前進する意思
10分ほど経ったところで、琉院の父親は戻ってきた。警察への連絡を済ませてきたはずなのだが、どうもその顔色は浮かない。
「駄目だ。どうもあいつらが色々なところでそれなりにでかい別の暴動を起こしてるらしくて、それで比較的規模の小さいこっちに今すぐ回せる人手なんてほぼいないと言ってきた。まったく、面倒なことをしてくれるやつらだ……!」
苦々しそうに琉院の父親はそう零す。こんな狙ったかのような同じタイミングで別の事件をいくつも起こすなんて、もしかしてこれはそれなりに周到に練られた計画なのか。なんにせよ、これで警察の助けはあまり当てにならなくなったということだ。大規模な暴動を抑えているのだからそれはそれでちゃんとやっているということなのだが、こっちの当事者としてはあまり快くない。
「警察は駄目となると……この家の者だけで解決するしかないってことかい」
「やるのならば恐らくそうなるだろうな。民間で治安維持を行っているような連中も例の大規模暴動とやらで駆り出されていることだろう。まぁ、手が空いていたとしても警察以外はあまり関わらせる気も起きんが……」
琉院の父親はそう言うと、オレの方をジロリと見てくる。確かに自分はその警察以外で関わってきている部外者なわけだが、許可はもらっているのだから特にその視線にも物怖じせず堂々として琉院の父親に目線を返す。
「……ま、あんたならそう言うとは思ったけどね。とにかくこの家だけでどうにかするしかないというのならまず考えるべきはこれからどうするか、そして救出に行くのならあいつらのいる場所ってところかね」
「いや、その必要はない」
琉院の父親はオレのほうをうざったそうに見た後、海山さんと未だに意気消沈といった様子の琉院を順番に見やる。なにか嫌な感じがした。悪寒のように背筋を冷たくするようなものではなく、どちらかと言えば熱いもの。苛立ちのような怒りのような……よく分からない感じだ。しかしその予感は、正解していた。
「――こうなってしまった以上、私はもうこの案件については、静観しておこうかと思っているからな」
「――!」
あまりにあっさりとそう言ってのけられた。その言葉に即座に自分の頭に血が上ってきたのが、感覚でもわかる。オレの予感はどうやら、この男の言うことを予知していたらしい。分かったのは雰囲気からかなんなのか、それを考える暇など無くただ頭の熱に身を任せて、琉院の父親のそばまで近づき、その胸倉を思い切りつかんだ。平然とした冷たい目が俺を見下ろしてくる。
「なんだ? 自分の身内が助けられないからといって、すぐ暴力に走るつもりか?」
「……なんで、あの三人を見捨てるんだよ!?」
琉院の父親はオレを諭すように、そんなことを言ってきた。しかしオレはそれを無視して、逆に琉院の父親に聞く。なぜ何もしないのかを、責めるように怒鳴って聞いた。琉院の父親はそれを聞いてしばらくオレの顔を見た後で、オレの体を押して距離を離す。
「理由は単純だ。出来るという可能性があまりにも少ないからな」
「……少ないって、それでもやらないよりはまだ!」
「市井に住まうただの個人ならそれでもいいだろう。だがな、我々には別の社会がある。それも名誉を守らねば蹴落とされる、立場を気にせねばならない社会だ。それで助けるために動いておいて、失敗したらどうなるか。やつらの要求を呑めば何も知らぬ者達に非難をされるだろうが、今度は同じ社会に生きる者達が後ろ足で『助ける力も無い』我々を蹴り落とすだろうな。やるならば失敗は許されない、そして今回助けられるという確証もないのだ。それならいっそ、見て見ぬふりの方が被害も出ん」
琉院の父親は淡々とそう説明してくれたが、それを聞くと尚更納得できない気持ちが生まれる。
「それってつまり……名誉を守るために死ねっていうことじゃないか!」
「そうだ。誇りもなにもかも、すべてを守って散る。それがあの娘らにできる最後のことで、そしてそれを見守るのが私達にできることだ」
