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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
夏日の来訪者
45/53

再会! 導かれた先の少女!

 学校を出たオレと前生徒会長……諏訪野先輩は一番近い停留所からバスに乗った。あまり人がおらず、労せずして席に座ることが出来たオレ達は、二人して荒くなった呼吸を整えようとしている。どうやら諏訪野先輩曰くこのバスを逃すと、次が来るまで何十分もかかるらしい。それならばとオレは納得したのだが、諏訪野先輩はオレに対して小さく頭を下げてきた。


「突然連れてきてしまってすまないね。でも、私としては遠原後輩にできるだけすぐ来てほしかったんだ、許してくれないかな?」

「それは構わないんですけど……諏訪野先輩がオレを呼んだ理由ってなんなんですか?」

「……そうだね。時間はあるし、君にも少しは話しておかないと」

 諏訪野先輩は姿勢を正してオレに真面目な顔を向ける。

「今日、君を呼んだのは私なわけだけど……実のところ、私が君に用があるというわけではないんだ」

「……なんか、さっきも似たような事を聞いたような気がしますけど。えっと、もしかして諏訪野先輩も頼まれただけだったりするんですか?」

「や、そういうわけでもないんだけどね。君を呼んだのは私だけど、君に用がある……というか、君に会いたがっている人は別にいてね。まぁ、私から君にお願いしたい事はあるんだけど」

「そのお願いというのが、その人に会ってほしいってことですか?」


 なんとなく、勘でそう答えると諏訪野先輩は「その通りだ」と頷いた。まぁ、これくらいはオレでも予想できる。しかし、そうなると気になるのは諏訪野先輩の言うオレに会いたいと思っているらしい人だ。


「諏訪野先輩、そのオレに会いたいって人はいったい誰なんですか? 自分では正直誰かも全く浮かばなくて……」

「……うん、遠原後輩にとってはそうだろうね。だけど、彼女はすでに君に会ったこともある。顔を見たら思い出すかも……いや、たしか会った時は暗くてお互いに良く顔を見れなかったんだったかな? とにかく、遠原後輩にとっても初対面ではないはずの子さ。だからあまり身構える必要もないと思うから、気楽にしてていいよ」


 諏訪野先輩の言ったことは断片的で、正直それではっきりと思い出したり思い浮かぶ人物が出てくるような内容ではなかった。彼女というのでかろうじて女性であることは分かったが、それだけでは分かるはずもない。初対面ではないらしいというのも、それはオレにわざわざ会いたいなどと言ってくる時点でなんとなく分かる。


「……具体的に、名前とかは教えてくれないんですか?」


 なのでオレは、急かしつけるように名前そのものを聞いた。諏訪野先輩はそれに対して、なぜか少し照れたような笑みを浮かべた。

「はは、確かに君からしてみればそういうのを聞いた方が早いか。済まないね、ちょっとその場についてから驚かせようかと思ったんだけど、聞かれたなら答えないと」

 そう言ってから、諏訪野先輩は一呼吸置き――


「君に会いたがっているのって、私の妹なんだよね」


 あけすけな口調で言われたその情報に、オレはただただ固まってしまうのだった。



「……ここが諏訪野先輩の家ですか」

 とあるバス停で降りて、オレは諏訪野先輩に案内されるがままにとあるマンションの前まで来た。大体20階ぐらいだろうか? それぐらいの大きさで清潔感のある白い外観だ。言ってしまえば物理的にも家賃的にもお高そうな雰囲気だ。そこの入り口へと諏訪野先輩は自然に、慣れた様子で近付いたのでオレはここが彼女の家なのではないかと思ったわけである。そしてそれは当たりだったらしく、諏訪野先輩は恐らく自宅にコールしてエントランスのドアを開けてもらうとオレのほうに振り向いて「そうだよ」と言った。だが、諏訪野先輩の顔がオレを見てすぐに苦笑に変わる。


