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レディ・ローズ(2)

ウォルツ伯爵邸に来て正解だった──お嬢様を見ていると、そう思えた。

気を許せる姉君に会えたこと、美しく優しい庭園で美味しい紅茶を飲めたこと。ウォルツ伯爵邸に着いてから起こったことは、一つ一つ全てがお嬢様にとってプラスになったのだろう。私の幸せはお嬢様が幸せになること(ベタだけど、本当に)だから、私にとっても、この訪問は有意義になるはずだった。


「あら、お菓子が少なくなっていますね。……紅茶も冷めてる」

無礼講・ティーパーティの途中、エリザがテーブル上を見て、それからティーポットに手を当てて言った。

「新しいものを持って参りますね。ローズお嬢様、ルーシャンお嬢様はそのまま続けていらして下さい」

「ええ。分かったわ」

「悪いわね」

お嬢様方も心得たもので、「無礼講なのだから私が……」なんておっしゃられない。そんなことを言い出したらどうなるのか、以前に身をもって体験されたからだ(三倍の時間がかかった、とだけ言っておくわ)。

エリザがプレートとティーポットを運んでからも、無礼講・ティーパーティは続いている。

「お姉様、今日いらっしゃるお客様って、どなたなの?リジン様のお客様?」

「いいえ。多分、もうすぐいらっしゃると思うわよ。きっと驚くわ。その方は、明日開かれる、夜会にも参加されるから、一晩宿泊されるのよ」

私の考えすぎかもしれないが──ローズ様は、相手方の名をわざと伏せているようだった。

「夜会?ウォルツ伯爵邸で行うの?」

お嬢様は興奮したように、頬を赤らめてローズ様の方に身を乗り出した。

夜会かぁ、と私も夜の庭園を心の中に思い描く。噴水の周りに並べられる色付きのキャンドル、花を神秘的に見せるランプ……素晴らしいわ。

「そうよ。ルーちゃんも参加するのでしょう?」

「え?いいの?嬉しいわ!」

予定は空いているものの、お嬢様はドレスを用意していない。ローズ様のものでは合わないだろうし……サイズの合わないドレスを主に着せるだなんて、私が耐えられない。本当なら一ヶ月前から仕立て屋に通いつめて最高の一着を準備したかったけど。時間がないわね。一週間後の晩餐会のために誂えたドレスを屋敷から持ってきましょう。アクセサリーは……そうね。あの紅珊瑚の耳飾りと……首にはピンクサファイアのものがいいかしり。それともお嬢様の白い肌を強調させるためにあえて濃いアメジストをおくべき?

いえ待って。お嬢様はローズ様の妹として参加するのよ!?

明日、ローズピンクのルージュを買いにいかなくては……。

主をどう輝かせるか──私達侍女にとって、夜会とは戦いの場になるのだ。


キキー、と馬車が止まる音がして、私は顔を上げた。

「お客様かしら」

「ローズ様、私が見て参ります」

ローズ様が立ち上がるのを止めると、私は庭園から屋敷の正門に向かった。

「ローズ様のお客様ですか──あ」

御者台から降り、ベストの汚れを払っている男。彼の顔を見て、私は一切の行動を止めた。瞬きすらできない。

「……おや、リドニア殿。一日ぶりですね」

彼──ティルー殿は私の半分も驚いていなかった。愛想の良い表情を浮かべている。

「リクト様。ルーシャン様がいらっしゃっているようですよ」

「何!?ルーシャンが?」

馬車から勢いよく出てきたのはリクト様。リクト様の驚き方は、この方がお嬢様がこの屋敷にいることを少しも知らなかったことを如実に表していて、私は安心した。なんか、ティルー殿みたいに何を考えているのか分からない人って苦手なのよね。

……というか、今リクト様、お嬢様を呼び捨てにしなかった?

ティルー殿と二人のときは呼び捨てにしてるのね、と容易に察せられる。

嫌味の一つでも言ってやりたいけれど、リクト様がお嬢様の名を呼び捨てにしたとき、私は嫌悪感を全く感じなかったから──だから、一度だけ私は目をつぶることにした。

「お前は──ルーシャン殿の侍女か」

何で?何で?何でこんなところにいらっしゃるの!?

そんな思いをおくびにも出さず、私は頷いた。

「はい。リクト様は、ローズ様のお客様でございますか?」

「ルーシャン殿もこちらに?」

……話が噛み合っていない!

どうしたものかと迷っていると、援軍がきた。

「ヒルドマン侯爵様!お待たせして申し訳ございません」

エリザだ。ティーポットもプレートも持っていないから、きっとローズ様が寄越して下さったのだわ。

「いや、私はまだ侯爵位は継いでないから伯爵だが……」

貴族の次期様って、爵位を継ぐ前は父君の爵位の一つ下を名乗るの。だから、侯爵位の下は伯爵位。だからリクト様はヒルドマン侯爵位以外にも別名の伯爵位をお持ちのはずだ。

でも、大抵の人はそんな作法無視してるわよ。父親の名を名乗りまくってる。たしかに、守らなくたって罰を受けるわけでもないし、実際に将来はその名を名乗るのだからその気持ちは分からないでもない。

