幕間‐或る登校日の話3
「遠原さん、あれはなんですか?」
横を歩いていた天木さんが指を向けていた先にあるものを見て、オレは答える。
「あれは多分……まだビルが完成してないから、分からないかなぁ」
「そ、そうでしたか……すみません……」
答えに困るものを聞いてしまったからか、天木さんはシュンとしてしまう。それを見て、オレの心の中に焦りが生まれた。
「あー、いや、でも! 気になるものがあったら、どんどん聞いていったほうがいいんじゃないかな! 一応オレの分かる範囲でだけど、できる限り教えていくから!」
「うぅ……お願いします……」
未だやや落ち込んだ様子ではあるものの、前向きな言葉を彼女は言ってくれて胸をほっと撫でおろす。
それが駅まで向かう道の途中の事だった。なぜそこを歩いているのかと言えば、当然駅の方へと向かうためだ。なぜ向かうのかと言われたら――天木さんの意向を汲んだ結果、と言う他ない。
昼食を食べながら天木さんと話をしていたところ、いわゆる街並みは天木さんにとってもそれほど違和感が大きいわけでもなく、ただ歩くだけなら普通に一人でもできそうだと言っていた。ただどうしても、この世界に来る異世界人というのが気になっているらしい。天木さんはこれまで、歩きまわる鎧姿や電柱の上を跳んで渡る身軽な人間みたいのも見てきた事が無いようなのだから、気になるのは仕方がないことなんだろう。
で、そんな異世界人を見る事のできる可能性があるとしたら一番はここの駅前なのだ。商店街も人は多いのだが、どっちかといえばこの辺の人間が多いし外から来るというのはあまり見た事が無い。そういうわけで、オレと天木さんはコンビニで買った簡単な昼食を済ませた後に駅前に向かっていた。その途中で彼女に気になったものがあったら適当に指差して聞いてくれと言ってみたが、本当に慣れているような感じで止まる事無く前に進んでいき、あまり何かを訊ねられることはなかった。
「天木さんはやっぱり、こういう現代的な街並みってのは特に気になったりしないかな?」
急な質問をしたが天木さんは「え?」とだけ言うと、少し考えこむように口に指をあてた。
「……まぁ、確かに取り立てて気になる、というほどのものはあまり。もちろんこっちに来た事があるってわけじゃないですし道なんて全然分からないですけど、でも――正直に言えば普通の街だな、と」
「はっきり言うなぁ。まぁ、そうだろうとは思ってたけど」
二人して苦笑する。天木さんにもオレにも上手いフォローが出来そうになかったのだから仕方が無い。この街はそれだけ、普遍的な現代の一都市でしかないという事だ。強いて特徴を挙げるとすれば、魔術も教える学校があるというぐらいだろう。更にそれがあるからか、他と比べて多少は元異世界在住の方々がわりとよく来る……というのも若干無理やりだが、入れてしまうのもありかも知れない。
そんな会話をしながら歩いていると、特にこれといったトラブルもなく駅の近くまでオレ達はたどり着いたのだが――
「……あれ。なんかやけに一箇所に集まってるけど……」
「何があったんでしょうね?」
歩道の一角にザワザワと静かに騒いでいる人の集まりが形成されていた。まるで中心を覆うかのように丸く集まっているが、何か――あるいは誰かでも囲っているのだろうか。
疑問に思っていると、その人だかりから「おおー!」という驚きに似た歓声がする。
「野次馬根性があるなら行ってみるのもいいけど、どうする?」
「……しばらくトラブルは無しにしたいです。この前巻きこまれたばかりですし」
「だよね」
一週間くらい前にオレも天木さんもちょっとした事件に巻き込まれたばかりだ。なのでこう、関わると厄介になりそうな事は出来るだけ避けたい。目の前の人だかりなんてもろにそうだ。少し首を突っ込んだら、最後まで関わることになりそうというか……要するに、嫌な予感がしていた。歓声を周りが上げているくらいなら危ない事じゃない気もするし、ここは離れるとしよう。
