第二章エピローグ‐その二
分割の後半。
「……どうしてるんだろうなぁ、今頃」
ベッドに寝転がってこの数日ずっと見てきた天井をまた眺めながら、これまた何度目か分からない内容の呟きをオレは口にする。ほとんど汚れのない白い天井というのは何日か見ていて嫌になるということもないが、正直飽きてきているのは否めない状態だった。かといってベッドから起き上がり部屋の外に出ようにも、いささか過敏になり過ぎなんじゃないだろうかと思うような剣幕でこの部屋に連れ戻されるのだ。医者や看護士に。
「……まぁ、普通ならともかく、まともな手段で治してもらったわけじゃないからな」
どうなるかはっきりしない分、不安なんだろう。個室を当てられたのもそのためかもしれない。ここ――病院じゃ普通なら魔術なんて使わないだろうし。
そう、オレは今病院にいた。それもベッドの上での療養を義務付けられている怪我人として三日前――あの三里さん達を助けに行った日の夜から。どうやらオレはグリッツさんに対して一発放った後、そのまま意識を失って床に落ちるように倒れたらしい――ということを昨日那須野を連れて見舞いに来た葉一から聞いた。それから意識のないオレを担いで下まで運んでくれたのが葉一だったとも。ただあいつは昨日「俺達が上の階に行った時にはお前と樫羽ちゃんに鹿枝ちゃん、それに琉院と三里さんしかそこにはいなかった」というようなことを言っていた。オレ達が居た階から下へと降りる道は葉一達が下にずっといた階段しかないにも関わらず、グリッツさんは二人の目に留まることなくどこかへと消えていたのだ。それが気になっていて仕方が無かったのだが――今日、やっとどういうことなのか分かるかもしれない。
琉院と三里さんが、ここに今日来るという事を前もって葉一を通して伝えてくれていたのだ。あの場にいた二人なら、多分オレが意識を失っていた間の事もきっと知っているはずだ。
しかし、気になることはもう一つ。
「それに、葉一もなんか妙な事を言ってたし……」
これも昨日聞いたことだが、色々と会話をした後になにやらかなり不敵な笑いを浮かべながら――
「そうだ、一つ教えといてやるよ。明日、多分お前めちゃくちゃ驚くからな?」
などと、なにやらサプライズでもあるのをほのめかしているかのようなことを言い残していた。それがはたしてどれほどのものなのかは多少気になるが、言ったのが葉一だし案外適当な事を言っていただけというのも捨てきれない。
そういうわけで、今のオレが待っているのはどちらかと言えば琉院達の方だった。もう昼過ぎだし、そろそろ来てもおかしくない。
そう思っていると、扉を4回ノックする音が聞こえた。どうやら来たらしい。オレは向こうに聞こえるような声で返事をし、入っても問題ないという事を伝える。
扉が大きく開けられ、その向こうにいた二人の人物の姿が目に入り……オレは多分、とても失礼な顔をしたことだろう。
「……なんであんたらが来るんだよ」
「ふん、自分で招き入れておいて随分な事を言うな……小僧」
そこに居たのは、琉院は琉院でも父親の方で、更に言えば三里は三里でも母親の方の三里さんだった。まさか葉一、あいつはこの二人の事を指して琉院と三里さんだと言っていたのだろうか? そうなるとオレが聞きたかったことは多分聞けないのだが……どうしたものだろう。そんな風にオレが考えているうちに琉院父と三里さんの母親、瑠香さんの二人はベッドのそばまで近寄って来た。
「まったく不満そうな顔をしよって……何がいけなかったというのだ」
「旦那様、恐らく彼は娘や槙波様が来ると思っていたのかと」
瑠香さんがオレの思っていた事を的確に言い当てると、琉院の父親は多分オレ以上の不満げな表情になり、舌打ちをした。
