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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
初夏の来訪者
38/53

この長い一日に終止符を

 戻ってくるのかという言葉に、首を縦に振った。それはつまり、了承したという事だ。つまり目の前にいる三里さんは、戻ってきてくれると頷いてくれたわけで――


「亜貴ィッ!」


 オレを片手で押し出して、琉院が三里さんに飛びかかるように抱きついた。まぁ、ようやく納得してくれたわけなのだから琉院の気持ちは分からないでもないけど、抱きつくのは流石に恥ずかしくないのだろうか。三里さんも若干困った表情をしているのだが、今は抵抗する気が無いのか琉院にされるがままになっている。


「……良かった……やっと、戻ってきてくれて……」


 琉院は三里さんの身体に顔をうずめるようにしながら、半分泣いているようにも聞こえる声でそんなことを言った。三里さんはそれを聞くと穏やかな表情になり、琉院の背中をあやすようにして撫ではじめる。そして、今度は三里さんが申し訳なさそうに口を開いた。


「……もうしわけありませんでした、槙波様。今回はこんなにも手間をかけさせてしまい……」

 三里さんが謝罪の言葉を述べていると、それを聞かされていた琉院は掴んでいた三里さんに抱きつく力を強めたのが見ているだけでも解った。三里さんはうめき声をあげたりしなかったがちゃんと気づいてはいたようでその反応に不可解な表情を浮かべる。


「槙波様?」

「そんなこと……今はいいですわよ……!」


 琉院は一切抱きしめる力を弱めないまま三里さんにそう言った。三里さんとしてはまずは謝罪をしたかったのかもしれないが、本来なら彼女は琉院に対して基本的に従順なのだ。だからかその言葉に逆らわず、言われたとおりに謝罪を止めた。

 ……背中をなでながら満足しているような表情もしているから、そういうことも反論しなかった理由の一つなのかもしれないけど。


「……遠原さま」


 三里さんが今度はオレに呼びかけてきた。彼女の方を見ると大きく頭を下げられ、つい困惑してしまう。


「ありがとうございました、遠原さま。中途半端な覚悟で迷っていたワタシの背中を押してくれて……」

「いえ、そんなかしこまった礼を言われる事でもないですよ。あくまでオレが琉院の事を押し付けられるのが嫌だったからであって――」

「おや、先ほど『助けたいから』という言葉を聞いたような気がしましたが?」

「うっ」


 まずい、恥ずかしいからと最初に琉院や海山さんに言った事を理由にしてみたが、助けたくなった事を思い切り口に出してしまっていたのか。これは余計に羞恥心が湧いてくる。

 三里さんは矛盾を突かれて固まってしまったオレを見て小さく笑う。


「まぁ、遠原さまが認めたくないのならそれでもいいですが」


 明るい声でそんなことを三里さんは言う。そんな「わかっているけどそういうことにしておこう」みたいな反応は、余計に自分が弄ばれているようだった。


「……でも、本当に感謝しています。遠原さまが槙波様と来てくれて」

「……そうですわね」


 三里さんに抱きついていた琉院がむくりと顔を上げてオレの方を見ながら三里さんの言葉に同意した。少しだけ目が赤いのが見えたので、やはり泣いていたのだろうかと推測する。


「わたくしからもお礼を言わせてもらうわ。ありがとう、遠原。わたくしだけだったら亜貴を引き戻すことができたかどうか……」

「いや、だからそんなかしこまらなくても……それに、お前と三里さんの関係が深かったからこそ帰ってきてくれたんだろうと思うし、オレは少し言ってみただけだよ」

「言っただけといっても、それはわたくしには言えなかったことだから。自分にできなかったことをしてもらえたのなら、それに礼を返すのは自然でなくて?」

「……わかったよ」


 どうせ、否定しても琉院相手だと言いあいになりそうだ。なんとなく、彼女は強情そうな人間だと思えるから。それならば自分が引き下がってしまった方が手っ取り早い。オレが納得したのが愉快なのか、琉院は軽く笑う。