琉院の父親はオレに向けて冷淡にそう告げた後で、娘である琉院のほうを見た。それでも顔つきは肉親に向けるものとは思えない厳しいもの。先ほどまでのオレに対する態度とほとんど変わらぬものに見えた。彼女が深く項垂れているのもあるからか、琉院がとても小さく見えてしまう。まるで萎縮しているようである。
「……槙波。お前もわかってくれるな? 今回のことは事故で、お前は悪くない。お前があの娘を懇意にしていたのも知っているが、むしろそれはきっとお前のための糧になるだろう」
「……………………」
琉院はそんな無慈悲な父親の言葉にも沈黙していた。だけど遠目からでも分かる、震えた肩。それが僅かに見えて、琉院の父親の言葉が琉院をより悲しませてるように思えたのか、更に憎らしく思えてくる。
「……なんで、そんな風になってる自分の家族にそこまで冷たいことが言えるんだよ」
「槙波が悲しんでいるようなのは私にもわかっているつもりだ。だがそうだからといって慰めたり甘やかすわけにはいかん。強く気高く、誇りを胸に持って舞えと、異世界に住んでいた時から私の家に代々伝わっているものを絶やすわけにもいかん」
「なんだよ、誇りだとか名誉だとか……! さっきからそればかり言ってるけどな、誰かを犠牲にして生き長らえて、それが誇りにな――!」
誇りになるのかと言おうとしたその瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走り頭が思い切り前に傾く。ズキズキと痛みを訴えてくるあたりを右手で撫でながら後ろを振りかえると、そこには手刀を振りきった姿勢の海山さんがいた。目つきはとても冷たく――しかし、静かな怒りを確かに感じさせる気迫が、彼女からは放たれている。
「遠原、さっき言ったことをもう忘れてないかい? アタシはあんたに向けて確かに言ったはずだよ。冷静に、自分を見失うなってさ」
「…………」
「まぁ樫羽や天木のこともあるし、焦るのはわかるがちょっと頭を冷やしな。有斗には有斗の考えや立場があってああ言ってるんだろう。それを一方的になじっても解決なんてしないんじゃないかい?」
「……はい」
海山さんにそう諭されて、オレはうつむきがちにそう答える。確かに今は勢いで言葉を発しすぎていた。少し自分でも反省しなければいけないかもしれない。
「しかし、有斗」
海山さんは琉院の父親のほうを見る。呼ばれた琉院の父親は一瞬虚を突かれたような表情を見せるが、すぐに憮然としたものに戻し、
「……なんでしょうかな?」
と素っ気無く返す。海山さんはそれを意に介さず続けた。
「お前もお前だ。考えはあるんだろうが、やってることはお前らしくない。更にそれを一人で推し進めるなんて、ますます変だ。お前も何かを焦っているように見えるんだけどねぇ?」
「私らしくない……?」
琉院の父親は片眉を吊り上げる。どういうことかがよくわからないらしい。付き合いなど無いから当然だが、オレにも琉院の父らしくないということはわからない。
「あぁ。静観して見殺しにするなんて、まるでお前らしくない。お前が基本的には確実性を重視しているのも確かだが、それでも見殺しというのは普段と比べてかなりズレている」
「……だが今回はどこからの助力も得られない。この家の戦力など微々たるものだ、それならば手を出さないほうがいいだろう?」
「助力などなくともあの程度の集団、お前の娘の力なら余裕だろう」
先ほどまでも問題として挙がっていた独力でやらなければならないということを、ただ一言でバッサリと切り伏せた。琉院の父親は顔色を変えずに、別の問題を出す。
「私に、槙波を率先して戦わせろというのか?」
「おいおい、今更戦わせたくないなんて言うなよ有斗? お前の娘はすでに立派に魔王の子とも戦っているし、その事でもお前は許可を出しているだろう? まぁ、渋々ではあったがな」
笑いながらそう返されて、琉院の父親は少し押し黙る。しかし、すぐにまた口を開く。
「万が一にでも槙波に一生物の傷がついたらどうする? そんな可能性がある場所に、私は娘を送り出す気はないぞ」
「そんなのは断じてありえないと言ってやろう。お前の娘ならあの程度、寄せ付けず当てさせず防がせず、無傷で帰ってこられるのが普通だろうさ」