もう一度歩き出す。背後からはまだ盛り上がっている様子が伝わってくるような声が聞こえたが、スルーし続ける。天木さんもその集団についてその後何か言う事はしなかった。
そうこうしている内に、オレと天木さんは駅前に到着した。平日の昼だが人影はそれなりに多い。
しかし。
「見るからに異世界人って感じの人は……いないかな」
人は確かにいる。だが、この中ですぐそれと分かるような姿をしたのはどこにも見かけられなかった。もしかしたら居るのかもしれないが、こっちの文化に順応したような服装しか見受けられない中で、異世界人かそうでないかなど見分けられるはずもない。
「そうみたい、ですね……」
天木さんもこの中に異世界人と思えるような人がいなかったらしく、オレの言葉に同調するように呟いた。その声は少々落胆しているようにも聞こえたが、こればかりはどうしようもない。できるかぎり希望は叶えてあげたいけれど、人を操れるなんてできやしないのだから。
「どうしようか、他も探してみる?」
振り返ってそう声をかける。時間なら余っているぐらいだし、このまま歩きまわってみるのもそれはそれできっと悪くない。天木さんはしばし考えた後――
「……いえ、もう少しここで待ってみませんか? もしかしたらここに現れるかもしれませんし、ついでに……休憩という事で」
「わかった。そういうことならあっちで座る?」
モニュメント周辺を指差すと、天木さんはそれに首を縦に振って頷いた。
駅前広場の奇妙な形をしたモニュメントの周りには、座るのにちょうどいい高さの縁がある。それにオレ達は腰を下ろして、周囲を見ていた。それっぽい異世界人が都合よく現れないかという期待を抱きながら見渡すも、ほんの五分間続けても影すら見せやしない。いや、五分なんて実際はそんなに長い時間ではないが……その間、オレと天木さんは一切言葉を交わす事が無かった。
他にモニュメントの周りに座り込んでいるのはスーツ姿のお一人様ばかりで、オレと天木さんのような二人組――それも男女の組み合わせというのは皆無だ。一応平日だということを差し引いても、唯一の組み合わせというのは目立っている気がして仕方が無い。というか実際に視線を多少ばかり感じる。そんな中で二人して黙っているのは、余計に居心地が悪い気がした。
「あのー、天木さん。異世界人探しは休んで、ちょっと話さない?」
「お話ですか? 構いませんけど……」
天木さんは少々首を傾げながらも、座る場所を少し詰めてきた。そのまま何かを待っているかのようにオレの顔を見て……って、話を振ったのが自分なのだからまずこっちからなにか話題がなければいけないのか。まずい、なにも考えていなかった。
呻き声のような「あー……」といった言葉にならない声をオレが上げて、やや不信そうな顔を天木さんは向ける。その時点になってようやく、一つ思い浮かんだ。
「そ、そういえば天木さんと琉院って、もしかしてもう知り合いだったりするのかな!?」
「りゅ、琉院さんですか? まぁ、あの日遠原さんが気絶していた時にいくらか会話はしましたけど……」
自分でもやや食い気味と思える勢いだったからか、天木さんは避けるように上半身を後ろに少しずらしてたじろいだようになりながらも、知り合っているという旨を教えてくれた。入院していた時に琉院と三里さんの二人は、天木さんの来る時間を知っていたかのような振る舞いだったと後々になって思い至っていたのだが、直接聞くような暇も無かったのだ。
「でも、なんで急に……?」
いぶかしむ様に天木さんは視線を向ける。たしかに、一応数日前に共通で知りあっているとはいえこの場面でいきなり琉院の名前を口に出すのは不自然だったかもしれない。とはいえ、一応聞いてみたかった理由も無かったわけではなかったりする。
(……多分、ある程度伏せれば話しても問題ないよな……?)
