重なり始めた平行線(前)
「な、なんだこいつら――」
そんな驚きの声を出していた最中の男が突然なにか強い衝撃を与えられたようにして吹き飛び、気を失っていた。階段を走って上ってる最中だが一人で出くわしてしまったのが彼の不運なところだろう。ざまぁみろ、と言いたいところでもあるがやっているのはさっきからずっと琉院だ。彼女が先手を取って塊の魔力をぶつけている。さっき外でやった風の爆弾の小規模版みたいなものだろう。とにかくやっているのは自分じゃないのであまり勝ち誇った顔をできる立場ではない。ただ彼女がやった行為には何も言わずにジッと口をつぐんで、黙々と足を動かす。
――そんなわけで。オレを含めた、琉院、葉一、那須野の四人は走って建物の中に入った後、ひたすら階段を上っていた。エレベーターも入り口のすぐそばにはあったがこんな状況でまともに動くとも思えないし、なにより自分から閉鎖された空間に逃げ込むなんて馬鹿な真似にもほどがある。それなら自分の足で直接登ったほうがまだ確実だ。それで全員、エレベーターの横にあった階段を登っているわけだが……
「見ろ、上ってきた! さっさと叩きのめして」
「邪魔ですわ!」
上のほうから降りてきたと思しい、黒い男がなにか言っている最中だったがそんなのお構いなしに姿を見せた時点で琉院は攻撃の手を打つ。小さく振るった手からサイズの縮小と建物内の薄暗さに乗じてより見辛くなった空気の塊を放つと、上の位置にいる相手に向かって丸みを帯びた軌道で飛んでいく。
そして命中したことを告げる何かが弾けたような音がすると、男は階段で倒れてそのままゴロゴロと転がるようにして壁にぶつかった。オレ達は倒れたそれを無視して階段を駆け上る。
「……敵ながら少し心配になるな」
葉一が後ろでボソリと呟いた言葉には密かにオレも同じことを思っていた。情けをかけてやるつもりはないが、それでも少し悲惨なやられ方だ。ちなみに今の並びは葉一が一番後ろでオレがその前、琉院が次で那須野が一番前、となっていた。葉一が後ろなのは後方から少しずつ追いついてきてる連中を叩く役割だからで、琉院は前述のとおり、那須野にも役割はある。つまるところ――今のところオレがしてることといえば階段を上ってるだけなわけで、少し気が抜けそうになってしまう。
まぁもっとも――
「そろそろ四階だ!」
那須野がそう告げてくれるも、オレはただひたすら脚を動かすだけだ。四階に到着した瞬間に那須野と琉院は即座に本来の売り場スペースに飛び込むように入る。少し遅れて到着したオレが部屋の中を見ると、そこはまさしく二人の独壇場――双壇場と言い換えてもいいかもしれない。それほどに、二人が暴れまわっていた。先ほどから二階、三階と上がるたびに似たようなことが起きていたが、その理由はどうも外に出ていたやつらだけが全てではなかったらしく、一階を除いた他の階にはまだまだ残っていたらしい。天木さん達以外の――恐らく、異世界人ではないこの世界にもともと住んでいた来店者がそれぞれの階に閉じ込められていて、その見張りのようなものだったのだろうか、それでも数十人は例の黒一色の服装でいた。二階からそれに遭遇してしまっていたのだが、今目の前で起きている光景も二階から変わっていなかった。
那須野の戦い方は相変わらず峻烈で素早く、一人一人を両手に持った棒で突いたり打ったりして確実に、しかし一瞬で気絶させていく。対する琉院は的確に人質以外の黒い連中に向けて、これまでのような爆発する空気弾ではない、むしろ弾丸のような速度の質量を持った魔力の塊を手から放っていた。どんなに自分が何もしていないのを悪く思っても、鮮やかとも言える手際で処理していくのを見る度に思うのだ。
――もっとも、オレがこんなところに混ざれるわけがないんだけど。
やがて四階にいた見張りが全員倒れる。さすがに同じようなことを三回も続けると疲れるのか、琉院も那須野も肩を動かしながら長い息を吐いていた。
「お疲れさん。やっぱり二人ともすごいな」
せめてそれくらいのことはやりたかったので、二人に対して労いの言葉をかける。すると琉院が何も言わずにオレのほうを見てきた。
「……………………」
まるで自分が責められているような、そんな感じの視線。なにか自分が気に障るようなことをしたんだろうか。
「ど、どうしたんだ、琉院? オレがなにか……」
