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異世界少女来訪中!  作者: 砂上 建
梅雨の来訪者
13/53

鏡への問いかけ

 海山さんいわく、ポーターもなし、魔術もなしで異世界への移動、魔術師的に言うならば『世界渡り』というやつを成功させるのはほぼ確実に無理らしい。だが、非正規のやり方でほとんどの人が知らない上にそれが本当にできるのかどうかもいまだわかっていないような方法が一つだけあるのだという。

 そしてそれは、オレの能力が深く関わっているということらしい。


「遠原。あんたも自己複写を使うときに、何かのコードが頭に繋がったような感覚があっただろう?」

「……はい」

「それは恐らく、あんたとあんたの複写対象の間を繋ぐ魔力の糸のようなものだ。そしてあんたが能力を受け取るのはそれを通してってのはわかるね?」

「まぁ、なんとなくは……」

「それでだ。問題はここからだが、その魔力糸。魔力の塊であってもアタシには見えないそれを、もしかしたら天木を追ってる遠原が見つけたとしたら、アタシの考えてるやり方もおそらく成功するはずだ」

「……まさかとは思いますけど、それはどんな?」


 説明をしてくれている海山さんの言葉があまり耳に入らない。けれどなんとか必要そうなところだけは覚えて、さっさと結論を聞かせてもらうことにした。


「簡単だね。その糸を掴む。掴んで離さないようにするのさ。あとは役目を終えて元に戻ろうとするそれに引っ張られて『世界渡り』は強引ながらも成功、ってのがアタシの仮説だ。ま、荒唐無稽すぎるんだがね」


 肩を竦めているようだが、海山さんはこれ以外の方法は無いだろうと言った。だったら馬鹿げていても、きっとそれで奴はこっちに来てしまったのだろう。それはつまり、自分がその男と自分を繋げたからこそ起きてしまったこと。自分が好奇心でやった行動で、天木さんが今居るこの世界に天木さんをつけまわす存在を呼び込んでしまったのだ。軽率すぎたかもしれない。


「あー……遠原。気を落とすんじゃないよ? あんたの行動は責められるようなもんじゃない。状況を進めようとしただけなんだから、あんたを責めるなんてお門違いだろう?」

「……ありがとうございます、海山さん」


 海山さんは珍しく気の毒そうにして励ましてくれた。それは嬉しい。けど、それでも今回のことは拭いきれなかった。

 これまでは、那須野や天木さんの元の世界の自分が悪いのだと思っていたが、それを呼び込んでしまった。まだ昨日になってようやく意識が合わさってきたところなのに、これではどうすればいいのかを考えるひまも無い。

 たまらなく自分がイヤになった。こんな事態を招いてしまったのは、自分の行動であるというのが明白なのだから。だからか海山さんに、オレがこれまで何度か思ってしまった疑問をぶつけてしまう。


「海山さん……オレの同一存在は人の家族を殺したり、人を殺すために追い回したり……悪人ばかりじゃないですか。じゃあ……オレもそんな人を殺して楽しむような悪人になってしまうんですかね……?」


 これまでは別人は別人、考え方はそれぞれだからそうならないようにすればいいと思っていた。けれど、この考えが天木さんを追っている『遠原櫟』のせいで揺らいだ。自分と同じ顔・体格で、自分と同じぐらいの年齢の男。同じような姿をした人間が悪人、ということだけを見て怯えているのではない。

 その記憶に触れてみて、こいつが昔は悪人でもなんでもないただの素直な優しい子供であったことを知ってしまったからだ。今はどうしてあのようになってしまったのかという記憶も見た気がするのだが、オレの記憶はそれがノイズのようなもので覆われているのでは、と思ってしまうほどに不明瞭ななにかに思い出すことを邪魔されているので分からないでいた。それが余計に不安を呼ぶ。