 なんだか、こうしていると全部終わったような気もしてしまうのだが――


「……まだ、一人いるんだよな」


 そう呟きながら振り返る。そこには傷つきながらも立ちあがっている牧師服の男がいた。


「…………三里さんは、こっちに戻ってくると言ったぞ。あんたは……どうするんだ?」

「……そうか……」


 グリッツさんはオレの言葉を聞くと、小さく一言漏らした後に顔を緩めた。

 まるでなにかを喜んで、笑ったかのように。


「ま、メイド娘がそれでいいならそれでいい。誰だろうと、居心地のいい場所にいるのは悪い事じゃねぇからな」


 気のせいか、弾んだような調子の声に聞こえた。だけど、明らかにそうだとはわからないような正反対の不満そうにしている態度をあらわにしているように見える。はたして、どっちが本当の気持ちなのか――この人の事を信用するならば、おそらく口にした言葉のほうに感情が潜んでいるのだろうと思うが。


「……あんたも、そっちのほうが居心地がいいってことか?」

「とんでもない――ここの外は、泥まみれの足でいちゃいけないだろう?」


 オレが言ったことにグリッツさんは半笑いで答えた。楽しんでいるという様子ではなく、自分自身を嘲るようなニュアンスを感じられる。


「自分の事はとにかく、だ。メイド娘がそっちに戻るっていうのならこっちは完全に一人だし、これ以上ここにいてもただ捕まるだけだ。そうなる前に、とっとと退散させてもらうさ」


 そう言って立ちあがったグリッツさんはふらついた足取りで、どこかへ歩いて行こうとする。オレは、それを黙って見ている事に納得が出来ず、グリッツさんと同じように立ちあがった。


「待てよ……!!」


 そしてゆっくりと歩くグリッツさんに制止するよう言葉をぶつける。しかしグリッツさんは応えられることなく、足を止める事すらしなかった。

 ならば動けないようにして、直接どこかへ行こうとするあの人を止める。そう思って拳を強く握り、足を一歩進ませた。

 そしてその一歩目が、もう一度床を踏んだ時。


 一瞬で全身が衝撃に打たれたような痛みが、足裏から頭まで伝播した。まるで、雷のような速さで。


 痛覚が一斉に悲鳴を唱えはじめたかのようなそれに、オレは一瞬前へと倒れかけるがそれをこらえる。足が大きく震えそうになっても歯を食いしばり、唇を噛みしめて耐えた。今膝をついたら、もう一度立ち上がるのには大きな決心をつけなければなりそうだ。


「おいおい、無理するなよ坊主……相当身体がヤバいんじゃねぇのか?」


 グリッツさんはこっちの様子を軽く見ただけでオレの切羽詰まった状況を看破してしまったらしい。軽い調子の声で、オレの状態を忠告のように言った。

 しかし、見破られるのも無理もない。身体中に冷や汗が伝わっていくのが分かるほどに今の自分はガタがきているらしい。グリッツさんに殴られたり蹴られたり、自身の乱暴な攻撃で疲労も溜まった。その上さっきまで意識と意識で言い争いのような事をしていたという、この短時間でわけの分からないくらい極度の疲労を抱えるはめになってしまったのだから。それでいて目に見えて大丈夫というのもおかしい話だ。

 しかし、


「……心配なんていらねぇよ、後はあんたを捕まえれば済む話だ! それぐらいの間、やせ我慢でもしてりゃ充分だっての!」


 ここでみすみす見逃すわけにもいかない。とにかくグリッツさんをしばらくは動けないようにすればなんとかなるはずなのだから、さっさとこの事態に収拾をつけてしまうのが最善だ。


「……はっ、やせ我慢か」


 グリッツさんがオレの言った事を反芻して立ち止まった。そしてオレのほうに身体を向けると、小さく両手を胸の前に上げて構えのような姿勢を小さくとった。


「わざわざそんな事をさせるくらいなら自分が解放させてやるさ、その苦行からな」


 それはつまり、オレと闘って力づくで黙らせようという事なんだろう。あちらもボロボロだが、オレのように満身創痍というわけでもないらしく構えた瞬間にふらついていた足がピンと地面に立つ。実力ですら危ういほどの差が開いているのに負傷の程度まで差があるとは、最悪の状況とはきっとこの事を指していうんだろう。それでも諦めるわけにはいかないのだが。