「……なぜ貴方は先ほどから見ているだけで何もしないのかしら?」
琉院が恨めしそうにそう言う。彼女は先ほどからずっと戦い通しなのだからそう思わないでいる道理はない。もしかしたら、自分よりも強く思っていたことかもしれないのだ。そう感じさせていたまま戦わせていたと思うと、自分のひどさが身にしみる。これは謝らないと駄目だろう。
彼女が望むような理由も答えも、出せはしないだろうと思うが。
「すまなかった、琉院。それともう一つ、先に謝らせてくれ」
「……なにを、ですの?」
「オレがさっきから戦わないのは――」
「下手をすれば邪魔にしかならないから、だな」
オレが言おうとした言葉を、横で聞いていたらしい那須野が続けた。琉院は那須野のほうを怪訝そうに見る。
「それはどういうことです? 遠原が、それほどに弱いと?」
那須野がチラ、とオレの方を見た。言っていいものかどうか迷ってるんだろうが、そんなとっくに自覚済みのことに今更気を使われても困る。適当な笑いを返すと、彼女は了承と受け取ったらしい。琉院に向けてはっきり、
「そうだな。遠原は、弱い。特に今の状況でいえば、一人だったらあっけなくやられるだろう」
オレが弱いということを、告げた。自分で思うならともかく、他人に言われるとその言葉はやけに響いてきて、居心地の悪さをかすかに覚えて軽く俯いてしまう。だけどそれは紛れも、疑いようも、嘘偽りも無い事実だ。それをはっきりわかっておかなかったら、多分今頃自分は死んでいただろう。
「……そんなまさか、確かにわたくしや那珂川さんと比べたらそうなってしまうのかもしれないですけど、でも遠原だって魔王の子供と戦って生き延びてはいるはずでしょう? なら――」
「確かに生きているし、勝ってもいる。でもそれだって、オレの場合は正面から堂々と討ち果たすなんてことはしてない。状況を有利にして、相手の虚をついて、それで相手を拘束する……どれも、オレ一人でやったことじゃあないしな」
「……そうだったの?」
琉院が目を見開いて、何かを悲しんでいるようにも見える驚いた顔をしている。彼女はオレが同じように魔王の子を捕まえるということをしているから、自分に近い力量があると思い決闘を申し込んだのだろう。もしかしたらオレはそんな期待を裏切ってしまったのかもしれない。彼女が考えたものに到底及ばないほどに弱いという事実が、あまりにショックだったのか。でも今は一緒に、戦いの場にいるのだ。オレの実力は、わかっていてもらわないと困る。
「……あぁ。オレは那須野が言ったとおり弱い。体力だろうが魔術だろうが、平凡の域を出られない。それくらい、オレは弱いんだ。だからここから先も手伝えないかもしれない、それはわかっていてほしい」
そう告げると、琉院は顔を伏せてしまった。期待には応えられなかったが、それは避けられないことだっただろう。一朝一夕で琉院や那須野のような実力のある人間のところにまで至れるなんてことが有り得ない凡人が、自分なのだから。今の琉院には自分が話しかけないほうがいいだろう。落ち込んだ人間を放置するのも心苦しいが、今の自分は裏切り者だ、何も聞いてはもらえないだろう。
琉院には落ち着くまで話しかけないようにして、那須野の方に近づく。彼女は捕まっていたこの世界の人たちを縛っている縄を切りながら、慌てないよう騒がないよう落ち着かせるというというようなことをやっている。なぜか「True World」の連中はこの人質を使ったような脅しというのをやってこないのが不思議だったが、琉院にさっき教えてもらったことをまとめると「異世界人以外のそれも一般人に怪我を負わせたら自分達の主張から正当性が失われるからそういう手はタブーとされている」らしい。犯罪者気取りでもなんでもなく、自分達の異世界人嫌いの部分「だけ」を絶対的に正しいと思ってるだけの新派のような集団、それが「True World」だと琉院は吐き捨てるように言っていた。
だがそれはともかくとしても、あまり刺激しないほうがいいのは違いない。ましてや女物の服屋だからかここにいるのも9割は女性だ。だからこそ、事が終わって安全に逃げられるようになるまで潜むように静かにしてもらうように頼み込んでいる。目の前でバッタバッタと見張りをなぎ倒して助けていく那須野が頼んでいるからか、反発はあまり大きくないようだ。