 その不安が、ひとつの証拠の無い推測を出した。一人の存在は、その本質から逃れることはできないのではないかと。本質が悪や殺人者だからこそ、那須野の恨む『遠原櫟』も、天木さんの想う『遠原櫟』もそれから逃げることはできずその思想に染まったのでは、なら自分もいつかそうなってしまうのかという、今の海山さんが語ってくれた仮説よりも馬鹿げていて、愚かな推測。けれどそれ一つしか浮かばないばかりにいまだ捨てきれないものでもあって、オレは無自覚な悪意に蝕まれているからこうして天木さんにとって悪い方向の事態を導いてしまったのかという不安が出てきてしょうがなかった。

 だが――海山さんはそんなオレを見て、不安を吹き飛ばすように笑った。それはもう、豪快なほどに。


「わ、笑わないでくださいよ海山さん。こっちは真剣に……」

「アッハハハハハハ!! 遠原、あんたなかなかいい素質があるよ! うちの師匠に負けず劣らず、考え方が青臭い!」

「むしろどんな師匠さんですか、それ……」


 どんな人物なのかは知らないが、二人まとめて青臭いと評されてしまっていた。まさか真剣に語って笑い飛ばされるなんていう思いもよらない事態にため息が出るが、少し気分は軽くなった気がする。ひとしきり笑った海山さんは立ち上がった。


「まぁ、悩める若人のためだ。一つ教えてやるとするかい」


 海山さんの顔が笑った後の緩みきったものから、真剣なそれに変わった。しかし、なにを教えるというのかがまるで見当もつかなかった。


「いいかい遠原。これは師匠が教えてくれたんだが、異世界の同一存在ってのは基本的に多くの善人がいればまたそれと同じだけ悪人もいるらしいんだ。振り子が片側に振れた分だけ、もう片側にも同じくらい振れるようにね。つまり、究極の悪がいれば究極の善もいる。その二つのあいだの善も悪も当然存在するってわけさ」


 海山さんは喋りながらこちらへ近づいてくる。だけどその内容はやはり広まっていないような、荒唐無稽の内容。けれど、この人がこれまでにウソを言った記憶は無い。なにより師匠の言葉だなんて捏造しても、凄さもわからないオレには通じないのだから本当にこの人の師が言ったことで、真実なのだろう。そして悪があれば善もある。それが意味するのは、つまり。


「要するに、あんたが見たのが悪人だけだからって、あんたが悪人や善人になるかどうかとはまったくの別問題ってことさ。あんたが善人になるよう動けばいい。これは世界の法則だなんてあの人は言っていたが、あんたももう妙なことで悩むんじゃないよ」


 そっと、頬に手が置かれた。オレを見る海山さんの目ははキツいだとかそんな印象は無くなるくらいにやわらかいものになっていて、優しくオレを諭してくれるように見ていた。オレの考えは間違っているから安心しろと、言外に言ってくれている。途端に申し訳ないという気持ちが心を占めた。

「海山さん……すみませ」


「でもまぁ――」


 その目がいつもどおりの鋭いものになったと思うと手がオレの顔から離れ――振りかぶられて、顔面を思いっきり殴り飛ばしてきた。油断していたために、その全力の一撃をもろに食らってオレはその場にぶっ倒れる。意識は何とか残っていたが、状況についていけていない。


「――そんなことを考えてる暇があるなら、自分をいい人間にしようともっと努力しろ、ってのがアタシの本音だね」

「……おっしゃるとおりで」


 ひりつく頬を撫でさすって立ち上がる。殴られたのは確かに痛いが、むしろ頭の整理が一気についたような感じだ。今できることは自分が身を堕とさないようにするためにも天木さんを守って、やってきたやつをどうにか正気に戻して二人で会話できる状況を作り出すことだ。それができそうにないなら、どうにかしてお帰り願う。そうなると天木さんとやつが出会う前に一度、オレがそいつと話し合う必要がありそうだ。記憶を見た限り、今のやつと天木さんをただ会わせればろくなことにならないというのは明白。ならばその前に手を打たねばなるまい。


