姿勢は低く、手は地平、想うは謝罪
屋内から言うのもなんだけど、月の明かりというのは本当に暖かなものだとオレは思う。太陽のように熱を帯びた光という意味ではなく、浴びているだけでもどこか心を穏やかにすることができるからだ。やや自分の主観が入っているようにも聞こえる理由だが、それでも完全な間違いだとは思っていない。この部屋も月光がなければ今のように薄暗い蒼に照らされて、全体を見渡せるほどに明るくはなっていないまま暗闇に支配されていただろう。
しかし今の自分に見えるのは、ワックスがけされた床とそこについている両手だけである。それ以外に知覚できるのは、まだ放置されている防具から流れてくる臭いと床の冷たさ、そしてなんともわかりづらい、けれど怒ったりしているような激しい感情のこもっていない視線だった。
そう、ここは懐かしき数週間ぶりの武道部の部室。こうして地面に手と顔を近づけているのは、謝罪のため。
「…………お前ら、そんなところでなにをやってるんだ?」
目の前の那珂川那須野に、こうして土下座をするためだった。
なぜこうなったのかと言うと、先ほど葉一から電話があり「まだ那須野が帰ってこない。この前襲われたってのもあるし心配だから迎えにいきたいんだが、櫟も手伝ってくれねぇ?」と言っていたので、とりあえず以前のようにここにいるのではと葉一に教えて二人で来てみたら、鍵が開いていて、案の定那須野はここで槍の練習をしており、その姿を見ていると、彼女がこちらに気付いた時にはすぐに身体が土下座をしていた……というわけである。
最初から土下座を考えていたわけではなかったのだが、鬼気迫る動きに気圧されてしまったのだろうか。その真剣でひたむきな姿に今日グリッツさんから言われたことを思い出し、なんとも不義理な対応をしてしまった申し訳なさが勢いよく噴き出して、今の状態に脊髄反射のようにしてなってしまったのだ。お前ら、と言っていたからおそらく葉一も同じことをしているんだろうとわかる。長年の付き合いはダテじゃない。
とにかく、ただこのまま何も言わずに地面に手をついて突っ伏してるだけでいいわけがない。ここまでやったのならいっそ、最後までちゃんとやってしまうべきだ。顔を上げず、この姿勢のまま腹に力を込める。
「今日は、本当にすまなかった!!」
二人分の大音量が武道部室内に響いた。反響する声は耳をつんざくとまではいかなくとも、耳鳴りを起こすには十分なほどだった。
だからといって、オレたちが耳を塞いでいていいわけじゃない。聞き逃してはいけないのだ。オレたちの言葉を聴いた那須野が、どう返してくれるのか。許すのか許さないのかを聞く前から耳を閉ざしてしまっては、許されるものも許されないだろうから。
声の反響音がやがて収まっていき、静寂が帰ってくる。熱帯夜ということもあり汗がじわりと、頬から顎に伝って落ちた。
「……とりあえず顔を上げてくれないか? そのままだと、その、落ち着かない」
那須野の困ったような声に、オレはひとまず顔を上げた。那須野とは数mほどの距離が開いているが、それでも困っているような表情で顔の近くまで手を持ってきているのが見える。
もうちょっと険しい表情かと思っていたが、想像していたのとは違う。むしろこっちも、その反応に戸惑い気味だった。
「あー、その、な。そ、某も強く殴りすぎたというか……け、怪我とかしてないであろうな?」
「も、問題ないけど……」
「俺も大丈夫だが……?」
突然になんだ、という言葉が出かけたがそれをぐっと抑えて聞かれたことに答えるが……えーと、なんだこれ。全員の頭に?マークが浮かんでいるような、まるでかみ合っていない場の空気が三人の間を漂っているようで……とにかく、理解が追いつかない。
このままではよくわからないままに進みそうだったその状況を、真っ先にどうにか動かそうとしたのは那須野だった。
「と、とりあえず二人とも真ん中に寄って座れ! 一度どういうことか確認しよう!」