「それに、助けに向かったとしても要求を呑まなかったとして人質を殺されたらどうする? それでは意味がない」
「それも心配無用だ。さっきの映像を見た限り三里の口は封じられてはいなかった。ならば手足を縛られようが魔術で自衛ぐらいはできる」
「……そういえば、そうでしたね」
オレは海山さんの言葉でさっきの映像の三人の姿を脳裏に浮かべる。確かに手足が縛られているだけで、顔はなにもされていないだった。三里さんもうちの学生だし、これなら魔術は使えるはずだ。琉院の父親は言ったことがすべて海山さんに真っ向から論破されているからか、歯がゆそうだ。
「それに、聞かれる前に言うとだな――あいつらが捕まっている場所の手がかりもあの映像にはあったぞ?」
「……なに?」
「ほ、本当ですか!?」
琉院の父親は訝しげに、オレは驚いて海山さんにそう聞き返す。これまでこの人が言ったことが本当なら、あとは場所さえわかればすぐにでも助けにいける。さっきは頭を冷やせと言われたばかりだが、もっとも重要な場所が分かりそうならば慌てても仕方がないだろう。
「おいおい遠原、落ち着けと言っただろう? それに手がかりと言えるほどのものでもないかもしれないけど……暗くて少しわかりづらかったが、映像の中だとあの三人の後ろに試着室のようなものがあって周囲には服みたいなのが散らばっていた。だからおそらく服屋……もしくは大型のデパートかもしれないとアタシは睨んでるんだが」
「……たとえどういう場所かわかっても、服屋もデパートもそういう店がどれだけあると思っている? 特定できなければ――」
琉院の父親がそう海山さんに文句をつけているのを聞き流し、オレは手がかりかもとして言っていたことになにか引っかかりを覚えていた。正確には、服屋という言葉にだ。樫羽、天木さん、三里さんが捕まっているかもしれない場所、服、散らばっている、服屋……そんな思案に没入しそうになる直前。
オレはようやく閃きのようなものを得る。
「…………服屋、もしかしたら正解かもしれません」
「本当か、遠原?」
「はい。実は今日、樫羽たちが服を買いに行くとかで天木さんと出かけていたんですけど……もしかしたら、そこで」
そう言うと、琉院の父親は訝しげな目を向けてくる。
「……それは憶測だろう?」
「だが、本当かもしれない。どちらにせよ、どうなのかはまだわからないがな。それで遠原、樫羽達が行ったという店の名前はわかるか?」
「一応は。たしか……五駅先のトリックス? とかいうところだったと思うんですけど……」
「……なるほどね」
海山さんが口元を緩めてニヤリ、という笑みを浮かべた。この人は多分、そこがどこにあるか知っているのだろう。
とにかく、これで少なくとも救助に向かう理由は得られたようなものだ。確定というわけではないが、行ってみれば当たるのかもしれないならひとまず動くだけには充分だろう。オレと、そして海山さんが琉院の父親のほうを見る。
「……………………」
琉院の父親は押し黙って、まだなにか悩んでいる様子だ。なにか他にも懸念があるのかもしれない。自分にはわからないが、落ち着いてものを見ているからこそこの男には見えているものがあるということも有りうる。
だったら、それを聞いてちゃんと対策をするほうが賢いやり方なんだろう。
……だがしかし、時間は刻一刻と過ぎていってしまう。今が何時なのかはわからないが、琉院の父が言ったとおり今日までというのならそうそう猶予があるはずもない。それならば――
「海山さん。五駅先って、たしか杵戸でしたよね?」
「……そうだが、それがどうした?」
「いや――杵戸の駅から、さっき言ってた服の店までへの道を聞きたくて」
海山さんがオレの顔をじっと見てくる。正直、オレは怒られることも覚悟していた。また先走っていると、すでに自覚もしていたからだ。また頭を叩かれたり肩を掴まれるんじゃないかと思いながら、オレは海山さんにそれを聞くことにした。
……聞けなくても、杵戸だというのならばさっさとそこに向かってそっちで探せばいいのだから。だからつまり、期待はしていなかった。
だが、海山さんはこっちを見ていたと思うと、フッと軽く息を吐いた後でため息をついた。