「海山さん。力……貸してくれますか?」

 その為には、目の前にいる海山さんの助力が必要となる。こんな場面じゃ意地なんて張ったりするほうがダメだ。もう一度頭を下げてオレは頼み込む。


「こんな時に手を貸さないほど、アタシゃ捻くれてないからね。いいさ遠原、力添えならいくらでもしてやる」

「! ありがとうございます!!」


 心の底からの声が出たような気がした。頼みを快諾してくれたことと、そしていつまでも答えが出ないようなくだらない悩みをしていることを叱ってくれたこと。この二つが、本当に嬉しかったんだと思う。


「それじゃあ海山さん、まずは――」


 +++++++++++++++++++


 家に着いたのはそれから何時間か経った、日が傾くころだった。外が暗くなったら、オレは一度外にやつを探しに行くつもりだ。


「ただいまー」


 返事はない。二人とも部屋にいるのだろうかと思って特に気にせずにリビングへと向かったが、天木さんはそこにいた。

 ただ、行動が変だ。ソファーに座り耳を塞ぐように頭を抱え、顔を下へ向けている。まるで何かに怯えているようなその姿で、彼女もすでに自分の知っているやつが来たのだと分かっていることが察せた。開いたドアの音で気づいたのか、こっちを向いて表情がこわばりかけたがすぐに安堵の色に変わる。


「と、遠原さん……おかえりなさい」

「ただいま。やっぱり、天木さんもあの事は知ってるんだね」

「はい……朝にお隣の人が猫が切り刻まれていたって教えてくれましたから、それで……」


 隣っていうと、たぶんあさひさんのところか。あそこの家族はなんやかんやで世話を焼いてくれる人たちだし、心配してくれたのだろう。普通なら学校に行ってるけど、休んでいたりしたら外に出ないように忠告しようと思ってくれたのだろうな。中から知らない女の子が出てきたのは驚いたろうけど。


「遠原さん……正直、私はまだちょっと怖いです。櫟君に会うのが……」


 天木さんの口から弱音が零れた。ここ数日で決意したばかりの天木さんにはまだ、これまでの怖さを消せていない。やつと会うことに心の準備もなにも出来ていないのだろう。

 彼女の身体は、震えていた。


「……とりあえず、なにか飲んで落ち着こうか」


 棚からなにか、そういった効果のありそうなものを探す。そういえば昔にもらった紅茶があったので、それを淹れることにする。ところどころうろ覚えのやり方だったが、その匂いを何とか消さずに淹れられた。それをカップに入れて二つ、ソファの前にある脚の低いテーブルに運んだ。

 天木さんは運ばれてきた紅茶の水面を少しの間眺めるようにしていたが、匂いに惹かれたかそれに口をつける。それを見てからオレもそれを飲んだ。砂糖もミルクもないストレートティー。苦味はあるが、それに対して嫌気というものがこないのが不思議な感じだった。

 そしてまた少しの間が生まれる。だけどその内に天木さんがゆっくりと喋りはじめた。


「私は、櫟君のことがまだ怖いです。昔みたいな笑顔じゃなく、ナイフを持って迫る姿だけが浮かんできてしまいます。でもそれ以上に……これまで逃げてきた櫟君とどう向き合えばいいのかが、分からなくて……」

「……天木さんはこれまで二人でケンカしたことは……無いって、そういえば言ってたか」


 こくん、と天木さんは頷く。ケンカした後のように許しあえればいいって言おうかと思ったけど、その経験が無いのでは仕方がない。だから別の案を考えることにした。


「じゃあ天木さん。きみはその友達に会って、何が話したい?」

「……もう一度、一緒の時間が過ごしたいです。逃げていたことを謝って、その後で帰ったら一緒に本を読んだりしたいです。一緒に勉強がしたいです。一緒に遠くへ出かけたいです。もう一度一緒に、あの公園へ行きたいです。そうして関係が元に戻ったら、今度は……遠原さんや樫羽ちゃん、他の皆さんとも一緒に、お話がしたいです」