「小僧……貴様、まさか槙波に対してよからぬ感情でも抱いているんじゃないだろうな」
「そんな不純な理由は一切無い。ただ、早めに聞きたい事があっただけで……」
オレがそう言うと、琉院の父親の表情から険しさが消えた。
「……ふん、ならいい。多分近いうちに娘たちも来るだろうが、その前には私達は帰る予定だ」
「? なんで琉院達が来る前に帰るんですか? 別にオレは四人で来てくれても構わないですけど」
琉院達が居て都合が悪い事でもあるわけじゃないだろうに。そんな風に深く考えず聞いてみたのだが、琉院の父親は「それは、だな……」とまで言ったところで口ごもってしまった。
やがて顔まで逸らしはじめたので、なにか言いづらいわけがあるなら別に聞けなくても……と質問を取り消そうかと思ったのだが、それを口にする前に自分の右手がなにか柔らかいものに包まれる。
それは瑠香さんの手だった。彼女は柔和な表情で優しげにオレの顔を見ながら両手でオレの手を掴んでいたのだ。
「――ありがとうね、遠原くん。娘のところまで行ってくれて」
そして急にそんなお礼の言葉を言われ、オレは慌ててしどろもどろになってしまう。
「あ、そんな……結局、オレは何も三里さんにはできなかったですし、それに最後なんて意識もブッ飛んでこうなっちゃったわけで……お礼を言われるほどの事は」
「……いや……私からも、礼を言っておこう。家の使用人を助けてくれたことは確かなのだからな」
「ちょ、ちょっと、あんたまで何を言って……!」
今度は琉院の父親までいきなり礼を言ってきて、頭が混乱しそうになる。そんな時、耳元に瑠香さんの顔が近付いてきて――
「――照れやすいから、あの人は」
笑っているような囁き声が一瞬だけ聞こえた気がして、瑠香さんはオレの耳元に寄せた顔を遠ざけて手も離した。はっきりと聞こえず、はっきりとしたことを言っていないようなその言葉はどういうことなのか理解が出来ず、オレは頭に疑問符を浮かべ続けることしかできそうにない。
「ルカが何を言ったのかは気になるが……私にはもう一つ貴様には言わなければならないことがある」
「ま、まだ何か……?」
もはや何がどうなっているのか分からなくて、ついつい苦笑いを返してしまう。だけど琉院の父親はそんなオレとは違ってやたらかしこまった雰囲気になっており、そして――大きく頭を下げた。
「……すまなかった。お前の家族が囚われていたというのに、あそこに向かおうとする貴様をああも見苦しく私が邪魔してしまって」
琉院の父親は腰を折ったまま、顔を上げることなくそんな謝罪のような言葉を言う。重低音のバリトンボイスは口の中に籠ることなく、ゆっくりとした喋りは速すぎることなくオレにその内容がどんな事なのかをすんなりと理解させる。
……もっとも、いきなりのことにまた何を言えばいいのかわからなかったのだけど。そんなオレの返事など気にもせず二人は互いの顔を見て、
「これで用は済んだ。帰るぞ、ルカ」
「えぇ、分かりました――アルストフ様」
そんなことを言っているあたりもう帰るつもりでいるのは明らかだ。せめて、何か見送りの言葉は言わないと。
「そ、それじゃあ……また会う事があったら、その時はよろしくおねがいします」
「……ふん。すれ違ったら挨拶ぐらいはしてやろう。だが、槙波とはもう――!」
「はいはい、早く帰りますよ、旦那様」
娘の名前を言いながらまた熱くなりそうになった琉院の父親の首根っこを瑠香さんは掴み、一瞬で自分の主を黙らせた。まるで立場が逆転したように見えたが、多分この二人の長い付き合いだからこそ許されるんだろう。海山さんから少し聞いているからか、ある意味この光景には納得することが出来た。
「……っつ……ルカ、いきなり引っ張るな。一応私だってちゃんと時間の事は覚えている」