そう思案したのは、オレではなく話題に出た琉院槙波という少女のプライベートな部分が理由にかかわっているからだ。人のそういった部分は簡単に語っていいものじゃないだろう。今回はそういった部分を伏せても問題ないとは思うが。
「いや、まぁちょっと色々あるんだけど、琉院とは仲良くしてくれたら嬉しいかなってさ。あいつ、けっこういいやつだし」
「……なんだ、そう言う事ですか。でしたら問題ありませんし……いい人だってことも、知ってますよ」
天木さんがゆっくりとほほ笑んだ。それに釣られて、自分も頬が緩んでいるのを感じながら――
「……そっか」
と、一言だけを返した。
それなら、オレがやったことは余計なお世話かもしれない。はっきりと聞けた事は嬉しいけど、天木さんと琉院はすでに分かりあっているのなら、お互いの友達となるのもそう遠くはない。そんな気がしていた。
「ところで、それならそれで私からもいくつか聞いていいですか?」
「ん、いいけど……なにを聞きたいの?」
オレが尋ねると、天木さんは声をひそめて言いづらそうにしつつも、こう口にした。
「……あの時、樫羽ちゃんが手から炎を出した事とか……」
オレはその時、少し神妙な顔になっていたかもしれない。天木さんが今言った事は、オレだって未だに一部気になっていることなのだから。とはいえ、ある程度の話はすでにとある人から聞いていたので、自分にも分かっている範囲で話す事にする。
「……天木さんは樫羽が家に居る事情とか知ってるから話すけど……」
そう前置くと、天木さんは真剣な表情でコクリと頷いた。
「どうやら樫羽は、体内に魔力――魔術を使うためのエネルギーを貯められる体質みたいで。だから感覚的に魔術を扱うことが出来るみたいなんだ」
「魔術……っていうと、遠原さんや琉院さんが使っていたみたいな?」
天木さんは魔術学校の学生だが、まだ授業に本格的に出たわけではないからか魔術自体もまだ掴めていないらしい。だが彼女の言葉は間違っていなかったため、オレは頷いた。
魔術はどちらかといえば身体の外――というよりもほとんどの空間に存在する魔力を使う。一時的に変質することのできるエネルギーのような存在である魔力を詠唱や強固で確固たる想像、あるいは生まれ持っての感覚をもって、自分の望む物に変えるというのが少々大雑把ながらも大体の魔術に当てはまる概要だ。
「それで、魔力というのがその魔術を使う時に必要なものってことですか?」
「そう。普通なら、体の中で貯まるなんてことは無いはずなんだけどね」
魔力が体内に貯まるという体質は珍しいという言葉にも当てはまらないだろう。一般的に魔力が貯まるという体なのはこの世界の人間では皆無に等しいからだ。神田葉一というオレの友人や先ほどから名前が出ている琉院槙波という少女も、感覚で魔術を使うことは出来るがそういった体質というわけではない。ただ妹は――遠原樫羽は、見事にその体質だと判断された。そしてその体質を持つ者は前述であるオレの友人などと同じように、詠唱を必要としないで魔術を使うことが出来るという。今まで樫羽が魔術を使おうとするそぶりすら見たことも無いし、そういった話も聞いたことは無かったが……なんと、オレどころか当の樫羽自体が自分がそうである事を知らなかったというのだから今まで分からなかったのも仕方ない事かもしれない。仮に魔術を発動させられるとしてもイメージトレーニングは必要だし、確定したのも精密な検査をしてようやくだったのだ。それを今までに気付けという方が注文されたとしても難しいだろう。実際、魔力の貯まる体質の話をしてくれたある人もこれは仕方ないという風に言ってくれていた。
「……なんで樫羽ちゃんがそんな……?」
「さぁ、と言っても異世界人ならたまにそういう人もいるらしいからね。樫羽の境遇なら、多分そういう世界の生まれだった……ってことだと思う、けど」
「けど?」
「……そうとも限らないって可能性も、考えてはいるかな」
今まで言われてきていたこととは違うことが真実だということは多いに有り得る。世界という巨大な存在が交わる今の時代では、そういう目線がもっとも求められるのだ。人が違う、言葉が違う、種族も違う、ましてや法則すら違うことだってある。だからこそ後天的にそういう身体にすることができるという可能性もあるし、樫羽もそういうなんらかの事情があるという可能性は無くならない。
……とはいえ。
「でも、そういう体質だとしても今まで通り気にすることも無いからね。樫羽に変化とかは無いんだし、だったらこっちも変わる必要なんて無いだろうしね」