「別に、そう硬くならなくてもいいんじゃないかな? 肩にずいぶん力が入っているようだけど」

「いやいやいや、オレみたいな小市民はどう考えても場違いですし、気にもなりますって……」

「……まぁいいけど。できれば妹の前では自然に頼めるかな、遠原後輩」


 「それぐらいなら」とオレは諏訪野先輩に返すと、先輩は信頼してくれているような笑みを返してからまたオレを案内するように前に出てエレベーターに向かって歩きはじめた。それに遅れないようにオレは後ろから着いていく。

 先輩とエレベーターに乗り込み向かった先は、13階だった。昇降機の外に出てみると視界の端には他の建物の屋上などが目に入り、そこが充分に高度のある世界なのだということがよく分かる。


「……13階でもこんな高いもんなんですねー。あまりマンションとか高層ビルには縁が無いもので、正直この高さは初めてな気さえしますよ」

「そうかい? 慣れると案外普通なものだよ。まぁ、これから経験していけば遠原後輩もその内慣れるんじゃないかな……っと、遠原後輩。少し待っててくれないかな?」


 諏訪野先輩が不意に静止を求めた。前の方にある部屋の表札を見れば『諏訪野』と書いてある場所が一つある。多分ここが、諏訪野先輩の部屋なんだろう。


「ひとまず中にいる『ちー』……妹に遠原後輩の事を一度伝えておかないとね。実はこれ、あの子に秘密でやってる事だから」

「分かりました……入っても大丈夫なようだったら呼んでください」

「そのつもり。それじゃあ、少し失礼するよ」


 諏訪野先輩はそう言うと、自宅のドアを開けてその中に消えていった。オレ一人が廊下に残る。他の部屋から誰か出てくる気配もない。

 暇つぶしに、オレは軽く身を乗り出して廊下から地上の方を見た。オレと諏訪野先輩が歩いてきたのであろう道や、車などが目に入ったがとても小さいように思える。それだけここが高いのだろう。最上階から見たらどんな景色なんだろうか……想像を働かせるのが楽しい。

 想像を働かせると言えばもう一つ、未知で気になる事があった。


「……諏訪野先輩の妹ってのも、どんな子なんだろうな」


 バスの中で少しでも話を聞いておけばよかったような気がしたが、生憎とあの時のオレは諏訪野先輩の妹がオレに会いたがっているのだと聞いて固まってしまったのだ。意外すぎてしばらくまるで反応できなかった。ようやく意識を取り戻してもそのことに衝撃を受けすぎてその妹さんについて聞く事を忘れたままバスが目的地に着いてしまっていたし……何一つ情報が無いのであった。

 故に想像が働く。いったい諏訪野先輩の妹とはどんな子なんだろう。かわいいのか、頭がいいのか、それともオレの妹――樫羽のようにしっかりとしている子なのか。情報が無いだけに、想像は膨らむ。とはいえ、すぐそこに本人もいるのだしあまり妙な期待はしすぎないでおこう。

 ――そう思っていると、先ほど先輩が入って行ったドアが勢いよく開いた。先輩だろうかと思い、オレは階下から部屋の方に視点を変える。

「どうしたんですか、諏訪野先ぱ――」


「――先輩っ!!」


 突然、オレの胸に何かがぶつかり、腰に何かが回ってきた。それほど痛くはないが、急なことにオレは驚きながら、その何かを確認するために顔を下げる。

 目に入ってきたのは、薄い茶色の――髪の毛。左右で束ねられて小さい尾のようなものが二つできているそれを見て、オレはやっと自分の胸に当たったのが頭だと悟る。そして腰に回ってきたのは、きっと腕だ。どうやらオレはいまこの子に抱きつかれている形らしい。

 オレがそんな風に状況を分析しているとその子はとても嬉しそうな声を上げる。


「……やっと……やっと会えましたね……先輩……!」

「……もしかして、君が……?」


 その様子に、オレは一つの事に思い至る。この中学生のような小さな女の子は諏訪野先輩の家から出てきたんだし、そう考えるのが一番自然だろう。先輩は部屋のドアから小さく身を乗り出してこちらの様子をうかがっていたのでオレは確認するように目線を向ける。諏訪野先輩は少しの間オレの行動の意味を考えたようだが、やがてゆっくりとオレの顔を見ながら頷いた。