「でしたらもっと節度のある行動を――」
そういいながら二人はまた歩き、瑠香さんが扉のそばに来たところで普段からやり慣れているのか琉院の父親の前に出て一気に扉をガラッと開ける。
「…………え、母さま……?」
「…………あ、亜貴……」
三里さんの声がした。そしてその後なにか諦めたような瑠香さんの声。その時点でオレは「あっ」なんて頭の中で思うくらいどういうことか理解できたのだが。
「……なぜお父様がここに……」
「……………………」
更に聞こえた琉院槙波の言葉と琉院の父親の大きなため息が、オレの推測を完全なものにした。
「……やっぱり来るならこんな危うくブッキングしかねないような時間にするべきじゃなかっただろ……」
オレが呟くように言ったそれに反応して、琉院の父親は力ない声で「……その通りだったな」と、初めてかもしれない同意をしてくれたのだった。
「それでは遠原、あなたもなぜお父様達が来たかはよくわかっていない、と?」
「……ま、まぁ、そういうことで……うん」
学校から直接来たのか両名ともに制服姿の琉院と三里さんが来た後、あの親組二人はそそくさと逃げるように帰って行った。琉院達はなぜ自分達の親がこうしてオレの病室に来たのかと思っているらしく、そしてオレがその疑問に対しての答えを要求されていた。
……簡単に言えば、これは尋問と言うのだが。まぁ確かにさっきまで同じ部屋に居たわけだし、普通ならオレに聞けばわかるだろう。だけど流石に本人達が隠そうとしていた話はオレも正直に話しづらく、曖昧な言葉で誤魔化すという行動を取っていた。
そんなオレの態度に琉院と三里さんはなおも怪しんでいるかのようにじーっと顔を見つめてくるのだが――
「……そういうことなら、ひとまずここはそういうことにしておきましょうか。亜貴も、それでいいわね」
「お嬢様がそう言うのなら」
と、この場は納得してくれたようで、さっきから感じていた圧迫されるような雰囲気も無くなりオレは安堵して息を吐く。
「……というか、数日ぶりなのになんで久しぶりとかそういうあいさつじゃなくて、妙な尋問から始まるんだよ」
「さぁ? そう言われてもなぜかここにわたくしの父と亜貴の母親がいたからとしか言えませんわね」
「ワタシも同じく」
二人とも肩をすくめて自分は悪くないとアピールするのだが、その行動のタイミングがまた小気味よいほど噛み合っているのを見てオレはむしろこれ以上食い下がろうという気を無くしてしまう。
オレは、こういう光景を取り戻したかったのだから。
「……どうやら、また仲違いしてるとかそういうことはなさそうだな」
「流石に今はそういうこともしませんわよ。もう疲れましたもの」
「えぇ、ワタシも一昨日で充分なほどに色々と言いあってスッキリとはしましたが……正直もう一度やれと言われてもダルいくらいです」
「あー……なるほどな」
要するにオレが眠っている間に言いたい事は言ってお互いに溜まっていたものを吐き切ったらしい。それこそ跡形も残らないほどに。それならそれでいいことだ。
「じゃあそれなら、早速聞きたい事があるんだが」
「ええ、何を聞きたいのかしら?」
「オレと三里さんの知り合いの話だよ」
琉院はふむ、と口の下に手を添えて思案するような態度を見せる。そして三里さんのほうに顔を向けた。
「亜貴、話す?」
「……お願いします」
短い会話をした後、三里さんが琉院の前に出る。どうやら、オレに話してくれるのは三里さんのようだ。
「遠原さまが意識を失った後にご友人の方々が来る間にあった出来事、でよろしいのですよね?」
「えぇ、それさえ聞ければ」
オレがそう答えると、三里さんは胸元に手を当てて小さな呼吸を2回ほどした。
そして何と言うかを決めたのか手を降ろす。