……気のせいか、那須野のことをキラキラした目で見ているような人がいくらか見受けられるのは気になるが。ちなみに葉一は階段のほうを見張っているはずなのだが、先ほど自発的に階段を下りていく様子が見えた。那須野に何か言われてからそうしたようだが、何をしにいったのやら。
片手を挙げて、できる限り気楽に見えるような調子で声をかけてみる。
「よう那須野、調子はどうだよ」
「上々だ。それに次の五階が最上階のようだし、恐らくこうするのもこれで最後だろう。天木殿達もそこにいるはずだろうな」
「……そうか、ここで最後か」
自分の中に、小さな安堵が生まれたような気がした。まだ今回のことは終わったわけではないということはわかってる。それでもすぐそばに居る、一つ天井を隔てた上に居てくれているのだと思うと、やはりまずは安心感が沸いてきてしまうのだ。
ふぅ、と一つ息を吐くと、那須野が小さく笑った顔をした。
「……安心したか?」
「ちょっと、な。でも、ここまで那須野や琉院、葉一が手伝ってくれたからこそここまで来れたんだ。オレ一人だったら多分、さっきお前が言ってたとおりになってたよ。来てくれてありがとうな」
「そんな礼を言われるようなことではない。お前と、それに天木殿のためだからな。二人のやろうとしていることはまだ終わってないのに、このようなことで終わっては残念にもほどがある」
那須野が言ったことにオレはビクリとしてしまう。まさか那須野はオレと天木さんの事情を知っているのだろうか。
「……まさか那須野、お前知ってるのか?」
「もう一人のお前とやらのことなら今日、天木殿からな。神田も聞いている」
「あぁ、天木さんが教えたのか。ならオレから別になにか言う事も――ん?」
トン、と背中を軽く誰かに叩かれた。誰かと思い振り返ると、顔を伏せたままの琉院がそこにはいた。オレの背中に握った手を当てたまま、琉院が肩を震わせる。だが震えていたのは、肩だけではなかった。
「……なんでです……なんで貴方は……」
琉院は静かに怒っているような声でそう言ってくる。その言葉は自分に失望したと伝えるものなのかと思い、オレは琉院にもう一度謝ることにした。任せっぱなしな上に期待を裏切ったのは自分だから、それぐらいならやることに迷いもない。
「ごめんな、琉院。ここまでお前に任せっぱなしで……その上お前が期待したほど、オレが強くなくて」
「……違います。わたくしが言いたいのは、そういうことではありませんわ……!」
琉院が顔を上げる。睨むように細められた目がオレをまっすぐ見ていて、その迫力に一瞬たじろいでしまう。
なぜだろう。
これまで見てきた姿で、一番凄まじいと思ってしまった。震えてる声というより、地の底を震わせるような声が続ける。
「遠原……貴方はわたくしがついていく前、一人でここに来ようとしていたわよね。でも貴方は、貴方以外の人も言うほど弱いと聞いて……それで疑問に思いましたわ。一人では返り討ちにあうだろうと自分でも思っていて、それでもなぜここに来ようと……!?」
琉院は必死な様子で、オレに対して言葉を放っていく。どうしても彼女にとっては聞いておきたいことなんだろう。そして――多分、薄々どういうことかは感付いているのだ。だからそこまで感情的になって、オレから聞き出そうとしている。考えている予想とは違う言葉を聞きたがっているのだろう。
ここで嘘を言えば、もしかしたら琉院はそれで納得して引き下がってくれるのかもしれない。だけど、真実味を持っていなければ、更に迷わせるだけということだって有りうる。そんなことになっては、ここから先で失敗することになるかもしれない。
そんなことになるくらいなら真実味なんて言わず、いっそ真実そのものを告げたほうが、きっといいのだ。
「……そんなの――その時は死んでも構わなかったからに、決まってるだろ」
身体を琉院のほうに向けて、オレはそれをはっきり言った。何秒くらい、それで静かになっただろうか。そんなことを考えるくらい、何もかもが黙っていた。それを打ち破ったのは彼女。
琉院槙波が、力いっぱいオレの頬を張った平手の音だった。琉院はその後顔を見せないままずかずかと、いつの間にか戻っていた葉一のいる階段のほうに向かっていった。
「……嫌われたかね、オレ」
「さぁな。ところで遠原、こっちも向け」
「ん?」
ぼやくように愚痴ったあとに突然、那須野がそんなことを言うので怪訝になりながらも言うとおりにする。
