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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
初夏の来訪者
29/53

狂った真実

 なぜ。なんで、どうして、どうなって、そうなっている。頭の中を支配するのは、そんな戸惑いばかりだった。視界全体に広がっているようにも見えるほど大きなスクリーンに出た映像の中にいる人物の内の二人――天木鹿枝と遠原樫羽が、どうしてそこにいる。その事態に驚いて立ち上がったオレを、琉院親子は二人して一瞬だけこっちを見たが、すぐに映像のほうに目を戻していた。そりゃあこの二人は、さっき挙げた二人ではない映像に映っているもう一人、三里亜貴の事を案じている人物達だ。二人のことは知らないのだから、特に変なところもない。それにオレだって、今の今まで三里さんを探そうというのを第一にしていた。だが……こうして出てきたのは家族と助けたい人と探していた人で、その衝撃はいまだに抜けず、オレは立ち尽くしながら映像を見る。どうやら三人とも意識は無いようでぐったりと項垂れていて、その周囲にも何人かいるらしいが、これはおそらく樫羽たちと同じように捕まっている、というわけではなさそうだ。立っている足が見えている。それも複数だ。


『……ァー、ァッ、ァー、ァーッ、てすてすマイクテスー。えぇと……聞こえている? 聞こえてるかなぁ、琉院有斗?』


 映像からそんな声が聞こえてきた。甲高いような、しかしどこか老いているような、捉えどころの無い、男の声。それに歯をむき出してうなりそうになってしまう。しゃべり方がまるでとぼけているもので、神経を逆撫でされているような気分だ。ふざけるな、とさえ言いたくなってくるのだが、なにか聞こえなくしてしまってはいけない。今は我慢してこの映像を見ていよう。


『……あー、うん、まぁ聞こえているよねってことで話そうと思うけど、琉院有斗――いや、ルイン・アルストフと呼んだほうがいいのかな?』


 一拍置いてから、声は琉院の父をオレの知らない名前で呼んだ。まるで外国人や異世界人のようなその名が突然出されて、オレはつい琉院の父のほうを見る。気のせいか、さっきより肩に力が入っている気がした。


『で、そのルイン・アルストフとその家族に言いたいこと……というか、要求したいことがあるんだよね。我々、True Worldはさ』


 True Worldの名前に、今度はオレの手に力が入る。それは昔にも樫羽を脅かした、オレにとって敵視すべき存在。ただ異世界人がその通り異世界から来たというだけで、彼らにとっては迫害や追放の対象になる。そんなやつらだからもう少し注意をしておけばよかったのかもしれない。この近くでは最近、やつらの影があがってくることもなかったから油断をしてしまったようだ。こうしてみすみす、天木さんと樫羽……そして三里さんがやつらの手に落ちてしまった。

 つまり、守れなかった。樫羽達も、昔に立てた守るという誓いも守ることはできなかったのだ。その事実は重くのしかかり、やがて無力感へと変わっていく。そうしてオレが打ちひしがれている間にも、声は続ける。


『とはいえ、簡単なことなんだけどね。琉院……ルインの家が異世界人の家系であること。それを公表して、公に謝ってほしいんだよねぇ。この世界の人間を騙していた事とかさ』


 声の主の要求の内容が真実だとするのならば、つまり琉院は異世界人の血を引いている一家だということか。それは確かに葉一や那須野から聞いた覚えもない今初めて聞いたことだし、隠していた……かどうかはともかく、自分から公にしたということもないのだろう。

 しかし、それがなぜ謝罪につながるのか。騙していたとはいうが、異世界人がわざわざ異世界人であるということを公にしなければいけない義務というものはないし、それだけの理由で謝罪をさせるというのはいくらなんでもふざけている。謝罪をさせられた琉院の家の信用がただ落とされるだけだろう、それが狙いなのか。異世界人に対しても身勝手と言える行動に怒りが湧いてくる。


『あぁ、でも自分の素性を隠したいなら僕等の事は無視しておけばいいんじゃないかな? その場合……君のところの侍従のお嬢さんと無関係な異世界人二人は犠牲になるけど、ね』