「……牧師様は逃げましたよ。あの壊れたエレベーターの扉を蹴破って、そこから飛び降りて姿をくらましました。警察も未だに見つけていないようです」
「……そうですか」
予想はしていたが、すさまじい逃げ方だった。しかもそれをやってなお、まだ逃げられているのだ。本当に自分が敵う相手だったのかどうか、疑問にさえ思えてくる。
「それと遠原さまに、牧師様から伝言が」
「伝言?」
「一言一句正確に伝えますと『お前の家族に手を出したことは謝罪しておく。だから、もう自分の事も気にせずに過ごせ』とのことです。それだけ言って逃げられてしまいました」
三里さんはそう教えてくれるが、その表情は暗くどこか納得できない部分がある様子だ。実際グリッツさんの物言いはどこか偉そうで、自分としても腹は立つ。
「素直に聞き入れるわけにはいきませんね。見つけたら意地でもとっ捕まえないと」
「遠原さまもそう思いますか。ワタシと同じ気持ちでいてくれて嬉しいです」
「……そういえば、亜貴はあの男と知り合いなのでしたわね」
三里さんが頷く。それはオレも前に聞いていたから知っていたことだ。しかしそれはそれとして、自分が聞いてない事がまだあったことを思い出す。
「そういえば三里さんとグリッツさんは、なんでこの前みたいなことを?」
「あら、遠原は聞いてませんでしたっけ……と、そういえばあなたは眠っていましたものね」
「でしたら、またワタシの方から明かしておきましょう。といってもあまり長い話というわけではないですが」
三里さんはそう言うと、のどを整えるためか軽い咳払いをする。
「先ほどもお嬢様が言っていましたが、ワタシと牧師様は妙な付き合いだったんですよ。なにか不安や愚痴を聞くだけの収益もないボランティアを道端でやっていたあの方と偶然出会って以来、そこに不定期に通うようになりまして」
「あぁ、そんな感じの話は前にグリッツさんのほうからも聞きましたね」
確か琉院の生まれがどうこうという話だったか。それも今なら、異世界人の血をひいてるからという理由で軽い差別のようなものに合っていたことを心配していたんだろう。
「でしたら、早めに結論を言いますか。あの人に色々と相談している内にワタシが思いついたのが、この前のあれというわけです。といっても、最初は出来るとも思っていませんでしたが」
「あの自分を犠牲に、ってやつですよね。でも、出来ないと思っていたならなんで……」
「……牧師様がワタシに「本当にそれをやる気があるのなら」と何度も確認してきたのを全部頷いていたら、あてがあると言いまして。それで連れていかれた先が本当に『True World』だったのには驚かされました」
「……その時の三里さん、本当に驚いてたんですか?」
あまり想像できない姿にオレはついそんなことを言ってしまう。すると流石にカチンときたのか三里さんは口をくの字に曲げたようにムスッとなった。
「遠原さまはどうもワタシを鉄面皮かなにかかと思っているようですね。ワタシだって驚く時は驚きますし、怒る時は怒るのですよ」
「そうなんですか。実はオレの親も異世界人なんですよ」
「なんと、そうなのですか」
表情、変わらず。感情、こもっておらず。更に棒読み。どう贔屓目に見ても驚いているとは言い難い。まぁ、あからさまに嘘みたいな事を言ったオレが悪いのかもしれないが。とりあえずこれは流す事にしよう。
「……まぁいいですけど。それにしても……グリッツさんがあいつらと繋がっていたなんて」
にわかには信じがたい気がしたが、しかし事実三里さんをすぐに連れていけるような立場の人間だったとなると……いや、でも、しかし――
ぐるぐると頭の中がわけの分からないようなループをしはじめる。それがややこしくなってきて頭をかきむしった。
