悪趣味な従者と潔白な主人
最悪だ。タイミング、状況、どれ一つ取っても最悪という言葉でしか表せない。例えるなら主人公が唐突に現れた邪教宗派に拉致され、その後男の象徴を物理的に奪われて、そのまま思想が邪悪に染められたままでENDと出るアドベンチャーゲーム並みに最悪だ。きっと歴史に名を刻むバッドエンドだろう。
目の前に話を戻そう。今のオレはいわゆるメイドらしい三里さんという同級生の女子に引っ張られて校門の前まで来たところだ。目的は三里さんの主で、これまた同級生の琉院槙波の誕生日を祝う準備のための買い物。
たったそれだけだというのに、なぜこうも神経を尖らせ、肌に静電気が走っているような感覚に陥らなければいけないのだろう。ついでに言えば若干の恐ろしさも付け足そう。見られているだけなのにこんなことを感じるなんておかしい。
……勘の良いやつも悪いやつも、すでに気づいているかもしれないが、あえて言おう。オレ達の前で仁王立ちをして、睨むどころか恐ろしささえ感じられる笑みを浮かべているこの金髪の女子生徒こそ――
「……何をやってるのかしらぁ、あなた達?」
――琉院槙波、本人である。
「…………」
恭しく、三里さんは琉院に一礼する。お付きの人みたいだし、当然と言える行動だ。とりあえず自分もそれを見習ってみよう。
「……えぇと、こんにちは、琉い」
「ちょぉっと遠原櫟は黙っていてもらえない? 今のわたくし、腸が地獄のようにとぉっ……ても煮えくり返っておりますの」
「…………はい、すみません」
なんで話しかけただけで修羅を思わせるほどの気迫で睨んでくるんだ……というのはまぁ、オレがこいつに嫌われてるからに他ならないな。こいつの気迫が余りに恐ろしいのか、周囲にも誰もいないのは気になるけど。
元々、明後日の月曜日にはなぜか戦うってことになってるし、こうして琉院の従者の三里さんと一緒というのも、考えてみれば不思議な話だ。
「それで……亜貴? あなたはそこの敵と何を仲良く出かけようとしているのかしら? ちょっと説明してみなさい、わたくしも納得のいく理由を、ね?」
あながち間違っていないけど、完全に敵扱いというのはちょっと傷つくな。しかし、三里さんはどうやってこの場を乗り切るのか。バカ正直に話すのは元々の目的を台無しにするし、そもそもこの人はそんな風に素直に話すというのが想像できなかったりする。だからどうするのか、というのが余計に気になってしまう。
三里さんはしばらく考え込んだようにしたあとで、オレの方を見てポツリと「……まぁ、お嬢様にはあとで話せば……」と、琉院には聞こえないような小さな声でつぶやき、琉院に向き直った。
「お嬢様。これはいわゆる――逢い引き、というやつです」
「――ハァ?」
頭を抱える。何だろう、今ばっかりは琉院の発言にものすごく賛同したい。それぐらい発言が飲み込めない。逢い引きってたしか、デートって意味だったっけ? と、記憶の中から文章を理解するための脳内辞書を引っ張り出している最中も三里さんは言葉を続けている。
「しかもあれです。ワタシの初めての逢い引きです。なのでお嬢様には申し訳ありませんが、しばらくワタシと遠原さまは二人きりで行動することになります。どうかそれは了承願います」
「ちょ、ちょっと亜貴!? わたくしを置いてそんな男と一日行動を共にするというの!? そんなことを許せるわけが……!」
「まさかお嬢様、あなたはワタシが異性の方と仲良くすることを阻害しようというのですか。そのようなことをするなどと、ワタシはそんなお嬢様の親友であることが悲しいです、ヨヨヨ」
嘘泣きの部分が嘘だとでかでかと宣伝しているような、淡々としている三里さんの口調にオレは呆れた表情を向けるしかないのだが、オレよりも付き合いは長いであろう琉院はなぜかオロオロと騙されているようだった。なんでだ。
涙も溜まっていないのに目元を拭った三里さんは、さらに追撃をかける。
「しかしお嬢様、そのような心配は無用にございます。何故ならワタシは一目見たときからこの方に心奪われているのですから!」
珍しく声を張り上げた三里さんが、オレの右腕に力強く抱きついてきた。鼻先に感じられる三里さんのどこか素朴ながらもすっきりとした匂い、袖の短い夏服から伸びる腕に、服越しに伝わる三里さんの身体の感触。話の流れ的に、自分たちなら大丈夫ですよというアピールがしたかったのだろうが、これは役得という感情を抱かざるを得ない。
