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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
初夏の来訪者
25/53

得がたき仲間

 目の前、一緒のお風呂に入っている樫羽ちゃんに、私はこれまであったこと、考えたことを全て話しました。私が幼なじみから逃げていたこと、それを続けていたら遠原さんに出会ったこと、遠原さんと一緒にその幼なじみと元の関係に戻るために頑張ろうとしたこと。

 そして――遠原さんと、私のよく知っている櫟くんは、同じ名前、同じ顔であるということ。

 樫羽ちゃんは、私がそれを話している間も決して目を逸らさずに聞いていた。時折頷いたり、口を小さく開けていたりして、逆にちゃんと聞いているのだということが伝わってくるようです。おかげで、私もそこまで苦にせず話しきることができました。

 やがて全てを話し終わると、樫羽ちゃんは神妙な顔になって、口元に手を持っていった。


「……そういうことがあったんですか。確かにこれは、自分から話したいとは思えないですね」


 そうしていくらか考えるような顔をしていた後で、彼女はハッとしてこちらを見てきた。


「あの……もし気を悪くされていたら……」

 気遣ってくれているのか、そんな言葉をかけてもらえた。しかし今はもう、ほとんど大丈夫。そう伝えるために、笑顔で返した。


「大丈夫ですよ。最近はもう……色々とあって、そこまで気にせずいられますから」


 こう言っている間に、ふと思ったことがある。櫟くんとのことをこうして感じられるようになったのは、誰のおかげだったか。

 つい最近には、牧師のグリッツ、という人にも話を聞いてもらいました。それで確かに、私の心も軽くなったりはしました。だが、こうして話せるようになるまで実際に動いてくれたのは、自分が直接頼み込んだ一人のおかげだろう。その一人は――


(……確かに遠原さんは、私を櫟くんの居る場所には連れて行こうとしませんでしたけど……でも、こうしてまっすぐに向き合おうと思えるようにしてくれたのは――)


 ――やはり、遠原さんです。あの人がいたから、こうして櫟君と向き合おうと、出会えなかったことに怒ることができる。たしかな恩人であるということを忘れてしまってはいけない。

 だから自分が子供じみたことで腹を立てていたことが、余計に悔しい。


「あの、天木さん?」

「……あ、はい、なんでしょう?」


 少し、集中しすぎていたのかもしれない。樫羽ちゃんの言葉が、少し耳から遠くなって聞こえる。彼女は私が弱々しく聞き返してしまったせいか、不信そうな顔をしていた。

 私はもう一度、笑顔をつくって彼女のほうを見る。あまり心配させたくなかったからという理由からなのだが、その時だった。

 一瞬、意識に濃いもやがかかるような感覚が襲ってきた。何も見えず、何も分からなくなるような状態。

 だがそれは、すぐに解けた。気がつけば、胸の辺りで細い何かに支えられていた。

 段々と見えてくるようになってきたそれは、樫羽ちゃんの腕だった。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか天木さん!?」

「……あ、ごめんなさい……少し、意識が……」


 そろそろ本格的にのぼせてきているようでした。樫羽ちゃんもそれに気付いたのか、表情が暗いまま、何も言わず私を脱衣場まで連れていってくれた。


「……ありがとう、樫羽ちゃん」

「いえ、お礼はいいです。とにかく、早く服を着て向こうの方で少し休みましょうか」


 白い棚から大きめのタオルを取り出し、私はそれを受け取りました。体全体に水を残さないよう丁寧に拭っていく。

 手を動かしながら、ちらりと樫羽ちゃんのほうを見る。彼女も体を拭いているあたり、もう上がるようでした。もしかしたら自分がのぼせてしまったからかもしれないと考えると、少し胸が痛くなります。

 そうしていると、向こうもこっちに気づいたようです。私のほうを何も言わないまま、ただ無言で見ています。


 お互いに向き合っているのに、場を占めるのはただの静けさ。


 顔を見ているのもなんだか気恥ずかしいので、少し視線を下ろします。横から見ている状態でも、やはり全体的に整っていて、綺麗な体をしている。私と身長はそこまで変わらないのにそれとは、やはり羨ましい。

 ――と、いけないいけない。頭を思い切り左右に振り、その中から羨望をどこかへと飛ばす。先ほど私に手を貸してくれた樫羽ちゃんに、そんなことを思ってしまうのはダメですね。

