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長い一日の終わり

ランチパーティ後、お嬢様のヒルドマン嫌いは悪化した。

馬車の中で眠られて、私が部屋に運んでから一時間くらい経ってから目を覚まされたのだけど。

「り、リドニア!」

「はい、お嬢様。こちらに」

「湯浴みをするわ。準備して。洗髪は特に念入りにしてちょうだい!」

髪に口づけられたことを、かなり気にしていらっしゃった。当然よね。私だって、ティルー殿と別れてから何度も何度も手を洗った。アルコールで消毒までしたのだから(そしてそれをルドルフ執事は止めなかった)。

「かしこまりました。ただいま湯を張りますので、三十分ほどで入浴できるかと」

そして、私は水で薄めたアルコールを含ませたハンカチーフを取り出す。

「お嬢様、手を消毒致します」

「ええ、ええ。そうだわ、リドニア。(はさみ)を貸して。髪を切るから」

「いけません!その美しい髪を切られるだなんて……」

一度訪問しただけでこんなのでは、結婚した後はどうなるのかしら……。向こうに住むのよね。お二人は、夫婦になられるのよね……。駄目だわ。私の乏しい想像力では、その様子が浮かばない。お嬢様(結婚したら、奥様って呼ぶのよね)がリクト様を毎日拒絶しているところしか浮かばないわ。

そして、私も毎日ティルー殿と顔を合わせるのは嫌。考えただけでもゾッとするわ。ストレスで重い病にかかりそう。

「ここにいても気が滅入るだけね。リドニア、庭園へ行きましょう。風を浴びたら、少しはこの嫌な気分が払拭されるかもしれないわ」

お嬢様……なんとけなげな方かしら。私まで気遣って下さるなんて。たとえ重い病にかかろうがストレスが溜まろうが、私はお嬢様についていきます……!

ドレスを着替えて、お嬢様と私は庭園へ出た。ヒルドマン侯爵邸の庭園は、悔しいが素晴らしかった(あそこまで薔薇に固執しなくてもいいと思うけれど)。

「……殺風景なものね。この庭も」

お嬢様も、ヒルドマン侯爵邸の庭園を思い出していたらしい。肯定も否定も出来ず、私は黙っていた。

「ねえ、あたし、ヒルドマンに嫌われようと思うのよ」

「ヒルドマン……リクト様にですか?」

「ええ。向こうから申し込んできたのだから、向こうから断らせればいいのよ」

お父様は、断る気なさそうですもの、とお嬢様は皮肉げに付け足した。お嬢様にこんな表情をさせて──。私は旦那様を恨むわ。

「でもきっと、無駄よね。たとえヒルドマンが私を嫌ったとしても、じゃあ止めます、ってなるはずないもの」

お嬢様の言葉は正しかった。いくらヒルドマン侯爵がメフィス伯爵よりも格上だったとしても、一方的にとりつけた約束をおいそれと簡単に破棄などできないのだ。それに、旦那様付きの侍従によれば、色々な条件や契約まで絡まっている。伯爵の権力と地位を考えても、破棄されることはまずない。

破棄されるとしたら──、重婚、遺伝する病持ち、妊娠発覚……。お嬢様には言わないでおこう。

「お姉様が、羨ましいわ」

ぽつりとお嬢様がおっしゃる。

お姉様とは、お嬢様の姉君であらせられるローズ様のこと。ローズ様はすでに婚約なされていて、今はご婚約者様のお屋敷に住んでおられる。

最終的にはご婚約者様が次期メフィス伯爵になられるのだけれど……、私が言うことでもないけれど、ローズ様のご婚約者様はいい方なの。

たしか──ウォルツ伯爵の次男の、リジン様、だったかしら。そして、珍しいことにローズ様とリジン様は恋愛結婚なの!

