幕間‐或る登校日の話2
校舎の外に出ると、天木さんがこんなことを言い出した。
「……ここって、けっこう広いんですね」
その言葉にオレは多分、苦笑いをして頷いていた。思い当たる節が十二分にある。
「まぁ、魔術の学校なんて本来なら特別なものだしね。ここはまだ学費とかが低い分、最低限の設備で済ませてる場所も多いけど……それでも、広さはどうにもならなかったみたい」
なにせ校舎内だけで案内が済まないのだ。部室棟と第二体育棟、更に魔術実習場のある通常の体育館は校舎の外にあり、廊下でつながっているというわけでもない。そのためこうして真夏の太陽の下を歩かなければならないのは当然の事となるわけだった。
だが、さっきまで校舎の中のほとんどの箇所を回るように動いていたからか、天木さんは少し疲れている様子に見えた。
「ちょっと疲れたなら、なにか飲み物でも買ってこようか? たしか自販機も近くにあったはずだし……」
確認のつもりでそう聞いてみたのだが、天木さんはその言葉を聞くと急に背筋を伸ばした。
「い、いえ! 大丈夫ですっ!! 私の事は気にせずどうぞ!」
そう言いながら「大丈夫だから」とでも言いたげな笑顔を向けてくるのだが、それもどこかぎこちない印象を受ける。無理をしているようにしか見えず、ちゃんと休むように言おうとするのだが――
「――無理をしちゃいけないよ、見慣れない後輩さん?」
後ろからハキハキとした女性の声が聞こえて、オレと天木さんは同時に声のした方向を向いた。
黒い丸みのあるショートヘアに丸メガネをかけた女生徒が、腕になにかペットボトル入り飲料が詰まったビニール袋を抱えてこっちに歩いてくる。
「……前の生徒会長が、なんでこんなところに?」
オレはその人の姿を捉えたあと、自然にそう呟いてしまっていた。交友があるわけではないが、去年から居る生徒でこの顔を覚えていないのはあまりいないはずだ。それほどの有名人と言ってもいい。名前はいまいちはっきり思い出せないが、この人は確か去年この学校の生徒会長をやっていた人なのだ。それも、かなり全力で働いていたのは今でも覚えている。たしか最上級生である三年生になった後は生徒会をやめて、今年は別の生徒――確か二年の女子のだれかが生徒会長の座を継いでいたはずだが。
今もどことなく柔らかい表情といい余裕を感じさせる振る舞いだが、それがだらしなく見えることは一切ない。素のままというよりも、どちらかといえば自然体でいるという表現が一番的確な気がした。
「……? 生徒会長の方、なんですか?」
天木さんはクラスメイトというわけでもないこの人の事など知っているわけが無いので当然だが、どうすればいいのかわからないような反応をしていた。眼鏡の先輩女子は苦笑しながら天木さんに言葉をかける。
「元、だけどね。それはそれとしてこんなに暑いんだ、少しくらい休んでも別にいいんじゃないかな?」
「……で、でも――」
天木さんが元生徒会長の言葉になにか反論を返そうとしたようなのだが、元生徒会長はその言葉を聞く前に、天木さんの手を取った。
「休むのが嫌でも、せめて水分は取ったほうがいいさ」
そう言って天木さんに持たせたのは、抱えていた袋の中にあったペットボトルだった。ラベルを見ると、中身はどうやらアイスティーのようだ。
「これはあなたの物じゃないですか! それなら私、受け取れません!」
「大丈夫大丈夫、どうせみんながみんな飲むわけじゃないから。むしろもらっておいてくれると無駄にならずに済むし、逆にこっちとしても助かるかもしれないんだよね。お金とかもいらないから、それじゃあね、お二人さん」
「で、でも、やっぱり――!!」
立ち去ろうとした元生徒会長を天木さんは呼びとめる。元生徒会長は笑いながら振り返った。
「別にいいよ。あんまり意地ばっか張ってると、誤解されちゃうかもしれないから気を付けなよ?」
「……!」
「そっちのきみも、あんまり女の子を無理に連れ回さないようにね。特にその子はかわいいんだし、逃がさないように、さ」
元生徒会長はそれだけ言うと、ゆっくりと文化系の部室が多くある部活棟の方に向かって軽い足取りで歩いていった。オレと天木さんはその場で二人してしばらく元生徒会長の後ろ姿を眺めていたが、やがてカンカンと照りつけてくる暑さに現在の状況と我を取り戻す。オレは、えっと、と前置きをしてから天木さんに声をかけた。