 天木さんのやりたいということは、単純なものだった。ただ、昔の関係に戻りたい。そこにオレたちも交えたいと思ってくれるのは誇りに感じるべきなのだろうか。

 なんにせよわかりやすい。わかりやすくて、それでいてやりやすい。もう見たくないなんて、ありえないだろうけど彼女が言ったのならオレは殺す……とまではいかないまでも、もう天木さんに近づけないような状態にするぐらいは決めていた。けれどやはり、彼女は自分の過去を捨てない。捨てきれないのではなく、希望があるからまだ捨てる必要が無いと思っているのだ。


「よくわかった、天木さん。向き合うのならただ、面と向かってそれをぶつければいい。言いたいことを言って、どこが食い違ってるのかに気づければたぶん二人の仲ならすぐに元通りになるんじゃないかな?」


 実際のところどうなるのかはまだわからない。でも予想が外れるような光景はあまり浮かばないのだからきっとどうにかなるはずだ。

 天木さんもそう思ったのか、ホッとした表情で笑った。


「そう、ですよね。遠原さんと話しているとなんだか、安心しました」

 天木さんはもう一度紅茶に手を伸ばした。どうやら気に入ってくれたようだが、この紅茶の種類はなんだっただろうか。確かアルファベットでガッレだかと書かれていた気がするがあいにくと合っている気がしないので今度海山さんと話したときに聞いてみよう。そう思いながら自分もカップを手にとって飲む。やはり何か入れないと味気ないな、という感想を抱いた。



 天木さんは大丈夫そうなのでオレは自分の部屋に戻った。夜に備えて今日はそれなりに動きやすい制服でこのままいるつもりだ。それまでの時間はどうしようか、と思っているとノックの音がする。入ってきたのは樫羽かしわだった。


「失礼します、兄さん」

「……ん、今日はあの格好じゃないのか?」


 あの格好というのは昨日のスカート姿のことだ。今日の樫羽は普段通りのパンツルックである。昨日のような可愛さは無いが、やけに似合うのは基本的にキリッとした表情が樫羽の普段からの顔つきだからだろう。

 樫羽は、それを聞いて少しだけ照れたように顔を赤らめた。


「な、何日も着回すわけにもいかないですから……そ、それより兄さん。今日の夜……出かけるんですよね?」

「……お前、なんで分かってるんだよ」

「簡単です。今の状況で兄さんならこうするだろうと思ってますから」

 うちの妹様はずいぶんと兄への理解が深いようだ。嫌じゃないからいいんだがな。


「いいですか兄さん。わたしはあまり兄さんが危険なことをするのは――」

 樫羽が説教を始めようとしていたがそこでカクン、と電池が切れた人形のように動きを止めた。この状態ということはおそらく、あいつがきたか。


「よう『カシワ』。最近はよく出るな」

「――最近って言ったって二回目じゃない。まだまだ出足りないー」


 ぶーたれんな。とにかく、数日振りの登場の樫羽の別人格だ。正体やら何やらはほとんど不明だが、とくに害がある存在というわけでもないので気にしていない存在である。それがなぜこのタイミングで出てくるのか。


「えっと、あの子の説教じゃ長くなるだろうからあたしから手短に言わせてもらっていい?」

「ダメだ」

「ケガしてるんだよねお兄ちゃん。ちょっとそこを重点的に殴ってからお話しする?」


 なんでこいつにはケガがバレてるんだ、とそっちに驚いたが樫羽よりも目ざといのだろうということで無理矢理納得した。今の内から殴られるのは困る。


「……わかったわかった。手短にしろよ?」

「もちろんだよ。それじゃあまず――今回はケガ無しで帰ってくること! そして天木のお姉ちゃんやあの子に心配かけたり悲しませるようなことはしないこと! わかった!?」


 腰に手を当てて力強く、言い聞かせるようにしてカシワは言った。なんだ、こいつも心配してくれてるんだな。普段はそんなことをこいつから聞く機会もなかったのでちょっと意外だった。