「まったく、あんたってやつは……頭を冷やせと言ったそばからまた先走る。学習しない生徒はあまり感心しないね」
「すみません。でも、ほとんど分かってるのにこれ以上ここに留まってるなんてこともできなくて。だから――」
「――駅の北口からまっすぐ北の方角の道」
オレは謝ってすぐにここから出て行こうと思ったのだが、海山さんがいった言葉が信じられず、彼女の顔を見る。呆れているようで、清々しく笑っているようにも見える顔がオレを見ていた。
「だから、杵戸駅の北口かか北の道をまっすぐ。そうすればさっき言っていた店には行けるって言ってるのさ。なに間の抜けたような顔してるんだい」
「あ……いや……こんなすぐに教えてくれるとは、思ってなくて」
しどろもどろにそう言うと、海山さんは「はっ」と笑いのような声を一息あげた。
「正直言えば、本当は教えたくなかったがね。なんというか、あんたはもう止めても無駄な気もしたし……それに、今のあんたなら大丈夫かもしれないと思ってね」
「それって、とりあえずは信頼してもらえたってことですかね?」
「ま、そう思ってくれていいさね」
「……ありがとうございます」
頭を下げてお礼を言う。しかし勘弁してほしいとばかりに手を上げて、海山さんはひらひらと手を振った。
「よせよせ、まだ終わったわけでもないのに。そういうことを言うんじゃないよ」
「……そうですね」
たしかに、まだ天木さんたちがいると思われる場所への行き方がわかっただけだ。彼女たちがそこにいると決まったわけではない。それに事態は一刻も早く解決しなければいけないのだ。ならまずは急いでそこに行ってこなければ。
「それじゃあ、海山さん。オレは今すぐ向かいますんで――」
「おい待て、まさか一人で行く気なのか、遠原?」
早口でそういい残してできるだけ早い歩きでこの部屋の扉に向かおうとしたが、海山さんに呼び止められる。あと少し進めば室外には出られるが、無視するわけにもいかないので後ろを振り返り、海山さんの方を向いた。
「……一人で行くのかって言われても、オレ一人ぐらいしか急いで出られそうな人間もいないですけど」
海山さんはオレについてくるとかそういう気もないのかその場に立ち止まっているし、琉院の父親も未だ悩んでいるようで、少なくとも助力してくれるとかそういう雰囲気はない。あとは琉院だが――チラッとそちらを見ると、沈痛な面持ちでいまだに落ち込んでいる様子なので、連れ出すこともできそうにないというか、むしろそうしようとするには気が咎める。
「今すぐかどうかは難しいかもしれないが、アタシもさっき言っただろう。琉院槙波なら一人でも無傷で救出にいけると。逆に言えば琉院――これはあんたがいけばみんな無事になるってことでもあるんだ」
海山さんは腕組みをして途中から、椅子に座ってへこんでいる琉院に向けて言っているようだった。今の琉院はそっとしておいたほうがいいのではないかとオレは思うが、そんな口を挟む前に琉院自身が顔を上げて、海山さんの方を見た。
「……わたくしが行けば……みんな無事、ですか…………」
ぽつりぽつりと、小さく漏れ聞こえるような声。琉院はどうもまだショックを受け止め切れていないようだ。それを気にせず、海山さんは琉院が聞き返したような言葉に頷く。
「あぁ、そうだ。お前なら十分にやれるはずだ。なにせむこうには三里もいる」
「…………!」
三里さんの名前が出た途端に、琉院の顔つきが変わる。目は見開き、そして険しい印象を与えてくるようになった。
「だから真正面から乗り込もうがきっと――」
「…………でも、でも、わたくしは……亜貴に……!」
「……どうした?」
ここにきて、海山さんもなにやら琉院のことが心配になってきたらしい。きっと琉院の顔色が大きく変わっていたからだろう。さっきまででも充分心配になるほどだったのに、今となってはそれ以上に大丈夫なのかどうかわからなくなる。
そんな琉院がやがて口を開く。
「……わたくしが……亜貴のところに行っていいのでしょうか……!?」
