第一章エピローグ
あの夜があった次の日。オレは今、寝不足と戦いながらさらに目の前の足止めをどう避けようか考えていた。
寝不足なのは昨日もまた説教……というか、夜通し叱られたからである。なぜか公園で目が覚めたときに側にいた海山さんに連れられて家に帰ったら、天木さんが中で待っていたからだ。それも見た目にはわからないがカンカンだったらしく、「どうして勝手に行っちゃうんですか!」などと色々と言われてしまい、それを全部聞いていたら12時をまわって天木さんもそのあたりで寝てしまったからだ。
朝には機嫌も治ってるかと思って朝食に呼んだが下りてこず、仕方なく樫羽と二人で朝食を食べて学校へ向かった……のだが。ちょうど家を出たところで、昨日天木さんに近辺に危険な人物がいると教えてくれた、掃除中の旭さんの奥さんに見つかった。それで今、家に居た知らない女の子――天木さんのことについて尋問されていた。
「それで遠原君? あの子はいったいどういう関係で遠原君のうちにいるのかな?」
「えぇーとですね……あ、すみません学校行かなきゃ!」
脱兎のごとく逃げだそうとしたオレの手をパシィ! と勢いよく掴む旭さん。ウフフ、といったような優しそうな笑顔にこちらは引きつった笑いがでてくる。
「大丈夫よ、いざとなったら車を出してあげるから。それで、天木さんってのは遠原君とどういった縁なのかしら?」
このように逃げようとしてもその手段をことごとく潰されていた。旭さんの奥さんは30代前半だが美人なためにこうして話していても悪い気分ではないのだが……いかんせん、こうして問いつめられているのは居心地が悪い。どう言おうものかと悩んでいると、視界の端に那須野が近寄ってくるのが見えた。手を振るようにして挨拶をする。
「よ、よう那須野。おはよう」
「あら、那須野ちゃん? おはよう」
「おはよう遠原。おはようございます旭殿。二人はここでなにを?」
「んー、この際那須野ちゃんでもいいわ。遠原君のうちにいる天木ちゃんって子のこと、何か知らない?」
那須野はそれを聞いてあぁ……、とこちらを見て哀れむような視線を向けた。どういうことか分かったらしい。大きなお世話だといいたいところだが、しょうがないな、というようなため息をした那須野がフォローをしてくれた。
「天木殿なら、某の親戚ですよ。わけあって遠原の家に居候しているのです」
「あら、そうなの? 事情はよくわからないけど、それじゃあ遠原君がなにかしたりされたりってことは無いのね?」
「はい。それでは我々も急いでいるので」
「あ、そうね。ごめんねぇ遠原君。いってらっしゃい、二人とも」
「はい、いってきます」
がんばってねー、とどこか抜けてるような声で見送られて、あの状況から脱出。少し行ったところで、那須野に礼を言う。
「助かった。ありがとな、那須野」
「気にするな。天木殿はまだあそこ以外の場所に連れて行かれるべきではないのだろう? なら当然だ」
しかし親戚扱いにするとは思ってなかった。そんな風に感心したり、天木さんが部屋から出てこないことを話していると、後ろから二人走ってくる足音が聞こえてきた。
「に、兄さん、先に行かなくてもいいでしょう!」
「那須野もちょっとぐらい待ってくれって!」
どうやら樫羽と葉一の二人で、二人とも走って追ってきたらしく息があがっている。その様子を見て、那須野と二人で笑った。樫羽は途中で抜けるが、四人で登校ってのも久しぶりだ。那須野と遭遇して鍛錬をしない日というのも珍しい。
「それじゃ、四人で行くとするか」
「あ、わたしが兄さんの隣に行きますから、那須野さんは神田さんと並んで歩いてください」
「いや、櫟だけ前に出して俺がその後ろで両手に花ってほうがいいんじゃね?」
「某はなんでもいいのだが……どうする、遠原?」
……おまえら、こんなことでいちいちケンカしたりするなよ。内心で今日が一番登校するのに大変な日になるような予感がして、那須野には苦笑で返すことしかできなかった。
どうやら町のパトロールやPTAの人はまだ昨日の「野良猫八つ裂き事件」の犯人が見つかっていないということで、今日は町内の見回りをしているようだ。それの犯人はもう自分の世界に帰らせたのでいくら捜しても出てきやしないはずなのだが、それを立証できる手段もないからこの際あの人らには近所の不審者一掃でもしてもらおう。
途中で樫羽と別れて学校まで悠々と登校していくと、偶然にもこれまで主に葉一のせいで学校を休んでいた青海先生と出会った。もっともこちらを見るなりその推定145cmの身体を縮こまらせて完全におびえている様子だったが、気にせずに近づいていく。
「おはようございます、先生」
「! お、おはようございます遠原くん……」
