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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
初夏の来訪者
35/53

重なり始めた平行線(後)

「……そういうことだったのか……あんたが三里さんと知り合いだった理由って」


 目の前で服についた埃を払うようにパンパンと叩いている男に向けて言う。前に三里さんと一緒にいる時に彼女と知り合いだったようなのは、こういう繋がりがあったからなのか。それにこの男がこのあたりに来ていたのも、今回の事を引き起こすためだったのか。オレにはまるでわからなかった。

 多分ここでグリッツさんが完全な敵だと断じる事ができたら、オレはこの人の行動を全て今回の事件と結びつけて完全に敵対視することができたのだろう。しかしどうにも相談に乗ってくれたことが尾を引いている。敵だと決め付けようとする気持ちを鈍らせる。

 対して向こうは迷いの無いような鋭い目を向けて言う。


「別に、今回の事だけでつるんでるってわけでもないがな。前にも言ったように、あのメイドと自分は互いにここと関わるより前からの知り合いだ」

「それなら、なんで二人してこんな……」


 なぜグリッツさんと三里さんがこんな凶行に手を出しているのか、それがオレにはわからない。

 だが次にグリッツさんが言ったことに、余計に混乱させられる。


「……一応言っておくが、これはメイドたっての希望だぞ。ついでに自分としても私情は挟んでいるが、あくまで今回のことは利用させてもらっている、それだけだ」

「三里さんの……? それはいったいどういう――」

「知らん。ただ、これまでと変わらない様子で頼まれたことだ。目的も今までとはそう変わりはないだろう」

「……変わりはない、か」


 それを聞くと、自分の中にもしかしたら、という希望が生まれる。目的がこれまでともほとんど変わりないなら、今回のこともそういうこと(・・・・・・)なのかもしれない。

 しかし。


「でも、このままやらせるわけにもいかないよな」


 目的が変わらないからといって、今回のことをはいそうですかと流すわけにもいくまい。あっちに意識を向ける暇はないが、琉院も三里さんを連れ帰るためにがんばっているはずだ。そう思えば、オレもまだがんばれる。気を引き締め、もう一度グリッツさんのほうに拳を構えて向き直った。


「……ま、そりゃそうだわな。自分もあのメイドのやろうとしていることを手伝っているわけだが、坊主とあの金髪の嬢ちゃんはそれを止めるために来たんだとすれば、対立もまた致しかたなしってか」

「それもあるんですけどね。どっちかと言えば、オレは樫羽と天木さんをこんな危険なことに巻き込んだのに怒ってるんで――」


 だらしなく頭をかきながらゆっくりと構え直したグリッツさんに、オレは自分の気持ちを打ち明ける。今日一日走り回り、殴られたり蹴られたりして、ついでにここのところの天木さんとの微妙な距離感に対しての苛立ちからか――


「――少しぐらいは、覚悟してもらおうか」


 自分でも驚くほどに、底冷えした声が発せられた。グリッツさんはそれに対して、ニヤリと口元で笑い返してくる。しかし額には汗らしきものが一筋流れているように見えた。


「……いいねぇ、その気迫。これでも喧嘩慣れはしてるつもりだったが、さっきの動きといい坊主には驚かされることが多い」

「そういうことならオレも、最初の蹴りには驚きましたよ。前の商店街の時には直に食らったわけではないですけど、自分がもらうとあんなにもきついなんて」


 もしかしたらオレは、あの時点で気づくべきだったのかもしれない。あれほど強烈な蹴りは一度見たら忘れられないほどと言ってもいいのだし、そう世間に何人も同じことができるやつがいるとも思えないのだから。

 でもやはり、思い出していたとしてもそれをこの人とすぐに結びつけることはできたんだろうかと思う。信頼していた人物に疑いを即座にかけられたか。それを考えると、今でも少し迷う。迷うのだが、それを今は考えるなという声も頭の中に響いてきていて、平たく言えばオレは今、錯乱しているのだろう。


 それが看破されたか。


「坊主、なんか迷ってるんじゃねえか?」


 不意にそう言われる。図星を突かれたと内心では焦るも、そんな弱みを敵となった男に見せたくはなかった。首を横に振る。


「……そんなはずがないじゃないですか。少なくとも今この場で……あんたに見せるような迷いなんてない」


 多少強がってそう返すが、本心では未だにどうすればいいのか、という気持ちがあった。顔が見えないからこそさっきまで全力で力強く攻撃もできていたのだが、それがもしかしたら鈍ってしまうかもしれないという心配があった。