悲痛な声、絞られているような苦しい声で琉院は呻くように言った。オレも海山さんも、そして琉院の父親までもが、その言葉に驚いたように口を小さく開けたまま固まる。なぜなら、それは琉院の口から出ると思わないような言葉だったのだから。
「行っていいのか、って……そんなの、当たり前――」
「わたくしには……自分が亜貴のところへ行っていいと……そう思えない……!」
オレは琉院の言っていることがよくわからず、行ってもいい、そんなのは当然だと言おうとした。だが琉院はなにか根拠のようなものがある様子で、オレの言葉に聞く耳を持たない。いったい、なにが原因でそんなことを思うようになったんだろう。
「なんで、急にそんなことを?」
「……あなたも見たでしょう、遠原? 亜貴が……あなたにわたくしの事を託したのを」
「あぁ。でもそれについては、オレとしても文句を言いたいところだけどな」
「わたくしだって納得はしていないですわ……けど……」
琉院が言いづらそうにして、そこで一度言葉を止める。
「……もしも亜貴が、わたくしに愛想を尽かしてしまった故にわたくしの元を離れたというのなら……わたくしは彼女を……亜貴を自分の都合で連れ戻そうとしてもいいのかどうか……」
「愛想を尽かしたなんて、そんなことは……だってそれって、三里さんがもしもの時を考えて送ってきたメッセージじゃないのか?」
状況的に見ても、そんな感じの意図を込められているように思う。そもそも三里さんがそう易々と誰かに自分の立場を譲るということも考えづらいが、今は命がかかっているような状況だ。非常時のことを考えるとそういうメッセージを伝えてきても、あまり不自然ではない気がする。
「……もしかしたら遠原、あなたの言うとおりかもしれませんわ。けどわたくしには……自分が主として未熟すぎたがために、亜貴が離れていったようにも思えて……」
「そんなことはないだろう。槙波、お前は確かに完璧ではなかったが主としてちゃんとできていたように見えたし、それに瑠香の娘のほうも上手くお前を助けていた。少なくともこれまでに見放されるような失敗もあまりなかったように思うが……」
琉院の父親はそうやって琉院を励まそうとする。気のせいか、声の調子が少し優しげなものに聞こえた。もしかしたらさっきは辛辣な事を言っていたこの男も、ちゃんと琉院のことを心配しているのかもしれない。しかし琉院はその言葉にも、ゆっくりと首を横に振る。
「お父様の前では……できる限り失敗をしないよう、がんばりましたもの。ですが学校などの日常生活では亜貴にいつも迷惑をかけっぱなしでしたし、それに昨日もちょっと勝手なことを言って怒りすぎてしまいました。わたくしは亜貴にとっていい主だったとはまるで……」
琉院が顔を上げた。泣いてはいない。だけど目はどこか潤んでいるようだし、表情に至ってはどう見ても無理をしているようで、そして辛そうなものだ。
「……わたくし自身、亜貴を助けたくないわけではないのが当然ですけれど……でも、亜貴が遠原と組んでやっていたこと以外になにかを隠しているようなのを見ると、もしかしたらわたくしのことに呆れ果てていてそれで遠原にわたくしを厄介払いしたのでは……なんて、不安になって……」
「琉院……」
どうやら琉院は自身が三里さんの主としてダメなのではとたびたび悩んだりしていたようで、それに加えて更にこの騒ぎだ。どうもネガティブな方向に考えが向かっているということだろう。
……だがしかし、これまで三里さんとの間でしてきた会話の記憶が、琉院の考えは外れているとオレに告げてきている。琉院に愛想を尽かす。そんなことはまず、三里さんに限っては有り得ないのだ。
「ただ……もしも本当にそうだとしたら、わたくしは……ここに亜貴を連れ戻そうなんてできませんわ。だってそれなら悪いのはわたくしですもの。自分の都合で連れ帰ろうと更に勝手になるなんて、わたくしはしたくない。でも助けなければ……亜貴はきっと、死んでしまうのですよね。ならわたくしも亜貴のところまで――」
「――いや、いいよ琉院。オレ一人で行く」
「……なっ! な、何を言っているの、遠原!?」
琉院の言葉を遮って、オレは彼女に告げた。一瞬の間を置いたあと、驚愕した表情になった琉院が焦った様子でオレに聞いてくる。