樫羽と昨日に軽くこの事で話した時も驚いている様子ではあったが、それ以上に何かあるという様子は全く見られなかったしそもそも本人が「使えるとしてもあまり使いたくない」と言っていたので、このことはあまり危惧しなくてもよさそうだ。
「遠原さん、なんだか随分落ち着いていますけど……普通はもう少しなにか考えこむような事じゃないんですか? 家族の秘密を知った場合って」
「これまでいきなり妹が出来たり、急に修行に付き合わされたり、突然助けを求められたりしてるからね。ついには立てこもりに巻き込まれるような暮らしをしたら、そりゃあ多少の事じゃ動じないよ」
「……それもそうですね」
天木さんはまるで同情するような苦笑をする。オレが今口に出した事の当事者だからかどこか申し訳なさそうにも見えたが、そう気にしなくていいと思う。
「それに、近くに居るたった一人の家族だしさ。そう易々と動じていたら兄としても格好がつかないし」
「遠原さんらしい理由だと思います ……それで、もう一つ聞いてもいいですか?」
頷く。すると天木さんは真剣な表情になって――
「あの時、遠原さんは……『櫟くん』だったんですよね」
問いかけるように、そう言った。ただ、その事は入院中、お見舞いに来てくれた時にも認めている。
「……そう、だけど」
聞く方にとっても言う方にとっても、二度目の肯定。だが、前にも言ったはずの事を聞くだけだとは到底思えない。そして、その考えは的中した。
「それなら――彼がどうしてああなったのかとか、なにか分かった事はありませんか……!?」
身体ごと顔を近づけて、天木さんは聞いてきた。必死に、まるで縋っているとも言えそうな表情で。
答えることは簡単だ。なにせ、すでにオレは彼――天木さんが『櫟くん』と呼んでいるやつの事情も、その男が以上となったわけも知っているのだから。
「……まず一つ聞くけど……天木さんは、自分の家族についてどれぐらい知ってる?」
「えっ……?」
急な質問を返したからか、天木さんはキョトンと、一瞬呆けたようになった。しかし、すぐに顔つきは戻る。
「家族……と言われても、母が早くに亡くなった後は父親と普通に暮らしていただけで……父も付き合いは広かったようですが、それぐらいでせいぜい普通の人だったはずですけど」
戸惑っている様子を見せながらも天木さんは答えてくれた。きっとそれが正直なものであるということは彼女の顔を見ていれば分かる。正直に、自分の知っていることだけを離してくれたからこそ――悩む。彼女の父は、彼女の言うような「普通」ではない。ただ、その事を口にしていいのだろうか。いくらわだかまりが解けたといっても普通なら家族の方がオレなんかよりよっぽど信頼できるはずで、その家族をまるで貶めるような事を――事実とはいえ――言ったとしても信じてもらえるかどうか分からない。それになにより、天木さんにとっては信じるか信じないか、どっちにしても辛いだけだ。
顔を伏せて、見えないようにオレは一度強く歯を食いしばる。逡巡していた言葉を胸の奥に飲み込んで、顔を上げる――
「――遠原さん」
膝の上で握り合わせた両手を、横から天木さんが掴んだ。優しく覆い被せるように、だけど少し咎めるような厳しい顔を向けて。
「……ど、どうしたの?」
「嘘、つきそうな顔してました」
オレは誤魔化すように軽く笑った顔を浮かべながら天木さんに尋ねるが、一切緩めることなく彼女は突きつけるように言った。その言葉が小さく胸に刺さる。
更に言葉は続く。
「なんとなく理由も分かります。でも、そう簡単に私を騙そうなんて思わない方がいいですよ。櫟くんとは長い間一緒に居たんですから、彼と目が似ている遠原さんは少し表情に出しただけでも分かります」
「……それじゃ、敵わないなぁ」
見事に見破られた事実もある。だからオレは素直に負けを認めた。完敗だ。言い訳できようはずも無い。
「……でも」
天木さんは、オレの手を掴んだままもう一度言葉を紡ぎ始めた。
「遠原さんは、私の事を考えてくれたんだと思います。櫟くんがこっちに来た時も……同じでしたし。だから、責めたりはしません」
そこまで言ったところで、言葉が止まる。どうしたのかと思って声をかけようとしたところで――
「……でも……!」
激しい声が、彼女の口から洩れるように出てくる。それは怒っているととれそうな、だけどそうではないような気もする声。ただ、感情が込められていることは確かな言葉だった。
「私のことを考えてくれているんだとしても……嘘だけは、やめてください……! それじゃ結局、遠原さんだけが背負っているじゃないですか……!」