 ぞろり、と怪しげな服装で揃った黒い集団が床に伏せた三人の前に立ちふさがり、鉄パイプなど凶器になりうるものを見せびらかすようにカメラの前に出している。


「……くそっ!!」


 オレは堪え切れず、ガンと机を叩いた。二人ほどの視線がこっちに集まってくるのを感じたが、構うものか。自分の妹と知り合いがだしにされて落ち着いていられるほど、冷静な人物になった覚えはない。もはや睨み付けているような感覚でオレはもう一度映像を見る。


『まぁ僕としては、こうやってわざわざ声だけでも出てきたんだから、いいかげん君たちが僕達の世界から消えうせてくれるとありがたいんだがね。なにせこれでもこの組織を統べる身だ、あまり暇というわけでもない』


 組織を統べる、つまりこの声の主が連中のトップということか。もっとも、声だけが分かってもどうしようもない。苛立ちだけが更に募ったのを感じた。


『それでは、硫院家の異邦人さん達。よい返事を待っているよ』


 最後にそう笑い声を残して、映像も終わった。

 海山さんは部屋の照明を着けて、すぐにオレの方を見てくる。その目はどこか心配してくれているようだ。


「……すまない、遠原。さっきはああ言ったが、アタシもこういう内容だとは思ってなかった。しかし……“大丈夫”だろうね?」


 大丈夫、という部分がやけに強調されたように感じた。そういえば、海山さんとはさっき約束をしたんだっけか。何を見ようが冷静であるということ。その時はどんなことがあっても焦る事はないと思っていたのだが……


「……すみません……海山さん」


 これは、無理だ。今感じている激情を鎮めることなど、とてもじゃないが出来そうにない。あんな光景を見せられて、あんなことを言われて、それでこうして……この場に立ち尽くしていることなど、できそうになかった。今すぐにここから走り出したい。彼女たちを探しにいきたい。その思いが身体中を駆け巡っていた。


「……校長殿と小僧は、どうかしたのか? なにやら二人して慌てている様に見えるが」


 怪訝そうな顔で琉院の父親はオレと海山さんを交互に見ている。自分の身内でもあるはずの三里さんがあのようなことになっているのを見ていたはずなのに、落ち着いたような態度なのがやけに自分を苛立たせたような気がした。そんな子供染みた感覚で琉院の父親に答える気を持たなかったオレの代わりに海山さんが返す。


「有斗……それが、さっき三里と一緒に縛られていた二人がだな……」

「……なるほど。あなた方の関係者、か」


 海山さんは言い辛そうにしていたが、琉院の父親は三里さんと一緒にいた二人が、というところで何事かある程度理解したらしい。ずいぶんと高い理解力だが、この男にそれが伝わってもまるで気が晴れたりすることもない。


「……遠原……あなた、大丈夫ですの……?」


 ふと、琉院がオレにそう声をかけてきた。しかしそっちを見れば、彼女も胸の辺りで手を握り締めて苦しそうにしていた。無理もない、父親のほうはそうでもないのかもしれないが、琉院にとっては親友のような存在がひどい目にあっているような映像を見せられたばかりなのだ。そんな状態でオレのことを心配していられる余裕なんてないに等しいだろうに、それでも声をかけてくるあたり琉院は強いのかもしれない。そんな事を考えてる場合でもないかもしれないが、感心してしまう。


「……そりゃ、あまり大丈夫じゃねえよ。けど、心配してくれてありがとな」


 そう言うと琉院はまだ少し不安そうな顔をしたが、すぐに海山さんや父親の方に向いた。確かに慰めあいよりは、方策を話し合うほうがましだ。そういうわけでオレも二人のほうを向いたのだが、なぜか琉院の父親がオレを険しい目で見ていた。


「……あの……なにか?」

「――気にするな、なんでもない」


 そして琉院父はごほんっ、と咳払いをひとつ。なんだか誤魔化されたような気がしたのだが、真意は結局なんだったのだろうか。今はそれを追及するべき時じゃないんだろうが。


「ではまず、あいつらの要求を飲むかどうかだが……これは論じるまでもなく、私に従う気はない」


 琉院の父のその言葉に、オレも含めた三人はうんうんと頷く。映像の中の野郎が言ったのはくだらない、正当性のない要求だ。それを素直に飲むなんていうのはいくらなんでも馬鹿げすぎている。だから、琉院の父親の判断も間違っていないと思う。