「天木さん。折角の厚意みたいなんだし、それは飲んでおけば?」
天木さんは何も言わなかったが、さっきと打って変わって素直にアイスティーを口にした。その後で彼女は短い息を一つ吐く。
「……またあの人に会えたら、今度はきちんとお礼をしたいです」
「そうだね。でもまぁしばらくは無理かもしれないけど、夏休みが終わればすぐ会えると思うよ。同じ学校の先輩と後輩なんだしね」
「えぇ、ですね。もちろん、偶然に会えても嬉しいですけど……でも、ちゃんと会ってお礼を言いたいです。このお茶以外にも」
天木さんはそう言ってオレの前に出た。その足取りはなにかを楽しんでいるかのように軽やかで、そして振り返った時の表情は笑顔だった。
「行きましょう、遠原さん! 私、もっとこの世界を見てみたいです!」
まるで、子供のように無邪気で。なにかを隠すような態度も無い素直な様子で。その姿に、オレも笑顔を返しつつ案内を再開するのだった。
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あの後、オレと天木さんは生徒なら普通に入ることのできる場所のほとんどをまわった。先に述べた体育館や部室棟の入り口まで、第二体育棟のほうも中ではいつも以上に熱のありそうな活動をしているらしい掛け声が外でも聞こえてきたので入り口周辺だけを見て、そのあとも天木さんの希望によって学校内の敷地を無作為に周ったりして、色々とオレ自身も新しい発見をすることができた。そしてオレと天木さんは最初に教室を出てからもう一度戻るまでの間、なんと2時間も学校の中の案内に使っていたらしい。
「……ちょっとこれは、中々時間を使いすぎたような……」
「す、すみません……私がちょっとはしゃぎすぎてしまったばっかりに……」
二人してそんなことを、苦笑いを浮かべて言いながら廊下を歩く。
だけど、すまないとこそ言っているが天木さんは別に楽しくなかったわけではないはずだ。さっきまで表情があんなに明るくなっていたがそんな様子を見るのは初めてな気さえする。そういう姿を見ることが出来るのは嬉しい反面……やはり、歯がゆさも抱いてしまう。こうして外に出るようになって楽しそうにしていると、これまで知らず知らずのうちにどれだけ彼女を縛っていたのかということを考えてしまうのだ。
ただ、それを彼女に悟らせたらまたあの顔に影を落とす事になってしまうかもしれない。それはしたくないことだ。オレはできるだけそういった感情を隠しながら平静を装って、天木さんとの会話を続ける。
「いや、でも……多分、大丈夫だよ。それにはしゃぐのも悪い事じゃないし、むしろ天木さんは色々な事を楽しんだってバチは当たらないと思うよ」
「そうですか?」
「うん。むしろオレとしては……」
そこまで言いかけて、オレは言葉を止める。天木さんがそれを不思議に思ったのかまるでオレの顔を覗き込むように見てくるのだが、たとえそうされても今言いそうになった事を口に出すわけにはいかない。
……流石に「幸せになってほしい」というのは、恥ずかしすぎる。そういう事を言っていいのは、オレのようなちょっとした縁のある人間でなく、彼女の恋人や親のように、彼女に近しい場所にいる存在ぐらいだろうという気もした。
そんなことを考えているのかどうかなんて天木さんは分かっていないであろうが、天木さんはしつこく何度もオレの顔を見てくる。やがて距離も近くなってきているような気がしたのだが――そこになにかを感じている暇のようなものは、オレには与えられなかった。
どういう事かと言えば、オレ達は自分の鞄などを教室に置きっぱなしだったため、それを取りに戻ろうとしていた途中だった。今の一連の流れをしている最中も歩みを止めることなく、二人して歩きながらやっていたわけだ。もう一つ、なぜそんなことをと思われるかもしれないが一応言っておくと、オレだってもう何年も学生をやってるのでドアを開けるときにいちいち思慮をめぐらせたりするようなことをせずほぼ無意識で開ける事が基本的な動作になっていた。