それにコクコクと頷いてすぐに部屋の中央に駆け寄って正座をする。オレと葉一が二人で横に並び、目の前で那須野一人と相対する形になった。さっきまでの離れた場所で見合うよりはマシになった気がする。那須野は全員が落ち着いただろう頃を見計らって、軽く咳払いをしてから話し出す。
「こほん……あー、とりあえず、お前たちはどうしていきなり土下座なんてした? あまりに急すぎて、頭が回らなくなったぞ」
「それはその、昼にちょっと不用意なことを言い過ぎたみたいだったから……さ」
「ああ、今回のことは俺たちも悪かったと思ってるんだ。だから許して家に帰ってきてくれ! 頼む!!」
「い、いや、とりあえず神田はまず落ち着け! 今は頭は下げなくていい!」
またも頭を下げて謝りだした葉一を那須野は慌てて止める。たしかに落ち着きが足りていないが、今のオレたちには、どうしても謝らなければいけないという意思が強迫観念のように胸の中をぐるぐると渦巻いているような状態だったので、葉一の気持ちはとりあえずよく分かる。今は謝罪を求められていないらしいことに気づくとすぐに「す、すまん」と言ってやめていたが。
「とにかくだ。お前たちが昼のことを謝ってくれたり反省しているようなら某も特に何も言わないのだが……その、だな……」
随分あっさりと許しをもらえたのだが、そのどこか煮え切らないもぞもぞとした様子はなんなのだろう。何かあからさまに言いにくいことでもあるような姿にオレたちは二人そろって首を傾げていると、彼女は突然業を煮やしたような表情になり勢いよく床に両手をついて頭を下げた。
「昼休みは急に殴ったりして悪かった! すまん!!」
それは見事なまでに堂々とした謝罪の言葉だった。姿勢も気迫も、全てが大仰なようでそれだけに確かに謝りたい、という気持ちは伝わってくる。伝わるのだが、オレも葉一もそれには当惑せざるを得なかった。
謝りにきて許されたら、今度は向こうから頭を下げられて。本来許してもらう立場はこっちだと思っていたのだが、気づいたらなぜかこちらがそうなっているのに、混乱せずにはいられなかった。
「お、おい、那須野?」
「あの時は某も少し気が立っていたところはあったのだが、それでもさすがに殴るのはやりすぎだった、反省している! だから……」
「いや、俺たちもそれはまるで気にしてないんだが」
「なにぃ!?」
むしろやられて当然だったんじゃないかと思っていたが、彼女にはそうでもなかったようだった。さっきまで伏せられていたその顔は驚いているのか怒っているのか、とにかく納得していないらしいことが分かる。那須野は葉一にしゃがんだままで詰め寄った。
「そこは普通怒っているところだろう!? それを気にしていないなど、それでは某が今まで帰るに帰れないことを悩んでいたのがいったいなんだと……!」
「お、落ち着け那須野、どうどう!」
「某は馬ではない!!」
本来馬を落ち着ける言葉にイラッときたのか、那須野は更に歯をギリギリと言わせて葉一に顔を近づけていた。普段なら舞い上がっていてもおかしくない葉一は、それに参っているように両手を挙げていたが、それを助ける気がオレには湧かなかった。
それよりも那須野の言っていたことのほうが重要である。帰るに帰れなかったって、まさか殴ったことをそこまで気にしていたのだろうか。気にしないでよかったのだが、どうやらこいつは気にしすぎていたようだ。もしかしたらオレたちがあっさり許されたのはそのことがあったからかもしれない。
そう考えて、ふっと息が漏れた。足は正座のまま、床に背中から倒れる。
「? ど、どうした櫟?」
「なにか問題でも起きたのか、遠原?」
「いや、別に。ただ――」
――くたびれもうけみたいなこの状況に、どっと疲れが湧いたってだけだ。
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あの後はそれぞれ気にしすぎていたことに気づいて、全員顔が赤くなるような照れくさい事態が発生したりしたが、とにかくお互いに近づきにくいだとかそういったところはもう無くなっていた。普段どおりの関係に戻れて一安心といったところだろう。結局まだ、天木さんとはちゃんと話す機会を得られてはいないけど。
