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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
初夏の来訪者
22/53

従者の一日従者(仮)

 本当に人生ってやつは、上手くまわらないものだと思う。帰ってきたら天木さんがリビングでイスに座って俯いたままなにやら呟いていたのだが、自分を目視してすぐに、おかえりなさいとだけ言って部屋へと戻っていってしまった。せっかく話す好機だったのにオレは何も言えないままで、後になってため息をつくほど後悔してしまう。チラッと聞こえたのが「まだ……難しい……」という言葉なのだが、何が難しいのやら。


 それはそれとして、今はもう日も沈みはじめ、夕焼けで外が赤く燃えている時間帯。このあたりから夏の一日は涼しくなっていくのだが、あまり何ができるというわけでもない。夜涼みに出るぐらいが関の山だろう。

 そんな取り留めもないことを考えながら、加熱したジャガイモの皮を剥いていく。手元を注視していたほうがいいのだろうが、これはやはり慣れという面もあるのだろうか。ぼんやりと考えながらでも(今のところは)怪我をしたりしていない。


 チラッと時計を見れば、もうすぐ六時をまわりそうなところだ。このままいくと時間がかかりそうなので、頭から雑念を振り払い目の前の作業に集中する。途中だった皮剥きの速度を上げ、剥けたジャガイモをボウルに入れる。調理器具を入れた引き出しからマッシャーを引っ張り出すとそれらを潰していった。今日の夕飯はコロッケにするつもりだ。

 これらの潰したジャガイモに混ぜるため、玉ねぎと牛ひき肉を炒める。火をかけて、油を引いたフライパンにその二つが乗ると、香ばしく焼ける音がキッチンを満たした。その音に心は躍る。胡椒をかけたり箸で転がしたりつつも、チャチャッと色が変わるまで炒めたそれを、潰したジャガイモにかけるようにして乗せる。

 手で直接混ぜこみ、たぶん均等に混ざったコロッケのタネをこれから小判型にする必要がある。それを始めようとしたときに、リビングのドアが開いた。そちらの方向を見ればそこにいたのは、エプロンを着けた樫羽だ。それを着けているときとなると、彼女が口を微かに開けて言おうとしていることは手に取るようにわかった。


「手伝いましょうか、兄さん?」

「――ああ、頼む」


 正直言って今はかなり助かるところだった。こういった成形作業はオレとしてもかなり苦手だ。キッチンに上がった樫羽は現在の状況を見て、少しだけ笑う。


「これは……どうもちょうどいい所に来れたようですね、わたしは」

「そうだな。だからさっさと手を洗って手伝ってくれるとありがたい」


 ええ、と笑った顔のまま頷いた樫羽は、手を丹念に水で洗って拭いてから横に立ち、オレと同じようにジャガイモを小判型にする作業を始めた。

 ……こうして並んで同じ作業をしていると、少しだけ横を見てしまうことがある。そこで目に入るのはがんばって作業をしてくれる樫羽の手だ。力を込めて、なお優しく。そんな力加減に近づけようと、がんばっている手。それは自分のものと見比べると繊細で、力強く握っては折れてしまいそうなほどか弱く見える。

 その視線に気づいたのか、樫羽の手が止まった。多分なんでこっちを見ていたのかわからないのだろう。少し不思議そうに樫羽は聞いてくる。


「? どうか……しましたか、兄さん」

「……いや、樫羽の手って、案外小さいなって思ってさ」

「え……?」


 いや、何をそんなに驚いてるんだよ。そう思ったが、真横を向いた時点で逆にこっちが驚いて、そんなことを言う気も失せた。

 ジーッと自分の手を見ている妹の姿がそこにあった。時に腕を捻って角度を変え、指先から手首、手の甲までを見定めるようにしている。鑑定でもやっているのかと言いたくなるが、眉をひそめながらも真剣そうに見ている姿は茶化していいものなのか悩む。