この二つでつまり何が言いたいかと言えば、天木さんが一歩間違えたらぶつかりそうな距離でオレに顔を近づけているようにも見える状況で、オレはまったく何一つ考えずに教室のドアを開け――
「――はい、チーズ」
シャッター音が閑散とした教室の中に響いた。オレと天木さんは、部屋の中にいるその音の主を同時に見る。
スマホを構えて、なにやらしてやったりというような表情を浮かべていた人物――それは、なぜかこんな時間まで残っていた神田葉一というオレとの腐れ縁を持つ親友だった。今撮った写真を見て「ヒューウ」と言った感じの口笛を吹く姿は、オレからすればまるで気持ちのいいものではない。
「……いやあ、暇だからって寝てたらまさかこんな場面に遭遇できるとは思ってなかったわ。それじゃあ俺も帰るから、後はゆるりとやっててくれや」
「待てぇ!」
葉一は立ち上がると手をひらひら振りながら出ていこうとしたので、オレはやつがここから出る前に背後から近付いてがっちりと肩を掴んで止める。どう考えてもこいつは今、誤解をしたままだ。そのまま野に放つわけにはいかない。
「……葉一……お前もいいかげんオレとの付き合いは長いんだし、今なにを伝えたいかとか分かってるよな……?」
「わかってるわかってる。一日で鹿枝ちゃんと仲良くなったのは周りに内緒にしておいてくれってことだろ? そんぐらいの気は利かせ――」
「そうじゃないっ、まったくそうじゃないっ!!」
肩を掴む力を更に強くして、オレは葉一を思いきり睨みつけながら顔を近づける。
「いいか……? オレと天木さんはそういう関係じゃないし、これから先もなれるわけないんだ。だから、できればそういう風に疑うのはやめてくれ」
そう伝えて顔を離すと葉一はしばしオレの顔をじーっと見た後、口を開いた。
「まぁ、お前がそう言うんならそれでいいけどよ。櫟で遊ぶのもそろそろ飽きてきたし」
「……自分としては少し釈然としない理由もあるみたいだが、納得してくれるのならそれでいい。お前の対応から変な疑いを周りに持たれても困るしな」
葉一が言いふらさないとしても、そういうところを周囲に悟られたら厄介なことになるだろう。それに変な誤解をされたままだと当人である天木さんも迷惑するだろうし、そういう意味でもここで葉一の誤解は解いておけてよかったと思う。
「……しかし、そうなれるわけないってお前、少しネガティブすぎるんじゃねぇか?」
葉一がやや苦笑気味の表情でそう言ってくるのだが、それに対しては、どうしても同じような顔になってしまう。そんな感情が出てこようとも、過去を垣間見たオレからすればさっきのようになれるわけがないと言わざるを得ないのだ。
葉一がそのあたりの事を知っているかは分からない。だが苦笑をしばらく浮かべると、やがて納得したような笑顔になった。
「まぁなにか事情があるってことなら、それはそれで仕方ねぇわな。個人的には少し意外な気もするけどよ」
「意外って……それはそれで色ボケだろ。多少仲良くこそなったけど、恋愛関係ってのは段階を少しすっとびすぎてる」
「そうかぁ? だって鹿枝ちゃんがお前を見る目って時折――」
葉一がなにかを口にしようとした瞬間、携帯電話の着信音が鳴った。葉一は自分のそれを取り出して開くと、画面を少し眺めた後にため息をつきながら鞄に電話を突っ込んだ。
「……おばさんからか?」
「いや、お袋じゃなくて那須野。なんか部活の休憩中だから、飲み物でも持ってきてくれとさ」
「そうか。それじゃあオレと天木さんは帰るから、それじゃあな」
「おう。夏休み中もまたなんかあったら、その時はよろしく頼むわ」
葉一はそう言った後で、さっきオレ達が開けた扉のところに立って待っていた天木さんの方に手を振ってからもう一方の扉を開けて早足で教室から出ていった。
天木さんがこっちに近寄る。
「……えっと、急に遠原さんが焦り出したように見えたのでどうすればいいのか分かりませんでしたけど……神田さんがなにかあったんですか?」
きょとんとしたような表情をしながら天木さんはオレに訊ねる。それはつまり、さっきの葉一の誤解がどういうものだったのかも分かっていないという事なのだろう。それならそれで、都合がいい。平静を装って答える。