「ああ、大丈夫だ。ちゃんと心がけてるさ。というかお前、天木さんのことお姉ちゃんって呼ぶんだな」

「そりゃあ年上だし、あの子も私も信頼してるからね~。なんならお義姉ねえちゃんでも」

「……アホなことを言うな。天木さんに悪いだろうが」


 ペチン、とデコピンをお見舞いする。普段の樫羽相手だとためらわれる行為だが、カシワ相手だと別に躊躇う必要が感じられないのは、オレとこいつがあまり普段から一緒の時間を過ごしてないからか、はたまた逆にやりやすいからだろうか。どちらにせよ、目の前で額を押さえているカシワの姿は罪悪感よりも、しょうがないよね、といった感情が沸いてくる。


「あう……もうお兄ちゃん、照れてるの? 天木さん可愛いからしょうがないかもしれないけどー」

「なるほどもう一発ほしいと、つまりそういうことか」

「なんでもう一発って言っておきながら両手で構えてるの!? そんなひどいお兄ちゃんに育ってもらった覚えはないのにー!」

 左右のデコピン発射台を作りながらどこを狙おうかと思案する。


 そんな時、下の階から激しい音が聞こえた。


 誰かが倒れたような、そんな音。下に今いるのは天木さんだけ。それに気づいて二人ですぐに下のリビングへ降りると、天木さんがその場で倒れていた。しかし何かケガをした様子もないし、呼吸もしている。ただの過労のようで、ひとまずオレたちは安心した。


「……疲れがでたのかな。今すぐこの環境で休め、って言われてもなかなかできないだろうしね」

「……ごめん天木さん。気づけなくて……」


 聞こえていないだろうけど、そう謝ってからそっと手で体に触れる。


 その時、不思議な光景が見えた。記憶がひとつ鮮明になり、前触れもなくそれまで映像を覆っていたノイズが晴れたのだ。その時見えた光景は予想だにしていないもので、自分の思っていたものとは違うそれに戸惑いが出てしまう。


 そうして止まっていると、カシワに頭を叩かれた。それで意識がようやく現実に戻り、カシワが叱咤する声が聞こえる。


「ほら、すぐにソファーに運ぶよ。お兄ちゃんは頭の方持って!」

「あ、あぁ、すまん!」

 すぐにカシワの指示に従って肩の辺りを持ち上げて頭は胸の辺りで支える。そうしながら、さっきの光景を思い出す。あれを見て、つい思ってしまった。


 なんだよ、お前も天木さんのために動いているんじゃないか、と。


 ++++++++++++++++++++


「それじゃ、お兄ちゃん。行ってらっしゃい」


 夜、21時。オレが出かけるのをカシワは見送ってくれた。これから会いに行くのは殺すことが目的の殺人狂みたいなやつなのに暢気なものだと思うけど、いつもと変わらない光景にちょっと気持ちが落ち着いたというのもある。


 この時間になれば外はやはり暗い。人一人捜すのも一苦労な感じがするが、それに関してはなんとかなりそうだった。自分の能力を使うのだと、海山さんは言っていた。


 今回の目的の人物オレを即座に脳内で表示する。そして頭に何か繋がった感じがいつもどおりするのだが、その先にいる人物の位置がなんとなくわかるような気がした。普段は感じられないが、今はなぜか感じられる。たぶん同じ世界内で繋がっているからだろう。感覚的に向こうがどこにいるのかがわかるのだ。


 それによってわかった場所はちょうど、オレも知っている近所の公園だ。ブランコやらシーソーがある、普通の児童公園。広いというわけではないからか住民性か、騒ぐような馬鹿がいないといういい公園だと思う。少し昔のことを思い出しそうになったが、それをすぐにやめるように頭を振る。今はそんなことをしている時間はないのだ。