握られた拳が、琉院の張ったところと同じ頬を思い切り殴り飛ばしてきた。
「これは某からだ。一応やっておかないと気が済まなくてな、許してくれ」
「……なんでお前まで。一応こんな時だからやせ我慢してるけど、すっげぇ痛いんだぞ」
平手はまぁ普通だったのだが、那須野の手は鍛えられてきたものだけあって普通のグーパンチでも結構痛い。ズキズキと激しく主張してくるそれについつい頬を押さえてしまう。
「某の理由は単純だ。友人でも家族でも、身内が死ぬのは一番嫌いでな。だから死んでもいいという戯言にムカついた、それだけだ」
那須野はスラスラと言い淀みなく答えるのだが、それにたいして逆にオレの言葉が詰まってしまう。
そうだった。那須野は家族を殺されていたのだ。その後はずっと一人で修練を積んでいたと聞いているが、そんな彼女にとって知っている人間を喪うことになるのはきっと、とても痛みを伴うに違いない。オレのことを死ねば悲しむような存在とまで見てくれるのは嫌ではなく、不謹慎であることを気にしなければむしろ嬉しいとも思えるのだが、今のオレはそんな彼女の前で死んでも構わなかった、などと言ってしまったのだ。
自分のことをそう捉えてくれていると知らなかったにせよ、自分からそんな悲しませる結末を選ぼうとしていた――そういうことなのだ。
「……すまなかった。お前の気も考えないであんなこと言って」
「某だけではない。神田だって、遠原の叔父だってああ言っていたのを聞けば似たようなことを言うだろう」
その光景は、ありありと想像できる。葉一も繁夫さんもきっと那須野と同じようにオレを殴って、そして同じような理由をぶつけてくる、その場面が。
「そう……だな。みんな、本来ならいつだって忘れちゃいけない人達だ。でもオレは――」
「一応言っておくとだな、遠原。一応、お前の気持ちはわからないでもないんだ。長きを唯一共に過ごしてきた妹のようなものや、助けたい人物が助からないかもしれないなどという状況なら特にな」
「そうなのか?」
「――某も、似たような気持ちは抱いたことがあるからな」
那須野がふと、寂しげな表情をした。そこにはなにか深い悲しみが渦を巻いているようで、オレはそこに根ざしたものが何なのか、すぐに理解できる。
「……お前とオレの抱いた感情は、同じものにしていいんかね。正直に言えばオレの場合なんて、那須野のものに比べたらきっと小さいものだと思うよ」
「同じなわけはない。だがきっと、似てはいるさ。何もかもを捨てて、自分を犠牲にしようとまでする復讐心なんて、大抵そんなものだ。今となってはもう、馬鹿げてるとさえ思ってしまうがな」
「オレもそう思う。今はもう、死ぬ気すら持てそうにないよ」
流石にこうも色々と語られてしまっては、死ぬつもりで戦うのは許されそうにない。それにオレ自身にも、思うところがある。
琉院はオレがもうそういうつもりじゃないということをわかったからか、軽く笑った。
「……まぁ、ちゃんと生きて帰るつもりなことは今回の事態で一番重く受け止めているであろうやつにちゃんと伝えておくがいい」
「それって琉院のことか?」
那須野が妙なことを言ってきたが、誰の事を指しているのかはっきりしていないので一応自分の中で真っ先に浮かんだ人物の名前を挙げてみる。しかしなんと、ここで那須野は「さてな」としらを切った。
「おいおい……分かっているなら教えてくれてもいいんじゃないか? もしかして琉院じゃなくて葉一とか――」
「今はそれを気にしている時間でもないだろう? とりあえず、少し提案がある。某達も神田達の方に行くとしよう」
「……確かにそれは間違ってないけども、後で答え合わせぐらいはしてくれ」
那須野は葉一達のほうに向けて歩き出していた。その背中が途中で振り返って、ふふん、と優しげに笑う。
「――それくらいは、自分で考えるんだな」
++++++++++++++++++++
「ここから先は、遠原と琉院の二人が行くべきだと思うのだが」
那須野と一緒に琉院と葉一がいる階段傍に行き、そこで那須野が一番に言った言葉だ。どういうことかと聞こうとしたオレよりも真っ先に反応したのは、琉院だった。詰め寄るような様子で那須野に近づく。
「それはいったい、どういう意図ですの?」
「理由というならば簡単だ。自分と神田が、下から上ってくる連中を抑える壁をやる。だから二人にはその間に、上の三人を救出に行ってもらおうかとな」