 仕方ないので、無難に声をかけることにした。


「……ど、どうした、樫羽?」


 それでようやく気づいたのか、樫羽はハッとした表情になり手を体で隠すようにしながらもこちらを見た。流石に今のようなボーッとした姿を見られていたのは恥ずかしいのか、顔が紅い。


「に、兄さんはこんなときに何を言ってるんですか、まったく。人のて、手を見るよりも先に自分のやることを進めてください」

「お、おう。悪かったな」


 顔をそらしつつも口を尖らせて樫羽は言う。確かに手先が少し疎かになっていたし、それには一理ある。とりあえず、もう一度ジャガイモを小判型にする作業に集中することにした。

 今度は淡々と作業は進んでいった。横を見ることもせず、ただただ時計の音、蛇口から時折水が垂れる音だけを聞きながら、手のひらでジャガイモの形をひたすらに整える。

 残りは数個、というところだろうか。もともと明日の昼にも出そうかと思っていたので今日は食べ切れなくても問題はない。全員の食欲が絶好調まで上がっていれば食べきれる可能性もあるが、まぁ期待はしない。

 そうこうしている内にすべて形を整える作業は終わった。あとは油、それと2つのバットの中に卵の黄身とパン粉をそれぞれ用意して、仕上げの段階に取り掛かる。樫羽はやったことがないのでここからは見学だ。


 成形したジャガイモのタネを手に取る。まずは卵に両面を浸し、そのまま間髪入れずにパン粉の入ったバットの中へ。これも両面、側面にきちんとパン粉をつけてそこに置いておく。そしてもう一度、今度は別のタネを卵に浸し……というような作業を続けていると、後ろで見ていた樫羽が声を漏らすように出した。


「……すごいですね。わたしにはまだそんなに速く作業をできそうにありません」

「いや、できるようになってもらわないと困るな。もしもオレが家に居ない場合でも料理は作れないと」

「そうですね。でも兄さんには、早めに帰ってきてもらえないと困りますよ?」

「大丈夫だ、あまり遅くならないようにはするからさ」


 そんな言い合いをすると、二人して苦笑した。なにか重い事態でもない限りはさっさと帰ってくるというのは、昔した口約束みたいなものだ。しかしそれをオレは守って、樫羽もオレが守らねば怒るくらい、もはや家のルールみたいなものとなっている。

 それを思いつつも手は休めず、タネに後に狐色になる予定の白い衣を纏わせる作業を続行する。それが終われば後はもう揚げるだけだ。


「……でも」

「ん?」


 樫羽は声のトーンを唐突に落とした。チラッと顔を見れば、それはどこか愁いを帯びつつも口元は緩んだ、そんな不思議な表情だった。


「兄さんをそんなに昔の約束で縛り続けるのは……少々、心苦しいです」

「……なぁに言ってんだ、オレがただただ縛られてるなんて訳がないだろ?」


 全てのタネにパン粉をまとわせる作業が終わった。油の入った鍋に火をかける。小気味よい音が立つのを待ちながら、オレは続ける。


「できればずっと一緒に居れたらってのは、オレも思うけどな。それって結局、まだお互いに大事な人が家族だからみたいなもんだろ。もしかしたらこの先、一番大事にするような人と出会ったりするかもしれないし、その時には全部投げ打っちゃうかもしれない。父さんだって、帰ってこないのはきっと母さんが大切だからだろうし」


 鍋から油が弾けるような軽い音が聞こえてくる。そこにタネを入れた。激しくならないように、ゆっくりと。油に浸った瞬間に、弾ける音は快音のように心地よく響くほど大きなものになる。もっとも、火をちゃんと見ていなければいけないので気が抜けないのはここからなのだが。


「だからさ、オレもお前も、多分いつかは恋とか友情とか、そういうので妹離れとか兄離れとかすると思うんだよな。勿論、お前が自立できるようになるまではオレも一緒にいるつもりだけどさ。けど……いつまでも約束は守れないと思う」