 しかし次の瞬間。オレは一瞬、自分の耳を疑った。


「……たとえ、瑠香の娘がどうなろうともな」


 その言葉を理解した時、オレが真っ先に見たのは琉院だった。さっきの映像のショックでさえあんなにも苦しそうだった琉院の姿が脳裏によぎって、今の言葉を聞いた琉院がどうなるのか、不安でたまらなかったのだ。

 そして目に入った琉院の姿は軽くうつむき気味で、息を詰まらせたような呼吸で。そしてやはり自分の手を胸の前で強く握っていて、食いしばって耐えているような姿だった。


 なんでそんな風になってまで我慢するんだ。そんな言葉が浮かんだ。琉院槙波という人物の大半をオレはおそらく知らない。せいぜいこの数日間に出会って見た部分や、三里さんに聞いた部分ぐらいしかわからない。

 そうしてオレがわかったのは、琉院槙波はプライドが高いが実際は素直なところもありそして三里亜貴をとても大切にしているお嬢様。そういう認識だ。しかしそんな人物が、自分の大事な人を見捨てられるかもしれないと言われて激昂すらせず、ただ耐えるだけなんてなにかがおかしいと感じてしまったのだ。少しでも怒る事ぐらい、何も問題はないし、むしろ自然なことだ。なのにこうして不自然に落ち着いて――いや、落ち着かせていると、まるで何かの首輪に縛られているようにさえ見えてしまう。


 オレはつい、琉院の父親をにらみつけてしまう。多分あんただって琉院と三里さんがどれくらい仲がいいか、知らないことはないはずだろうが。それを目の前ではっきり見捨てることもあるなんて言うのは、無神経すぎるんじゃないか。最初に会ったときからオレにはなにやら辛辣な態度で当たってきて、今は琉院の不安を煽ったような男にそんな怒りのような感情が湧いてくる。


「……なんだ小僧、その目は」


 オレに対して琉院の父親は睨み返してくる。このままこの男と言い合いになろうとも個人的にはかまわないところなのだが――


「いいえ、なんでもないです」


 今は話の腰を折ってまでこの男とケンカをするような時ではない。なにせ三人の命がかかっているかもしれないんだ。絶対に助けなければならないし、それが先決だ。


「まぁまぁ有斗。とりあえずは、警察に連絡するのが先じゃないか?」


 海山さんがなだめるようにそう提案する。琉院の父親は立ち上がった。


「……ふん、それもそうだな。では私から直々に伝えてこよう。しばし失礼させてもらう」


 そう言って、琉院の父親はこの部屋を出ていった。これで、この広い部屋に残っているのはオレと琉院と海山さんだけだ。少し気まずい空気が流れた後、海山さんが心配そうな様子で話しかけてくる。


「遠原……少しは、落ち着けたかい?」

「……そうですね。少しは、ですけど」


 数分とはいえ、時間が流れた分だけ頭が冷えたらしい。それとも、琉院の父親への怒りで激情が別の方向にそれたのか……なんにせよ、今は少しだけ冷静になれた気がした。

 ただ突っ走っても、あの三人を助けられるわけじゃない。協力しないとみんな無事ではすまないだろう。警察が出てくるというのなら少しは気が楽になる。楽観的かもしれないが、なにもかも丸く収まるかもしれないとさえ思えてきた。

 しかし。


「……オレよりも琉院のほうが……大丈夫なんですかね?」

 口ではそういってみるが、目で見るとどう考えても大丈夫ではない。そういう風にしか見えなかった。未だ苦しそうにしている姿には、オレの胸も痛くなってくるし心配になる。三里さんのことがやはり気がかりなんだろうが……これならどこかでゆっくり休んでいたほうがいいのではないかとさえ思う。

 海山さんもやはり琉院のことは心配なようで、彼女を見る目はどこかやわらかく、優しげなものだった。


「多分、大丈夫さね。琉院も、お前も……それに、天木達もね」

「そうだといいんですけどね……」


 天木さんの名前が出たことで、オレはまた少し不安になってしまう。彼女たちは今、どうしているのだろうか。

 今度こそ(・・・・)ぼく(・・)は、天木さんを救えるのだろうかと。


 ++++++++++++++++++++


「ん……んんっ……」


 暗闇の中で、私の感覚と意識が同時に戻ってきたような気がしました。どうやら今の私は床に座っているようです。これまでの記憶が定かではない中で、私はゆっくりと目を開ける。