……しかし抱きつかれた瞬間に、触れている右腕以外が風が吹いただけで肌にビリビリくるほどの怒気に晒されていて正直痛い。その怒りの持ち主は多分目の前のお嬢様なんだろうなぁ、という風に他人事のように装いたくなる。
「それでは遠原さま、そろそろ行きましょう。時間も惜しいので」
そんな強烈な気迫もなんのその、というようにまるで堪えていない風の三里さんにまたも引っ張られて歩きはじめる。琉院の横は意外にも素通りすることができた。後ろからまだオーラ的なものは感じられるが。
ある程度進んだところで三里さんは「そういえば」と後ろを振り返った。
「お嬢様。やっても確実にバレるというのは分かっていると思いますが、一応忠告しておきます。もしも後をつけようものなら……ワタシとお嬢様の仲もこれまでとなりますので、そのあたりは理解しておいてくださいませ」
……後ろの琉院の顔は見ていないけれど、きっと苦渋にまみれたような表情をしているのだろうなぁ、と想像する。後ろからは宣言するように張り上げた声が聞こえた。
「……月曜日を楽しみにしていなさい、遠原櫟!! あなたは絶対にこのわたくしが打ち倒して差し上げますわ!!」
琉院はそう言ってから「ふん」と鼻を鳴らしてオレたちの前を走ってどこかへと行ってしまった。改めて勝利宣言をさせるほど逆鱗に触れたらしいが、本当に大丈夫なのかと三里さんのほうを見た。彼女はいつもどおり何食わぬ顔で、こちらの意図を察したように話し始める。
「多分大丈夫ですよ。あれで結構忘れっぽかったりするのがお嬢様のいいところであり、悪いところでもあるのです。決闘の前にちゃんと誤解を解ければなんとかなりましょう」
「……ところで琉院の誕生日っていつです?」
「次の月曜ですね」
「……ほぼネタばらしできないじゃないですか、それ」
決闘と誕生パーティーを同日にこなすとか、どんな事態だよ。そりゃあサプライズ重視なだけあってあまり琉院には自身の誕生日に関心を抱かせていないのかもしれないが、それでもまかり間違って自分が勝っちゃったらパーティーの空気が最悪になりかねないとか、もしかしなくても負けを強要されてるんじゃないか、これ。ちょっと聞いてみるか?
「あの、三里さん。琉院との戦いでもしもオレが勝ってしまったらどうします?」
「ご冗談を。そのようなことはありえません……と言いたいですが、仮定でもしもそのような事態になったとしたら……」
「したら……?」
沈黙。それでも十分に恐ろしいのか、というように察して生唾を飲んだ。もっともそれは、体にまとわりつく琉院の気迫が無くなって、右腕に未だに抱きついて歩いてる三里さんに対する緊張が100%になっているからというのもあるが。
「…………まぁ、遠原さまも空気ぐらいは読めるでしょうから、多分そうはなりませんよ、おそらく」
「どういう事態かは教えてくれないんですか……」
ま、まぁ言葉にするのもはばかられるような事になるのだろう。それが分かっただけでもよしとしよう。要は勝たなきゃいいのだ。もしくは気分をなんとか昂ぶらせた状態にしたまま勝てれば、命まではきっと取られまい。
「ところで遠原さま」
「ん、改まってなんですか、三里さん?」
「こうして逢い引きという形であるからには、何かワタシに買い与えるのが義務かと思いますが」
「ハッハッハ、なんでもかんでもオレがイエスと言うと思うなよ?」
……やっぱりこの人は自由にさせておくと禄なことにならないらしい。
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「……これはまた、意外な所に来ましたね、三里さん」
てっきりその手の専門的な大型スーパーや市場に行くのかと思ったが、ここは地元の商店街だ。実際は中央に大きな噴水があったりと、ちょっと特殊なので商店街と言っていいものなのかはわからないが。つい最近、なんかチャラついた男を殴りとばしたのがこのあたりだったか。
残念なことにすでに右腕から離れて横を歩いている三里さんはこちらを見ずに言う。