 そうして自分を律そうとしていた時でした。彼女がゆっくりとこちらに向かってきたのは。

 やがて目の前で歩みが止まり、自分の肩に手を置かれた。顔を上げると目の前では樫羽ちゃんが、私の目をじっと見つめていました。

「天木さん」

「は、はい?」


「――明日、少しわたしに付き合ってもらえますか?」


 ++++++++++++++++++++


「それでは兄さん。わたしたちはそろそろ行きますので、留守番は頼みます」

「おう。気をつけてな」


 まず樫羽がリビングを出て、天木さんがこちらに軽く会釈をしたあとで樫羽に続いて出て行った。

 二人が玄関から出たということを音だけで認識したところで、イスに座ったままチラリと時計を見た。午前十時三十分。流石にそろそろあいつも起きている頃だろう。

 懐から取り出したるは携帯電話。アドレス帳からある人物を選び、メールの入力画面に入る。内容は決まっていたので数分で完成することができたものを送信する。ちなみに内容は「今一人なんだが暇だろ? どうせお前暇だろ?」というそいつがいつもどおりかどうか確認するためのものだ。

 程なくして返信がくる。まぁどうせ大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、見通しが甘かったようだ。


 ――わりぃ、今日は無理だ。那須野が忘れてた宿題を手伝う、ってことになっててな。そういうわけだ、じゃ――


「……なんだと……」


 マズい、という焦りが生まれる。あてが外れたというか唯一の暇つぶし用存在が使えないだなんて。

 他に友人がいないという事実にも軽く打ちひしがれながら、ただ焦るままにメールを打つ。


 ――ヒドい! あなたは私とは遊んでいただけだったのね、最低よ、この玉無し野郎!!――


 送信、と。

 落ち着いて読み返すという気もしないのですぐにメールの画面を閉じて、これからどうするかを考えようとした矢先だった。

 メールの着信ではなく、電話がかかっていることを告げる音が鳴る。思考を邪魔されたことに少し表情が硬くなるも、すぐにそれを取った。


「……はい、もしもし?」

『よう、さっき玉無し野郎と命名された俺だぞぶっ飛ばしてやろうかこら。最初のメール見てそういえば、って思い出したことがあったんだが、今のお前にメールで聞いたらひどいことになりそうだから電話で聞くな?』

「なんだ葉一か……」


 さっき裏切ったばかりの人物が電話をかけてきたことに、そこはかとなく呆れの成分を混ぜたため息を吐く。こいつはオレの誘いを断っておきながら女と仲良く勉強など……ぐぬぬ、羨ましい。しかしその妬みは隠して本題のほうに踏み込む。


「それで、何が聞きたいんだよ?」

『いや、前に牧師のオッサンをお前が家に呼んで相談したことがあったろ?』


 ああ、あれか。そういえばなんだかんだ言ってもあの人のおかげでようやく、天木さんの話を聞くだけでない話し合いをしようって気になったんだったな。結局それはまだできていないけど、今日にはできるはずだ。ここまで長かったような気もするが、それは多分、オレが苦しんでいたんだろう。沼に足を取られて進めないような、どうにもやりづらく、もどかしい。それと似たような感覚だったと、今になっては思う。


『やっぱり気にはなったんだが、どうにも忘れててな。で、今思い出したから聞くんだが……やっぱあれって鹿枝ちゃんのことか?』

「……ああ、天木さんのことだよ。ちょっと困ってたんだが……ま、あの人のおかげで解決の糸口は見えてきたって感じだ」


 見えてきただけでまだ解決はしていないが、というのを最後に付け足す。とりあえず、これぐらいは話してもいいだろうと思ったからだ。


『ふぅん』


 極めて平坦な声が、電話越しのくぐもった音で聞こえる。あまり騒ぎ立てないのを冷たいやつだ、と思うつもりはない。こいつにはこいつなりの考えがあるんだろう。


『ま、それならそれでいいけどな。そのことで手詰まりになったりしたら頼ってくれてもいいんだぜ?』

「猫の手も借りたいってほどになったら考えておいてやるさ」

『……猫と同じ扱いかよ』


 げんなりとした声。あきれ返っているようなそれがおかしくて、つい軽く笑ってしまう。気付いたら電話の向こうの本人までも少し笑っていた。自分のことだというのに、嫌そうなところは微塵も感じられない。


「おい……お前なぁ、さっきの嫌そうにしてたのはなんだったんだよ」

『ハハ、いいじゃねぇかよそれぐらい。で、今お前んところには二人ともいないのか?』

「あぁ、買い物だとさ。たしか電車乗っていくって言ってたし、今ごろは駅に向かってんじゃないか?」


 もう少し都市部に近い場所ならこっちにはない大きな店があるんだと樫羽は言っていたが、この前天木さんと服を買いに行ってからやけにその手のものに詳しくなった気がする。あくまでこれまでと比べての話だが、それでも興味を持つものが増えたのならいいことだろう。人がいないのをいいことに、顔がニヤケるのは隠さないことにした。