 オレのそんな考えは知る由もないはずのグリッツさんは、口元だけ笑っていた。


「そうか。てっきり自分は――気を使われているのかと思ったが」

「っ……」


 まるで見透かしているかのような態度で言われて、自分の中の焦りが表面化しそうになる。しかしグリッツさんはより追求すればいいのにそれ以上続けることもなく、今度は口元だけを歪ませるのではなくふっ、と息を吐いて笑った。


「ま、違うって言ってるんだったら違うんだろう。別にそこまでこだわってやる義理も今はねぇしな」

「…………ぐぅ」


 ――自分が気を使われている。そんな感じがして、悔しさから歯噛みしてしまう。グリッツさんが軽く笑っているのが余計にオレ自身を情けなく思わせてくれ、手にはさらに力が入った。


「しっかし坊主にとっちゃあそんな気を使われるような相手でもねぇのに、なんでそんな勘違いなんてしちまったかねぇ、自分は」

「……わかってますよ、敵に気を使うなんてだめだってことぐらいは」

「んや、そうじゃねぇよ。そういう意味で、坊主が自分に気を使わないなんてことを言ったわけじゃねぇ」

「それじゃあいったいどういうことで――」


「坊主のところの嬢ちゃん二人を巻き込んだのは、自分が意図的にやったことだからだよ」


「なっ……!」


 特に言い淀みなくあっさりと、そう言われて息を飲む。目の前にいる男が、天木さんと樫羽をわざとこの事件にまきこんだと言ったのだ。そうなれば当然のように驚くし、なにより――


「――許さない……!」


 怒りが涌いてくる。まるでスイッチで切り替えたようにすんなりと先ほどまでの迷いが消え、代わりにやってくるのは闘志と、それ以上に目の前の男を破壊してやろうという殺意が溢れるように自分の内から湧き出るように生まれたのだ。


「……ちょいと興味本位で坊主の全力を見るのも面白そうだからと言ってみたが、こいつはなかなかピリピリ来やがるな……!」


 男が引きつった顔で何かぼそぼそと言っているが、それが最早耳の穴を右から左へと抜けていくようにまるで聞こえない。聞きたくもないし命乞いをしようとも許してなどやらない、生かしてやるつもりもない。

 だが急がなければ、すぐそばに天木さんも待っているのだ。この男に手間取ってしまってはまた(・・)、|逃げられるかもしれない《・・・・・・・・・・・》。

 ようやくここまでたどり着けたのだから、すぐそばで待っている彼女を待たせてはいけないしなにより――ぼく(・・)も待ちきれない。


「――ヒ……はは……はは、ははは……!」


 想像するだけで笑いがこぼれる。男からは異質なものを見る目で見られているようだが、かまいやしない。ようやく待ち望んだ瞬間が今、すぐそこで待っているのだから。


「すぐに……すぐに、終わらせてやる……!」


 自分を奮い立たせるようにそう口ずさみ、そうして脚に力を溜めた後――ぼく・・は目の前の男の懐に、飛び込んでいった。


 ++++++++++++++++++++


「なにを……さっきからなにをやってるんですか、三里さん!!」


 ここまで、私は声ひとつ出せないまま、まるで一人時間が止まっていたかのように固まりきっていた。以前遠原さんのほうからこの世界には魔法があると聞いてはいましたが、実際に目の前で見るとやはり私の中の常識は揺らいでしまいました。なにせ突然炎が現れるなんてのは、私のいた世界では御伽噺の領域なのですから、それに関しては当然といえます。

 だけどそれだけが、私の意識を置き去りにしていたかといえば決してそれだけということもなく。

 三里さんが遠原さんたちと対立しているような状況になったことが、私にとっては一番衝撃的なことでした。私や樫羽ちゃんと同じで捕まっている方だったのかと思えば、遠原さん達の話を聞く限り、分からないところも一部ありましたがどうやらそうではないようです。その時点で私にはもはや何がどうなっているのか、どれだけ考えようがわからないことなのだと思いました。

 しかし、三里さんが倒れている金髪の美しい方を押し付けるようにしてその人の片腕を抑えている光景は、私にとっては信じがたいものでしかなく声を大きくして彼女に聞いてしまう。