「まずはこちらで細かいものを買ってから、まとめ買いができる少し遠くの市場まで車で行くことになっておりますので。遠原さまには特にそちらのほうでがんばっていただくことになるかと」
「なるほど……あ、ちょっと時間くれますか? 家に電話をしておかなきゃいけないんで」
かしこまりました、と三里さんはそれを了承してくれた。商店街の入り口付近の端に寄って、カバンから携帯電話を取り出して家にコールする。土曜日は樫羽の学校は休みなので、なにか用事がなければ家にいるはずだ。程なくして電話が繋がる。
『もしもし、遠原ですが』
「オレだ。樫羽、今大丈夫か?」
『ああ、兄さんですか。まだ帰ってこないので心配していたんですが、こうして電話をよこしたということは何かあったんですか?』
察しがいいな、と少し感心してしまう。こちらとしてもそのほうが話しやすいから助かるからいいのだが。
「ちょっと用事を頼まれてな。もしかしたら帰るのは夕方になるかもしれないんだが……」
『構いませんよ。とりあえず、できるだけ早く帰ってきてくれさえすればいいですから』
察しもよければ理解もいいとは、本当によくできた妹である。それじゃあ昼食は自由にしてくれ、と電話を切ろうとすると、待ったの声がかかる。
『問題なければでいいんですが……なにをするのか聞かせてはくれませんか?』
「ああ。ちょっと遠くまで買い物に付き合えって――あれ?」
――一瞬、顔の近くを風のように素早い何かが通り抜けたかと思えば、手から携帯電話の感触が無くなり、直接目で見てもやはり無い。いったいどういうことだと周囲を見回していると、横の三里さんを見て目が止まった。なぜか彼女の手にはオレの携帯電話が握られており、しかも電話の向こうの人と話している様子が見て取れる。
「……もしもし、ただいまお電話変わりました、三里亜貴と申します、はじめまして。突然出てきてしまい、まことにすみません……あ、遠原さまに依頼をしたのはワタシでして……」
無論、その電話の向こうにいるのは樫羽だろう。別に話すこと自体は問題ないし、今回の買い物のことを代わりに伝えておいてくれるなら助かるのだが、三里さんだと任せることが不安になってしまうのだ。しかし三里さんと同じように電話を奪い取れば樫羽も不審を覚えるだろうし、今できるのは何事も起こらないように祈るということだけ。
「はい、ちゃんと今日中で終わりになります。御礼は後日になりますが……口調を変えてほしい、ですか? 申し訳ありませんがこれは身に染み付いていてしまっていて……」
今のところは問題ないような、当たりさわりのない会話が続いている。樫羽のほうがどういう反応をしているのかはわからないが、応答をしている三里さんの様子を見るにそこまで騒ぎ立ててはいないだろう。とりあえずこれならば安心していられるかと、軽く緩みそうになった顔を隠すためにも視点を三里さんから道を行き交う人に向け――
「……ん、遠原さま……こんな、人前でそのようなところを……んっ、触っては……あぁっ」
「なんか注目を集めてるんで、そういう紛らわしい演技はしないでくれません!?」
顔を道に向けようとしたところで艶かしい声が聞こえたので、安心した気持ちはすぐに切り離して即座に声の主である三里さんの手から携帯を奪い取る。残念そうな顔をしていた三里さんにまた奪われないように注意しつつ、携帯を耳に当てる。電話の向こうは無音だった。
「……あー、樫羽? 今のはだな……」
『……大、丈夫、ですよ? ええ、兄さんは人前でそんな行為に及ぶ度胸なんて、微ッッ塵も無いと思ってますから。じゃあ、できるだけ、早く帰ってきてくださいね、兄さん? それでは』
若干何かを抑えてるような上ずった声でそう言った後、無常にも電話は切られてしまった。ツー、ツー、という電子音だけが耳に入り、ちゃんと説明しきれてない空しさと、妹にまさかの度胸が無い認定を食らった悲しさが加速していく。肩が落ちるのを感じつつ、この元凶である三里さんの方を見た。
「遠原さま、何やらワタシへの視線がやけに冷たいように感じられるのですが」
「当然でしょう……ああもう、家に帰ったらどう説明すれば……」
さっきは電話という場だったからすぐに解放されたけど、家に戻った後でどれだけ追求されることになるんだろうか。考えただけでため息がでる。