 間違いない。


 この子が諏訪野先輩の妹――諏訪野千花ちかだ。


 ++++++++++++++++++++


「ご、ごめんなさい! さっきはその、急にあんなことして……」


 諏訪野先輩がオレに飛びついてきた妹さん――千花ちゃんを落ち着かせると、彼女は急にオレから距離を取って頭を下げたりするようになった。その変化は気になるが、諏訪野先輩がひとまずは部屋の中で話そうということで自宅に招き入れられて、今はリビングで諏訪野姉妹とテーブルを挟んで対面するような形でソファに着いていた。部屋の中は掃除もされており、至ってシンプルで無駄のないような印象だ。普なんとなくだが、この二人は普段からきっちりとした生活をしていそうだなというようなイメージがオレの中には生まれつつあった。そう考えると、自分がなにか失礼な事をしないか不安になってくるところもある。それに、さっきのことで驚いたからか自分でも分かるぐらい冷静ではいられなかった。そんなオレの様子を見てか、諏訪野先輩が声をかけてくる。


「……妹は落ち着いてきてくれたみたいだけど、遠原後輩のほうは大丈夫かい?」

「だ……大丈夫、だと思います……」

「ふむ、ならそれは置いておくとして、ひとまずは自己紹介から入ってみたらどうかな。二人とも、多分お互いのことはよく知らないだろう?」

「う、うん、そうだねお姉ちゃん! それならまずあたしからでも……いいですか、先輩?」


 千花ちゃんの方を向いて小さく頷くと、彼女はどこかガチガチに固まった様子で「では……」と前置いて自己紹介を始めた。


「……あ、あたしは諏訪野千花って言います。お姉ちゃんや先輩達と同じ、深根魔術学校の一年B組……です。好きなものは……お菓子、です……」

 千花ちゃんはそこまで言うと、オレのことを上目遣いで見てきた。まるで何かを待っているかのような目だが……とりあえず、オレも似たような感じでやればいいのだろうか。


「オレは遠原櫟。学校では2-Aに通ってる。好きなものは……とりあえず、楽なことかな」

「遠原……遠原、先輩……」


 オレの名前をポツポツ呟きながら、頬を両手で挟んでフフフとはにかむ千花ちゃん。先ほどの行動といい、名前を聞いたりしてもいったいどういう子なのか今のところまったくつかめていない。まぁ、あの諏訪野先輩の妹だしそう悪い子じゃないだろうとは思うのだが……なんでオレに会いたがっているのかも含めて、不思議な子だ。


「……それじゃあ二人とも自己紹介も済んだところで……まず、遠原後輩に確かめておきたい事がある。君は、去年の五月ぐらいの時期のことは覚えているかな?」


 諏訪野先輩がそう言った時、千花ちゃんは目を見開いて真剣な表情になった。ハッと我を取り戻したかのようなその姿に一瞬驚いたが、千花ちゃんはオレのその頃の事について何か知っていたりするのだろうか。

 しかし――


「五月ぐらい……と、言われても」


 オレは唸りながらそれを思い出そうとするが、情報が去年の五月ぐらいというのだけではあまりに不明瞭だ。正直このところ色々立て込んでいたから、あまりその時期の事も浮かんでは来ない。

 そんな風に悩んでいたオレを見てか、先輩は少し考えた後でこう言った。


「なら君は――深根魔術校に魔王の子が入りこんだ時の事は覚えているかな?」


「……まぁ一応、記憶には」

 諏訪野先輩が今話した事なら、確かに覚えている。こっちにやってきた魔王の子――それも本来なら送り返すにも相当手のかかるような相手だったその子供は、海山さんを中心として対応に当たっていた集団に、一つの勝負を持ちかけてきた。それは単純に自分を捕まえてみろというもので、それに負けたら自分はさっさと元の世界に帰るという条件の――要は鬼ごっこだ。そしてそれをやる場所に指定したのが海山さんが校長を務めるオレ達の学校だった。海山さん達は普通にやり合うよりも有利で被害も少なそうだということでその条件を飲んだ。そしてその際に鬼の役をやらされたのが――オレだ。あまり経験のないような珍しい仕事だったので今でも忘れようがない。