激しく出てくる言葉は、それだけに言っている者の本心である事を強く感じさせる。だからこの時の彼女の言葉はさっきよりも余計に深く、深く胸に突き刺さっていた。
以前にも彼女は病室で言っていた。これまで通りでは、二人で頑張ってると言えないと。その言葉の意味がようやく分かったような気がする。
彼女の手がより強く、力を込めてオレの手を握った。
「……私は決して強くないですけど……私は、今まで逃げてばかりでしたけど……でも――私は今までの関係を取り戻すためなら、なんだって背負う覚悟はできています!」
天木さんはそう言いきって、オレの手を掴み続けていた。そしてこちらを見るその顔を、オレもまた同じように見つめる。
儚くなどない、強い目つきだ。そして曇りがない、まっすぐな瞳だ。
まるで……進むべき場所を完全に定めた今の彼女の意思を、そのまま表したかのような。そんな言葉が浮かぶほど、オレは彼女の眼に自分の目を奪われていた。
それを見ていては、自分の腹も決まるというものだ。
「……分かった。オレはもう、今回みたいに嘘はつかない。天木さんも背負う、っていうのも納得した」
「なら……!」
「だけど、さ」
一瞬喜んだような表情を見せた天木さんが、不安な表情になった。それを見てオレは、慌てて前置きを入れる。
「い、いや、今から言うのは別に悪い事とかじゃなく、ただ単にオレの気持ちみたいなもの、というか……!」
「気持ち……ですか?」
首を傾げて天木さんはオレの言った事をリピートする。それに頷き、調子を整えるべく咳払いを一度行う。
「……一緒に背負うとか、そういうことはまぁ構わないんだけど……でも、天木さんが傷つくような――君だけが傷つくようなことだったら、オレはやっぱり隠してしまうかもしれない。約束を破って、また一人で背負い込むかもしれない。もしそうなったら――」
「そうなったら、また私が聞き出します」
オレの言葉を遮って、天木さんはそう言った。そしてオレがなにかを返す前に、また自分の言葉を続ける。
「きっと遠原さんは、そう簡単にそういうことはしないだろうと思います。だからきっと、黙りこむのはよほどのことがあった場合ぐらいで、そういった気遣いもやはり嬉しいです。嬉しいですけど――やっぱり、私は我慢できないと思いますから。私に関わる事で遠原さんになにかを黙ったり嘘をつかれるのは。だから、何をしてでも聞き出してやる! ……というのが私の返答ですが、これでいいですか?」
「……いや、でもさっきのはあくまで天木さんの知っている人物との経験を活かしてのことでしょ? その人とオレは違うんだし、二度目は……」
「それこそ心配いりません。遠原さんと一緒に居る機会はこれからいくらだってあるんですから、櫟くんと同じ時間をかけずとも嘘ぐらいは見抜けるようになってみせますよ!」
ガッツポーズで「やりますよ!」という雰囲気を天木さんは放つのだが……なんだか、かなり恥ずかしい事を言われているような気がしてくる。嬉しい気もするのだが――というようなことを考えていると、携帯電話が音を鳴らして電話が来たことを告げる。天木さんにちょっと断りを入れてその電話を手に取る。
「葉一……? なんでまたあいつから……」
友人の名前が表示された画面にどこか疑問を抱きながら、オレはその着信を取った。
回線がつながる。すぐに聞こえてきたのは、なぜかやや鼻息の荒くなっていそうな声だった。
『おい櫟、お前もしかしてやるのか? やりやがるのか!?』
「……はぁ?」
突然なにを、という主語の抜けた言葉にオレは混じりっ気なしの不可解な気持ちを込めた一言を発した。それを気にもせずに、葉一はその勢いのまま更に言葉を発する。
『いやだからよ、今のお前らいーい感じにロマンチックな空気漂わしてんじゃん。だからもうこれは熱いベーゼとかとろけるようなキッスとか抱きしめて銀河の果てまでいくような行為でもやるのかって話だよ! で、どうなんだ! えぇ!?』
「いや、だから話のつながりがさっぱり――」
あまりの速さにまたも不可解だと言いかけるオレの口は、一瞬の思考する間を得たことで止まる。口に出しかけた瞬間、なんとなく思い至ったのだ。
今のお前らという言葉は複数を指す言葉で、だが今日のオレは天木さんとしか行動してないしそもそもあいつが言った今も天木さんと行動しているわけで――
「くたばれ覗き魔が!」
全て理解したオレはそれだけ言って電話を切ると、オレは我慢大会の最中に意識を日常に引き戻されたかのような感覚を覚えた。
なにせ周りの視線が……すごく集中していて……とても暖かく……生暖かく見守られていて……とても、恥ずかしい……!