「まぁまぁ、そう落ち込まずにどこかでお昼でも食べて元気を取り戻しましょう」
「……そういえば今はそんな時間でしたね。それじゃあせめて、何を食べるかはオレに決めさせてもらえます? 三里さんがイヤかどうかは確認しますから」
今が昼時であると把握したら、途端に空腹を実感してしまった。体中から力が抜けていくような感覚があるのは決して腹が減っているからだけではないが、それでもうまい食事は気分を回復させる。更に、それをより効率よくできる方法も、オレは分かっているつもりだ。
オレが行こうとしている場所は確か近い所にあったはず。そこまで向かおうと三里さんに伝えようとしていると、なぜか目が皿になりそうなほどに彼女はこちらを見つめていた。
「……あの、なにか? やっぱりオレには任せられないとか?」
「いえ、そういうことではなく、ただの疑問なのですが……なぜ遠原さまはお嬢様は呼び捨てなのに、ワタシには「さん」と付けて呼ぶのですか?」
三里さんの質問に、自分もそういえばなぜかそうしていることに気付いた。
しかし、三里さんとそう呼ぶ理由は、なんとなく想像がついていた。
「……うーん、きっとあれですよ、琉院は呼び捨てにしてもいいかってくらいには何も抱いてなくて、三里さんはなんというか、呼び捨てにしづらいんですよね。多分同い年ですけど、少しオレより大人に見えるというか……」
要するに、琉院には敬意も何も無いどころか僅かな敵意さえあるが、三里さんはどこか慣れ慣れしくするのが難しい、という話だ。
三里さんにそれが伝わっているかどうかは分からないが、どこか納得したような顔で、
「……そういうことでございましたか」
と言っていたので、特に深く説明することも無いだろう。
「それで、遠原さまはこれからどうするおつもりで?」
三里さんも特に聞く気はなかったのか、別の疑問をぶつけてきた。それには軽く笑顔を作って答える。
「行けば分かると思いますけど……まぁ、平たく言えば――外食ですよ」
ここ、白崎町の商店街は、一言で言えば十字型にできている。噴水を中心として、そこから北側には生活雑貨を扱う店、東西は食材を扱う店、南にはその他諸々が多いという感じだ。ちょうどこの十字商店街の場所から10分ほど西側に行ったあたりのところに深根魔術高校があるので、こちらを通って帰る同級生が買い食いをしていく姿を見ることも多い。ちなみに10分もあれば西から東へ通り抜けることは可能だ。朝から通ることができたら楽なのだが、残念なことに入り口が開かれるのは九時頃なので通勤や通学時は迂回路を通ることを強いられていたりする。
そして今、オレと三里さんがいるのは中央の噴水のところだ。二人して噴水の縁に座って、オレは持っていた袋を漁る。その袋には有名なファストフードショップのロゴが刻まれていて、中に入っているのは二人分のハンバーガーのセットだ。
夏の日差しは強いが、後ろで噴き出している水によって清涼感を得ることができるのが幸いだった。
「それじゃあさっそく、いただきましょうか、三里さん」
「はい、そういたしましょう」
二人して手に取ったハンバーガーの包みを開けていく。半分ほどの姿を現したそれに、どちらともなく、いただきますと言った。
やはり一口目はまず口を大きく開けてかぶりつくべきだろう。ハンバーガーに顔を近づけると香ばしい香りが鼻に入り込んだ。そして今度は口に、その香りを出していたハンバーガーの三分の一ほどが入る。肉とパンが、ソースの味を染み込ませた状態から噛む度に口の中にうま味を広げていく。それを堪能しきって飲み込んだあとも、その味は口の中に残り続けて、二口目へと誘っていく。
安っぽいと言われるような濃い味は、自分の好むところでもあった。だが以前、樫羽に食べさせてみたところあまり好みではないといわれたので、あまり女の子には受けがよくないのかと思っていたのだ。
だから三里さんにも一応、こういうものでもいいかということは聞いた。この人も琉院の家に仕えているのならそれなりにいいものを食べさせてもらっているのだろうし、こんな場末のジャンクフードでいいのかとも思ったが、眉一つ動かさずに彼女は大丈夫と言った。なので特に気にせずここまで来たのだが。
(本当に問題ないのかな……?)
