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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
梅雨の来訪者
14/53

電灯下の殴り合い

 曇った夜空の下、電柱の光だけが見守る中、オレたちは公園で戦っていた。硬い土の上をお互いに走り寄りながら、まずはこちらが先制を加えようと拳を振りかぶり、そのまま目の前の相手に向けて放った。那須野と鍛えていたからか予備動作もそれも予想以上に速くなっていたのだが、少し身を捻らせただけでその攻撃を回避した『遠原櫟』の方がオレにとっては驚きだった。あいつはただの一般人だと思っていたが、その動きからはどう考えてもこちらの動きがわかってかわせたようにしか見えない。あまり侮ってはいけないようだ。


 放った腕をすぐに引いて相手のほうを見る。

 ナイフを振るおうとしていたところを、すぐに後ろへと転がり回避。つい力を込めたからかわからないが、飛んだ距離もまた予想より大きく、距離も考えた以上に離れていた。

 立ち上がってもう一度『遠原櫟』と向かい合うと、今度は互いに走って近づいたりはしない。動きを見極めようとする視線同士がぶつかり合う。先に動いたのは、また向こうだ。


 近づきながらナイフを横に振ろうとする。その腕を左手で押さえて腹部にパンチを打とうとしたが、その右のパンチを相手も左手で抑えつけてきた。純粋な力比べとなったがこれはほぼ互角で、押されることも押すこともない。一瞬だったが、この時間は無駄だというのがすぐに感覚で理解できた。左手から力を抜くと、ナイフがすぐにその速度と鋭利な刃を持ってこちらへ襲い掛かろうとしてくる。


 力を抜いたのは相手がすぐに攻撃へ移るようにするためのブラフだ。力を抜いた瞬間に曲げた膝を腹部に一気に打ち込む。綺麗に入ったそれで、目の前の男はうめき声を上げた。

 しかしナイフの動きは少しだけ遅くなるも止まらない。腰ごと頭を反らせてなんとか紙一重で避けた。ヒュンッという風切り音が聞こえると少し恐ろしさが湧いてくるが、それでもすぐに頭を元の位置に戻す。

 切り返しの二発目はすでに振るわれかけていた。それをなんとか左手で抑える。二回も同じ避け方が通用するとは思っていない。


 足に衝撃と痛みが走る。見やれば右足でこちらの左足を踏みつけていた。しかも踏み続けるのではなく、何度も何度も、プレス機械のように潰そうとしている。

 これで倒れるほどのダメージはないのだがいざというときに足が使い物にならないのは困るし、このまま踏まれ続けるのもしゃくだ。二人の足元に目を向け続ける。

 踏む間隔を感覚でつかみ、一番高く足を上げたところに自分の右足を相手の両足の間に挟みこみ、左足に引っかけて相手を思い切り両手で押す。予想より軽かったためか『遠原櫟』はその場にぶっ倒れる。力押しの、姿勢だけを見れば大内刈りのようなものだ。今のはそこまできれいなものでもないが。

 頭は浮かせていたようだが受身を取ることを知らなかったのか、『遠原櫟』はまっさかさまに地面にぶつかる。衝撃は背中にそのまま伝わったはずだ。


「がっ……」


 痛みに苦しむような声が漏れ聞こえた。

 とにかくこれで取っ組み合いのような状況から互いに開放され、オレも少し後ろに下がる。

 組み伏せようとすればすぐにナイフに襲われそうなのでやめておき、走り寄るような距離を空けずに至近距離とまではいかないまでの近距離。立ち上がった『遠原櫟』と立っていた遠原櫟はもう一度目を見合う。

 こちらが目の前の『遠原櫟』にだけ意識を向けているというのに、きっと天木さんだけを見ているのだと思える、虚ろな目をしている。

 かたや目の前の一人を見る目、かたや目の届かない遠い一人を見る目。それでもなお今のオレたちは互角だ。

 遠くの誰かを思っているから強いのか、目の前に意識を向いていないから弱いのか――後者であったなら、相手のスイッチが切り替わった瞬間に絶望といっていい。


「……なんにせよ、こっちは素手で向こうは獲物ありだから十分今の時点で危ないか」

「ヒイヤァァア!」


 奇声をあげてナイフを振り回してくる。それをなんとか電灯の光の反射で輝く刃の部分を見切って避けたり、振っている腕にこちらの腕を合わせて止める。

 素の状態でなんとかここまでやれているのは那須野との鍛錬あってのものだろう。目の前の凶刃は、まだあの少女の槍よりも鈍く遅く、そして軽い。だからこそ、こんなにもペースを握れている。感謝したいが、今はそれどころではない。集中を目の前の相手に向けなければやられかねない。