「?」
唯一そんなこととは関係なさそうに首を傾げている天木さんは、ある意味幸せ者なのかもしれない。これに気付いてしまったら一生の恥を感じざるを得ないだろう。というか、こうも見られている状態だと天木さんの父親の話はし辛かった。どこか別の所へ移動するべきなのだろうが人の多く来るようなところではまた同じような事になるかもしれないし、この近くでは葉一がまた妙な覗きをやらかすかもしれない。それを避けられる場所となると――
「……天木さん、また手間になっちゃうけど、移動していいかな? ここよりもっと、落ちつける場所なんだけど」
「ここから動くんですか? 私は構いませんけど……でも、どこに?」
天木さんの質問に、オレは答える。
「――朝と一緒で、坂の上だよ」
そう言った瞬間、天木さんの顔が苦笑になったのは誰から見ても明らかなものだった。
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空に夕日が上り、橙色に世界が覆われる頃。オレが天木さんを自分の提案した場所に連れてこられたのはそんな時間だった。横では天木さんが額に少し汗を浮かばせて呼吸を整えている。
そりゃそうだ、朝とは違って学校よりも上の方に来ているのだから。ただでさえ長い坂を全て上りきって、ようやくここには来られる。
まるで展望台のような、坂の下に広がる街を一望できる場所。公園の中というわけでも無く、道路の横に小さくでっぱっているような場所にベンチが二つ置かれただけの場所だ。だからなにか決まった名称があるというわけでもないが、一部では「坂上の天覧席」なんていう妙な名前を付けているのもいるらしい。オレとしては名前など無くとも別にいい気はするのだが。
都合のいいことにベンチは二つとも空いていて、誰かが来るような気配も無い。オレは天木さんと一緒に、一つのベンチに腰を下ろした。
「急に移動することになってごめんね。でも、あそこだと都合が悪かったから……」
「……大丈夫、です。遠原さんが理由も無くこんなところまで移動するなんて、滅多にないでしょうから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
ちなみに、都合の悪くなった原因であるオレの友人についてはとある少女の手によってすでに解決済みだ。その少女は部活の最中だったので、あまり期待はしていなかったのだが「葉一がオレと天木さんのストーキング犯になり下がった」といったら即行で行動を起こしてくれて、あえなく覗き魔は自宅へ首根っこを引きずられて帰るはめになったのだった。こちらが移動という手間をかけることになったのを考えると、ざまぁみろという言葉が浮かんで仕方ない。
と、そんなわけで心配も無くなった。天木さんが横で水を飲んでいるのを終えたのを確認すると、オレは早速切りだす。
「……それで、駅前でオレが隠そうとした話だけど――」
――天木さんの父親の実態が危険な思想家だったということ、そしてそれがためにあの遠原櫟がああなったようだということを彼女に話した。やはり、家族がそういった裏を持っていると急に聞かされたからか、まずその顔は穏やかではない。
「……そんな……お父さんが……」
「オレはあいつの記憶の中で見ただけだけど……それはきっと、間違いではないと思う……」
「……はい。遠原さんの言っている事を疑っているわけじゃないですけど……でもやっぱり、どこかまだ納得がいっていないような気がして」
遠くを見るような眼をして、天木さんは空を見上げた。いったい何を見ているのだろう。オレにはわからないことだ。横でその姿を見ながら尋ねる。
「天木さんの前では……そのお父さんってどんな感じだったの?」
「……父は優しくて、時々厳しくて、でも……母のいない分を埋めようと必死な方だったと、私は思います」
「……立派な人だったんだね」
月並みだけど、そんな言葉しか出なかった。そもそもオレは父親なんて少ししか知らないけど、それでも、どういう人かぐらいは判別がつくつもりだ。多分天木さんの父親は、いい親なんだと思う。少し羨ましかった。
「……でも……そういうことだったんですね……」
ポツリと呟くように、天木さんは言う。その表情は、大方最初の予想通りに悲哀を帯びていた。寂しげで、意識がどこか別の所を向いているように見えて、そして一筋の涙を流していて。そんな姿を見るのは少しだけ胸が痛い。
だがその瞳は、ただ悲しんでいるだけではなかった。たとえ眼が潤んでいようと、頬に雫が張っていようとも、彼女の目からは意思が――力が感じられる。それだけで分かる。
堪えていても、まるで折れていないのだということが。
「……遠原さん」
「ん?」
「今まで色々と押し付けてしまっていて……本当に、すみません。それに、こんなにも沢山のことを調べてくれて……ありがとうございます」