三里さんのほうに少しだけ視線をずらしてみた。ゆっくりと少しずつハンバーガーを食べ進めているその表情はいつも通り、怜悧なものだ。おかげで好みの味なのか、味わって食べているのかは読み取れない。
「……? なにか?」
見つめすぎていたか、三里さんが怪訝な顔を向けた。どうしたのか分からない、というキョトンとした表情と向かい合っていると、誤魔化そうとする気はどこかへと消えていく。
「えと、やっぱりハンバーガーはダメだったかな……なんて……ははは」
言葉が後になっていくほどボリュームが小さくなっていくのは、もし不味いと思われていたらどうしようかという不安のせいだ。それをどうにか悟られないよう、最後に作り笑いを浮かべてみたが、実際のところはどうなんだろうか。三里さんは自分のハンバーガーをジッと見つめていた。
「……ダメ、ではないと思います。ただこの何年かは食べてないような――素朴な感じがしました」
「素朴、ですか?」
「はい」
初めて聞く感想、想定外の言葉だった。素朴、と評されたハンバーガーはオレも三里さんも同じものを頼んでいたのだが、オレにはあまり素朴というようなところを感じられなかった。自分の鈍さがそれを捉えられなかったのか、三里さんの感性が独特なのか。どちらにせよ、そう思ったのならば聞くしかない。
「……三里さんはそれの、どこが素朴だって感じました?」
彼女はまた、ハンバーガーを眺める。今度は長考、感じたことをまとめるのには時間がかかるのだろう。その間も手に持ったハンバーガーには口を付けずに待つ。
風が吹いて、三里さんが口を開く。
喋るのではなく、もう一度手の中の素朴と評した味に触れるために。咀嚼をもって、感じたイメージを明確にする。
飲み込んだ。それが見て分かった一瞬ののち、三里さんがこちらを見る。
「……やはり素朴であるとワタシは思います。パンも肉もソースも、そのどれもお嬢様に仕えはじめてからはほとんど食べないような安っぽさ。ですが――ワタシには、そこになにか懐かしさを感じてしまうのです。朧気で、陽炎のようにはっきりとはしないものですが、ワタシの感想に一番近い言葉はやはり素朴だと、確信します」
……確信、かぁ。そこまではっきり言われると確かなんだろうなと苦笑しつつも納得してしまう。否定するような必要もない。
だが――今の彼女を見ていると笑いがこぼれてしまう。三里さんから顔を逸らして必死に笑い声を隠そうとした。
「……どうかなさいましたか、遠原さま?」
どこか怒りを孕んでいるような語気の強さに、もう一度三里さんの方を向いた。彼女の顔を見る。どこかムッとしていて、それで――
「――ふふふ。み、三里さん。口元にソース付いてますよ?」
口の周りに、トマトの鮮やかと言えるほどの赤に似た色のソースがついていた。その状態であまりにも真面目に語るのだ。失礼だとも考えたが、笑いたいときに笑ってはいけないという訓練を積んでなかったのであえなく理性の防衛線は決壊。口元から小さな笑いとなって吹きだした。
そのことを教えられた三里さんは少しの間動きが止まったかと思えば、すぐにこちらから顔を背ける。今頃口元にケチャップがついていたのか分からないぐらい顔を赤くしたりしてるのだろうか。とりあえず笑っているばかりにもいかないので、袋の中からそれを拭くための紙を取り出して渡す。
「……かたじけないですね」