『そうか……ま、櫟は今日は一人寂しく過ごすってことだな。俺はこれから二人でやることあるしぃ? そろそろ電話切るけどぉ?』

「当てつけかこの野郎が!」


 オレの叫びはむなしく、電話を切った一瞬の電子音だけが返ってきた。最後の最後に実に嫌みなことを言ってくれたもんだ。

 叫んだあとに一人でいるのも居心地が悪いので、オレは自分の部屋に戻ることにした。

 どうせ家にいても暇なんだ。だったらすぐに準備するかと、のどかな日曜の空の下に出ることを決めながら。


 ++++++++++++++++++++


「こっちですよ、天木さん。はぐれないように気をつけてください」

「だ、大丈夫ですよ!」


 とは言いつつも、前を行く樫羽ちゃんから長く目を離さないようにしつつ、周りに目を向けてしまう。見たこともない町並みに、ほとんどの人が休みの日ということもあってか私服で町を行き交う人は多い。以前樫羽ちゃんと服のお店に出かけた時以来の外出に、どこか浮き足立ってしまってるのかもしれません。

 普段は遠原さんたちから任された洗濯物を干す時ぐらいにしか、外の空気を浴びることのあまりない生活だったので、それを十全に感じることができるというのもいいのかもしれない。


「ほら、天木さん。駅前着きましたよ?」


 前を進んでいた樫羽ちゃんがこっちに振り向いてそう教えてくれた。身体を動かして奥の光景を見る。


「……わぁ」


 思わず、口からそんな声が漏れました。それほどに眩しさを覚えてしまう光景が、そこにはあったからです。

 有り体に言えば、そこにあったのは広場でした。面積は半径で大体50mほどでしょうか。赤と白の床、円状の広場を縁取るようにそれぞれ少し間隔を空けられて木が植えられていて中心にはよくわからないモニュメントのようなものと特徴はありますが、私がもっとも揺さぶられたのはそこではありません。

 活気に溢れていて、それがすごく新鮮なように思えたからです。見えるだけでも、楽しそうに会話をしている人、待ち合わせかなにかかどこかに駆け寄っていく人、モニュメントの周りに座ってゆっくりとしている人など様々な人たち。

 櫟君から逃げ始めてから、目を向けることもできなかったような明るい世界をこうして直視することができる。そう思うとどこか心が一息ついたような、重いものが抜けた感覚がしました。

 こうして平穏な日々を過ごせることの喜びが私の中を満たそうとする。それでもまだ、穴はありました。

 私の以前の日常と共にあった彼がいないことだと、今でははっきり分かります。

 横で笑って歩いていた櫟君はどこかへ行き、今の私のそばに居るのは姿はほとんど同じような遠原さんで、現在横を一緒に歩いているのは――


「……? どうかしましたか?」

「……いえ、なんでもありませんよ」


 樫羽ちゃん、と続けようとするもその声はかき消された。右側の道路から聞こえたバイクの走る音。そしてそれが止まる際の擦れるような音にでした。

 私と樫羽ちゃんは二人して疑問の色を浮かべながら、音がした方を見ました。

 歩道と車道とを分けるガードを挟んで見えるのは、停車している黒塗りのバイクとそれに二人で乗っている人です。どちらも端に止めたバイクを置くと、ガードを踏み越えてこちらに近づいてきました。

 一応言っておくと、この二人は誰なのかさっぱり分かりません。顔がヘルメットで見えませんので、判別がつけられないからです。ただ、どこか背格好には見覚えがあるような気もします。樫羽ちゃんの方を見ると、やはり彼女も分からないようで、わずかに後ろに下がっていました。