 菜箸で徐々に色を変えていくコロッケを動かすのを眺めながら、オレは樫羽に言った。いつか来る、そう遠くないと思える未来の話。樫羽とこうして暮らしていける日は、もしかしたらそこまで多くないのかもしれないと、ふと思ってしまった。


「……その……兄、さん。手、出してくれませんか? 左手……」

「え?」

「その、できれば早く」


 いきなりのお願いに少し面食らってしまったが、わかった、と左腕を軽く伸ばして、手を樫羽の前に立てた状態で出した。樫羽はそれを確認すると、その手に自分の右手を、そっと合わせた。

 さっき見ていた時に感じたものが、より近くにあることで更に強く感じられる。小さくて、か細くて、手折ることが容易にできそうな細腕。今は自分の手と繋がっているからか、どうしても瞭然としている差を比較してしまう。だけど今はもう一つ、その手の暖かさが直接手のひらから伝わってきていた。見ているだけでは伝わらない、触れなければ絶対にわからないもの。

 樫羽は触れ合っている手を見て、どこかボウッとしたような気の抜けた顔で呟く。


「……本当に、大きい」

「そりゃあ、基本的には男のほうが手がでかいもんだからな。で、もういいか?」


 妹はあ、と一瞬だけ口惜しそうな声を漏らしかけて、口をつぐむ。少しだけ目を伏せた後で、樫羽は「……はい、すみませんでした、急に」と謝りつつ自分の手を遠ざけた。

 もう一度コロッケのほうに注意を戻す。温度がだいぶ上がっているような、強く激しい油の動きをしていた。火を弱火にまで落としてとりあえず応急処置とする。


「……その、兄さん」

「ん? 今度はなんだ?」


 目をコロッケから離さずに、聞き返す。ちょうどいい揚げ色になったそれを、箸でそれぞれの皿に持っていく。樫羽はそれが終わるのを待っていた。

 やがて、最初に揚げたものは全部、三つの皿に盛られた。最初の内に用意しておいた千切りのキャベツを、盛り上がった塚のようにしてコロッケの横に置く。

 樫羽が、ようやく動いた。


「……わたしは、兄さんとの約束は守りますよ? 絶対に……」

「……約束?」


 それはいったいなんだったか、と考えようとしたら、樫羽はそれを止めた。


「いいんですよ、兄さんは覚えが無くとも。それじゃあわたしは、天木さんを呼んできますから。兄さんはテーブルに運んでおいてください、お皿とか」


 そう言って樫羽は、走ってリビングを出て行った。約束とは、いったいどんなものだっただろう。昔の記憶を掘り起こしても、そんなのは「できれば早く帰る」ということしか出てこない。

 両手に皿を持って歩く途中も、考えてはいる。それでも頭に出てくるのは、幼い日の樫羽とオレの記憶までだった。


 ++++++++++++++++++++


「……あんたはどれだけヒマなんだい? なぁ、遠原?」

「常にですが? あ、その罵倒しているような目を向けるのやめてくれませんか、人もいますし」

「帰って勉強でもしてろ、この生涯暇人が!」

「口で直接言えって意味じゃないんですが!?」


 今日も今日とて暇を潰すべく校長室にやって来たのだが、入るや否や一生を暇に過ごすという最悪の呪言をぶつけられ、早々に気分は下り坂を転げ落ちていく。

 そんなわけで土曜の授業を終えてここに来たのだが、しかしそこには意外な人物も一人いた。


「……噂をすれば、というやつでしょうか。それはともかく一日振りですね、遠原さま」

「あ、はい、こんにちは、三里さん」


 お互いに軽く会釈をして挨拶。軽く引き気味なのは、彼女が授業はさっき終わったばかりだというのに制服ではなくメイド服を身に着けていたからだ。白のエプロンドレスに黒のメイド服はよく映えて、ヘッドドレスを着けた姿は三里さんの立ち振る舞いや雰囲気から、西洋風の人形、といった感じだ。琉院にお嬢様、と言っていたし多分あいつがこの人の主なのだろう。少し羨ましいところだ。