「……ここは……」


 まず、私は驚きました。左を見るとここは、照明が点いておらず薄暗い、そして広い空間のようです。しかし荒らされたようになって床に散乱しているものが大量にありました。

 それは衣服のようです。色柄形状サイズの多種多様な様々な服が、この空間の床には広がっていました。それはまるでここの床を彩っているようでもありますが、しかしごちゃごちゃとした乱雑な散らばり方が、そんな楽観的な考えを打ち消します。

 そして私は思い出しました。確か私は、服を買いに来たんだ。遠原さんの妹、樫羽ちゃんと一緒に――


「! 樫羽ちゃんは……!」


 立ち上がろうとして、私は大きく体勢を崩して倒れました。そこで私は、自分の足、そして手も縛られていることにようやく気づいたのです。首を動かすと、なにやら黒い布地のようなものが視界に入りました。


「……お目覚めになられましたか?」


 急に頭上から声がして、私は倒れた体勢のままで見上げると、そこにはなにやら頭に妙な白い飾りのようなものを乗せて、こちらを振り返っている紫色の綺麗な髪をした女性の顔がありました。見上げる途中で見えた手首に縄のようなものが巻き付けられているということは、おそらく私と同じような状態なのでしょう。そしてどうやらさっき見えた黒い布は、どうやらスカートだったようです。


「……えっと……」

「お探しの方なら、あなたの右におりますよ」


 そう言われて、私はすぐに右を見た。そこには確かに樫羽ちゃんがいたが、まだ彼女に意識は戻っていないらしくうなだれていた。手足も私達と同じように縛られているようだ。樫羽ちゃんは心配だけど、私はもう一度、さっきの紫髪の人のほうを向く。


「ありがとうございました。それで、あなたは……」

「ワタシですか? ワタシは――」


 一瞬、なにやら逡巡しているような困った顔をしたように見えましたが、すぐになんともないような表情に戻ったようでした。なにか問題があったのでしょうか。そう感じるよりも前に、目の前の方は答えた。


「ワタシは……三里亜貴と言います」

「三里さん、ですか。よろしくおねがいします……って、今の状況で言うことでもないですかね」


 自分でそう言って、少しだけ笑う。そんな風に冗談を言うときでもないのかもしれないけれど、これはある意味自分の気分を少しでもまともにしたかったのだろうとも思う。

 手足を縛られて、屋外に閉じ込められている。こんな状況は明らかに異常ですし、自分が妙なことに巻き込まれているともすぐに感付けます。何に巻き込まれているのかは流石に分かりませんが、なんにせよ危険であるということは、ほぼ確実でしょう。そんな状況では落ち着いていられるはずもなく、調子の軽いことを言って気分を誤魔化そうとはしてみたものの、本音というものは騙されたりしないらしい。胸の奥の鼓動は早く強く、そして少し苦しいと感じさせてくる。これまでにも何度も味わってきたような恐怖や焦りを感じているときと同じでした。


 しかしこのお店には他にも多くの来店者がいたはずなのに、辺りを見る限りでは私と樫羽ちゃん、そして三里さんだけしかいません。端から端まで広い階層にぽつりと三人だけというのは少し寂しい気もしますが、ここにいないということは同じように捕まっていないのかもしれません。そうだといいのですが。


「……ところで、あなた方のお名前は?」

 三里さんは冷静そうな様子でそう尋ねてきた。こんな状況でもこうしていられるのは少し羨ましい気が……って、感心しているような時ではないですね。


「あ、さ、先に聞いておいてすみません! えっと、私は天木、天木鹿枝といいます。それでこちらの――」


 自分の失敗に慌てた状態で三里さんに自己紹介をしていると、階段の方から幾つかの足音が聞こえてきました。こんな状況で普通の人が階段で上ったり降りたりということはないでしょうから、恐らくはこの妙な騒ぎに関係している方々でしょう。

 階段から響く音に気づいてそちらのほうを見ると現れたのは、全員が同じような腕や脚など全体を覆う黒い衣服を着けており、顔にも黒いメガネをかけ、唯一白い布か紙のようなもので口を隠しているという四人の男性……だと思います。わずかな肌のみを露出させたその姿は、その内側に潜んだ人物を見事に隠匿していました。しかし体格が少しがっちりとしているようにも見えるので、女性ということは無さそうです。