 しかしオレは、この話が今出てくることにまず疑問を抱いた。


「でも、なんで先輩がその話を知ってるんですか? 関係者以外は全く知らないはずなんですけど……」


 諏訪野先輩は確かに優秀な人だし、それに海山さんからこの人が数回ほど魔王の子を捕まえるのに参加したことがあるのも聞いたことはあるが、しかしさっき先輩が言っていたのは秘密にされていたことのはずだ。当事者でない限りは海山さんからも教えられることは無いはずなのだが、一体なぜ知っているのだろう。

 諏訪野先輩はそんなオレの疑問に対して、あっさりと答えてくれた。


「それはもちろん、当事者だからに決まってるじゃないか。と言っても、私は直接的に関係しているわけではないんだけどね」

「先輩が当事者……?」


 まさかあの時、先輩は海山さんと一緒に対応していた集団の中に居たりしたのだろうか。いや、直接ではないと言っているし、そういうわけではないのか……?

 更にわけが分からなくなっているところに、千花ちゃんが意を決したように大きくテーブルから身を乗り出してきた。興奮しているような、しかしどこか真剣な表情を近づけて千花ちゃんが言う。


「あの……先輩! あ、あたしからも聞いていいですか!?」

「……なにかな、千花ちゃん?」


「先輩は――その時助けた女の子の事を、覚えていますか……!?」


「……女の子……」

 その時、というのは先輩も言っていた去年の五月の頃の話だろう。しかし、女の子を助けたというと――

 ……そういえば居た。誰かに助けを求めるような悲鳴を上げていた、小さな中学生ぐらいの女の子が。暗い教室の中で数分にも満たない時間しか一緒に居なかったので顔はほとんど見ていないけど……確かにその場には、女の子がいた。

 それを思い出した時、何かが自分の中でつながったような、ハッとした感覚が訪れる。なぜここに呼ばれたのか、なぜ千花ちゃんが……目の前で、オレの顔を見ながら何かに脅えているような女の子が、オレに会いたがっていたのか。

 そういうことなのか、と。


「……あの時の……?」


 無意識に零れたその呟きは、普通ならば誰かに向けていたものだとも思われないような小さなもの。だけど目の前の少女はその呟きに対して――嬉しそうな笑顔を浮かべたのだ。その表情が、すべてを物語っていた。


「――そうです、先輩。あの時は言えませんでしたけど……助けてくれて、ありがとうございます」


 小さく頭を下げた千花ちゃんの姿を見ながら、オレは未だに驚きであんぐりと口をあけていた。今まで忘れていたというわけでもないが、だいぶ昔のことだからか思い出せないような話を急に引っ張り出されたからだろうか。現実感があまり湧いてこないというのが正直な気持ちだった。

 ただ、今対面しているこの少女は長年の望みが叶ったような、本当に嬉しそうな顔をしている。それを見ていると、段々と自分が過去にやった事がそんな風に思ってもらえたのだということを実感できるようだ。

 オレが大体の事を理解したそんなタイミングで、諏訪野先輩が口を開く。


「と、君を連れてきたのは要するにそういうわけなんだ、遠原後輩。妹がどうしても自分を助けてくれた人に会いたいって言って聞かなくてね」

「そういうわけだったんですね……でも、どうしてオレがそうだと分かったんですか? 校長もそう簡単に教えたりはしなかったでしょうし」

「確かに、すぐには教えてくれなかったよ。でも先月ぐらいかな、私が魔道研究会のほうの用事で会いに行ったら、ようやく君の名前を出してくれてね。私の進路も決まったような状態だったし口は堅いと信頼されたのか……」