 何度も腕を合わせたりしてるうちに避け方を読まれたか、ナイフを持たないほうの手に合わせようとした腕をつかまれた。ナイフは胸の辺りを狙っている。その攻撃を通されたら終わりだ。

 やむをえず右足でナイフを持つ腕を狙ってハイキックを放つ。足先にパーカー越しの腕を強く打ち、そのまま肉を強く押すような感触。相手の顔が歪み、ナイフは地面に音を立てて落ちた。これを拾わせないように今度はこちらから攻め立てる。

 主に手での攻撃を使って相手を後ろに下がらせていく。その攻防の中で、オレは聞きたかったことのほとんどをぶつける。


「さっき、長物を持った女に襲い掛かったらしいな!?」

「ああ、さっきのバカみたいに強いの? てっきりぼくか天木さんを狙って放たれたのかと思ったけど、違ったみたいだったからすぐに逃げたけどね!」


 もう一度ハイキックを防御に使われてる腕にむけてやろうとしたが、さすがに何度も隙の大きい技は当たらずに避けられ、オレはその場で半回転したようになる。

 そしてその隙を見計らって来る、右のストレート。こちらもそれを同じ右腕で防ぐべくまっすぐにやってくるそれの前に立てる。

 直後に来た衝撃はやたらと重く、それに押されて数歩後ろに下がらされる。右腕だけで守ったとしてもやけに重い拳だった。


「もしかしてきみはさっきのの友達かなにかかな? ならぼくの代わりにでも言っといてくれよ、きみの使う武器は法律に違反してないのかってさぁ!」

「オレとしては、おまえの使ってたもののほうが危なっかしく見えるけどな!」


 二発目のストレートが振りかぶられる。今度も右だ。だが同じ腕での連続の全力攻撃の分、それが出るまでの猶予はある。

 その時間でオレがやったのは、相手と同じように左手を振りかぶること。相手が突き出した腕を見ると同時にこちらも左腕を前に、ちょうど向こうのストレートに合わせるようにしてこちらも左ストレート。

 利き腕ではない左腕では同じような威力はやはり出せず、衝撃とそれに伴う痛みが左腕に走る。その間に身を低くして相手の懐へと身体を潜らせようとして、ストレートとぶつかった左腕が相手の内側に滑り、流れた(・・・)


 相手の胸の辺りを捉えた左のストレートもどきが入る。その威力はむこうの拳とぶつかったときにほとんど殺されていたが、勢いに負けて滑るように相手の体側へと拳がズレ、相手の伸ばした腕と同じくらいの距離が、再度の攻撃の威力にプラスされる。最初のものに比べれば弱いが、それでも動きを鈍らせることには成功。そのまま今度は右でフックを決める。苦しそうな声を上げて、さらに攻めるチャンスだと思ったが、相手の靴底で押し出すようなキックを避けも防ぎもできずに受けてしまい、また後方に下げられる。


 どうやら目の前のこいつは、那須野を誰かと勘違いしただけらしい。もっともそれで命を狙ってくるのが許されるわけがないのだが、それでもただ人を殺して天木さんに対するアピールをしようとしたなんていう理由じゃないだけましだ。動物だけじゃなく人までも無意味に殺していたら、もうこいつと天木さんを会わせるなんて目的は一切無くなり、ただこいつを二度と近づけないようにするというだけだった。


「っつぅ……! そ、それじゃあ次だ。お前が自分の存在を主張しているのはわかるが、それでなんでなにかを殺す……!」

 ズキン、とまた痛み出した腹部のことを気合で何とか無視しようとしながら二つ目の質問をする。お互いに苦しそうな顔をしていたが、オレの質問を聞いた『遠原櫟』はそんな状態でも鼻で笑った。


「そんなの、簡単じゃないか。虫なんかを殺しても気付く人間はいないし、水辺の生物は殺しづらい。だったら地上にいてある程度大きい、それでいてすでに飼い殺されている(・・・・・・・・)ようなのを殺したほうがアピールできるだろ?」