 その四人組の一人が「あっ!」と声を上げました。その声は男性らしいもので、やはり私の推測は当たっていたようでしたが……なぜか少し、不快な気持ちが湧いたのを自分で感じ取った気がしました。


「見ろよ……奥の女の片方も目、覚ましてるぞ」

 ぞろぞろと歩いてこっちに近付いてくる人達に対して私は警戒心と、そしてやはり感じる不快感を持っていました。表情など見えないのに彼らにそんな感情を抱くのは……もしかしたら、目元が隠れていてもなお感じられる、視線が原因なのでしょうか。

 私達の前で立ち止まった四人組の先頭の方が、その場にしゃがみこみました。


「……………………」

 その人はただこちらに目を向けるだけで沈黙していた。最初はまだ気にしなかったが、やがて私はその空気に痺れを切らして、問いかける。


「……なんなんですか、あなた達は!? どうして私達を……!」

「……我々は『True World』。この偽りに満ちた世界に真実の姿に戻す者だ。そしてお前達は、偽りそのものでありその一部。故にこうして封じている」


 私は心臓がドクン、と高鳴ったのを感じました。それはこの人が言ったトゥルー・ワールドという言葉に聞き覚えがあったから。それはたしか――樫羽ちゃんが過去に被害にあった、異世界人排斥を謳う組織のようなものだったはず。つまり私達がこうして捕まっている理由というのは、この世界では私達は異世界人だからということでしょうか。

 ……今は樫羽ちゃんが起きていなくて、よかったのかもしれない。私に話してくれたときは大丈夫そうにしていたけれど、嫌な記憶であることには違いない。それが呼び起こされることは、できるだけ無いほうがいいでしょう。


「……私達は、ちゃんと解放されるんですか?」

「それはお前達が気にしても無駄な事だ。お前達の命運を握っているのは、もう一つの巨大な欺瞞に満ちた存在の選択……精々、それに救われることでも願っているんだな」

「……それって!」


 私達が解放されるかどうかは、誰かの選択に委ねられていると、そういうことをこの人はいいました。欺瞞という言葉が何を指しているかはわかりませんが、どういうことかは理解できる。


「つまり、私達は人質っていうことですか!?」

「そうだ」


 たった三文字の言葉で、この人は肯定した。今、私達のせいで誰かが選択を迫られているということをはっきり告げたのだ。私はそれを聞いて、睨みつけるように彼らを見る。するとしゃがみこんだ人ではない、四人組の中の他の人物が前に一歩出てきた。


「てめぇ! よそ者の癖に睨んでくるなんざ、生こいてんじゃねぇぞこら!」


 それを皮切りに怒声と罵声の入り混じった声が他の二人からもあがる。しゃがみこんだ人物だけが何も言わずにいた。

 大きな怒鳴り声に私は内心たじろぎましたが、それでも目元が睨むのを止められませんでした。捕まるだけでなく、この人たちの妙な企みに利用されていることが私にとってはなにより許せなかったからです。捕まってしまった自分も許せませんでしたが、なにより許せないのは私をだしにしてでも誰かを陥れようとする卑怯な彼らでした。

 そうしていると、三里さんがこちらへ振り向く。


「天木さま、おやめください。今の状況で自らをより危険に晒しては……」

「――あぁぁもう、うざってぇ!」


 最初に私へ怒鳴ってきた方が突然、三里さんの声を遮るようにして大きな声で吠えた。


「今のお前の立場、言葉じゃなくて体で直接分からしてやる! 異世界人とはいえ、女に変わりはねぇんだからな!!」

「! やめなさい、この下郎!!」


 そういって近付こうとしてきた男性を、三里さんがこれまでの落ち着きからは想像出来ないほどに大きく張り上げた声をあげながら男性の前に出て止めようとする。おそらく三里さんも何をしようとしているのか理解したんだろう。そして、あの人が私に何をしようとしているのかは自分でもわかった。それに気づいた途端、情けないことに私は自分の感情が弱く縮こまったのを感じた。さっきまでにらみつけていたというのに、たった一つの単純な暴力をちらつかされるだけで、私は怯えてしまったのだ。そして、それが私一人だけを標的にして終わりとも限らない。