「そう言うんなら、大人しく捕まってくれよ……」

「生憎、そういうわけにもいかんのさ」


 辛うじて言い返したが、それも笑って返される。気楽なものだ、実際今のオレの相手をするのに気負うような要素もないのだろうが、ああも余裕綽々に笑っていられるとは。


「そうだ、折角だから坊主にはハンデをやろう。どこからでも先に仕掛けてきていいぞ?」

「……それはナメすぎだろ」


 というよりも、オレのナメられすぎだ。どちらでもいいが、こう弱く見られても嬉しくないしむしろ腹立たしいといったところだ。

 だが先制攻撃なんてハンデをくれるのなら有効に使わせてもらおう。どの道、一回しかけてダメだったらぶっ倒れるかもしれない状態だ。

 だから、最初の一回――一撃で終わらせる。そのために、まずは彼女に聞かなければいけない事があった。


「……三里さん、この部屋にあった魔力って戻せます?」

「可能ですよ」


 三里さんは突然オレが名前を呼んだにもかかわらず、戸惑う事無くすぐに返事をした。そして可能と言われたことで、オレは安堵したかのような落ち着いた気持ちになる。

 余裕――と言えるほどではないにしても、勝機が見えた。それだけで心は焦ることをやめて、冷静になっていく。


「可能ですか……ありがとうございます、突然聞いたのに答えてもらって」

「……いえ、これぐらいは、ワタシが今日やったことの罪滅ぼしにすらなりませんから……それで、今すぐ魔力を戻した方がいいのですか?」

「できるならお願いします」


 三里さんは一瞬だけ固まったように見えたが、すぐにまた動き始める。そして自身の手――先ほど、琉院が放った一斉の火球を消した時に上げていた腕のほうの指に触れる。気付かなかったが、そこには曇りの無い輝きを放っているような綺麗な銀色の指輪がはめられていた。オレはそれを見てもしや、と思った事を口にする。


「それがここの魔力を消したもののタネ、ですか」

「……はい。ワタシの母と槙波様の父――旦那様が元居た世界にあった術を、ワタシは母から一部受け継いでいますので。ですが、この銀の指輪に魔力を吸い込ませて封じただけですので」


 三里さんはそう語りながら、人差し指にはまったその指輪をゆっくりと指の先へ持っていく。やがてすんなりとその指輪が外れる。

 そしてその指輪を持った手を高く上げ――勢いよく振り下ろした。金属製のそれが床に叩きつけられた音が小さく鳴り響く。


「破損させれば、中に存在する魔力は戻ってきます……!」


 ゆらりと、風に吹かれたように三里さんの身体がぐらついた。


「! 亜貴!?」


 その異変にすばやく気付いた琉院が、床に向かって落ちそうになった三里さんの身体を抱きとめる。先ほどまで大丈夫そうだったのに、急に倒れそうになるなんて三里さんはどうしたのだろう。


「……す、すみません、槙波様。急に体が軽くなったもので……」

「軽く? ……それで、他にどこか痛むとかそういうことはないの?」

「いえ、痛むようなところは、特に。ですが――こうして抱き抱えられていると楽です」

「……そう」


 倒れそうになったわりには余裕を感じられる反応に、琉院は軽い呆れ顔になった後で短く安堵した。そして三里さんの前髪を軽く上げ、露わになった額を軽く叩く。ぺちりというような軽い音が耳に入る。

 三里さんはなにかを訴えたそうな表情で打たれた箇所に自分の手を当てた。


「痛いです、槙波様」

「これくらい黙って受け入れなさい。さっきまでも相当心配していたのにまた心配かけるような事をして……むしろあれだけで許した事を感謝してほしいくらいよ」

「……わかりましたよ、仰せの通りありがとうございます、槙波様。遠原さまもすみませんね、こんな時に困惑させてしまって。魔力の方は……ちゃんと戻りましたか?」

「……ちょっと待って下さい、えーと」


 急に目の前で二人が会話を始めたので呆気にとられてつい確認を忘れていた。なにか適当な魔術でも一つ唱えてみようかと思って手をかざしてみるがそれより先に、琉院が行動をした。

 彼女はなにか唱える事無く軽々と手のひらの上に小さな火を出して見せたのだ。火の勢いがライター程度に弱いのはまだ魔力が戻ったばかりだからなのか分からないが、とにかくこれを見る限りは魔力が戻ったというのは真実らしい。