 やがて目の前まで歩いてきて止まり――男の方は、軽く片腕を上げました。


「よっ、久しぶりだな二人とも?」

「……あ」


 くぐもっていて少し聞き取りづらかったですが、それは確かに聞き覚えのある声でした。すぐに浮かぶ、遠原さんと一緒にいたもう一人の男性の顔。

 答え合わせとでも言うようにヘルメットを外す二人。そこから出てきたのは当然、神田さんと那珂川さんの二人です。


「久しぶり、というべきか。とにかく壮健そうでなによりだ、天木殿に樫羽殿」

「はい、お二人もお元気そうでなによりです」

「……こんにちは、那珂川さんに神田さん。今日はなんの用ですか?」


 口の端を浮かせた軽い笑顔で挨拶をしてくれた那珂川さんに私たちも挨拶を返しますが、なぜか後ろから聞こえた樫羽ちゃんの声は不機嫌そうなものでした。

 那珂川さんの方はあまり気にした様子もないものの、私はそれが気になり樫羽ちゃんの方を振り向くと、彼女は口元を少しだけ噛みしめながら一点を見つめていました。なので私もそれを追ってみたのですが……どう反応したらいいのでしょうか。

 樫羽ちゃんが恨めしそうに眺めていたのは那珂川さんの胸のあたりで、何かついていたりする様子もないのですが、なぜかそこばかり見ているようです。

 どうしたものかと戸惑っていると、同じようにして樫羽ちゃんの視線を追っていた神田さんが笑い始めていました。


「アッハッハッハ! 大丈夫だって樫羽ちゃん、あと数年ぐらいしたらそのゆるやかな丘陵地も那須野みてーなマウンテンとまではいかなくとも、大きくはなるって」


 それ以上神田さんの言葉は続きませんでした。横の那珂川さんといつの間にやら私の前まで踏みこんでいた樫羽ちゃんのパンチが、正面と左から抉りこむようにして放たれたからです。

 後ろからでは樫羽ちゃんの顔は見えませんが、那珂川さんは半ば呆れ顔の手慣れた様子で神田さんを殴り、神田さんは殴られて「ぶべらっ」という声を出してのけぞっていました。


「神田……あまりそういうことを誰彼かまわず言うべきではないだろう」


 首を左右に振り、やれやれというような声が聞こえてきそうなため息をついてから、那珂川さんは神田さんをたしなめます。腰の部分から折れてるようになっていた神田さんは驚くことに、なにも無かったかのようにゆっくりと姿勢を戻してから那珂川さんのほうを見ると、叩かれた鼻と頬が赤いままに顔全体が緩んだようなにやけた笑いを浮かべました。


「ほぅ、つまりセクハラは自分だけにしてくれと」

「今すぐその軽口を叩けないようにしてやってもいいのだが? 樫羽殿も手伝うであろう?」

「えぇもちろん。これでも一応兄さんの友人ですからそこまで怒らないようにはしていますが、那珂川さんがやるのを手伝う分にはあまり気になりませんからね」

「……すんません、反省します」


 最初には不敵そうににやついていた神田さんが、気づけばうなだれて二人に謝る事態になっています。恐るべきは場の流れの速さなのか、それとも那珂川さんたちの威圧力なのでしょうか。どちらにせよ、空気がやけに弛緩してしまったような気がして、若干戸惑いながら最初に樫羽ちゃんが聞こうとしていたことをもう一度聞いてみることにしました。


「えぇ、っと……そ、それでお二人とも、なにか用事があったりするんですか?」

「ん? いや別に、ちょっとこのあたりまで寄ってみるかと思ってきただけなんだけどな」


 すぐに立ち直って答えてくれた神田さんに、そうでしたか、とだけ返し、このあたりでそろそろ駅のほうに行こうかと考えてると、神田さんは何か思い出したような顔を浮かべました。


「――あーそうだ。そういえば鹿枝ちゃん、最近は櫟とよろしくやれてないんだって?」


 なんでそれを、と思うよりも先にそのことを認識した胸の奥に生まれる刺されたような刺々しい痛みを感じました。神田さんの顔には悪いことを考えてるような色はなく、どういう真意で聞いたのかはわかりません。とにかく、言われていることが本当であることには違いはないので頷きます。


「……はい。どうして神田さんがそれを……?」

「なんか、最近の櫟見てたらそんな感じがしてな。で、問い詰めてみたら鹿枝ちゃんと最近距離が遠い気がするって話を聞き出せたってことで」

「遠原さんが……」


 ……遠原さんも、この状態のことを気にしてくれていたんですね。

 このところ、まともな会話もあまり無いのに。二人して同じようなことを気にして、気まずくなって。なんとも間の抜けた話のように思えますが、それでも気にしていたのは私だけではなかったのだと、ただ一人で空回りをしていたわけではなかったのだとわかると、胸の痛みは和らいで、代わりに安堵のようなものが訪れました。