「進路が決まったって、それが機密を知る事となにか関係あるんですか?」


「大いにあるよ。なにせ、私が行く予定なのは国営の魔術衛士養成所だからね」


 諏訪野先輩はさらりとそう言うのだが……いまいち、オレにはピンとこない。それが顔に出ていたのか、先輩は困ったような顔をした。


「ん~、遠原後輩も進路は早めに考えておいた方がいいし、知っておいた方がいいと思うんだけど……そうだなぁ。以前ニュースになっていた暴動の鎮圧や、君もやっているような魔王の子の捕獲に本来あたるべき職務の人間を育てる場所、とでもいえばいいかな」

「……なんとなく分かりました。つまり、諏訪野先輩はそっち側に行くだろうから問題ないと判断されたわけですか」

 そういうことだよ、と先輩は頷く。あまり考えたことはなかったが、そういった進路もあるのか。頭に留めておこう。


「とりあえず『ちー』もお礼を言えてようやく落ち着けるだろうから、私としては安心できるかな……」

「お、お姉ちゃん! 先輩の前ではそう呼ばないで!」


 先輩は軽く笑いながらそう言ったが、千花ちゃんは顔を赤くして先輩を見ながら叫んだ。そういえば、さっき来る途中も「ちー」とか何とか言っていたのを思い出して、オレは確認するように聞いてみる。


「もしかして……『ちー』っていうのは千花ちゃんのあだ名かなにか?」

「ち、違いま――」

「そうだよ、千花ちかだから『ちー』ってね。私や妹のクラスメイトはけっこうそう呼んでる」


 腕をこっちに突き出しながらぶんぶんと左右に振って否定しようとした千花ちゃんの言葉をあっさりと切り捨てて、先輩が丁寧に由来まで教えてくれた。千花ちゃんはその言葉を聞きながらさらに顔を赤くして、顔を伏せてしまった。


「……千花ちゃんは、そう呼ばれるのが嫌なの?」

「だって……なんだか響きがちょっと子供っぽいじゃないですか。あたしだってもう高校生なのに……」


 口をとがらせてどこか拗ねたようにそう言う千花ちゃんは、本人の言葉とは裏腹に高校生というよりもよっぽど幼く見える。むしろさっきのあだ名はいい意味で似合っていて、自分でもそう呼びたくなってしまっていた。

 少し意地の悪い事を思いついたオレは、千花ちゃんに対してどことなく慰めるようなしゃべり方で話しかける。


「あんまりそう嫌がるものでもないと思うんだけどなぁ……『ちーちゃん』」


 少しあだ名の部分を強調しつつオレがそう言うと、千花ちゃんはピクリと反応した。嫌がっている子にわざとそう言うのはあまり褒められた物ではないだろうが、どうしても一度だけ口に出してみたかったのだ。それに逆らうのもなかなか難しい。しかしそんな事をするのは一回こっきりだ。別に茶化したいわけではないのだから。

 千花ちゃんに対して両手を合わせながら、オレは小さく頭を下げる。


「ごめんごめん、一度言ってみたかっただけだから。もう言わないから、許してくれないかな?」


 頭を下げたまま、オレはチラリと千花ちゃんの表情をうかがうと彼女は――またも顔を赤くして、今度はオレの方を見ていた。ジーっと、どことなく意識がぼんやりとしているような表情で。

 いったいどうなるのかとオレが若干不安になったころ、千花ちゃんがボソボソと喋りはじめた。


「……せ、先輩の言う通り……そんなに嫌がるものでもなかった、かもしれませんね……あの、これからは……」


 千花ちゃんはそこまで口にしてからごにょごにょと口ごもった。さらにボソボソと、聞こえないようなボリュームで話し続けるので、オレは不思議に思いながら尋ねる。

「えーっと……ごめん、もう少し大きくお願いできるかな……」

 オレがそう言うと、千花ちゃんはようやく自分の声が小さくなっていた事を自覚したようだった。傍から見ても「やってしまった!」という感じの焦りがよく分かる顔になって大きく頭を下げる。


「す、すみません、すみませ――!」


 何度も頭を上下してると、千花ちゃんはテーブルの天板部分に思いきり頭をぶつけた。どうやら相当焦っていたようだ。軽い涙目になって、主にぶつけたと思しき部分を擦っている。