「悪いな琉院、そんな手間をかけさせて」

「手足を動かすぐらいのような事にそうなにか言わなくてもけっこうよ。それで、遠原はなにか打つ手はあるの?」


 琉院は素っ気ない態度でオレの言ったことを流すと、勝機の有無について尋ねてきた。こんなボロボロの男と余裕そうなあっちの様子を見ればそう思わないでいるのは当然だろう。

 普通ならば勝ち目なんて無さそうなこの状況、しかし今のオレには一つだけ切り札があった。


「……まぁ、一泡吹かせる程度のものはあるさ。お前は心配しないでさっさと帰れる準備でもしてればいい」

「そっ。それだけの事を言うならわたくしからは何も言いませんし、それに手助けも不要そうですわね」

「手助けはしてくれると楽なんだが……まぁいらないだろうな。多分――」


 琉院に手助け無用の理由を説明しようとすると、不意になにか妙な視線が向けられていることに気づく。オレは説明を中断し、視線の主であった三里さんの方を向いた。どこか辛そうな目つきで、しかしはっきりと彼女は見つめてきている。

 そして、口を開いた。


「……牧師様に、ケガはさせないでくださいませんか?」

「え?」


 突然、三里さんはそう言ってきた。萎縮しているように身を小さくしながら、それでもオレの顔から視線をそらさずまっすぐに目を見続けて三里さんは続ける。


「勝手なお願いだとは分かっています。それに、ワタシが頼めるような立場ではないのも……ですがワタシは……牧師様がこれ以上傷つくのは見たくないのです。だから遠原さま……!」


 三里さんはそう言って、頭を下げた。深く――そして長い間、何度も懇願し続けているかのように。

 オレがその勢いに圧倒されて何も言えないでいると、今度はなんとあいつまで行動に出た。


「――遠原。わたくしからもお願いします。亜貴の頼みを、どうか汲んであげてはくれない……?」


 そういって琉院も頭を下げようとしたようだが、三里さんが慌てて手を使ってそれを止める。


「ま、待ってください槙波様! ワタシの勝手な頼みのためにそんな……!」

「いいのよ。あの男の事は……確かに好かないけど。それでも、亜貴が助けたいというのならワタクシは助力を惜しみません。亜貴のため――いえ、亜貴が悲しむのを見ないためですもの」


 琉院は三里さんの腕をゆっくりと払いのける。


「だから遠原……ここまでも迷惑をかけてしまったけど最後に一つ、亜貴のお願いを聞いてあげて。ちゃんと……お礼はするから」


 そして彼女は、深いお辞儀をした。三里さんよりも大きく、なにやら重さを感じられる姿。それはまさしく、彼女を従える『主』としてふさわしいような、威厳ある姿だった。頭を下げてもみっともないというような侮蔑の言葉は浮かんでこない立派なそれは、彼女の家で会ったあの父親の娘なのだということをより強く印象付けられる。


「槙波様……!」


 三里さんは琉院のその姿を見て、口元に手を当てながら瞳を瞬かせる。

 きっと今、三里さんはこう考えているのだろう。自分のせいで、琉院がこうやって頭を下げるようなことになってしまったんだと。そうしてやってくる罪悪感が、彼女の中をのたうち回っているということにオレは気付いていた。いや、強い確信を持っていた。もう三里さんにとって琉院がどれだけ大事かなんて痛いほどわかってるし、どれほど慕っているかはよく知っている。

 だから――嘘をつくことにした。


「……わかったよ、琉院。二人がそこまで言うなら、ちゃんと手加減する。大怪我させたりなんてしないさ」


 オレがそう言うと、琉院は顔を上げて嬉しそうな笑顔を表情に浮かべ、


「――ありがとう、遠原」


 柔らかなお礼の言葉を述べられる。オレは二秒ほどその時の彼女の顔に、目を奪われていた。色々な憑きものが落ちたような清々しさのある笑顔は余計に元来の顔の美しさを際立たせるのか、一日ほぼ一緒にいてあまり何とも思わなくなっていたそれを強く意識させられる。しかし今はそんな状況でも無いからとすぐに立ち直れたが、普段だったらそれこそアホみたいな面を晒していたかもしれない。

