馬車の中より愛を込めて
迎えの馬車へ行く最中、私達はまるで葬儀でも行っているかのようだったらしい(父様がこの後に語った)。お嬢様は顔を伏せて、こう言っては縁起が悪いけれど……処刑が執行される直前の死刑囚のようだった。私だって、負けず劣らず暗かっただろう。
庭園に咲き誇る薔薇やその他の花が、やけに白々しく見えた。お嬢様は手触りがよいとおっしゃっていた薔薇色のドレスを皴になるほど握りしめていらっしゃる。
歩みは恐ろしくスローペースで、前を歩くルドルフ執事が何度か立ち止まって振り返るほどだった。ルドルフ執事だって、そんなに早足ではない。いつ立ち止まるのか。立ち止まってしまえば、次はどうあっても動き出さないだろうなと思わせた。
「ルーシャンお嬢様」
柔らかく囁くと、お嬢様はハッと私を見た。薔薇色のドレスから手を離して、私のお仕着せのスカート部分を掴む。
ええ、価値的にも、私のスカートを掴んだほうがよろしいかと思われます。
いくら牛歩で進んでも、スタートを切ったならゴールが存在するのだと、馬車が近づいてきて、私はそのことを実感してしまった。
私達は、馬車の前に着いて歩みを止めた。
「お初にお目にかかります。貴女がメフィス伯爵令嬢ルーシャン=メフィス様でしょうか……?」
馬車の前に立っていた男(と言っても、私より少し年上くらいだわ)が優雅に礼をする。彼が侯爵令息ということはないだろう。ベストもシャツも上等なものだったが、侯爵の嫡男が着るようなものではなかったから。
お嬢様は一度私のお仕着せを強く握ってから、パッとその手を離した。
「人に名を問う前に、貴方から名乗りなさい。自分は名乗らずに、わたくしに名を名乗らせるのですか?こんなにも恥をかいたのは、初めてです!」
あの意気消沈は嘘だったのかと思うほどに鋭く攻撃的な言葉が、お嬢様のお可愛らしい唇から発せられた。驚いたのは、男よりもむしろ私達、父娘ではないだろうか。ルドルフ執事は顔色を変えずにさも当然、という顔をしているが、私は思わずお嬢様を凝視してしまった。とん、とルドルフ執事に背を叩かれ、弾かれたようき視線をそらす。
「これは……大変失礼致しました。リクト=ヒルドマンの侍従と護衛を兼ねて務めさせていただいております、ティルー=ディエラと申します。……これでよろしいでしょうか、レディ?」
スッとお嬢様の手を取り、手の甲に口づけた。
長年仕えていたから分かるわ……。今、お嬢様は有り得ないくらいに嫌がっている。事実、お嬢様は控えめに彼の手を振り払った。
「ええ、結構。わたくしがメフィス伯爵令嬢、ルーシャン=メフィスです。こちらはわたくしの侍女のリドニア=ミュール。どのような場所、状況下においてもわたくしはこの者を傍から離さないわ。異を唱えることは許可しません」
私は、思わず泣きそうになった。
通常、一人の侍女など一々紹介しない。私を先方に紹介するということは、私にもそれ相応の扱いをせよ、というお嬢様の意思だ。それが伝わったのだろう、これまで一度も私の方など見なかったティルー殿は初めて私を見た。
「初めまして、リドニア殿」
「……初めまして」
ぐっ!手を取られた!!お嬢様は慣れていらっしゃるけど、私は慣れてなどいない!!
止めて、止めてーっ!
私がうろたえているのにも気付かず、ティルー殿はスッと口づける。
頬が引き攣るのを押さえ切れない。
「では、参りましょうか」
一人にこにこと爽やかに微笑んでお嬢様に手を差し出す。
ヒルドマンに縁のある人物に触れられたことで怒りと嫌悪で震えていらっしゃったお嬢様。差し出された手を、キョトンと見つめてしまう。
「ルーシャン様?お手を」
「ぁ……えっ、ええ」
エスコートされ、お嬢様は馬車の中に消えていく。私は振り返り、ルドルフ執事と目を合わせた。
「行ってまいりますね、ルドルフ執事」
「ええ。……手は、かならず拭くようにして下さい」
小声で呟かれた言葉に、私は思わず笑ってしまった。
ええ、父様。
心の声は、父様に聞こえたかしら。
「……リドニア殿?貴女もエスコートが必要ですか?」
中に入ろうとしない私に痺れを切らしたのか、ティルー殿が出てきた。
まあ!エスコートを待って入らない高飛車女とでも思われたのかしら。
だとしたら、とんでもない誤解だわ。
「必要ありません!」
どうぞ、と差し出された手を払って、私は自力で馬車に乗り込んだ。
「どうしたの?リドニア」
あからさまに手の甲を拭うお嬢様にティルー殿は肩を竦め、御者に発車するよう告げた。
ゆっくりと馬車は発進し、お嬢様にとっては地獄とも等しいヒルドマン侯爵邸に近づいていく。
「リクト様は、ルーシャン様が来られるのをとても楽しみにしていましたよ。私がこちらに迎えとして参る際も、自分も来たいと騒いでましたから」
馬車の中で話すのはティルー殿だけだったけれど、その話の中でティルー殿とリクト様の関係性が見えた気がした。
私とお嬢様とは少し違うのね……。友達みたい。だって、私はお嬢様を表す時に「騒ぐ」なんて言葉使わないもの。
「まあ。来て下さらなくて良かったわ。この狭い馬車が、もっと狭くなっていたでしょうから」
私の気のせいかもしれないが……、お嬢様は意識的に嫌味を言っている気がする。だって、本当はとてもお優しい方だもの。
それに、別にお嬢様の言葉を否定するつもりはないけれど、この馬車は狭くない。向かい合って座るタイプなのだが、私とお嬢様が向かって手前、ティルー殿が進行方向に背を向けるようにして座っている。「あ、申し訳ございません。ルーシャン様がおっしゃられる前に気付くべきでした。リドニア殿」
「はい?」
手招きされ、屈むようにして身体を近づけると、腕を捕まれてティルー殿の横に座らされた。な、な、何を……!?
「これでいかがでしょう、ルーシャン様?確かに広いと誇るには心許ない馬車ですが、少しは快適になりましたか?」
快適どころか、お嬢様は「不愉快極まりない」という表情をしていた。
「お黙りなさい。リドニアを返して」
前に行ったり後ろに行ったり……。
お嬢様が私の服を掴もうと身を乗り出したところで、馬車が強く揺れた。
「お嬢様……!」
お嬢様を抱きしめるようにして庇った私は、気付かなかった。
ティルー殿が私を庇おうとして手を伸ばして下さったこと、私がお嬢様に抱き着いたせいでティルー殿の気持ちが無駄になったこと(出しかけた手を、気まずそうに戻したこと)、そんな様子をお嬢様が見て、初めて緊張がほぐれたように笑い顔になったこと。
私がお嬢様から離れたら、お嬢様は笑顔になっていて、ティルー殿を思い切り笑い飛ばしていらっしゃった。
「……?どうなさいました?」
「いいえ。何でもないわ。揺れると危ないから、リドニアは私の横に座りなさい」
はい、と頷いてからティルー殿に目を向けると、サッと逸らされた。
本当に、何かしら。お嬢様ではないけれど、ヒルドマン侯爵家の方々がティルー殿みたいだったら嫌だわ。
そんなこんなでしばらく経って──私達の乗る馬車は、ヒルドマン侯爵邸に到着した。