こちらに顔を向けず、それを受け取った三里さんは口元に紙を当てて拭いた。やがて、もう一度こっちを向いたときは何もついていない状態だ。向かい合っていても、笑い出すようなところは何もない。
「遠原さまはもう少し早くワタシに教えるべきだっただろうと思うのですが。粗相をしたまま「どや顔」で語るような辱めを受けるなど、なんとも恥です」
「どや顔とはまた俗っぽいことを……というかそんな得意げな顔じゃなかったですよ。むしろ本当に感じたことだけをそのまま伝えてくれて、ひたむきとか真剣ってふうに思いましたよ」
「それならいいのですが」
それから先は、お互いに黙々と食事を続けた。オレは何もしゃべらない中で、三里さんの言っていた素朴さというのを感じようとしてみた。舌先の意識を集中しながら、ハンバーガーを咀嚼。そうしている内に最後の一口になって、そしてそれを口の中に放り込むように入れる。最後だというのに、結局それまでに三里さんと同じような感覚は、結局味わえずじまいだった。
袋の中に残っているのは、フライドポテト(L)とコーラにウーロン茶、そしてチーズバーガーが二つある。次にいくかと袋の中のチーズバーガーに手を伸ばすと、電話が鳴った。それは横からのものだ。
「失礼します。どうやらお嬢様からのようですね」
三里さんが携帯電話を取り出して確認したところ、どうも相手は琉院らしい。ついていく事ができないから電話で止めにきたのか。まぁ、なんと言われようと止めるわけにもいかないのだが。とりあえず横の三里さんの様子でも眺めて待つとするか。
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『……なんですかお嬢様。ちょうどいいタイミングだったというのに』
……よかった、電話には出てくれたみたい。亜貴が校門で後をつけるようならわたくし達の仲もこれまでと言われたからどうにかあとをつけるのは抑えましたが、やはり気になってしまいますわ。あの慇懃な男と亜貴が特別な関係だなんて、何かの間違いのはずです。今すぐ帰ってくるようならば、ただの悪戯であったことも明白になりましょう。ふふっ、我ながらなんとスマートな作戦! おっと落ち着いて取り掛からねば、成功するものも成功しませんわね。
「亜貴? やっぱり遠原なんかと出かけるのは……」
『くどいですよお嬢様。今は二人きりで休んでいるのだから放っておいてください。ワタシは早くこの熱く火照った体をどうにかしてしまいたいのです』
くっ、なんときっぱりとした拒絶。まさか本当にあの男と……あら、そういえば軽く引っかかりを覚えるような箇所が今の言葉にあったような。えっと、二人きりで休む、熱く火照った体をどうにか――
……これは流石に止めなきゃいけないような予感が。
「……待ちなさい、その言葉は軽く不純異性交遊の臭いがするわ。あなた達は学校から出て行ってすぐの昼間からなにをやっているの!?」
『嫌ですねお嬢様。もう少し淑女らしく声を小さく……あ、遠原さま、申し訳ありませんが奥のほうに……そのまま突っこんでいいと思いますよ、少しグチャグチャになろうとも構いませんし』
電話越しの亜貴の発言に戦慄する。なんという破廉恥な、電話で実況なんてあの二人、こんな時になんということを……というか、普通は電話の最中に続けるものではないでしょうに!