「……なるほど。理由はわかりましたわ」
琉院は那須野の説明に、納得したような様子を一瞬だけ見せる。だがその顔がまたすぐに疑惑の色を持つ。
「でも、まだ疑問はありますわよ。第一に、あなた方だけであの数を抑えられるのですか?」
「それに関しては地の利があるからな。基本的に某が上の位置でやつらが下から来るのだから、よほどのことがなければ心配するようなこともあるまい。下準備もしたから、多分客のほうも守れるはずだ」
「下準備……?」
「あぁ。神田にちょっと二階まで強引に突っ走ってきてもらったんだ。それで二階と三階の階段出口に障壁を張ってもらって、あと某達の目的が最上階の三人だとも言ってきてもらった」
オレと琉院が揃って葉一の方を見る。よく見れば軽い汗が噴出しており、身体を使ってきたというのは確かなことらしい。
「ん、じゃあわざわざ壁を張るんなら、出口とかじゃなく階段の途中に張っといた方がよかったんじゃないのか?」
「それではわざわざ破られるために用意するようなものだ。あくまで捕まっている人間に手を出さないまま階段を上ってくるようにするための障壁と、それと目的の明示だからな。多分やつらは上を目指してくることになるだろう」
「なるほどな。それじゃあエレベーターで来られたらどうする? 一応さっきから使われてる感じは無いが」
「エレベーターは先ほど捕まっていた女子に聞いた話だと、どうやらやつらが壊して使い物にならなくしたらしくてな。だからそれはあまり気にしなくても大丈夫だと思う」
オレのする質問に那須野は言い淀みなく答えていく。この分だとオレが考えるような問題はきっと対策済みなのだろう。他に大した質問も思い浮かばなかった。
「……それじゃあ、二人には悪いけどここでの足止め……頼めるか?」
「もとよりそのつもりだ。それに、そろそろ向こうも近くまで上がってきているだろうからな。早く行って来い」
「そうだそうだ、さっさとこんな事態には収拾つけちまえ。帰り道は俺と那須野で作っといてやるからよ」
葉一が片方の拳を握ってパシィ、ともう片方の開いた手にぶつけるように合わせて臨戦態勢になっていると、那須野がそれを見て困ったような顔になる。
「いや、神田、先ほども言ったがお前にはここまでで十分働いてもらったと言っているではないか。だから直接戦うのは某で、神田は壁の維持に集中してくれればそれでいいと……」
「壁三枚守るのは、そりゃ当然やりきるさ。那須野が俺に頼むなんて滅多に無いんだし、期待にこたえられないのはダッセェにもほどがあるしな。だけどよ、ここまで来て一人で戦う姿を後ろで黙ってみてろってのは、ちょっと酷だぜ」
葉一がまだ入り口に魔力の壁を張ってない部屋の中を見る。そこにいるのは弱々しく怯えていて、守らなければならない人達だ。絶対に安全とも言えるのは、葉一が張ったという壁に全力を注いで死守すること。
だがそれは葉一が言ったとおり、那須野一人が大群を抑える壁の役をやるということでもある。そしてそうなれば、葉一は見ていることしかできない。一度全力で作って維持をしているものから少しでも気を緩めたなら、それはもう崩壊するだけのものとなるだろう。葉一も、那須野に任された事をやり遂げられないのは嫌だと言っていた。
だからといって、葉一は那須野一人を戦わせるのも嫌らしい。その想いは彼の戦意に溢れたような顔からはっきりとわかる。那須野も、それはなんとなく分かっているらしい。困っているような、だけど少し嬉しいのか軽く口端が上がっているらしい表情を見るに彼女も少し迷っているのかもしれない。
「確かに俺が前に出て那須野と一緒に戦ったら、せっかく作った障壁にも何か問題が出る可能性があるかもしれない。でもよ、俺達が守らなきゃいけないのはあの人達だけじゃなくて上に行く櫟達もなんだぜ。三枚とまではいかなくとも、二枚くらいは別の壁があったほうがいいだろ?」
葉一は那須野に対して自分が食い下がる理由をそう言った。那須野はさらに深く考え込む。しかし五秒もすると、彼女は葉一の方を見た。見定めるように、問いかけるように。
「……神田、お前にとって第一に守らなければいけないのは壁の後ろの者たちだということは分かっているんだな?」
「勿論だ。俺だって櫟と同じように、約束は果たす男なんだぜ?」