「……はふぅ」

「なんか安心した、って顔してるな。もしやこれは俺は放置しててもよかったのかね?」

「いえ、そんな……そんなこと、ありませんよ。私はそれが聞けただけでも、嬉しいです」

「そうかい」


 やや呆れたような声色になっていた神田さんでしたが、その顔には不思議と笑みを浮かべていました。那珂川さんも大きくは顔を動かしていませんでしたが、雰囲気が一気にやわらかくなっています。私はそれを見て、この人たちがどこか自分よりも安心しているように思えました。それは多分、神田さんや那珂川さんが私よりも長く遠原さんと付き合っているからでしょう。

 那珂川さんは一年近く、神田さんに至っては長い間を共に過ごしてきている遠原さんは、きっと信用が深いのです。何かあったと聞けば心配になってこうして事情を訊ねに来るような、固い信頼――友情といってもいいものががあるんでしょう。だからこそ、私が遠原さんを巻き込んだあのことにも、深くは聞かずとも手伝ってくれたのだと思います。

 ……まだ、お二人には話していないんですよね。櫟くんの事も、私がこっちへ来た理由も。遠原さん以外には昨日お風呂で樫羽ちゃんに話しただけで、繁夫さんにも、海山さんにも話せてはいない。


「……よっし、それじゃ帰るか? 那須野」

「そうするとしよう。今日は一日某に付き合ってもらうのだからな、時間は無駄にできん」


 ――なら、今どうすべきかなんて。


「あのっ」

 道端に置いたバイクに近づき、ヘルメットを被ろうとしている二人に私は呼びかけた。動きが一瞬止まり、キョトンとした顔をこちらに向ける。


「あの……ふ、二人に大事なお話があります!」

「……大事な話?」

「……ふむ」


 神田さんは不思議そうにし、那珂川さんは神妙そうに考え込みはじめた。

 心臓が一拍を置く度に、鼓動を大きく鳴らして呼吸を苦しくする。昨日は結局私から話したのではなく、樫羽ちゃんに問いただされたから話せたようなものだ。だから今、自分から話そうとしていると体全体に重苦しい緊張が襲い掛かってくる。言葉を考える頭に熱が回っていく。

 しかし不思議と、意識は明確でくっきりしていた。


「はい――私と遠原さんが今抱えてるものを、お二人にも話したいんです。神田さんにも、那珂川さんにも、私たちは手を貸してもらいましたから。それをお二人に話さないままでいるなんていうのは、筋が通りません」


 周りで私たちのすぐ横を歩いている人たちは意識の外へ、この場にいるのが私たちだけであるかのように私は二人を見据えたつもりでいる。これまでほとんどそうやって自分の意思をぶつける、というようなことをお父さん相手にすらすることがなかったからか、どうにも勝手は掴めない。ただ相手の目を見て、本心からの言葉を出すことしかできなかった。

 緊張からか、息を呑んだ。周囲の視線を感じた気がして、肌が火照った。拒絶されるかもしれないという想像が浮かんで、体の熱を奪い去っていく。


 二人が顔を見合わせる。それまですら長い時を経たように感じていたのに、二人が答えを揃えようとしたのは今ようやくだ。これからその答えを聞くまでも、時間を長く感じるのでしょうか。

 でもそれは、決して心苦しくなるものではなくなってきた。拒絶というネガティブな方向の考えが減速していき、かき混ぜられて何を考えようとしているのかもわからなくなりあそうだった頭があることに思い至った時、一気にUターンをしたかのように前向きなものに変化していく。この二人なら聞いてくれるという、淡い期待となったのです。

 理由はやはり、遠原さんでした。この二人と遠原さんは確固たる信頼関係なのだと先ほどは他人事のように思っていましたが、単純にそれだけではないのではないかということが思考をよぎりました。この二人との間には確かに友情もあるでしょう。しかし何より、この二人は遠原さんの横でもっとも信頼をされていて、遠原さんもまた同じくらい信じられているのではないか、と。

 そう思ったのは、これまで遠原さんが周りに接している中でも特に気を置かずに過ごしていたのが振り返ってみればこの二人だったからです。家族である樫羽ちゃんには庇護しようとする意識がやけに働いていて、繁夫さんや海山さんに……そして私には、やけに申し訳なさそうで、この二人と話してる時がもっとも自然体であるように見えました。

 どれだけのことがあって、どれほどの時間を積み重ねてきたのか、私にはわかりません。

 ですが、遠原さんとそれほどに信じあえる関係であるからこそ。羨ましさと、懐かしさを覚えるそんな関係性を保てているからこそ。


「……二人だからこそ、私は話しておきたいんです……!」


 思わず、口をついて考えがそのままの形で出てきた。辛うじて出たものだと思ったのに、横からも前からも、なぜか周りからも視線が向けられていることが分かってしまい、羞恥が立ち上ってくるのが体の芯のほうから感じられる。