 三里さんはそんな私の急な大声にも動じることなく、質問を無視することなく自然に、彼女の体の下にいる金髪の方を見ていた顔を上げて、私のほうを向いた。その顔には先ほど感じられたような人間味がまるでどこかに消え去ったように私には見えてしまう。


「……申し訳ありませんが天木さま、今はできるだけ静かにして待っていてください。心配せずとも、あなたさまも横にいる遠原さまの妹も、ここに来たお二人もちゃんと帰れますのでどうかご安心を」

「私が聞きたいのは三里さん、そういうことじゃありません! それに……その中に三里さんがいないじゃないですか!」

「……言葉のあやで、ワタシを入れ損ねただけですよ」


 そう言った時に三里さんがかすかに顔をそらした。だからそれがどこか、嘘のように見えたのかもしれない。


「三里さん……!」


 私はもう一度、三里さんの名前を呼ぶ。ちゃんと聞かせてほしいと思ってやったその訴えに、三里さんは顔をそらし続けて沈黙を続ける。自分は明確に、拒絶されていました。そのことに私はつい下を向いてしまう。


「……あなたが気にすることではありませんわ」


 私が顔を伏せていると、不意に声がかかった。その声は床に座っている私よりも低い位置から聞こえてきて、それを不思議に思う気持ちはありましたがどういうことかはその声がした方向を見ればすぐにわかりました。

 それを言ったのは、三里さんが床に組み伏せて片腕を極めている金髪の女性だったのですから。


「だから……顔を、上げなさい。貴方は、遠原のほうを見ているべきですわ」

「あっ……」


 腕をゆっくりと締められながら、苦しそうな声でその人はそう言う。それで私は、遠原さんのことをようやく思い出した。辺りを見渡すと、遠原さんの姿はあっさり見つかる。そしてもう一人、黒で全身を覆っていた大きな男性も一緒に。


 二人は少し遠い位置で、殴り合っていた。いえ、どちらかといえば今は遠原さんが殴りかかっている、という感じでしょうか。怒涛の勢いで、止まらず、絶え間なく、拳や足を遠原さんは繰り出し続けています。そしてその対象にされている男性は、それを全て軽々避けていました。どうやら顔にかぶっていた覆面が無くなっているようですが、薄暗くて顔はよく見えません。ただ、黒い身体の上に色の違うものがあるということで覆面が無くなっているというのはわかるのですが……見えないと少し、余計に気になってしまいます。

 ただ何か変化があったかといえばそれだけではなく、私にはもうひとつ、小さな違いを見出すことができました――遠原さんに。必死に動き続ける遠原さんの姿と、今の身に纏う雰囲気のようなものが、どこか私の知っているような、身に覚えのあるようなものに見えてしまうのです。

 そして私がこうやって身構えてしまう雰囲気となるとおそらくこれは、きっと彼の――櫟くんのものなんでしょう。

 どういうことかはわかりませんが、今の遠原さんはまるで、私が昔から知っている櫟くんのようだったのです。


「……遠原さん……」


 思わず、ぽつりとそんな言葉が口から漏れてしまう。期待にあふれてるような声色ではなく、とても不安で、不安定なものだったとは自分でも思えます。遠原さんが助けにきてくれたことには喜びを覚えた身体が、今はとても固まってしまっている。


「……あのバカ、折角助けようとした相手を不安にさせて……!」


 横からそんな苛立ったような声が聞こえて私はそっちのほうをもう一度見た。当然三里さんではなく、いまだ気を失っている樫羽ちゃんのものでもなく、私と同じように遠原さんのほうを見ていたらしい金髪の方の言葉でした。食いしばるようにしながらそう言ったその人は、床に顔を向けて締め付けられていないもう一方の腕で床を押そうとした。しかしその人は倒れていて背中には三里さんも乗っているのです。片腕で押したりしたところでその状況を覆せるようには見えません。三里さんもそう思っているのか焦ることの無い様子です。

 その三里さんが、ぐらりと揺れました。


「……まさか……」

「いいかげんに……離しなさい、亜貴……!」


 金髪の方の上半身が起きました。そして今度は床を横に押すことで、倒れた自分の身を転がそうとします。そしてまた同じように、信じがたくも金髪の方の身体の向きが変わりました。うつ伏せから横を見れるような、寝転がるような姿勢へと変わろうとします。そうなると三里さんは背中に乗っているのですから、重力的にも床へとたたきつけられることになってしまいます。それが分かったのか三里さんは素早く腕を離してその人の背からも飛びのくように離れます。