「あぁっ、たく……ぜんっぜんわかんねぇな。考えても何がなんだかまったくわからねぇ」
「そうですね。なぜ繋がりがあったのか……ワタシも牧師様から直接聞くまでは分かりませんでした」
「三里さんは知ってるんですか。ならオレにも――」
「…………すみません、遠原さま」
三里さんはしばし悩んだ末に、頭を下げてきた。これはつまり、話せないと言う事だろう。
「……分かりました。理由は分からないですけど、三里さんにはそうする理由があるってことですよね」
「はい。なにせあの方とは付き合いも長いですし、それに牧師様もあまり思い出したくないような事を言っておりましたので。軽々しく喋れそうには……」
三里さんはそう言いながら何度も頭を下げてくるのだが、5回目ぐらいでオレはそれを止める。流石に何度も頭を下げられると逆にこっちも申し訳なくなってきてしまう。
話題を変えるべく、オレは琉院に話しかける。
「ああ、そういえば琉院」
「ん、急に何かしら?」
「月曜が誕生日だったんだってな。オレからもお祝いさせてもらうよ、準備をちょっと手伝ったぐらいしかしてないけどさ」
「……あぁ、そのこと」
琉院は目を閉じて小さく吐息をこぼした。
「なんか疲れてるみたいだけど、まだ月曜のパーティーのでも引きずってんのか?」
「……いいえ、というかわたくし、まだパーティーはやらせてませんわよ。準備は整ってるらしいですが、まだそんなことをできるような状態じゃありませんでしたもの。亜貴が警察署まで行って今回の事件のことを話していましたし」
「あ、そうだったのか……でも今こうして三里さんと一緒にいるってことは、三里さんは話すだけ話してそれで終わりってことで済んだんだな」
それはよかった、と思っていたがなぜか三里さんの顔が急に曇る。
「警察では、ですがね。槙波様と屋敷に帰った後は他の使用人の方々や母から一日中絞られましたよ……えぇ」
「そりゃあ、当然でしょう。かなりの騒ぎになったと思いますし、みんなもきっと心配してたんですよ」
「それは分かっているのですが……いくらなんでも、この歳になって尻を叩かれるとは思っていませんでした」
ふう、と息を吐きながら三里さんは自身の臀部を擦る。流石にまだ痛むと言う事はないのだろうが、それでも身に染みているらしいことはよく分かる。しかし、ここからでは撫でさすっているお尻の形が良く見えないのは口惜しいところだ。
「……遠原、目線でなにを見ているのかよくわかりますわよ?」
「す、すまん」
琉院が半目になって軽蔑するようにオレを見ていた。あまり自分の心証が悪くなるのも嫌なので素直に謝るが、琉院はそれでも目を細くしてこっちを見続けてくる。しかし、当の見られていた本人である三里さんは嫌そうな表情もしないでいた。
「まぁ槙波様、別に問題ないではありませんか。なにせワタシと遠原さまは愛し合った者同士――」
「だったのは土曜日まででしょうが。今更種を明かした嘘を言わないの!」
琉院が三里さんの冗談を即座に切り返す。そういえば買い物に付き合わされた時はそんな設定だったな、オレと三里さん。
「あ、さっきも自分の誕生日のことを言ってたしもしかして琉院はもう知ってるのか、あの日三里さんが嘘をついてた事」
「もしやもなにも、聞いてないわけないでしょう。あんなに落ち着けなかった事なのに」
「そうか……それならまぁ、いいんだ」
改めて話すよりはよっぽど気が楽だ。もう聞いているなら、多分琉院の気も治まっているだろう。
「あ、とりあえず遠原は退院した後でいいからわたくしにそのことで謝罪をしておくように」
「――まだ怒ってんのかよ!」
何日前の事だと思っているんだ。それに一日ぐらいは置いているだろうはずなのにそこまでするほどの怒りを、こいつはこの事に抱いているのか!