 それでも目をそらさずまっすぐに見ていると、神田さんが不意に口の端を吊り上げ、白い歯を覗かせてきました。そのままバイクの近くにヘルメットを被らないまま近寄り、シートに置いてからハンドルを持って――ゆっくりとした速度で、駅のほうに向けて引いていきはじめました。


「まぁ、そうなるだろうな。ここで帰ろうとするようなら、某は殴り飛ばしていたところだ」

「流石にあそこまで言われて帰ったらクズすぎるだろ。元々帰るつもりはなかったけどよ」

「……奇遇、ではないだろうな」

「それならそれでまぁ、いいんじゃね?」


 神田さんと、駆け寄って神田さんの横をバイクを挟んで話しながら歩いていく那珂川さんの背中を、私は少しどういうことかわからないまま放心したように眺めていました。

 しかし――


「ほら、樫羽ちゃんも鹿枝ちゃんも早くこっちでゆっくりとやろうぜ。立ち話ってわけにもいかないんだろ?」


 その言葉で、どういうことなのかはっきりとわかって。

 思わず樫羽ちゃんのほうを向くと、彼女は優しげな雰囲気を表情に出して、私の肩に手を置いた。


「よかったじゃないですか」

「……はいっ」


 そう言われて自分が嬉しくなったことが、手に取るようにわかった。とにかく心が軽くて、暖かくなっている。表情も多分、すごく弛んでいるだろう。このままだとそれに浸りきりになりそうだったが、樫羽ちゃんの手が肩から離れて背中を押すようにしてきたことで現実に引き戻される。


「……浮かれていないで、わたしたちも早く行きますよ。あの二人を待たせるわけにもいかないでしょう?」

「……はいっ!」


 窘められたけれど心が弾むのは止められず、私は先に行った二人の後を走って追っていった。



「……『別世界の櫟』ねぇ」

「またややこしい話だな……」


 モニュメントの周りを囲うへりに座り込んで、私はこれまでのことを話しました。二人ともやはり、遠原さんと櫟くんの関係のことが気に止まったようです。私も最初はそこが一番気になってしまいましたから、無理もないことでしょう。

 周囲の楽しげな喧騒の中で、ここだけはやけに神妙で静かな空間となっていました。難しい顔をしていた神田さんが、まず口を開く。


「……とりあえず、鹿枝ちゃんと櫟はその……なんて呼べばいいのかわからないから『別世界の櫟』って言うけど、そいつをただ捕まえたりしたいわけじゃないんだよな?」

「はい。それは私と遠原さんが決めたことです。私はもう一度、櫟くんと一緒の時間を過ごしたいんです」


 神田さんに聞かれ、自分でもその目的を再確認するように言うと気が引き締まったようになる。これを達成するためにも、遠原さんともすぐに話し合わなければいけません。今度は私が聞いてもらうのではなく、私と遠原さんがお互いに聞きあわないと。

 そのように決意を固めていると、神田さんは「そっか」と安心したようにぽつりと呟いた。


「じゃあ、なんか手伝えることがあったら俺たちにも連絡してくれよ。邪魔にならない程度に手を貸すからさ」

「……お願いしてもいいですか? 巻き込むのは忍びないですけど、私は絶対に彼を取り戻したいので。手を貸してくれるというのなら、どこかで絶対手伝ってもらいますからね」

「まぁ昨日までの天木さんだったら確実に、申し訳ないからとかそんな理由をまくし立てて拒否していたでしょうけどね」


 隣の樫羽ちゃんの茶々に思わず目が細くなっていく。せっかくまじめな話をしていたところだというのに、そのせいか神田さんは先ほどのようにスッキリとした顔で笑っていた。


「あはははは、確かになんとなくわかるなそれ! とにかく、女の子にお願いされたんだ。全力で手伝わせてもらうから、櫟に仕事奪われないように覚悟しとけって伝えといてくれよな」

「……はい、よろしくお願いします……」


 神田さんにまでそう思われていたなんてと軽いショックを覚えていたところで、励ますように肩を叩いてくれたのは那珂川さんだった。彼女も笑ってはいるが、その顔に嫌味な部分は無く、これもまた非常にスッキリとしている笑顔だ。


