もしも私達が、
ロアの今後を決める会議の、日取りが決まった。
決まった経緯は分からないけど、その日程になるにあたって、ミネルバ公爵の都合は少しでも考慮されたのかしら。
ミネルバ公爵へ送る手軽の清書を命じられて、その時に初めて会議の日にちを知った。今から十日後だ。思っていたよりも早かった。
「どうなるのかしら」
清書する私の手元を覗き込みながら、お嬢様は言った。あまり真剣な雰囲気はなく、あくまで軽口だった。
「どうなるも何も、何も変わりませんわ。ロアはミュール家。その事実がある限り、ミネルバ公爵に仕えるなんて許されませんもの」
私が書く招待状は4通。次期メフィス伯爵になられるリジン様と、伯爵夫人になられるローズ様。それからミネルバ公爵に公爵令嬢のセルア様。と言ってもセルア様は会議には参加されない。当事者として呼ばれるだけだ。必要に応じて発言を求められるのかもしれないけれど。
「もしも、よ?」
僅かに緊張しながらペン先をインクに浸し、紙に走らせる。お嬢様の美しい声を耳元に聞いていた。
「私がリドニアの主じゃなくて、ロアとセルア様のように人生の途中で出会ったら、どうだったかしらね」
「途中、ですか?」
「そう。貴女には別の主がいて。私は……ミネルバ公爵には悪いけれど、没落貴族。リドニアは、その時も私に仕えたいと思ってくれたら」
もしもの話。そんなことは有り得ないと知っているからこそ、どこまでも理想や本心を組み込める。
「私は、お嬢様以外の方には仕えませんわ」
迷わず答えると、お嬢様は眉を下げてくすりと笑った。
「リドニアといると、なんだかあたしは唯一無二の特別な存在だと思い込みそうだわ」
思い込むもなにも、お嬢様はまさにその通りの存在よ。
けれど、ムキになって反論せず、お嬢様のお話通りの想像をしてみる。
セルア様の立場にお嬢様、私がロアだったなら。
「何をしてでも、貴女に仕えようとするでしょうね。私だったら、……お嬢様を一人にしません。もしもお屋敷での暮らしが不便なら、私の持てる全てで貴女の暮らしを快適なものにします」 実際にそんな状況にだったなら、そんなことはできないのかもしれない。私はお嬢様と、そしてお嬢様に出会うまで仕えてきた方との間で心を揺らし、迷い続けるのかもしれない。
でも、私の主はルーシャン様だけだから。
──ロアは、違ったみたいだけど。
セルア様のどこが良いのか私にはサッパリだけれど、私にとってのお嬢様なのだと思えば、少しだけ嫌な気分が薄まった。
「セルア様にとってのロアは、あたしにとってのリドニアなのかしら、って。そう考えたらあたし、あまりキツイことは言えないかもしれないわ」
お嬢様も、私と同じことを考えていたらしい。胸の奥底が暖かくなって、柔らかいものに包まれたような気持ちになった。
「……ぁっ」
その拍子に、招待状の文章を間違えてしまう。書き直しだわ。
「……お嬢様。その言い方だと、ロアがミネルバ公爵のもとに行くのを許しているように聞こえます」
失敗に苛立って、捻くれたことを言ってしまう。
「そうね、でも──私がセルア様の立場だったなら、どんな手を使ってもリドニアを手にいれるわ」
ボソリと呟かれた言葉に目を瞬かせる。
「え、」
「私がセルア様の立場だったなら、ね?」
「お嬢様……ありがとうございます」 お嬢様が私に対して見せてくれた独占欲に、私は笑みをこぼした。
書き終わった手紙のインクを乾かして封筒にいれ、蝋を垂らして印を押す。正式な書類らしく飾られた手紙に、私はふぅ、と息を吐いた。
本来、蝋印を押すのは旦那様の役目なのだが、ほとんど押し付けるように命じられた。いえ、命じるのに押し付けるも何もないんだけれど。
「もういいかしら」
「何が?」
光に照らしてインクの乾き具合をチェックしていると、扉からロアが顔を覗かせた。ここは余っている客室の一つ。なのだから別に驚くようなことはない。
……実際はどうであれ、私はとんでもなく驚いたけれど。
「っ!……ロア、驚かさないでちょうだい。また書き直すところだったわ」
「招待状を届けるんだろ?」
そこに立つロアは、いつもの燕尾服ではなく、普通の……街にいる人が着ていそうな普段着を着ていた。
睨みつけた私の目に困惑が混じるのを察したのか、ロアは言った。
「俺が届けてやるよ」
「招待状を?あんたがするような仕事じゃないわ。下男に頼むからいいわ」
ロアの目的は分かっている。この招待状が、ウォルツ伯爵邸に向かうものだけだったなら、こいつはここに来なかった。
「俺が行く。──行かせてくれ。頼むから」
ロアが、こんな風に私に頼み事をしたことがあったかしら。こんな、懇願するかのように。
「セルア様に会いたいんだ」
「その感情に、恋愛感情は含まれていないのね」
私が最も優先させる感情は、忠誠心。偽れないし、恋愛感情みたいに安っぽくも刹那的でもないもの。
「当たり前だろ」
「なら、良いわ。これをセルア様とミネルバ公爵に届けてちょうだい」
ロアに手紙を渡しながら、私も思った。
ウォルツ伯爵邸には、私が行こうかしら、と。
用意が良いことに、ロアはすでにマリア侍女長に許可をもらっていた。手紙を渡すと、一度それを観察するようにして、私の手の中にある封筒を見た。
「それも会議の招待状だろ?届けるよ」
「これは……良いわ。私が行くから」
「姉さんが?」
「少しローズ様や、エルザと話したくなったのよ。あんたのことを」
「……ああそう」
そして意見を仰ぎたい。
会議で、ロアをミネルバ公爵に受け渡さないことが決まった後、彼の忠誠心は再びメフィス伯爵家に向かうことができるのか。
一度失った忠誠は、復元可能なのか。
マリア侍女長は、厨房にいた。様子から察すると、シンシア様への紅茶の準備かしら。
私が招待状を持ったままなのに気付くと、あら、と声を上げた。
「ロアに会ったのでしょう?どうしてまだ持ってるの」
「あの……リジン様とローズ様の招待状、私が届けても良いかしら」
「貴女が?わざわざリドニアがするようなことじゃないわよ。そういうことは下男に頼みなさい」
マリア侍女が私と同じことを言うものだから、笑ってしまった。ロアがよく私にマリア侍女長と似てきたて言うけれど、案外当たっているかもしれない。まあ、それが一般論だというのもあるけど。
「駄目ですか、侍女長?」
「別に忙しいわけではないから、止めはしないわよ。ルーシャンお嬢様の許可はいただいたの?」
「まだ……です」
「行くのなら、お嬢様の許可をいただいてからになさい」
「っ、ありがとうございます」
お嬢様は快諾してくださった。
馬車と御者を借りて、私は屋敷を出た。