この時代、ローズ様ほどの身分で恋愛結婚なんてすごいことなのよ。

「……お嬢様、そろそろ湯浴みの準備が整っていることでしょう」

「そうね」

ローズ様が幸せならば幸せなだけ、それに比べて自分は……と思ってしまう。そんなお嬢様の心情は、私のような者でも簡単に察せられた。


浴室で、お嬢様の長い金髪を湯で流す。湯がかかると少しだけ色が濃くなったように見えて、そんなお嬢様の髪が私は大好きだ。

「……リドニア」

「どうかいたしましたか?お嬢様」

「明日……あたしの予定って無かったわよね?」

私は頭の中でお嬢様の予定を思い出した。ええ、次の予定は、四日後の舞踏会だ。

「はい。明日は何の予定も入っておりません」

「では、あたしの湯浴みが終わり次第お姉様に手紙を書いてちょうだい。明日訪問しても構わないか」

「明日……ですか?」

ずいぶんと急な話だ。大体の確率で断られるでしょうに。

今は、ちょうど空が茜色になってきた頃。お嬢様の湯浴みを終わらせて手紙を書き(そのインクが乾くのを待って)、それを届けさせたらもう夜だ。

でも、今は、何よりもお嬢様の意思を尊重したい。ええ、もう、土下座でもなんでもしてやるわ……!

湯浴みを済ませ、柔らかく軽い生地のドレスをお嬢様に着せたら既に外は暗かった。お嬢様と旦那様、奥様が夕食を召し上がっていらっしゃる間に、私はウォルツ伯爵家に訪問願いの手紙を書く。

下男にそれを渡し、届けさせた。

どうか、ローズ様が良い返事を下さりますように。

お嬢様が眠ってからしばらくして──下男が帰ってきた。

「リドニアさん。これ、お返事です」

「ご苦労様。貴方、もう休んでいいわ。皿洗いは私がしておくから。本当に、悪いわね、こんな夜遅くに」

「いえ。リドニアさんの頼みは、そんなに辛い方じゃないですよ」

「ふふ、ありがとう」

ローズ様からのお返事の封筒からは、ふわりと薔薇の香りがした。それを自室に置いて(ミュール家は、一人部屋がもらえるのだ)、厨房に向かった。下男の分の皿洗いを終えると、月が高く昇っていた。

ランプに火を点すと、ローズ様からの手紙を読む。

……内容を一言で言うと、「他のお客様もいらっしゃるけれど、それでもよかったらいらっしゃい」という事だった。

むしろこちらがそれを聞いているのに!

でも、いくらローズ様でも、本当に駄目なときは断るわよね。これは来ても構わない、ということよ。

ローズ様からの手紙を抱きしめて薔薇の芳香を吸い込み、私は簡素なベッドに倒れ込んだ。

今日は、長い一日だったわね。

なんて思いながら。


翌日。私は寝坊してしまった。二十分くらい。誰かに揺すられてて、起きたらトールがいたから、驚いたわよ。トールっていうのは、旦那様付きの侍従よ。昨日お嬢様を運んだ恥知らず(なんで今まで名前を出さなかったのか、って?私、あの人嫌いなの!)。

昨日は色々なことがあったから、きっと疲れていたのね。なんて言い訳したいけど、マリア侍女長に「自覚を持ちなさい!」と怒られた。

「落ち込むことないわよ。リドニア。むしろ助かったわ。今でもこんなに眠いのに、これより二十分も早く起こされていたら、きっとウォルツ伯爵の屋敷で昼寝することになっていたもの」

朝から落ち込んでいる私のことを、お嬢様は慰めて下さっている。主に気を遣わせるなんて、私使用人失格よ。

いつもより細かく髪を結うと、私とお嬢様は部屋を出た。屋敷の前に馬車を待たせているのだ(旦那様にウォルツ伯爵邸に行くことを言うと、快く馬車を貸して下さった。少しはお嬢様に申し訳なく思っているのかしら)。

「お姉様に会うの、久しぶりだわ。私が記憶よりも成長していて、驚くかしら」

「ええ、きっと驚きますわ」

私が太鼓判を押します、と言うと、お嬢様は花のような笑みを零した。

お嬢様の純粋な笑顔を見たのは久しぶりな気がして、私まで嬉しくなる。

懐かしい思い出話に花を咲かせて、私とお嬢様はウォルツ伯爵邸に向かった。

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