「んだこら! 邪魔するってんならまずはてめぇから――!」

 男の人が逆上して、三里さんに手を伸ばした。三里さんも私も樫羽ちゃんもみんな手足を縛られて動かすことはできない。そして逃げることも、助けることも一様に封じられているということです。

 今の私は、三里さんがただ踏みにじられる姿を見なければいけないのかと絶望しかけた、その時でした。


 激しくなにかを打った音がしたと思いきや三里さんに手を伸ばしていた男の人が不意に消え、その場にはまた別の、しかし彼らと同じように黒尽くめに身を包んだ人がいました。しかし、これまでの人達と比べても大きい人です。2m……はないでしょうが、それでも180~190cmはあるように思います。

 そして、なにかが地面を転がる音が最後にしました。その音がしたほうを見ると、苦しそうに地面に伏している人がいました。そしてそれは、さきほど三里さんに手を出しかけた人です。

 私にわかったのはそれだけで、今、いったい何が起こったのかはまるでわかりませんでした。四人組のうちの後ろに立っていた二人は現れた人物に対して、引きつった顔をしておびえたような態度で後ずさります。しゃがんでいた人は立ち上がり、大きい人のほうに体を向けておもむろに軽く頭を下げました。


「……見張り、ご苦労。下っ端が粗暴な行動を取ろうとしたことに関しては謝罪する。我々は、誇りある組織でなければならんのにな。全くもって恥ずかしい」

「…………」


 大きい人はそれになにか反応をするでもなく、後ろへ振り返りそのまま私達から10mほど離れたところまで歩いていき、そこの壁に背中から寄りかかり床に座った。


「おい。そこの蹴られた馬鹿は抱えて来い」


 しゃがんでいた人が後ろで腰の引けている二人に向かって呼びかけた。二人は一瞬気の抜けたように力の抜けた立ち姿になったが、言われたことを理解するとすぐに、蹴られたという人に走りよって二人でそれを背負う。しゃがんでいた人物がそれを確認してからツカツカと階段に向かって歩いていくと、二人組もそれから遅れないように後を追った。

 そして彼らの階段を下りていく音が遠ざかり、また部屋に静寂が戻ってきたところで。


「…………ハァー」


 私は安堵して、思い切り息を吐き出しました。すると、三里さんがこっちを半目になって見てくる。


「……天木さま。あまり自分の現状を忘れないようにしてください。今のワタシ達は抵抗できないのですから」

「う……で、でも――」


 やっぱり許せないじゃないですか――そう言おうとして気付く。よく考えれば、私がああやって突っかかったばかりに三里さんまで巻き込まれかけたんです。なら、私が我慢できなかった、なんてことを言い訳にしてもそれは個人的な感情で、被害を受けそうになったことを正当化できるものではありません。

 そう考えると、まず私がやるべきなのはもっと別のことでした。


「……ごめんなさい、三里さん。私が反抗的な態度をとったばかりにあなたまで……」


 頭を下げてそう言うと、三里さんはしばらく私の顔を見たと思えば、深くため息をつきました。


「……まぁ、間違っているようなことに怒ったり、怒りを感じられるのは良いことなのですがね。人間は感覚も、情も、鈍らせては成長できませんから。そういう意味では、天木さまはある意味正しかったかと」


 さっきまで責められていたように思えば、今度はある意味正しかった、と褒められているようなことを言われると、一瞬理解できずにポカンとしてしまいました。ですがなんとなく分かってくると少しだけ顔がにやけてきたものの――


「とはいえ、やはり今回のことはやりすぎといってよいのですがね」


 ……最後にそう付け加えられてしまい、少しだけ落ち込んでしまったり。今回悪いのは私ですから文句は言えないとしても、上げて落とすのは少しズルいと思います。えぇ、まったく。

 そんな風に一人反省していて、そういえばと思い出したことが一つ。私は先ほど壁によりかかって座った人のほうを見る。眠っているのかそれとも動く気がないだけなのか、その人はまるで固まったようにしていた。

 この人は私達を助けてくれた……かどうかはともかくとしても、乱暴をしようとした人を止めてくれたということは確かです。服装を見る限りはあの人達の仲間なのでしょうが、しかしどうもあの人達と同じようには見れないような気もします。