それはそれとして、翌日。校門のところで偶然にも葉一と那須野の二人と会いそのまま教室を目指していたオレたちは廊下である人物二人と遭遇した。片方は無表情、もう片方は……オレを見て露骨に嫌そうな表情をしやがった。
「ん、ちょうどいいじゃねぇか櫟。ほら、昨日俺に聞いてきた二人だぞ?」
ちょうどいいも何もあるか、今の状態で向かっても罵倒されるだけで終わりそうだわ。というかこっちに向かって歩いてきているじゃないか。逃げるのも不自然だししょうがない。今日はすれ違うだけすれ違って、無視しておくか。
「今日はいい。ほら、行くぞ二人と」
「あら那珂川さん、ごきげんよう!」
先ほどの表情とは打って変わって、口元に微かな笑みを浮かべた勝気そうな琉院槙波が、通りがかりに那須野へ挨拶をしていた。そういえば同じクラスだと聞いてはいたが、今この時はあまり嬉しくないことだったらしい。そういうことに慣れているのか軽やかな笑顔を那須野に向けているが、その裏ではというか気配だけはこっちにバチバチと火花を飛ばすレベルで敵意を向けている。気づいているのは実際に向かい合っているこの五人ぐらいだろう。
「……おはよう、琉院。それに三里も」
「はい、おはようございます那珂川様、そしてご友人のお二人方でよろしいですか?」
「ああ、二人とも某の――」
「何を言っているの亜貴。そちらの焼けるような髪色の殿方はそうであっても、横にいる不埒者がまさか那珂川さんのご友人だなんて冗談にしかならないわ」
うわぁ、という言葉しか出ない。確かに昨日はちょっと不慮の事故であんなことになってしまったが、それでも執拗にオレが責められる謂れはない筈だろう。が、ここはひとまずだんまりを決め込む。こんなところで怒ってもろくな事にならないというのは、琉院を見ていればわかることだ。
「お嬢様、それは言い過ぎかと。できればお早めに訂正を」
「いいえ亜貴。この男は人への配慮がまったくできないに違いありませんわ。なにせあのようなことをしてわたくしに謝罪の一つも無いのですから、このような者ははっきり言って最低男もいいところ。そんな男と素晴らしき学友が友人関係にあるなど、納得できるはずがありません」
最低だとか修飾する言葉は過剰だが、謝っていないだとかその辺は真実なだけに何も言えない。けれどフラストレーションが溜まってしょうがない。そう思っていると、視界の端で三里さんがほんの小さくだが頭を下げているのが見えた。あの人はどうも琉院のやっていることをそこまで快く思っていないらしい。それは嬉しいのだが、肝心の本人はまるで気にしていなかった。
「それで、どうなのです那珂川さん? そこの男は――」
「黙れ琉院。それ以上遠原を侮辱するな」
空気が変わった。琉院が一人で楽しげに作り出していた微妙な空気が、那須野の一言で一気に壊れた。一人軽い笑顔だった琉院も、できる限り無表情にしようとしていたオレも、元々無表情な三里さんも、そして見ていないけれど多分葉一も、全員の表情が固まった。周囲から見れば那須野が放っているのは刺々しい雰囲気かもしれない。けれど――
「な、那珂川さん? それはいったいどういう意味ですの?」
「どうもこうもない。某は大切な友人を馬鹿にされて黙っていられるほど利口ではないだけだ」
「本当にその男を友人というのですか!? わたくしには理解が……」
「お前に理解されなくても別にいい。行くぞ遠原、神田」
「な、那珂川さん!?」
焦った様子の琉院を無視して、那須野は立ち止まっていたオレたちの腕を強引に引っ張って先へ進んだ。最後にチラッと見えた琉院の顔はただ呆然としていた。
「お、おい、那須野? オレは別に気にしていなかったからいいんだぞ?」
「……少しぐらい気にしろ、バカ」