なんだか警戒されているがなんでなんだろうか。わからないがそれを考えることはせずにそのまま先へ進んでいく。
「おっすおっす青海ちゃん久しぶり!」
「うぅ……おはようございます、神田くん……」
後ろではオレの時より葉一のほうが怖がられていた。全くあいつはなにをしたんだろう。そのせいでオレまで同列に扱われていい迷惑である。せいぜいあいつと一緒に質問責めにしたぐらいしか覚えてない。
「ちゃんと挨拶ぐらいしろ、馬鹿。おはようございます」
「? あ、おはようございます。えぇっと、あなたは……?」
「2-Cの那珂川那須野。あいつらの友達みたいなものですよ」
「えっ!?」
足が止まり、後ろを振り返る。その反応はいくらなんでも酷いんじゃないかと言おうかと思ったが、さすがにこの距離から大声で言い返したりするとあの先生じゃ更に怯えそうだ。新品に近いスーツ姿も学芸会の衣装のように見えてきてしまうが、それもツッコんだりはしない。
「あいつらが何かしでかしたようなら某に伝えてください。すぐにとっちめることもできますので、それでは」
那須野は軽く会釈をしたあとこちらに歩いてくる。青海先生は状況がまだうまく把握できてないようで那須野を見ながら眼をパチクリしている。立ち止まっていたオレとついでに葉一は那須野が横に来たあたりで歩くのを再開する。
「……それで、お前らはいったい何をしたんだ? 目に見えて怯えられていたようだが」
「何ってそりゃあ、なぁ」
「そのメガネ似合ってますね、って言ったり……」
「スーツ姿もかわいいですね、って言ったり……」
「あとは手が綺麗ですねって言ったり?」
「いや、それ以外にも男性と付き合った経験はありますかとか」
「ああ、そんな質問したぐらいだよな」
というか手が綺麗って、それ質問じゃなくて褒め言葉じゃないか? 那須野もそう思ったのか、頭を抱えてため息を一つこぼす。
「……なんというか……お前らはアホなんじゃないか?」
「いやいや、褒めてるだけだから別にそんなことを言われる覚えはないだろ」
「いや、見るからに気が弱そうな御仁に褒め殺しは……まぁいい、言うだけ無駄か。そういえば神田から聞いたのだが、遠原も昨日は夜に外出していたらしいな」
教室のドアを開けて中に入る直前に、那須野が話題を切り替えてきた。まだ朝のHRまで時間は10分位あるからクラスが違う那須野がいても問題はないので、葉一も荷物を置いてからオレの席まで近寄ってきた。
「そういえば、なんでお前あそこにいたんだ? 俺に用事があったわけでもないみたいだったし」
「何でと言われてもな……とりあえず、天木さんの問題を解決しにいこうとしたってところか」
頭に「?」と浮かんでいるような、よくわからないという顔を二人ともしている。詳細はまだ二人に説明してないんだから当然か。しかしこれを本格的に説明するかどうかは天木さんが決めることなのでオレからは説明できない。そう言うと、詮索するような人柄ではないからか二人ともそこは納得してくれた。
「それで、出来たのかよ? 解決」
「……どうだろうな。正直できるかもしれないし、できないかもしれないってのが本音だ。まだわからないところがあるんだが、そこが見えたらもしかしたらなんとかなるかもしれん」
「そうか。ま、なにかあったら俺にも頼れよ? なんたって天才的イケメンで、ついでに昔からの友達だからな」
「某も助力は惜しまん。遠慮なく言ってくれ」
「ん……わかってる。オレ一人じゃどうにもならないことは多いからな」
しかしあいつは――『遠原櫟』のことは、遠原櫟の問題でもある。那須野のときは人を殺していたから責任のようなものだったのかもしれない。けれど今回は。天木さんの問題になっているのはまだ目的を終えていない。このまま放置していればあいつはもう来ることもできないからそれでいいかと言われると納得はできない。
だってまだ、天木さんは目的を終えていないから。天木さんの目的、やりたいことが終わっていないんだから、ここから最善手をどうにかして尽くすのがオレのやるべきことじゃないか。
今日の天気は曇り。天木さんと出会ったときの大雨に比べればいくらかマシなものだ。いつか絶対に天木さんの心自体を晴れさせるという誓いを、オレはこの空にしたい。だけどそれは多分、オレだけのものにはならない。横にいる二人もきっと、天木さんの幸せを願っているはずだ。だから、きっとやれる。あいつだって、天木さんの幸せを願っての行動をしていたのだ。あいつの願いどおりにはさせずとも、それなら絶対に天木さんに幸せは来るはずだ。
窓から一瞬差した日光もきっと、それを祝うものなのだと思うから。
二章は数週間ほど後の続きになります