 接続を切り、公園に足を向ける。その途中で、知り合いと出会った。向こうが手を上げて「よう」と挨拶してくる。


「その馬鹿面は見間違えるはずもない、葉一だった」

「人が普通に挨拶してやってんのにわざわざ貶してくるんじゃねぇよ、お前は!」

「すまん、口が滑ったんだ。それで、なんでお前がいるんだよ? オレは急いでるから手短に教えてくれ」

「それ聞くほうが頼むもんじゃないよな? まぁいいけどよ……」


 げんなりとした顔だったのが、神妙な顔つきになった。なにかあったからここにいるのだということだと、すぐに理解する。


「……那須野が襲われたみたいなんだ。ナイフを持った妙な男ってのに」

「!!」


 だが、葉一の口から出るとは思っていなかった言葉に、オレは驚きを隠しきれずにいた。

 ナイフを持った男、それはほぼ確実に今オレが捜しているあいつのことだろう。だが、そいつが那須野に手を出したというのは衝撃的だった。まさか人まで襲うとは考えてなかったのだ。どういうことかを聞かなければ、納得できなかった。


「葉一、那須野はなにか言っていたか?」

「えーっと、確か見た目は、夏なのに黒のパーカーを着ていてフードも被っていたからよくわからなかったってよ。でも、お前と同じような背格好だって言ってたぜ。それとケガとかはしてないらしい。とりあえず追い払ったが、捕まえておけばよかったって電話でぼやいてた」


 那須野とナイフで戦うというのはやはり無謀だったようだ。那須野の腕前も上がっているし、このままいけば彼女は近接戦闘で右に出るものはいないような腕前になるのではないだろうかとオレは睨んでいる。だが、それよりなによりケガが無いことが幸いだ。


「……そうか。それじゃあ、オレはもう行くよ。協力できなくて悪いな」

「ああ悪かったな、ここで足を止めさせちまって。俺はこのまま那須野を迎えに行くから、それじゃあな!」


 そう言うなり、葉一は走って行ってしまった。それだけ心配なのだろう。しかしこっちもそれで考えることが増えてしまった。今のあいつは、天木さんだけでなく、那須野にも手を出したのだ。その事実に憤りが湧くが、頭を冷やさなければいけない。オレがやろうとしてるのはやつに罰を与えることではなく、どちらかといえば説得することなのだから。場合によっては肉体的に語り合わなければいけないが、そんな事態が来ないことを祈りたい。

 そう思いながらも、足は急いで小走りになる。夜の町にはやはり、靴音がよく響いた。


 見慣れた場所だった。今はあまり近づいていないが、それはなにか嫌な思い出があるからということではない。単純にこっちまで来る用事がなかっただけの話だ。それでも身体は覚えていたようで、入り口を見た瞬間に懐かしい記憶が甦る。あのころは……と思いそうになったが、それはこの公園の中心に立っている男の姿を見て中断させられる。黒いパーカーに黒いズボン、フードは外しているようだが黒い髪と夜の闇にまぎれるにはちょうど良さそうな格好だろう。一つ、その右手に持った鈍く光るサバイバルナイフだけを除いてだ。間違いないと、確信した。こいつが天木さんを追っている――


「……よう」


 こちらに気付く様子もないそいつに対して近づいてとりあえず呼びかける。身体をこわばらせた様に見えたが、すぐにそれを解いてこちらへ振り向く。鏡などではなく、こうして自分の顔を見ることになるとは思わなかった。髪型はこっちが短めの適当なものなのに対して、向こうは長いストレートのようなもの。雰囲気もこちらは緊張気味なのに対して、向こうはこちらを油断しきっている、そんな対照的な感じだ。