 当然だろ? という風で、さらにそれについての話を続ける『遠原櫟』。しかし、この時点ですでにオレの中でのこいつに対する胸糞悪さは急上昇を続けている。


「きみも今日の朝に見たのかな? じゃあひとつひとつ、懇切丁寧にどんな感触だったかも教えてやるよ。まずはそうだな、尻尾からいこうか。あれは筋肉があるって聞いてたけど割と簡単にスパッといけたよ。それで次にやったのは脚のほうなんだけど、あそこは案外思ったより血が出なくてねぇ、まぁ歩けなくはなったからいいんだけど。そしたら今度は騒がしく鳴きそうだったから喉をちょっとね。それで黙らせるのには成功したから次は腹を」

「――いいかげん、黙っとけよ」


 苛立たしさもこの時には完全に溜まりきっていて、それが爆発した。その反吐が出るような説明を中断させようとして飛び込む。考えの何もない、全力のパンチの連打。

 そんな粗末な攻撃を執拗に行うのは、ただただ怒りだけがこみ上げていたからだ。目の前の男もそんな単純な攻撃を避けられないはずもなく「おぉ怖い」などと気持ちの悪い薄笑いを浮かべながらそれを防ぐ。その笑いがさらに血を熱くさせて、頭に上らせた。

 次第に防御されることもなく、拳が空を切ることが段々と増えてくる。それでも知るかと、オレはがむしゃらになってパンチを繰り出す回数を増やす。避けられても、攻撃させるような暇は与えない。たとえこちらの疲労のほうが大きかろうと、それでも続けていれば向こうも疲れてくるはずだという頭の悪い作戦。そんな戦法をとっていると一つの幸運がやってきた。


 後ろへと下がるような回避を続けていた『遠原櫟』の体勢が崩れる。見やれば後ろには公園内のブランコの仕切りのような棒があった。後方に思い切り跳んで避けたばっかりに、中空でそれにぶつかって体勢を崩したみたいだ。チャンスだとばかりに、そこに突っ込む。


「甘いよ」


 そんな冷静な声で『遠原櫟』は、ガシッとその棒を回りそうになりながらも掴んだ。それに気づかずに突っ込んだオレの顎に、下から持ち上げるような強い衝撃が走る。視界に赤い火花が散ったような錯覚を味わいながらたまらず空のほうを向いてしまう。それをなんとか目の前に戻すと、そこにいたのは仕切りの向こうで華麗に着地を決めた体操選手のようにしているやつの姿があった。


 手で棒を掴み、そのままの勢いで逆上がりをするようにしてサマーソルトキックを決めたというわけか。その運動能力に感心していると、鼻からポタポタと血が流れ出てくるのを感じた。やけに鼻が冴え渡り空気もよく通る。頭に上った血が抜けるように熱さが抜けていく。腕で鼻から出てきた血をこすり付けるように拭いた。制服が少し赤くなってしまったが、これぐらいの傷も無いほど楽観視はしていない。


「ま、攻められっぱなしじゃあぼくだってね」


 その棒の上に足だけで登ったそいつは、そこから跳躍。オレの後ろに回って今度はオレがブランコ側になる。やはり、こいつの身体能力はおよそ一般人らしいものではない。なにか使っているのかという疑いが出てくるが、それが伝わったのかひらひらと手を振って否定していた。


「そんななにかあぶない薬なんて使ってないよ。これはぼく自身の力さ。ぼくとしても、正直きみがぼくについてこられるとは思ってなかったんだけどね」

「生憎だが、こっちも頑丈にならざるを得ない生活してんだよ。腕力もそれなりについたとは思ってたが、まだまだってわけだ」


 そうだ、顎はじんじん痛むし鼻から血だって出たがこっちもまだまだ戦える。これだけ頑丈になれたのも、那須野の鍛錬相手や魔王の子の捕縛やらをやってきたからついたものだろう。だが、それはむこうも同じようなものだ。


 黒服の集団相手を何度もしている姿は、オレにも自己複写コピーをした時に見えていた。どういう理由だったかは今日まで知らなかったが、そういうことだったのかと天木さんに触れたときに知ることができた。それは、天木さんのためでもあったんだ。だからこいつは全力で戦いのプロ相手に追いつけるような能力を得て、そしてそいつらを殺すことに躊躇いがない。


 だからこそそんなにも彼女を想う、想いすぎてる男がこんな風に彼女を殺したいだのそのために生き物を殺してその感触を説明しようとしているのが、まるで理解ができないし、彼自体も天木さんに強く想われていることを知っているからこそ余計に苛立たしい。それでついに、この言葉が出てきてしまう。