 しかし今日はなぜかその琉院はおらず、ここに居るのは三里さん一人だった。なぜかは気になるが、それよりも今は三里さんの言ったことに気をとられる。


「あの、噂をすればってまさか、こんなところでオレに関してなにか色々と……?」

「いや、特には何も。ちょっと三里に頼まれ事をされててね」

「ああなんだ、そういうことですか」


 ホッと胸を撫で下ろす。なにか悪いこととか言われていないだけマシだ。思い出せば海山さんのせいでちょっとだけ天木さんとの関係も悪くなったりしたし、油断してはいけない。


「そうだよ。ちょっと――荷物持ちを一人紹介してほしいっていう」


「油断できない事態が来るのが早いっ!」


 なんていう急襲だ。後ろを振り返ってこの場から撤退するために駆け出そうとする――足を前に出したその時、右腕に何かが二つまとわりついた。恐る恐る振り返ってみれば、そこにいたのは右腕を抱くようにして引き止めている三里さんだ。グイィ、と引っ張る力はそこまで大きくないが、ジッと顔を見ている三里さんの無表情ながらあどけなさを感じる顔つきが、振りほどこうという気を鈍らせる。


「やれ三里! さっき言ったとおりに!!」

「はい、海山さま」


 平坦な声で、身を乗り出すほど激しい海山さんの命令に従った三里さんはおもむろに力を込めて、オレの腕を自分のほうへと引っ張る。

 ……さっきとは比べ物にならないほどのパワーで。みしり、と肘の近くから音が鳴る。


「――いだだだだだだだ!! 待った三里さんそれ以上やると折れる折れます、やめてぇ!」

「ではこの後、少々ワタシに付き合っていただきますが」


 右腕が悲鳴を上げそうになるほどの痛みを与えながら、平坦な声で要求を告げる三里さんはなかなかに剛毅なのかもしれない。とにかく脱出できそうな光明があるならば、それに乗るしかない。


「わ、分かりました! とりあえずこのまま折れると荷物も何も持てなくなるんで離してください!」

「おっと失礼しました」


 だらん、と右腕が力なく落ちる。腕の動きは慌てて離したように見えても、やはり慌ててなどいないように見える無表情のこの人はいったい何を吹き込まれたというのだろう。あそこで人を食ったような笑いをしている高齢者はどうも最近はオレを弄ろうとでも考えているらしい。最早敵といっても過言ではない。

 ……しかし。


「ひとまずお座りください。そこでお話を……? どうかなさいましたか? 口元がにやけて……」

「あ、いやなんでもないですよ。まぁ、ちょっといいことがあったかなって」

「……?」


 キョトンとしている三里さんを尻目に、痛みの中で少しだけ味わった幸福感を思い出す。三里さんには気付かれていないようでなによりだ。

 そりゃあ思いっきり自分の方に引っ張るもんだから、右腕には三里さんの腕以外にも柔らかいものが当たり……と、いかんいかん、セクハラはあまり他人にするものではないな。


「察してやってくれ、三里。遠原は多少変態なんだ」


 また余計なことを、と海山さんの嘘発言に呆れていると、三里さんはこれまで見た中で一番慌てたような表情を見せた。信じたくはないが、まさか海山さんの嘘を信じてしまったのだろうか。


「…………あの、遠原さま」

「……なんです?」


 少し引いているような三里さんの様子に、オレは「ああ、さっきの胸部接触に気付いちゃったかな」というような予想を立てた。レートは二倍ぐらいだろう。

 そして、たっぷりと間を置いてから、三里さんは尋ねた。


「…………痛みが足りないというのなら、今からでも再開しますが」

「ごめんなさい、さっさと話を始めましょうか三里さん」


 被虐趣味のドM野郎という扱いを受けるぐらいなら、もう一度腕に胸が当たる誘惑に負けたくはなかった。それだけだ。


「……それで、なんでオレを?」


 部屋の中央のテーブルを挟み、対面型のソファに座ってオレと向かい合っている三里さんに、誰もがまず抱くだろう疑問をぶつけてみた。三里さんはさっきのような慌て様(恐らく冗談だと思うが)は無くし、表情を一切動かさずに淡々とした口調で説明を始める。