「まぁ、ちょっとね。でも天木さんには関係ない事だったから、あまり気にしないでよ」
「そうですか? 途中、私の事を言っていたような気もするんですけど……」
不意に鋭いことを言われて、少したじろぎそうになったがそれをこらえる。確信を持てていないあたりは実際聞いていないと思ってよさそうだが、なんとなく雰囲気は感じ取れたという事だろう。今は何とか堪えたが、ボロを出したら天木さんは気付いてしまうということもあり得る。
「……気のせいだよ。とりあえず、荷物を持ったらひとまず学校から出ようか」
ひとまず、今はなにか怪しいところは見当たらないようにできていたはずだ。それから天木さんも納得したように「そうですか……」と頷いて深くは聞いてこないし、それならわざわざ自分から言う事も無い。そんな風に思いつつ、オレは自分の鞄を手にとって教室を出ようとしたその時に、ふと葉一が言い掛けた言葉を思い出す。
(天木さんがオレを見る目が時折どうこうとか言っていたが……多分、あいつの考えているような事じゃないと思うんだがな)
仮に天木さんがオレのことを妙な目で見ていたとしても。それはきっと、自分が彼に似ているから――天木さんの幼馴染との面影を、彼女が重ねてしまったりすることがあるからなんだろうと思う。少なくとも、自分を特別な目で見ている事は無いはずだ。それを責めたりするつもりも無い。けれど、自分がそれで寂しい気持ちを抱いてしまっているような――そんな疑惑だけは、どうしても無い事にはできそうになかったのだった。
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およそ14時30分ぐらいの頃。オレと天木さんはようやく学校を出た。坂の中腹、校門前のところで鞄の中から振動する音がしたので、携帯電話を取り出す。メールではなく電話のようで、相手を確認すればそれは樫羽からだった。
なにがあったのかは分からないが、とりあえず電話に出ると――
『兄さん! いったい何時になったら帰ってくるんですか!?』
躊躇いも無く耳に電話を当てたおかげで、向こうからの怒鳴り声が見事に聴覚を思いきり貫いてきた。一瞬、キーンというような音がした錯覚を覚えたがすぐに立ち直ってから、恐る恐る返事をしてみる。
「あー、樫羽? ひょっとしなくても……怒ってるか?」
『……怒っている、というほどのわけではありません……が! 二人とも、随分ゆっくりと帰ってくるつもりのようなので、こうして連絡をとらせて頂いたわけです』
「……なるほどな。心配かけて悪かった。今から帰るところだから、できるだけ早く帰るよ」
『そうしてください、と言いたいところなんですが』
とたんに歯切れが悪くなった。なにか都合の悪い事でもあるのだろうか。そう聞いたりする前に、樫羽自らが申し訳なさそうに語り出す。
『……実はですね、この後クラスメイトから都市部の方へ行かないかという誘いを受けておりまして』
「おう、行けばいいじゃないか。留守番ならこっちでしておくし、楽しんで――」
『いえ、多分……兄さんは、家に入れないかと』
「…………は?」
急に妹が何を言い出したのか理解できず、オレは呆然としてしまう。だがすぐに正気を取り戻して、樫羽の口にした事に対して、たどたどしさのある笑いを返した。
「あ、あっはっはっは! そんな馬鹿な事があるわけないだろう! たしか制服の内ポケットに家の鍵を……」
『入れているのなら、今わたしがリビングのテーブルの上に置いている鍵は誰のものなんでしょうね。見覚えのある形なのですが』
「あ、あれぇ!?」
制服の中に手を突っ込み、ポケットの中身をまさぐる。
指先には何の感触もなく、ただただ布地が肌に触れた。少なくとも……鍵のようなものがある要素は無い。
『どうです? ありました?』
電話の向こうからまるで何事か判っているかのような、余裕とも投げやりともとれるような声で樫羽が尋ねる。悲しいが、認めざるを得なかった。
「……も、持ってなかった……」
そう言うと、電話越しにもはっきりと分かるほど深いため息を聞いた。そりゃあ呆れかえるだろう、兄がこんな簡単なうっかりミスをしてしまっているのだから。