「で、電話中にまでなんてことを! もう少し貞淑をわきまえるべきはあなたなのではなくて!?」
『……しかし遠原さま、かなりとろっと……あ、すみませんお嬢様、もう一度、ワンモアでお願いします、聞いてなかったので』
「え、もうそこまで進んでますの!? まさかわたくし最悪のタイミングで呼び出してしまった!?」
『お嬢様、そんなに騒がしくされるようなら切りますよ? あ、少し待ってください、あまり飲む音は聞かれたくないのでちょっと電話から離れ……』
「飲むという報告をしたところから恥ずかしがりなさい! というかそんなものを飲んではいけません!! お腹を壊しますわよ!?」
『え、そうなのですか。遠原さま、これって飲むと腹痛になったりするのですか?』
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電話に興じていた三里さんは突然こっちに質問を飛ばしてきた。眺めながらチーズバーガーを食べていたオレは急なことに反応が遅れかけたが、飛んできた質問を頭の中で反芻して理解する。これ、というのは電話と反対の手に持っているウーロン茶だろう。なぜそんな質問をしてきたのか、それは分からないがそれで腹を壊すことはないはずだ。
「いやいや、そんなわけないじゃないですか。普通に飲んじゃえば……あ、でもちゃんとストロー使って少しずつ飲んだほうがいいかな? 流石に一気飲みしたらまずいかもしれないし」
もしかしたらストローのことを知らないかもしれないという可能性に思い至り、ギリギリのところでそのことを付け足した。危ない危ない、三里さんが家に帰ってきたら腹痛になっていたなんてことになっていたら月曜にさらにボコボコになるところだった。ファインプレイだなオレ、と自分で自分を褒め称えてニヤつきそうになる顔を抑えて、もう一度経過を見守ることにした。
++++++++++++++++++++
『お嬢様、別に飲んでもなんともないそうですよ? あ、でもストローを使ったほうがいいと遠原さまには言われましたのでストローで飲みますね』
「ストローを通して飲めとか最低ですわねあの男!! というか亜貴、変態の口車に乗せられないでちょうだい! あなたには汚れのないままでいてほしいの!!」
なんというド変態でしょう。普通に警察に突き出したら月曜日になる前に勝てる気がします。もちろん、そんな形で決着をつける前にわたくしの手でボコボコにしてあげますが。
『……お嬢様……』
「亜貴……! わかってく――!!」
『――もう飲みましたけど?』
「イヤァァァァァー!!」
まさか、手遅れになるなんて……くっ、それもこれも遠原櫟が悪いのですわ。あのような変態に亜貴を任せたがためにわたくしの親友が……!
『爽やかな苦味、というやつでしたよ』
「感想なんて言わないのはしたない!! というか、え、本当にストローで!? ストローからマウスにイン!?」
『しかし先ほどから遠原さまがこちらをニヤニヤと笑いそうなのを隠そうとしている顔で見ているのが気になりますね……』
「もう今すぐ110にコールしてもいいくらいの狼藉ですわねあの男。……ところで、亜貴? そんな男と一緒にいても碌なことにならないだろうから早く帰ってきなさい」
『あ、まだほとんど用事が終わってないので無理です。夕方まで待ってください、ちょっと遠くに行ってきますので』
「ほとんど!? 今までの行為が前哨戦とかどれだけ激しいことをやろうとしていますの!? 最早冒涜レベルの行為に及ぶ姿しか浮かびませんわ!!」
『それではお嬢様、これ以上はまた帰ってからお話して差し上げますので、電話はお控えくださいね』
「ちょ、ちょっと――!?」
そのまま行ってしまっては駄目、と言おうとしたところで亜貴が通話を切ってしまった。空しい電子音だけが耳に入ってわたくしの心の隙間を広げる。
「……覚悟なさい遠原櫟。あなたは絶対にわたくしが制裁してあげますわ……!!」
自分の部屋の中でわたくしは一人、天井を仰いで決意を新たに宣言した。
+++++++++++++++++++
「……ふぅ」
三里さんは電話を懐にしまって一息ついた。時折電話中にオレに話しかけたりしてきたけど、琉院は怒らなかったのだろうか。
「三里さん、琉院は何か言ってきたりしませんでしたか?」
「いえ、特にはなにも」
「そうですか」
ならいいか。案外あいつも心が広いやつなのだな、と思いながらオレは手に持ったチーズバーガーに舌鼓を打つ。この店で使われてるチーズはやけにトロトロとしていて評判だ。ハンバーグの中にもそれが入っていて評価が高い。三里さんもあまり見たことがないのか先ほど電話で応答しながら感嘆の声を上げていた。
その三里さんは今、ウーロン茶を飲んでいる。自分はもういいから、と袋の奥にあったチーズバーガーをオレにくれたので、適当にポテトを食べながらオレがチーズバーガーを食べきるのを待っている状況だ。
しかし途中でニヤつきを隠しているのがバレるとは、やはり三里さんはなかなか侮れない人だ。これからもできる限り気をつけておいたほうがいいかもしれない。
「遠原さま」
「……なんです?」
聞き返していると、彼女はこちらに顔を向けた。最初に比べてどこかすっきりしたような無表情で――
「セクハラって、最高でございますね」
そう、衝撃的な発言をしてくれた。天を仰いで思う。……さっきの電話で何があったんだか、誰か教えてくれ。