「いや、だってさ琉院――お前、今は三里さんに会いたくなさそうだし、戦えるような状態にも見えないし」
「……! ……た、戦えますわよ」
「会いたくないってのは、否定しないんだな」
顔をそらした。やはり琉院は素直だ。その反応は、どう考えても図星だろうに。
「……正直に言えば……どのような顔で会いに行けばいいのか、わかりませんもの……亜貴はもう、わたくしに会いたくないのかもしれませんし」
「ああ、お前はそう迷ってるんだろ? そんな状態じゃ……ついてきても邪魔になるだけだろ、多分」
「貴様……!!」
琉院の父親が娘を侮辱されたとでも感じたのか、怒りを露にしてオレに近づこうとしてきたが、それを海山さんが手で制した。あの男も海山さんには頭が上がらないのか、それで止まる。助かったと思ったが、どうやらオレの言葉に何か感じるところがあったのは父親のほうだけではないらしい。
「く…………!」
歯噛みしそうな顔でオレを見ている琉院は、しかしそれ以上なにかを言葉にすることはなかった。自分でもわかっているのだろう。今の状態で戦力になれるかどうかが微妙であることに。素直でいてくれるのは、今としてはいいことだ。
しかし、別にオレは琉院を曇らせたいわけではないのだ。
「でもな、琉院。主従の関係じゃなくても、お前と三里さんには別の関係があるんじゃないのか?」
「……別の、って……どういう」
「三里さんに聞いたんだよ。元々はお前と三里さん、主とか従者だとかの前に普通の友達だったんだろ?」
噴水のそばで聞いた話だ。最初は友達で、その後勝手に従者になった三里さんに琉院が怒ったという、昔のこと。琉院は少ししてそれを思い出したのか、小さな声のような息を短く吐いた。
「それから何年も主従やってて……それで二人のその関係は変わったのか? 主従以前にあった友達って関係は、なくなったのか?」
「……それは……でも亜貴はなにか隠していたようだし、身近な人間を嫌だなんて中々言えるものでも――」
「三里さんは、そういうの隠すような人じゃないだろ。むしろ、あの人は嫌なものには嫌だとはっきり言う人だ。オレなんかより長くあの人と付き合ってるお前のほうが分かってるんじゃないのかよ」
「でも……でも、亜貴は最近その隠し事でわたくしを避けるようにしていたみたいだし、最近になって変わったなんてことも……」
まだもごもごと、三里さんが自分を嫌いになったのかもという自説を繰り広げる琉院にオレは肩が重くなるような感覚を覚える。疲労感というか、呆れというか、とにかく琉院はオレが面倒になってくるような考えをしているらしい。
「……琉院、お前ちょっと考えすぎなんじゃないのか? その上ネガティブな考えに囚われてどうしてもそっちの考えに持ってかれてるんじゃ……」
「そ、そんなことはありませんわよ! でも、亜貴に嫌われるというのは……とても胸が痛くて……」
そう言いながら琉院は自身の胸を押さえた。なんとなくわかったのは、多分こいつのなかでもっとも嫌なことの一つが三里さんに嫌われるということなのだろう。だからここまで暗い考えがぐるぐると続いてしまうんじゃないかと思う。もっとも嫌だからこそ、その結論から離れられないのだ。
「はぁ…………」
溜息が口をついて出るが、琉院はそれに不服そうに机をバンと叩いて立ち上がる。
「な、なんですのよその呆れたような態度は! わたくしは真剣に……!」
「あぁ、悪い。でも……三里さんはお前のこと、かなり好きだと思うぞ。だってさ、お前に敵意を持っている全てが敵とか、嫌っていたのならなかなか言えることじゃないだろ」
「――亜貴が、そんなことをあなたに?」
琉院は驚いたように目を見開く。どうやら、あの時の喫茶店での会話は聞こえていなかったらしい。
「喫茶店で、ちょっと聞いてな。三里さんも嘘を言っているようには見えなかった……というかむしろ、本気で言っているようだったよ」
「……そうだったの……」
琉院はいまだ驚いたような顔だったが、しかしその雰囲気からは安心したようなところを感じる。三里さんが琉院に対して持っていた感情が変わっていないことがわかったからだろう。琉院の不安は、少なくとも減りはしたはずだ。何故か琉院の父親にジロリとにらまれるような視線を送られたがそれに関しては無視を決め込む。そして、まっすぐと琉院のほうを見た。