 なにはともあれ――


「三里さん。そういうことですから、少し待ってて下さい。さっさとあの男連れて戻ってきますから」


 オレは三里さんにそれだけ言う。時間も惜しい。

 三里さんは何も言わず、未だどこか放心したような状態だった。まだショックが残っているんだろう。だがグリッツさんのほうに振り向く直前――かすかに、彼女が頷いたのが目に入る。

 それだけでオレは、心身のやる気をさらに充満させる。一人の願いも二人の願いも、叶えようとすることには変わりない。だが一人より二人に願われれば、その分のしかかる期待などの重みは自分にとっての力となるのだ。成し遂げなければという、より強い意思となって。


 振り返れば今一度、グリッツ・ベルツェの姿は目に入る。傷だらけでボロボロなはずなのに、それでもオレと10m程の距離を挟んで向かい合う姿は、未だに余力がある事を感じさせる。強くないわけが無い。

 本来なら、勝てるかどうかも怪しい相手だ。しかし、それでも戦わねばならないなら。勝たなければならないのなら。


 戦って、勝つしかない。


「……『砕け 壊せ 潰せ 我が四肢に滾れ、全身に駆け巡れ――』」


 拳を構えながら、ゆっくりと言葉を発する。傷だらけでボロボロで、それでいて強くないオレが戦って勝つためのまじない――呪文を一節ごと、丁寧に並べていく。きっと今の自分は隙だらけなはずなのだがグリッツさんは動く気配が無く、どうやら前言通り本当に先制するのを待ってくれているらしい。好都合だ。


「『――血から巡れ、力よ巡れ 血潮が如き熱を持ち、燃えたぎる力よ集え――』」


 急に身体が重くなったような衝撃が全身に走る。それは自己複写をした時にも似たようなものがやってくるが、今やっている身体強化もそれと同等の――いや、もしかしたらそれ以上の熱と痛みが襲ってきていた。普段のオレだったら悲鳴を上げて、意識が吹っ飛びそうなほどに感覚が過激に刺激される。

 だが今のオレならば、それを耐えられる。自己複写によって借り受けた強靭な身体が痛みを和らげてくれているからこそ、自分の意識はまだ繋がっていられる。


「『――熱く、熱く、より熱く 我が身を焦がすほどに力よ高まれ そして我が掌中に、誇れる勝利の栄光を!』」


 詠唱を〆る最後の言葉を乱暴に言い捨てると、それこそ仕上げと言わんばかりに一際強烈な力が自分の中に入り込んでいったのがわかる。それに歯を食いしばって耐え、感覚が落ち着くと同時にそれまで息を止めていたかのように大きく息を吐く。

 肩を上下させ、周りから見れば疲れがより溜まってしまっただけに見えるかもしれないが、自分では身体の中を熱い力が満ち満ちていると充分に理解できた。ゆえに、口元が緩む。

 しかし口端ににやけるような笑みを浮かべると、全身に筋肉痛のような痛みが一気に襲い掛かり笑えるような余裕は一気に消えた。どうやら気を抜くと今の身体は体内をうごめく魔力に逆に傷つけられてしまうらしい。

「となると、やっぱりさっさと終わらせないとダメってことか……!」

 少しでも気を抜いてしまったことに後悔しながら小さくごちる。だが、逆に気が引き締まったという風にも考えられるので結果はオーライといったところだ。

 身体の中を血とは別に何かが蠢いている妙な感覚が妙にむずがゆい。だけどそれが、今扱える力なのだ。嫌だなんて言ってはいられない。そしてそれで前にいる牧師――グリッツさんをどうにか動けないようにする。

「……やってやる」

 もう一度決意を口に出すと、握った手に体内を動き回る力が集中するのを感じる。これなら、きっといける。

 あの油断しきったグリッツさんに――目に物を見せてやろう。


「――行くぞっ!!」


 思い切って、全力で前に跳んだ。脚に力を溜めれば、先ほど手に回った力はすぐに下半身へ行き脚力へと変じた。それ故に、ただの前へと飛び込む跳躍も全速力の突進のような勢いを帯びており、その凄まじさはにそれを実行したオレも驚いた。

