはとりあえず把握したことを示すために頷いた。
「……と言っても、本来ならこの三つはあくまで異世界の法則みたいものなんで、元からこの世界に生まれている人なんかにはできないんですけどね」
「なんだ、そうなのか。つまりオレ達にはできないってことだよな? それならさっきみたいなことってやっていても無駄なんじゃ……」
「いや、俺達ならできる可能性はあるんスよ。これでも俺と他の部員はみんな異世界人とのハーフなんで」
「……さっぱりわからん」
可能性はある、ハーフだからと言われてもまったくどういうことなのか想像がつかない。というより、お前らハーフだったのかという素朴な驚きが頭にまず浮かんでいた。
「あー、まぁ細かい理屈は長くなるから省くとして、要するに異世界人は普通にさっき挙げたような魔術体系やそれ以外のなにか特殊な技術での魔術も使える可能性があるんですよね。実際、元異世界人の魔術学生や異世界人とのハーフ、クォーターの学生がそういったことをやった記録もうちの部には残ってますんで」
「へぇ……」
実際に例があったと聞けば、一応納得できた。わざわざ疑ってかかる必要も無い。
異世界人のハーフというと、たしか琉院と……三里さんも多分そう、なのか? そういえば先日に三里さんが妙な魔術を使っていたような気もするが、それももしかしたら異世界人の子供だからできたということなのだろうか。今度聞いてみるとしよう。
「ちなみにさっき俺達がやってたのは――って、ちょっと話しすぎですかね。諏訪野さん、時間大丈夫っスか?」
犬井が先輩に聞くと、先輩は腕時計を確認してからちょっと困ったような声を出した。
「うーん……まぁ、そろそろ出た方がいいかな」
「そうっスか。なら後は自分たちでやっておきますんで、先輩と遠原クンたちはどうぞ行ってきてください」
「すまないね、犬井後輩。また今日みたいな監督役が必要ならいつでも呼んでくれ」
先輩は自分の物らしい荷物を担いで、ドアの前まで歩いてくる。千花ちゃんも立ち上がってそれに続いた。
「それじゃあ行くとしようか。ちーも、遠原後輩も忘れ物は無いね?」
「うん!」
元気よく頷いた千花ちゃんに続いて、オレも首を縦に振った。一応前日にも出かける前にも確認はしたし、多分問題はないだろう。そうして目的地に出かけようとしたオレ達を「あっ」と誰かが不意に呼びとめた。
オレ達は足を止めて振り返ると、魚戸が前に出てきて言う。
「すみません、先輩。二分程度なんですけど遠原を借りてもいいですか? 彼に少々話がありまして」
「それくらいなら私達は構わないけど……遠原後輩は?」
「オレもいいですよ。先に校門まで行って待ってくれればすぐに追いつきます」
それじゃあ、と先輩は魚戸の言葉に了承を返してから、扉を開けて出ていった。千花ちゃんはすこし口惜しそうな顔をしていたが、先輩の後に続いて彼女も部屋を出る。
オレは魚戸達の方に向き直って尋ねる。
「……で、話って?」
「なに、大したことじゃない。君と琉院さんはたしか仲が良かっただろう? それならもしよければ、うちの部に勧誘しておいてくれないかと思ってな」
「そんなことか。まぁ、今度見かけたら一応聞いてみるよ」
オレがそう答えると、魚戸は微かに目を見開いて驚いたような顔をした。
「……もう少し渋られるかとも思っていたのだがな。それならそれでいい、よろしくお願いするよ」
魚戸と残りの二人は小さく頭を下げたが、そもそもいい結果になるかも分からない内からそうされるとプレッシャーがかかると、オレは三人に頭を上げてもらうように頼んだ。ゆっくりと頭を持ち上げて、魚戸は再度口を開く。
「それと君にその気があるなら、くれぐれも先輩達の気分は害さないようにな。どちらが本命なのかは分からないが」
「元から嫌な気分にさせる気はないが……別にオレはそういう理由で一緒に行くわけじゃないぞ?」
魚戸は若干勘違いをしていたようなのでオレは事実を言ったのだが、なぜか「えっ!?」と残りの二人までもが声を上げた。まさかこいつら……
「……全員して、オレがどっちかに気があると思っていたのか……?」
「いや、だってそりゃあそうでしょ。普通に考えてこれって要するにデートみたいなもんでしょ? それなのにあんたに気が無いってちょっと……」
「そうっスよ!? 先輩は綺麗なうえに有名人ですし、妹さんの方もけっこうかわいいですし、普通ならどっちかに気があるってもんじゃないんスか!?」
「いや、普通ならそうなのかもしれないが……今のところは特にそういった気持ちは無いよ」
そう答えると、三人は急に何か言うのをやめて顔を見合わせる。そして突如なにか生暖かい視線を向けてくるようになった。
「へぇ~。今のところは、ねぇ?」
「いや、よかったっス。それなら本当によかったっス……」
「あぁ。これならたぶん、時間の問題だろうな」
「……どういうわけかわからないが、もう行っていいか?」
どうやらさっきの話が本題だったようだし、それならもうオレは先輩達の所に行ってもよさそうだ。というか、これ以上変に言われたくはない。
「あぁ、すまない。さっきので僕からの話は終わりだ。できるだけ早く行ってあげてくれ」
「そうするよ。じゃあな」
とりあえず別れの挨拶をして、オレは扉のノブに手をかける。
「あ、多分同級生とかにあの二人といるところを見られたら、また妙な依頼がうちに飛んでくるかもしれないから気をつけなさいよー!」
「……頑張ってみる」
いやに背筋が寒くなったようだと思いながらオレは扉を開けて、先輩達の元に急ぐのだった。