「……きみは、だれだ?」


 だからか、声もどこか覇気がなかった。先ほど襲ったのがあまりに強暴だったからか疲れているのだろうかとも思った。


「オレは……遠原櫟だ」

「――へぇ。ぼくも『遠原櫟』って言うんだよ。偶然かな?」


 心なしか『遠原櫟』の語調が強くなっていた。どうやら疲れていたなんて女々しいことになっていたわけではないらしい。負けないように、オレも語気をできるだけ強めて返す。


「偶然なんかじゃねえよ。オレが遠原櫟で、お前も『遠原櫟』なのは、ある意味必然なのが正常なんだ」


 二人の間に、ポカーンとした空気が流れ出す。一瞬気まずい事を言ったのかと思ったが、そうではないらしい。目の前の男は、腹に手を当てて下卑たもののようにも聞こえるような笑い声を上げた。けれど、それは純粋に面白くて笑っているのだと、顔を見ればわかった。


「アッハッハッハッハ!! きみ、なかなか痛々しいことを言うんだね! 偶然に必然、さらには正常! いいセンスしてるよほんと!」

「そりゃどうも。笑いたければ自由に笑ってくれ。どう思おうとそいつは変えられないんだからな」


 オレの言葉を聞いて、目の前の男はさらに笑う。下手をすれば近隣住民が駆けつけても仕方がないようなボリュームだったが、そういった事態にならないようにする対策はすでに海山さんととっていたので問題ない。

 しかし痛々しいと評されたのはこれで二回目だな。いや、海山さんからは青臭いだったか? まあいい。どちらにしろ残念なことには変わりない。どうせこの男の笑いを止める方法なんぞ分かっているんだ。早々に黙っていただこう。


「――ああ、偶然といえば天木さんとオレが出会ったのは、偶然だったのかな?」


 静止。静寂とも言えるような音がなくなった世界がそこに生まれ、動くという事象が戻ってきたのは10秒後――オレとしては一分ぐらい経っているんじゃないかと思っていたが、そのくらい長く感じられた時間で最初に動いたのは、黒パーカーのほうだ。爆笑していた顔が今は気味の悪い薄ら笑いを浮かべてオレにナイフを向けていた。


「……天木さんは、やっぱりここに?」

「いない……って言ってもお前にはわかるか」

「ああ、わかる。天木さんの気配もする。あの子の怯える雰囲気は、ぼくにはよく伝わってくるよ」


 なんとも言えない、嫌な能力だ。だが、あいつはそうは思っていないらしくただ狂ったように小さく笑っている。無駄な気がしたが、こっちも質問があった。

「天木さんを見つけたら、どうするんだ?」


「もちろんまずはもう逃げられないように拘束だきしめてそしてじっくりとなんてまどろっこしいことはしないでゆっくり近づいてぼくはナイフを手に持ってそれを振り下ろしまずは苦痛に呻く表情を見た後で今度は刺した後の表情なんかを観察して恍惚の笑みを浮かべたりなんかしたあとで心残りの無いようにぼくの知っている身体の部分一つ一つに刃を通した後でさっくりとやってからぼくもすぐに後を追って今度はちゃんとした天国で一緒に二人で暮らしあおうかなと」


「……聞いたオレが馬鹿だったな」

 吐き気と胸焼けがするような趣味の悪い空想を聞かされるとは思ってなかった。だがこれでますますはっきりとしたこともある。


「うん。やっぱお前はまだ天木さんのところには連れて行けないわ」


 オレは両方の拳を構える。素手だが、妙な武器を持ってきてもしも激昂して殺してしまったりしては余計に天木さんが傷つくだけだ。向こうはナイフを持っているが那須野と戦うときほどのリーチ差は生まれないはずだし。


「大丈夫だよ。きみに聞かなくてもぼくには足があるし、なにより彼女の位置もなんとなくもうわかる。蜘蛛の糸に感謝ってところかな」


 蜘蛛の糸? と謎の発言を不思議に思いながら構えていると、向こうもナイフを構えた。その顔は相変わらず暗い笑顔。どうやら、オレももう用済みだっていうことか。


 躊躇いの無い走りで『遠原櫟』は近づいてきた。それに対しオレも自分の間合いに入るべく駆け寄る。この戦いは負けられない。オレにとっては、絶対に負けちゃいけない一戦なんだと、強く言いきかせて前方の男だけを見据えた。

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