「お前は、天木さんの親友なんだろっ!? だったらなんでそんな――」

「――親友なんて簡単な言葉で片づけないでほしいな! ぼくは天木さんが好きだし、ずっと一緒に、どこまで行っても一緒に居たい!!」


 そう叫んだ目の前の男の顔が、一瞬ただの逆上した17歳の男の顔になったように見えた。それはつい言ってしまったオレも驚いたし、目の前の男もそうしようとしてしたわけではないらしい。そんな愛する人への告白らしい言葉を第三者と言ってもいいオレに向かって言える男がなぜ、天木さんを殺そうとするのか。


「なら、どこへだって行けばよかっただろうが! それで天木さんを殺して自分も死ぬなんてのは間違ってるようにしか見えねえぞ!」

「他に方法も逃げ場も無かったからこうするんだ! 天木さんが自分を不幸だと思ったり悲しんだりしないうちに、ぼくが殺して一緒のところに逝くんだと、全部知ったからこそ決めたんだ!」


 ただの口論にしか見えなかった。それでもオレたち――遠原櫟がしているのは自己問答のようで、まるで違っている。どちらも一つの確固たる自分を持って相手にそれをぶつけている。オレは、天木さんを救うべきだというただの正義感を。『遠原櫟』は、天木さんをこの世から(・・・・・)救うべきだというオレから見ればただただ狂っているとしか思えないような愛情と友情の入り混じった混沌とした想いを。

 こんなにも殺して死ぬことでの自分たちの住む世界からの開放を望んでいる理由を、恥ずかしながら数時間前にようやく知ることができた。そして特に、その時の強い想いも知識として流れ込んでいた。



 ++++++++++++++++++++



 これは彼女も知らない、そして教えられないこと――天木さんの実家には、一つの暗い、大きな影の部分があった。

 目の前の男が昔、幼心に色々な人が代わる代わる来る家だなと不思議に思っていたのは実はただの交流のある危険な思想家で、それを知ってしまったのがこいつの豹変の始まりだったのだ。きっかけもなにも全てが偶然で、その偶然が彼を完全な狂人や殺人鬼にしなかったんだと思う。


 高校に入学してから次第に彼ら二人は会えなくなっていき、遂に直接天木の家まで目の前の遠原櫟は向かった。高い塀や厳重な警備など、周囲からその広い家の中身を隠すようなその外観は今になって思えば名家だからとかそういったことではなく敷地内にあった物資を隠していたからなのだと、記憶をった今では思い至る。


 とにかく警備は厳重で当然のように正面からは中々入れなかった。だがその家の塀には、天木さんだけが知る抜け道があった。それを幼いころに聞いて何度か使っていた彼は今回もそれを使う。背丈も伸びていたからか通るのも苦しくなってはいたが、なんとかそこから中に入り天木さんの部屋を目指そうとしたのだが、怒鳴り声が偶然耳に入り、つい和室のほうに行ってしまった。そして、聞いてしまった。


「馬鹿野郎!! てめぇの失態で俺たちのことがばれちまったらどうするってんだ!!」

「す、すんません!!」


 叱っているほうは彼もよく知っている天木さんの父親らしい。叱られているほうは知らないが、たぶん昔みたいにこの家によく来るお客さんだろうと彼は思った。更に彼は折角だからと、どういう関係なのかを聞こうという欲が出てしまい、耳をより傾ける。


「オーウ、カレはまだ初心者ショシンシャ、いえ、ビギナーとイったホウがワかりやすいですか? とにかくこのコは初仕事ハツシゴトだったのです、コンカイはユルしてもいいのではー?」


 ずいぶんとステレオタイプな日本語が苦手な外国人みたいな喋りをする男がいるなと、その時はそんなことしか思っていなかったのだが、その考えは次に聞こえた言葉で打ち消される。


「政治屋一人ぶっ殺せねえ新人なんざ連れてくるんじゃねえ! もっと社員研修でもなんでもさせておけ、ガーラッド!!」


 ――なんだって? ぶっ殺す? その想像だにしていなかった言葉にオレも、そして『遠腹櫟』も当惑していた。その話をより聞こうとするためにか、視界が数度揺れて壁に近づく。