二回、小さく頭を下げてきて天木さんはそんな事を言ってきた。とはいえ、今話した事は全部偶然知り得たようなものだ。だから、その事で調べてくれたとお礼を言われるのは、少々むず痒い気もする。
「二人で背負いましょうとは言いましたけど、でも今の話を聞いてどうすればいいかは、正直分かりません。私が元居た世界にまた行けるのか、それとも戻れるかすら分かっていないですし、櫟くんがどうすれば正気に戻るのかも、父の真意だって知りません。けれど――」
「――それも、これから二人で探しましょうって?」
天木さんが言いそうな事を予測して、オレは彼女の言葉に被せるようにそれを口にした。だけど、天木さんは驚いた様子も見せずにオレに顔を向け――
「はいっ!」
満面の、嬉しそうな笑顔で肯定してくれた。正直、オレはその顔に見とれていたと思う。下手をすれば、いつまでも見ていたかもしれない。だけど、夕日がそれを邪魔した。
沈みかけた橙の光の眩しさに、オレは我を取り戻して一瞬目を閉じてしまう。口惜しいという想いを抱きながら、しかし「ようやくこの時が来たか」という風にも思う。
脳裏に残る先ほどの笑顔を思い出すと、直視は出来そうにないので少し目線を逸らしながら声を出す。
「……あのさ、天木さん。実はここに来たのには一つ、ちょっと特別な理由があって……」
「特別?」
言葉に疑問符を浮かべている天木さんに、オレは少しずつ平静を取り戻しながら、指先を柵の方に向ける。
「まぁまずは、向こうを見てみてよ」
天木さんは言われるがままにオレが指差した方向を見る。不思議そうな表情をしていた天木さんはそれを見ると――
「わぁ……」
目を輝かせ、まるで夢中になっているかのような楽しげな表情を浮かべて立ち上がった。そういった表情をしてもらえると、ここに連れてきた甲斐があるというものだ。オレも腰を上げてそれを見ると、過去に数回見たことがあるのに未だにどこか胸がスッキリとするような気持ちを抱くことが出来る。
それは、夕日が沈む直前の光景だった。ただの橙の光ではなく、薄暗くなってきたがために灯り始めたのであろう地上の街の中の明かりと、それの上から沈み始めてなお空に残る、霞んだ夕日の混じり合う世界。それを一望できるのがこの場所だった。決して誰しもが好きだとは言えないかもしれないけれど、端的に言って、オレはこの場所で夕日を見るのは好きだ。曖昧で、どこか寂寥感があって、そして懐かしい記憶が甦る。父親と見たことは一度だけあったし、振り返ってみれば妹を連れてきたこともあった。そして今回は――横に天木さんがいた。
「これを、見てもらいたかったんだ。少しでも、天木さんが安らげるならって思って……」
「私の……?」
天木さんは少しオレの顔を見ると、もう一度街の方を眺めながら笑った。正面から見ているわけではないから正確には分からないけど、さっき見たものと同じようにも思える雰囲気がした。
「ありがとうございます、遠原さん。私にこれを見せてくれて……」
「喜んでもらえたなら嬉しいよ」
オレとしては、もう少し他の物を見ていたかったのだが……本人を目の前にして言えるわけがないのでその言葉は飲み込む。だが、それ以外の言葉が出てこなかったのでオレは黙りこみ、天木さんもそれ以上の事を言わないまま、しばらく目の前に広がる光景を眺めていた。たまに吹く風が、妙に心地よかった。
だが、その時間はあっけなく終わる。また、携帯電話が振動を始めたのだ。それを確認すると、今度は妹からの電話だった。繋げると、どうやらもう帰るからオレ達も家に入れるようになるらしい、とのことを伝えられる。電話を切って天木さんにその事を教えると、残念そうな表情をしていた。もう少しこの光景を見ていたかったんだろう。
「……でもさ、ここにはまた来ることもできるんだし、また機会がある時でいいじゃない。この場所は逃げたりしないんだからさ」
「それもそうなんですけど……でも、なんだか今日見られなかったのは口惜しいです」
「アハハ……」
軽く笑いながら、オレ達はこの場所を後にするべく後ろを向いた。
――この時、オレは自分がどれだけ前しか見ていなかったのか気付くことになる。
「……あら、遠原じゃない。こんなところで会うなんて、奇遇ね」
後ろの歩道には、とある二人が並んでいた。ロングの金髪をスラリと伸ばしている琉院槙波という少女と、その琉院につき従っている紫の髪をしていてもみあげ部分を束ねている三里亜貴という少女達だ。二人とも私服のようだが、実は三里さんの私服姿というのは初めて見るものだった。それゆえ一瞬違和感を持ったが、顔を見ればすぐに分かった。
……すぐに分かったからこそ、余計に体が「ギクリ」と固まってしまったわけだが。
「あ、琉院さんに三里さん、お久しぶりです」