「そう気に病むこともあるまい、天木殿。今はそれだけできる余裕ができてきたと考えればいいことであろう? 似たような時期は、某にもあったしな」

「那珂川さん……」


 やや苦い笑いをしながら那珂川さんは私を励まそうとしてくれていた。その心遣いだけでもありがたいもので、私もまたそれに笑顔で応えた。


「そういえば天木殿、先ほどの話の中に遠原と最近距離が遠いというような話が出ていたが、それに関しては大丈夫そうか?」

「ええ、今日の夜にでも何とかなると思います。心配してくれてありがとうございますね」

「いや、なんとかなりそうなら問題ない。同居する人間と仲が悪いというような話は某にも少し思うところがあってな、でしゃばってすまぬ」


 そういってわずかに神田さんのほうを那珂川さんは見ましたが、どういうことでしょう。もしかして、神田さんと那珂川さんも少し険悪な状態でいるのでしょうか。


「あの、神田さんと話し合いたいなら私も手伝って」

「そういえばこの状況って、俺がある意味ハーレム的な状態ってやつなんじゃねぇか?」


 私の話が終わったあとよりも静かな無音が突如として訪れました。恐るべきは樫羽ちゃんと那珂川さんが寒さをも感じられるほどの視線を神田さんに浴びせていたことです。確かにいい気持ちはしないまでも、そこまで辛辣になる必要はあるのか私にはまるでわかりそうにありません。


「な……なんだよお前ら、そんなにも命を狙ってるような目つきで見てくんなよ! むしろハートを狙ってくれよ! 俺ならすぐ堕ちるぜ!? 鈍感とか難聴とか都合のいいシャッターは無いぜ!?」

心臓ハート狙いでいいらしいですね。那珂川さん、刃物なにかあります?」

「むぅ、生憎と槍は家に置いてきてしまってな……某は一応手でも貫けないことはないが樫羽殿は……」

「ごくごく自然に話し合うには物騒すぎる内容はやめてあげましょう! 見てください神田さんが震えてるじゃないですか! それに三人もいるんですから、一人くらいはわずかでも神田さんに好意ぐらいは持ってる人もいるでしょう!? はい挙手!」


 ……誰一人としてあげようとしませんね。仕方ありません、ここはお情けでも何でも私が――と挙げようとした手が、樫羽ちゃんによって勢いよく掴まれてしまった。


「な、何のマネですか樫羽ちゃん! このまま0人だったりしたら流石に神田さんが可哀想です!!」

「いや、この人にその手の情けをかけると天木さんが危険ですから。みすみす毒牙にかけさせるわけにもまいりません」

「そうだ天木殿。遠原にも聞いてみればわかるだろうが、こいつを叩く時は徹底的に、というのが基本だ」


 な、なんとも酷い話……と神田さんの扱いに呆れていると、震えている状態の神田さんが本気で怯えているような声でぶつぶつ何か言い始めました。


「くそぅっ、俺を助けるのは鹿枝ちゃんだけかよ……! ハートフルどころかこんな鳩のように震える“鳩震ハトフル”な話になるなんて……」


「……那珂川さん、やっぱりやっちゃってください。ザクッとお願いします」

「承知した」

「うわぁぁ敵が増えたぁー!!」


 なにを言っているのでしょうか。そもそも最初から味方ではなかったというのに裏切られた、という顔をされても正直困るばかりです。

 神田さんは立ち上がり構えた那珂川さんから離れてから私たち三人のほうを見て「じゃ、じゃあ――」とドモりながらも命乞いではないような行動を始めました。


「じゃあお、俺よりもこういう状況を体感したことのあるであろう櫟だったらお前ら手挙げてるのか!?」


 そう訴えてきた神田さんへの私たちの答えは……樫羽ちゃんが隠すように小さく手を上げ、那珂川さんが腕を組んで真剣に悩むようにしながら「いや、それでも神田よりはマシな気も……」と辛うじて遠原さんに軍配を上げ、私は……とりあえず、この場は笑って誤魔化すことに。


「ちくしょぉぉぉぉ!!」


 神田さんの哀愁を纏わせた慟哭が広場に響く。周囲からもジロジロと見られていますがそんなことも気にしないようにして地面に両手と膝をつけてうなだれています。

 見かねた那珂川さんが呆れ顔で神田さんの肩に手を置きました。そのまま励ますのかと思えば。


「うん。とりあえず、そこでうなだれている暇がお前にはあるか?」


 完全に心のケアを放置して立ち上がらせようとする、中々の豪快な立ち直らせ方に関心はまるで覚えませんでしたが、神田さんはそれでよろよろと起き上がって傍のほうに止めていたバイクのほうに近づいていきました。どうやら二人ともこれで戻るようです。