「……それは意外だな。だが――約束してくれるというのなら、某も神田の申し出を聞くとしようじゃないか」
「お、マジで? っても、俺じゃ援護ぐらいしかできねーからあまり期待はすんなよ」
「阿呆、そこまで頼り切るものか。むしろお前も「やっぱ無理」とか抜かしたら叩き落してやるからな」
葉一は自分も戦うことを許されたからか嬉しそうな顔をしていたが、言葉でそこまで大げさに喜ぶことも無く、早速軽口をぶつけていた。那須野もそれに対して特に不思議そうにしたりするようなこともなくごく自然に返答する。しかし彼女もまた、葉一と同じように軽く笑っている様子だった。
オレと琉院がそんな光景についていけずその場に立ち尽くしていると、葉一が今気付いたかのようにオレ達の方を見た。
「おいおいお前ら、まだこんなとこにいたのかよ。ここは俺と那須野でどうにかするから、櫟も琉院も早く行ったらどうだ?」
「……どうにも行き辛い雰囲気だったから足が止まってただけだ。ほら琉院、早く行くぞ」
「……! ……え、えぇ」
琉院も軽く呆気にとられていたようで、なにやら呼びかけてから復帰までに若干のタイムラグがあったが、なんとか上に行くという目的を思い出してくれたらしい。
しかし――オレの顔から目をそらして、さっさと階段のほうに足をかけて行ってしまう。
「まさか、さっきオレを叩いたのを気にしてんのか……?」
まるでオレから逃げるようにして駆け上っていった琉院の背中を、まさか、と思いながらも追う。あれだって元はといえばオレが相手を嫌にする返答をしてしまったのが原因なんだし、それに対して怒るのはごく自然なことのはずなのだ。だから琉院がそんなに気に病むことも無いと思うのだが。
琉院にはすぐ追いついた。もともと今の彼女は身体強化をしているわけでもないし、それに彼女が先に行ったといってもその差はわずかなものだ。だから追いつくことは容易い。
ただ薄暗い中に揺れている金色の長い髪が、オレが声をかけることを嫌がっているように見えた。そして多分、彼女もオレに声をかけるつもりは無い。激しい運動で息を吐く以外には口を使わないまま、きっと互いに話さず上にいくことになる。
しかし、葉一と那須野の会話を聞いていて思ったことがあった。あの二人が下で一緒に上ってくる連中を抑えるという役目をしている以上、今のオレと琉院も当然のように二人だけだ。上にもこれまでと同じような数のやつらがいれば戦うのを彼女一人に任せるというのには限界があるかもしれない。だが、自分が戦うとなると……今のままでは琉院の盾になるにも、横で一緒に戦うにも、葉一のように後ろで援護をしようにも、何もかもが足りていない。
せめて今、一つ得られるならなにが要るか。そう考えると、一つの答えに行き着いた。
階段を上りながら、オレはその条件に合致しそうな『自分』を探す。そして最もそれに長けているというのを一人見つけ、すぐにその人物の持つそれと、ついでに戦うのに役立ちそうな部分を選んで自分に写すことにした。階段の終わりが近付く。そこまでに自分に写すのが終わるかどうか――
程なく、階段は終わる。細く狭い登り道から、広い空間に到着した。この五階も先ほどまで見てきた階層と同じように服が散らばり、なにやら服を掛けるものが破損したようなのがところどころに散らばっていて、しかし明確な違いがあった。「True World」も、多くの人質も、そこにはいない。
ただ、部屋の中心に――ぼくはようやく見つけられたのだ。これまで探していた、天木さんの――三人の少女たちが、生きている姿を。生きているのを確認したことで気分が高揚したのか、自分の前に進む足が速くなる。そして琉院をも追い抜き、部屋の中に真っ先に飛び込もうとする。
「天木さ――!」
――部屋に足を踏み入れた、その時。
黒く太い、丸太のようなものが突然目の前に現れた気がした。気がしたと定かでないのは、それを確認できないままに自分は入り口から横に吹き飛ばされてしまったからだ。体が宙に浮いているような感覚を覚えながら、衝撃が頭を揺らしていることをぼんやりと捉える。
やがて自分は重力にしたがって床に叩きつけられる。ギリギリで自己複写をしていたことが幸運してか、なんとか意識を保っているのに感謝しつつ、自分がそこから飛ばされた入り口のほうを見る。
そこにはっきりと見えたのは、これまでとは違うとはっきりわかるほど大柄で肉体的な、黒に全身を包んだ男だった。