使用人と変わり者の令嬢
「そう、それはある休日、いつものようにお忍びで街へ繰り出した時だった……痛っ」
口調を変えて語りだしたロアを小突く。普通に喋りなさいよ、普通に。
というかもしかしてあんた、不良だったんじゃないでしょうね。いつものようにって何よ。
「……。まあそん時、連れとはぐれたんだよ。別に目的地があったわけじゃなし、会える確率も低いから、学校に戻ろうかと思ったんだ」
課題もあったし、と付け足すロア。よかった。とりあえず課題をこなそうと思う程度には真面目だったらしい。
「そこで、セルア様と会ったのね?」
「……まあ、会ったって言うか。重そうに荷物引きずってたから助けて差し上げたんだよ」
「そのついでに家まで付いていって、」
先を言ってから目を細めていると、ロアが焦ったように「やましい理由じゃないぞ!」と言ってくる。
「私、何も言ってないわよ?」
「──うっさい」
ま、良いわ。ロアにはロアの考えがあるんでしょうし。
「で?続きは?」
続きを促すと、ロアは何か言いたげに私を見てから口を開いた。
「屋敷に行ったんだ。…立派な屋敷だった」
ミネルバ公爵の屋敷が立派なのは想像に難くないわ。いくら先代が浪費家だったとはいえ、屋敷を売り渡すような馬鹿ではなかったはず。
相槌を打たずに頷くと、ロアは話し出す。
「ただ、庭は荒れ放題で、花壇に花はなく、屋敷の質は……とても悪かった。門なんて、変色してたしな」
その時を思い出したのか、ロアは苦笑した。屋敷の庭園や門なんて、普通の貴族なら真っ先に手を手を加えないといけない場所よ。なんたって、屋敷は顔。それを見ただけて、その家の経済状況が分かってしまう。
でも、もっと言えばロアの言っていることは、誰でも対処できること。
門を磨いたり、庭園の雑損を刈ったり、……花を植えるのは、庭師かしら。
「ろくなメイドがいないのね」
厭味ではなく、ただただ正直な感想を漏らした。だって、そうじゃない?メイドが3人もいたらどうにかなるのに。
「……俺も、そう思ったよ。でも、すぐにおかしいと思った。だれもセルア様を迎えにこないんだ。メイドも、執事も、彼女の侍女でさえ」
その言葉で、ピンときた。でも、まさか。だって。
「もしかして、──使用人がいないの?でも……」
「先代のミネルバ公爵は、姉さんが思っていたよりも浪費家だったんだ。今代に残された財産は、微々たるものだ。──そして、安い給金で集まるには先代の噂が悪すぎた」
ミネルバ公爵の元に主が訪問する際は、必死で止めろ。それが無理な場合は剣術を学べ。もしくは辞めろ。
でないと、使用人は殺される。
給金に対し、リスクが高すぎた。もちろん、何でもいいから日銭を稼ぎたいという人はいるだろうけど……。
「これまでに数人、身元の分からない孤児や浮浪者を雇ったそうだけど、金製の鍵や燭台を盗まれたから止めたらしい」
「そ、そう……」
……そういうこともあるのね。私からしたら考えられないわ。主のものを盗むだなんて。むしろ、私の全てをお嬢様に捧げるわ。
「それを聞いた時は、大して何も思わなかったんだ。気の毒だな、ぐらいしか感想もなかったし」
「時は、ってことは、その後も会ったのね。セルア様と」
少しの間沈黙して、ロアは頷いた。彼はとても神妙な顔をしていて、……月夜の照らされている背景に、とても似合っていた。
「お互いに意図したわけじゃない。運命だと言い張るつもりもない。けれど出かける周期が似ているのか、俺とセルア様はそれからもたびたび、街で会った」
まるで、街に出回るロマンス小説の内容みたい。使用人と令嬢が出会い、惹かれあう。少し普通と違うのはセルア様がミネルバ公爵の娘だということと、ロアがミュール家だということ。その関係を否定するのが令嬢の家族ではなく、使用人の家族…特に姉…だということ。
「それにさ、姉さん。俺とセルア様の間に、恋愛感情はないよ」
「………」
「少なくとも、俺にはない。主には忠誠を。そう生まれた頃から躾られたんだ。相手がどんなに可愛かろうが、相手が主なら俺は忠誠以外の感情を抱かない」
ロアの顔は、真実を語っている顔だった。少なくとも私は、それをその場限りの嘘だとは思わなかった。
実際、ロアの言うことは間違えじゃない。私達はそう教え込まれた。主は異性云々の前に主なのだと。
「でも私は、今日のあんたとセルア様を見て、まるで恋人同士だと思ったわ。あんたは、使用人らしくなかった」
「街で何度か会ってる内に、セルア様が俺のことを友人として見ていることに気がついたんだ。別にそれ自体はおかしなことじゃない。その頃の俺とセルア様の間には、何もなかったんだから。ただ俺は、セルア様をルーシャン様よりも高い身分の令嬢だとは思えなかった」
ロアは私の言葉に対してコメントしなかった。それとも、もしかしたらこれが答えにつながるのかもしれない。
「着ている服は、令嬢らしいものだったんだ。母親の形見だとおっしゃってたけど……。そこでやっと、気付いた。セルア様にないもの。──人を従わす力だよ」
私には、ロアの言いたいことがいまいち分からなかった。
それが顔に表れていたのか、ロアが苦笑した。
「孤児や浮浪者を雇っても、何も起こらない人はたくさんいる。セルア様には、命令する力が全くないんだ。ルーシャン様や……リクト様のような、貴族なら誰もが持っている圧力が、セルア様にはない。彼女の言葉に従わなくてはいけないという感情を人に抱かせないんだ」
──やっと言いたいことが伝わった。
貴族は、大抵誰でも生れた時から大勢の使用人にかしづかれている。命令は日常となり、日常となった命令には従わなくてはならない空気がまとう。貴族は傲慢さが武器となる。
けれどセルア様にはそれがない。貴族に一番必要なものがない。
「言い方は悪いが……セルア様はナメられやすい」
「本当に言い方悪いわね」
ロアの冗談で張り詰めていた空気がなくなり、どちらからともなく息をそっと吐き出した。
わけを聞いたところで、私の気持ちが変わらないのはロアだって知っているはず。そもそも、理由を聞いて許可できるような話でもない。
──それに、ロアの一存で全てが決まらないように、私の一存でもロアをセルア様に受け渡すことはできない。
「どう?少しは心動いた?」
「馬鹿。そんなわけないでしょ」
茶化すようなロアに、私も同じ空気をもって返した。こんな真夜中に言い争いをするなんて、私もロアも嫌だ。
「……確かに、私も少しセルア様を馬鹿にしていた節はあるわ。それも、あんたの言う圧力に関係あるのかしら」
こんな令嬢に負けた、って思ったもの。実際ロアが言う通り、お嬢様よりも高位なのに。
そう言うと、ロアは馬鹿にしたように私を鼻で笑った。
「俺がミーユ様に仕えるったって、姉さんなら怒ってただろ。それとこれとは無関係。姉さんの中で、ルーシャン様は陛下よりも偉いんだから」
「失礼ね。そんなこと……ないわよ、多分」
私達は和やかに笑いあう。
明日からはきっと、睨み合って言い争うのに。
あんたが諦めるまで私とあんたは敵同士よ。明日から。
そんな思いを込めて、部屋から出る間際に頬にキスをしてあげた。さりげなく拭われた。