『やっぱり……それなら、彼女たちには悪いですがわたしは家で兄さん達の帰りを待っていますよ。外に置き去りにするわけにもいかないですし』
「い、いやでも、樫羽はそっちに行っていいって! せっかく明日から休みなんだしさ、オレの事は構わず……」
『兄さんだけじゃないでしょう。天木さんもこの暑い中で外に居させるつもりですか?』
それは……そうだ。確かに、オレ一人なら別になんてことは無いけど、今は天木さんもいるわけなのだし外で待ち続けるなんて勝手に決めるべきではないのかもしれない。
チラリと天木さんの方を見ると、彼女と目が合う。
「……えっと、どうしました?」
急に自分の方を見てきたことが不思議なのか、天木さんは首をかしげてそう聞いてきた。オレは今話していた事を天木さんに説明した後、樫羽には悪いができるだけ急いで帰ろうかという提案をしようとすると、天木さんがオレの前におずおずと手のひらを出してくる。
「遠原さん、私に少しその電話を貸してくれませんか? 私から樫羽ちゃんにお話しておきたいことがあるので……」
「? いいけど……」
特に疑う事も無くポンと携帯を手渡すと、天木さんは少し離れたところで話し始めた。
オレには少し聞き取れない距離と声量で話しているみたいだが、天木さんは明るい表情で話しているようだった。樫羽の方ももしかしたら、天木さん相手にはあまり強くは当たらないようにしているのかもしれない。それならば任せておこうという事で、その場に立って三分も待っていると、天木さんがこっちに戻ってきて携帯を返してくれた。その表情はやはりさっきまでと変わらず明るく楽しげなものだ。
「それで、樫羽はなんだって?」
「あ、はい。私の方から一つ提案したら、樫羽ちゃんはお友達との約束に向かうことにしてくれました。ただ、遠原さんにまたちょっと頼ることになるんですけど……」
「提案? 頼るぐらい別にいいけど……いったいなにを?」
そう訊ねると、天木さんは「えっと」と言いながら佇まいを正した。
「さっきも、同じような事をお願いしたばかりではありますけど……学校の次は、街を案内してほしいんです。遠原さん達が住んでいる、この街を」
「……この街って、なんでまた?」
少なくとも、天木さんは街に固執するような理由も無いと思うが。もしや樫羽を行かせるためだけの話かとも疑ってみたが、そうではないらしい。
「前に遠原さんとケンカしてた頃、樫羽ちゃんに連れ出されてから……私も久しぶりに、心の底から休む事が出来たのを実感しまして。それで今度は、誰かに連れ出されて外に出るんじゃなく、自分の意思で外に出てみたいと思ったんです。まずは、今住んでいるこの街を知りたくて……って、そういう理由は、駄目ですか?」
不安そうな事を言いながらも、苦笑いのようなはにかみを天木さんは浮かべる。不覚にも、それをかわいいと感じた。自分の顔が赤くなったような気のする熱さがやってくる。はたして夏の暑さからなのか、それとも天木さんを見て頭が熱くなったのか……なんにせよ、彼女をまっすぐ見ることが出来ずに顔をそらしてオレは言う。
「だ、駄目なわけは無いよ。むしろオレとしては、そうして天木さんが楽しそうだとちょっと嬉しいくらいだし……ね……」
「……う、嬉しいだなんて……えへへ」
天木さんが、更に笑った声を出す。そんなに喜んでくれているならオレがどうしようかなんて当然、決まっていた。坂の下を見て、天木さんに言う。
「……それじゃあさ、天木さん。まずは軽く食事も兼ねて、下の商店街の方まで行かない? このままだと、お昼も過ぎちゃうだろうしね」
「――はいっ! どこから行くかは、遠原さんに全部お任せします!」
元気のいい快活な返事。それにオレも自然と笑顔を浮かべて坂の下に向かって歩きはじめると、天木さんもそれを追ってついてきた。
教室を出た時とは打って変わって、誰かの刺々しい視線やら殺気など感じない気分のいい出発。そして、そばで女の子と並んでの外出というのが更に自分の気を良くする。樫羽に約束を守らせるための話だったが、これならこれでオレと天木さんの方も二人で楽しまなければ、きっと損に違いない。
頭の中で必死に道筋を巡らせ――オレと天木さんは、本日二回目の案内をすることとなったのだった。