 だがそれ以上に、グリッツさんがいかにも余裕そうだった顔に少しだけでも驚きというのを与えられた。そのことにオレはまず嬉しさを覚え、意趣返しのような気分で口端を吊り上げてにやけ笑いのようなものをグリッツさんに一瞬だけ向けたあと、すぐに口を閉じて歯を食いしばる。

 距離は一気に近づく。そしてすぐさま自分の中の力を上半身と下半身の中間――腰のあたりに集中させる。まだ地に足が着いたわけではない。それに腰へと力を集中させても攻撃の威力が格段に上がるというわけでもない。だが、最初に攻撃できるなら思いきりやってやろうということだ。そのために――


「っつぉ……ぉぉおりゃあぁぁ!」


 空中で脚を左右に開き、身体全体を回すように腰から思いきり横へとひねろうとする(・・・・・・・)。普通ならそんなことをできるはずはない。だが、今のオレは大きく跳んだ。それに、身体を動かそうとする力がかなり上がっている。人体には本来出来ない動きだろうが、腕力さえあれば今の世界には巨大な岩を持ち上げ動かす事のできる人間だっている。力とはそれほど単純なやり方で不可能を可能に出来ることもできるのだ。

 だからきっと、本来ありえない動きだろうと無理をするつもりでやればできないことは――ない。


「おいおい、そんなのありかよ……!?」

「はっ……! 驚いてばかりじゃ……困る!」


 今度は少しではなく思いきり驚いたらしいグリッツさんに、オレは腰への力を入れながら絞り出すように声を出す。しかしかすれたような声になってしまい、更には発声の負担も厳しいのか頭痛がオレを襲う。しかも視界があまりにも移り変わるものだからか、目に映る世界が少しずつフェードアウトするようにぼやけていった。この一撃を撃ったら意識が飛んでしまってもおかしくない。というか、きっと飛ぶだろうという予感がぼんやりとしていた。下手をすればこのまま死ぬことも考えられる。だというのに、本当に死ぬような予感がしなかったのは多分、彼女のおかげだろう。


「――がんばってください……遠原さん!!」


 オレに対し初めての声援を口にする、その声がはっきりと聞こえて。

 薄れていた意識がはっきりと克明によみがえり、オレの全身に力を行き渡らせる。火のような熱を放つ全身が前へと進みながら右に回り始めたのを確認し、脚へと力を移す。脚の熱がひときわ強くなり、これから放つ一撃にどれほど威力を込められるのかが容易に想像できた。きっと向こうもそれがなんとなく分かったのだろう。焦っているようだが防御しないのは、先ほどの宣言の維持か。

 だが、容赦はしない。グリッツさんが目前に迫る中で叫ぶのは、意趣返しの――今日という一日に終止符ケリを打つ予告だ。


「とりあえず最初のお返しだけは――させて、もらうぜ!」


 飛び込んだ至近距離。オレは跳んだまま右足を一回転の勢いそのままに振り、左肩へとぶつける。

 その一撃は、大きな衝撃音を鳴らした。硬く、鍛え上げられた筋肉のような感触を服の上から一瞬触れただけで分からせるほどの肉体に対して放ったオレの蹴りは、本来ならバットで鉄柱を打っている程度の効果しか上げられなかったろう。だが自己強化で底上げされたパワーは、逆のような結果をもたらしたらしい。

 バットで鉄柱を打つのではなく、鉄で木を打ったような。そうなれば、当然木の方がダメージは深刻であることは明白だった。


「ぬっぐぉぉぉぉぉ!」


 叫ぶような野太い呻き声が、すぐ近くから聞こえる。骨が折れた可能性も、あるかもしれない。自分の予想以上に威力があったのだ。そうなると、余計にどうなったのかが気になってしまってしょうがない。もしケガをさせてしまったなら、三里さんに謝らなければ。それ以外にも葉一達は、この後はどうやって外へ出るか、天木さんたちに異常はないか。気になると言うならばかなりの数の物事が気になってしょうがなかった。


「……あぁ、やっぱり、意識は保てそうに――」


 だが、それらすべてを確認することを許さないかのように、意識が急速に奪われてゆく。

 地に足のつかないまま、ゆっくりと視界が上を向いて行き、徐々に身体が浮遊感に覆われ始めたところで――オレは、完全に気を失ってしまった。

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