「一言で言えば、遠原さまには買い物に付き合っていただきたいのです。お嬢様には内密で、できれば早いうちに済ませておきたいものでして」

「いや、荷物持ちだってところから買い物ってのは分かってましたが……琉院には秘密なんですか、これ」


 腑に落ちない、というかあまり想像していなかったことだ。この人はこれから何かをするときには何事も琉院に報告してからやりそうだと感じていたのだが。

 オレの質問に三里さんは少々躊躇ったように見えたが、


「……まぁ、別に話してもいいことですね、多分」


 と、答えても問題ないと判断していた……多分、というのはひっかかったが。


「お嬢様に話さない理由は簡単です。今日買いにいくのが、お嬢様の誕生日にお祝いをするための食材等だからですよ」

「ああ、なるほど」


 それはできる限りサプライズ、というかできれば隠して進めていきたいはずだ。主賓も準備しているところを見つけてしまっては、当日の盛り上がりも悪いだろう。


「大量に食材を買い込んでいるところとか、見つかっただけでも不自然に見られますしね」

「ええ。それにワタシだけでは重いのでできれば一人運び役にと、だめもとで海山さまに紹介してもらおうと思いまして相談したのですが」

「それで白羽の矢がオレに立ったわけですか……」


 なんというか、確かに海山さんが紹介できる男というとオレか葉一か、もしくは成績が上位の誰かとかになるだろうがそれにしてもその面子で自分を選んだのはなぜだろうか。海山さんの方を見てみればなにやら書類仕事に集中していたようで、視線に気づくと「あ?」とこちらを見た。話の内容も聞いていたようでオレが何を考えているのか、すぐにわかったらしい。


「あー、遠原を推薦した理由は、手頃だし御しやすいし、なにより呼ぼうと思えば電話一本で呼べたからだ。以上!」


 海山さんはそれだけ言って、書類仕事へ戻っていった。「あ?」とか言いたいのはこちらであると言いたくなるほどどうでもいい理由に、さめざめしく泣きたくなってくる。


「それを聞いてチェンジで、と言おうとした矢先に遠原さまが入ってきたわけです。おかげで断ることもできずにこちらは半ば強制的に遠原さまを連れて行くはめになったわけですよ。実にいい迷惑です」

「あ、えっと、それは……すみませんでした……」


 ここにきてなぜか三里さんに怒られるオレ。本当はオレ以外を選ぼうとしていたのに、その場に入ってきてしまったばっかりに一択になってしまっただなんて申し訳なさ過ぎる。ここは黙ってこの場を退出するしか――


「ああ、今のは冗談ですので。本気にはなさらないでくれるとありがたいです」


「分かりづらいからそういうのはやめてぇ!」

 確かに棒読みだったけど、普段からそれだと本気なのか冗談なのか判断もつかないじゃないか。なんだか今日は愉快犯が一人増えてるんじゃないかと思う。対象はともに自分なので苦労が単純に二倍だ。考えただけでもハァ、とため息が出た。


「遠原さま、ため息はあまりされないほうがよいかと。知り合いの神父もやめておいたほうがいいと言っておりました」

「いやうん誰のせいだって言いたくなるんですけどねその物言い。というか知り合いに神父なんているんですか……」

「いえ、あくまでそれらしいのですね。それはとにかくとして、ワタシの頼み、聞いていただけますか?」


 軽く身を乗り出し、胸元に手を当てて三里さんは聞いてくる。じっと見てくる真剣な顔つきを見て、断る理由はない。すっと手を差し出す。


「もちろん手伝いますよ。こういう事なら、いくらでも歓迎です」


 三里さんはその手をジーッと見ていたが、オレの言葉を理解するとすぐに手を握って、軽く頭を下げてきた。心なしか表情がどこか暖かくなっている気がする。ちょうど握った手のひらから伝わる体温と同じように、ほのかなものだ。もっともそれを確かめる手段はないけど。