「あら、横に居たのはあなたでしたの。確か……天木さん、でしたわね」
「はい! 覚えていてくれて嬉しいです」
天木さんは琉院達に声をかけるとそのままやいのやいのと盛り上がりだす。琉院と天木さんっていつの間にか知らないがこうなるくらいには仲良くなっていたのかと、自分の知らないところでなにがあったのか気になってしまう。
そんなオレに、琉院ではなく三里さんが声をかけてきた。
「ふむ、もしかしたらお邪魔でしたでしょうか。我々も散歩のつもりでこの辺りを歩くことが多いのですが、まさか遠原さまと天木さまの二人きりで居るところに出くわしてしまうとは」
「……そういう邪推はもう懲り懲りですよ。今日は一日中それに振り回された気もします」
「おや、それは邪推する側のこじつけというより最早完全にお二人がお似合いという事なのでは?」
「んなことありませんって」
実際、お似合いというならオレじゃなくてあいつのほうがそうだと思う。オレはそう思っているし、あいつも、天木さんもきっとそう考えているんじゃないだろうか。だったらそういった話にオレの出る幕は無いはずだ。
「まぁ、遠原さまがそう言うならそれでいいとしましょう」
三里さんは納得しているのかしていないのか分からないような顔をしながらも、言葉ではこの話をやめると言ってくれた。
「――それで、話は変わりますが遠原さまは異性として誰かを好きになったりしたことなどはあったりしますか?」
「ゲホッ」
だが、すぐさま別の方向からアプローチを再開してきて、オレはついむせたような声を出してしまった。大丈夫ですか? とまるで自分は悪くないような口調で三里さんは心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫ですけど、急にそんな事を聞かれても困りますよ。オレだってまだ思春期なんですし」
「ふむ、そうですね。申し訳ございません。ですが、そういった経験の有無ぐらいは聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
「……なんだかやけに聞きたがってますけど、そんなに興味が――」
三里さんからその質問の意味を聞き出そうとしていると、背中に誰かが軽く触れてきた。振り返ると、そこにいたのは琉院だった。
「ほら、貴方達も帰るところだったのでしょう? わたくし達も途中までは同じみたいですし、話なら歩きながらでもできるのではないかしら」
「あぁ……まぁ、それもそうだけど」
「いいからっ」
グイッと腕を引っ張られて、オレは歩道の方に連れ出される。だが幸いなことに、これで三里さんとの会話はこれで途切れた。今のは琉院の意思でやったことで更に強引ではあったけど、三里さんもこれで今の話は流してくれると助かるんだが。
「……ふぅ」
「? どうしましたの、遠原。そんな安心したみたいな息をついて」
「実際安心したんだよ、こっちの話だけどな。というか、もう引っ張らなくても歩けるって……」
「ハッ!」
オレが未だに腕を掴まれている事を指摘すると、琉院はそれにようやく気付いたようでバッと手を離す。別にそんなに素早く離す事も無いと思うが、これで手が自由になったのだしよしとしよう。
「い、今のはなんでもありませんから! 特に、勘違いなどはしないでちょうだい」
「勘違いも何も、単にオレを帰路につかせただけだろ。それがどうしたっていうんだ」
「そ……それも、そうね……単にぐずぐずしていた貴方を引っ張っただけ……そう、それだけよ……!」
なんだか急に妙な喋り方になった琉院に違和感を抱きながらも、オレはまず自分の連れを見つけて声をかけることにする。琉院の方を見ていたみたいだが、近付くとすぐに気付いてくれた。
「それじゃ天木さん。そういうわけだし、そろそろ帰ろうか」
「そ、そうですね。帰り道もできるだけ暗くならない内に戻りましょうか」
少し言い淀んだのは気になるが天木さんも納得したようなので、そのまま途中までは琉院達も一緒になって、特に問題も無いままに家路についたのだが――その最中オレは三里さんの質問の内容に気が向いていた。だが、はっきりとした答えのようなものは出てこない。そういった好意を抱いたことをはっきりと覚えていないから、仕方ないのかもしれない。
ただオレは、一つのことだけはぼんやりと考えていた。といっても、答えにはならないだろう個人的な気持ち――決意のようなものだ。
オレは、天木さんにそういった好意を――恋をしないようにしようと、胸の内でそっと決めた。
その瞬間、脳裏に残った先ほどの彼女の笑顔が、わずかに暗く、霞んだ。そんな気がした。
今回の幕間はこれにて終了です。だいたい幕間をやる場合はこんなぐらいの短い話になるかと思われますが、ご容赦ください。一応本編とは違ってこっちは読まないでも問題ないというのを心がけていきたいです。