「オレは実際に昔の三里さんを知っているってわけじゃないけどな。聞いた話のままなら、三里さんはたぶん変わっていない。だからさ、琉院。お前も昔と変わらずに三里さんに向き合って――怒ってやれよ。従者になったりそれを突然やめたり、勝手に決めるなって」
琉院が一瞬、ピクリ、と反応したような気がした。見間違いかもしれないと思うほどに小さな肩の揺れは、あるいは本当に見間違いなのだろうか。わからないが、それを考え込む前に琉院がやや呆れたような声でオレに言葉を返してくる。
「……昔のようにって、それも亜貴が教えたのかしら?」
「あぁ、昨日な」
「まったく、たった数日の付き合いで色々と……亜貴の口が軽いのか、それとも遠原、あなたが無理矢理に聞きでもした?」
「無理に聞くかよ、こんなこと。どっちかと言えば三里さんのほうから話してくれたわけなんだし、あの人の口が軽いほうなんじゃないか?」
軽口、と言えるかどうかはわからないが、こんなことを言い合えるようになったあたり、少しでも彼女の気は楽になったのかもしれない。しかしこれ以上は、オレではなく三里さんがやるべきだ。間違いなく今の琉院が沈んでいた原因で、もっとも近しい親友なんだろうから。そのためには――
「……それじゃあ時間も惜しいんで、さっさと行って三人とも連れ戻してくるかな。失礼します、海山さん」
これ以上留められてはたまったものじゃない。早口でなにか言う間も与えずに別れを告げ、ここに入ったときのドアから廊下へと出る。
海山さんに連れられてとはいえ、この部屋まで来た道を覚えてないほど馬鹿じゃない。とりあえずさっき海山さんと言い争った場所までいけば出口も近いはずだ。そこまでさっさといこうと廊下を走り出した時。
さっき開けて閉めたはずのドアが、また勢いよく音を立てながら開いた。また海山さんが止めにきたのか――そう思って振り返った先にいたのは、違う人物。
「――偉そうにべらべらと説教並べ立てられて、さらにカッコつけた様子で一人行かせるなどと……わたくしが許すと思いましたのかしら?」
影の落ちたような沈みっぷりが無くなり、そして堂々とした立ち姿の少女が――琉院槙波が、いつものように居丈高な様子でそこに居た。
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「…………はぁ」
先ほどまで遠原櫟、琉院槙波、琉院有斗、海山奏子の四人が集まっていた部屋には、いまや先ほど挙げた中で後ろの二人だけしか残っていなかった。元々広かった部屋はより密度が薄くなり、空虚感のようなものが代わりに部屋を満たす。
しかし琉院有斗がため息をついたのは、まったく別の理由からだった。
「ほら有斗、ため息なんざついてないではやく部屋にでも戻ってな。娘が心配なのは分かっているがね」
「部屋に戻ってもどうせ落ち着かん。むしろ、もっと気になってしまうだろうよ。それならいっそ、このままここに居たほうがまだ楽だ」
琉院は少しだけ気落ちしたような口調でそう言った後に、また深い息をこぼした。それを見た海山はどうやっても治りそうにない、処置無しというようなことを思い浮かべて軽く苦笑いをする。この男の過保護で心配性な親馬鹿度合いを以前から彼女はよく知っているが、いまだそれが軽くなるようにも薄くなるようにも思えないのだ。重症を飛び越えて不治の病として死ぬまで罹りきりになるかもしれない。
「本当に、琉院も面倒な親を持ったもんだね。いくら娘なら大丈夫だって言っても、屁理屈ごねて行かせようとすらしないんだから」
「子を守ろうとするのは親として当然の心理だ。少しぐらい意固地にもなる」
「あんたの場合、親馬鹿の症状が出た途端に真面目な顔して偶然隕石が降ってきて頭に当たったらどうするんだ、とか言い出す妄想癖まで併発するから面倒なんだよ」
過去の記憶から一番アホらしい話を引っ張り出した結果、今度は海山がため息をつく。あまりにげんなりとする話が多く、正直先ほど遠原の前でそんなファンタジックな屁理屈を出さなくてよかったとさえ海山は思う。