「すまんな天木殿。もう少し話をしてみたかったが、この馬鹿がこれでは少々帰路も心許ないので、これ以上拙くなる前に帰らせていただく」

「いえ、謝らなくてもいいですよ。私としても、色々お話できて楽しかったですから」

「そうだな。某も……多分神田も、嬉しいと思ったよ。こうして真っ向から話し合うことができてな。それでは、御免!」


 やややる気のなさそうなまま神田さんはバイクを押していき、那珂川さんもそれの横についていく。その姿は充分仲が良いように見えるが、実際どうなのだろう。


 そして那珂川さんたちの姿が人ごみに紛れ、わからなくなり。私と樫羽ちゃんもそこでようやく立ち上がった。


「それじゃあ今日のお買い物、行きましょうか」


 座っていて凝った体を伸ばし、万全の体勢に戻す。樫羽ちゃんも座っていたお尻のほうの汚れをはたきながら、コクリと縦に頷いた。


「ええ。ですが今日は元々天木さんを兄さんと話し合う前に元気付けようと連れ出したのですが……もう充分というぐらいには元気になってませんか?」

「そうですか? でもいいじゃないですか、その方がもっと楽しめますよ?」


 現状の正直な本音を、樫羽ちゃんに言ってみるとなぜか呆れられたような目を向けられている。なにか間違ったことでも言ったでしょうかと焦りそうになると、表情の色がそのまま乗ったような声で私に話しかけてきます。


「……心なしか考えまでやけに前向きになったような――!?」


 それは突然のことだった。樫羽ちゃんの顔が急に引き締まり、寒々しさを感じるように青白くなったのです。自分の体を抱くようにしている姿は普段からはとても想像できないと思いつつも、私はすぐに彼女の体を揺する。

 それはどう見ても、何かに怯えているものでした。ならこのまま放っておいてしまうと、泥沼のように沈んでしまいかねない。いえ、すでに沈みそうになっていたのを、どこかで感じたのかもしれません。


「樫羽ちゃん!? 樫羽ちゃん! 樫羽ちゃん!!」


 今は呼びかけながら、必死に彼女に自分の体のことをちゃんと認識させなければいけない。必死に揺すって、懸命に声をかけ続ける。

 そうしている内に、青白くなっていた彼女の顔から、その恐怖そのもののような蒼白が引いていく。呼吸は急に取り戻したように荒く大きくなっている。それでも私は、ひとまず無事だということがわかり安堵することができた。


「樫羽ちゃん……!」

「――天木、さん……すみません……急にこんな……」

「あなたが謝ることじゃありません! と、とにかく具合が悪いなら今すぐにでも……」


 病院へ、と続けようとしたところで、樫羽ちゃんは手を握ってきた。弱々しいものではない、力強さのある手だ。そこには退かないという意思が込められているのだと、気づいた。

 それに驚いて樫羽ちゃんの顔を見ると、まだ顔色は完全によくなったわけではないのは明白だ。なのに、笑っている。


「いえ、大丈夫……です。ただ……できれば、今すぐここからは離れたいと――」


 言葉も途切れ途切れ、声の大きさも普段より控えめ。普通なら、こんな子を連れまわすのはあまりいいことではない。だけど、この手が訴えてくる。暖かさと、入りすぎてるほどに強い力が、大丈夫だと主張している。

 きっとこの手にこめられているのは、樫羽ちゃんの全力なんだ。それを無碍になんてできそうもない。


「……わかりました。けど、無理は無しですからね?」

「……わかって、ます」


 手を握ったままで樫羽ちゃんは駅のほうへ向かっていこうとする。私はそれに逆らうことをせずについていこうとした。だけど一つ気がかりはある。

 いったい何が、樫羽ちゃんをここまで怯えさせたのか。周囲、人のばらついた世界を見やる。そこに何か変わっているようなものは見当たらない。この人ごみではおそらく注意深く見ても見つからないだろう。諦めて前だけを見ていようと首を戻そうとした時だ。

 視界の端に、街観に不似合いな黒衣らしきものをまとった何かが見えたような気がした。それに気づき、もう一度その方向を見る。そんなものはどこにも見当たらない人ごみだけがあった。

 やはり見つからない。とにかく、今は樫羽ちゃんのことだけを気遣おう。何か既視感のようなものを覚えた黒衣を意識の果てに追いやって、私は樫羽ちゃんの手を離さないように力を込めた。

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