 三里さんは少し離れたところから、少しだけ驚いているようにも聞こえる声色で言う。


「……まさか、槙波様がこのように強引な手段に出るとは思いもしませんでした」

「それだけわたくしも必死ということですわよ。まぁ、貴方に掴まれていた腕がより一層痛んだけれどね」


 ゆっくりと金髪の方も立ち上がる。その時に見えた腕はやはり、どこにそれだけの力があるのかといいたくなるような、自分ともそう変わらない細めの腕です。


「今の力はやはり、身体強化ですか。しかしこの部屋の魔力はもう無いはずですが……」

「この部屋に入ってから使うなんて悠長なことをしたとでも思って? といっても使っているのはあの大男と対峙した時からだけど、やはり油断しないでおいて正解だったようね」


 二人はそんな風に、自分たちだけで今のことがどういうことかをわかっているように話し合っていますが、私にはさっぱりわからないことが多いです。ただもしかしたら、今のも先ほどから度々出てきているような魔法みたいなものが影響しているような、そんな気がします。


「しかし槙波様、身体強化もあくまで魔力が宙にあればこそ長く使える技。今の状況では先ほどと同じようには参らないでしょう」

「……その通りよ」


 悔しそうな顔になって、金髪の方は言う。だがその顔にはすぐに鋭い眼光が宿り、表情から悔しいと思う気持ちは見えなくなり、代わりに怒りのようなものを感じられるようになる。


「でもね、亜貴。それでもわたくしは諦めませんわよ。貴方と遠原、二人揃って説教しなければならないのだから、絶対に連れ帰りますわ!」


 力強く、この部屋全体に響きそうな声で金髪の方は三里さんに言う。反響音のようなものがかすかに聞こえるしばしの沈黙の後で、三里さんはまるで重い口を開いたかのようにゆっくりと喋りだす。


「……なぜそうまでして、とは言いません。槙波様はそのようなことを言うとは思っていましたから。ですがこの場は、ワタシの意志を通すわけにはいきませんか?」

「それに対するわたくしの返答は、一つしかありませんわね」

 金髪の方が一拍おいて、軽く息を吸った。


「――ふざけないでちょうだい、亜貴」


 一度溜めたからか、その声はやけに通りが良いように聞こえました。更に金髪の方は続ける。


「貴方は、十年ほど前にも、勝手にわたくしの従者になったのよ? それを今度は、遠原に自分のやってきたことを押し付けて勝手に離れて、そして無視してくれだなんて、そこまで貴方の要求を聞くほどわたくしは寛大でもないということはわかって?」

「……それは……大変、申し訳ないとは思います。ですが……これも、槙波様のためですから」

「わたくしのためですって? それはいったい、どういうことかしら? こんなにも迷惑しているというのに」


 金髪の方の言葉はまるで突き放すような、一度聞いただけでは冷酷なようにも聞こえる語調だ。だからかなのか、三里さんの言葉にもわずかだが変化があるように思える。

 たった数回だけの会話なのに、金髪の方の言葉はあの表情の変化に乏しい三里さんをわずかでも動かしているのだ。私はその時、この人が三里さんとそれだけの深い関係なのだということが今更分かった。

 三里さんが言いよどみながらも、なんとか言葉を口にする。


「……異世界人という立場に対する風当たりを弱くできれば、と……思いまして」

「!」


 金髪の方が、ハッとしたように目を見開いた。だけど私には、どういうことなのかが少しよくわかりません。なにせ私もここでは異世界人ということにはなりますが、遠原さんの家で過ごしてからこっち、外との交流のようなこともほとんどなく閉じこもって過ごしているのですから、風当たりといわれてもあまり理解はできないのです。しかしどうやらこの金髪の女性もどうやら異世界から来た人……ということなのでしょうか。そんな風に疑問を持っている私をよそに、三里さんは続けます。


「槙波様が自身の血で、長くにわたって苦しんでいたのは身をもって知っています。ですからワタシはそれをどうにかしたく……そして思いついたことが、世間の同情を買うことでした。おかしな思想に巻き込まれ犠牲となった哀れな異世界人を世間の目に見える形で出す。そうすれば世間も多少は悲しんでくれるのではと、悪く言うことは無くなるのではと思い、今回の事件を利用させてもらいました」