「失礼致しました、リクト様。ローズ様は庭園でお茶会を開かれております」

「ルーシャン殿と?」

「ええ。ローズ様の妹君、メフィス伯爵令嬢ルーシャン様もご一緒でございます」

にっこりとエリザは微笑み、「ご案内いたします」と告げた。

ティルー殿は控えていた下男(いつからいたのかしら)に馬車を預け、明日の夜(夜会が終わった後ね)に迎えにくるよう申し付けていた。

そして、私の顔を見て目を丸くする。

「あれ?リドニア殿。待っていて下さったのですか」

「はい?」

横を見るとエリザとリクト様が──いない!なんて迅速な行動。いつ動いたのかも分からなかった。

「ローズ様方は庭園ですね。僕達も参りましょう」

「はい。……僕?」

この人、一人称「僕」だったかしら?ジッと見ると、ティルー殿は居心地悪そうな顔になった。

「普段から私、なんて呼んでいるわけではありません。もちろんリクト様も。同じ使用人ですし、堅苦しいことは止めようと思いまして。駄目ですか」

「いえ別に」

本当を言うと、ティルー殿の一人称など、どうでもいい。私には何の関係もないもの。

素っ気ない私に、ティルー殿は苦笑される。

「ところでリドニア殿。一つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ。答えるかは内容によりますけれど」

「リドニア殿は、ヒルドマンを嫌っていますよね?ああ、これは質問とは違います。つまり聞きたいのは──」

もしも。もしもですよ?と、ティルー殿は前置きした。

「ルーシャン様が、ヒルドマンを嫌いではなくなった、とおっしゃられた時。なおもリドニア殿はヒルドマンのことを嫌いますか?」

「いいえ」

即答できる質問だった。

だって──お嬢様が嫌っておられない者をどうして私が嫌うのか。お嬢様がヒルドマンを愛すると言えば、私もヒルドマンを愛すだろう。

「では、リドニア殿はそこまでヒルドマンを嫌ってはおられないのですね」

そんな私の忠誠を知ってか知らずか、ティルー殿はあっけらかんと言い切った。

「ど、どうしてそういう結論に達するのです!?」

「だって、そうでしょう?人の意見で変わるような意思ならば、それは大したものではありません」

「そ、それは……っ!」

私の反論から逃げるようにティルー殿は早足になって庭園の奥に進んでいく。広い広い庭園の中を迷いなく進む様子から、彼ら(ティルー殿とリクト様)がウォルツ伯爵邸に頻繁に通っていることが見てとれた。


ガシャンッというガラスと金属がぶつかる音がしたのは、その直後だった。


それが洋菓子の乗っていたガラスのプレートと、ティースプーンであることはすぐに分かった。分かったというか……音に驚いてお茶会を見に行って、理解した。

お嬢様が顔を真っ赤にしてリクト様を睨んでいる。

「ルーシャン殿。落ち着いてくれ。余計なことをして悪かった」

ご自分に向かって手を伸ばすリクト様に向かって、お嬢様は予備のティースプーンを投げつける。

「ヒルドマンは触らないでちょうだい!」

「あらあら、ルーちゃん?危ないわよ。ティースプーンなんて投げちゃ駄目じゃない」

「お姉様だって同罪よ!あたしがどれだけヒルドマンを嫌っているかご存知でしょう!!」

ど、どういう状況なの……?

お嬢様がリクト様を嫌がられるのは理解できるけれど、ローズ様まで責められる理由が分からない。ティルー殿が小声で、

「……リクト様はこれまでに、何度かローズ様からルーシャン様の情報を得ていたのです」

とカミングアウトする。そんな重大な秘密をついでみたいに言わないで。

お嬢様がお怒りになるのも当然よ!

ローズ様はお優しい、それこそ聖母のような笑みを浮かべた。

「……ねえ、ルーちゃん。ルーちゃんのそれは、根拠のある「嫌」なの?」

「根拠なんてないわ。ヒルドマンは嫌い。それだけよ」

「これは私の推測だけど……ルーちゃんのヒルドマン侯爵嫌いは、刷り込みのようなものだと思うの。生まれた時から、お父様はヒルドマン侯爵の……その、あまり良くないことをおっしゃられていたから。だからルーちゃんはヒルドマン侯爵と聞くと、悪くしか思わないのではないかしら。リクト様とヒルドマン侯爵位を離して考えてみたら──ね、どう思う?」

優しげな顔に似合う、少し高めのお美しい声。その言葉は、一概に間違えているとは言えないのでないだろうか。

──ローズ様は、変わったわ。

今まで、ローズ様がお嬢様にそのようなことをおっしゃったことはなかった。けれど今言うのは、きっと、婚約した妹の幸せを願ったから。

怒っていらっしゃったお嬢様は顔を歪めてそれを聞いていた。

ヒルドマン侯爵嫌いが有名なお嬢様。言わば、ヒルドマン嫌いはお嬢様のアイデンティティだったのだ。

これまでの自分が否定されたように感じても無理はない。

リクト様を見て(リクト様は不器用な笑みを浮かべた)、お嬢様は逃げ出した。


「きゃっ」

逃亡は十メートルも続かなかった。

ダッシュしたお嬢様は、こちらに向かっていた男性に捕まったのだ。

「……ルーシャンじゃないか」

「リジン様……」

ウォルツ伯爵令息、リジン様。リジン様は、もう二十歳は越えていらっしゃる。

美形ではないけれど、温厚そうな顔立ちは、ローズ様の隣がよくお似合いになる。性格がお美しい方なのよ。

「どうかした?小さな私の天使」

「うう……リジン様……!」

わっと泣き出したお嬢様を、リジン様は優しく抱きしめた。

感動の場面ね……。

私は、そんなお嬢様達を見ていることしかできない。そして、そんな自分が歯痒くて仕方がなかった。

リジン様はお嬢様が泣き出した経由をご存知ないけれど、だからこそ慰める人としてはピッタリなのね。


「ちょっと、リジン殿!ルーシャン殿は俺の婚約者ですよ!?」

「ヒルドマンは触らないでと言っているでしょう!!」

……リクト様、台無しです。

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