「アマキ、これでもワタシタチの懐事情フトコロジジョウはヒッパタク、おう、マチガえました、逼迫ヒッパクしているのです。そもそも安値ヤスネでヤトったんだからこんなモノでしょう、ツギはもっとオオきなオ仕事シゴトでもしてもらいますよ」

「あ、ありがとうございます、ガーラッドさん!」

「おいガーラッド、いいのかそれで!?」


 苛立ちは収まっていないらしいが心配そうにしている声が聞こえる。それに対して、ガーラッドと呼ばれている陽気そうな男はやはり今にも笑い出しそうな声で答える。


「もちろんツギもミスをするようなら、ニホンゴでイうトコロの『クビ』でしたか? あれをさせてもらいますよ」

「だ、大丈夫っすよ! やめさせられないよう、次は絶対仕留めます!!」

「……? ナニをイってますか? ワタシは斬首ザンシュとイったのです。退職タイショクでスませるなんてアマいコトはしませんよ?」


 それまで陽気だったガーラッドの声が、突然に真面目で冷めたものになる。その変化とガーラッドの考える処分の内容に恐怖したのか「ひぃ」と情けない声が室内で上がった。その様子を見て面白がったか他の二人はからからと笑い、叱られていた男は下がるように言われる。


「それではアマキ。これからの御予定ゴヨテイは、いかに?」

「そうだな……まずはあそこの理想主義者どもの国でもぶっ壊してやるか? それから――」


 どこそこの国に対してああしよう、こうしよう。それはまるで外交の真似事をする一般人たちのようだけど、話しているのは外交どころか世界を壊すような話。北方の国に対して港の破壊を行う計画や先進国の中でもエネルギー資源が多く採れる国の採掘施設を爆破する計画、そういった話を淡々と、時に嬉々として話し合う大の大人二人。時折挟まれる昔話の中には『遠原櫟』もニュースで知っているようなものもあり、彼らが本物であることを確信させていく。片方は自分がよく知っている女の子の父親だということに『遠原櫟』は理解が追いつかないでいた。

 その内に、ガーラッドが笑いながら言う。


「やはりアマキはオモシロいカタですね。ところで、アナタのムスメサマはドチラに?」


 思考が緊縮した。これはこの記憶の持ち主の思考でもあり、それを眺めている自分の思考でもある。ここが天木さんの家ならば、彼女だって無関係ではないかもしれないのだ。そのような焦るような気持ちを知らずに、天木さんの父親は「ん?」と虚を突かれたようにしながらも答える。


「鹿枝か? あの子はまぁ、こういった場に出せんからな。今は部屋にいるだろう」


 それを聞いてホッと胸を撫で下ろした。天木さんはこういった物騒なことと関わりはないのだと安心し、緊張していた頭が解放されたように力が抜ける。ガーラッドは残念そうな声をあげた。

「おう、そうですか。アマキの娘はナカナカの美人ビジンだとキいていたので、ミてみたかったのですがねー」


「ま、何年かしたらお前にも見せてやるさ。その時が、最後になるだろうがな」


 胸を撫で下ろした手も意識も再度、固まった。彼の中で止まらないのは体内を巡る熱い血流だけだ。その血の熱で意識を取り戻し始めると、思考の回りも再開される。彼女は数年後が最後だと、彼女の父は言った。それはなぜなのだという疑問が、これを聞いた者にはあった。それに答えるように天木さんの父親は説明を始める。


「なんだよガーラッド、理解できないって面してるぜ? そう難しいことじゃねえさ、高校を卒業でもしたら、ちょっと俺たちの計画に手を貸してもらうだけだっての。なんつったか……そうそうあれだ、自爆テロ! それをちょっと娘にやってもらうってだけだ、事後承諾でな。その時にはお前にも手を貸してもらうつもりだから、その時には見れるだろうって話だ」

「……アマキ、アナタも相当ソウトウクレイジーなコトをカンがえますね。ファミリーをアナタのタノしみにツカうのですか?」

「確かに和那かずなももういねぇし、オレに残ってるのは鹿枝だけだ。けどな、それで夢を諦めきれるか? お前たちの主張を押し通してやるって約束だって叶えられるんだぞ? なにより、世界をぶっ壊すなんてゆうガキの頃からのもう一つの夢にみんな巻き込んで何が悪い? そもそも俺がぶっ壊すのはこの世界だ、誰一人として無事なんてことじゃ済ませられねぇんだよ」