……まさかとは思うが一生恨まれやしないだろうな。
「いいじゃないの、一日亜貴を独占したようなものなんだから! それとも貴方、亜貴を借りておいて頭を下げる事も出来ないわけ!?」
「別にオレから頼んだりしたわけじゃないわい! いや待て、そもそも三里さんってそこまでしなきゃ誘っちゃいけないのか!?」
「う、うるさいですわね! あぁそうだそれと貴方、車を飛び越える時にもわたくしの下着を――」
琉院がさらに熱くなり、このままやかましい言いあいになりそうになったところで人影が間に割り込んでくる。それは三里さんで、彼女は口の前に人差し指を立てて言う。
「お二人とも、病院ではお静かに」
その正論に対して、オレと琉院は互いに顔を見合わせた後――
「……はーい」
顔を赤くして縮こまりながら返事をすることしか出来なかった。
「それじゃあ遠原、退院したら学校で!」
「そういうわけで、失礼しました」
琉院と三里さんはけっこうな時間この部屋に居たが、なにやら時計の時間に気付くと慌てて帰って行った。用でもあったのだろうが、それならさっさとここを出ていってもよかったろうに。
二人が出て行き、また一人ぽつんと病室に残された俺は寝転がって天井を見上げる。
「退院したらっていっても、そう長くここにいるわけじゃないんだがなぁ……」
具体的に言うと自分が入院してるのは骨が折れかけていたからというわけなのだが。そんな状態にもかかわらず入院期間――一週間未満。というか、明日の午後には退院という話が出ていた。どう考えても普通なら治らないのだが、そこはちょっとした裏技だ。先述の通り、魔法を使ったのである。といってもオレがではなく、病院に運ばれたオレのところにやってきた海山さんが前にもかけてくれた例の治癒の魔法をやってくれたのだ。
一応言っておくと、今現在治療する魔法なんてものは普及していない。異世界人がたまに治癒術、というのを習得していることもあるがそれも基本的には自己強化の応用のように疲労を取り除き活力を与えるものか、毒のような異物を体内から取り除くものが大半で、実際に折れた骨をくっつけたりするような治癒の魔術はほとんどお目にかかれない。そんな魔術を三里さんは本来プロである医者の前でやってしまうのだから、彼らが自己喪失しかねないほど自信を失ってしまうのも当然と言えば当然か。
が、海山さんがやったものは完全に治せるというようなものでもなくあくまで再生を早めるだけのようなものなので一応こうして怪我人として今は病室に置かれている、というわけだ。ちなみにオレが個室なのは異質な治療を受けたから用心のためと医者には言われているが、それ以外にも集団の病室に置いてあの妙な魔術に誰かが感づくような事は避けたいのだろう。いろんな人が。
「しかし明日の午後ってことは……また微妙にきりの悪いところで退院になるなぁ」
オレがそうぼやいてしまうのは単純な理由だった。期末テストが終わり、今の学校はほとんど午前授業で終わってしまい午後に退院となっているオレは明日学校には行けない。それだけならまだ楽が出来ていい話なのだが、その次の日――要するに明後日なのだが、なんとその日はもう終業式なのだ。退院した後終業式の日だけ登校というのは気が楽なような、どうせならあと一日休めていればというような気がするのはオレがすぐに治ってしまったからだろうか。
「……ま、すぐに治ったのは嬉しいけど。家に行けるし」
帰るではなく行く、と言ったのは帰れることが嬉しかったからではない。
……実は、まだ病院に運ばれてから樫羽と天木さんに会ってないのだ。向こうからお見舞いに来てくれると言う事もなく、オレはただ無事ということだけ知らされている状態だった。なのでやたら気になるというか――女々しい事を言ってしまえば、二人の顔が見たかったのだ。できることなら、今すぐにでも。
しかし樫羽は「いま兄さんの顔を見たら少々怒ってしまいそうなので」という理由で見舞いには来ないと葉一達から聞いた。天木さんは何も聞いていないが、来ないと言う事は来れないわけがあるんだろうし。
「…………」
はぁ、とため息がこぼれる。結局、理由は考えられるのだがそれに納得しきれていないあたり自分がどこか幼く聞き分けのない子供のように思えてきた。お見舞いに来てくれる事をどこかで望んでいたんだな、と気付いてしまったことが失敗だったような気がした。自分への嫌悪感まで持ってしまって、一人でいることの憂鬱感が余計に助長されたようだ。