だがしかし、そんな親がさっきまですぐ近くにいながら結局、琉院槙波はこの部屋を飛び出している。海山としては最初、少しだけ気になっていた。琉院が娘を引き止めなかったその理由、親馬鹿がこの場で捻じ曲がったわけはなんなのだろうかと。
しかし、すぐにその理由には思い至った。答えは、飛び出していくときにチラッと見えた琉院の横顔にあったのだ。
結局のところ過保護で心配性な親馬鹿でも、清々しい表情で前に進もうとしている子供は止められないと、そういうことなんだろう。海山はそんな風に見つけた答えをあえて琉院に言わず、一人納得してうんうんと頷いていた。子に似ていて、この親も負けず嫌いというか、負けを認めたがらない性格なのだ。どうせ言ったところで止められなかったとか、正直に言うことは恐らくない。
「……ま、とりあえずアタシはあんたの娘がついてってくれて良かったよ。今の遠原が一人向かったところで十中八九、三人のところにつく前にお陀仏だ」
海山が安堵したような穏やかな声でそう言うと、琉院は訝しげな表情になる。
「そんなに弱いのか、あの小僧は」
「いや。弱いというか、集団相手にはとても向いてないだけさ」
「……なるほど」
特に理由を説明しないまま、琉院は納得した。
「……本当に分かってるのかね――って、あんたには聞くまでもないか。元々住んでいた世界では化け物溢れる遺跡を探検しつくしたルイン・アルストフにとっては、集団の相手なんてむしろ一番経験していそうだ」
「……あまり昔の名前を出されても困る」
琉院は海山の方から少し顔をそらす。海山にはそれが照れから来ている行動だとわかったが、あまり冗談の通じない男であるということも知っている。そこを突っついても面倒なだけだと思い、そのことに海山は触れないことにした。
「ま、それに関しては琉院がついている以上、あまり心配もないだろう。琉院はむしろ集団に向いてる上に、遠原よりは強いからな」
「当然だ、私の娘だぞ」
「はいはい、わかったわかった」
どこか誇らしげな言い方には海山もこれまでの経験ですでに辟易しており適当に流す。琉院が強いのは事実だが、それをきっかけに延々と自慢話を聞かされるのも面倒だ。そんなことを考えつつも、ふと一つだけ彼女には思うことがあった。
(念には念を、押しておくべきなのかねぇ……)
「どうした? 何か他に懸念でも?」
「……人がこっそり考えているってのに、めざと――」
琉院に対して半目になりつつ答えようとした海山の目に、机の上にある携帯電話が目に入る。
「……あれは確か……遠原の?」
「ああ、あれは小僧のものか。大方槙波に渡したっきりで忘れでもしたんだろう」
「そういえば、そんな事もあったねぇ。仕方ない、後で届けておくか」
海山は携帯電話に手を伸ばして掴み取る。
「と、その前に」
そしておもむろに、それを開いた。
「……教え子のものを勝手に使うのか?」
琉院の目はあからさまに視線の先にいる海山を責めている。いくらなんでも無許可で使うのはまずいだろう、という意味がありありと込められたその眼を無視して、琉院はてきぱきと操作を進める。
「……聞いているのか? 校長殿」
「聞いてる聞いてる。だけどまぁ、問題ないだろうさ」
適当に聞き流してるようでちゃんとした返答に琉院は少し困惑したが、問題ないというなら無視しておいてもそれこそ問題ないかと放置する。
海山は琉院の質問に答えながらある人物の番号を探していた。あまり一般学生である彼らに頼ることはしたくないが、今は非常事態で、それに十分に高い能力を持っているのだから、頼らないのは損だと海山は自分で自分を納得させる。そうこうしているうちに電話帳の中から目当ての人物の名前を発見。その人物にすぐ電話をかけた。
電話を耳元に添え、彼を呼ぶ音が何度か連続して流れる。数回ほど呼び出し音が鳴った後で、電話がつながったことを告げるプツッという音。やる気の少しないような「もしもし」という向こうからの言葉を受け、海山は言った。
「――こんばんわ。少し助っ人を頼めるかい?」