「……ナルホド、やはりアマキは、それでこそですね。アナタらしく粗暴ソボウで、野蛮ヤバンながらも純粋ジュンスイであることこそ我々(ワレワレ)がトモにタタカってきた天木純一アマキジュンイチです。その計画ケイカクとやら、タノしみにさせてもらいますよ」


 高らかに笑いあう二人の大人の声を聞いているとただの約束と同じようなものに聞こえるが、その実態はただ娘を殺す時は有効に使ってくれとの、非道でしかないようなやり取りだった。怒りに震えるような手元が目に入る。今この場で二人とも黙らせることができたらどんなによかっただろうかと、オレは思っていた。しかしその時後ろからそんな憎しみを黙らせるような、彼にとって唯一の平和な声がした。


「あれっ、どうしたんですか櫟君? こんなところにしゃがんで」


 その声は多分、和室の二人にも届いただろう。けどそんなことは気にせず平静に「やぁ、こんにちわ天木さん」とだけ、彼は返した。

 ガラッとすぐ近くの和室のドアが開く音がして、すぐに目の前へと二人の男が現れた。一人は、見た目に変わったところのない、何度か彼の記憶の中にも出ていた天木さんの父親だ。もう一人は白いスーツに浅黒い肌、無精ひげのようなものがいくらか残っているがそれでもみすぼらしさはあまり無い、ひょうきんそうながら胡散臭い40代ぐらいの男。

 二人で目を見合わせてから、そっちも努めて普段どおりのような態度で天木さんに話しかけてきた。


「……ああ、鹿枝。お客さんか? こっちでは今大事な話をしてるから、二人とも近づかないようにしてくれ」

「あ、分かりましたお父さん。それじゃあ櫟君、ちょっと私の部屋に行きましょうか」


 うん、と生返事だけ返して天木さんの後についていく。後ろの二人が話していたことの衝撃は重かったようで、その後もどうもまともな返事が返せない。

 その日はそんな風に、微妙な気持ちを抱えて、『遠原櫟』は家路についていた。


 その時間の外は暗く――誰かいることにも気付かずに、路地裏へと連れて行かれてしまう。

 ごみの上に尻餅をついて倒れる。ここまで運んできたのは目の前の黒服でサングラスの金髪だろうか。耳に穴を空けてピアスをしている姿はそのへんのホストのようだ。視界が固定されたのは、その後ろの人物。昼間にも見た、天木さんの父親と一緒にいた男。おそらくガーラッドと呼ばれていたそいつは、黒服の男に命じる。


「さて、アナタのリベンジはこのボウヤをコロすことです。失敗シッパイするようなら」

「分かってますよ。こんなガキ相手、楽勝です」


 余裕そうな笑みを浮かべる黒服。立ち上がる時間まで与えてくれたのは、完全に甘く見ているからだろう。その黒服が手にナイフを持って突っ込んでくる。伸ばされた腕を難なく避けて、ちょうど肘の辺りを下から、思い切り打ち上げるようにして右のアッパー。遠慮も油断もなく入ったその拳に苦悶の表情を浮かべ、挙句の果てにはナイフを落としてしまう黒服。だが追撃の手は緩めずにそのまま腹部へと左ストレートを入れる。予想よりも深く入ったそれに驚いていると、目の前の男はその衝撃に耐えられず吐いた。ゴミに吐瀉物がかかり、よりひどい臭気を漂わせる。

 あまりにも弱い。しかし、顔を上げた男の目はまだまだやる気があるようだった。


「へっ、まだまだこんなもんで」

「……モウ結構ケッコウデース」


 男の首に、何かがついた。それがなんなのかと思えば、手袋に覆われてる指。男はそれがなんなのか、後ろを向くこともできずにすぐに絶命する。その時の首が折れた音は、やけに大きかったように思う。

 どさりとその場で倒れた男の後ろからは、正反対の真っ白いスーツ。ガーラッドが現れる。手袋を外して、面倒そうな顔をしていた彼がこちらを向いた。


「ヤハリ、このクニのフリーのアルバイター程度テイドではダメですねー。ティーンエイジャーにもカてないとは、キタイハズレもイイトコロデス」

「……答えろ。お前たちは、天木さんをどうするつもりだ?」


 『遠原櫟』は死んだ男の持っていたナイフを奪い取り、ガーラッドに向けていた。そしてここにきて生返事以外のちゃんとした言葉が聴けた。それは鈍い刃のように重く、むけられたら普通はたちまち怯んでしまうようなドスの効いた声。しかしガーラッドはそのちゃらけたような姿勢を変えない。