「……あぁもう、余計な事を考えるのはやめだ! やめ!」
このまま黙っていたら、余計に自分の中が嫌な感情で満たされそうだ。
そう考えてまた眠ってしまおうかと思っていると、扉の向こうから誰かが走っているような音が聞こえた。
『あ、ちょっとそこのあなた! 病院で走らないの!』
『ご、ごめんなさい!』
そしてそれを叱る看護士の声は、何度か聞いた事のあるものだ。だがそれに返答した声は、それ以上に聞き覚えがあって――
まさかと思うよりも先に、扉が開いた。
そこに居た人物は途中も走ってきたのだろうと察せられるほど激しく肩で息をしていた。薄い茶色のショートボブを揺らして、露わになっている膝を手で抑え、オレも良く知っている深根魔術学校の女子制服を着ていて。
息が整ったのか顔をあげた彼女の顔を見るまで、オレはどうしても「まさか」という疑いを捨てきれなかったがそこに居たのは紛れもなく彼女だった。
「……お、お久しぶり、です……遠原、さん……」
「あ、天木さん……その格好は……?」
てっきり来ないのかと思っていた少女、天木鹿枝が来た。この事態に対してオレの思考は現金な事に喜んでいた。さっきまで文句のような事を考えてたわりに、なんとも扱いやすい単純なやつだと自分でも思う。
オレがそんなことを考えているとは全く知らないであろう天木さんはこっちに近づいて備え付けの椅子に座ると、思いきり脱力した。
「なんか、本当に全力を出し切って来たって感じだね。そんなに急がなくても、明日には退院だったのに」
「べ、別に今日来てもいいじゃないですか! その、できればすぐにでも言いたい事もありましたし……」
「……そうなんだ」
言いたい事というのに、オレは内心ドキッとする。
自分にも、彼女に言いたい事――言わなければいけない事があるのだということを思い出したからだ。
「でも、それにしたって驚いたよ。まさか、うちの学校の制服を天木さんが着てくるなんて。誰かから借りたとかそういうこと?」
「いえ、違いますよ。といっても、私もまだちょっと驚いているんですけどね」
「……つまり、どういう?」
驚いていると言いながらやや楽しんでいるかのようなはにかみを見ても、どういう事なのかまるで掴めない。天木さんは「えぇと……そうですね」と前置きをしてから、座る姿勢を正した。
「その――私も、遠原さん達のいる学校に通う事になったんです」
「えぇ!?」
天木さんが制服を着ていたわけを告白し、その内容にオレは驚きを隠す事が出来なかった。まさか天木さんが同じ学校に通う事になるなどまるで思っていなかったし、そもそも彼女自身がそうするとも思っていなかったのだ。
「でも、なんでまた……? 別にこっちでの勉強とかは天木さんには必要ないんじゃ……」
「一応勉強にも興味はありますよ。でも、それだけが理由ってわけでもなくて」
天木さんは、どこか申し訳なさそうな顔になってオレを見た。
「……私と遠原さんは……二人で頑張って、櫟くんを元に戻すんですよね?」
「あぁ……そのつもりだよ」
梅雨の雨が猛威を奮っていたあの日に、そしてオレが真実を知ったあの日にも天木さんと約束したことだ。天木さんとあいつを、もう一度昔のような関係に戻すと。そのために一緒にがんばろう、とも。
「そうです……そうだったのに、私は遠原さんに甘えてわがままばかりで、遠原さんに対して八つ当たりもして。まずは、そのことについて謝らせてください」
彼女は「ごめんなさい」と言いながら深々とお辞儀をするのだが、オレはむしろそれに対して慌ててしまう。
「そ、そんな! それならオレだって天木さんに謝らなきゃいけない事があるよ! だから頭を――」
「……わかってますよ」
下げていた頭を上げて顔を見せた天木さんは、小さく笑った。
「この前言っていたことは、忘れてませんから。謝りたい事があるって」
「――あっ」
そういえば……そうだ。オレは自分が言っていた事を思い出す。たしかに天木さんを助けに行ったときにオレは謝りたい事があると言っている。そうなると、なんだか少し顔が熱くなってきた事を感じた。