ぐいぃ、とオレの手を握る力が増した。少し痛い。確かに先ほど那須野は、琉院に向けて敵意のようなものを発していた。それは周りで見ていた生徒の目にも明らかだし、もちろん関わった人間の目にもそう見えていた。
――けれど、彼女がオレのために怒ってくれているのだということは、自分にとっては嬉しかった。本当に、オレと那須野はここまで仲良くなれたんだな、ということが実感できたから。手を引いて前へと歩みを進める彼女の姿を後ろから見る。歩くたびに左右に揺れるポニーテールに妙に可愛げがあるように見えて、両目がその動きを追っていた。
「……なぁ、那須野。ありが――」
「礼は言うな、遠原。これしきは当然のことだ。だから……言うな」
それ以外の言葉が彼女の頭の中には出なかったのだろう。だからそんな冷たい印象を持つ言葉しか出なかったのだろうけど……なんとなく、どういうことなのか分かった気がした。
要はきっと。恥ずかしかったのだろうと、オレは思った。
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そんな朝の出来事から数時間、今日はいわゆる半ドンで昼ごろには授業が終わる。ちょうど暇だったし、ついでに夏の間にまたなにか雑用仕事があったりしそうかどうかだけでも聞いてみようと、海山さんのところに同じく暇そうにしていた那須野と葉一も連れて行くことにした。
「そういえば……遠原が時折やっているという『魔王の子』の捕獲やら送還というのは誰でも受けられるものなのか? 報酬に興味はないが、腕試しができるというのなら某も興味があるのだが」
校長室までの道中で那須野がそんなことを聞いてきた。確かに標準的な『魔王の子』ぐらいでも那須野の求めている実力には届いているだろうが……そうなると、困るのはオレだ。
「あー……那須野には悪いが、それは本当に勘弁してくれ。確かに那須野の実力なら余裕でできるだろうけど、下手したらオレの仕事がなくなる」
「……そうか。某としては自由に魔術行使をするという存在とも戦ってみたかったのだが」
那須野まであれの手伝いを始めたら、むしろほとんどこいつのほうに仕事が回ってしまうだろう。そうなるとオレの収入が限りなく低くなる可能性が高い。そういうことを伝えると、那須野は残念そうな顔をしてしまった。可哀想なので代替案を出してみる。
「本当に悪いな。代わりといっちゃなんだが、葉一とでも存分にやりあっててくれ、一応こいつも詠唱無しで魔術ならできるから」
「いや待て、それは俺がきついマジきつい」
ぐっと親指で葉一を指す。するとその手を本人がまったく楽しそうに感じられない笑顔で掴んできた。するとその葉一の肩を、那須野が笑顔でポンと叩く。
「大丈夫だ神田。某と一緒に鍛えればいつかは追いつける。だからいつか、戦ろう」
「せめてもうちょっと男の子に喜ばしい方向のことをやりたいわ、こんちくしょー!!」
「葉一、うるさい」「神田、あまり泣き言で騒ぐな」
「…………ハハ、俺の安らぎって、どこ?」
なぜか校長室につくまでで幼馴染がすでに精神的に弱っていたが、それは気にせずに歩く。まぁ葉一のいいところにはすぐ立ち直ることができるというものもあるし、放っておいて大丈夫だろう。
「……もう一つ、今気になったんだが、あの校長はなんで『魔王の子』が来るとか来ているとか分かっているんだ?」
「それに関しては、オレも謎って答えるしかないな。以前ちょっと聞いたことはあるんだが、その時には「師匠が手紙で伝えてくれる」って答えが返ってきた。けど、実際に見たわけじゃないしな……」
もしかしたら勘という可能性もあるが、それはまぁ、追求しなくてもいいだろうと思う。分かっているならそれに従って確かめてみればいいだけだし、間違っていたことにはまだ……いや、この前のリアナの件以外遭遇したことがない。
「謎、か。まぁ、もしかしたらいつか、某も見ることができるのかもしれないな。偶然にでもわかったら教えてくれ」
「わかった。というか葉一、うつむいて歩くふりして那須野の脚見るのはやめとけよ」