 なにはともあれ、この人は結果的に私達を助けてくれたのは確かです。私はなんとか、そっちの方に体を向けました。


「あ……あの」

「……………………」


 動きの無かったその人の首がこちらを向きました。何も喋らず、ただ無言でいるその雰囲気に私は緊張してしまいましたが、意を決してもう一度口を開く。


「……その、さっきはありがとうございました。おかげで私達、助かりましたから……」

「……………………」


 こうしてお礼を言ってはみたものの、やはりその人は無言で反応はありませんでした。やがてゆっくりと私達から目線を外して、元のようにまた動かなくなったみたいです。その切り替えはなにやら機械のようでもありましたが、機械ほど冷たい人ではない――私はこの人のことをそう感じました。


「……天木さまはいささか自分の感情に素直すぎるように今日初めて出会ったワタシは思うのですが、今までそういう生き方で損をしたことはないので?」


 三里さんが半ば呆れたような調子で、そんなことを言ってきた。そう言われて振り返ってみると、確かに私は素直――というか、感情的になりやすいきらいがあるらしい。それも特に、ここ最近はそんな感じだ。以前はもう少し抑え目だったと自分ではそう思うけど、言われているのは今だから昔のことはそう関係ない。

 おそらくそんな風に感情を隠さないようになったのは櫟くんから逃げていたからだろう。一人では感情を隠す理由が無く、そして感情以外を前面に出す機会も無く……そんな内に、我が強くなった。そういうことなんだと思う。

 しかし、これで損ということはあまりない気もした。


「うーん、あまり損って思ったことはないですね。だからって逆に得なわけでもないですけど」

「そうですか。まぁ、自分の性分を損と感じずにいられるというのは、十分得なのではないですか」

「……嫌味ですか? それ?」


 まるで感情的になるのは損だと思っているような口ぶりに、私は少しキツい口調で聞き返す。確かに三里さんは落ち着きがあるし、私もそういうのには少し憧れがありますが、自分を駄目と言われた気がして何も感じないではいられません。

 そんな私とは対照的に、三里さんは表情一つ変えずにいた。そして、


「いえ、ワタシは自分の感情を損だと思っていますから。天木さまはワタシよりは得をしているのかと」


 無感情そのものな抑揚一つついていない声で、そんなことを返してきた。ワタシは多分、何をいえばいいのかわからなかったのだろう。さっき感じた小さな怒りもどこかへ吹き飛び、ただ呆然と三里さんを見ていた。

 三里さんはそんな私のことを気にせず、そしてさっき言った自分の言葉も意に介していない様子で、樫羽ちゃんの方をチラチラと見た。


「ところで……天木さま。まだこちらの方のお名前を私は聞いていないのですが」

「…………あ、は、はい! そういえば、まだ紹介の途中でしたね」


 あまりにも自然に、あまりにも平然と言うものだから私は一瞬だけどういうことか理解するのが遅れてしまう。先ほど言った自分の感情を損だと思うという話はすこし気になりますが、私はこの人とは初対面です。むしろこれまでよく自然に話せているものでしたが、とにかく、この人の深い問題だと思われるところに私は踏み込んでいいとも思えません。納得は難しいですが、とにかく今その話には触れないようにしておきましょう。

 一度咳払いをして、私は自分の調子を取り戻す。


「えっと……この子は遠原。遠原樫羽ちゃんといいます」


 できるかぎり平静につとめて三里さんにそう教える。すると三里さんはしばらく固まったあと――


「…………遠、原…………?」


 表情はやはり変わらないままに、まるで信じられないものを見たような、そんな震えた声を出した。


「……えぇっと……三里さん……?」

「……もうしわけありませんが天木さま、もう一つ聞いてもよろしいでしょうか。その樫羽さまという方に――遠原櫟というような、兄はいらっしゃりますか?」

「三里さん、遠原さんを知っているんですか!?」


 今度は、私が驚く番だった。三里さんの口から出てきたのはここで出ることは無いと思っていた人の名前で、それが出てきたということはこの人は遠原さんを知っているということだ。この人と遠原さんがどういう関係なのかはわからないけど、どうやら三里さんは私の聞き返しで自分の考えを確信したらしい。