「ありがとうございます、遠原さま。では、できるだけ早いうちに行きましょう……あ、その前に」

「? なんです――」


 手が、みしり、とついさっきにも聞いたような音を立てた――そして再度走る、何かに圧迫されているような痛み。


「これは前払いのお礼というやつです。遠原さまは痛みを味わうことが趣味だと思いまして」

「いだだだだ! そ、それは本当に勘違いなんで勘弁してください! 荷物がマジで持てなくなりますから!」

「あ、そうでございましたね」


 またもパッ、と三里さんが手を離すことで、だらん、と手が下りる。このままいくとマジで手が折れるんじゃないかという予感があるが……まさか、それは無いだろうと信じたい。

 しかし、魔が差したというのだろうか、気になってそのまま放置をするわけにもいかなかった。


「あの、三里さんって握力とかはかったことあります? 差し支えなければ教えてください」

「……遠原さま、仮にも淑女にそのようなことを聞くのは失礼ではないでしょうか。デリカシーというか……」


 赤くなった顔を逸らして三里さんは恥ずかしがっているが、これってそんな失礼とかに当たる問題なのか……? まともな淑女と呼んでいい人がいないこの場ではわからないとしか言いようがない。


「ちなみにアタシは20kgだ、どうだ遠原」

「いや、そんな自慢げな顔されても普通ですねとしか」

「あ、ワタシはその3.5倍です」

「というか今は校長の握力なんてどうでもい――」


 ん? 今三里さんがこっそり3.5倍とか言っていたが……もしかしなくても海山さんの握力の、ってことか。えぇと、20の3.5倍っていうと――


「……70kg、ですか……」

「はっきり言わないでください遠原さま、ワタシにも一応恥ずかしいと思う心はあるのです」


 淑女とか言っておいて一応くらいしか羞恥心がないんかい、というツッコミは心の底にしまった。この人多分、いちいち突っ込んでいくと面倒になる人だ。

 しかし、目の前で無表情のまま顔をぶんぶん振っているこの人を見てると、やはりどうも、やり辛いというのが本音だ。理由はあるのだが、男の沽券に関わるものなので言及は避けさせてもらう。認めてしまうと負け、という一昔前のスラングではないが、はっきり言いたくないことというのは誰にでもあるものなのだ。


「……しかし、あれだな」


 いつのまにか書類から意識をこちらに戻していた海山さんは意味ありげに呟いた。なにかあるような深刻そうな顔だが、問題でもあるのだろうか。


「……うら若き男女が真昼間から二人で買い物……これをデートと言わずになんと言えばいいんだ?」


「普通に知り合いの誕生祝いの手伝いでいいと思います」


 ちょっと深刻そうな顔を見せたと思ったらこれである。またもため息を吐いてしまった。というか、この状況をデートとか勝手に言ってしまうのは失礼ではないだろうか。


「ホントすみませんね、三里さん。あんな発言させてしまって」

「いえ、構いませんよ遠原さま。ただ、初めてのエスコートはできる限り優しくしてほしいと……」

「乗り気にならなくていいです。というか――」

「さぁさ、遠原さま。そろそろワタシ達も出るとしましょう。これ以上この場にいても時間を無駄にするだけになりそうでございますから」


 急いで自分のすぐそばにまで寄ってきた三里さんが、オレの手を引っ張ってそのままドアに向かっていった。ロングスカートなのに引っ張っていく速度はやけに速く、体勢も整えてなかった自分は崩れながら何とかついていく。

 部屋から出る直前で何とか海山さんのいる後ろを振り向き――


「そ、それじゃあこれで! 失礼しました!」


 呆れ顔になっている海山さんにそれだけを言い残して、退出した。

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