オレが注意すると、それまで元気のなさそうだったのが途端に元気はつらつな普段どおり……いや、普段以上の明るい表情で復活する。
……本当にわかりやすいな、こいつは。
「ハッハッハ櫟よ、あまり人をそういう風に決め付けてかかるのはよくな痛、いってぇ! 那須野、脚蹴るのやめて!!」
痛そうな力強い蹴りが葉一を襲う。那須野の顔を見るとどうにも疲れているような雰囲気が見て取れる。いつもこれの相手をしているんだろう、同情する。
「……遠原、こいつの助兵衛は本当にどうにか治らんのか?」
「無理。まぁとりあえず、もう部屋の前まで着いたからアホを蹴り倒すのは後にしてくれ」
適当に話しながら歩いているとやはり時間の流れはあまり気にならないものなのだろうか。こうして海山さんの部屋に着くまでもあまり時間がかからなかったように思える。
後ろの二人がちゃんといることを確認して、ドアノブに手をかけた。
「しっつれいしまーす」
「…………あらぁ」
「お、遠原か。こんな時間に来るのは珍しいな」
……顔見知りが二人ほど、そこにはいた。片方はこちらを見るやこめかみに青筋を浮かべて怒り心頭なご様子の金髪の女生徒、琉院槙波。もう片方は当然のように琉院のそばにたたずんでいる紫髪の女生徒、三里亜貴。
琉院の体勢は執務机についている海山さんに詰め寄っているようなものだった。扉から真正面に入ったオレには琉院がこっちに尻を突き出しているような感じに見えたのだが、それはまぁどうでもいい。部屋の中を見た那須野が微妙に嫌そうな舌打ちをしていたのも、気にするだけ無駄だろう。
「こんな大事な話のときにノックもせずに入ってくるなんて……本当、あなたという人には品性の欠片も感じられませんわね」
「琉院……!」
「落ち着け那須野。あいつの物言いに怒るべきはお前じゃなくて櫟だ。だから抑えろ、な? ここは黙ってようぜ」
相変わらずオレに対しては不遜な言葉を飛ばしてくる琉院。那須野はそれがどうにも気に入らないのかまた突っかかっていきそうだったが、それは葉一が止めてくれたようだ。
三里さんもはぁ、と一つため息をこぼしてから「いいですかお嬢様」と前置きをし、琉院に対して叱るような口調で話し始めた。
「昨日のことを未だに気にしているのはわかりますが、それでもいささかお嬢様は気にしすぎのように思えます。そこまで辛辣にあたる必要はないのではないでしょうか?」
「う、うるさいですわ、亜貴! あなただって淑女の端くれならばこのような男に――!」
「あーちょっといいか、遠原に琉院? 話はよく見えないがお前ら、まさか知り合いなのか?」
海山さんの質問を聞いたときの琉院の顔は多分忘れないだろう。あそこまで嫌悪感を表情で示す人間は見たことがなかった。それほどまでに歪んだ、しかし整ってはいる顔から出てくる言葉がどういうものなのかは、容易に想像がつく。
「誰がこんな不埒者と知り合いになんて! 鳥肌が立ってしまいますわ!!」
「……だそうです。ま、そんな関係ですよ」
「いや、遠原が嫌われてる以外、どんな関係だかまるでわからんのだが」
ですよね。もしも把握できたらそいつはきっとエスパーだろう。こんな時代でも超能力者やマジシャンは大人気だし、もしかしたら本当にいるかもしれない……という至極どうでもいいことは流そう。
海山さんは困ったような顔をしつつ、三里さんのほうを向いて尋ねる。
「三里。何か知っているならもう全部教えとくれ。このままじゃわけがわからん」
「そうですね。ではぶっちゃけて申しますと――単純にお嬢様がそこの方に下着を見られただけです」
「あ、亜貴! そういうことはあまり人前で言わないでちょうだい……!」
三里さんが表情を一切変えずにぶちまけたその情報に琉院が顔を赤くしているのを見ながら、まぁその通りだしなぁ、というようなことを考えていると背にコツン、と軽い拳が当てられる。その主は誰かと思い振り返ってみれば葉一で、その顔は呆れ果てたようなものだった。那須野も微妙に蔑んだような表情だったが、海山さんは見る限りあまり動じてはいない。