「……だから自分が被害者になる、と?」

「はい」


 ごくごく当然のように、三里さんは金髪の方が言ったことを肯定した。どんな理由で、などということは私にはわからないけど、犠牲になると三里さんが言ったことだけは理解できて、私は息を呑む。


「……もう一度言いますわよ。ふざけないで」


 金髪の方は更に鋭利な雰囲気を全身にまとい、三里さんを睨むように見据える。その言葉は、先ほどよりも熱を、怒りを感じさせた。三里さんはそれに対して淡々と返す。


「ふざけてなどいません。現にワタシは、あの方にも頼んでここまでやってきてしまいました。ここまでのことに、関わってしまいました。だからもう、手遅れなのです。ワタシは槙波様の元へなど、戻れません」

「いいえ、手遅れではないわ。まだ今なら、あなたのしたことは所詮悪ふざけで済む。でも、そんなことのためにやれ犠牲だなんだと勝手なことをしてわたくしから離れたりしたら……もう貴女は絶対に帰ってこられない、本当の手遅れになってしまうわ」


 そうです。三里さんはまだ犠牲になんてなっていない、生きている人なんです。まだこの人は帰ることができて、助かることだって不可能じゃない、むしろ簡単に助かることができる人です。できることならば、私も三里さんには助かってほしいと思います。金髪の方の雰囲気が、ふっと柔らかなものになった。


「だからこんなことはやめて、もう帰りましょう、亜貴?」


 優しげな声で、金髪の方は三里さんに諭すように言う。しかし――


「……こんなことではありません! すべては槙波様のためにやっていることです! それにもう、後には引けません……!」


 三里さんが声を荒げて金髪の方の言葉を拒絶した。そして、合気道のような構えをしてから金髪の女性の方へと顔を上げた。まるで迷いのないような、鋭い眼光を持った表情が目に入る。


「槙波様にはやはり、しばらく眠っていてもらいます……!」

「亜貴……」


 金髪の方は少し気落ちしたような声を出して美里さんの名前をぽつんと呟いた。しかし彼女はハッとして頭を振り、自身の頬を左右ともに手で叩くと、三里さんと同じように迷いのなくなったような表情になって彼女を見る。


「いいですわ。貴女がわたくしを眠らせようというのなら、わたくしが貴女の目を覚まさせる。これは主として、そして友人としてのつとめです」


 そう言って三里さんと同じような構えをすると、金髪の方はチラリとこちらを見た。


「……貴女も、まだ三里のことを気にしているぐらいなら遠原のほうをちゃんと見ていてあげなさい。こちらはもう、わたくしと、亜貴の問題なのですから」


 優しげな、慈悲深さをも感じられる穏やかな声色で言われるとそうしたいとも思いますが、だけど私には、まだ怖いと思う気持ちがあった。はい、とも言えないままに私は目を逸らしてしまう。


「…………」

「……そんな風に怯えないでおやりなさい。貴女達のために自分の命をも、遠原は捨てかけましたのよ?」

「……え?」


 自分の命を捨てかけたと聞いて私は、つい聞き返してしまう。それがどういうことなのかは、わかっているはずなのに。


「言葉通りの意味ですわ。遠原は最初、情けなく足踏みをしていたわたくしを置いて一人でここへ来ようとしていましたわ。貴女と自身の妹、それに家の従者を助けるためだけにこんな危険な場所に一人で乗り込むなんて、自分の身をまったく顧みていません。本人も……死ぬつもりはあったなどとふざけた事を言っておりましたしね」


 最後のほうで少し苛立ち気味な声になりながらもその人はどういうことなのかを教えてくれた。つまり遠原さんは、そこまでして私たちを助けてくれようとした、そういうことなんでしょうか。でもそのために、危険を顧みないというのは――


 私は急いで遠原さんの方を見る。いまだに遠原さんは、攻撃を繰り返していた。だけどそのキレは、先ほどより鈍っているような気もする。まさか、私が目を離してからもずっと続けていたというのでしょうか。それで疲労が溜まってしまって、動きが鈍っているのではないかという結論に私は行き着きます。

 だけど――櫟くんが近くにいるような感覚は、まるで消えていない。遠原さんのほうから、どうしても櫟君のようななにかを感じてしまう。私はそれに再度、顔を伏せてしまいそうになる。