「……あぁ――」


 三里さんは私と樫羽ちゃんを何度か交互に見て、そして次に、自分の両手に視線を落とした。手はわなわなと震えている。


「――ワタシはなにもかも……あの方に背負わせようとしてしまったのですね……」


 三里さんの表情そのものはあまり変わっていない。だけどその目、そして雰囲気がまるで深い悲嘆に暮れているように私には見えた。三里さんが言ったことは聞こえたけれど、私には何のことかまるでわからない。その姿を見て励まさなければいけないように感じたけど、言える言葉は何一つ浮かびません。

 ただ遠原さんの名前を聞いたあと、私の中に一つだけ、希望のようなものが生まれた気がした。


「……大丈夫ですよ」

「…………?」


 三里さんが何を言っているのか、と思っているような顔をしてこちらを見た。大丈夫、なんて月並みな言葉だ。それを部外者に言われて励みになるような人というのもあまりいないでしょう。でも、言わずにはいられなかった。三里さんがまるで強風に吹かれる小さな灯りのように消えてしまいそうで、見ていられなかった。


「きっと、遠原さんたちが助けてくれます。だから、大丈夫です」

「……無理です。これは遠原さまの手に負えるような簡単なことでは……」


 それだって、一応は重々承知している。これは多分、私が遠原さんに助けを求めたような問題とは違って、多くの人間が巻き込まれた、大きな事件だ。遠原さんが助けてくれる保証なんてどこにもない。


「でも……大丈夫だって思ってしまうんです。遠原さんのことを考えると、この人が助けてくれるんじゃないかって」

「そんなの、あなたの勝手な思い込みではないですか……!」


 三里さんが強い語調でそう言い切る。だけど私はその勝手な思い込みという言葉に一切動じない。

 なぜなら当の本人――遠原さんにもっと頼れ、勝手になれとそう言われたのだから。だから私は勝手な思い込みだとしても、遠原さんが来ると信じよう。それに、形はどうあれ遠原さんは実際に私を助けてくれた。


 ……私を今の櫟くんから、守ってくれた。私は櫟くんに会えなかったことに怒ってそれを考えようとはしなかったけど、樫羽ちゃんに諭されて、ようやくそのことをちゃんと考えるようになった。遠原さんは遠原さん自身が考えたことをやり、そして私が求めたことにも応えようとしてくれている。私が最初に言った助けてという言葉を、ちゃんと聞いてくれているということを。そんな遠原さんを信じられない私ではない。むしろ、今は信じたいとさえ思う。それは結局、私が昔の櫟くんの想い出を引きずっているだけで遠原櫟という人物を信じたいと思ってしまっているだけなのかもしれない。いや、今ではしれなかった、だ。

 私は確かに、遠原さんと櫟くんを重ねて見ていたし、実際似たような存在だというような話も前に聞いた。だけど今では完全に二人は別の、違う人間だという風に見れている。それは奇しくも、今回のケンカが原因かもしれません。こうして意地を張って距離を取り合うようなことを、私と櫟くんはしてこなかったんですから。

 そんな風に私と遠原さんは、櫟くんといた時と違ってケンカもする。しかし遠原さんの優しさは、以前の櫟くんのようなもの。これまで信じてきたものと同じような優しさを遠原さんは持っている。それだけでも私は、遠原さんを信じられるのです。

 それに。


「はい。勝手な思い込みですけど、信じられる要因はありますから。なにせ――まだ私を助けてくれている最中なんです。だから遠原さんは、絶対助けに来てくれますよ」


 遠原さんは決して困ったところに必ず現れるヒーローのような人ではない。約束を守ろうとする律儀な普通の人だ。ただだからこそ、二人でがんばろうとそう言った遠原さんが、私達を助けようとしないはずなんてない。私はそんな、もはや確信に近いことを考えていました。三里さんは私の言葉に呆然としているようですが、これで共感や理解が得られるとも思っていませんから、これ以上は何もいいませんでした。ただ、私が遠原さんを信じているということが伝われば、今はそれでいいんです。

 だから今はただ待つことにしました。絶望感や不安、怯えが無いといえばうそになりますけど、それでもまだ最初よりは希望を持つことが――あの人が助けてくれるという期待を抱くことができましたから。

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