「うぅ……い、痛い……」

「大丈夫かい、ちー?」

 諏訪野先輩が隣から素早く千花ちゃんのぶつけた部分を見たり触ったりして確認する。千花ちゃん自身もそれに対して何も言わずに、先輩が見やすい方向へと首から上を回した。先輩はけっこうな妹思いのようだし、千花ちゃんもそれを素直に受け入れている、ということだろうか。

 もしもうちの妹とオレだったらこうはいかないかなぁ、などと考えながら先輩の診断を眺めていると、やがて先輩が安心したようにホッと一息吐いた。

「……うん。これぐらいならすぐに痛みも引くんじゃないかな」

「ほ、本当? よかったぁ……」

 千花ちゃんもそれを聞いて先輩と同じように胸をなでおろしながら安堵の息をする。大事に至らないようならこっちも一安心だ。

「よかったね、千花ちゃん」

 オレも少し心配に思っていたので特に怪我にならないようで良かったという旨を伝えたのだが、なぜかそれを聞いた千花ちゃんは少し顔が曇ったようになった。先輩もその変動に「ん?」と眉を顰め、どういうわけかこっちの方を見てくる。もしかしてオレはなにか妙な事を言ってしまったのだろうか。


「……『ちー』で、いいです」

 千花ちゃんは、唐突にそう呟いた。


「先輩からなら『ちー』って呼ばれても……あたしは、嫌じゃないです」

 呟きははっきりとした言葉になっていた。オレを見ながら、どこか恥ずかしそうにしながらそう口にする千花ちゃんに対してオレは、ただ頷いて――


「……それなら、これからはそう呼ばせてもらおうかな……ちーちゃん」

「――はい、お願いします! 遠原先輩!!」


 頷いて、千花ちゃんが許してくれた呼び方を口にすると、それに対して彼女はまた一段と嬉しそうな可憐な笑顔を花のように咲かせた。それを見て、オレも釣られるようにふっと口元が緩む。そのまま下手をすればしばらく黙りきった時間が続いてしまうような事になる前に、諏訪野先輩がパンパンと両手を鳴らしてオレと千花ちゃん――ちーちゃんの意識を惹いた。

「いや済まないねご両人。でももうお礼も言えた事だし、変に長引かせても遠原後輩に迷惑かもしれない。それはちーも分かってるよね?」

「あ……そう、だね」

「……まぁ確かに、そろそろちょうどいい時間かもしれないですね」


 一時間もいないけど、むしろ長居しても悪い。オレはすっくと腰を上げて立ち上がる。


「しかし、今日はただお礼を言っただけだからね。いずれ遠原後輩には私と妹からちゃんとしたお礼として食事でもご馳走させてもらいたいな」

「いや、そんな……悪いですよ。でもとりあえず、今日はこの辺でお暇しますから。また学校とかで会えたら挨拶しますよ」

「…………」

 オレと諏訪野先輩が話している中でちーちゃんは、オレのことをジッと見ていた。さっきも見たような、何かを言いたそうな……そんな目をしていた彼女に、オレは尋ねる。

「どうかしたの、ちーちゃん?」

「あ……い、いえ、なんでも――」

 と、そこまで口に出してからちーちゃんは言葉を一瞬止めて、大きく咳払いをした。オレと先輩は、それに意表を突かれて何も言えないまま彼女を見る。

 ちーちゃんの顔は、何かを決心したようなものになっていた。

「すみません、遠原先輩。あたしは本来、頼むべき立場じゃないと思うんですけど……それでも一つ、お願いをしていいですか?」

「……お願い?」

 聞き返すと、ちーちゃんは胸元に手を当てて深呼吸をしはじめた。自分の中の緊張を飲み込んでいるのだろう。それはこの短時間だけ彼女を見ていたオレにも分かった。この子はアガりやすいなど、誰の目から見てもきっと明らかな事なのだから。

 息を吐き切ったちーちゃんが、真剣な顔を向ける。


「――先輩。できれば明後日、一日付き合ってくれませんか?」


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