「……とりあえず聞くが、遠原のほうが無理矢理とかそういう事情じゃないだろうね?」
「いえ、そのようなことは。文学的な表現で言うところの風の悪戯とか、そういうあれです」
「ああ、そういうやつかい。しっかし、そうなるとなんで琉院はそこまで遠原を毛嫌いするかねぇ。わざとじゃないというのに」
「決まっています! 故意でないといってもみ、見たことに変わりはないのに謝りもしないからですわ!!」
謝るにもその隙がなかっただけなんだがな。しかし相当お冠のようだし、早いうちに謝ってしまおう。
「いや、あの時は言うの忘れてたけど、本当に悪かったと思ってるから勘弁してくれ。頼む」
「今更そんなことを言ったって……!」
「お嬢様。そういったことを聞く前にどこかへ言ったのは誰ですか?」
亜貴ぃ……と、琉院は微妙に泣きそうな顔で三里さんを見た。彼女は相変わらず無表情だが、それでもこの雰囲気にしてくれるのはありがたい。こんな中で許さないといえるほど琉院は強情な女ではないだろうと、今の顔を見ていて確信した。
「……分かりました。もう今回は許してあげますわ。ですが次にやったら……分かってますわね?」
「分かった分かった、もうお前のレースつきの白いパンツとか見たりしないから安心しろ」
「せっかく許して差し上げましたのに、あなたという人はぁー!!」
ちょっとしたお茶目なジョークのつもりだったが、琉院はまたも激昂してしまっていた。あれか、琉院は真面目すぎてこういう冗談とか通じないのだろう。周りの目が白い気もするがそんなのは無視したほうがいい。
「と、ところで海山さん。この二人と何か話してたんですか?」
「ちょっと! あなたは部外者でしょうに、口出しをなさらないで下さる?」
「いや、琉院。たしかにジョークセンスはそのへんのゴミにも劣っていたが、お前が聞こうとしていたのはこいつのことだぞ?」
「――え? ほ、本当ですの?」
話の内容は掴めないが、オレのことを聞いていたっていうのはどういうことだろう。なにか話題に出るようなことをしていた覚えはない。ジョークセンスがゴミ、というのは聞き流そう。なにか言っても痛い目しか見る気がしない。
海山さんはため息をこぼしてから琉院に向き直り頭を軽く下げた。
「ああ。お前が聞こうとしていたのはそこの、遠原櫟のことで間違いないよ」
「……あまり認めたくない話です……まさかこの男がそうだったなど……」
「まぁ世の中、すべて自分の理想どおりとはいかないものだ。勉強になったということでよかったじゃないか、琉院」
「あの、オレがいったいどうしたんですか? なんか褒められてるとかそういうことじゃないってのはわかるんですけど……」
というかむしろ、バカにされてる気がする。何についてかは知らないが、琉院はなんだか聞いたのがオレのことだったと聞いて、執務机に両腕を立てて残念がっているし。
海山さんはその様子の琉院を無視してオレのほうを向いた。
「なぁに、簡単な話だ。ちょっとこいつは同業者、というか自分と同じことをやっている人間のことを聞いてきてね。それが遠原、お前だったってだけの話さ」
「同業……? もしかして、琉院も『魔王の子』を捕まえたりしてるんですか?」
まさか、と思っていたが海山さんの答えは一つの頷きで返された。つまり、イエスだ。
「因みに遠原が始めたのは一年の入学時からで、琉院は今年の四月から――要するに」
ポンとうなだれたような琉院の肩に手を置き、海山さんは耳に顔を近づけてから宣告のように言った。
「琉院。遠原はお前の先輩にあたるってことだ」
「…………それは認めたくはありませんが、長さで言えば仕方ありませんわね……ですが!」
自分もついに先輩になってしまったか、と他人事のように思っていると、急に顔を上げた琉院はオレを指差し、
「遠原櫟! わたくしとあなた、どちらが優秀か勝負してはっきりさせましょう!!」
そう、高らかに宣言した。