この前といい今といい、最近のオレはどうやら天木さんを見るとどうにも気持ちが逸ってしまうようだ。まるでお預けを食らった犬みたいだな。
「でもその前に、遠原さん達のいる学校に行くことにした理由ですけど……これは、私も自分で動きたいと思ったからでして」
「う、動くって?」
赤くなっていそうな自分の顔を隠しながら、オレは天木さんの言ったことを聞き返す。
「遠原さんに任せきりで自分は遠原さんの家の外から出ないなんて、それじゃ二人で頑張ってるなんてとても言えないじゃないですか。月曜に海山さんから誘われたのもありましたし、それであの学校に行くことにしました」
「……そうだったんだ。でも、もう制服が出来てるなんて準備が早いね」
「私もびっくりしましたよ。まさか色々と準備をしてるうちに制服が出来てるなんて考えもしませんでしたから」
そう言いながら彼女は苦笑いを浮かべるのだが……もしかして、天木さんが今まで来れなかったのはその準備というのをしていたからなんだろうか? 海山さんも一切連絡してこなかったし、それに葉一が言っていたことも今ならなんとなく理解できる。あいつは天木さんが深根校に来ることも知っていたんだろう。驚く、というのも納得だ。
「……それじゃあ、聞かせてください。遠原さんがあの時に言ってた、謝りたい事」
優しげな笑顔になってそう言ってくる天木さんは、どことなく慈母や聖女という印象に近い雰囲気を身にまとっているように見えた。
その姿を見てオレは、正直に思った事をおそるおそる口にする。
「……なんか天木さん、別人みたい」
「な、そんな、ひどいです! ちゃんと人から言われた事を実践して遠原さんの話を聞こうと思ったのに!」
「あ、受け売りなんだね。なんか納得できたよ!」
それをあっさりと言ってしまうあたり彼女らしい。まぁ、だいぶ失礼な事を言ったり考えたりしてるのは自分でもわかっている。なので天木さんが不満そうにオレを見てきているのも、想定の範囲内だ。
「もう。遠原さんから謝りたいって言ってきてたのに、なんでそんな意地の悪い事ばかり……」
「ごめんごめん。これもちゃんと謝るから、許して?」
「……そもそもこれで許さなかったら、私はあの時とっくに遠原さんを許してませんでしたよ。でも、わざわざ謝るならそういうことをしないでください!」
わかったよ、とオレは返事を返しつつ――心のどこかに安心感のようなものを覚えていた。
彼女が言ったあの時とは、おそらくオレが今謝りたいと言っていたものに関わっているだろう。
天木さんの世界から来た『遠原櫟』をオレが勝手に帰したことに、天木さんが納得していなかったあの時。オレは彼女から聞いていた危険な人物という一面を持っていたままだったあいつを天木さんには会わせられないと一人で決めて、そしてそれを天木さんに対して事後承諾も何もなく普通に話してしまって。それから天木さんの機嫌が悪くなった理由にすら気付けなかったのは、今になっても恥じ入りたい。
きっと天木さんは、会いたかったはずなのだ。たとえ命を狙われても、常に怯えるほどに追い続けられても。彼女にとってあの『遠原櫟』はそれだけ大切な存在だったというのは、彼女が『遠原櫟』の記憶の中でいつも楽しそうに笑っていたことからも分かるはずだったのに。
だからこそオレは、謝らなければいけない。
「……それじゃあ。今度こそ、オレから謝罪させてくれるかな?」
「わかりました。なら私は……ここでそれを、聞かせてもらいます」
オレは頭の中に残していた謝罪の言葉をもう一度はっきりと浮かびあがらせながら、天木さんの方を見て――ゆっくりと、謝り始めるのだった。
第二章終了。長くなりすぎたので反省してます。次こそは短めにまとめたいですね。
そんなわけで次回は三章に……行く前にちょっと短い話を。終業式の日の話をやる予定です。もしかしたら解説回になるかもしれない日常回の予定ですがここから読み始めても違和感のないような回にするつもりです。あともしかしたらまたプロローグを書くやも、ということもありますが本編もちゃんと書きだめしておきたいと思います。次こそは間を開けないようにしないと本格的に畳む羽目になりますから。
次回更新日は、早ければ1月中になるかと。これで私語を交えた業務報告のようなものを終えさせていただきます。それではー