「ふむ、やはり、きいていましたか。マァ、ソレは予想通ヨソウドオりでした。トコロでアマキサントイうのは、娘チャンのホウで?」

「そうだ!」

「カオもコエもコワイデスネェ。しかし、マッてください。ワタシだってそんなにカラテ、じゃない両手リョウテをアげて賛成サンセイしたいわけではないのですよ?」


 嘘としか思えない。さっきの光景では二人して笑いあっていたではないかと、客観的に眺められる立ち位置のオレは憤りそうになる。だけど先ほどまで噛み合っていた気持ちは、ここでズレた。


 『遠原櫟』は、そこに疑惑を持たなかったのだ。


「……本当か?」

「えぇ、モチロン。ワタシはムシロあのをタスけたいとオモいますが、ザンネンながらコノ世界セカイはあのアマキジュンイチというオトコからニゲキルコトがデキルホド、ヒロクアリマセン。デスガ、もしかシてアナタナラ……」

「ぼくなら? もしかしてぼくなら、天木さんを救えるっていうことか!?」

「そうです。そのノ方法ホウホウモ、モチロンお教えしまショウ」


 ガーラッドは胡散臭く、それに気づかなければ人のよさそうな笑みに見えるそれを浮かべながら近づき『遠原櫟』の耳元で囁いた。その時の彼は、きっと悪魔だったのだろうと思うような、あくどい囁き。


 ――人が最も救われるのは、もっとも絆の深い人間とともに死んだときなのですよ。


 この時初めてガーラッドから聞く、滑らかな日本語。それは普通なら、そんなのは馬鹿げていると一蹴できるような、根拠も何もない否定できるような材料だらけのものだ。けれど『遠原櫟』はいわゆる普通ではなく、またその精神もそのときは普通ではなかった。


「……本当に、そうなのか?」

真実シンジツです。トモにフカシンじあうような二人フタリがトモにぬと、永遠エイエンハナれるコトのない世界へとイくことができるのですよ」


 そんなありえない御伽噺おとぎばなしのようなものを、『遠原櫟』は信じてしまった。それはなぜかと言われれば、オレに分かったのはただ一つだけだ。

 『遠原櫟』は、死というものが理解できていない。本質的には当然だが、表面的にすら彼は分からなかったのだ。目の前で死んだ男を見ても動かなくなっただけとしか捉えられずにいた彼はその時、殺すという行為もはじめて知ったようだった。彼が天木さんを自爆テロに使うと聞いて怒っていたのは、知らないうちにどこか遠くへ行くというのを無意識に理解していたからかもしれない。その無意識の無理解を、彼はちゃんと分かることができなかった。


「……教えてくれ。死っていうものに、どうやったら天木さんをすることができる?」

「死、ですカ? ソウデスネェ、そのナイフですダケでもいいのですガ……アア、より良い死をアタエタイナラバ、そのナイフで実演ジツエンしてあげましょう。ソコの無能ムノウオクハコんでくれますか?」


 疑いも持たずに『遠原櫟』は倒れている――すでに死んでいる黒服を人目のないような奥まで運んでいった。そしてガーラッドに言われるがままにナイフを手渡して、その光景を目に焼き付ける。ガーラッドは終始笑顔で解体作業おてほんを進める。流れ出てくる赤い血を眺めている『遠原櫟』はただ、人はこんなにも血が出るものなのかとだけ感心していた。

 白いスーツに返り血をこびりつかせたガーラッドはその作業を終えると、それを眺めていた彼にナイフを渡して、はにかみように笑いながら言った。


「これで、死人シニンは完成です。このようなコトを、アナタもアマキの娘にしてみるのです。たった、それだけでいいのですよ」


 そのナイフを手に取った瞬間。壊れた感情があふれ出すような笑い声が聞こえるとともに、なんとも覚えのある黒い感情が流れてくるのを、オレはもう一度感じた。そうだ、このあたりを見たときに丁度オレは、廊下で倒れたのだということを思い出す。


 こうして、天木さんを殺すために追うようになった遠原櫟は生まれた。その彼は気づかなかったのだろうか。最後に見たガーラッドの顔がひどく歪んだ笑いであったことに――自分が、踊らされていることに。

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