「今の遠原の気迫がなにか恐ろしいというのは少しだけ理解できますわ。だけど、あの男はそうまでしてここへ来ようとしていたというのもちゃんと考慮して考えてもらえると、わたくしは遠原の友人として嬉しいし、それに――あそこで戦っている遠原もきっと、喜びますわ」


 横からふっと言われたその言葉に、私は動きを止める。同じ方向からは床を思い切り踏んだ音が聞こえたので、多分あの人も三里さんを止める戦いを始めたのでしょう。そして私は、遠原さんがここまでなりふりかまわないように、自分の命をも気にしないでここまで来ようとしていたということを考える。そうまでしようとしてくれた、遠原さんの気持ちを考える。きっとこれまでも同じようにしてくれていた遠原さんのことを考える。


 そうやって冷静になって、遠原さんと出会ってからのことからを考えてみると、私は一つのことに気づいた。


 遠原さんはこれまで色々なことをやってくれていたのに、私はそれに応えることをしていたのでしょうか、という疑問が生まれて、そしてその答えは応えていないというものだということに。遠原さんはこれまで櫟くんと出会って、彼を追い払ったりした。紅茶をもらってこようとしたりもした。それ以外にも泊まる場所や食事なども、用意してくれていたりした。けれど私はそんな厚意に、お礼を述べたりして応えるようなことをしてこなかった。むしろ恩を仇のようにして返していたといってもいい。櫟くんに会えなかったからと冷たくなり、騙されたとはいえ私の勘違いで遠原さんの頬を叩いたり、私はこれまでなんてことをしてきたんだろう。

 頭を抱えて、下げて、地べたに擦り付けたくなる。そんなにも私は色々勝手なことをしてきていたのだ。勝手になれといった遠原さんに対しても、あまりに自分勝手になりすぎていた。罪悪感が奔流のように体中を駆け巡って、私の身体を硬くする。


 自分の腕を抱いてしまう。自分がこれまでにしてきたことが、あまりに怖いものだったから。しかし、思考は止まらないままにもう一つのことを考えさせる。それは、あの金髪の方はこれを考えさせたいがためにこの話題を出してきたのか、ということです。でもそれは考えるまでもなく、そんなことは無いだろう、という結論になります。なにせ私と彼女は初対面で、私の事情を知っているとも思えないし、それに、遠原さんが話しているというのも考えづらい。ならばなぜ――そう思っていると、私はまた、気づいた。

 あの人は私に「遠原さんの方を見ろ」と、二度言っていた。それはつまり、言葉通りのことをしろという意味なんでしょう。でも結局、それもなぜなんでしょうか。私には彼女の意図はわかりかねましたが、私は彼女の言ったようにそうしたいと思いました。


 理由はというと、私は今回は遠原さんのやっていることを見られる位置にいるから、ということです。これまでは自分が居ない場所で物事は進んでいきました。遠原さんに任せた後の私は、直接的に関われる場所に居られませんでした。だけど今この時は違うのです。

 目の前といってもいい場所で、遠原さんは私たちを助けるために戦っているんですから。確かに櫟くんの居るような感覚が怖いというのを怖いと思わずにはいられません。だけど目の前で戦っているのはこれまでも私のいないところで色々なことをしてきた遠原さんであって櫟くんではなく、それでは目の前の光景から目を逸らすというのを私はしてもいいんでしょうか。


「……だめですよね」


 そんなこと、真っ先に駄目だと言える。怖くても目の前にいるのは櫟くんではなく遠原さんで、それもまた、厳密には違うといっても私のために行動をしてくれているのです。それから顔を伏せたらきっと、私は遠原さんに助けられる資格というのを失ってしまうのでしょう。

 顔を上げて、遠原さんのほうを見た。さっきと変わらず遠原さんが攻め立てて、しかしその動きはさっき以上に鈍くなっている。そしてまだ、櫟くんのような感覚はしていた。だけど――もう、頭は下げない。目は逸らさない。視線を遠原さんに向けて、彼を追う。今回のことだけで、私がこれまでやってきたことは別に消えない。だからちゃんと、これを謝ろう。今回の事件が終わったら、遠原さんにちゃんとお礼を言おう。私がそう思いながら遠原さんのほうを見ているときに。

 私の横で、樫羽ちゃんが意識を取り戻した。


「…………兄……さん……?」

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